「Feather and a scale (羽と鱗と)」
作者: SS 本スレ 1-200様
350 名前:オリキャラと名無しさん 投稿日: 2013/09/17(火) 00:28:05
以下注意事項
※世界観は剣と魔法のベタファンタジー
※片方はDQN、片方は元妻帯者設定。会話に女の話が出てきますので注意
※知り合って間もない頃のエピソードなので、801成分無し(ゴメンナサイ)
※長文、厨文章
----------------------------------------
「 Feather and a scale (羽と鱗と) 」
海の男は格好いい。という風潮は一体なんなのだろうか。
粗野で下品で知性の欠片もない、獣同然の連中ではないか。
憮然とした表情で、マルスは夜の帳が降りた海を眺めていた。
その船は、チェシュメの港から南のフルニまで、15日ほどかけて航行する貨物船である。
商船とはいえ、海賊対策の装備を備えた武装帆船だ。
本来一般人の客は乗せないが、出航前のちょっとしたトラブルを解決してやった事が縁で
まんまと潜り込んだのだ。もちろん、彼の為した「解決」が平和的手段であろうはずもない。
その腕を買われて、用心棒も兼ねている。
だがマルスは、出航してものの1日で後悔するはめになった。
船旅というものがどういうものか、まだ16歳の彼は知らなかったのである。
食堂では、今日も海の荒くれ者達が一同に会して馬鹿騒ぎが繰り広げられている。
男達の酒くさい息と体臭、ドロドロのニシンのシチューのにおいが渾然一体となって、
饐えたようなむっとする臭気が立ち込めている。
船酔いでもないのに胸が悪くなるのを感じ、マルスは逃げるようにして甲板に出たのであった。
暗い海を渡ってくる風は、昼間とはうって変わって冷たい。
だが今はその冷たさが心地良く、マルスは大きく伸びをした。
その様子を見咎めた見張り係が、頭上の見張り台から怒鳴りつける。
「おい用心棒、こんな時間に何やってる?」
「うるせえな、船酔いだよ」
そのわりには元気そうだが、特に怪しい事をしているわけでもない。
見張り係は面倒になったのか、小さく舌打ちしてそれ以上咎める事をやめた。
マルスは体を覆うマントを緩め、腰の鞄から乾燥させた無花果の実を取り出す。
小さく口笛を吹くと、闇の中を羽音が横切り、どこからともなく黒い影が舞い降りて来て肩に留った。
全身黒く、目だけが黄金色に輝く翼竜の幼生である。
固い果実を黒い子竜と分け合いながら、マルスはこの先の遠い道のりを思い嘆息した。
1年前、唯一の肉親である母親が事故で死んだ。
マルスはまだ15歳だったが、無条件の保護を受けられる年頃は過ぎている。
家業のパン屋は廃業となり、家と土地は地主の元へ還る事になった。
母がコツコツと貯めていた金も、なんやかやでほとんど持っていかれたようだが
大人達のやりとりにマルスが口を挟む余地は無かった。
残されたわずかな金で鎧と武器を作り、故郷の村を離れて既に8ヶ月。
土地のヤクザの用心棒や、飛び込みの傭兵や、懸賞金でなんとか食い繋いできた。
母が生まれたという国を目指して、その遺骨を携えて。
死んだ母の骨を祖国に埋める為、まだ成人もしていない息子が苦労を重ねて旅をする。
美しい話であり、事実彼は苦労してきた。時には事情を知り涙する者さえいた。
そして彼は学んだ。
年寄り達にこの旅の目的を打ち明ける。あくまでも暗くならないように注意しながら。
すると彼らは言うのだ。
「何の力にもなれないけど……せめてこれを、何かの役に立てなさい」
同情などまっぴらごめんだ。
などとは考えない。同情したければすればいい。
それに、せっかくの申し出を無碍にするのも悪いではないか。
そんな風に内心で舌を出しながら、年寄り達の善意をありがたく頂戴したマルスは
酒場で盛大にビールや葡萄酒をを煽るのであった。
回想と簡単すぎる食事を終えると、今度は鞄ではなく腰にぶら下げていた物体を取り出す。
甲板に出てきたのは、これを処分する為でもある。
生前の母から押し付けられた、一振りの剣。
否、それは既に剣と呼べる代物ではなかった。
元はかなりの長剣だったと思われるが、今は柄から先が1フィート程しか残っていない。
剣身は無残に破断して、ある種の鉱石のように鋭利に剥離した断面を晒している。
そもそもこれは本当に剣だったのか、それすらも怪しい。
全体はまるで腐れかけの臓腑のような、暗く沈んだ赤色。
柄と剣身の明確な境界が無く、溶岩のような半固形物を練り上げて固めたような、奇妙な形をしている。
材質は金属ではなく、しいて言えば骨や貝殻に近い質感だ。
とにかく、何やら呪物めいた不気味な雰囲気の漂う代物だった。
こんな使い道の無い怪しげな物をもらっても困るとマルスは何度も母に訴えたが、
持ち歩かなくていいからとっておけ言われ、渋々道具箱の奥に押し込めてあったのだ。
母が言うには、これは「父」の形見らしい。
生物学上のマルスの父が相当な手練の戦士だった事は、店の常連だった爺から嫌という程聞かされている。
この奇妙な得物はその父の命とも言える本命の武器だったそうだ。
だったらなお更母が持っておけばいいのにと思う。
マルスは父の事は全く知らないし興味も無いが、自分が存在するという事はそれなりに
「愛し合って」いたのだろうに。
しかしこんな煩わしいお荷物を抱えたままの旅もここまでである。
使い物にならない折れた剣なぞ持ち歩いても、荷袋の容量を圧迫するだけだ。
どうにかして換金できないものかと古道具屋などを回ったが、当然の事ながら鼻であしらわれるばかりだった。
母の骨と一緒に土に還すのが一番良いのだろうが、まあ仕方が無い。
遺骨では無いのだし、ここで放棄したところでカミサマも怒るまい。
とにかくここまでは一応運んできた事を、むしろ褒めてもらいたいくらいである。
さようなら、顔も知らない天国のお父様。
声にする事なくそう呟いて、マルスは赤い塊を甲板のむこうの闇に放り投げた。
それは回転しながら暗い海へと消え、後には水音すら残らなかった。
清々すると同時に、何となくあれが波間からこちらを伺っているような気がして、
マルスはしばしの間闇のむこうを睨む。
波の音と、頭上の信号旗がはためく音と、風を受けた帆柱が軋む音。そればかりが辺りに響く。
もちろんあれが浮かんで来て呪いの言葉を吐いたりする事は無かった。
緊張が解けた頭に眠気のモヤが下りて来る。
荷物も軽くなった事だし、こんな糞みたいな船での旅は終わりにして、明日からは自力で移動しよう。
目的地までに休息できる陸地がどれくらいあるかは分からないが、小さな島くらいはあるだろう。
今夜は休めるだけ休んでおくのが吉だ。そろそろ船室に――
と思ったその時。
肩に留った黒い竜の幼生が小さく警戒音を発し、マルスは反射的に背中の鉾槍に手をかけた。
「コラコラ、海にゴミを捨てたらあかん」
知った声が頭上から響く。蟠った闇に阻まれて姿はよく見えないが、殺気は無かった。
少しの安堵と同時に別な警戒が生じ、思わず左肩の相棒の無事を確かめる。
黒い子竜はマルスの肩の上で四肢を突っ張り、小さな牙を精一杯剥き出して闇の中の敵を威嚇している。
声の主は、最近マルスに小うるさく付き纏う男、フェイ。
遥か遠い東方の異国出身で、そのせいかクセのある喋り方をする。
船の乗組員でもなければ雇われたわけでもない、本来この船上に存在するはずのない者。
しかしマルスは驚かない。この男の神出鬼没具合は、これまで何度も目にしてきたからだ。
見張りは何をしていたのか知らないが、おそらく気絶でもさせられているのだろう。
その気配も察知できなかったとは不覚どころの話ではない。
歯噛みしながらも警戒の態勢を崩さず、マルスは応じた。
「…また出たのかヘビ野郎、お前も海に放り込まれたいか?」
「やれるもんやったらやってみろ、ジーロウ(鶏肉)。
この海風でおマエ、そろそろええ具合に塩味が付いたのとちゃうか?」
――暫定的な沈黙。
空を覆う暗雲が足早に流れ、雲の残滓を絡ませた月がゆっくりと姿を現す。
その光が、闇に沈んでいた船上の光景を浮かび上がらせた。
武器に手をかけ臨戦態勢のマルスに対し、フェイは帆桁に腰掛けて両足をぶらつかせ、
暢気に、鷹揚に構えている。
月明かりに焙り出されたその姿でまず目に付くのは、風になびく豊かな長髪。
上等な絹糸よりなお白く艶やかな光沢のそれは、先端に近付くにつれ緩やかに色付いて
末端では鮮やかな菫色となる。
昼間に彼を目にした者なら、その瞳も髪の菫と同じ色である事に気付くだろう。
それらと同系に揃えた色調の服には、色とりどりの糸で伝説の神獣の姿が刺繍されている。
全体の風貌はマルスと比べやや大人びてはいるが、それは肉体の成長段階というより
彼を育てた環境を表しているかもしれない。
秀麗と言って差し支えのない整った顔立ちだが、それ以上に印象的なのが
あり余る生命力に裏打ちされたその表情である。
悪戯が発覚するのを待ちわびる子供のような、無邪気な確信に満ちた笑顔。
その垂れ流しの稚気が、船旅でささくれ立ったマルスの神経を否が応にも逆撫でする。
緋と金と菫、六個三対の視線が交錯する事数十秒。
沈黙は言葉によらず破られた。
瞬きする程の時間、マルスがわずかに身を縮めたのが合図だった。
肩に留った子竜が素早く飛び立ち、同時に黒影が跳躍する。
それと同時に抜かれた鉾槍を手に、重力の拘束を無視するかのように下から上へ。
帆柱とそれを支えるシュラウドを交互に縫うように蹴り進み、あっという間に18ヤードの高さまで達した。
それを迎える白影は、だが全く動じない。
無謀に突っ込んでくる黒影を、むしろ楽しげに見つめていた。
あっという間に数秒前の位置関係が逆転し、今度は相手を頭上に仰ぎ見る。
月光を背に受け輪郭だけを青白く切り取られたマルスは、手にした鉾槍を振り上げて
その不気味な紅玉の瞳を殺気で一層紅く燃え上がらせた。
薙がれる鉾槍。
既に幾人もの血を吸った白刃が、次なる獲物の首筋めがけてうなりをあげる。
その凶暴な風圧は獲物の頬を掠め、幾筋かの絹糸の髪を弾き飛ばす。
そしてフェイの身体がぐらりと後ろへ傾いだ。
だが手応えは無い。刃は新しい血に濡れていない。その顔は相変わらず楽しげに笑っている。
大気そのものを切り裂くような音と共に、鉾槍は振り抜かれた。
死の顎を紙一重でかわしたフェイと、紙一重で仕留め損なったマルスとが、
自由落下に入るその刹那。嫌な予感に頭を打れたのは、マルスの方だった。
―――波の音に混じって、不気味な音が辺りに響く。
巨大な鳥が羽ばたいているような音は、マルスの背後から発せられていた。
いや、羽ばたいているような音、ではない。
実際に、マルスは羽ばたいていた。
再び甲板上に戻ろうとしていた彼の身体が、空にそのまま留まっている。
その背中には、黒と緋、二色の羽に彩られた巨大な翼。
月光に照らされて艶光りするそれは、美しいというよりは禍々しくどこか不吉で、
見た者に凶事をもたらす有翼鬼を連想させる。
後ろにのけぞって鉾槍をかわしたフェイは、完璧な後方宙返りの姿勢から
ほとんど足音も立てずに甲板に降り立った。
「ようかわしたなあ。相変わらず勘だけはええみたいやな、ジーロウ君」
数秒前の事。
死の顎を紙一重でかわしたフェイと、紙一重で仕留め損なったマルスとが、
自由落下に入るその刹那――
腰掛けた帆桁を軸に後方へ身体を傾けながら、フェイは思い切り両足を跳ね上げた。
その爪先が、黒い鎧に包まれた身体を捉えようとした瞬間。
天性の勘でその気配を察知したマルスは、翼を広げて虚空に留まり、危機を回避したのである。
そのまま落下に身を任せていたら、フェイの強烈な蹴りをまともに浴びて
甲板に叩き付けられていた事だろう。
フェイが着地する瞬間を狙わなかったのは、彼の尋常ならざる身体能力と未知の体術を警戒しての事か、
それとも単に詰めが甘いだけか。
だが結果として、それは正しい判断となった。
帆桁に舞い降りて翼をたたんだマルスの元に、黒い子竜が戻って来る。
再び柱の上と下とに分かれた二人は、たっぷりと数分間視線を交えた。
だがやがてフェイの方が構えを解き、今度は頭上にマルスを仰ぎ見ながら尋ねる。
「おマエ、さっき捨てたガラクタな。あれ、どうやって手に入れた?」
「そんな事聞いてどうする?」
「どうもせん。ただどうやって手に入れたか聞いてるだけや」
「……テメェには関係ねぇ」
予想通りの反応に、フェイはフンと小さく鼻を鳴らした。
「…じゃあ話すけどな。オレには兄貴が四人おったんや。そのうち二人は殺された。
殺した奴はお前と同じ、背中に羽根が生えとった。血ィみたいな真っ赤な羽根で、真っ赤な鎧着て…
二人がかりで、竜体に変化しても敵わなかったんや。
オレはまだガキで、震えながら見てる事しか出来んかった。
あれはほんまに悪魔そのものやった。炎を纏った悪魔や。一生忘れへん」
そこで一旦言葉を切り、マルスの反応を見る。
それで?とでも言いたげな顔をしているが、言葉は無い。フェイは先を続ける。
「そいつはな、赤い剣持ってた。おマエが捨てたアレ、臓物みたいなけったいなやつ。
あれにそっくりやったわ。もっと長かったけどな」
「…知らねぇよそんな奴。仇討ちしたいなら他を当たりやがれ」
「……話したくないか。ならええ。
アダウチちうのは復讐の事か?兄貴達が死んだのは弱かったからや。仕方あらへん。
復讐するつもりは無いわ」
分かった風なフェイの言葉に、マルスは眉間に深い皺を寄せた。
「フン、じゃあ聞くが。
テメェの女房とやらはどうなんだよ?弱かったから喰われた、それだけだろうが。
兄貴達が死んだのとどう違うってんだ?」
女房という言葉に、フェイは眉を跳ね上げた。
「おマエはアホか?同列で考える事とちゃうやろが。
女は戦う力を持っとらん。そん代わり、子を産む痛みに耐える力を持っとるんや。
男は女と子供を守る。女は子孫ちゅう希望を未来に繋ぐ。
女子供はな、財産なんや。財産を奪う者は排除するのが当然の事やろうが」
「こんな遠い国までわざわざやってきて、か?
留守の間に残してきた財産に何かあったら本末転倒だろうによ。
テメェはさっさと女房新調して、自分の国に篭って、ガキのお守りでもしてりゃいいんだよ。
それに、その竜は殺したんだろう。ルゥルゥは関係ねぇはずだ」
「いいや、関係ある。
あいつは女房の腹の中の子供を、生きながらにして喰ったんや。
絶対に許さん。あいつの子々孫々に至るまで、一匹残らず殺すと誓ったんや」
「何を根拠に、ルゥルゥがそいつの子孫だって言ってるんだテメーはよ」
「前にも言ったやろが。そのクソチビの羽根に浮き上がってる文様、それが証拠や。
あいつの血を引く個体にはな、全部その印が付いとるんや」
ルゥルゥと呼ばれた黒い子竜の羽根には、皮膜の部分になるほど不明瞭ではあるが
確かに人工的な幾何学模様が浮かび上がっている。
妻を庇って自身も重い傷を負ったフェイが、来るべき復讐の時に備えて渾身の力でかけた術の成果であった。
牙を剥いてうなる子竜を忌々しげに眺めながら、フェイはあらためて深い溜息をつく。
「まったくなぁ。女房の仇のガキを連れてるだけやなく、兄貴達の仇の縁者とはな。
そういやどことなく似てるなおマエ、あの悪鬼みたいな男に。
多分親子か親戚か、そんなとこやろ?
…あー益々腹立ってきたわ。ほんま羽族ちゅうのにはロクなのがおらん」
「ならどうする。ここで決着付けるか、ウロコ野郎」
「は、おマエなあ。さっきはオレがわざと見逃してやった事忘れんなや?」
月が再び雲海に没し、船上は闇の帳に覆われる。
闇の中ならば、夜目のきくフェイが圧倒的に有利。だが今のマルスは空を制している。
フェイの身体能力は凄まじいが、飛行能力は無いはずである。
はたして――
「オイそこの、何だテメェは!」
便所にでも行く所だったのだろう、船室から出てきた赤ら顔の男が、甲板上の見慣れぬ白影を見咎めた。
幸いと言うべきか、掃き溜めの鶴のごとき異相のフェイに気をとられ、頭上の黒影には気付いていない。
マルスは自身の翼について殊更隠しているわけではないが、金蔓にしようとたかってくる蝿どもがうるさいので、
不必要に人目に晒す事は避けていた。
特にこの船の乗組員のように、人外と接する機会の少ない一般人に見られるのは面倒だ。
マルスの背中から、黒い翼が瞬時に消え失せる。
「何者だ?海賊か?」
ナイフを抜きいきり立つ男。
異変に気付いた数名の仲間も、ドヤドヤと踏み込んで来る。
片付けるのは容易いが、一応無辜の市民達である。無闇に殴り倒すのはフェイの信念に反する。
とはいえ、何らかの対策をしない事にはむこうから噛み付いてくるだろう。
羽虫の巣にいるようなものだった。脅威は無いが、群れて騒がれると煩わしい事この上無い。
そうなれば、とるべき行動はただひとつ。
「…しゃあないわ。
おいアホウ鳥、続きはこの次や。それまで待っとけ」
三十六計逃げるに如かず。
そう宣言するやいなや、マルスの返事も待たずに床を蹴って後方へ跳び上がる。
宙で一回転して船べりを飛び越え、フェイはそのむこうの夜の海へと消えた。
「………あの野郎!カッコつけて跳んだはいいが落ちやがった!!」
「馬鹿な野郎だぜ!!!」
「このあたりは鮫が多いからな、助からんだろうよ…しかし傑作だな!」
甲板上に姿を現した数名の水夫達は、一瞬の沈黙の後、膝を打ってさんざめく。
そのうちの一人が帆桁上のマルスにようやく気付いた。
「おい用心棒、猫みてえにそんな所に上ってどうした。さっきのに怖気づいたのか?」
「役立たずな用心棒だなぁ、え?俺らが来て助かったな!」
自分達が命拾いした事も知らずに、男達はゲラゲラと笑い合う。
その時だった。
どおんという凄まじい衝撃と共に、船べりのむこうの海面が、白い飛沫をあげて爆発した。
まるで見えない巨大な手が船の横腹を押したようだった。
甲板が大きく傾き、荒くれ者達は素っ頓狂な声をあげて転がった。
帆桁の上に立っていたマルスは巧みに姿勢を変えながらバランスを保ち、何とか落下を免れる。
そして見たのだ。
巨大な蛇が、水柱となって空に昇って行くのを。
いや、それは蛇などではない。水煙に霞むその身体には、鋭い爪を持つ四肢があり、
頭には角があり、長い髭がある。
あれはそう、竜だ。
ルゥルゥのような翼を持つ竜とは違う、東方の竜。
雲間からわずかに漏れる月明かりを反射する鱗は、色までは判別できない。
だがマルスは直感的に、菫色だと認識した。昼間に陽光の下で見れば、
きっと紫水晶のように輝いていることだろう。
空に向かって上昇した竜が、その長大な身をくねらせて船の方へ戻って来る。
「ば、化け物…」
「ひいィィ…お助け…!」
「落ち着け!総員戦闘配置に着け!」
甲板上に転がっていた男達は、普段の威勢はどこへやら、こけつまろびつ悲鳴を上げて逃げ惑う。
他の船員達もかけつけて、今や船上はパニック状態だった。
マルスはルゥルゥをマントの下にもぐり込ませ、鉾槍を構える。
奴の狙いはルゥルゥなのだ。今の状況なら放さずに自分を盾にした方が安全だ。
真っ直ぐにこちらへ向かって来る敵の眉間に狙いを定め、鼻面に飛び乗ろうと身を縮めたその時。
竜の口が突然、かっと大きく開かれた。
そして咆哮がほとばしる。
大気がビリビリと振動し、水夫達はいよいよ腰を抜かし、マルスは鼓膜の痛みに思わず一瞬目を眇めた。
その瞬間。
ごうと吹き抜ける突風に、マルスはあやうく吹き飛ばされかける。
身を低くし、ルゥルゥが飛ばされないように脇に抱えて、どうにかその場に踏みとどまった。
長大な竜の身体は、マルスを無視して風と共に彼のすぐ横を通り過ぎて行く。
「ヘビ野郎……!」
竜は再び空に向かって上昇すると、人間どもの卑小さを嘲笑うかのように悠々と船の上を一巡りし、
南の方へ消えて行った。
甲板上では怒号が飛び交い、パニックが続いている。
*****
強い日差しが、マルスの黒い鎧を容赦なく照り付けている。
民家はおろか木の一本も無い、小さな小さな名も無き島。
海面にせり出した岩場に腰を下ろし、マルスは釣り糸を垂れていた。
火をおこす準備もしてあるが、成果は芳しくない。
傍らではルゥルゥが、日光の直射を避ける為にマントをかぶせられてうずくまっている。
その頭を撫でてやりながら、マルスの意識は巻き戻された昨夜の船上にあった。
迫り来る竜の巨体。その体がおこす突風の中で、彼は見た。
菫色の眼が、こちらをじっと見ているのを。
表情は無い。だがその眼は語っていた。
今日のところは見逃してやる。また来るから待っていろ、と。
来るなら来い。ルゥルゥは必ず守る。
仇だか何だか知らないが、大切な者を守れなかったのは紛れも無くそいつの責任なのだ。
果たすべき時に果たせなかった事を後から成し遂げたところで、それが何になるというのだろう。
ましてやその子孫を標的にするなど、的外れも甚だしい。
たとえ昨夜のように竜身に変化しようとも、そんな奴に負けはしない。
フェイは自ら言っていた。兄貴達は二人がかりで、竜身に変化してなお、赤い翼の男一人に敵わなかったと。
ならば出来るはずだ。そいつがどれ程強かったか知らないが、自分に出来ない道理は無い。
その一方で。
太陽の下であれを見たいという感情が頭のどこかにあるのを、マルスは自覚できない。
長大で雄大な体躯と、紫水晶のように輝くであろう鱗。翼も無しに天空を舞う力は、果たしてどこから来るのか。
来るなら来い。何ならば今すぐにでも。
何度も空を見上げてしまうのは純粋な警戒心のせいだと、マルス自身は信じて疑わなかった。
【end】
---------------------------------------------------
以上、長くなりましたがお読みいただきありがとうございました
フェイの大阪弁ですが、筆者は関西出身ではない為ネットで調べて書いています
それでも間違い等多々あるかと思いますので、ご指摘あればお受けします!
最終更新:2013年09月22日 14:11