【名前】権藤 葵(ごんどう あおい)
【容姿】177㎝、現役時代は老け顔
【生年月日】昭和47年9月7日
【ポジション】投手(左左)
【主な持ち球】148㎞のツーシーム、スライダー、(カーブ)、(フォーク)、落ちないチェンジアップ(権藤チェンジ)
【フォーム】斜018(デビュー~2005年まで)、斜024(2006年~引退まで)
【出身】佐賀県武雄市
【球歴】地元の中学→武雄高校→青学大→オリックス(1995-2004)→横浜(2005-2008)→新潟(2009-2013)→新潟コーチ(2014-)
【背番号】34(1995-2013)→72(2014-)
【性格】聖人(ただし、怒ると手が付けられない)
【その他】
人物紹介
中継ぎで長く活躍した左腕。ホークスキラー、特にダイハード打線の仇敵。
直球に自信があり力で押し切るスタイルを貫いていた。
オリックス時代から中継ぎ一本で活躍。04年オフにFAを行使して横浜に移籍。
07年オフに結婚するも、上層部とトラブルになり、08年に解雇される。
新潟時代は最初の二年間は活躍できなかったが、11年に左専門で復活。12年の終盤は守護神として活躍した。
13年キャンプ終盤に発症した不整脈が原因で引退した。
17年は新潟二軍監督。本人の中では「条件が整えば、神戸に戻りたい」らしい?
プロ入り前
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直球だけには定評がある投手として知られていた。
高校時代は実質直球だけ、大学時代もそうのようだったとか。
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オリックス時代
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入団した95年のオープン戦では先発でなかなか結果が出ず、中継ぎに回る。そこで完璧に抑えたことから中継ぎで開幕を迎えた。
95年は平井に繋ぐセットアッパーとして活躍し、優勝に貢献した。しかし、日本シリーズでは変化球を狙われ、2試合で3失点だった。
96年は途中から抑えに回り、二年連続のリーグ優勝と球団通算4度目(阪急時代から通算して)の日本一に貢献した。シリーズでは4試合に登板し、無失点。
97-99年は不調の平井に代わって鈴木平と共に抑えを務めた。
00-01年はセットアッパー、抑えの掛け持ち
02年はセットアッパーとして起用された
03年は投手陣が大炎上の中、一人だけ完璧に抑え込んでいた。特にダイエーを得意とし、このシーズンは3点台を切る防御率だった。
04年オフ、チーム名改称を嫌いFA権を行使し、横浜へ移籍した。
オリックス時代は10年間で451登板を記録している。
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横浜時代
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05年に入団。クルーンに繋ぐセットアッパーとして、クワトロKの補完役として53試合に登板した
06年は二段モーション禁止も、その影響を感じさせなかった。このシーズンは3試合先発で登板しているが、途中離脱があり21試合に止まった。
07年は前半戦不在も後半戦はセットアッパーとしてチームの勝率五割間近まで押し上げる貢献だった。オフに結婚。
08年は一転して開幕直後に謎の二軍落ち。そのまま幽閉され、10月初頭に戦力外通告を受けた。
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新潟時代
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戦力外を受けるも、新潟からオファーがあり、解禁と同時に入団した。年俸は25%減で契約。
当時のオーナー曰く、「選手としては復活したらラッキーと思うくらいの期待度」だったようだ。
09年、10年の登板機会は肘の手術の影響で合計4試合に留まった。
直球が見る影もない状態だったため、プレイスタイルのチェンジを決意した。
11年は3年ぶりの開幕一軍、7月には4年ぶりに勝利投手、9月には6年ぶりにセーブを挙げた。31試合に登板し復活した。オフに二度目のFA権を獲得するも、行使せず残留。
12年は前半戦左専門。一度二軍落ちも夏場からは守護神として活躍した。しかし、20試合の登板だった。
13年キャンプ終盤、体調不良を訴え、検査したとこ不整脈が発覚。このシーズン限りで引退した。
引退試合は2軍のファイターズ戦だった。この年は1軍登板をしていない。
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引退後
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14年からはコーチを務める。担当はブルペン。
15年も前年と同じ役職を務めた。
16年よりメイン担当に役職が変わった。
17年以降は二軍監督。
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選手としての特徴
クセと伸びのある直球を武器に打者を牛耳ってきた。この球を駆使し、空振りや内野ゴロを量産した。
権藤チェンジは直球と同じ腕の振りでブレーキがかかったボールである。タイミングを外すのに重宝していた。
この球は新潟移籍後は投げていない。代わりにカーブを使うことが多かった。
牽制、クイックも上手く、牽制でランナーを刺したり、盗塁の隙を与えなかった。
ホークスには滅法強く、通算防御率は1点台前半をマークしている他、奪三振率も高い。
復活勝利、久々のセーブは共にホークス戦である。
新潟時代は内角を非常に厳しく攻めたため、死球率が高い。
南澤とは今でも仲が良い。毎年、12月には神戸で必ず会っている。
コーチとして
ベテランや中堅左腕の再生には自信がある。また、現役時代と異なり、先発投手の整備が得意である。
マウンドでは「困ったらど真ん中目掛けて思い切り投げろ」と言い切る。
二軍投手陣が細りかけている影響もあり、来季は二軍監督に配置が変わっている。
島津とは指導方針を巡り不仲だった。(直球重視の権藤と変化球重視の島津)
余り多く語らない為、一部選手からは不気味がられ、又、一部選手からは安堵もあるようだ。
宇喜田との関係は?
不甲斐無い投球でKOされる
宇喜田に怒鳴り散らすところをカメラにすっぱ抜かれたりする。
KOされたり、勝ち星が消えた時のおなじみの光景から不仲であると言われている。
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その割には
親身に練習を見守ったり、少しでも長くやれるようなアドヴァイスをしている。
最後くらい良いとこを見せてやりたいとの気持ちで、CSと日本シリーズで投げさせたいと思っているようだ。
つまり…「マスコミの印象操作」である。
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おまけ
最終更新:2017年11月22日 23:17