醒めない夢(前編) ◆MiRaiTlHUI




 二人乗りの自転車が、深閑とした車道を走り抜けていく。
 ペダルを踏み込む阿万音鈴羽の足取りには一切の淀みがない。今よりもずっと未来の世界でレジスタンスの戦士として戦っていた過酷な日々と比べれば、たかが女子中学生一人を乗せた自転車を運転する事くらいは造作もない事だった。
 自転車の荷台に乗る見月そはらが、鈴羽を退屈させない様にと“非現実的な実話”の数々を聞かせてくれるのも面白かった。何でも、桜井智樹という一人の少年を中心に集まったエンジェロイドとかいうロボットの少女達が居るらしいのだが、そのロボット達がまた常識など考えるだけ無駄だと思い知らされるような馬鹿げた事件を立て続けに起こしてくれるのだという。その日々が面白可笑しくて、いつも困らされてはいるが、その反面とても楽しい日々を送っているのだと、そはらは語る。
 そはらの話の中に出て来たダイブゲームもシナプスのカードも、どれも荒唐無稽で信じるに値しないように思われるが、ここまで非現実的な現実を見せ付けられた後では今更否定する気も起きまい。結局は鈴羽も楽しんでそはらの話に耳を傾けていた。
 そんな他愛もない話がいつまでも続くかと思われた矢先、そはらは話を一旦中断させると、前方に見える大きな建物を指差した。

「――あっ! 鈴羽さん、あれです、健康ランド!」

 そはらの指差す方向を見遣れば、なるほど確かに健康ランドと書かれたネオンの看板がでかでかと掲げられている。聞くところによれば、健康ランドとは様々な形式の風呂にプール、ゲームセンターから食堂まで、多種多様の娯楽を取り入れた公衆施設なのだという。

「へええ、あれが健康ランドかあ……」

 話を聞くからに楽しそうなその施設を目の前に、そはらは瞳をキラキラと輝かせる。
 当然ながら、鈴羽は健康ランドを知らない。ディストピアとなった未来にはそんな娯楽施設は存在しないし――否、存在はするのだろうが、意思を失って得られる“平和”と引き換えに、死と隣り合わせの“自由”を選んだ鈴羽にとってはそんな娯楽など無縁の世界だ。

「あの、鈴羽さん。実は私も健康ランドって言った事なくって……良かったら、セイバーさんと合流したら、あそこで少し休憩していきませんか?」
「見月そはら、気持ちはわかるけど、今は殺し合いの真っ最中なんだよ? そんな事してる場合じゃ……」

 苦笑交じりに言いかけて、しかしその言葉は途中で止まる。
 確かに今は非常時だ。ゆっくり身体を休める余裕などある訳もないのだが、それでもそはらの気持ちは分かる。鈴羽とて見知らぬ娯楽施設に興味がないといえば嘘になるし、いずれこの時代からも去らねばならぬ身としては、今の内に立ち寄っておきたいという気持ちもある。
 そはらの言う通り、セイバーと合流すれば今後の行動の方針を話し合う場も必要となるだろう。数秒程黙考して考えるが、その時はやはり全員が落ち着いて冷静に判断を下せるだけの状況が必要になるのだとも思う。そう考えれば、そはらの提案は全く悪いものではなく、寧ろ合理的なものなのではなかとすら思えて来た。

「……ま、まあ……君の言う通り、セイバーと合流出来たら今後の事も話し合いたいからね、少しくらいなら健康ランドで身体を休めるのも悪くはないかもしれないね!」

 そう、少しくらいなら、だ。これは決して自分に甘えている訳ではないし、何よりも、突然殺し合いに巻き込まれた戦場すらも知らない中学生に、気を張りっ放しにしろというのも酷な話だ。色々考えたが、やはり健康ランドでの休息は必要と思われた。
 そんな鈴羽の心中での葛藤を知ってか知らずか、そはらはクスリと微笑んだ。

「ありがとうございます、やっぱり鈴羽さんって優しいですね」

 その微笑み一つで、何となく全てを見透かされているような気がして、そはらは若干の面映ゆさを覚えた。

 やがて、二人の乗った自転車が健康ランドの正面口の駐車場へ到着した。
 駐輪場は……と考えるが、どの道此処は殺し合いの場なのだから、律儀にそんな事を気に掛ける必要もない。全面が硝子張りの自動ドアの真正面に自転車を停めた鈴羽は、そはらを先にその場に降ろす。
 それからぐるりと辺りを見渡すが、セイバーの乗っていたトライドベンダーは見受けられず、セイバーの気配もない。今頃セイバーは襲撃者との戦闘中か、或いはもう敵を撃破して此方に向かっている最中だろうか。セイバーよりも遅れて到着しては格好悪いから、と考えていたが、少しばかり無駄に急ぎ過ぎたかな、という気もしないでもなかった。

「セイバーさん、まだ来てないみたいだけど……大丈夫かな」
「大丈夫だよ。きっとセイバーは負けない――っていうか、セイバーが負ける姿なんて想像出来ないでしょ?」

 常人ならば考えも及ばないような非常識な戦法を思い付き、しかも極めて実現困難なそれを見事に実行せしめ敵を出し抜いて見せたあのセイバーが、そう簡単に負けるとは思えまい。仮に敵がどんな強敵であったとしても、彼女のあの図太さならば存外楽に切り抜けられるような気がする。
 つまるところ、鈴羽はセイバーの心配を全くしていなかったのである。
 呆れ笑いにも似た笑いと共に鈴羽が言った言葉を、そはらも少しばかり真剣に考えてみた様子だったが、すぐに納得して首肯した。そはらの仲間にも尋常ならざる戦闘能力を秘めたエンジェロイドなる存在が居るらしいし、その手の非常識にはもう慣れているのだろう。

「それじゃあ、私達は先に中に入って待ってます?」
「そうだね、入口のあたりで隠れて待ってればすぐに気付くだろうし」

 入口に鈴羽の自転車が停めてあるのだから、既に中で鈴羽が待っている事には気付くだろう。セイバーが入口から入って来たなら、自分達も姿を現して合流すればいいのだ。
 おりしも二人が健康ランドへ入ろうとした時、二人の影が自動ドアのセンサーに触れるまでもなく、その硝子の扉は自動で開いた。健康ランドの内側から、二人の知らぬ第三者が現れたのだ。
 中から悠然と歩み出たのは、白い無地のTシャツを緩く着こなし、その上からマントを羽織った黒髪の少年。歳の頃は、鈴羽と同じくらいに見える。当然鈴羽の知り合いにそんな人物はいないが、どうやらそはらの知り合いという訳でもないらしかった。

(何、コイツの雰囲気……)

 少年が一歩近寄る度に、嫌な威圧感が鈴羽に重くのしかかる。
 上手く言葉には言い表せないが、この少年が纏った雰囲気は異質だ。そはらのような一般人のそれとは違うし、かといってセイバーのような武人ともまるで違う。見知らぬ相手の不気味な雰囲気に気圧された鈴羽は、それ以上近付くなと言外に告げるように、そはらを庇って身構えた。
 必要以上に警戒されている事に気分を害したのか、少年はやや不服そうに憮然とするが、すぐに二人を安心させるようにと笑顔を浮かべて自らの名を名乗ってくれた。

「そんな慌てんなよ。俺は“織斑一夏”っていうんだ、殺し合いには乗ってない」
「そっか、良かった……! 私達も殺し合いには乗ってないんです、これからここで人を待――」
「見月そはらッ!」
「――へっ!?」

 一夏と名乗った相手に容易に気を許したそはらを咎めるように、鈴羽は声を荒げる。
 突然の怒号にも似たその声に驚いたそはらは、びくんと身を縮こまらせながら、不安そうに鈴羽を見た。優しく穏やかな少女に怒鳴りつけてしまった事に若干の呵責を覚えながらも、鈴羽は油断なく一夏から視線を逸らさぬまま告げる。

「……あんまり簡単に相手を信用して、ぺらぺら話し過ぎない方がいいよ」
「おいおい、警戒するのは分かるけど、それはあんまりな対応じゃないか? 俺はただ自分の名前を名乗っただけなのに」
「織斑一夏。君が本当に悪意を持ってないというなら、少しはその気配を何とかした方がいいと思うよ」

 言いながら、デイバッグからキャレコ短機関銃を取り出し構える鈴羽。
 この男が放つ雰囲気は、凛冽な氷のように冷たく剣呑だ。これは、現代に来てからというもの久しく感じる事のなかった戦場の気配だ。にも関わらず、この男の表情はその凄烈さとは裏腹に笑顔のままである。その不自然な温度差が、鈴羽に直感的な警戒心を与えたのだ。
 とはいっても、鈴羽も現時点ではまだ一夏を敵だと断じた訳ではないし、これはあくまで牽制に過ぎない。もしかしたら鈴羽と同じように、過去に何らかのつらい境遇があって、常に感覚を研ぎ澄ますように癖が付いてしまっただけの“生まれ付いての戦士”なのかもしれない。
 相手に敵意がない事さえ分かれば本当に射撃をするつもりなどないし、その時は謝罪をしたっていい。兎にも角にも、今は安全を確保するまで油断は許されない状況なのである。

 ――ひゅん、と風が吹く音が聞こえた。

 数メートル隔てて前方に居た筈の一夏が、まさしく風と呼ぶに相応しい速度でもって、刹那のうちに鈴羽の間合いへ踏み込み、その手にある獲物を鈴羽目掛けて突き出したのだ。
 が、その一撃は当たらなかった。鈴羽は何を考えるでもなく、ほぼ純粋な条件反射で真っ直ぐに突き出された一夏の肘を下方から叩き、最小限の力でその軌道を大きく逸らした。結果、危うく鈴羽の心臓を突き刺していたのであろうアゾット剣と呼ばれる短剣は、狙いを大きく外して鈴羽の肩の上を通過していくに留まった。
 そして回避の成功と反撃は同時。一夏の突き出した短剣が鈴羽の傍らを通過していく頃には、既に鈴羽の短機関銃の銃口が一夏の腹部に押しつけられていた。

「へえ、思ってたより凄いじゃん。牽制とはいえ今の一撃をかわすなんてさ。そこらの警官だったら死亡確定コースなんだけど」
「君が何者かは知らないけど、あたしを並の人間と同じだと思わない方がいいよ」
「流石、俺の殺気に気付いただけの事はあるね。俄然アンタの“中身”にも興味湧いてきたよ!」

 瞬間、もう取り繕う必要も無くなったのか、一夏の放つ殺気と威圧感が格段に増した。
 藪蛇だったか、とも一瞬思うが――否、元よりこの男が殺意を持って接近してきたのであれば、遅かれ早かれこうなっていた筈だ。この男に騙され心を許し油断し切っていた所を後ろから殺されるよりは幾らかマシか。

(……いや、どの道この状況はよろしくないな)

 一夏が本性を露わしたその瞬間から、背筋を伝う悪寒は止まらない。嫌な汗が頬を伝う。数多の戦場を生き抜いて来た鈴羽の戦士としての本能が、この男は危険だと、鈴羽の手には余りある程の強敵だと、けたたましいくらいに警鐘を鳴らしたてているのだ。
 この全身を突き刺すような鋭い殺気。あのセイバーと比べても遜色のない速度から繰り出される攻撃。こいつの一挙手一投足が、今の鈴羽達にとっては「死」そのものと言っても過言ではない。もしも一手でも遅れを取れば、鈴羽もそはらもまず間違いなくここで殺される事だろう。

「――……ッ!!」

 今や明確となった一夏の殺意を前に、鈴羽は躊躇いもなく――というよりも躊躇えば殺される、その確信があった――キャレコの引鉄を引いた。未来の戦場ではとうに聞き慣れた短機関銃によるフルオート射撃音が、鈴羽の至近距離で鳴り響く。
 一夏は防御も回避もしなかった。鈴羽の突然の斉射に対応する事もなく、その身体は無数に放たれた弾丸によって穿たれ後方へと吹っ飛んでゆく。たかだか総弾数五十のキャレコの弾切れに掛かる時間はほんの数秒。その数秒で放った五十もの弾丸は、一夏の身体だけでなくすぐ後方の硝子張りのドアをも穿ち粉々に粉砕した。大きな硝子が一斉に割れて砕ける甲高い粉砕音が、音鈴羽の耳を聾する。
 驚愕して眼を剥き、口元を抑えて立ち尽くすそはらを後目に、鈴羽はキャレコの弾倉を予め支給されていた予備のものと交換した。奴が放つ嫌な気配はまだ消えていない。冷たく鋭いあの殺気は、衰えるどころか寧ろより一層濃厚な悪意となって鈴羽の肌を刺す。
 鈴羽の第六巻が、これ以上此処に居るべきでないと結論付けた。
 戦士である自分が“またしても”逃げざるを得ないというのは非情に業腹ではあるが、ここで二人揃って殺されるというのが最悪の結果だという事くらいは分かる。ここは先程のセイバーの言葉に従って、今すぐにそはらを連れてここから離脱しよう。
 セイバーに合流さえ出来れば、あとはどうとでもなるのだ。

「見月そはら、コイツは危険だ! すぐに此処を離れよう!」
「えっ……で、でも……っ」

 驚愕と当惑でろくに動けなくなったそはらの腕を引っ掴んだ鈴羽は、倒れ伏した一夏に油断なくキャレコの銃口を向けたまま、今はとにかくそはらを無理矢理にでも連れ出さんと走り出した。
 駐車場の一角に設置されていた自販機の前に立った鈴羽は、首輪から取り出したメダルを叩き込み、中央のボタンを叩く。鈴羽のセルメダルを受け入れたライドベンダーは、がしゃんと音を立てて、まるで変型機能を売りにしている子供向けの玩具のようにバイク形態へと変型し始めた。
 鈴羽は此処へ来てすぐにルールブックを読み、ライドベンダーやカンドロイドといった特殊ルールについても知悉していた。二十余年後の未来にも斯様な道具は存在しないし、当然鈴羽は些かその存在を訝ってもいたのだが、そんな事はやはり考えるだけ無駄なのだろう。
 目の前で形を変えたライドベンダーにいざ跨ろうとする鈴羽だったが――

「折角面白い奴と出会えたんだ、逃がす訳ないじゃん」
「――ッ!!?」

 その刹那、耳元で囁かれた声が、鈴羽には冷たい死神のそれに聞こえた。
 奴は、織斑一夏は、あれだけの一斉射撃に襲われてもなお深手を負わず、どころかダメージを受けたという様子すら見せずに、ほんの一瞬で数十メートルの距離を飛び越えて鈴羽の後方を陣取ったのだ。
 振り向き様にキャレコを突き付けようとする鈴羽だが、既に後ろを取られた状態からでは余りにも遅すぎる。キャレコの銃口が一夏を捉えるよりも先に、高く蹴り上げられた一夏の爪先が鈴羽の手をしたたかに打ち付け、握っていたキャレコを遥か上空へと蹴り飛ばした。数十メートル真上へと跳ね上がってから自由落下して来たキャレコを片手でキャッチした一夏は、今度はその銃口を鈴羽の額に突き付け、小さく「チェックメイト」と呟いた。

「……クッ!」
「さ、どうする? もう次の手がないなら、そろそろアンタの中身も見せて貰っていいかな」

 一夏の問いに答える事が、鈴羽には出来なかった。
 今の戦力ではどう足掻いてもこの男に勝てない。五十発近くの弾丸をその身に受けて傷一つ付けられないような相手を、一体どうやって倒せばいいというのだ。このままではこの人間とも化け物ともつかない殺人鬼の手によって此処で二人揃って確実に殺される。何か手は、と考えるが、考えれば考える程に敗色濃厚な現状に、絶望すら覚える。
 未来で散った父――橋田至――の想いを、その命と引き換えに鈴羽を現代へと送り出してくれたワルキューレの仲間達の命を背負った鈴羽は、こんな所で死ぬ訳にはいかないというのに――!

「す……鈴羽さんから、離れて下さい……っ!」

 そんな時、震える声で一夏に銃を突き付けたのは、鈴羽に保護されるべき一般人、見月そはらだった。
 いけない、見月そはらではこの男には絶対に勝てない! そう思い冷や汗がどっと吹き出るが、しかしだからといって額にキャレコを突き付けられ殺生与奪を握られた状態にある鈴羽に、今のそはらを止める事など出来はしない。
 動けぬ鈴羽を後目に、一夏は興味なさげにちらとそはらを一瞥し、自分の頭部に銃を突き付けられているというのに微塵も臆さず嘯いた。

「俺にそんな銃は効かないよ」
「なら……確かめてみますか」

 精一杯の胆力で以て不敵にそう告げ、一夏の頭部に向けた銃口の狙いを正すそはら。
 そはらの眼に宿る強い意思の光はまごう事なき本物だ。ただのハッタリなどではない、撃たねば鈴羽が殺されるというなら、決然と引鉄をも引いてみせよう。それだけの決意が、そはらの背中を後押しする。何よりも、こんな理不尽な相手に、優しい鈴羽が殺される事がそはらには我慢出来ないのだった。
 命を賭けるのはこれが初めてではない。かつて、大切な友達の一人――ニンフを空のマスターから解放した時だって、いつ爆発するかも知れない爆弾を前にして、それでもそはらは友の為死の恐怖をも振り切って、そして智樹や仲間達と共に見事ニンフを救ってみせたではないか。
 あの時はちっとも怖いだなんて思わなかった。友達への強い思いが、恐怖すらも忘れさせてくれた。だから今だって、鈴羽の命が懸かっているなら不可能な事なんてない筈だと、自分に言い聞かせる。

 とは言ったものの――未だ手は震えている。脚も、きっと声も震えていた筈だ。
 何を考えているのかも、人間かどうかも分からない一夏は怖い。どんなに強がってみせても、怖いものは怖いのだ。あの時は一緒に居てくれた、誰よりも心強いたった一人の友達が今はそばに居てくれないからだろうか。
 否、それでももう退けない。痛い思いをするのは嫌だし、死ぬのはもっと嫌だけれども、目の前で仲間が殺されてしまう恐怖と比べれば、それは絶対に耐えられない程の恐怖とはなり得ない筈だ。

(そうだよね……智ちゃんだったら、きっとこうするよね?)

 今はいないが、あのどうしようもなく馬鹿で変態なアイツなら、きっと「友達の為に」こうしている筈だ。そう思えば、少しだけ勇気が湧いて来る。。
 もしかしたら、エンジェロイドのいる非日常の毎日がそはらの心を強くしてくれたのかも知れない。少し前の自分だったなら、とっくに挫けて居たかも知れない。自分でも自分がこんなにも馬鹿な行動に出る人間だなどとは思ってもみなかったが、それも「誰に影響を受けてこうなったのか」を悟ってしまえば、嫌な気はしなかった。
 状況に釣り合わぬ強い意思を宿したその瞳に何かを感じたのか、一夏は鈴羽にキャレコを突き付けたまま、訝しげにそはらの目を覗き込んで来た。

「へえ……その眼は自分がこれから死ぬだなんて思ってない奴の眼だ。何処からそんな自信が湧いてくるのか知らないけど、アンタにも何かあるみたいだね」
「別に……私には、何もありません。でも、私は、今の私よりももっと危ない状況に何度も立たされて、それでも一度も挫けなかった友達を知ってるから……!」
「ふーん。その友達ってのも気になるけど……じゃあ、まずはアンタの“中身”から見てみようかな?」
「見月そはら――ッ!!」

 意味も分からない一夏の言葉の次に響いたのは、鈴羽の絶叫だった。
 そはらは、何の反応も示す事が出来なかった。気付いた時には鈴羽が叫んでいて、そして気付いた時には、両手に鈍い痛みが走って――その手に握り締めていた筈の拳銃が、先程の鈴羽の短機関銃よろしく真上に跳ね上げられていた。
 脚でやられたのか、腕でやられたのか、はたまた別の何かでやられたのか。この一瞬で何をされたのかさえそはらには分からなかった。

(嗚呼、私、死んじゃうんだ)

 何が起こったかは分からないが、それでも直感的にそれを悟ってしまう。
 時間の流れがスローになったかのような錯覚の中で、そはらは自分を襲う死を待ち受けるが――次の瞬間、そはらの間合いに踏み込んでいた一夏が、吹っ飛んだ。
 そはらのデイバッグから飛び出た赤い何かが、まるでそはらを守るように鋭い体当たりを敢行して、寸でのところで一夏の身体を弾き飛ばしたのだ。
 大きく体勢を崩した一夏が振り抜いていたアゾット剣の刃は、狙い通りにそはらの身体を切り裂く事はなく、そのデイバッグの肩ベルトのみを裂くに留まった。そはらの肩が軽くなって、寸前まで背負われていたデイバッグがぼとりと音を立てて後方の地面に落ちる。
 すっかり毒気を抜かれて声も出ないそはらに、それを拾い上げるだけの余裕はない。呆然と立ち尽くすそはらが一拍遅れてようやく認識出来たのは、支給されていた赤いカブトムシことカブトゼクターが、獅子奮迅たる勢いで一夏に体当たりを仕掛けてゆき、二人から敵を遠ざけてくれている場面だった。

「大丈夫、見月そはら!?」
「は、はい……私は何とか、カブトゼクターが庇ってくれたから」
「良かった……! まさかアイツに助けられるなんて思いもしなかったよ!」

 鈴羽の視線の先で、カブトゼクターは今も一夏を翻弄し、一夏の侵攻を掣肘してくれている。一夏は手にした短剣で、短機関銃で、あらゆる手段をもってカブトゼクターに攻撃を仕掛けるが、カブトゼクターは小さな光の翼を羽撃かせ、器用に空中で回避を続ける。
 当然、その光景をただ指を咥えて眺めていた訳ではない。鈴羽はすぐにライドベンダーに跨って、エンジンを掛ける。オートマチックのバイクはそれ以上の予備動作を必要とせず、今すぐにでも走り出さんとエンジンを振動させる。
 セイバーのトライドベンダーに比べれば幾分か劣るが、離脱するには十分だろう。

「乗って、すぐに!」

 緊迫した鈴羽の声にただ従って、そはらは取り落としたデイバッグを回収する間もなく鈴羽の真後ろの座席に飛び乗った。ぐっとしがみ付き、ちらと後方を振り向けば、一夏を翻弄するべく空中を飛び回るカブトゼクターは次第に動きを見切られつつあるのか、その動きから数秒前ほどの余裕は感じられなくなっていた。徐々に追い詰められている。子供が動きの遅い蝶などの昆虫を捕獲する時に、じわじわと追い詰めてゆくそれによく似ていた。
 ライドベンダーが発進する。持ち主の命を守るため戦場に飛び出た小さな勇者に、胸中で謝罪と感謝の言葉を告げながら、そはらは凄まじい勢いで吹き荒ぶ疾風を肌で感じた。鈴羽が、発進直後からフルスロットルでライドベンダーを飛ばしているのだ。絶叫マシンもかくやという勢いで最高速度に達しようとするライドベンダーは、周囲のあらゆる景色を置き去りにし、周囲のあらゆる音を掻き消した。
 一時はどうなるかと思ったが、これで助かったか。さしものあの一夏と言えど、この加速力で逃げ続けられれば、追い付く事など出来はしまい。ほっとと胸を撫で下ろしたそはらは、最後にもう一度だけ後方へと振り向き――そして、見た。
 もう今は随分と小さくなりつつある一夏が、カブトゼクターとの格闘の片手間に、片腕に握ったキャレコ短機関銃を此方へ向けていた。正確に的を絞ってキャレコを突き付けている訳ではない。一夏が此方を見た訳でもなければ、その行動自体から殺意を感じる訳でもない。
 狙いすらも曖昧なキャレコの銃口とそはらの視線が交差したのは、ほんの一瞬の事だった。



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最終更新:2013年11月01日 15:47