城主
藤原朝臣貞光、筒井順斎
別名
下倉古城
遺構
歴史
元亀年間(1570年~1573年)に藤原朝臣貞光の居城であったが、毛利氏に攻められて落城し、貞光は総社市阿曽に逃げる。
天正年間(1573年~1593年)には筒井順斎が居城していたが落城した。
メモ
元亀年間の毛利氏に攻められた時に
鬼ノ身城、
福田城、
山本城(原)と共に落城したという。天正3年(1575年)の備中兵乱の時か?
一方、天正年間については、昭和町史に筒井氏の由来が紹介してあり、永享年間に筒井重郎右衛門尉藤原安清が大和国から浅口市鴨方へ移り
鴨山城の城番となり、その後は
猿懸城の城主土肥・小早川氏に属し、朝鮮征伐へも赴いたとのこと。
筒井氏が毛利方であるならば、天正3年から城代として筒井氏が守り、天正10年以降の境界線を巡る合戦の時か?
概要
縄張り図
所在地
総社市下倉
交通
自家用車
登城口
注意
写真
登城記録・感想等
参考文献
「日本城郭大系 13」「昭和町史」
更新日
2010年01月22日
最終更新:2010年01月22日 23:58