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戊辰戦争(ぼしんせんそう)とは1868年の鳥羽・伏見の戦いから1869年の箱館戦争までの一連の戦争。主に新政府軍と旧幕府による内戦だった。

概要

長州藩は第一次長州征討後の幕府との約束を破り、高杉晋作らが中心となって幕府に歯向かった。これに激怒した幕府は長州藩を攻撃。ところが薩摩藩も長州藩に味方した。これは薩長同盟による影響だ。

幕府は各地敗北。おまけに徳川家茂急死したため長州藩への攻撃を断念
薩長藩は岩倉具視らと手を組み、討幕の密勅を手に入れる。これを知った徳川慶喜大政奉還を行い、幕府を無くして朝廷政治権利を返した。

このままでは徳川慶喜がリーダーになってしまう、それを阻止するため薩長藩や岩倉具視は王政復古の大号令を出す。こうして新政府軍が誕生した。

王政復古の大号令が出された日の小御所会議が開かれた。結果大久保利通・岩倉具視らが勝利し辞官納地を要求した(戊辰戦争のきっかけ)。徳川慶喜は、これを無視して大阪城に入った。その後、新政府軍と旧幕府が激突。新政府軍は、人数は少なかったが装備に勝っていた。しかも一部の旧幕府は新政府軍に寝返りし、残った旧幕府は敗走した。

1868年、西郷隆盛勝海舟が最後の交渉を行う。その結果、徳川慶喜は江戸城を明け渡して謹慎した。これを江戸開城という。ただ、これも全ての旧幕府が江戸開城に賛成した訳ではなく彰義隊結成寛永寺に立てこもった。しかし大村益次郎らは彰義隊を僅か1日で打ち破った。こうして関東地方は新政府軍の支配下に置かれた。

一方、北陸では河合継之助率いる長岡藩により苦戦していた。長岡藩は奥羽越列藩同盟支援を受けて粘り強く抵抗した。しかし兵力の差で長岡藩は敗退した。

関東・北陸で勝利した新政府軍は会津に向かう。会津藩は幕末に薩長藩と激しく対立した。新選組も会津藩の支配下であった。会津藩を含む奥羽越列藩同盟軍と新撰組は白河口の戦いなどで善戦する。しかし母成峠の戦いに敗れ若松城を急襲され降伏に至った。白虎隊が飯森山で自害したのは、この時。新選組を含む、まだ戦意を失っていなかった者たちは蝦夷地に向かった。

旧幕府の榎本武揚らは五稜郭占領し、松前藩を攻め落とした。そして、そこで蝦夷共和国建国宣言する。新政府軍は諸外国が戦争に口を出してくることを恐れ、五稜郭に軍を差し向ける。函館湾での海戦や周辺地域を攻め落とした新政府軍は旧幕府に降伏を迫る。土方歳三も箱館戦争で戦死。こうして1868年、旧幕府は降伏し戊辰戦争が終結した。

戊辰戦争の結果、旧幕府などは解体され日本全国が新政府によって統一された。戊辰戦争が長引けば、フランスイギリスが関わっていた可能性があり、戦争が短期で終わったことで外国の介入は避けられた。そして戊辰戦争により明治維新が行いやすくなった。

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歴史
最終更新:2026年05月02日 10:57
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