欲望交錯-足掻き続ける祈り- ◆z9JH9su20Q
――あの人の声が、聞こえない。
まだ、答えを聞けていないのに。
○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○
「オォォォオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」
野獣のような雄叫びを放ち、紫の異形が二体の怪人へと突撃して行く。
暴走した仮面ライダーオーズプトティラコンボ。半日前には五人もの参加者を圧倒した猛威が、再びバトルロワイアルに顕現していた。
しかしその動きは前回の暴走時はおろか、資格者でもなかったジェイクが見せたタトバコンボの暴走と比べても、幾分精彩を欠いている。
再変身によりオーズの外傷こそ消え去ったが、直前まで
カオスによって蹂躙されていた事実に変わりはない。故に変身者である映司の理性が消え、ただ破壊衝動のみに動かされているのだとしても。身体の内側に蓄積されたダメージが、着実にその力を衰えさせていたのだ。
さらにその前進の勢いを、針と球の形をした赤い光が削いで行く。
始まりの場所で真木に挑んでいた少女が使っていた機動兵器――何たる皮肉か、真木の手先である
メズールに渡ったそれが展開され、手にした大剣を揮うたびに発されるビームを赤い怪人の放つ光球と共に、死の雨として降らせていた。
毎秒数発の着弾のたび確実にその動きを鈍らせながら、それでも決して歩みを止めようとしないオーズの背を、虎徹は必死に追いかける。
「おい映司、無茶すんな!」
脇を掠めるビームの余熱に顔を歪めながらも、虎徹はオーズが盾となってできた空隙を縫って弾幕の中を進んで行く。
もしビームや光球の直撃を許せば、一部の装甲が申し訳程度にへばりついただけになったスーツ以外、一切身を守る物がない虎徹では一溜りもないだろう。
しかし二人がかりでも完全に足止めしきれないオーズを前に、二体の怪人はまだ散開しなかった。
カオスが何故か沈黙している今は、おそらくオーズに近づくまたとないチャンスだ。
守るべき若者を壁役にしてしまっている事実に自身への苛立ちを覚えながらも、虎徹は遂にその背を捉えた。
「落ち着け、暴走なんかしてる場合か!」
「――グゥアァッ!!」
後ろからその肩に手をかけた虎徹だったが、オーズは乱雑に身を揺するだけでその手を跳ね除ける。
さらに出現した両翼に煽られ、体勢を崩したところに尻尾による痛烈な一撃を受けた。
「っ……!」
咄嗟に構えたザンバットソードが、剣腹に受けた尾の直撃で虎徹の握力を振り切り、どこかへ飛んで行ってしまった。
さらに旋回する尾が胴を叩き、今度は虎徹自身が弾かれる。
「がぁ……ってて……ッ!」
まだ張り付いていた胸部装甲の一部が、この一撃で脱落することと引換に、衝撃の大部分を肩代わりしてくれた。そうでなければ虎鉄はこの一撃を以て挽肉となり、乱雑に地べたへと撒き散らされていたことだろう。
しかし命の代価に、砕けた具足の一つで釣り合いはしない。さらなる代償として距離と時間を要求された虎徹は元来た道を押し返され、倒れ伏したまますぐには起き上がれずにいた。
かつてなく強烈な一撃ではあったが、それだけが再起を阻害する理由ではない。虎徹自身、連戦に次ぐ連戦で疲弊しきっていたのだ。
マミの前では心配させまいと平気な素振りでいたが、さすがに痩せ我慢にも限度はある。
それでも、音を上げないのが鏑木虎徹という男――ワイルドタイガーというヒーローだった。
立ち上がれない。間に合わない。それでもマミとの約束を違えるつもりはない。
だから虎徹は、息をするのも苦しい中で叫んだ。
「おい! 止まれっ、映司!」
同じく正義を志す若者。年下のくせに頼りになって、しかも昔のバーナビーと違い生意気でも嫌味でもない良いヤツに。
苦しいのはわかる。辛いのもわかる。同じ思いを虎徹だって味わったのだから。
だが、だからこそ言うのだ。
こんなところで、自分を捨てるんじゃないと。
だがその呼び声は、届かない。
「オォォォアァアアアアアアアアッ!!!」
大地を尻尾で叩いた反動で加速し、大翼を広げたオーズは、虎徹の手が届かない彼方へと飛翔。
弾幕を突き破って、遂にメズールをその戦斧の間合いに捉える。
「甘いわよ」
だが飛べるのは、Rナスカも紅椿を装着したメズールも同じ。オーズ渾身の打ち込みを回避し、この一撃のために晒された隙を、容赦せずに上空から狙い撃つ。
「映司ィッ!!」
ジェイクやカオスとの戦いでまどかが見せた、魔法の矢にも引けを取らぬ圧倒的な密度の集中砲火。
ただその一発一発の威力が段違いで、オーズの装甲を傷つけるに足るだけの物。その、一斉射撃を受けてしまったとあっては……
暴力的なまでの輝きに、視界を焼かれた虎徹は齎された結果を直に見届けることも叶わない。
「――っ、どういうこと!?」
戸惑いの声は、赤い怪人――Rナスカ・ドーパントの発した物。
惨劇の前に、呆けて絶句するしかなかったはずの虎徹は――予想だにしていなかった現実を前に、一層言葉を見失っていた。
「……どうして、彼を庇うの?」
紅椿を纏い、浮遊するメズールの詰るような、しかし同時に遠慮するような、そんな困惑した問いかけ。
その矛先にいるのは、紫と無色、二重の障壁を展開してオーズを守護した存在。
彼女こそ。最前までオーズを痛めつけ、少年と少女の命を奪った張本人――カオスだった。
「……わからないの」
メズールの問いかけに、カオスはそう小さな声で答えた。
「わからない……けど、きっと……まだ、これがほんとうに“愛”なのか、教えてもらってないから」
「そのことなら、私が代わりに答えてあげたでしょう?」
カオスの答えに、メズールが諭すように語りかける。
対してカオスは、ここまでずっと思い詰めたようでいた表情を初めて変化させ、不服げな顔を作った。
「おさかなさんは、わたしがほしいだけだから……ちゃんとこたえてないって言ったの、聞こえてるんだよ?」
「!?」
カオスの告白には、メズールだけでなく虎徹も驚愕を覚えた。
おそらく、カオスが語ったメズールの思惑は真実だろう。だがメズールがそれを悟らせるような言葉を口に出すなど、そこまで粗忽なはずもない。
ただ、虎徹は事ここに至って、先程から続くカオスの奇妙な言動の理由に察しがついていた。
(心を読んでんのか……!)
ジェイクの死体を喰らったカオスが、奴のNEXT能力だったバリアを使用していたのは散々目にした。
同じ理屈で、ジェイクのもう一つの能力である読心能力をもカオスは獲得していたのだろう。智樹を殺害する際等に見せた奇妙な独り言はその実、相手の心の声との対話だったのだ。
だとすれば今の態度からも察するに、カオスがメズール達と結託するような最悪の事態は回避できるかもしれない。そう考えたところで、知らず虎徹は一度、深く息を吐いていた。
だがその息も途切れぬ間に、鋭く飛翔する影があった。
それは、またも悩み耽る表情に戻り沈黙したカオスでもなければ、強大な戦力を秘めた彼女の動向を警戒し、様子見していたメズール達でもなく。
絶体絶命の危機をカオスに救われた、仮面ライダーオーズであった。
「――ッ!!」
その心が暴走に呑まれていたために、読心で思考を読めなかったからか。それまでは髪一つに掠ることすら許さなかったカオスの頭部を、オーズはその体ごと旋回させた尾の先で確かに捉えた。ちょうど振り返ったその顔面に不意打ちとして決まった一撃は、展開されていたシールドバリアーを叩き割ってカオスの痩身を独楽の如く吹き飛ばし、手近なビル壁へと直撃させる。被弾したビルは、まるで内部から発破をかけられたかの如く盛大にガラスとコンクリートを砕き、散らせる。そうして生まれた歪な口が閉じるかのように、粉塵と瓦礫は瞬く間に彼女の姿を呑み込んでしまった。
「おい、映司ッ!?」
自身を庇った者への不意打ち。本来のオーズ――映司ならば決して行わないだろう蛮行すら、暴走している今では、手近な位置にカオスが居たからという以上の意味はないのだろう。オーズはつい先程自身を散々弄んだ相手に一矢報いた感慨もなく、続いてメズールの駆る紅椿へと肉薄する。
だが、それまでにオーズは消耗し過ぎていた。カオスが庇ったのも最初から完全にではなく、途中から割り込んだ形であったために負傷し、彼女らの会話の最中にはこのような真似をする余力がなかったのだろう。そしてプトティラコンボにしては動きが鈍いという事実は、今も変わりない。
元より、空中戦は見るからに紅椿の方が特化しているのだ。接近しなければならないプトティラからメズールは最大加速で距離を取り、なおかつ新たな弾幕を展開する。
しかしオーズは構わず、いっそ痛ましいまでに愚狂な突進を繰り返して、新たな傷をその装甲の上に刻んで行く。
さらに間を置かず、虎徹に恐怖を想起させる壊れた笑声が、瓦礫の中から漏れ出した。
「……そっか」
怖気の走るまま視線を巡らせれば――燃え続ける炎に照らされた一角で、天使を埋めたガラスやコンクリの破片が、その声に震えたようにカタカタと鳴っていた。
「やっぱりこれが、“愛”なのね?」
確認の声の、その直後。
自身に覆い被さっていた人造物の残骸を吹き飛ばし、狂乱の天使は再び、その一糸纏わぬ姿を出現させた。
乳白色の頬の片側には、今も殴打された痛ましい青痣が残っている。だがその事実をまるで意に介さず、彼女は精一杯見開いた目をオーズに向けた。
「ならやっぱり、もっと愛をあげなくちゃ――!」
向けられた敵意にオーズが反応した瞬間には、既にカオスも距離を詰めていた。
そうなれば、先程の対決の再現。不可視の衝撃に体勢を崩されたオーズを、至近距離からカオスの放つ無数のビームと火炎弾とが嬲り尽くす。
しかし暴龍は死地にあって、なお退かず。数多の閃光にその身を貪られながらも遮二無二距離を詰め、手にした戦斧を横薙ぎに振り抜いた。
だが結局それは、万全からは遥かに程遠い一撃であった。メダガブリューによる反撃をカオスは容易く見切り、浮いて躱し、体ごと沈むと共に、装甲された拳を振り下ろす。
硬い激突音を残し、オーズは大地へと打ち落とされる。しかし、あわや激突という寸前で皮翼を羽ばたかせ持ち直し、何とか追撃のビームを回避することに成功した。
――何かが妙だ、とその時虎徹は感じた。
しかし察しの悪い虎徹では、その正体が今までのパターンであればオーズに回避可能な攻撃ではなかったからだということに気づけない。
カオスの追撃が、一瞬の躊躇によって外れたのだということに。
ただ別方向からオーズを襲った真紅の閃光に目を奪われ、押し殺した悲鳴を上げるしか虎徹にはできなかった。
「何にしたって、ここで仕留めさせて貰うわよ……オーズ!」
メズール、そしてRナスカの追撃だった。連携こそなくとも、オーズ包囲網は間違いなくこれまで以上に苛烈さを増している。
このままでは、いよいよ映司は殺されてしまう。
そう認識した瞬間、虎徹はデイパックに手を突っ込んでいた。
「ホントは確実に逃げられる時までとっておきたかったけどよぉ……ッ!」
温存し続けて、映司を死なせてしまっては意味がない。
ちょうど、オーズが大地に墜落させられた瞬間、虎徹はそれを掴み取り――死力を振り絞って立ち上がった。
「喰らいやがれぇええっ!」
投げつけたのは、醜悪な仮面のような兜。
虎徹に支給されていた魔界777ツ能力(道具)の一つ、『虚栄の兜(イビルフルフェイス)』だった。
「――何ッ!?」
この局面での、無力と侮っていた虎徹の参入にメズールやRナスカが警戒し、投擲物からも距離を取る。万が一にも、隙を作られたところをオーズに衝かれまいとしたのだろう。
だが何のことはない。これの能力はただの――
煙幕である。
「なっ!?」
「――しまった!」
ただの煙幕だが、虚栄の兜のおどろおどろしい外見が効いたのか、彼女達が警戒してくれたのが逆に助けとなった。
距離を取り、煙の中にこちらの姿を見失った隙に、虎徹は倒れ伏したオーズに駆け寄ることができた。
「逃げるぞ、映司!」
オーズの外見は、先程カオスに敗れた時と比べればまだ無事と言える状態だ。しかし実際に蓄積されたダメージはその時から引き継がれ、いよいよ危険な域に達していることだろう。 だがその分、暴走していようが、能力抜きだろうと虎徹に抗う力も残されていないはず――――などと思っていたのだが、虎徹は自らの楽観さを思い知らされる。
「ヴ……グ、オォオオオッ!!」
何とオーズは再び飛翔しようとして翼を拡げ、そのついでとばかりに『虚栄の兜』が展開した煙幕を自ら吹き飛ばしてしまっていた。
「何やってんだよ……何やってんだよ、映司!」
予想外の、しかも助けようとする相手からの妨害行為に、思わず虎徹の足も止まってしまった。だが数瞬も経たぬ間に、呆けている場合ではないと正気に返る。
もう出涸らしのはずの力をそれでも振り絞り、未だただ本能のまま戦い身を投じようとする仮面ライダーに虎徹は再度歩み寄ろうとして――頭上から迫った赤い光球に気づき、咄嗟に転がって直撃を躱す。
「ちょろちょろと!」
あんな、何の威力もない煙幕で焦らされてしまった屈辱からか。苛立ちを隠しもしないナスカが、手にした剣を虎徹に向ける。
「ガァアアアアアッ!!!」
だが追撃の光球が放たれる前に、虎徹に意識を向け過ぎていたナスカの不意をオーズが突いた。
どこにまだそんな力が残されていたというのか。飛び上がり、さらには両肩のワイルドスティンガーを伸張させて間合いを狂わす。剣を盾にし直撃こそ躱したナスカだったが、微かに掠めただけで弾かれ、接触した表皮に凍傷を負わされては虎徹などという雑兵、最早意識してはいられなくなっている。
「――こぉのっ!」
怒りのままに、ナスカは再度光球を乱射する。当然のようにメズールもまた、そこの援護に加わり――あるべきはずの物がない違和感をまたも覚えるが、虎徹はそれを解消するよりもオーズの救出を優先した。
「映司っ!」
いよいよ暴れ回るだけの勢いを失い、二体の怪人に翻弄されるばかりとなった今なら捕まえられる。そう考えた虎徹はオーズに向けて、右ガントレットのワイヤーガンを発射した。
同時に左のワイヤーガンを、ある要因からたまたま目に付いた建物に引っ掛ける。そして双方が対象を捕縛した瞬間、虎徹は一気に左右を引き戻した。
「アァ――アアアアアアアアッ!!!」
その途中、状況の変化に気づいたオーズが拘束されていない両手を使って、ワイヤーを振り解こうと試みた。
だが腕力だけでは、その戒めを引きちぎれない。それはワイヤーの強度というよりも、オーズの消耗の度合いを示していた。
こうしてようやく、オーズを虎徹は手元に取り戻すことができたわけだが……それでもオーズの手には、まだメダガブリューがあった。
「おい、止せっ!」
虎徹の制止は、やはり意味を為さない。
自らの身を抉りながらも、オーズはメダガブリューでワイヤーを断ち切り。
そして。
「やめろよ映司ッ!」
度重なる虎徹の制止は、擦り切れるような悲鳴となっていた。
何のことはない。オーズが最も近くにいた虎徹に狙いをつけて、メダガブリューを振り下ろしただけだ。
おそらくスーツが万全でも両断されていただろうが、たまたまこの場所が目に付いた要因――すぐ傍で煌めいていたザンバットソードを引き抜き、メダガブリューを迎え撃ったおかげで虎徹は危機を免れていた。
オーズが押してくる刃と、虎徹が押し返す剣は一進一退。両者の力は拮抗している。
重傷かつ能力切れの虎徹でも膂力が釣り合うほどに、オーズは傷ついていたのだ。
それなのに、彼は戦いを止めようとしない。
「違うだろ……違うだろうがよぉ、映司! おまえの力は、こんなもんのための力じゃないだろうがっ!」
剣と斧での鍔迫り合いの中、虎徹は思わず叫んでいた。
「俺をぶった斬るのがおまえの欲望か、えぇっ!? 俺だけじゃねぇ、あそこの悪党どもだってそうだ! 俺達は、誰かを傷つけるために戦ってるんじゃないはずだろうがっ!?」
虎徹とて聖人君子などではない。悪を憎む気持ちは拭いようもなく心の内に存在している。
あの病院の惨劇を生んだ殺人者を、
イカロスを騙した偽物のマスターを。
牧瀬紅莉栖を殺したジェイクを、智樹とまどかを殺したカオスを。
今この瞬間こそ、予期せぬ仲間割れにメダルの温存でも図っているのか様子見に落ち着いているものの、問答無用でこちらを殺そうとして来た怪人二人も。
その所業は、虎徹の胸に憤怒の炎を灯して余りある。
そんな黒い熱情のまま、彼らを思いっきりぶちのめせたのなら、その時はどれほど爽快なことだろうか。
しかし――
「俺達はルナティックとは違う……そう言ったのはおまえじゃねぇか映司……!」
――それは結局、ただの暴力なのだ。
ルナティックのような、法もモラルも無視してただ冷徹に制裁を加えるという手法もなるほど、悪党を恐怖させ、一定の抑止力を生むことは間違いない。
だがそれは、結局のところ私刑以外の何物でもなく。尤もらしい理由を付けて暴力の行使に酔う犯罪者と、本質的には変わりがないのだ。
「俺達の力は、悪を裁くための力でも、何かを壊すための力でもねぇ……誰かを助けるための力だ、そうだろ!?」
あの日。自分の命を、それ以上に心を救ってくれた憧れのヒーローの姿が、貰った言葉が、想起された。
「おまえはついさっきだって、俺を助けてくれた」
「ヴ……」
虎徹の感謝の言葉に、オーズから伝わってくる圧力が、微かに緩んだ気がした。
もちろん、映司も虎徹も、何もかもを守れたわけではない。
ルナティックの言う通り、虎徹の力が足りず、ここに来てから守りきれなかった命は数多くある。
挙句ジェイクによって智樹を殺されかけ、マミに責任を押し付けてしまった時には、自身の正義の脆弱さを痛感させられたと思いもした。
だが、その時……
「それにおまえが言ったんだ……失敗するのが、本当に許されないことなのかってよ」
歳ばかり食っても落ち目だのなんだの言われ、大人らしいことの一つも言えない虎徹に代わって、真っ直ぐに――あるべきヒーローの正義を。
おかげで虎徹は、自分が言い訳していたことに気づかされた。
あそこでジェイクを殺す必要は、あの局面にさえ至らなければ、実際のところなかったのだ。ただ油断して、充分な拘束を怠ったことが虎徹の失敗だった。
「失敗したからって、自分のやりたいことを諦める理由なんてないんだっておまえが言ってくれたから……俺は、自分の正義を見失わずに済んだ」
結局のところ、至らなかったのは自分達の信じる正義ではなく、虎徹自身の能力であり判断だったのだと。
あの、レジェンドが示してくれた正義は、決して色褪せたりすることなく尊いままなのだと。
それを映司が、気づかせてくれた。
なのに……
「――ウォオオオッ!!」
まるで虎徹の口から告げられた自身の言葉を否定するかのように、オーズが咆哮する。
辛うじて存在していた拮抗が崩され、押し切られる。転がった虎徹は即座に起き上がるだけの余力がなく、しかしオーズも最早俊敏な動きなどできず。
ただ、ゆっくりとメダガブリューを振り被り、一歩ずつ躙り寄ってくるのに対して――虎徹は口内に拡がった鉄の味を吐き出し、振り返りもせず叫んだ。
「……なのにおまえが、失敗したからって諦めてるんじゃねーよッ!!」
今まさに振り下ろされるところだった戦斧の動きが、止まった。
「おまえが言ったんだ! 今まで失敗した分まで、危険に晒される皆を精一杯守ってみせるって! だったら失敗したからって、こんなところで命を捨ててるんじゃねぇっ!」
「ウ……オ、オォォォ……ッ!」
オーズが、たじろぐ。
ただ闘争本能に従っていた先程までとは、明らかに違う戸惑いの挙動。
予測できていたわけではない。だが、言葉を届かせるには今しかないと、虎徹は理屈ではない部分で感じていた。
だから、訴える。今この瞬間、全力で――立ち上がり、向かい合う。
「おまえの力で、まどか達の分も皆を守ってみせろ、
火野映司!」
それは、命令などではなく激励。
神在らざる火野映司に対する、己を捨てるなという鏑木虎徹からの願いであり、祈りだった。
「……おまえの力は、俺のよりもずっとずっと、すげーんだからよ」
虎徹は少しだけ悔しく思いながら、羨望を込めてそれを吐き出した。
そして――完膚なきまでに絶望して、なおその現実に抗い、生まれた祈りは。
確かに、虎徹の伝えたかった相手に聞き届けられた。
――紫色の装甲が、粒子となって溶けて行く。
「あ……りがと。鏑木、さん……」
オーズの仮面が消え去り、言葉を、自身を取り戻した映司の口から、そんな想いが告げられた。
対して虎徹は、本当は叫び出したいほど嬉しかったのを隠し、不敵に口角を持ち上げた。
「いいってことよ。気にすんな」
そんな虎徹に向けて、一歩。彼自身の意思ではなく、ただ重力に引かれて映司が前進する。
「でも……ごめんなさい……逃げ、て……っ!」
絞り出すようにそれだけを言い残し、映司が虎徹に倒れかかって来た。
最早変身は完全に解除されていたが、精根尽き果て昏倒した彼の体は重かった。普段ならどうということはないが、今の虎徹にはただ受け止めるのもいくらか苦になった。
だが、映司もこの状況においてそんなことのために謝ってきたわけではないのは、さすがの虎徹も理解していた。
――悪意が、降りてくる。
「……まさか、紫の暴走を止めるなんてねぇ」
二体の怪人は相も変わらず、殺意を放射するままに――放っておいても死にそうな状態だと言うのに仮借なく、虎徹達を見下ろして来ていた。
「とはいえオーズの坊やは暫く気絶しているみたいだし……タイガーの坊や、あなたも死にかけね?」
「それでも、補充できるぐらいはメダルは残ってるんでしょう?」
「――ったく、人のことをATMみたいによぉ……」
映司を抱きとめたまま強がってみせたが、いよいよダメかもしれない、と虎徹でさえ思い始めていた。
本当にもう、無理だ。虎徹一人でだって、何十メートルと走れないほどに限界だ。彼女達と戦って倒すのはもちろん、映司を連れて逃げ延びるだけの余力だって残っていない。向こうはその機動性で接近し、生身の二人を撫でてやるだけで命を摘み取れる。
いや、仮にこちらが装備体調共に万全だとしても。結局、あいつがいる限り……
――と、そこで虎徹はようやく。違和感の正体である、あるべきものがなかったことに気づいた。
それは、映司に向けられた、彼女からの敵意。
「……どうして?」
違和感の正体――二体の怪人の間から、驚き距離を取る彼女達が見えていないかのように割って入った天使の。
その、驚愕に染まりきった顔を、虎徹は確かに目撃した。
「どうして、“火野”のおじさんじゃないの――――?」
○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○
――頬っぺたが、ズキズキする。
その実感に、カオスはニタリと笑みを浮かべていた。
やっぱり、これが“愛”なんだ。
問答無用に“火野”のおじさんからぶたれ、痛くして貰ったおかげで、カオスの迷いは晴れていた。
だから、さっきまでと同じように、おじさんに“愛”をあげることにした。
だって、仁美おねぇちゃんと一緒に、この人が“愛”を教えてくれたから。
この人が、仁美おねぇちゃんを殺したのだから。
痛くして、あったかくして、殺して、食べてあげなくちゃ。
――コラ、と叱りつけるような内からの声も、カオスの“愛”という欲望の前には掻き消される。
そうして火野のおじさんを殴り飛ばした時、今度聞こえた声は一つだけではなかった。
――やめろ!
――ダメだよ
一つだけなら聞き流せた声は、二重奏となったことでその主張を大きくした。
驚き、身の竦むような思いをしたカオスは火野のおじさんを撃つのが遅れてしまい、結果として“愛”を届け損ねてしまった。
その後も、火野のおじさんを痛くしてあげようとするたびに、頭の中で二つの声が、まるで窘めるように響いてくる。
――どうして?
――これが、“愛”なんだよ?
そう思いながらも、まるでいけないことをしてしまっているかのような、肌の粟立つ感覚にカオスは苛まれ続ける。
それは失せたはずの迷いをもう一度呼び覚まし、二体の怪人のように躊躇いなく愛【痛み】を火野のおじさんに与えることを邪魔していた。
そして、もう一つ。
(――死ねぇっ!)
カオスと同じように、火野のおじさんを痛くしようとしている二体の怪人から聞こえる“声”の冷たさが、彼女の中の疑問を大きくしていたのかもしれない。
目の前で繰り広げられている光景が、本当に“愛”なのか、という疑問を。
お姉様達がシナプスを裏切るほどに価値を見出した、仁美おねぇちゃんが一緒に探そうと言ってくれたあの“愛”は、本当にこんな、心地よくないものだったのだろうか、と――
……そして。いつしか、おじさんにぶって貰う前と同じように。困惑のためにただ見守るだけにまでなっていた矢先、その衝撃的な光景が飛び込んで来た。
火野のおじさんが着ていた変な服や仮面が消えて、その下にあった素顔が晒された。
なのにそこにあったのは、野卑な笑みのよく似合う、野球帽を被った中年男性のそれではなく。
柔和に整った顔立ちをした、若い青年の憔悴しきった顔だった。
「――――――――え?」
どういうこと、なのだろうか。
どうして、“火野”と呼ばれていたこの人が、“火野”のおじさんではないのだろうか?
この人を痛くしてあげるたび、聞こえる声を無視できていたのは。
仁美おねぇちゃんを殺した、“火野映司”だと思ったから、なのに……
「どうして、“火野”のおじさんじゃないの――――?」
認識した途端、押さえつけていた感情が溢れ出す。
それはこれまでのように、カオスに活力を与える熱情ではない。むしろその逆、まるで胸に穴が開いたかのように力が抜けていく悪寒に襲われる。
「何……? 何なの、これ……っ!?」
あの海の底とは、また別種の冷たさ。あたかも氷点下の世界に立たされたかのような体の激しい震えに、戸惑いの声が漏れた。
この気持ちは何なのか。その正体がわからないままにカオスは、重圧に潰されて行く。
――思い出して。
最早周囲の様子すら見えていないカオスへ、不意に声が聞こえた気がした。
――仁美ちゃんが、あなたに何を言ったのか。
(仁美……おねぇちゃん!)
ああ、そうだ。
寒いなら、暖かくすれば良いんだ。
あの心地よい暖かさを思い出せば、それはきっとカオスの震えを止めてくれる。
縋るようにカオスは、仁美と過ごした記憶を辿って行く。
――「愛」が痛いものとは限りませんわ。だって愛は、心地よいものだったりもしますもの
愛を求めていたカオスに、彼女は初めて、真摯に向き合ってくれた。
――「愛」というものには、絶対にではありませんが、共通する事があります
――それは、その人の傍にいたい。その人に傍に居て欲しい。
――それに何より、その人に笑顔になって欲しい、という想いです
――「愛」に確かな形は有りません。けれど、大好きな人の傍に居ると、とても温かい気持ちになりますの
そんな風に、たくさん、カオスに“愛”のことを教えてくれた。
教、えて――
――残念ですけど、「愛」は教えることの出来るものではありませんの
――「愛」は、心で感じるものなのです
「…………あ、れ…………?」
――「愛」は、教えられるものではない。
どうして、忘れてしまっていたのだろう? どうして、気づくことができなかったのだろう?
この“愛”は、カオスが縋る感情は――本当の意味では、仁美が教えてくれたというわけではないということに。
仁美が説いた「愛」とは、別物かもしれないということに。
「あ……あぁ、あぁぁぁぁぁ……っ!?」
――それは違う! そんなものは愛じゃない!
――殺すのが"愛"……? 死ぬのが"愛"……ッ!? 何よそれ……ふざけんじゃ、ないわよ……ッ!
――そんなものが――そんなものが愛であっていい訳がない!
仁美を喪ってからというもの。出会った皆が皆、そう言ってくれていたのに。
――痛いのが愛とか、そんなわけないって前に教えただろ。だいたい皆をいじめちゃいけないじゃないか
――こんなことが愛なんて……そんなの絶対おかしいよ!
なのに。
カオスはあの時、仁美を失った時に感じたのを、“愛”だと信じて。
それを、仁美が教えてくれたのだなどと、勝手に思い込んで――考えもせずに。
皆にも“愛”を教えてあげると嘯いて、痛くして、あったかくして、殺して、食べて――
だけど誰も、そこに「愛」を感じてはいなかった……?
――何が愛だ! よくも智樹とまどかを……てめぇがやってんのは、ただの人殺しじゃねぇかっ!?
「ちがっ、ちがうの! わたし、わたしそんなつもりじゃ……っ!?」
そこでカオスは、再び現実を直視する。
カオスを目にして恐れの色を滲ませる鏑木のおじさんと、カオスに気づくことができないほどに消耗した“火野”のおじさんではなかったおにいちゃん。
心地よい暖かさなどから程遠い、二人の傷ついた姿を。
彼らを傷つけたのが、言い逃れのしようもないほど、誰の仕業なのかということを。
(――ごめん)
さらにそこで、誰にも聞こえないはずだった彼の懺悔が、カオスにだけは聞こえた。聞こえてしまった。
(桜井君、まどかちゃん……守って、あげられなくて……ごめん……)
…………ああ。
その、悲痛の極まった声色に。
今更になって、少女は過ちというものを知らしめられた。
ああ。
わたし、わたし、なんてことを……
「ごめ……んなさい……」
そして、それは処理能力の限界を超えた、感情の奔流による回路の強制停止を招いて。
カオスの意識は、自責の念に押し潰されて、消えた。
最終更新:2014年05月03日 20:12