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魔女狩り(まじょがり)とは、中世末期以来、ヨーロッパキリスト教会が行った悪魔を売った者(魔女)に対する徹底弾圧

概要

魔女とはキリスト教信仰を捨て、悪魔から得た魔力人間社会に害毒を与えると信じられた者のことである(因みにも含む)。

初期の魔女狩りは女性対象となる。

魔女のルーツは大きく分けると2つあって、1つは魔女狩り文化の前には賢い女と言われていたたち。例えば薬草知識があって病気の時に相談役になるとか、助産師みたいな感じで出産の際にヘルプをして赤子様子を見て運命予言するとか、そういう々は元々農村では尊敬されるタイプだったんだけど、中世以降にキリスト教の絶対権威確立されてくると、教会から目障りな対象として見られるようになった。

もう1つのルーツは社会アウトサイダーに属する女性たち。いわば地域社会で揉め事を起こして、少し離れたところで孤独に暮らしているような人々。単純に性格が悪くて嫌われ者だったとかそういう訳ではなく、例えば戦争から逃げるとか何らかの事情外国からやってきた人など、地域社会にあまり慣れていない人も魔女のルーツとして1つあった。

最初の方は、魔女狩りを除くのは、まだ地域の人たちに現実的に必要とされる能力があった人なので、初期の魔女狩りというと後者のタイプが取り上げられることになる。

ドイツにおいて一番最初に起こった魔女裁判は、記録の残っているところだと1508年12月。被告ウルム近郊に住むアンナ・ゲルディ。アンナ・ゲルディは周囲に怒鳴り散らしたこともあって周囲からの嫌われ者だった。その結果残念ながら魔女としてやり玉に挙げられてしまった。

これを機に今後ドイツでは数多くの魔女裁判が始まっていくわけだが、魔女裁判が起こる件数と気候には相関性があるというがある。簡単に言うと、地球寒冷化などで気候が悪くなって農作物が育たなくなると穀物価格高騰して、食べられないが多くなって人々に余裕がなくなって、悪天候なのは魔女のせいであると繋がってくる訳なのである。

中国だと不安を埋める為に新宗教が作られて、が悪いと纏まって反乱しがちだけど、ヨーロッパはそうではなく近所個人攻撃対象になる。なお、魔女狩りが頻発した16世紀から17世紀は地球が寒かった。

魔女裁判

初期の魔女狩りは各領邦正式裁判所管轄して、その裁判所が必要と感じた時に応じて容疑者告発するルールであったが、当時ではどうしても細かいところは見切れなかった。

なので魔女裁判が増えてくるにあたって、領邦裁判所のやり方では生ぬるいと感じ始め、地域社会で勝手に容疑者を告発する魔女告発委員会みたいなものが立ち上がってくる。ただし仮に裁判員がそれを止めても、逆に裁判員が魔女と疑われる可能性があったので、それを恐れた裁判官は何も言い出せなくなってしまったのである。

正義感に満ち溢れた権力を持つ組織というのは、大体暴走する。フランス革命でいう公安委員会みたいな感じである。

更にいやらしいのは、魔女告発委員会みたいなものは結局、他のいろいろな団体とも癒着していたりして、裁判官居酒屋情報交換会と称して飲み会開催して、その費用裁判費用にそのまま乗っけられたわけである。あと鍛冶屋とか大工とか拷問器具とか処刑台を作る仕事も出てきて、そういう人たちも魔女狩りの利益恩恵を受けていたり、最終的に裁判費用を負担するのは裁判に負けた側で、すなわちほとんど魔女認定された人とその家族親族に支払い義務が生じるのだが、そもそも社会不適合者で村のはずれに住んでいるような人が多いので、支払い能力が殆どないことが多く、一部の人が実際にそれで極端に私腹を肥やしたかというと、実態はそこまでではなかったそう。

当時の裁判の殆どはローマ法ベースにするカロリーナ刑事法典に基づいて実施されていたので、魔女裁判だからといって好き勝手やっていた訳ではない。被告も証人を立てて弁明することが権利として認められていたので、当初は無差別な魔女狩りを防止する役割を確りと持っていた。だから魔女を訴えられたとしても、被告がそれを確りと否定し続ける限り、なかなか裁判官も判決が出しにくかった。

魔女は現実にはいないわけで、魔女が使うとされる魔術は誰も使えないわけで、証拠なんて何をどうしたって出てこない。それでは、誰もが当人を魔女と認める判断できるようにするにはどうするかというと、これは被告が魔女であることを自白することが求められるのだ。では被告に自白してもらうためにどうするかというので遂に導入されたのが拷問である。

やがてカロリーナ刑事法典でも、一部の魔女裁判において拷問することが認められるようになって、それが段々とエスカレートしだしたのである。因みに魔女裁判で有名なものだと、例えば魔女はに浮かび、そうでなければ沈むみたいな魔女検査(他にを使ったり体重を測ったりするなど)はあったけれど、こういうのは寧ろ被告側が希望するケースが多かったそう。しかし当時の雰囲気からして、魔女の疑いを持って訴えられた人というのは、それだけで周りから腫れ物扱いになるわけで、それを前述した魔女検査ででパスしたから見逃したなんてことをやると、裁判官の腕が悪いなどと言われて自分たちの面子に関わると考えたみたいで、結局拷問によって罪の自白を強要するケース頻発するようになる。しかも、その際に他の関連する魔女がいるとみて次の魔女探しが始まるので、魔女容疑者も拷問の辛さから知り合いを挙げたりして、こうして魔女狩りが繰り返されたわけだ。

なので、司法制度がそれらしく整備されていたり法律も確りあるとしても、それらを運用する人たちがまだまだ中世的価値観に生きているので全く機能していなかった。因みにこうしたドイツの状況に対してフランスではどうだったのかを少し触れると、フランスも田舎の方では魔女狩りは行われていたがドイツに比べれば、まだそこまでではなかった。これはドイツに対してフランスは中央集権力が強くて、官僚システムも整っていて、中央コントロール国家に関してそれなりに効いていたから。

それに対してドイツというのは、数多くの領邦国家で構成されてバラバラなのである。その中で農村単位まで見ていくと、法による統制なんてのは困難極まりなく、それよりも感情によって物事は突き動かされやすくなる。魔女裁判の結果処刑施行されるときも、地域お祭りのような認識であって、処刑自体を楽しく見るというのもあったんだけれど、その後に見物人たちに軽食お酒提供されたらしい。自分にとって嫌な人が消えて、処刑という非日常感が味わえて、最後に飲食までできるなら魔女狩りも悪くないなんて、現代だったらあり得ないけれど。

ドイツの中でも魔女狩りが荒れ狂ったとして知られるヴュルツブルクは、1627年から1629年までの約2年間、当時の裁判記録火あぶりをした人のリストが残っている。ヴュルツブルクでは、約2年間のうち、処刑が行われた回数は29回。しかも1回につき1人ではないので、被害者数は総勢約150人。最初は魔女告発典型的な老婆や外国の女性から始まるのだが、段々と処刑対象の中に子供が出てきたり、更には町の有力者たち、金持ち市長貴族司祭なども処刑されるようになった。超強力独裁者がいる社会でこうなるのはよくあることだが、そうではなく同じレベルにいる人たちがお互いを信じあうことができずに大量殺戮が起こるというのは何とも恐ろしいと言える。結局それも寒冷化に伴う生理欲求の満たされなさからくることなので、周囲の人たちを疑心暗鬼に思う人は、まずは自分を幸せで満たせる方法を考えてみよう。

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歴史
最終更新:2026年08月17日 14:57
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