概要
もう1つのルーツは
社会の
アウトサイダーに属する女性たち。いわば
地域社会で揉め事を起こして、少し離れたところで
孤独に暮らしているような人々。単純に
性格が悪くて嫌われ者だったとかそういう訳ではなく、例えば
戦争から逃げるとか何らかの
事情で
外国からやってきた人など、地域社会にあまり慣れていない人も魔女のルーツとして1つあった。
最初の方は、魔女狩りを除くのは、まだ地域の人たちに
現実的に
必要とされる
能力があった人なので、初期の魔女狩りというと後者のタイプが取り上げられることになる。
ドイツにおいて一番最初に起こった魔女
裁判は、
記録の残っているところだと1508年12月。
被告は
ウルム近郊に住む
アンナ・ゲルディ。アンナ・ゲルディは周囲に怒鳴り散らしたこともあって周囲からの嫌われ者だった。その
結果、
残念ながら魔女としてやり玉に挙げられてしまった。
これを機に今後ドイツでは数多くの魔女裁判が始まっていくわけだが、魔女裁判が起こる件数と
気候には
相関性があるという
話がある。簡単に言うと、
地球寒冷化などで気候が悪くなって
農作物が育たなくなると
穀物の
価格が
高騰して、食べられない
人が多くなって人々に
心の
余裕がなくなって、悪天候なのは魔女のせいであると繋がってくる訳なのである。
魔女裁判
なので魔女裁判が増えてくるにあたって、領邦裁判所のやり方では生ぬるいと感じ始め、地域社会で勝手に容疑者を
告発する魔女告発委員会みたいなものが立ち上がってくる。ただし仮に
裁判員がそれを止めても、逆に裁判員が魔女と疑われる
可能性があったので、それを恐れた
裁判官は何も言い出せなくなってしまったのである。
更にいやらしいのは、魔女告発委員会みたいなものは結局、他のいろいろな
団体とも
癒着していたりして、
裁判官と
居酒屋で
情報交換会と称して
飲み会を
開催して、その
費用は
裁判費用にそのまま乗っけられたわけである。あと
村の
鍛冶屋とか
大工とか
拷問器具とか
処刑台を作る
仕事も出てきて、そういう人たちも魔女狩りの
利益で
恩恵を受けていたり、最終的に裁判費用を
負担するのは裁判に負けた側で、すなわちほとんど魔女
認定された人とその
家族や
親族に支払い
義務が生じるのだが、そもそも社会不適合者で村のはずれに住んでいるような人が多いので、
支払い能力が殆どないことが多く、一部の人が実際にそれで極端に私腹を肥やしたかというと、実態はそこまでではなかったそう。
当時の裁判の殆どは
ローマ法を
ベースにする
カロリーナ刑事法典に基づいて
実施されていたので、魔女裁判だからといって好き勝手やっていた訳ではない。被告も
証人を立てて
弁明することが
権利として認められていたので、当初は無
差別な魔女狩りを
防止する
役割を確りと持っていた。だから魔女を訴えられたとしても、被告がそれを確りと
否定し続ける限り、なかなか裁判官も
判決が出しにくかった。
魔女は
現実にはいないわけで、魔女が使うとされる
魔術は誰も使えないわけで、
証拠なんて何をどうしたって出てこない。それでは、誰もが当人を魔女と認める
形で
判断できるようにするにはどうするかというと、これは被告が魔女であることを
自白することが求められるのだ。では被告に自白してもらうためにどうするかというので遂に
導入されたのが
拷問である。
やがてカロリーナ刑事法典でも、一部の魔女裁判において拷問することが認められるようになって、それが段々と
エスカレートしだしたのである。因みに魔女裁判で
有名なものだと、例えば魔女は
水に浮かび、そうでなければ沈むみたいな魔女
検査(他に
火を使ったり
体重を測ったりするなど)はあったけれど、こういうのは寧ろ被告側が
希望する
ケースが多かったそう。しかし当時の
雰囲気からして、魔女の疑いを持って訴えられた人というのは、それだけで周りから
腫れ物扱いになるわけで、それを前述した魔女検査でで
パスしたから見逃したなんてことをやると、裁判官の腕が悪いなどと言われて
自分たちの
面子に関わると考えたみたいで、結局拷問によって罪の自白を
強要する
ケースが
頻発するようになる。しかも、その際に他の
関連する魔女がいるとみて次の魔女探しが始まるので、魔女
容疑者も拷問の辛さから
別の
知り合いを挙げたりして、こうして魔女狩りが繰り返されたわけだ。
なので、
司法制度がそれらしく
整備されていたり
法律も確りあるとしても、それらを
運用する人たちがまだまだ中世的
価値観に生きているので全く
機能していなかった。因みにこうしたドイツの
状況に対して
フランスではどうだったのかを少し触れると、フランスも
田舎の方では魔女狩りは行われていたがドイツに比べれば、まだそこまでではなかった。これはドイツに対してフランスは
中央集権力が強くて、
官僚システムも整っていて、
中央の
コントロールが
国家に関してそれなりに効いていたから。
それに対してドイツというのは、数多くの領邦国家で
構成されてバラバラなのである。その中で農村単位まで見ていくと、法による
統制なんてのは
困難極まりなく、それよりも
人の
感情によって
物事は突き動かされやすくなる。魔女裁判の
結果、
処刑が
施行されるときも、
地域の
お祭りのような
認識であって、処刑自体を楽しく見るというのもあったんだけれど、その後に見物人たちに
軽食と
お酒が
提供されたらしい。自分にとって嫌な人が消えて、処刑という非
日常感が味わえて、最後に
飲食までできるなら魔女狩りも悪くないなんて、
現代だったらあり得ないけれど。
ドイツの中でも魔女狩りが荒れ狂った
町として知られる
ヴュルツブルクは、1627年から1629年までの約2年間、当時の
裁判記録で
火あぶりをした人の
リストが残っている。ヴュルツブルクでは、約2年間のうち、処刑が行われた回数は29回。しかも1回につき1人ではないので、
被害者数は総勢約150人。最初は魔女
告発で
典型的な
老婆や外国の女性から始まるのだが、段々と処刑
対象の中に
子供や
男が出てきたり、更には町の
有力者たち、
金持ちや
市長、
貴族、
司祭なども処刑されるようになった。超
強力な
独裁者がいる
社会でこうなるのはよくあることだが、そうではなく同じ
レベルにいる人たちがお互いを信じあうことができずに大量
殺戮が起こるというのは何とも恐ろしいと言える。結局それも寒冷化に伴う
生理的
欲求の満たされなさからくることなので、周囲の人たちを疑心暗鬼に思う人は、まずは自分を
幸せで満たせる
方法を考えてみよう。
最終更新:2026年08月17日 14:57