イグナイト(前編) ◆QpsnHG41Mg


 バイクの駆動音と風の音に混じって、歌声が聞こえる。
 フンフン~と心地良さそうに歌われるそれは、一人の男の鼻歌だ。
 それに、この殺し合いを満喫し、心の底から愉しんでいる狂人の笑い声が続く。
 放送の間、このジェイクという男は、ずっと気楽そうに歌い、笑っていた。
 機嫌良さそうに、切嗣が乗って来たバイクで風を切りながら。
“私は……どうすればいいの……?”
 ライドベンダーのリアシートに跨る紅莉栖の精神状況は最悪だ。
 ジェイクの身体には触れたくもないから、右手で車体のグラブバーを掴んでいる。
 左手は止血すら許されていないため、今も血が溢れ続けている。
 風とバイクの振動が、ジェイクに切り付けられた傷口に響く。
 だが、そんな身体の痛みよりも……
 今は、まゆりに続いて殺されたらしい橋田至のことの方がつらかった。
 橋田至は……
 どうしようもない変態の上、所謂キモオタと言われる部類の男だった。
 だが、それでも彼は紅莉栖と同じラボメンだった。
 掛け替えのない仲間だった。
 そんな仲間が殺されたという事実が……
 ただでさえ追い詰められていた紅莉栖に、追い打ちをかける。
 涙が頬を伝う。
 泣いたところでどうにもならないというのに……
「なぁ~、紅莉栖ちゅわ~ん?」
 そんな紅莉栖に、ジェイクは猫なで声で話しかけた。
「ひょっとして仲間でも死んじまったぁ? そいつぁ残念だよなぁ……可哀相になぁ~」
 わざとらしく、さも哀しそうに、頭を横にふりながら。
 ジェイクはおいおいと咽び泣くような素振りを見せる。
「ところでそんな紅莉栖ちゃんにオレぁど~ッしても聞きてーことが一つあんだよぉ~」
「……何、よ……」
「紅莉栖ちゃんってキレェ~な赤髪してるよなぁ……」
 そして、グヘヘェとこの上もなく下品に笑う。
「下の毛も赤いワケ?」
「…な…ッ!?」
 思わず頬を赤くして、身を強張らせる紅莉栖。
 突然なんて質問をするのだ、この外道は……!
 そんな紅莉栖の憤りなど気にもかけずにジェイクは続ける。
「オイオ~イそんな嫌そうな反応すんなよぉぉぉ~!
 何ならこっちは無理矢理その服剥ぎ取って確認したっていいんだぜェ~?
 それとも、玩具みたいにブッ壊されて慰み者にされるのがお望みかなぁ? ン~?」
 そう言って、ジェイクはギャッハハと愉快そうに笑った。
 勝手な妄想を頭の中で拡げながら「ドMかよォ~」などと挑発してくる。
“この…クズが……ッ!!”
 紅莉栖はこういう低脳が大嫌いだ。
 こいつは電車の中で馬鹿みたいに騒ぐDQNと同レベルだ。
 いつもならば無視を決め込む紅莉栖であったが、
「答えないなら殺しちゃおっかなァァァ~~~~~ン?」
 掲げられたジェイクの左手が、パチンと指を鳴らした。
 刹那、飛び出した紫のビームが、紅莉栖の頬を霞めて後方へ飛んでいく。
 心臓が……一瞬、止まったような心地がした。
「まっ! 外見だけは小綺麗だし、殺す前に気が済むまで遊んでやるから安心しなってぇ~」
 ジェイクの下卑た哄笑が紅莉栖の背筋にぞっと鳥肌を立てさせる。
 一瞬遅れて、頬から血がつうっと滴り落ちる熱を感じて、紅莉栖は改めて戦慄した。
“コイツは…私を人間だと思ってない……!”
 このジェイク・マルチネスという外道にとって、
 紅莉栖とは玩具も同然……物言わぬ慰み者の人形なのだ。
 生かすも殺すも自由自在。
 犯すことだって……この男ならやりかねない。
 それを考えた時、女としての生理的な恐怖心が紅莉栖を脅えさせた。
 バイクにしがみつく紅莉栖の腕は震えていた。身体全体が震えていた。
「もう一度聞くぜ……紅莉栖…オメーの下の毛は何色だよ? 生きてたいなら答えろって、えぇ?」
「――――――――――――。」
 風にもみ消されるような小さな声で。
 紅莉栖は、己が尊厳を踏み躙る問いの答えを、呟いた。
 瞬間、前方からジェイクの品位を感じさせない大爆笑が聞こえた。

          ○○○

 非情な知らせを告げる鐘が鳴る。
 使者の名を告げる放送が、何処からともなく鳴り響く。
 それは、バイクの運転に集中していた虎徹の耳にもハッキリ聞こえた。
 思わずバイクを停車させた虎徹は、その事実に愕然としていた。
「嘘……だろ……」
 ネイサンが、カリーナが、翔太郎が……死んだ。
 ネイサンは同じシュテルンビルトのヒーローで、虎徹のよき理解者だった。
 カリーナも同じだ。まだ若い、未来あるシュテルンビルトのヒーローだった。
 翔太郎との付き合いは短いは、彼もまた虎徹らヒーローと同じ志を持つ熱い男だった。
 そんな彼らが、既にこの世にいない者として、その名を呼ばれたのだ。
「そんな……馬鹿な! アイツらが、そう簡単にやられちまうなんて……そんな筈……」
 未だ現実感はない。
 直前まで生きていた三人がもういないなんて、信じたくはなかった。
 いや、真木が扇動の目的で流した嘘の放送かもしれない。
 そんな風にも思った。
 そんな風に思いたかった。
「嘘だったら…どんなにいいことか……」
 そんな虎徹の希望を砕くように、ニンフは呟いた。
 虎徹には、虎徹に背を向けバイクに跨るニンフの顔は見えない。
 だが、その顔がおそらく沈鬱としていることは想像に難くなかった。
 頭を垂れたニンフは、絞り出すように言った。
「そんな嘘ッ……吐く意味がないじゃない……!」
 涙を押し殺したような悲痛な叫び。
 それを聞いた時、虎徹はハッとした。
“そうか……ニンフ………お前の仲間も…”
 見月そはらに、アストレア
 ニンフの仲間もまた。
 虎徹と同じように、二人も殺されているのだ。
 彼女らの関係がどんなものであったのかは詳しくは知らないが、
 仲間や友達が殺されることのつらさは、虎徹も今、身をもって知った。
 そして、そんな哀しみを背負わされた人が、ここにはきっと大勢いる。
 そう思った時、虎徹は改めて「ここで止まってはいられない」と思った。
 仲間の死は哀しく悔しいが、だからこそ尚更立ち止まることは許されない。
“そうだよ……オレはヒーローだろ……!”
 鏑木虎徹は「ヒーロー」だ。
 そして、ここには命を奪う「悪人」がいる。
 そいつらは、今もきっと、こんな哀しみを増やし続けている。
 人として、ヒーローとして、そんなことは見過ごせない。
 やはり虎徹は、闘わなければならないのだ。
「なあ、ニンフ……オレだって仲間を殺された……ハッキリ言って、つらいよ…
 でも……だからこそ、オレはここで立ち止まってられない…んだよな…やっぱり」
「……だから? アンタは…どうするのよ?」
「オレは…ヒーローとして、出来ることをやる……逆に聞くが、お前は…どうする?」
 つらいなら、バイクから降りてもいいんだぞ、と。
 そう言外に告げていた。
 動けるようになるまで、心が落ち着くまで、民家で休んでいてもいいと。
 ニンフはヒーローではないのだから、無理に戦うこともないのだと。
 そんな虎徹なりの優しさに、しかしニンフは震える声で応えた。
「何よ……その質問……私に、着いて来るなって言いたいワケ?」
「そういうことを言ってるんじゃない……これからの戦いはきっと過酷になる…
 そんな戦いに、今のニンフを無理矢理連れていくことは…出来ないって言ってるんだ」
 虎徹の意図は……その優しさはニンフに伝わっただろうか。
 こういう時、いつも虎徹はその不器用さゆえに誤解をされる。
 とくに、楓やカリーナのような若い女の子が相手なら、尚更だ。
 だが、そんな心配をよそに、振り向いたニンフの眼には、力強い光が宿っていた。
「……ふざけたこと言ってんじゃないわよ!
 私だってアンタと同じに仲間が殺されたってのに、私にはじっとしてろっていうの?
 そんなのってないわよ……そんなの…じっとしてる方がつらいに決まってるじゃない…!」
「……ニンフ………そうか」
 ここで虎徹は、今の自分の考えを訂正した。
 虎徹の予想よりも、どうやらニンフと言う少女の心は強かったようだ。
 いや、じっとしていると耐えられないからこそ、
 我武者羅でも今は動いていたいと思っているのかもしれない。
 本当のところは虎徹にはわからないが、しかしそれ以上の言葉は野暮だと思った。
 だから虎徹は、再びバイクのハンドルを握り締める。
 目的地はシュテルンビルト。
 いざバイクを発進させようとした虎徹の聴覚は、二台目のバイクの接近を感知した。
 現れたバイクに乗っているのは……虎徹のよく見慣れたヒーロースーツを黒くしたもの。
 見まごうことなきバーナビーのスーツを纏った彼の者は――
「お前……バニー、なのか……?」

          ○○○

 ワイルドタイガーとか名乗っていた糞ヒーローの思考はすぐに読めた。
 どうやらヤツは、これからシュテルンビルトに替えのヒーロースーツを取りにいく気らしい。
 その途中で出会ったこのジェイク様を、自分の相棒のバーナビーだと思い込んでいるのだ。
 いきなり騙されてくれた相手がおかしくて、ジェイクはもう噴き出してしまいそうだった。
“ヒーロースーツの力ってのはスゲェもんだなぁ~オイ……”
 スーツを纏うだけでここまで簡単に騙される奴がいる。
 カリーナに引き続き、あのワイルドタイガーまでもが。
 そのあっけない事実に、ジェイクは心中で笑う。
 市民を守る正義のヒーロー。
 その外見を借りただけで、奴らNEXTの面汚しどもは簡単に信用するのだ。
 お前らヒーローはこの殺し合いには向いてないぜ、と忠告をしてやりたい気分だ。
 だがジェイクはそんな気持ちを抑えて……
 今はやるべきことをやろうとした。
「オラ、降りろグズ」
 紅莉栖にのみ聞こえるほどの小さな声で囁き。
 ジェイクは、今乗って来たバイクから紅莉栖を引きずりおろした。
 首根っこを掴んで、さながら人質といった様子で紅莉栖の身体を突き付ける。
 ジェイクは、再び紅莉栖の耳元で、小さな声で囁いた。
「死にたくなけりゃあ、オレがこれから言うことを復唱するんだ……」
 コイツの心は……牧瀬紅莉栖の心はすでに折れている。
 このジェイク様に対し、絶対に抗えぬ恐怖心を抱いている。
 そろそろ捨てようかと思っていた人形にも、まだ使い道はあった。
 紅莉栖は、涙を瞳に浮かべながら、前方のタイガーに叫んだ。
「こ……このバーナビーは……もう……ヒーローじゃない……!」
 ジェイクの筋書き通りだった。
「バーナビーには……私達の言葉はもう……届か……ない!」
 紅莉栖の脚が震えている。
 ハッキリとジェイクを拒絶しているのがわかる。
 だが、生きたいと願う人間は、そう簡単には抵抗出来ないものだ。
 これは、それを知っているジェイクのほんの「遊び」だった。
「お願い……助けて……ワイルドタイガー!!」
 そしてこれが、ジェイクの考えた最高のシナリオだ。
 相棒であるバーナビーを信じるクソタイガーを……!
 ほかならぬバーナビーの手で、心も身体もクシャボコにブッ潰して!
 ヒーローとかいう気に入らねえNEXTのゴミを……! この手で血祭りにあげてやる!
“あの糞野郎はこの手でブッ潰してやろうって思ってたんだよなぁ~、始めてみた時からよぉ~”
 全員が集められた広場で一際存在感を放っていたワイルドタイガー。
 あいつの姿を一目見た時から、ブッ潰してみたいとジェイクは思っていたのだ。
 別にタイガー個人に恨みがあるわけではない。
 特別な拘りがあるわけでもない。
 ただ、レジェンドの豚野郎にも似た綺麗事抜かしてるあのNEXTの恥晒しを絶望させてみたい。
 なんでもない、ほんのそれだけの、くだらない遊び心だった。
「キャッ!」
 ジェイクは紅莉栖の首をゴミでも捨てるように放り投げた。
 まるで人形のように宙を舞った紅莉栖は、乗って来たバイクに激突して倒れ込む。
 人間には過度な激痛に、紅莉栖は悶え立ち上がることさえ出来なかった。
 その姿に、ワイルドタイガーは激怒した様子だった。
「おいバニー! お前……ほんとにヒーローの心を失っちまったのかよ!?」
 その問いに対する答えは――
“テメーを地獄に叩き落としてやるぜ、糞ヒーロー!”
 バーナビーの姿をしたジェイクは、立てた親指を地面に向かって降り下げてみせた。
 答えは、「地獄に堕ちろ!」だ。
 だったらこの俺が……お前をブッ飛ばして……眼を覚まさせてやる!」
 そういって、ワイルドタイガーはバイクから降りた。
 あとに残されたあの水色の髪のガキを後方に下がらせて、タイガーは前進する。
 どうやら最初に戦ったあのガキもヒーローの仲間だったらしい。
“う~ん……まぁいいや、あいつはどーせ雑魚だ、小物は後回しってな~”
 あのガキ(ニンフ)はジェイクにとって脅威とはなり得ない。
 故に、ジェイクはあのガキについての心配をする必要は何一つない。
 今は只、あの糞虎徹を叩き潰してやることだけを考えればいい。
“さあ、来いよ”
 左手で手招きをするジェイク。
 それをきっかけに、戦いは始まった。

          ○○○

 二人の戦いが始まってから……
 既に十分近くの時間が経過していた。
「もう……何やってんのよ、タイガー……!」
 ヒーローなんでしょ! と悪態をつくのはニンフだ。
 バーナビーとの戦闘に挑んだタイガーに、見たところ、勝ち目はなさそうだった。
 拳を振るえば、まるで読まれているかのように回避される。
 蹴りを放てば、それも同様に回避される。
 攻撃は当たらない。
 待っているのは、バーナビーからの強烈なカウンターのみだ。
 金属がぶつかる音は幾度となく聞こえるが、それは全てバーナビーの攻撃によるものだ。
 そんな一方的な強者による"遊び"が、もう十分も同じように繰り広げられていた。
 タイガー自身も、ここまでの戦いで蓄積した疲労によって動きが鈍っている。
 ハンドレッドパワーも、今はまだ使うべきではないと判断したのだろう。
 純粋な肉弾戦のみで、手負いのタイガーはバーナビーに圧されていた。
 今もまた、タイガーがその顔面をバーナビーに殴り飛ばされたところだった。
 それでもめげずに挑み続けるのがタイガーのいいところ、といえば聞こえはいいが。
 悪く言えば、それは無謀と分かっていても同じ手段で挑み続ける馬鹿だ。
 タイガーがあまり賢い人間でない事はもうわかっていたことだが。
 それにしたって、この戦力差はあまりにもひどい……
 あまりにも、圧倒的だった。
“あのバーナビーってヤツ……どうしてああもタイガーの攻撃を読めるの?”
 純粋な戦闘センスの良さゆえにだろうか。
 それとも、相棒ゆえにタイガーの行動パターンを知りつくしているからだろうか。
 どちらかといえば、後者の方が有り得るとニンフは思う。
 何せ、タイガーの戦闘スタイルを分類するなら……
 彼は紛れもなくアストレアと同じタイプだ。
 猪突猛進。直情型の。脳筋スタイル。
 悪く言うなら……やっぱり、馬鹿。
 相手が理知的な男で、それもずっと一緒にいた相棒だというなら。
 いわゆる馬鹿の一つ覚えであるタイガーの動きを読むことなど容易いことなのだろう。
 そう考えれば、やはりあの黒い鎧の男は彼の相棒バーナビーにほかならないのだと思う。
「タイガー、相手はアンタの相棒なんでしょ! そんな動き全部読まれてるわよ!」
 だから、戦闘スタイルを変えろ……といっても、伝わるだろうか。
 タイガーは、バーナビーにパンチを避けられ、逆に蹴り返されながら嘆いた。
「んなこと言われたってよぉ……!」
 一瞬立ち止まったタイガーを、今度はバーナビーの跳び蹴りが襲う。
 寸でのところで回避しながら、タイガーは懐かしい想い出に浸るように言った。
「そういやバニー、最初の頃はいっつもオレの戦い方に口出ししてたもんなぁ……
 そりゃあお前には、俺の攻撃が全部読まれちまうのも無理ないよなぁ……」
 だがよ……だからって、負けるワケにはいかねえんだよ……!」
 右腕からワイヤーを射出し、それをバーナビーに絡めようとするが……
 バーナビーは背中のスラスターを噴射させ、一際高く跳び上がった。
「えっ!? ちょ……ッ!」
 ワイヤーは後方の電柱に絡み付き、ガッシリとロックされた。
 攻撃を外した上に、タイガーはその身動きまで封じられたのだ。
「ちょ、ちょまッ! 待て待て待て!」
 慌ててワイヤーを回収しようとするタイガーに……
 空から勢いを付けて飛来したバーナビーの蹴りが炸裂した。
 情けない声をあげながら吹っ飛ばされるタイガー。
“ああもう……! このままじゃあ勝ち目がないわ……”
 ならば、どうする。
 自分に出来ることはなんだ。
 今のボロボロの自分に出来ることはなんだ。
 ダメージの回復のために、もうメダルは残り五十枚程度しかない。
 ハッキングフィールドを展開し、バーナビーに何らかの枷をかけることは、理論的には出来る。
 出来るだろうが、しかし現状ではあの強力なフィールドを展開するだけのメダルは足りない。
 ハッキングをかけられるとすれば、それは至近距離で奴に接触したときだけだ。
 だが、あのバーナビーに接触するのは、手負いのニンフには余りにも危険だ。
 出来ればそれは、のっぴきならない事態に陥った時の最後の手段にとっておきたい。
 とするなら、今は何とかしてタイガーに勝利して貰いたいところだが……
「ん……?」
 そこでニンフは、バイクにもたれかかって荒い呼吸をしている少女を見た。
 赤毛の少女だ。左腕が付け根から切りつけられ、服まで破かれている。
 バーナビーの人質にされていた、全身ボロボロの少女……牧瀬紅莉栖。
“あの子に聞けば、なんでバーナビーがああなったのか……わかるかも”
 だとしたら……策はあるかも、しれない……。
 半壊した翼を羽ばたかせて、ニンフは紅莉栖のもとへ向かった。

          ○○○

 ジェイクの蹴りは生身の一般人にはあまりにも強烈だった。
 バイクにもたれかかった紅莉栖の肋骨は、先の一撃で数本折れている。
 そこへきて、ここまでの精神・身体ダメージの蓄積。
 バイクの運転も出来ない紅莉栖は、逃げ出すことも出来なかった。
“ごめんなさい……ワイルドタイガー……”
 目の前でボコボコにやられるタイガーが、もう見ていられない。
 紅莉栖は目を伏せて、心の中でタイガーに謝罪するしか出来なかった。
 自分にも強い力と意思さえあれば……こんなことにはならなかったかもしれないのに。
 なんとかしてタイガーを救いたいが、しかし今の自分にはそんな手立てもない。
 無責任だが、あとは全てをタイガーに任せて、タイガーの勝利を祈るしかなかった。
 今はもう、それしか考えられなかった。
「ねえ、ちょっと……大丈夫?」
「えっ!?」
 そんな時、紅莉栖に声をかけたのは……
 タイガーと一緒にいた小さな少女だった。
 右腕が無くなっている。だが、既に止血されているのか血は流れていない。
 全身は……まるで激しいサバイバルを生き抜いてきたみたいにボロボロだ。
 外見だけなら、この紅莉栖よりもよっぽど傷ついているように見える。
「私の名前はニンフ……アンタは?」
「牧瀬……紅莉栖……」
「そう……じゃあ紅莉栖…アンタ、バーナビーとはどういう関係なの?」
「それは……」
 紅莉栖は……言いごもってしまった。
 奴の名はジェイクだ。バーナビーではない。
 バーナビーとの関係性など、皆無だ。
 答えられるわけがなかった。
 そしてここで紅莉栖は計算をする。
 ここでジェイクの正体を明かすことで、勝機は得られるのか?
 仮にジェイクの正体を明かした上で、タイガーが破れてしまったら?
 少し考えて、紅莉栖は一つの事実に気付いた。
“待って……ジェイクはまだ……カリーナを殺したときのビームを使っていない……”
 それはおそらく、バーナビーのフリをしているからだ。
 つまるところ、ジェイクはまだ自分の能力の全てを出し切っていない。
 途中で変装の意味なしと知れば、きっとジェイクは容赦なくタイガーを殺しにかかる。
 ただでさえタイガーが劣勢なのに、今ジェイクを本気にさせてしまったら……
 きっとタイガーとニンフを殺したあと、激情したアイツは紅莉栖にも手を掛けるだろう。
“……今はまだ……言えない…”
 その決断、タイガーらには本当に申し訳ないと思う。
 が、全滅という最悪の事態を避けるためにはそれも致し方のないことなのだ。
 確実な勝機が訪れるまでは「奴の正体」というカードを切るべきではないのだ。
「………」
 ニンフの眼を見ながら、それを言う事は出来なかった。
 後ろめたさが、紅莉栖の視線を地べたへ落とさせる。
 誰が見ても不自然な物言いをしていたという自覚はある。
 願わくは、ニンフがこれ以上何も追求してこないことを……
「それ、ホントなの?」
 されど紅莉栖の望みは叶わない。
 ニンフは、見掛けによらず鋭い少女だった。
「アンタ、アイツに脅されて、何か口封じでもされてるんじゃないの?」
「それ…は……」
 その鋭さが……
 全員の命を危険に晒すのだと、気付いてほしい。
「だとしても……だからこそ……私は、何も言えないの……分かって」
 それはニンフの問いに対する肯定のようなものだった。
 果たして、この少女は、それで納得してくれるだろうか。
 事情を察して、このまま引き下がってくれるだろうか。
 ――答えは否だ。
「だったら、尚更話して貰わない訳にはいかないわね」
 強い眼をしている。
 どんな現実にも抗おうという強い意思の光だ。
 紅莉栖の眼にはないそんな光が、ニンフの瞳には宿っていた。
「私は、人の記憶や感覚にハッキングをしかけることが出来る」
「……ハッキング?」
「そう、ハッキング。姑息な手段だとは思うけど……
 バーナビーが悪に落ちた理由があるとするなら、私がその記憶にロックをかけるわ。
 クリスに対して害を為そうとする感情も、私が全部纏めてロックをかける……少しリスクはあるけど」
 そうすれば、紅莉栖にこれ以上の害が及ぶことはなくなるというワケだ。
 それが事実だとすれば、紅莉栖はジェイクの魔の手から逃れる事が出来る。
 希望の光が、ようやっと紅莉栖の心に射し込んだ……そんな気がした。
 だが、現実主義者の紅莉栖は、まだそれを完全に信用する事は出来なかった。
「で、でもッ! そんなこと……一体、どうやって? 非現実的過ぎる!」
「だったら今から、私が証拠を見せるわ」
 ニンフは、紅莉栖の額にそっと手を翳した。
 次の瞬間、紅莉栖が感じていた痛みは消え去っていた。
 左肩の痛みも、蹴られた痛みも、まるで何でもなかったように。
「……痛みが……消えてる……?」
「消したのよ、アンタの痛覚神経を……怪我が治った訳じゃないから、ただの誤魔化しだけど」
 これがニンフの持つ能力――ハッキングだ。
 紅莉栖は、痛みを感じる感覚を、脳から切り離されたのだ。
 彼女の言った通り、今の紅莉栖は感覚だけなら万全の状態であった。
 もっとも、怪我を治したいと思うなら、今までと変わらず動くべきではないのだろうが。
“…でも……それじゃあ駄目なのよ……! 奴が「本物のバーナビー」ならそれで良かった!”
“でも、アイツは「バーナビー」じゃない! 悪に落ちた理由なんてない……根っからの悪党だ!”
“そんな奴の記憶をどうにかしたところで……奴は……善にはならない! 止められない……!”
 その思考が、紅莉栖に口を割らせることを躊躇わせる。
 今必要なのは、バーナビーを止めるための手段ではない。
 今必要なのは、ジェイクを倒すための手段なのだ。
「……ごめんね…ニンフ………それじゃ…駄目なのよ……それだけじゃ………」
「アンタ分かってるの……? このままじゃ、タイガーもわたしも、アンタも全滅するわよ!?」
 怒声を上げるニンフ。
 言われずとも、そんなことは分かっている。
 だが、ここで余計なことをすれば、少なくとも自分の命は――
「……あ…………」
 紅莉栖は今、自分が考えてしまったことに気付き、絶句した。
 確かに自分が黙ってじっとしていれば、この場での紅莉栖の命は保証されるだろう。
 だがそれは、あの正義に燃えるタイガーと、この小さなニンフを犠牲にするということだ。
 この二人を生贄にして、自分だけが、一時の安心を得ようという考えだ。
“それは……ズルい………”
 その「さもしさ」に、紅莉栖は絶句し、そして呆れた。
“岡部なら……こんな時、どうするだろう……”
 きっとあの男なら、どんな状況でも諦めない筈だ。
 正義のために必死に戦うタイガーを見捨てることなどしない筈だ。
 ここで仮に生き残ったとして、紅莉栖はそんな岡部に顔向けが出来るのか?
 そんなわけはない。
 途端に、恐怖に曇っていた眼が醒めていくような感覚だった。
 きっと、ここでやらなければ、一生心に負い目を背負うことになる。
 だったら、例え分の悪い駆けであろうとも……
 やらないわけにはいかない……のでは、ないか?
「なに?」
「あなたのハッキングは、記憶や感覚だけでなく、能力に対しても適応できるの?」
 それは、つまり。
 ジェイクを弱体化させることは出来るのか?
 そういう質問だ。
 こうしている間にも、殴られ蹴られ吹っ飛ばされ続けているタイガーを救えるかどうか。
 その答えに、紅莉栖らの未来がかかっている。
「………出来るわ」
「だったら……まだ、可能性はある……かもね」
 紅莉栖の瞳には、ここへ来て始めて、決意の炎が宿っていた。
 紅莉栖はもう決めたのだった。
 脅えるだけ、逃げるだけはもうやめよう。
 命を賭けて戦ってくれているタイガーのためにも……
 紅莉栖には、事実を伝える「義務」がある。
 未来は自分の手で切り拓かねばならないと、きっとあの岡部も言うだろう。
“いいわ……やって、やろうじゃない……”
 再び顔を上げたとき、タイガーはやはり、ジェイクにタコ殴りにされていた。
 今もまた、タイガーの蹴りをかわして、ジェイクが逆にその腹に蹴りを叩き込んだ。
 吹っ飛び、紅莉栖のそばの電柱に背を打ち付けたタイガーは、そのまま崩れ落ちる。
 もうタイガーの限界が近い。急がねばならない。
 紅莉栖は立ち上がった。
“伝えなくちゃ……この事実を……ヒーローの彼に……!”
 そんな時、紅莉栖はあの岡部のことを頭に思い浮かべるのだ。
 そうすれば、不思議と勇気が湧いて来る。
 あの岡部のように、馬鹿らしくても、人間らしく生きていきたい、と。
「あぁ~聞こえてんだよ」
 ジェイクの小さな呟き。
 刹那、紅莉栖の脚を紫色のレーザーが撃ち抜いた。
 タイガーに見えないように、上手く背に隠してレーザーを放ったのだ。
 紅莉栖が裏切ったことに、どういう訳か奴は気付いたのだ。
 レーザーに穿たれた脛から、血が溢れ出す。
 ガクンとよろけ倒れそうになるが、しかし紅莉栖は脚をとめない。
 痛みはすでに、ニンフのハッキングによって感じていないのだ。
 すぐにタイガーの元に辿り着いた紅莉栖は、
「ねえ、起きて、タイガー! 私はあなたに伝えなくちゃならないことがある!」
「……ん、なんだぁ……?」
 一瞬、意識を失っていたのであろうタイガーを揺さぶった。
 すぐに気を取り戻したのか、タイガーがゆっくりと身体を起こす。
 背後からゆっくりと迫り来る「黒とピンクの死神」に、紅莉栖は脅えることなく続けた。
「ごめんなさい、私はあなたに嘘をついた……」
「はぁ……? 何言ってんだお前、こんな時に!?」
「聞いてタイガー! アイツは、バーナビーなんかじゃないの!」
「な……?」
「アイツの名前は――」
 そこから先は、言葉になっていなかった。
 ガボォ、ゴボォ、そんな水の音だけが紅莉栖の口から洩れた。
 ゆっくりと視線を下げれば、紅莉栖の腹から、漆黒の剛腕が突き出ていた。
 皮を突き破り、背骨を砕き、内臓を押し潰し、死神の手が紅莉栖を貫いたのだ。
 腹から、口から、夥しい量の血液が溢れ出していた。
 確実なる致死量の血液が溢れ出していた。
「紅莉栖ゥゥゥゥゥゥゥッ!!」
 ニンフが絶叫する。
 虎徹が絶句する。
 だが、痛みは感じない。
 こんな程度で、もう紅莉栖の意思は曲がらない。
 まだやれる。やれることがある。そんな確信があった。
「ゲフッ……ゴホォ…ッ、あいつの、……なま、えは……ジェイ…ク……ッ」
 ジェイクが、拳を一気に引き抜いた。
 だが、全て引き抜きはしない。
 その拳だけは、紅莉栖の体内に残して。
 刹那、紅莉栖の体内で紫色の光が弾けた。
「……っ」
 それは、もう言葉ですらなかった。
 あのレーザーの輝きを、ジェイクは体内で爆発させたのだ。
 紅莉栖の身体はまるで風船のように破裂した。
 臓物が。
 血液が。
 ビチャッと嫌な音を立てて二人の装甲に飛び散った。
「「紅莉栖ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」」
 ニンフと虎徹の絶叫が反響する。
 頭部だけはかろうじて原形を留めていた紅莉栖には、まだその声が聞こえていた。
“お願い……ワイルドタイガー………コイツを……倒し、て……”
 願わくは、紅莉栖の決死の行動が彼ら「正義のヒーロー」の勝利に繋がると信じて。
 そして……出来るなら、彼らに……岡部や、ラボメンのみんなを……守って欲しいと願って。
 最後にそう強く祈り。
 あとの全てを"ワイルドタイガー"に託して。
 牧瀬紅莉栖は、永遠の眠りについた。

          ○○○

 ジェイクの鉄の脚が、紅莉栖の頭蓋を踏み砕いた。
 骨は潰れ、脳味噌はブチ撒けられ、飛び出した眼球が転がってゆく。
 原型のない、真っ赤な吐瀉物のようなソレを、ジェイクはぐりぐりと踏み躙る。
 それが紅莉栖だったということを証明するものは……最早、残された衣類くらいだった。
 惨たらしい殺人を二人に見せ付けたジェイクは、フェイスオープンし、素顔を晒す。
「あ~……ヤッベ、バレちまったわ」
 だからどうということもなく。
 フヒャハハハ~! とジェイクは嗤う。
「テメェ………」
 目の前で起こった惨劇を、虎徹は黙ってみているしか出来なかった。
 その身体を、拳をわなわなと怒りに震わせながら。
 ジェイクの無情に、自分の無力に、その身を震わせながら。
「…………やりやがったな………ジェイクッ!!」
 かつて倒した筈の強敵、ジェイク・マルチネス。
 そのゲス野郎を前にして、虎徹は全身の血液が沸騰するのではないかと錯覚する程の怒りを覚えていた。
 ワイルドタイガーのマスクの中で、髪の毛が逆立つほどの怒りと熱を感じていた。
 怒髪が天を衝くとはまさにこのことだろう。
 今殺されたのが牧瀬紅莉栖とするなら、あのフロッグポッドの情報にも納得がいく。
“コイツは……バーナビーのスーツを使って……紅莉栖を騙してやがったんだッ!!”
 それもまた、虎徹の中で燃え上がる怒りの炎に注がれる油となった。
 この男は、人を殺すために、虎徹の相棒の尊厳までも踏み躙ったのだ。
 許せるわけがない……許していいわけがない。
 コイツは正真正銘の……吐き気を催す邪悪だ!
「おぉぉなんだ怒っちまったかぁ?」
「オイオイ~、オレが悪かったってぇ~!」
「許してくれよォォ~なっ? なぁ~っ?」
 ゲラゲラと笑いながら、ジェイクは心にもない謝罪を告げる。
 だがもはや、虎徹の耳に、そんな安い挑発の言葉は入って来なかった。
 今の虎徹にあるのは……
 ただコイツを再起不能になるまでブッ飛ばし、ふんじばりたいという思いのみだった。
 何故死んだ筈のジェイクがここにいるのかなんて、そんなことはもはやどうだっていい。
 ただ、ブン殴る。そして、もう一度監獄に叩き込んでやる。
 決意の炎に燃え滾る眼を、虎徹はジェイクに向ける。
「なんだよぉ~、許してくれないのかよぉ~?」
「でもよぉ……オメーにオレが倒せるかぁ? ンン~?」
 ヤツの言葉にもはや返事をする必要なし!
 激情のままに飛び出した虎徹の拳は……
「……っ!」
 ジェイクのバリアに、阻まれた。
 そして、バリアに弾き返されるその瞬間。
 虎徹を襲ったのは、ジェイクの回し蹴りだった。
 強烈な勢いで蹴りつけられた虎徹が、再び吹っ飛ばされる。
 怒りのあまり忘れていたが……
 奴には、バリアと読心術があるのだ。
 それを突破しないことには、虎徹には勝ち目がない。
 と、そう考えたところで、感心した様子でジェイクは言った。
「おっ、なんでオメー、オレの能力知ってんだァ?」
 そのままダンスのステップでも踏むように接近し。
「まっ! どォォォ~~~でもいいかァ~~~!」
 倒れ込んだ虎徹目掛けて、ジェイクが指を鳴らした。
 放たれたレーザーが虎徹の身体で弾けて、さらに吹っ飛ぶ虎徹。
「どォ~せオメーはここで死ぬんだからよォ~!」
 死んでたまるか、と心中で唾棄しながら、虎徹は身を起こす。
 だが、このままでは前回のジェイクとの戦いの二の舞いだ。
 奴は心を読む。つまり、思考をする限り奴には勝てないのだから。
 仮に読心を掻い潜ったとしても、奴にはバリア能力までついていやがる。
 二重のNEXT能力。戦うのは二度目だが、何処までも悪質な相手である。
 奴の能力に勝ち目はないのか、虎徹が苦い顔をしたその時。
「タイガー! あの金色の剣を使って!」
 ニンフが、虎徹の危機を察知して叫んだ。
「あの剣は"エンジェロイドの私"を斬ったのよ! そんなバリアくらい…ッ!」
「……オーケイ、なんだかわかんねーがそれでいかせて貰うぜ!」
 デイバッグから、青と黄金の色をした大剣を引き抜く虎徹。
 生半可な兵器では傷さえ付けられぬエンジェロイドを両断した大剣。
 確かに、ただの剣にはない威圧感というか、「スゴ味」をこの剣からは感じる。
 この大剣――キングラウザーには、不可能などないように思えた。
 そんな時、慣れない剣を抜き、構えた虎徹に倣って……
 ジェイクもまた一本の剣を抜いた。
「わ~りィ、オレもそーいうの持ってんだわ」
 柄は金と黒。刀身はクリスタルで出来たような美しさ。
 それは「キバの世界」最強と謳われた魔剣……魔皇剣ザンバットソード。
 格でいえば、「剣の世界」最強の大剣キングラウザーとも互角だった。
「いっちょ遊ぶか」
 不敵に笑いながら。
 右手に剣を、左手で手招きを。
 ……虎徹はまだあの剣の脅威をわかっていなかった。
 あんな貧弱そうな……
 美しさだけを重視したような剣は、この大剣の敵ではないと思っていた。
 その「思い込み」が間違いだった。
 飛び出した虎徹の剣を、ジェイクの剣が受け止め、弾いた。
 黄金の王の大剣を、黄金の皇帝の魔剣が弾いた。
「バリア破られるかもしれねぇって? だったら触らせるワケにはいかねぇよなぁ!」
 続けて振るわれた剣の一振りを、咄嗟に構えたキングラウザーで防御する。
 が、その衝撃は殺し切れずに、数歩後退してよろめく虎徹。
“なんだ!? あの剣……ッ! あんなナリして、なんて頑丈さだ!”
 キングラウザーをぶつけられても砕けないどころか、互角に渡り合っている。
 ここへきて虎徹は始めてザンバットソードという魔剣の「スゴ味」に気付いた。
 だがしかし、少しでも勝てる可能性があるというなら、諦める訳には行かない。
 ここでジェイクを取り逃がす事だけは絶対に許されないのだ。
“だがどうする!? どんな作戦立ててもアイツはそれを読んじまう!”
 いいや、今は考えるだけ無駄だ。
 我武者羅になって攻め続ければ、何処かで偶然が重なって攻撃がヒットするかもしれない。
 かつてのジェイクとの戦いで、偶然虎徹の蹴りが命中した時のように。
 一発でいい。一発でもこの剣でバリアに触れることが出来れば、そのまま押し切れる。
 あとは、一瞬怯んだ奴をブン殴ってやるだけだ。それだけでいいのだ。
“やれる! やれる筈だろ鏑木虎徹! オレはアイツをブッ倒す!”
 自らを鼓舞し、虎徹は跳躍する。
 そこから始まったのは、最強の剣を持つもの同士による剣の舞踏。
 攻撃する。弾かれる。
 攻撃する。防がれる。
 攻撃する。避けられる。
 二人はその繰り返しを続けた。
 何度も、何度も、数えきれないほど。
 体力が尽きるまで、その戦いは続くかと思われた。
 ……。……………。…………………。
 動きがあったのは、もはや虎徹の思考も麻痺しかけてきた時だ。
 もう何度繰り返されたのかもわからない剣戟音。
 虎徹の剣が、ジェイクの剣を弾き上げた。
 ジェイクの胴体の守りが、ほんの一瞬だけ、ガラ空きに「なる」。
 その判断に特に「思考」があった訳ではない。
 ただの、反射的な行動だ。
 条件反射にも近い感覚で、虎徹はそこに大剣を真っ直ぐに突き込んだ。
「なっ――」
 驚愕したジェイクの声に、虎徹はハッと意識を取り戻した。
 キングラウザーの切先が、ジェイクが展開したバリアを貫いていた。
“……いけるッ!”
 このまま押し込めば、やれる!
 勝利の確信が、虎徹の中で湧き上がる。
「――ぁぁ~んてなっ!」
 おどけたジェイクの声に、真に驚愕したのは虎徹の方だった。
 キングラウザーの切先が減り込んだバリアの奥で、ジェイクは既に指を構えていた。
 放たれたビームは、バリアに刺さったキングラウザーのみを残し、虎徹を吹っ飛ばした。
「うおおおおおおおおおおおっ!?」
「キャアアアッ!?」
 吹っ飛ばされた虎徹は、離れてみていたニンフと激突した。
 二人纏めて地面を転がり、軽くニンフに謝罪をしながら顔を上げる虎徹。
 そんな虎徹が見たのは……絶望的な光景だった。
「こいつぁいい剣だなぁ~? オレにだってそれくらい分かるぜ」
 ジェイクの手に握られているのは。
 魔皇剣ザンバットソードだけではなく。
 重醒剣キングラウザーまでもが……その手に握られていた。

          ○○○

 のっぴきならない状況があるとして、それは今を置いて他にはなかろう。
 ワイルドタイガーに残された最後の希望となる武器が、あの下衆に奪われたのだ。
 もつれ合ったタイガーをダメージはない程度に蹴り飛ばして起き上がったニンフは、
 咄嗟に両手でアルファベットの「T」を作って、ジェイクに進言した。
「タイム! ちょっとタイムよ! 作戦タイム!」
「おぉ~いいぜぇ、どうせ全部聞こえてるけどなぁ!」
 ギャハハと下品に笑いながら、ニンフの発案を飲み込むジェイク。
 やってみるものだ。
 あのふざけた男は、作戦タイムを承諾してくれた。
 まったくもってふざけている。
 そんなことよりもアイツはよく見ればニンフが此処へ来て最初に出会った変態ではないか。
 奴に与えられた屈辱、紅莉栖にやられた非道、それら許し難いものではあるが、
 そんな熱い感情だけで奴に勝てるワケもなし。
 今はヤツに勝つための手段を考えるべきだ。
 ニンフは小声で虎徹に言った。
「なんで一発も攻撃が当たんないのよ!」
「アイツは相手の心が読めるんだ、だから攻撃も全部読まれちまう!」
「なっ……じゃあ! 小声で話す意味なんかないじゃない!」
 ニンフの驚愕に答えたのは離れた場所にいるジェイクだ。
「だからハナっからそー言ってんだろぉ~?」
 全部聞こえている、というのはそういうことか。
 だが、だとするならそれはまさしく最悪の敵だ。
「待って、冷静に考えましょう。必ず倒す手段はある筈よ」
 バリアは貫ける。それは実証された。
 だが、それにはキングラウザークラスの、まさしく"宝具級"の武器が必要だ。
 ましてや、完全なジェイクの不意を突かなければならない以上、最早不可能だろう。
 だったら……いや、肝要なのはバリアではない。あの読心術の方だ。
 あの読心術を何とかして攻略すれば、勝ち目はあるということだ。
 そして、ニンフには、それを成し遂げるための手段がある。
「タイガー、一つ質問するわ」
「お、おう…なんだ?」
「読心術さえ破れば……勝ち目はあるって考えて、いいのよね?」
「ああ……心さえ読まれないなら、あんな奴簡単にとっちめてやれるのに…!」
「だったら、私がそれをやるわ」
「……は?」
「私が、奴の読心術を無効化する」
 何とかしてニンフが突っ込んで、奴にハッキングを仕掛けるのだ。
 そして、おそらくヤツを相手に、ハッキングに与えられる時間は一瞬が限度だろう。
 ならば、ニンフはその一瞬を活かして、奴の読心術にロックをかけるしかない。
 そうすれば、あとは虎徹一人でも何とか出来る筈だ。
 それを伝えようとした時――
「作戦タイム終ゥゥゥ了ォォ~~~!」
 ニンフと虎徹の間を、紫のビームが通過した。
 心が読める以上、この作戦は既にヤツに看破されている。
 それを虎徹に伝えさせるワケにはいかないということか。
 するとなると、ここから再び始まるのは……命を賭けた「闘争」だ。
「チッ……だったら、やってやろうじゃない!」
「あっ、おい、待て! ニンフ!」
 虎徹の制止を振り切って、ニンフは大地を蹴った。
 半壊状態の翼を精一杯に羽ばたかせて、飛行をする。
 エンジェロイドの最高速度を以てすれば読心術など関係はないのだろうが……
 生憎、今の半壊状態の翼では、ニンフはそれだけの加速は得られない。
 泥臭くとも、このズタボロの翼と、持ち前の耐久性だけで勝負に挑まねばならないのだ。
 だが、逆を言えば……それさえ成し遂げれば、勝利は眼と鼻の先なのだ。
 だったら、それはニンフがやるしかない。
 ほかに出来るものなどいないのだから。
“出会ってから間もないけど……私はアンタを信じるわ、タイガー”
 いい加減な奴だが、その「正義」が本物だということはわかる。
 あの殺し合いが始まる瞬間から、それはもう、わかっていた。
“だから! あとのことは……全部アンタに任せる……ッ!”
 誰も声を出せなかった状況で、真木に宣戦布告したタイガーに。
 絶体絶命の状況で、あの怪物強盗からニンフを救ってくれたタイガーに。
 目の前で紅莉栖を殺され、心の底から激怒し悪に挑んでいったタイガーに。
 ニンフは、この戦いの勝敗を委ねるつもりでいた。
 そこまでお膳立てをしたなら、タイガーなら必ずやってくれる。
 タイガーなら確実にジェイクを倒してくれる。そう信じている。
“だから……勝負は"今"よ!”
 ここでやらなければ、奴はきっと全ての参加者の脅威になる。
 その中には、当然まだ生きている智樹だって含まれているのだ。
 ゆえに、ここでジェイクを取り逃がすワケには、絶対にいかない。
“今、ここで! 何としてでも! 決着をつけるッ!!”
 ジェイクが放つビームの嵐を掻い潜って、ニンフは突撃する。
 奴の持つ剣がニンフに触れてくれたなら……それでもいい。
 それでも接触は接触だ、一瞬でも接触すれば、ハッキングは発動出来る。
 それをニンフが思考した時点で、読心をしたジェイクに近接線は有り得ない。
 だからジェイクは、ニンフの読み通り、戦法を射撃戦に切り替えたのだ。
 ビームの弾幕でニンフを撃墜しようとしているのだ。
 だが……そんなビーム如きでエンジェロイドは壊せない。
“エンジェロイドを……ナメてんじゃないわよ!”
 心の中で、奴に届くように悪態を吐くニンフ。
 徐々にジェイクの顔色に焦りが見え始めて来た。
 しかし――
「なっ!?」
 勝利の確信も束の間。
 どんなに策を弄しても、崩される時はある。
 ニンフの身体が、その加速が、突如として停止したのだ。
 そしてニンフは確認した。
 四方八方から現れた黄金の鎖が、ニンフの身体を絡め取っていたのだ。
「フヒャッハハハハハァ、焦らせやがってぇ! だがそれでもうテメーは身動きがとれねー!」
 オレの勝ちだ! とでも言わんばかりに哄笑するジェイク。
 それは、宝具エルキドゥ。未知の力で、何処までも捕縛する鎖。
 それに捕まっては、半壊状態の翼しか持たぬニンフでは脱出は不可能。
 ……だが!
「ナメんじゃ……ないわよッ!!」
 一瞬。ほんの一瞬。鎖が、ゆるんだ。
 その刹那、ニンフはエンジェロイドとしての力で鎖を引き千切った。
 驚愕したのはジェイクだ。
 そんなジェイクに、親切にも心の中で答え合わせをしてやるニンフ。
 ニンフは、鎖(エルキドゥ)に接触した瞬間、その鎖にハッキングを仕掛けたのだ。
 完全に解除するには至らないが、しかしその拘束を緩めるくらいならば容易い。
 あとはエンジェロイドとしての持ち前の力で引き千切って進めばいい。
 ニンフの思考を読んだジェイクは、舌打ちしながらも構わず鎖を出現させる。
 四方八方から、十重二十重、何重にもなって伸びる鎖。
 それがニンフを掴み、拘束する。
 それをニンフが千切り、前進する。
 何度も。何度も。
 拘束されたなら、その度ニンフは引き千切って進む。
 その度に、貴重なメダルが減っていく。
 まずい。ジェイクに到達する前に……
 もし、メダルが底をついたら……ハッキングは、不可能となる。
 そんな考えが一瞬頭をよぎったとき、ジェイクはニンマリと笑った。
 そんな時、横から飛び出したのはワイルドタイガーだ。
「ニンフッ!」
「テメェェエエエはお呼びじゃねェェんだよォォオオオオオ!!」
 タイガーに、ジェイクは構わずビームを炸裂させる。
 回避し切れず命中した虎徹は、再び吹っ飛び、ビルの壁に激突した。
 次の瞬間から、ジェイクの抵抗はさらに激しくなった。
 このニンフの残り少ないメダル全てをこそぎとろうと、その抵抗はさらに激しくなった。
 ニンフの身体を絡め取る鎖と同時に放たれる、無数のビームの嵐。
 ジェイクはもう、無我夢中でビームを連射していた。
 ヤツとて、能力を打ち消されるかどうかの瀬戸際なのだ。
 その能力に頼っていたからこそ、必死になるのも無理はない。
 身動きをさらに制限されたニンフは、鎖に拘束される回数が跳ね上がった。
 メダルが、異常な速度で減っていった。
「喰らいな、クソガキャァッ!!」
 幾度目かの拘束の瞬間、
 ジェイクが渾身の力で投擲したのは、魔剣ザンバットソードだった。
 ビームのエネルギーまで吸収して、怪しく輝く魔剣が凄まじい速度で迫る。
“よけきれない……!? いや……ッ!”
 よける必要は、ない!
 ニンフが鎖を引き千切ると同時に、
 魔剣はニンフの左腕を付け根から切断した。
 くるくると舞って吹っ飛んだ左腕を、エルキドゥが捕まえる。
「どうだァァァァ! これでテメーは俺に触れることすら出来ねぇッ!!」
 これで、ニンフはもう戦えない……
 明らかに致死量を越えたダメージだ……
 あの下衆野郎は、そんな風に思ったのだろう。
 だが……ニンフの表情には、恐れも、脅えすらもなかった。
 その眼に宿っているのは、熱く、強い正義の炎だった。
 ニンフは構わず鎖を引き千切り、半壊の翼で猪突猛進を続ける。
「私は……自分の身体にハッキングを仕掛けた! 痛覚神経をシャットアウトした!
 今の私はもう"苦痛"も"衝撃"も感じない……死ぬまで倒れることはないッ!!」
 紅莉栖にそうしたように……
 ニンフは、自らの身体から「痛み」を消したのだ。
 それをするだけの「覚悟」が、ニンフにはあるのだ。
 何せ、敵はバリアと読心という最悪の組み合わせの能力者だ。
 普通に考えれば、そんなチートを破ることなど出来る筈がない。
 出来るとすれば……それは、同じくチートのような能力を持つ者だけなのだから。
“だからアイツはここで倒す! アイツが智樹や、智樹の仲間を傷付ける前に……何としてもッ!”
 アストレアが死に、イカロスがああなった今、これはニンフの「義務」でもあった。
 マスターを守りたい。マスターにとっての障害を一つでも多く排除したい。
 そんな強い想いが、ニンフにそれだけの「覚悟」をさせたのだ。
「こンのォォォビチグソがァァァァァッ!!!」
 絶叫するジェイク。
 放たれる無数のビーム。
 錯乱したジェイクのビームは、最早ニンフには当たらない。
 いや……ニンフの翼は、最早半壊状態などではなくなっていた!
 それはさながら……ニンフに残された、命の輝きとでもいうべきか!
 虹色に輝く翼が、ニンフの背で力強く羽ばたいていた!
 凄まじい加速力を得たニンフに、ジェイクのビームなどは当たらない……!
 そして――!
「ガ……フゥ……ッ」
 ニンフがついにジェイクに到達すると同時。
 ニンフの口から……大量の血液が、堰を切ったように溢れ出した。
 ジェイクに激突するほどの勢いで特攻を仕掛けたニンフは……
 到達する寸前に投げ放たれたキングラウザーに……腹を貫かれたのだ。
 だが、しかし、それはニンフも望んだこと。
 もはやそれを回避している時間はなかった。
 それを回避していては、またジェイクに距離を取られる。
 そうなったら、残りのメダルで再びジェイクに接近することは不可能!
 勝負を決めるのは今しかないのだった。
 だからニンフは、腹をキングラウザーに貫かれながらも、特攻をやめなかった。
 その「覚悟」に驚愕し、一瞬怯んだジェイクの顔面に……
 ニンフのヘッドバッドが炸裂した。
「ハッ……キン、グッ!!」
 すべては一瞬だった。
 ニンフの輝きが、両者の視界を埋める。
 ほんの一瞬で、ニンフはその目的を果たしたのだった。


NEXT:イグナイト(後編)



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最終更新:2024年09月24日 13:28