Lost the way(前編)◆z9JH9su20Q
「上手く行ったみたいだね」
地下室を出た
セイバーに、最初に声を掛けて来たのは鈴羽だった。
付きっきりで切嗣の看病をしてくれていた彼女だったが、先程は二人きりの方が話し易いだろうと、ユウスケと共に席を外してくれていたのだ。
「ええ、皆のおかげです。感謝しています。スズハ、ユウスケ」
「良いってそんなの」
「そうそう。セイバーちゃんの笑顔が見られただけで十分だって」
鈴羽に同調するユウスケに、セイバーは少しばかり柳眉を逆撫でる。
「……ユウスケ。私を女扱いするのは控えて欲しいと言ったはずです」
言葉にも冷ややかさを込めたつもりだったが、顔にも声にも、思ったより険を出せなかったのは彼が心底から自分達の歩み寄りを喜んでくれていることと――彼の言う通り、油断すると口元が綻んでしまうほど、今のセイバーが喜びに満ちていたからかもしれない。
手を取り合うことすらできないと諦観していた運命共同者と、それでも最低限、互いを信頼するに至れた事実。
それは盟友の変貌に揺らいでいたセイバーにとって、一角の安らぎを得るに十分だったのだ。
「ごめん、そういうつもりじゃなかったんだ」
「だったらセイバー相手のちゃん付けはやめてみたら?
小野寺ユウスケ」
バツが悪そうに謝罪するユウスケに、やれやれと言った様子で鈴羽が助言する。
「そうするべきでしょうね」
彼の純真さを好ましく思いながら、セイバーもこの際だからと鈴羽に同調する。
「こう見えても私は貴方よりも年長です。女性として扱われていることを抜きにしても、ユウスケの呼び方は些か礼に欠けています」
「うっ……ごめん、セイバー……さん」
戦場では未だ洗練され切っておらずとも、サーヴァントと並ぶ勇猛さを見せたというのに。たったこれだけのことで困窮した様子のユウスケが可笑しく思え、微かに破顔する。
「……うん。やっぱり
衛宮切嗣との会話は、達成すべきことだったみたいだね」
そんなセイバーの横顔を見た鈴羽が、感慨深そうに頷き、喜びを漏らす。
「こんなにセイバーが雑談に乗ってくれるなんて、思いもしなかったよ」
「……私とて、仲間と言葉を交わす意義は十分に弁えているつもりですよ、スズハ」
幾分皮肉を込めた返答と共に、セイバーは表情を引き締める。王たる身でありながら浮つき過ぎただろうか――そんな不安が鎌首をもたげた。
「あっ、まだ引っ張るんだね……」
「ええ。今の関係もあくまでこの殺し合いを終わらせるため、相互に妥協し合ったに過ぎません。
私に彼を理解することはできないでしょうし、切嗣からも私を理解することも、受け入れることもできないと、はっきり宣言されました」
「そんなことないさ」
それでも、これからの共闘に支障は出さないから、どうか安心して欲しい――そう続けようとしていたセイバーを静かに、穏やかに、しかし力強く遮ったのはユウスケだった。
「切嗣さんも、セイバーちゃ……さんも、本当は同じもののために戦っている、よく似た人同士なんだ。俺はそう感じたから、二人にちゃんと話し合って欲しいって思った」
「私と切嗣が、似ている……?」
思わぬ言葉に面食らったセイバーに、ユウスケは穏やかな表情のまま、力強く頷く。
「切嗣さんもセイバーさんも、誰かの悲しむ顔を、一人でも多く笑顔に変えたいって願って、戦っていたはずだ。
でも二人とも優しいから、そのために辛いことを自分一人で抱え込もうとしてしまう……だけどきっと一人じゃ、そんな重荷とは戦えない。
だから仲間が必要なんだ。同じ願いのために戦える仲間が……皆を守る切嗣さんを、セイバーさんを、お互いが守り合うことのできるように」
「……成程」
本質的には部外者であるユウスケの言葉を、しかしセイバーは無躾とは受け取らなかった。
むしろよく見ている、と――出会って間もないセイバーや切嗣のことを、真摯に案じていると感じていた。
だからこそセイバーも、相応しい態度で答える必要があると考えた。
「確かに、私は国を救いたかった。故国に生きる全ての者の幸せを――貴方の言葉を借りるのなら、皆の笑顔を守りたかったのでしょう」
そのために、人(アルトリア)としての己を捨てることになるとしても。
「そして切嗣も、そんな理想を実現できる、『正義の味方』を目指したのでしょう」
例えその手段と筋道が、対極に位置する物と成り果てても。
己という個ではなく、国や世界という多のために心を殺し、戦い続けた。
言われてみれば。聖杯の寄る辺で巡り合った英霊と魔術師の主従の在り方は、確かによく似通っていた。
それでもセイバーは、主君との間に横たわる決して越えられない一線を幻視した上で、努めて冷淡に告げた。
「……ですが、それとこれとは別の話です。仮令その原点が同じであれ、今の彼は私を、英雄という概念を憎んでいる。
私達は、理解し合うことも許容し合うこともできない。それでも――いえ、それ故に。ただ、この不条理を破るための剣と担い手として在れるだけで、この上ない最良の関係に至れたのです」
「……嘘だよ。セイバーさんは、本当にそれで満足したって顔をしてないんだから」
「……っ!」
見透かしたような物言いに、しかしセイバーは返答を詰まらせてしまった。
「ねぇ、セイバー。衛宮切嗣も……セイバーがいないところで、これからは心を通わせた仲間を作っていきたい、って言っていたんだよ」
そこでユウスケに加勢するようにして口を挟んだのは、それまで事態の推移を見守っていた鈴羽だった。
「君と衛宮切嗣の間に確執があったことは私も理解している。だけれど、衛宮切嗣にもそれまでの関係を顧みて、改善しようとする意志があることだけは認識して欲しい。
……事情を知らないあたし達がこれ以上踏み込むのも、失礼が過ぎているかもしれないけどね」
「それでも。俺や……鈴羽ちゃんは、もしそのせいで辛そうな顔をしているんだとしたら。セイバーさんに、諦めて欲しくないって感じてるんだ」
ユウスケの訴えに、途中目を配られていた鈴羽は静かに頷くことで同調した。
そんな二人の熱弁は、何より切嗣の秘めた願いは。普段のセイバーであれば、何より好ましく受け取っていたかもしれない。
「同じ願いのために戦える、心を通わせた仲間、か……」
しかし、今のセイバーにとっては、両手を挙げて歓迎できる内容ではなかった。
「ですが……その願いは、共に理解し合えるものなのだと。私などには不相応なものでなかったと、果たして断言してしまって良いのでしょうか」
「セイバー……?」
様子を伺うような鈴羽の声。彼女達に、恥じるべき弱さを見せびらかしてしまっている。そう自覚しながらも、セイバーの脳裏には、狂気に堕ちた忠勇の騎士の姿が蘇っていた。
「
バーサーカー……サー・ランスロットはかつての朋友でした。同じ夢を見た仲間だと、信じていました。
しかし、それは私の思い違いだったのではないかと、今更ながらに知らしめられたのです」
未だに残響するのは、最も信頼し、袂を分かとうとも心根が通じ合っていると信じた彼から浴びせられた、怨嗟の声。
あの呪詛のような叫びを耳にして、変わらぬ同志として彼との絆を誇示するなど、仮令どれほど愚鈍な身でも不可能だった。
「狂気に囚われたはずの彼が、私にばかりその矛先を向けるのは……それだけ彼がこの私に、救うばかりで導かなかった王に対しての憎悪を抱えているからに他ならないでしょう。
故に思うのです。人の心がわからないばかりに、友と呼んだ者にそれほどの恨みを抱かせた私などの願いが――本当に、正しいものだったと言えるのか、と」
そう、自問せずにはいられなかった。
それが、王たる装いに相応しくない振る舞いであると、察しながらも。
そもそもの出自そのものが誤りであったなら――国を滅ぼす妄執には最初から、その装いを纏う資格すらなかったのではないかと。
不意を衝いて溢れた弱音には、そんな自身の正当性への不安が表れてしまっていた。
そしてそれは、セイバーが答えを切望する問題であることもまた、間違いなかった。
だからこそ、思わず口を衝いて出てしまったのだとしても。取り繕うことなく、本心から向き合わずにはいられなかった。
……バーサーカーがかつての友であると告げた瞬間、ユウスケの表情にも微かな翳りが差したのを、セイバーは見逃さなかった。
それはセイバーや切嗣ではなく、彼自身と――この場にいない他の誰かに向けられた感情であることも、その視線から読み通せた。
彼にも、心当たる節があるのだ。それもおそらくは、セイバーと同じくまだ解決していない命題が。
故に剣の英霊は、その聖緑の瞳で、若き勇者に是非を問うた。
そんな自分が、真に理解し合える仲間を得ることなどできるのか。それに相応しい、王たる器を持ち合わせていると、言えるのか。
偽りなく、答えてみせよと。
息が詰まるほどの静寂の中――果たしてユウスケは、口を開いた。
「…………言えるさ」
即答、ではなかった。
その言葉が吐き出されるまでの重苦しい沈黙。その全てはユウスケがセイバーの問いかけに真摯に向き合い、熟考したために生み出されたものだった。
彼にとっても、痛みを伴わずには向き合えないはずの命題に確かに向き合い、しかし確かな形で言い放たれた返答に、セイバーは思わず問い返していた。
「何故?」
それが場を取り繕う見え透いた嘘などでないことは、彼の眼差しが物語っている。痛みに耐えながらも輝きを褪せさせることのない、強い瞳が。
彼は、セイバーの苦悩を理解した上で、答えたのだ。
「私は失敗しました。なのに、ユウスケ。貴方は何故、それを間違っていないなどと言い切れるのですか?」
それでもたった一言だけでは、セイバーにはとても信じられない解答だった。どうしてそんな結論に至れたのかと、疑問に思わずにはいられなかった。
「だって、俺の戦う理由も……セイバーさん達と、同じだから」
対して彼は、微かな笑みと共に答えた。
「皆の笑顔のために戦うことは、姐さんが最後に俺に託してくれた望みは、あいつが認めてくれた俺の戦う理由は! ……絶対に、間違ってなんかいない。
――例え、失敗することがあったって。それでも誰かを救けたいと思ったことが自体が、間違いだったはずなんてない。俺は、そう信じてる!」
自分と同じ、セイバーや切嗣の願いを信じていると。自分に使命を与えてくれた人物を、その望みを肯定してくれた者を信じているのだと。
己の犯した過ちを見据えて、どれほどの痛みを忍び耐える必要が出てきても。己の弱さを理由に、それを裏切ることこそできはしないと。
小野寺ユウスケは、血を吐くような思いで胸の内を吐露していた。
そんな真っ直ぐな言葉に、セイバーは再び瞠目していた。
「人は愚かで、失敗してしまうこともあるかもしれない。もしかしたら、もっと理不尽な理由で苦しむこともあるかもしれない……
それでもヒトは、そんな現実だって受け入れて――自分の意志で進んで行ける、強さだって持っているんだ」
――――嗚呼、そうだ。
そうだったのだ。
「――それが、貴方の信念であるが故に、か」
そんなユウスケの返答を咀嚼するに連れ、セイバーは鬱屈していた心が澄み渡って行くのを感じていた。
「ですが、好ましい――いえ、私に必要な解答でした」
かつて少女(アルトリア)だったセイバーが、そうであったように。眩いほどに貴き心を、この若き英雄は持っている。
皆の笑顔のために、この身一つの犠牲で足りるならばという、余りにも寂しい孤高の覚悟を。
荒削りで傷だらけだろうと、純粋な信念を、祈りを胸に戦い続けるその姿を、セイバーは尊く感じていた。
そうだ――仮令、どのように無惨な結末であれ。
――――多くの人が笑っていた。
なら少女(わたし)の願いはきっと、間違いではなかった。
セイバーはただ、誰かにそれを、肯定して貰いたかった。
何故ならそれが彼女の芯。それが彼女を支える全て。
それこそがあの日、選定の剣に託した祈り。
そして完全に果たされなかった以上、完遂こそを聖杯に焼べると定めた望みだ。
「そうだ。あの時確かに、彼は私に賛同してくれた。今こうして道を違えてしまったとしても……あの日の私達の心根は、確かに通じていた」
仮令辿り着いた結末が、どんなに悲しい対立でも。信望する騎士達と並び立ったという黄金の日々まで、貶め捨ててしまう必要はないはずだ。
今がどんなに変わり果てても。あの日の貴さは、決して色褪せはしないのだから。
「そして、共に戦った誰も彼もと、矛を交えたわけでもなかった」
忠勇のうちに散ったガウェインが、使命に殉じたギャラハッドが、その最期に何を胸に懐いたのか。
少なくとも、至らぬ王を戴いたことを後悔し、未練を残しながら果てなかった――とは、セイバーが断ずることはできない。
しかし……至らぬは予言された滅びの萌芽を見落とした、この身の不明。彼らが信じ仰いでくれた我が理想には、何の誤りもなかったのだ。
己が願いを、そこに集う人々を疑うというのは。我が騎士達の最期を、誤った理想のために果てた愚者として、辱めることに他ならない。
「――私はただ、怯えていただけだったのでしょう。切嗣が、第二のランスロットになってしまいはしないかと。信頼した結果、裏切られるのが恐ろしかった」
だから意固地になっていた。やっと関係が向上したからこそ、これ以上崩れてしまうことのないよう、切嗣の胸の内を知らされてさえも、踏み込むことを恐れていた。
「ですが……貴方の言葉で、そんな怯懦も振り切れました」
そんな臆病な態度こそ、セイバーが描く王道には相応しくないものだ。
「言葉を交わす意義を弁えていると口にした以上は、端から理解できない、これ以上歩み寄れないなどと、自ら線を引くのも愚かなことなのでしょうね。
彼がそれを望むのであれば……私は満足しているなどと言わず、もう少しだけ。その気持ちに向き合ってみます。同じ願いのために戦う我がマスター、切嗣と」
無論、必要以上に馴れ合うつもりもありませんが、とは付け足すものの。かつての外道ならともかく、弱き者のために自らを差し出した今の切嗣には、警戒は無用かもしれない。
切嗣達とのこれからの関係は、何の予言にも縛られてはいないのだから。
「ありがとうございます、スズハ……ユウスケ」
背を押して貰えた礼に対し、鈴羽は軽く流してみせた。
対照的に、照れたようにして頭を掻くユウスケは、やはり年齢相応の純朴な青年に見えた。
それでも、セイバーを見放さず、失敗を恐れず踏み込んできた勇猛さを知る今ならば――その笑顔は、頼りないものなどではなく。とても眩しく、尊い物に見えた。
「しかし――貴方の口から、人が愚かなどと飛び出すのは少々意外でした」
だからこそ引っかかっていたことを、何となしにセイバーは尋ねることとした。
「ああ、ごめん。これ、友達の受け売りだから……」
照れくさそうに、しかし誇らしげに。ユウスケは頭を掻きながら、友のことを口にする。
「そいつも、自分は人の気持ちがわからないなんて言っていたけど……本当は誰よりも、他の誰かを想い遣っている奴なんだ。
そいつが人の気持ちがわからないなんてこと、絶対にないって俺には断言できる。もちろん、セイバーさんのこともね」
「……良き友に恵まれたのですね、ユウスケ。貴方がそこまで礼讃する方なら、私も一度はお会いしたいものです」
「うん……セイバーさん達にも、きちんと紹介するよ。きっと」
何か引っかかっているかのように、歯切れの悪い返答ではあった。
それでもその瞬間――彼の瞳に希望の炎が灯った様を、セイバーは確かに目撃した。
○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○
――さくりという、砂礫を踏み分ける音。
夜気に程好く冷まされ、心地良い足音を奏でる大地を歩き続けながら。
しかし身を守る物もなく横たわった彼女は、一人で寂しく、凍えてしまっていたのだろうかと――勝手な罪悪感が、こみ上げて来る。
ただ、最後に見た時から少しも変わっていなかったことには……僅かながら、安心した。
「……すまなかったな、オルコット」
ほんの数刻前、逃げるように置き去りにしてしまった教え子の亡骸を前にして――
織斑千冬は、ようやく、謝罪の言葉を口にできた。
――話は、数十分前に遡る。
見張りがてら素振りをするのにも千冬が飽き始めた頃、セイバーが教会の中から姿を現した。
千冬が出迎えたところ、あれからセイバーは複雑な関係にあったらしい衛宮切嗣と、一先ずとはいえ――それでも表面上だけではない、和解が叶ったと告げられた。
そのことについて、後押ししたことの礼を言われ。用は済んだからと見張りに戻ったセイバーの、ほんの微かに――もしかしたら単なる錯覚だったのかもしれないほど、小さく緩んだ歓喜の表情に釣られたようにして。千冬もあれからやっと、自嘲以外のために頬を緩めた。
これで、彼も――少しは、気が楽になっただろうか。
笑顔を守るために戦うと言った彼は。目の前で一つ――いや、二つの笑顔を失ってしまった彼は。
新たに一つ、もしかしたら二つ、存在しなかったはずの笑顔を生み出せたのなら。更にそこに、失ったはずの内一つまで、取り戻すことができたのなら。
決して戻ることのない一つが存在するとしても――過去ばかりではなく、これからに目を向けて。
少しは自責の念を、弱めてくれてはいないだろうかと。
「あぁ……私も、そうしなければな」
この痛みを忘れることは。
セシリア・オルコットの教師として、彼女が想ってくれた一夏の姉として。生涯あり得ないし、あってはならないことだろう。
ずっとこれから、抱え続けて生きていく痛みであり、重さだ。
それでも――ロクに長生きしたわけではなくとも、教職を預かる程度には大人であるべき身だ。いい加減向き合った上で、折り合いをつけなければ。
まだこの地には、今度こそ守り抜くべき教え子達が――
ラウラ・ボーデヴィッヒと鳳鈴音がいるのだから。
「死んでいたら許さんぞ……馬鹿者どもめ」
生きていて欲しい、どんな形であれ。
生きてさえいれば、今度こそ。必ず救って、笑顔を取り戻させてみせる。
織斑千冬は、そう――改めて決意した。
そんな決意によって、折れかけていた背筋にピンと、一本の支えが戻る。
潰されそうだった重荷を、背負えるだけの力が戻ったことで。
「――――っ、何を……やっている」
ある程度気持ちの整理ができた千冬は、そこまで至ってようやく、己の失態に気づいた。
教え子達を救えなかったことに次ぐほどの、大きな過ちを。
「……どんな大馬鹿者だ、私は」
呟き、余りの度し難い間抜けさに臨界点を超えて呆れてしまいそうになる感情を、何とか活力足り得る怒りに止める。
あの状況から立ち上がるだけでも、自分には精一杯だった。きっと、一人だけだったなら、まだ立ち上がれていなかったほどに。
だが、それでもあってはならない愚挙だった。
見張り役をセイバーに預け、千冬は一度教会内に戻り……地下室に集っていた三人の前で、告げた。
「突然すまないが……今から私は一度、C-4に戻る」
「……どうして? 織斑千冬」
目配せの後、疑問の声を上げたのは、
阿万音鈴羽だった。
本来、こういう場で主導権を握そうなのは年長者である切嗣だろうが、喋れるようになったとはいえ彼は未だ重傷の身だ。その代理なのか、真っ先に鈴羽が口を開けていた。
……彼については、既に全てを察しているような表情だった。
「……オルコットの支給品を、一刻も早く回収しなければならない」
こうして――千冬は再び、C-4エリアの……野晒しにされたままだった、セシリアの遺体の前にいた。
そう……千冬達は死したセシリアと、彼女の支給品を全てそのまま、野晒しにしてしまっていたのだ。
ISの火力は、従来の携行兵器を遥かに凌駕する。仮に悪用されれば、例えば言峰教会程度の建築物なら、地下室含め跡形もなく消し飛ばされてもおかしくないほどだ。
それでもメダル量に不安があるとはいえ、仮面ライダーにISの操縦者、そしてサーヴァントの集ったこの面々なら――ISが本来、簡単に扱える代物ではないことも考慮すれば、実際にはそこまでの脅威とはならないと思われる。
しかしそれは、充実した戦力があるチームだからこそ言えること。
単なる固定砲台に近い運用でも、鈴羽の仲間のような一般人――あるいは自分達以上にメダル不足に悩まされている者からすれば、この上ない脅威として君臨する。
おそらく、参加者の中でもISを最も習知している千冬は、だからこそ責任を以て対処しなければならなかった。
だが、一刻も早く、セシリアの死――それも、絶望の果ての自殺などという、考え得る限り最悪の幕引きから目を背けたかった千冬には、そんな務めも果たせなかった。
何という惰弱。
当然、反発されもした。千冬だけでなく、戦力の分散によって教会に残る面々にまで危険が及ぶ可能性があると。
当然、蔑視されもした。危険があったわけでもなく、ただ弱さだけが理由でこれだけの過失を犯したことを。
しかし――
「――だったら、俺も行くよ」
彼は、そう言ってくれた。
「それなら千冬さんが一人で行くより安全だし……何もしなかったのは、俺も同じだから」
違う……断じておまえに咎などないと、千冬は首を振った。
それでも彼は、千冬が焦っているもう一つの――きっと、より強く望んでいる理由まで見通した強い眼差しで制して、助けてくれた。
――だから彼は今、千冬の、傍にいる。
「準備できたよ、千冬さん」
クウガに変身していたユウスケが、そう呼び掛けて来た。
ライドベンダーから降りた後――出発前、衛宮切嗣から分譲されたセルメダルを使い変身したユウスケは、素手にも関わらずその身体能力であっという間に、用意してくれていた。
少女一人がちょうど、すっぽり収まるような穴を。
「……そうか」
その間に、本来重要度が最も高かった支給品の回収は終えた。
これが全てかはわからないが、目当てだったブルー・ティアーズとラファール・リヴァイブ・カスタムⅡの二機のISは、無事に確保することができた。
……回収する際、まだ凝固しきっていない血液が指先に付いたが、今は無視した。
軽くなったセシリアの亡骸を抱え上げ、運ぶ。ユウスケの用意した穴にそっと横たえると、最後にもう一度だけ謝罪をする。
「……すまなかった」
それだけの言葉を最後の別れとして、埋葬する。
これ以上、彼女が穢されることのないように。
ISの回収と同等――否、それ以上に千冬が望んでいたこと。
守りきれなかった教え子に、せめて死後の安息を与えたかった。
一度は逃げてしまったのだとしても、だからこそ。身勝手だとは、理解していても。
せめて、この程度の務めだけは。
「――付き合わせて、悪かった」
幾許の感傷の後、もう十分だ、と。
おまえはよくやってくれたと、微笑みかけるよう意識しながら振り返った千冬だったが――振り返った先にいるユウスケは、未だクウガに変身したまま、心此処にあらずと言った様子だった。
「……小野寺?」
仮面のように変わったその表情は、正確には窺い知れない。
だが、どこか緊張感を張り詰めているのだろうことが、千冬にも理解できた。
その正体までは推察できず、沈黙している千冬の前で――彼の腰に埋まった霊石が、高音域の唸りを上げ、瞬く間にその姿を、翠色へと染め上げていた。
○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○
言峰教会の地下。衛宮切嗣は、阿万音鈴羽と共に在った。
外部の警戒は、優れた身体能力や直感力を有するセイバーが受け持ってくれている。放送を超え、コアメダルが再び使用可能になるまでは『全て遠き理想郷<アヴァロン>』の恩恵に預かれない切嗣の面倒は、鈴羽が受け持ってくれていた。
そう……今切嗣は、聖剣の鞘の加護を得ていない。
C-4エリアに向かうというユウスケと千冬のために、自身が持ち合わせていたセルメダルの全てを提供したからだ。
切嗣自身が小康状態に入った以上、『全て遠き理想郷』を常に発動し続ける必要が薄れ――ならばどの道完治に足りぬメダルなら、今は戦う力に回すべきだと判断したため。
そして何より、そのメダルは――ユウスケのおかげで生じたものだったからだ。
彼らの取りなしで、セイバーと言葉を交わせたことで。諦めかけていた真っ当な『正義の味方』に立ち返る、最初の一歩を踏み出せた。それが本人も予期し得なかった喜びとして欲望を充足させ、メダルを増量させたのだ。
その分をユウスケ達に返すという名目で、切嗣は彼らに僅かばかりの、しかし貴重なメダルを贈与した。色の抜けたコアも一枚、
おまけのプレゼントとして。
感謝を貰えたが、それを送りたかったのはそもそもこちら側だというのに……随分と、得をしてしまったように感じる。
「……すまなかったね」
故に切嗣は、鈴羽に謝罪を述べた。
「……何のこと? 衛宮切嗣」
唐突に放たれた言葉に、鈴羽はやや不審そうにこちらを伺って来た。
ただ、その顔はあの時から変わらず、心なし暗い影を差していた。
「……織斑千冬のことさ。君にばかり嫌な役を押し付けてしまった」
つまるところ、憎まれ役を。
聖剣を失ったとは言え、自分達にはセイバーがいる。故に千冬の申し出をユウスケの同伴を条件に認めた切嗣だが、その理由が眉を潜めるような代物であったことは認識している。
ISを放置してきたという千冬が、その状況下で被った精神的ダメージは想像するに余りある。そんな彼女の前で、ユウスケがセシリアの遺体から物品を奪い取ることができなかったのだろうということも。
しかしそれでも、愚行は愚行だ。自分達や、その他の参加者まで危険に晒す危険性があるとすれば、笑って許されるようなことではない。
それを糾弾する役を担ってくれたのが、鈴羽だった。
その役目は、不和を被る危険性がある。無論、彼らがそのことで恨みを持ったとしても、引きずるような人間ではないと切嗣は信じている。それでも、怪我人である切嗣が負うリスクを少しでも減らそうとしてくれたのだと、切嗣は鈴羽の献身に感謝していた。
「そんなんじゃないよ……いや、確かにそれもあるけど」
だが……返って来た答えは、予想とは異なった物だった。
「衛宮切嗣。あたしもね……父親が、ここで死んだんだ」
衝撃の告白は、切嗣の脳に空隙を与えていた。
「だから、弟を亡くしたっていう織斑千冬の悲しみは共感できる。その級友の暴走っていうのも、父さんの仲間……ラボメンの誰かがもし、って考えたら……彼女がどんな心境だったのか、あたしにも想像はできるんだ。
だから、あたしが言いたかった。それだけだよ」
責務を果たせていなかったことを当人が自覚しているのなら。既に散々泣いた後に甘えを許すのはチームのためにも、本人のためにもならないと。
千冬にも、それこそユウスケにも。早い段階でその咎を糾弾する者が必要だったと、鈴羽は判断したのだろう。
引き返すまでに時間をかけず、置いて来た物を背負い直して、歩いて行けるように。
「そうか……それは失礼した」
謝罪の後、切嗣は付け足した。
「きっと、通じてるさ」
「……どうだろうね」
返答は、どこか重たい。
鈴羽の表情が沈んでいたのは、つまりそういうことだろうか。
「阿万音鈴羽。僕にも、娘がいるんだ」
ふと、口を衝いて言葉が出ていた。
「だけど、色々事情があってね。もう長い間顔も合わせていないし、連絡の一つも取れなかった。もしかしたら僕も、彼女には死んだと思われているかもしれない」
自身がどの時間軸に帰還するのか、よくよく考えてみれば確証はない。
肉体年齢通り、聖杯戦争中になるのかもしれない。しかし精神と同じく、それから五年の後なのかもしれない。
仮に後者だとすれば、自身にとってだけでなく――イリヤスフィールにとっても、もうずっと放ったらかしにされている状態かもしれない。
「ただ、仮にそう思われているとしたら。あの子――イリヤも。君のように強い決断をしながら、誰かを本当に想いやれる娘に育っていてくれたらと、僕は父としてそう思うんだ」
本心ではある。しかしアインツベルンの魔術師どもに囲われている以上、その望みがどれほど薄いものであるかは、切嗣は重々承知している。
それでも敢えて、口にした。すべきだと思った。
「……それだけだよ」
最後に付け足した切嗣の様子を見て、少しした後……鈴羽は淡く、微笑んだ。
「思ったより、不器用なんだね」
名すら知らぬ男の心を、勝手に想像した切嗣に対し。彼女は、どうやら怒りは覚えなかったようだ。
「待たせちゃってるなら、早く迎えに行ってあげなきゃ駄目だよ。衛宮切嗣」
「ああ。もう、一分一秒だって無駄にはしないさ」
もう、あの娘には随分と待たせてしまったのだから。
再会に向けて。今は体が動かなくとも、できることはある。
切嗣はこれまでに集まった情報を再度精査し、方針の練り直しを始めることとした。
最終更新:2015年01月01日 23:57