そんなあなたじゃないでしょう(前編)◆z9JH9su20Q







 それは、もう……そして、たった半日前の記憶。
 桜井智樹と出会ってから、鹿目まどかを発見するまでの間に体験したとても些細な、そして彼女にとっては本当に大きな、出来事だった。






「……結局、誰もいなかったわね」
 スタート地点だったラジオ会館を出て、まずは近隣で地図に載っていた施設である秋葉原駅の中を探索した後。まどかとの行き違いに気づかず、成果を得られなかったことにマミは小さな嘆息を吐いた。
「そうだな。俺達は同じ場所からスタートだったのに……」
「他の人とも、私達みたいに簡単に合流できるわけじゃないみたいね」
 智樹の言葉を引き継いだ後。胸を抱くようにして腕を組み、顎に指を当てたマミは、暫し思索に沈んでみる。

 早々に智樹と出会えたのは、いくつもの意味で本当に幸運だったらしい。
 危険人物が間近に配置されていたよりはマシだが、少なくとも同じフロアどころか、距離の近い施設に何人も参加者が配置されているというわけではないのかもしれない。
 もちろん、状況が状況だ。グリードという魔女とは異なる怪物や、自分達魔法少女といった常識の埒外の存在が闊歩するこの会場内には、智樹のように何ら超常の力を持たぬ一般人もいるようで。そういった保護すべき人の中には、出歩くよりもどこかで息を潜めて危機をやり過ごそうとする者が居てもおかしくはない。
 だとしたらもう少し、せめて周辺のめぼしい建物の中で呼びかけぐらいは行うべきだろうか。一人だけならともかく、別の陣営である智樹と二人で声をかけていれば、警戒される可能性も下がるはず……

 そこまで考えたところで、マミは智樹が押し黙ったまま自分を見ていることに気がついた。

「――どうかしたの、桜井くん?」
「……ウヒョヒヒ――――いっ、いや、何でもございません! です、はい!」
 マミの問いに慌てて頭を振った智樹は、そのまま口笛などを吹きながらあらぬ方向に目を向ける。
 あまりにもわざとらしいはぐらかしに、察しをつけたマミはつい苦笑する。

 先程までの移動や探索の最中も、マミは智樹から視線が向けられるのを度々感じていた。
 説得に応じたとはいえ、ああも自暴自棄だったところを見たばかりでは、智樹も手放しで安心などできるはずがないのだろう。
 それで、今も己のことを気にかけてくれているのだろうかと思うと……マミは少しくすぐったさも覚えながら、胸の奥が温まるのを感じていた。

 でも、もしも智樹がマミの精神を不安視しているというのなら、それは心配ご無用というものだ。
 むしろ今は、かつてないほど――佐倉杏子に初めて「先輩」と呼ばれた時にも劣らぬほど、明るく充実した気持ちで、このソウルジェムは輝いている。

「いつかは今じゃ、ないものね」
 やがてマミは絶望して、魔女を産み落としてしまうかもしれない。
 だけれどそれは、本当に訪れるのかも定かではない、いつかであって。
 今この時は、マミはまだ――自分の正直な気持ちのために、生きて良い。
 今はまだ、魔法少女として皆のために戦っても構わない。その皆の中に、自分自身を入れたって。

 そんな風に欲張っても良いのだと、他ならぬ智樹が言ってくれたのだから。

「……マミ、何か言ったのか?」
 そんな気持ちは、意図せぬ間に声に出ていたらしい。
「いいえ。何でもないわ、桜井……っ」
 視線を戻した智樹に対し、またも若干の気恥ずかしさを覚えながら首を振ったところで――マミの脳裏を、ふとした考えが過る。

(……この呼び方じゃ、よそよそしいかしら?)

 智樹からはマミと、名前で呼ばれているのに――桜井くんでは少々、他人行儀過ぎやしないだろうか。
 折角、魔法少女ではなくとも、その自分を知る初めての友達ができたのに……これでは距離を置こうとしている、などと思われはしないだろうか?

 だったら……呼び捨ては気が引けるけど、せめて――

「……智樹、くん」

 ……なんて、呼んでみようかなぁ、なんて。

「……な、何だよ、改まって」

 ――思った時には、またも口に出してしまっていたらしい。

 訂正せず、そのまま続けてしまったせいか。フルネームで呼んだと思われて、意図したそれとはまるで逆の印象を与えてしまったらしい。

「あ……う、ううん、その……」
 上手く説明しようと、必死に己の中から冷静さを掻き集めたところで――マミは違和感に気づく。
(……私、鹿目さん達のことも苗字で呼んでるじゃない)
 なのにどうして、こんなことを考えたのだろうか……?
 その疑問を見つめると、何故か動悸がするほどの面映ゆさを覚えた気がして、一層困惑を深めながらも。マミは持ち前の精神力で、思考を続ける。

 ……きっと自分は、絶望の底から希望を見た感情の落差から、気持ちに落ち着きがなくなってしまっていたのだろう。
 それで突飛なことを考えて、更には心の声を留めておくこともできなかったに違いない。

 そんな浮つく心に気づいたマミは、そっと自戒を言い聞かせる。
 ――今は、紛れもなく殺し合いを強制された最中なのだ。
 なのに。こんな……ふわふわした気持ちになるなんて、不謹慎にも程がある。

「……他の人と合流してからにしようと思って、まだ詳しい話をしていなかったわね、って」
 そうして。軽い罪悪感を振り払うように、マミは新たな話題を口に出した。
「この調子なら、もうお互いの知っていることを紹介した方が良いんじゃないかしら、と思ったの」
 それで、まずはずっと苗字で呼んでいたから念のために名前の確認を……などと失敗に対する苦しい言い訳を挟んで、マミは智樹に言う。
「トモ……桜井くんは、魔女や魔法少女のことを知らなかったんでしょ? 参加者に、私の知り合いの魔法少女がいることも。
 逆に、桜井くんが知っていて私の知らない人や、不思議なことがあるかもしれないから……もしよかったら、桜井くんの知っていることを聞かせて貰えないかしら? 支給品のことだって確認したいし」
「あー、なるほど……」
 少し歩き疲れていたと頷いた智樹はそれを了承し、こうして二人は駅の一角で情報交換の場を設けることとなった。

「……未確認生物?」
「ああ。あいつらはエンジェロイドだか何だか言ってるけどな」
 やがて、その中で。智樹の口から、彼の知る超常の存在が明かされる。
 参加者の内、智樹の知り合いは四名。いずれも少女の姿をしているが、純粋な人間は一人だけで、残りは天使のような翼を生やしているのだとか。
 超音速の飛行能力を筆頭に人間とは比較にならない能力を持っていて、しかし人間と付き合うための常識が欠けており、故にいつも自分は彼女達には振り回されているのだと愚痴を交えて智樹は言う。
 しかし機械に強いニンフや、単純に戦闘専門のイカロスアストレアと合流できれば必ず頼りになる、と智樹は教えてくれた。

 ……そんな風に、振り回されていたという仲間達に全幅の信頼を寄せて紹介できるのも、偽りなく生きる彼だからなのだろうとマミは思う。
 果たして自分は、その不仲が密かな悩みの種となっていた後輩達を、智樹がしてみせたほど素敵に紹介できるだろうか。

「……まぁ」
 そんなマミの不安に気づいたわけではないのだろうが、智樹はふと、その表情に微かな陰りを見せていた。
「本当は、あんまりこういう時に頼りたくないんだけど」

 何気ないそれは、意外な告白だった。
 日常生活において迷惑を被っているからと言って、智樹が彼女達を敬遠しているわけではないことは、その様子を見れば明らかだったように思えたからだ。
 だから――疎んでいるが故の言葉ではないのだろうと、マミも直感的に理解した。

「マミと同じで、あいつらも結構優しいからさ」
 案の定、というべきか。
 智樹が紡いだのは、儚いものを慈しむような声だった。

「そりゃ、こんな状況で黙っていられる奴らでもないから、皆を守るために戦ってくれるんだろうけど……いくら強くたって、本当は誰とも戦いたくなんかないのに」
 神妙な面持ちで、どこか後ろめたそうに呟く智樹の姿に――微かな引っかかりを覚えながらも、マミは小さく首を振る。
「……それはきっと、イカロスさん達が自分で決めてすることよ」
 今の自分と、同じように。
 胸の内でそう付け足しながら、マミは力強く、励ますようにして、自らの想いを彼に伝える。
「桜井くんが気にすることじゃないわ」
 むしろ――少なくとも自分に関しては逆なのだと、マミは内心呟く。
 魔法少女という形でしか生きられないこの魂の存在意義を照らして貰えたことが、どれほどの救いであったのか――魔法少女ではない智樹には、彼自身が語った通り、知る術はないのかもしれないけれど。

 果たして――智樹は、納得した色を見せなかった。
「だけどそれって、結局はそういう状況だからで……何て言ったら良いのかな」
 言葉が見つからず、困ったように頭を掻いた後、彼は言い切る。
「とにかく、本当に自由に決められたことじゃない感じがしてさ……何か、イヤなんだよな」
 そんな智樹の、「イヤだ」という顔を目にして。
 先刻、マミを止めるために見せた力強い表情とは違う、そのどこか物悲しそうな瞳を眺めて。

 ――その視線が、ここにはいない誰かに向けて結ばれているのを、確かに見て取れてしまって。

(さっきは……そんな顔じゃ、なかったのに)

 使命感に燃えていたマミは、頭から冷水を掛けられたような気持ちになった。

 ――自分には、戦う力があって良かったと言ってくれたのに。
 マミと同じだというけれど、その誰かには、まるで。まるで、戦わない方が――

(……どうして?)
 そこでマミは、自らに訪れた変化に気づいた。
 どうして自分は……こんなにも、胸に痛みを覚えているのだろう――――?

「――――マミ?」
 そこで正気に返ったのは、智樹から驚いたような呼びかけを浴びせられてのことだった。
「どうしたんだよおまえ、またそんな顔して……」
「え――っ?」
 覗き込まれるようにして言われ、マミは弾かれたようにして一瞬、頭を真っ白にする。
 ……今。自分は、いったいどんな顔をしていたのだろう――?

「……悪い。そうだよな、ついさっきのことだったもんな」
 対して、智樹は独り言ちるようにして、謝罪の言葉を口にする。
「いつか魔女になるからとか、戦える力を持った魔法少女だからとか……マミだって、それが嫌になってたばっかだったのにな」
「そんなの……」
 別に――嫌になってなんか、ない。
 なって良い、はずがない。
 だって自分は――家族を、見殺しに……

「いくらマミが凄い奴でも、こんなすぐに思い出させるようなこと言われたら嫌だよな」
「……すご、い?」
 こんな、私が……?

 思わずオウム返しにしたマミに対し、智樹は一瞬きょとんとしながら――得心が行ったようにして頷く。

「ああ。だってお前は……きっと、俺なんかじゃわからないくらい辛い中でもさ」

 寸前の、悩ましげな表情とは違う――安心させるような、穏やかながらも力強い笑顔で。
 けれど確かに、智樹は戸惑うマミへとその視線を向けて、言ってくれたのだ。

「そんなのに強制されたことじゃなくて……ちゃんと、自分のやりたいことを選べたんだろ?」

 魔女という脅威を淡々と駆逐するだけの、心を殺した掃除屋などではなく――皆の幸せを守るために戦う、希望を運ぶ魔法少女として生きるという道。
 それを選べたのは罪滅ぼしや人恋しさだけではなく、人として当たり前に持っていた、内なる倫理から来る想いに応えられる強さがあったからのはずだと。

 暗にそう告げられて息を呑むマミに対し、智樹はその笑みを淡くして、なおも言葉を続ける。

「けど、それがお前のやりたいことだからって……お前だけでしなくちゃいけない、ってわけじゃないからな。
 これがあれば、俺でも戦いの手伝いくらいはできそうだからさ」

 ――結局ただの手段であったその力は、後に皆を巻き込みかけた目の前の危機を回避するために、彼自身が放棄したものの。
 懐から取り出した、先程二人で確認した“変身”を可能にするというカードデッキを手にして、智樹は言う。

「マミが辛い時は、俺も一緒に戦うぜ。ここにはイカロス達や、魔法少女の皆もいるんだし――もう、勝手に無茶はしなくて良いからな」



 ああ。嗚呼。
 そうだった。

 ――彼は私を、見てくれている。

 例え、両親を救えなかった過去があるのだとしても。
 例え、魔女になる危険を孕んだまま生きるのだとしても。
 例え、真実を知ったこの先、かつて魔法少女だった魔女を殺せなくなるかもしれないのだとしても。

 そんな、”いつか”ではなく――ちゃんと”今”の巴マミを見て、想ってくれているのだ。



 ――だけど。
 それが誰なのかは、わからないけれど。
 彼のその目が最初に向けられるのはきっと、巴マミではなくて――――



「……ありがとう、頼りにさせて貰うわ」

 智樹の申し出に対し。その時確かにマミは、穏やかな笑みを用意して応えた。

「魔法少女以外にできた、初めての仲間として……ね」

 ――そうだ。

「改めてよろしくね、桜井くん」

 ――うん、やっぱり。

(鹿目さん達と同じように、桜井くんって呼ぶ方が良いわよ……ね)
 まどか達と同じ仲間なのに、彼だけを気安く名前で呼ぶ理由なんてどこにもない。
 ここにいるのは皆であって。俺がいるから、とは――言い切って、貰えなかったから。
 そんな、まるで特別な存在のような、近しい間柄ではないのだから。

 ……だけど、それでも充分ではないか。

 仲間として、この過酷な殺し合いに臨む心細さを埋めてくれるだけで。
 失意の底から救ってくれたというだけで――彼が大切な友達である事実に、変わりはない。

 …………だから、このままで居よう。
 智樹の傍には、既に……他の誰かが、いるのだから。



 そんな密かな決意を秘めた笑顔の真意は、無事、悟られることもないままに。
 二人の間で行われた情報交換が終了したという、それだけの記憶――






 ――だったの、だが。

 今にして、思えば。

 相手のことを思って、自分を曝け出したまま歩み寄れる智樹に、いくら憧れても。
 嫌われることが怖くて、自分を偽ってしまい続けていたマミは、結局のところすぐには変われなくて――それ以上先へと踏み込む勇気を、持てなかったのだろう。

 だから――彼が既に築いていた関係に割り込んで、危うく嫌われてしまう可能性を生むよりも。
 このまま、いい友達で居よう、と――知らず知らず、一歩引いた場所で安住しようしてしまって。
 それからはずっと、ずっと。まどかや、怪我人や、主催者や、キュゥべえや。次から次へと、他にも目を向けなければならない大事なことがたくさんあったのを良いことに、意識しないようにして。
 でも本当は、まだ、少しだけ諦めきれていなくて。
 だからジェイクの時もカオスの時も、他の何よりも彼を守ることを優先していたのだ。
 …………あんなことを言って貰えた後でも、この手を血に染めることすら厭わずに。

 だけど結局、ある意味では目論見通りながら。
 己の欲望に蓋をしたマミは結局、智樹とは仲間の一員のまま、友達の一人のまま、終わってしまったのだ。



 ――そんな、自分にとっては初めてでも。臆病で寂しがり屋の女の子になら、その幕引きが悲惨であることを除けばありきたりのはずの過去を。

 雪玉のように転がり始めたばかりだった感情を、それ以上大きくなる前に自ら止め、忘れようと努めたその経緯を。
 きっと――あの時はわからなかった、自分が本当は行きたかった場所に居たはずの、少女の姿を遂に認めて。

 巴マミは……追憶せずには、居られなかった。






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 三層構造の都市、シュテルンビルト。
 その環縁を取り囲むように君臨する七大企業が一つ、タイタンインダストリー。
 その本社タワービルがそびえ立つちょうど真下の位置となる、中間階層(シルバーステージ)の一画に、巴マミとイカロスは居た。

「……やっぱり、ダメだったのね」
 ぽつりとマミが漏らしたのは、”オーズ”を名乗る人物によって執り行われた放送への感想だ。
 憎むべき仇(カオス)もだが――映司や虎徹、それから後藤も、メズールを退けて何とか生き延びていることは確認できた。
 故に、放送で呼ばれたマミの知る名前は……智樹や、まどかのような、その最期を直接目にした者を除けば三人分だけ。
 その一人、後藤から託された保護対象である牧瀬紅莉栖の死は、重く肩に伸し掛かってきている。
 また、守れなかったという事実を確かに胸に食い込ませながら。しかし今――置かれた状況のせいではあるのだろうが、マミの関心が最も向けられた死者は異なる人物だった。

「ニン、フ……っ!」
 マミと同じ死者を想ったのだろうイカロスが、絞り出すような呟きのその後に、膝を折ったのが聞こえた。

 伊達明には悪いが、映司から名前を知らされただけだった彼と、複数の人物から幾度となく話題に上り、合流を虎徹に頼まれていたニンフとでは、どうしても向ける意識の比重が変わって来る。
 ……元より死んでいるだろう、とは覚悟していた。
 彼女と虎徹が別れた場所に向かえと言われながら、感傷で行き先を違えた自分が言えることではないかもしれないが、それでも虎徹や……智樹のことを考えれば、予想の通りでもニンフの死が告げられたことは、やはり衝撃だった。
 事前に心構えができていて、なおかつ直接の面識がないマミでも得も言えぬ喪失を感じているというのに――イカロスは本来、ニンフとより強い繋がりを持っていたのだ。

 傍らで必死に瞼を閉じて、涙の溢れる衝撃に耐えようとする天使の姿を、マミは不思議な心境で見守っていた。



 ……出会った時は、自分を殺しに来たものとばかり思っていた。
 虎徹の情報が正しければ、今の彼女は記憶と食い違う全てを偽物と見ていて――最初に騙されたことから、そんな偽物の全てを破壊しようとしているのだと、思っていたから。
 しかしあの直後、イカロスはマミを害することなく、彼女にとっては偽物であるはずの世界の情報を求めて来た。

 その時。マミの中には、答えるべきなのかという逡巡があった。

 ――マミは、あまりにもイカロスのことを知らなかったから。
 智樹からは、心優しい女の子だと聞いていた。だけど悪意に翻弄された彼女の暴走も、マミは虎徹から聞かされていて。
 そして今目の前に現れた彼女の様子は、そのどちらとも食い違っているようで。
 遺体の一部すら残っていなかった智樹の死を、何故既に把握しているのかということも含めて……答えればどんな結果になるのか、まるで予想ができなかったからだ。

 なのに……あの時。



 ―――桜井くんは……カオスというエンジェロイドに、殺されてしまったわ



 気づけば、答えは自然と口から出て来てしまっていた。

 そんな己の返答に、誰よりマミ自身が驚いていた。

 ……映司に問われた時には、答えられなかったのに。
 イカロスを哀れに思ったから? 喋らなければ死ぬかもしれない、という恐怖から?

 ……前者はともかく、後者は違う気がする、と何となく思った。自分を綺麗に思いたいとか、そういうわけではなくて。
 ただ、それだけが理由であることは絶対にないのだろうと、マミは感じていた。

 ともかく、仇の名を知らされた天使は、更なる情報をマミに求めてきて。
 その問いかけで正気に返ったマミは、一先ず……文字通り完全にイカロスに命運を握られている状況を脱するべく、先に足場を要求した。
 イカロスはこの要求に気分を害することなく聞き届け、結果、被害の少ない足場を探した天使によって、来た道を半分ほど逆走したこの場所へとマミは連れて来られていた。

 それで、自分と智樹との関わりのことや、どういう状況で彼が殺されたのかということを説明し……まだカオスと接触できていないイカロスからの更なる質問に、先に逃がされたために事の顛末も仇の行方も知らないということを伝え。
 その直後に、放送が行われたのだ。



 そうして、ニンフの死を知って崩れ落ちるイカロスというのは、やはり虎徹の話から予想していた印象とは大きく乖離したものだった。
「仲直り……したかった、のに……っ!」
 その言葉を聞いて、マミは得心が行った。
 どういう経緯なのかは知らないが、イカロスは既に自らの抱いていた誤解に気づき、己の過ちを悟っていたらしい。
 自らが射ったニンフが偽物などではないということを、既に認識していたのだ。

 それで――自分がとんでもない過ちを犯したことを知って。
 贖うこともできないまま、最後に残っていた仲間と死に別れてしまったイカロスの感じる孤独は、如何ほどのものなのだろうか。

「……教、えて」
 そんな、悲しみに打ち震えていた天使は……震える背中越しのまま、不意に、マミへと懇願してきた。
「ニンフは……どこ……?」
 掠れるような声で……たった今、喪失を知ったばかりの仲間の行方を教えて欲しいと。
 死を認識できていないわけではないのだろう。ただ、本来マミはニンフとの合流を託されて戦場を離脱したという事実を、イカロスは既に知っている。
 だから、せめて亡骸だけにでも会いたいのだという願望だということは、マミにも理解できた。

 ……智樹は、それすら残っていなかったから。

「イカロス……」
「教えて……っ」
 半面振り返ったイカロスの懇願に、しかしマミが胸中で抱えていたのは葛藤だった。
 虎徹から伝えられていた脅威の理由は、おそらく、既に意味をなくしている。
 ――だが、キャッスルドラン周辺の惨状との関連性は未だ、不明なままだ。

「お願い……だから……」
「その前に、一つ聞かせて」
 問い質さねばならない――悲痛に歪んだイカロスの表情に、後ろ髪を引かれるような気持ちになりながらも、マミはそんな決意を固める。
「さっきの続きよ。キャッスルドランの爆発は、あなたがやったの……?」
 一瞬、引き攣るような沈黙。
 その後にイカロスは、やはり――こくんと、頷いた。

「どうして……!?」
 カオスと遭遇すらしていないというのなら、もう、そんなことをする理由はないはずだと――詰問するマミに、イカロスは悄然とした表情で答える。

「……ディケイド」
「えっ……?」
 イカロスの口から放たれたのは、ある意味予想できなかった名前だった。
「ディケイドに対抗するには……ああするしか、なかった」
 仮面ライダーディケイド――マミ自身も交戦経験のある、危険人物の一人。
 確かに、魔法少女並の戦力を持った者達を複数名相手に渡り合う強敵ではあったが――カオスの凄まじさを体験した後では、最強のエンジェロイドと呼ばれるイカロスが苦戦するほどのものだったという印象などマミにはない。
 ただ……振り返ってみれば、自分もカオスとの戦いで最大の力を発揮できたわけではなかった。彼にも何かしら、本領を発揮できない要因が存在していたのかもしれない。
 そしてその隠された実力は、イカロスに最終兵器の使用を決断させるほどの脅威であった……ということなのだろうか。だとすれば、昼間の自分達はとてつもない幸運に救われていたのかもしれない。

 ……それがずっと続いてくれていれば良かったのに、という思いが込み上げて来るのを押さえつけて。マミは念のための確認を続けた。
「彼は、あなたや他の誰かを殺そうとしていたの?」
「…………」
 無言のまま、果たしてイカロスは首肯で答え、マミも暫し黙考する。

 ディケイドの事情もはっきりとはしていなかったが、会話する意志もなく襲いかかってきていた彼と、元来の人となりやこの場で暴走した事情もはっきりしているイカロス。どちらに信頼できる要素があるかといえば、当然後者の方であって。あの惨状も、危険人物相手の正当防衛の末だという理由は納得できるものになる。
 ……ただ、自分が信じたいからというだけではないはずだと。マミはこれまでに得られた情報をもう一度脳内で網羅して、そのように結論する。
 少なくとも、イカロスに嘘をついている様子はないのだから。

「わかったわ……安心して。ニンフさんとタイガーはD-4で別れたそうよ……多分、あなたが巻き込んだ心配はないわ」
「……?」
「私は……その、言われた通りの方向には、行けなかったから」
 疑問符を浮かべたイカロスに、マミは己が反対方向から現れた理由を力なく伝える。

「タイガーと火野さんも、何とか無事だったみたいだし……きっと、ニンフさんのところに向かっているはずよ」
 実際のマミは反対方向に居るとはいえ、彼らがそれを知る由はない。
 マミが無事である、ということを放送で知った以上は、当初の合流予定地にいると考えるのが自然だろう。

「仮面ライダー……オーズ」
 こちらの言葉を受けてからイカロスが呟いた名に、マミが違和感を覚えたのは一拍置いた後だった。
 何故、天使の口から最初に漏れた名が、面識のあるワイルドタイガーではなく……何ら関わりがないはずの映司の、戦士としての名であったのか。
「その二人……なら、カオスの、居場所、も……」
 しかしその疑問を追求する前に、マミはイカロスの口から漏れた新たな名前に、意識を奪われる。

「……そうね。知っているかもしれないわ」
 まさか今も同じ場所にいる――などということはないだろうが、それでも彼らは考え得る唯一の手がかりだ。
 カオスが映司に憎悪を燃やし、執着していたことを考慮しても、急いで合流した方が良いだろう。
「――だから、一緒に行きましょう? あなたも」
 イカロスの前に回ったマミは、項垂れている彼女に手を差し伸べた。
 機動力の都合もある。共通の仇(カオス)に対抗し得る戦力を確保しなければという、打算的な理由もないではない。
 だけど何より。彼女をこのまま、独りぼっちにしたくはなかったというのが、マミの本音だった。

「タイガーはあなたの助けになれなかったことを気に病んでいたし、火野さんも心配していたわ」
 智樹も、まどかも殺されてしまった。ニンフも死んでいた。
 だけれど、まだ仲間はいる。
 胸に潜んでいた想いから智樹の安全を優先するあまり、彼らの掲げた正義を手折っても変わらず接してくれた彼らが――こんな自分達でも心配してくれる人達がまだ、いるのだ。

「あなたが居てくれれば、カオスにだって負けない――今からでも、二人を助けることができるはずよ」
 もしかすると……智樹はそれを、望まないのかもしれない。
 それでも、これまで聞き及んでいるイカロス自身の心境を考えれば――マミは、そう伝えるのが一番だと思った。
 彼女自身が傷つけてしまった虎徹を始め、智樹の仲間でもあった彼らを守ることが、きっとその心に感じている負い目を減らしてくれるはずだと。
 それができる、と――価値を認めて貰えることが、その傷ついた胸の内を癒やす力になるはずだと。

 しかし。
「……どうして?」
 イカロスは口を利かぬまま、弱々しくも、確かに。その首を、左右に振った。

「……タイガーを攻撃したことを、気にしてるの? それは確かに悪いことだけど、今なら彼もきっと許して……」
「……違う」
 そうじゃない、と――励まそうとするマミの言葉を、ようやく声を発してイカロスは遮った。
「私は……その二人を、助けられない」
「どうして? メダルが足りないの?」
 問いかけに首を振られたマミは、どういう意味かと発言を図りかね――次の瞬間、脳裏に走る悪寒を覚えた。

 ……何故イカロスは、虎徹ではなく映司に反応を示したのか。
 それも”火野映司”ではなく、”仮面ライダーオーズ”と認識して。
 振り返れば――智樹の仇を知る前、直に対面したその時から、彼女はカオスと映司の名に反応してはいなかったか。

 ――まさか。

「私は……仮面ライダーオーズも、排除しないと、いけないから。
 黄陣営の、優勝の、ために……」

 果たして――マミの危惧した内容を、そのまま口にして。

「もう一度……マスターと、会うために」

 一瞬だけ。優しい緑の双眸を、冷たい深紅へと反転させ。
 座り込んだまま俯いていた天使は、輝く瞳で覗き込むようにマミを見上げて――そんなことを、宣った。






      ○○○      ○○○      ○○○      ○○○      ○○○       ○○○






 弱り切った様子から、嘘を吐いている可能性はないだろうと……今思えば楽観的に、脳裏から疑惑を排除していたけれど。
 仮に、それが正しいとしても――全ての真実を語った証明には、ならなくて。

 イカロスが秘めた思惑を、マミは見抜くことができなかった。まんまと映司の情報を与えてしまった。

 しかし、ならばどうしてイカロスは……何故それを、マミに対して明かしたのだろうか。
 黙って一緒に行動して、肝心の映司達と合流してカオスの情報を掴んでから、本性をあらわにすれば良かったのに。
 まさか、嘘を吐くのは良くないことだから……なんて理由だけなら、罪もない誰かを傷つけることを肯定するはずもないだろう。

 恐怖と当惑とで掻き乱された思考が見出した疑問はしかし、イカロスが最後に口にした言葉を前にして、思考の隅へと追いやられてしまった。



 ――もう一度、智樹と会う…………?

「どういう……意味、なの……?」
 そこに、禁忌の匂いを嗅ぎとって。
 問いかける声は、思った以上に上擦ってしまっていた。

「優勝、して……全部。やり直す、の」

 マミの問いかけに、イカロスは割座の姿勢のまま、朴訥と口を開く。

 曰く、それは黄陣営のリーダー・カザリから提示された希望であると。

 優勝して会場から脱出し、その先に待つ真木達を倒し、彼らの保有する時間操作の技術を奪う。
 その力で殺し合いそのものをなかったこととし、あるべき日常の中で智樹達と過ごす――

 そのために――先程討ったディケイドのように、カザリにとって危険な相手を排除しているのだと、イカロスは語った。



「……そんなこと、桜井くんはあなたに望んでいないわ」
 話を聞き終えたマミは、まず――幾つもの葛藤を過ぎらせてしまいながらも、何とかそれだけは絞り出した。

 だけどそれは、たった半日程度でも――彼と行動を共にした身として、断言できることだ。
 例え、復讐を望んだ彼がそれを願うのは、エゴなのだとしても。智樹はきっと、彼の知る優しいイカロスが、その優しさに背くような真似を拒むはずだ。

 ……でもそれは、いくら確信していたところで、マミが想像する彼のエゴでしかなくて。
 結局――智樹の口から、直接イカロスに向けて告げられた言葉ではない。
 まして、マミにもわかる彼のことを、イカロスが承知していないはずがないのだから。

「それでも……これは。私が、自分で決めたことだから」
 故に、ふるふると首を振るイカロスには、届かない。

 智樹の願いが、他ならぬイカロスに裏切られるその瞬間に直面し――覚悟していたとはいえ、マミは胸が痛むのを止められなかった。

 ――きっと、イカロスにとっての智樹は。過ごした時間や、お互いに直接向け合った想いの大きさや……少し悔しくも感じるけれど、考えて見れば当たり前の理由で。マミにとっての彼よりもずっと、ずっと大きな存在だったのだろう。
 少し前のマミにとっての、理想の魔法少女という在り方のように。それを失ってしまっては最早、生きて行くことすらできないような……

 だから。例え、それが智樹の意に反することなのだと理解できても、止められるはずがないと――マミには充分、予想できていた。

 ――――それでも。

 智樹はあの時、マミのことを止めてくれた。助けてくれた。
 だったら今度は、マミがイカロスを止めなければならない。

「――あなた、は?」

 だから……

「やり直したい、って……思わない、の?」

 ……そんなことを、訊かないで。

 その質問が飛んで来ることを、無意識で予想して――故に会話を切り出すことを躊躇させていた、最大の要因。
 禁忌であることと引き換えに極上の魅惑を持つ選択肢が、猶予も与えられずにマミへと突き付けられていた。

 ――全てを、なかったことにしてやり直す。

 憎悪のまま、黒い欲望のままに振る舞っても。仇を討って存分に恨みを晴らした上で、支払った犠牲はチャラになる。
 智樹もまどかも、こんなところで負った悲しみとも、あんな惨たらしい最期とも切り離された上で、帰って来る。
 いいや、それどころかあの日の事故……両親の死さえも、時間操作の力があれば覆せる。

 もう……独りぼっちに、ならなくても済む。

 そんな悍ましくも甘美な未来が、イカロスに問いかけられる以前――話を聞いた時点で脳裏に閃いていた事実そのものに、マミは狼狽していた。

「わ、私、は……」

 ケシゴムみたいに、嫌なことだけを消せたら、どんなに笑えるだろうか。
 それでも――そのために、例え一時だけでも、誰かを犠牲にして良いはずがない。

 ない……はず、なのに。

 そんなことを口にする資格は、果たしてマミにあるのだろうか?
 もうとっくに、正義よりも私欲を優先していたのに――?

 他ならぬマミ自身が、心の中に覚えたその疑問を、退けられる確信がなかったからこそ。
 イカロスから投げられ、改めて対峙を余儀なくされた命題は、どうしようもなくマミを立ち尽くさせていた。

「あなたも……私と同じ、なら」
 そんな迷いを、見透かしたように。
「一緒に……行こう?」
 今度は天使から、手を差し伸べて来る。

 同じ陣営で、独りぼっちのマミに向けて。
 同じ男の子を好きになった女の子として、イカロスは仲間と見なしたマミを、自らの見出した希望へと誘おうとする。

「……っ!」

 ……わかっている、否定するのが正しいということは。
 わかっていても、それでも――そのための犠牲も含めて全部、やり直せるというのなら。

 もう、魔法少女じゃなくなっても、良いのなら――
 もう一度、家族と、友達と、彼と――仲良く、できるのなら。

 そのためなら、もうとっくに血に染まったこの手を、更なる罪に染めたって――

 辛くても、イカロスも居るから、寂しくなんか……



 ――――そんなの、絶対おかしいだろ……!



「あ……っ」

 もう一度会いたい、彼と。
 ただでさえ短い交流で、しかも積み重ねることを避けていた故に数少ない出来事を振り返ったマミの脳裏を過ぎったのは……そんな憤りから始まった、彼の言葉だった。

 あの時の彼は――傍から見ても絶望に蝕まれたマミの心を想って、救うために命まで懸けてくれた。
 人の心へ近づくことに物怖じし、失敗し続けていたマミは、そんな彼の勇気に憧れたのではなかったか。
 そんな彼は、肝心なところでいつも迷って、失敗してばかりだったはずのマミに、何と言ってくれたのだったか。

 ――――俺、お前が魔法少女で良かったって、今は思ってるんだよ

 ――――だってお前は…………ちゃんと、自分のやりたいことを選べたんだろ?

 魔女と戦い続ける者として生きるのは、辛いことで。
 だけど、誰かの命を繋ぎ止めたいと願ったのは、紛れもなく真実だった。

 贖罪のための単なる狩人ではなく、希望を運ぶ魔法少女として生きる道を選んだのは、マミ自身の欲望だった。

 だから状況に流されるのではなく……自分が本当にしたいことを選んで欲しいのだと、彼は見ず知らずのマミに涙してくれたのではなかったか。

「そう、よね……」

 それと、もう一つ。魔性の未来に揺さぶられていた、マミの脳裏を過ぎったのは。

 ――――どんなに悪い人だってやり直すことができるって、私はそう信じたいんです

 目の前でその機会を奪ってしまった、後輩魔法少女の理想だった。

 その希望を手折ったのは他ならぬマミ自身である以上、虫の良い考えであることはわかっている。
 だけどそこで意地を張ってしまうよりも、何を今更だと詰られることを恐れるよりも、その言葉にマミは、智樹に憧れたのと同じ勇気を見出した。
 ジェイクや、これまで葬って来た魔法少女達の成れの果ての血でこの手が染まっているからと言って……その罪を、言い訳にせず戦うための決意を。

 自分が、何をしなければならないのか――だけではなく。
 何をしたいのかと、向き合う勇気を。

「……ダメよ。私は、その手を取れないわ」

 意を決して、マミは返答を待つイカロスに口を開いた。
 微かながら、愕然という表情をしたイカロスに、マミは更に問いかける。

「それに……あなたも、本当はそんなことしたくないんでしょう?」
 マミの確認に、イカロスはビクリと身を竦めた。

 傍から見たって、今のイカロスが辛そうにしているのはわかる。
 智樹と離れ離れになったことだけではなくて……彼と再会するために覚悟を決めたのだとしても、誰かを傷つけるという行為そのものを、本当は優しい彼女自身が嫌悪しているのだということが。

 ……あの時の自分と、同じように。

 そうだ。イカロスを見て最初に感じたことは、マミ自身が罪を犯してでも願いを叶えるべきか否かとか、そういったことではなかった。

 ただマミは――泣きそうな顔をしているイカロスを、助けたいと想ったのだ。

 そんな己の気持ちとマミが向き合っていた間。同じ行為を終えたのだろう天使は、またも絞り出すようにして心情を吐露する。
「でも……そうしないと、もう……マスターと……」
「……そうね。私だってそうだわ。桜井くんとも、鹿目さんとも……皆と、また会いたい」

 独りぼっちになるのは、嫌だ。
 だけど同じくらい、自分とそっくりなこの女の子を、独りぼっちにはさせたくなかった。

 だから……彼女が諦めてしまうことを、マミは受け入れたくないと思った。

「でも、それが”いつか”叶うことだとしても……”今”の私はそのために、そんなことをしたくないの」
 してはならない、ではなく、したくない。

 あのやり取りの末、智樹に敗けを認めた時のように。
 義務ではなく、欲望としてそう感じたことが、紛れも無い事実であったはずで。

 マミがそんな気持ちを選べたことに、彼は安心してくれた。
 そして……彼女にも、それを望んでいたはずなのだ。

「桜井くんも、そう望んでくれたわ……もちろん、あなたのこともね」
 そんな智樹の想いを、もう一度。マミは伝えてみようと試みる。
 彼を、裏切りたくはなかったから。

「それしか道がないからって、本当は誰のことも傷つけて欲しくなんかない……あなたがそれを、望むはずがないからって。
 だからお願い。もうそんなことを考えるのはやめて?」
「私、は……っ」

 マミの言葉を受けて、今度はイカロスが二の句を詰まらせる。

 ……しかし、それが先程のマミの再現であるのなら。
 イカロスが下す答えもまた、それまでと変わりはしない。

「私は……マスターの、お傍にいるよう、命じられているから……!」
 その時の記憶に縋るようなイカロスの物言いは、マミに微かな痛みを与えた。
 やっぱりそうなんだ、と……少しだけ、場違いな悔しさを覚えて。
 そして、彼女はもう……頑なに、聞く耳を持ってくれないだろうということを理解して。

「そう……それなら」
 結局。本気のイカロスに言葉を届かせられるのは、智樹だけ。
 だから、マミが彼女にしてあげられることはもう、一つだけしか残っていない。
「――力づくで止めさせて貰うわ」
 その覚悟の宣言と共に、マミは魔法少女へと転身した。

 決意を載せた視線の先にいる天使は一瞬、その表情を悲痛に歪ませてから、耐え切れないように目を背けた。
 それから悄然として、「多分……」と続けられた言葉は、傲慢なようで彼女の優しさも表れたものだった。
「……あなたじゃ、無理」
「かもしれないわね。でも――あなたを唆した、カザリなら倒せるかもしれない」
 グリードの中でも、特に狡猾であると聞き及んでいるカザリ。
 しかしガメルの件を考えれば、彼が言うグリードも巻き込まれた被害者であるという主張は一考の余地があるのかもしれない。
 もしかしたら、イカロスに語った言葉も全てが嘘というわけではないかもしれない。映司に狙われていたのも真実である以上、保身に走ることまで咎めるのは酷かもしれない。
 だが、例えそうだとしても。イカロスの失意につけ込んで、こんな風に利用している以上――容赦してやるつもりなど、マミの中には毛頭ない。

「……ダメ。それはダメ」
 嫌々と、イカロスは頭を振る。
 彼女からすれば、カザリを失うというのは智樹と再会できる確率を下げてしまうということになるのだから。
「やめて」
 そんな懇願に、しかしマミは揺らがされることなく答えを紡ぐ。
「カザリが他の誰か――火野さんや他の陣営リーダーを犠牲にしないのなら、私だってやめても構わないわ。……でも、そうじゃないんでしょう?」
 マミの問いかけに、再び俯いたイカロスは沈黙する。

 グリードもまた被害者であるというのは、他ならぬカザリ本人の弁だ。
 そうでなくとも、既にグリードではない代理リーダーが、少なくとも二人以上存在している。
 もしも本当に、カザリに純粋な悪意がないのだとしても――黄陣営が優勝を目指していることを看過すれば、それらの犠牲が生まれることを見逃すことになってしまう。
 その片棒をイカロスが担がされることを、見過ごすことになってしまう。

 それは自らの望み欲することともう一度向き合ったマミが、選びたくないと思った答えで。
 智樹との再会を全てとするイカロスからすれば、避けて通るわけにはいかない選択肢だった。

 ……故に、それ以上は。二人の間に、会話をする余地はなかった。

 やがて。
「……カザリは、やらせない」
「あなたにだって、もう……誰も殺させないわ」
 再び瞳の色を反転させたイカロスに対し、バックステップで距離を稼ぎながら――リボンを編んで作り出したマスケット銃を携えて、マミもまた戦闘態勢に移行する。
「だって私は……魔法少女なんだもの」
 その意味を知らしめてくれたのが、智樹だった。

 同じ人を想うからこそ……お互い、これ以上は譲れない。

「モード・『空の女王(ウラヌス・クイーン)』……バージョンⅡ、発動(オン)」
 マミ達が行う魔法少女への変身のように、イカロスもまた衣を変え、髪型を変え、純白の翼を二対四枚の大翼へと巨大化させる。
「……制圧します」
 冷厳と告げるイカロスに対し、闘争の予感に跳ねる心臓の、到底軽やかとはいえない鼓動を感じながら。
 マミはゆっくりと、その手の中にある銃を、天使へと照準した。






 ――恐れない。彼のように。
 どんな反応が返って来るのだとしても、もっと踏み込める可能性があるのなら。見せかけの言葉でやり過ごすのではなく、相手の心に近づく答えを選ぶ。

 きっとそれが、マミがイカロスにできる一番の親切で――同じ男の子を好きになった、女としての意地だった。





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最終更新:2015年08月12日 22:56