うつろ舟――――
享和三年亥八月二日常陸国鹿嶋郡阿久津浦小笠原越中守様知行所より訴出候に付早速見届に参候処右漂流船其外一向に相分り不候に付
光太夫ェ遺候由之紅毛通じも参り候へ共相分り不申候由ウツロ船能内年能此廿一二才ニ相見ェ候女一人乗至て美女之船の内に菓子清水も沢山に有之
喰物肉漬能様成品是又沢山に有之候由白き箱一ツ持是ハ一向に見せ不申右の箱身を放さす無理に見可申と候ヘハ甚怒候由
船惣朱塗窓ハひいとろ之大きさ建八間余横十間余
右ハ予御徒頭にて江戸在勤のセつ能事之江戸にて分かり兼長崎へ被遣と聞しか其の後いつれの国の人か分かりや聞かさりし
――――駒井乗邨/鶯宿雑記 14巻 常陸国うつろ船流れし事
○
「なんか、とんでもない人でしたね……」
箱詰めになってブツブツと独り言しか喋らなくなった京極をこりゃもうダメだと部屋に残し
より広い、椅子とテーブルのある食堂のような部屋にやってきた
時田刻の第一声がそれだった。
「
京極竹人……かなり変わった人間みたいね」
「本当に、とんでもはっぷんですよ」
セスペェリアの言葉に、刻は頬を膨らませながら椅子に腰掛ける。
最初は落ち着いているかと思ったら、突然興奮して演説をぶち始め
急に様子がおかしくなったかと思うと、自分の身体を箱詰めにしろと言い出す
そして言う通りに箱に入れたら……会話が通じなくなった。
わけのわからない人物である。
刻が今まで出会った人の中で、間違いなくトップレベルの奇人だ。
ループの中で出会った
一ノ瀬空夜という時空の放浪者も不思議な人だったが
京極は彼とは別のベクトルで不思議である。不思議というより不気味である。こわい。
最初に襲ってきた時点でまともじゃないと言われればその通りかもしれないが――
(予想以上に、厄介な人だった……)
そんな事を思って、刻は小さく溜息をついた。
「ならば、あんな厄介な人間はここに置いていく?」
「そ、そんなこと出来ませんよ!
京極さん、早く正気に戻ってほしいですけど……あ、でもずっと箱詰めになって貰ってた方がむしろめんどくさくないかなあ……」
刻はうむむと考える。いつ発狂するか分からない状態で京極にウロウロされるより、箱に入れたまま台車で押していった方が遥かに楽かもしれない。
「――刻、あなたは怖くないの? 自分を殺そうとした男と一緒にいるなんて」
テーブルの真正面に座るセスペェリアが問いかけてくる。
呼び方が名字から下の名前に変わっているのは、親密さの増した証拠だろう。
彼女の瞳は、刻の目をまっすぐに見つめていた。
刻は思わずドキリとする。
セスペェリアの艶やかなブロンドの髪、均整のとれた端正な顔立ち、そして金色の瞳。
ゾッとするくらい美しいその顔で見つめられると、相手が同性にもかかわらず
刻はクラクラするような、ゾクゾクするような、何だかヘンな気分になるのだった。
彼女の本当の姿はスライム状の生命体だと頭では分かっているのだが、ドキドキする心はどうしようもない。
えーと、と刻は慌てて自分の中の雑念を振り払う。
「そりゃあ、急に様子がおかしくなった時はちょっと怖かったですけど……
でも京極さんは体を縛られてるし、武器のアイスピックは私が預かってるし
それに……セスペェリアさんがいてくれましたから。だから平気です」
刻は笑顔でそう答える。本当はちょっとどころではなく怖かったし、半ば空元気だったが。
その答えに、セスペェリアも菩薩像のような微笑みを浮かべて返した。
「
ワールドオーダー……あの男が言っていた放送まで後2時間もないですよね。
それまで京極さんはそっとしておきましょう」
「そうね――後2時間。……ねぇ、刻」
ふと、セスペェリアは女神像のような顔を翳らせ
愁いを含んだ儚げな表情を浮かべた。
「私は――本当にこの鉱山内にいていいのかな?
もし
剣正一たちが追ってきたら貴女たちにも迷惑がかかるわ。やっぱり私はいないほうが……」
「そんな!何も悪いことしてないのに、セスペェリアさんが逃げる必要なんてありませんよ!」
先程とはうって変わって弱々しい貌を見せる宇宙の美女を、刻は必死で励ます。
そう、セスペェリアは最初に配置された研究所で不幸な誤解を受け、剣正一なる人物とその仲間たちに追われて
命からがらこの鉱山に逃げ延びてきたのだ。刻はそう聞かされている。
「誤解されたままにしておくなんて、絶対によくないです!
大丈夫、剣って人たちは私が説得しますから!」
聞けば、剣という人は警察に捜査協力する事もある有名な探偵らしい。
そんな人であれば、普通の人間である自分の説明なら聞き入れてくれるだろう。
少なくとも自分の言うことを言下に切り捨てるようなことはするまい。――刻はそう予測していた。
むしろこのまま誤解を放置して、それが他の参加者たちの間に広がったほうが拙い。
刻はそう言って不安がるセスペェリアを説得し、とりあえず第一回の放送までは鉱山で追ってくる研究所の者たちを待つことにしたのだった。
――尤も、研究所にいた参加者が追ってくるかもしれない、というセスペェリアの懸念は杞憂だった。
セスペェリア自身は電気信号変換装置を使って受話器から逃げる所を目撃されたと思い込んでいたが
セスペェリアを追っていたミルファミリーが見たものは、行き止まりの部屋の中に受話器が転がっている光景だけだった。
電気信号変換装置の存在を知らない彼らは、いまだにセスペェリアの逃げた先と電話が繋がっていた先を結びつけて考えてはいない。
…………少なくとも今のところは。
「ありがとう、刻。
――人間が皆あなたのように優しい人だったら、私も正体を隠さずに生きていけるのにね……」
セスペェリアの悲しげな微笑みに、刻の胸は締めつけられるように痛む。
彼女が何故この地球にやって来たのか、その一部始終は京極が目覚めるまでの間にすでに聞かされていた。
セスペェリアの故郷はレティクル座にある惑星で、彼女は故郷の星からUFOに乗って宇宙を横断する旅をしていたそうだ。
しかしちょうど地球の引力圏内を通過している時にUFOが故障してしまい、地球の引力に引かれたUFOはロズウェルという町に墜落してしまった。
地球の科学ではUFOを修理することができず、そのうえMIBやMJ6といった闇の組織から調査対象として身を狙われた彼女は
やむを得ず人間に擬態して人に紛れて暮らすことで、闇組織の魔の手から逃げ回っていたのだという。
見知らぬ星で遭難して、しかも遭難中にこんな奇禍に巻き込まれるなんて。
刻は俯いている不幸な異星の佳人の横顔を見つめる。
なんとしてもこの人の誤解を解いて助けなければ。
儚げな横顔を見ていると、そんな気持ちにさせられる。
刻にとって彼女は命の恩人であり、そしてループから抜け出したこの未知の世界で出会った初めての仲間なのだ。
それにしても――
セスペェリアの話を聞いてから、刻にはどうしても気になっていることがあった。
「あの……UFOを作れるってことは
セスペェリアさんの星って、やっぱり地球よりも科学が発達してるんですよね?」
「ええ……確かにそうだけど……」
ひょっとしたら、地球より進んだ科学の星からやって来たこの異星人なら
彼女の抱えている『問題』を解決する方法を知っているかもしれない。
「じゃあセスペェリアさんも私たち人間以上の科学知識とか、持ってるんですか?」
「そうね、まあ多少は……」
「それじゃあ――」
刻はゴクリと息を飲み込んでいた。
「同じ日を何度も繰り返す――
同じ時間が何回もループする現象って……知りませんか?」
○
「――つまりこういうことね。貴女の友達が、同じ一日を563回も繰り返す現象に遭遇した。と――」
「はい!なんでループするのかとか、なんでその日なのとか、そんなことは全然分からないんです。……分からないらしいです」
刻が気になっていたこと……それは、自分が陥った時間のループ現象について
宇宙人のセスペェリアなら何か知っているのではないか。という期待だった。
正直に自分自身の出来事として話すと、自分まで××××扱いされるかもしれないので
友達の身に起こった出来事を聞いた――というフウを装って話す。
彼女自身、今まで時間のループ現象から脱出する手立てはないかと、八方手を尽くしていろいろと調べてみた。
時間だけはたっぷりあった為、学校や地元の図書館に通いつめ、本屋やネットも使って、とにかく時間に関係する情報を読み漁った。
何が書かれているのかすら分からない最先端の科学論文から、果ては三文SF小説やいかがわしいオカルト系の本まで
とにかく何か自分が置かれた状況を理解し、解決する手立てになりそうなものはないかと探し続けたが
……結局、何も見つけることはできなかった。
しかし地球より進んだ科学を知っているセスペェリアならば、時間のループについて何事か知っているかもしれない。
逸る胸をおさえて、刻は尋ねる。
「同じ日がループするなんて信じられませんよね。えへへ……
私も信じられないんですけど……その、ループしてる本人はすごく悩んでるみたいだから、もし何か知ってたら教えてもらえればなーって……」
期待をこめて上目づかいで見上げる刻に対し――
「――ごめんなさい。分からないわ」
セスペェリアは、申し訳なさそうに首を左右に振った。
「そう……ですか……」
刻は肩を落としてうつむいた。
それと連動するように、頭上のアホ毛も元気を失ってしおれる。
「ごめんなさいね。貴女の力になれなくて」
「そんな、私のほうこそ、こんな時に変なこと聞いちゃってすいません……」
そうだ。こんな時に自分勝手だった。
時間のループは原因不明とはいえ既に解決した問題だし、それに刻一人の問題だ。
たった今、この場で皆が巻き込まれている殺し合いという異常な状況を何とかする方法をこそ、真摯に考えるべきなのに――
うなだれる刻の両手が、不意に冷たいものに包まれた。
驚いて見ると、セスペェリアの手が彼女の手を、励ますように握っている。
「諦めないで。私は役に立てなかったけど……きっと解決法が見つかるわよ。
……貴女のお友達にもね」
「はい……」
宇宙人の手は冷たかったが、刻の心は暖かくなった。
それと同時に……気が緩んだせいか、刻の口から思わず欠伸が漏れる。
「ふわぁ……すいません」
「貴女、眠いんじゃない? いろいろあったし疲れているのよ。
確か、向こうの部屋に簡易ベッドがあったから、そこで放送まで
少し仮眠をとるといいわ。地球人にとって睡眠は大事な生理活動なんでしょう?」
「でも……誰かが来たら……」
「私が見張っておくよ。京極のこともね。何かあったらすぐに起こすから――」
そう言って微笑むセスペェリアの顔は、まるで母親のような慈愛に満ちていた。
不思議な人だ、と刻は思う。肉感的かと思えば儚く守りたくなるような面もあり、また母のような安心感も与えてくれる。
宇宙人って、みんなこんな不思議な人なのだろうか?
「それじゃ……お願いします……」
刻は彼女の行為に甘え、少しだけ仮眠をとることにした。
考えてみれば、こんな非常事態の中では眠れる時に眠っておいたほうがいい。
「――時間操作――平行世界の――全宇宙規模――時空因果への干渉――特異点――アレフ・ゼロ――調査の必要――最重要――」
部屋を後にして扉を閉める時、セスペェリアが何事か呟いているようだったが
時田刻はその内容を聞き取ることができなかった。
最終更新:2015年07月12日 02:57