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(そう)とは、中国王朝

概要

南北朝時代、南朝の1つ。東晋に代わって劉裕建国、8代続いた。

451年に北魏と戦って敗れ、やがて滅びた。

5世紀の後半、倭の五王からの使いがしばしば、このを訪れた(宋書)。

もう1つの宋

開封市とし中国を統一した北宋と、華北を失って杭州市臨安区)を都にした南宋に分かれる。

北宋

滅亡(907年)後、五代最後の王朝、武将だった趙匡胤建国(960年)し、979年に中国を統一

宋は、唐末から増大した武人を抑え、文人官僚を手足とする皇帝中心独裁政治制度確立した。

西夏侵入に苦しみ、王安石登用して富国強兵を図ったが、保守派に反対された。

12世紀には侵入、1126年には首都を攻め落として皇帝欽宗と、画家としても有名な前皇帝徽宗を連れ去って北宋を滅ぼした。

南宋

徽宗の高宗が、1127年に逃れて建国。金に圧迫され、毎年を送ったが、最後はに滅ぼされた(1279年)。

長江流域開発が進んで中国経済中心地となり、各地に陶磁器など特産物が生まれ、商業発達紙幣出現した。地主商人は競って科挙を目指し、儒学では宋学と呼ばれる流れが起こって、君主独裁政治理論提供した。

また、小説など庶民の為の文化が現れ、木版印刷火薬羅針盤が実用化した。そろばんが実用化されたのも、この時代である。

日本

12世紀の後半に平清盛は、宋との貿易利益政権基盤にした。

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歴史
最終更新:2026年08月25日 12:56