逢魔時――――
黄昏をいふ。
百魅の生ずる時なり。
世俗、小児を外にいだすことを禁(いまし)む。
一節に王莽時(おうもうがとき)とかけり。
これは王莽前漢の代を簒ひしかど程なく、後漢の代になりし故、昼夜のさかひを両漢の間に、比してかくいふならん。
――――鳥山石燕/今昔画図続百鬼 雨
●
音も無く――
まるで水が床の上を無音で流れるかのように
物音一つ立てることなく、
セスペェリアは仮眠室の前にやって来た。
扉は閉まっているが鍵はかけられていない。だがドアを開ける音で目を覚ますかもしれない。念のためだ。
セスペェリアの体が崩れる。ゲル状になったそれは、ドアの隙間から、鍵穴から部屋の中に進入し、そこでまた美しい女性の姿と変わる。
だが再成されたその貌には、先程まで
時田刻に見せていた魅力的な笑顔も、慈愛の微笑も、それ以外のいかなる表情も存在してはいない。
生命の存在しない、石塊と砂だけの冷たい惑星の表面のような無表情――それが、彼女の本当の貌だった。
地上では陽光が暗闇に取って代わろうとしている、この夜と朝との境界の時間に
優しい宇宙人は、侵略の尖兵へとその本性を露わにしていた。
枕元にセスペェリアが立っていることも知らず――
時田刻は、静かに寝息を立てている。
その規則正しい寝息だけでも十二分に彼女が眠っていることが分かるが
セスペェリアは更に念を入れ超能力で時田刻の脳波を探り、睡眠状態であることを確認する。
――殺し合いの場で完全に寝入るなど、この娘は完璧に自分を信頼しているのだろう。
当然だ。そうなるようにセスペェリア自身が仕向けたのだから。
彼女の中には今まで蓄積された膨大な量の人間の表情に関するデータがある。
そのデータを使い分けて、時には顔の微細な一部すら作り替えることによって
ある時は情欲を刺激し、ある時は庇護欲を掻き立て、ある時は安心感を与える。
人間とは単純な生き物だ。そうした視覚を使っての心理操作で、時田刻の自分に対する感情をコントロールするのは容易い事だった。
なればこそ、時田刻は彼女が来歴として語った一から十までデタラメな作り話を信じ込み、心底から彼女に同情したのであろう。
宇宙人は無言のまま、眠る少女を見つめる。
その寝顔は、普通の少女と変わりはない。
その安らかな寝息からは、少女が時間重複・563回に及ぶ時間のループを経験してきた時空遡行者だとは想像すらできなかった。
探査用侵略改造生物兵器セスペェリアの持つ超能力の一つに読心能力がある。
研究所の戦いで
剣正一と
ミリア・ランファルトを追い詰めたこの能力によって
セスペェリアは話を聞いている時から既に、時間のループ現象を経験したのが時田自身であること
そしてそれが嘘でも冗談でもない真実であることを見抜いていた。
時田刻が完全な狂人で、自分の時間がループしていると信じ込んでいるのでない限り、彼女は本物のタイム・リーパーということになる。
(だから、もっと詳しく調べてみる必要がある。この娘の、タイムリープに関する記憶の全てを――)
その為には遠距離からの読心だけでは足りない。
もっと近距離から、少女の脳内の記憶をスキャニングする必要がある。
無言無音のまま、セスペェリアの体の一部分から触手が屹立した。
これは調査用の触覚である。
セスペェリアは硬直した触手を、あどけない顔で眠る時田刻の口元へと近づける。
形のよい、やわらかな桃色のくちびるに触手が押し当てられた。
口と鼻からの吐息が、触手をくすぐる。
「……ん…………」
少女が起きる気配はない。
「…………」
少女の目を覚まさぬよう注意しながら、セスペェリアはゆっくりと触手に力を込めて、触手の先端を少女の口に含ませる。
触手は閉じられた二枚のくちびるを押し広げ、その下のつややかな白い歯をこじ開けて、ぬるり、と少女の口腔内へと侵入した。
柔らかい頬肉とぬめる桃色の舌に包まれながら、触手はさらに先を目指して、温かな口内を侵していく。
「んんっ…………」
体内に侵入した異物感の所為か、時田刻が微かに呻く。
しかしまだ目は覚まさない。
セスペェリアは気道を塞がないよう慎重に操作して、少女の狭隘な粘膜の奥の地へと触手をゆるやかに進ませる。
そして脳により近いポイントに触手を到達させると、スキャニングを開始した。
目的はループした時間の記憶。
スキャニングを開始する。
ループ開始から563日目の記憶
ループ開始から562日目の記憶
ループ開始から561日目
ループ開始から560日目
559日目
558日目
557日目
556日目
…………
………
……
…
…
……
………
ループ開始3日目の記憶
ループ開始2日目の記憶
ループ初日の記憶
スキャニングを終了する。
「ふぅ……」
目的のデータの読み取りを終えると、セスペェリアはゆっくりと少女の口から触手を引き抜く。
触手の先端と少女のくちびるとの間に、まるで別れを惜しむような粘液の、銀色に輝く橋が架かり
一瞬後にはそれも途切れて、少女のくちびるの周りをぬらぬらと穢した。
少女の唾液に塗れた触手を仕舞うと、セスペェリアは現在得たデータを整理する。
この記憶が植えつけれた偽物か否か。彼女にはすぐ判別がつく。
時田刻は時間遡行者だ。間違いなく。
そして過去563日のデータを照らし合わせた結果
各一日に生じる変化は全て、彼女の行動の変化のみを原因として発生している。
繰り返される世界に変化をもたらしているのは彼女だけだ。
つまり、彼女自身は気づいていないが
時田刻こそが特異点。タイムループの原因である可能性が高い。
(なんということだ……)
今まで、セスペェリアは時田刻という少女を全く重要視していなかった。
せいぜいが、剣正一たちと戦う際に盾として一緒に始末するか
もしくは京極に殺される所を観察するか
その程度の使い道しかない女だと、そう思っていた。
だが時田刻が時間遡行者――それどころか、時空因果に干渉する能力を持っているとすれば
話はまったく変わってくる。
この少女が時間操作という、まさしく奇跡を引き起こす力を秘めているというのなら
時田刻は、セスペェリアにとって最優先に調査するべき最重要人物となる。
――このイベントでは、君にとっても面白いものが見つかるかもしれないよ――
全く予想外の最重要対象――その寝顔を見ながら
セスペェリアは自分をこの殺し合いの場に巻き込んだ、『共犯者』の虚ろな笑顔を思い出していた。
●
あの男と出会ったのは、空が黄昏から宵闇の藍色に変わっていく、そんな時間だった。
――やあ、こんにちは、いや、もう今晩はと言うべきかな――
――僕はワールドオーダー。しがない革命家さ――
――もしよかったら、なんで君が人間のふりをしているのか、その理由を教えてもらえないかな――
黒の紳士服に黒のシルクハット。
白い顔に空ろに穿たれた、歪な笑い。
まるで光と闇の隙間から抜け出してきたようなその男は
自分の正体を知った対象を排除せんと繰り出したセスペェリアの攻撃の悉くを一言の元に封殺し
更に彼女が自分に危害を加えぬよう彼女の情報を書き換えた挙句
能力によって、セスペェリアが絶対に秘すべき彼女の目的までもを聞き出した。
――興味深い。矢張り君に話しかけて正解だったよ――
最終手段として自己破壊による証拠隠滅を行なおうとするセスペェリアを、奇怪な革命家はこう言って引き止めた。
――実は今、おもしろいイベントを企画しているんだ――
――なに、企画と言っても、プラン自体はある人物から貰い受けたものなんだけどね――
――君にはそのイベントに、僕のジョーカーとして参加してもらいたいんだ――
そしてワールドオーダーは、彼の企画したイベント――バトルロワイアルについて語った。
正直、セスペェリアには彼が目的として熱っぽく語る『革命』だの『進化』だの『神を超える』だのといった題目は
理解できなかったし、興味もそそられなかった。
しかし、バトルロワイアルに参加して得られる見返りについては心を引かれた。
――このイベントには、かなり個性的な人たちに集まってもらうつもりだよ――
――君の使命が世界を観察し、情報を収集することなら、かなり面白いデータが採れるんじゃないかな――
――このイベントでは、君にとっても面白いものが見つかるかもしれないよ――
――それと……そうだな、君がジョーカーとしてバトルロワイアルに参加し、ゲーム終了まで生き残ることができたなら――
――僕を好きに調査していい。君も知りたいだろう? 君を下した僕の『能力』について――
――それが報酬だ。解剖、生体実験、好きなように検査してくれて構わない――
――本当さ。約束するよ。革命家、嘘つかない――
彼の言った報酬の約束が守られるとは信じていないが、彼が集めるといった面子は『観察対象』として確かに魅力的だった。
それにこの申し出を拒絶したところで、ジョーカーとして従うよう思考を弄られでもしたら仕方がない。
かくて、セスペェリアは男の持ち掛けた『ゲーム』に乗った。
彼女がジョーカーとしてワールドオーダーから受けた指令は二つ。
一つは、研究所のコンピューター内にある首輪のデータを回収すること。
もう一つは、それを他の参加者に目撃させること。
その役目だけ果たせば、後はバトルロワイアルの運行に問題が生じない限り、好きなようにしていていい。
――というのが、彼女がワールドオーダーと交わした契約の内容だった。
●
(しかし――参加者の中に時間遡行者がいるとは聞いていない)
尤も、セスペェリアがワールドオーダーから聞かされた参加者に関する情報はそう多くない。
精々が名前と顔と簡単なプロフィール程度だ。
ワールドオーダーもこの少女が時間遡行者だということを知らなかったのだろうか?
否、それは考え難い。この娘を選んで連れてきたのは奴自身なのだ。
彼女が特異な存在と知っているからこそ、この催しに参加させたのだろう。
(つまり意図的に――私に情報を隠していたという事か。
危うく他に二つとない観察対象を見逃すところだった)
誰が本当に重要な参加者なのか。自分で見分けろということか。
あの男は……ワールドオーダーは、宝探しゲームでもさせる気なのだろうか。
セスペェリアは無表情のままだったが、彼女が人間だったなら思わず舌打ちをしていた事だろう。
何も知らないまま眠る少女を見下ろしながら、セスペェリアはあの革命狂いが最後に言っていた台詞を思い出した。
――僕はね、このイベントを通じて、ジョーカーである君自身にも良き『革命』の起こらん事を、心から願っているんだよ――
下らない、と彼女は心の中で冷笑する。
ワールドオーダーは何も分かってはいない。幾ら強力な能力を持っていようとも
あの男も所詮は人間――己が信じる乏しい認識が万象の理だと思い込み、己の知悉する狭い世界が宇宙の全てだと思い上がりながら
ちっぽけな星の上をうろつき回っている愚かな哺乳動物の一種――の内の一体に過ぎない。
自分は侵略の為の情報収集用に作られた存在だ。そこに革命の起きる余地など無い。
彼女はただ観察し、調査し、収集した情報を彼女たちの主人に送る。
それだけだ。それだけが生体兵器として作られた彼女にプログラミングされている『悦び』の全てだ。
だから――
目を覚まさない時田刻を前にして、セスペェリアは身体から生やした無数の触手を蠢かせた。。
この娘は、未だ嘗てない程の貴重な調査対象だ。
報酬として提示されたワールドオーダーのデータも、この娘の存在に比べたら物の数ではない。。
ワールドオーダーも時間操作能力を持つが、それはあくまでも限定された時間・空間の範囲内でしかない。
しかしこの少女は、それこそ全宇宙の時間因果へと干渉していたのだ。
それは――奇跡と言うより他にない。
だからこそ――
時田刻を調べたい。
その肉体と精神を検査したい。その動作を余すところなく観察したい。
思いつく限りの実験を施してみたい。彼女が起こす時間の異常を観測したい。その身体を隅から隅まで解剖したい。
少女の脳を、神経を、内臓を、筋を、肉を、骨を、皮膚を、体液を、体毛を
ありとあらゆる手段を使って、この娘の細胞の一欠片に至るまで、徹底的に調査したい。
そして時田刻の時空を操る力の秘密を分析し、解明した時――
この宇宙の因果を震わせる秘密を手に入れた時――
セスペェリアは今までに経験したことのない、至上の『悦び』を味わうことが出来るだろう。
興奮に打ち震えた無数の触手が、健やかな寝息を立てている少女の身体へと殺到する。
だが、その柔肌に触れる直前になって、セスペェリアは触手の動きを止めた。
(待て――落ち着くのだ。時田刻は無二の貴重な調査対象……壊してしまっては元も子もない。
慎重に調査するべきだ――――慎重に――――)
心中でそう呟くと、彼女は硬化してうねり狂う触手たちをそっと体内に仕舞い込んだ。
闇が光に変わろうとする時間の曖昧な光も届かぬ暗い窟の中
あどけないまま眠る少女の枕頭に、まるで愛し子を見守る女神のように立ちながら
セスペェリアはその無表情な外形の奥で、湧き上がる喜悦に声も出さず嗤っていた。
【E-7 鉱山内部 休憩所/早朝】
【
京極竹人】
[状態]:負傷、ダンボール箱にみつしり詰まり中
[装備]:なし
[道具]:基本支給品一式、ランダムアイテム0~2
[思考・行動]
基本思考:???
1:匣にみつしり詰まって殺人衝動から理性を守る。
※次起きた時、殺人衝動が収まっているかどうかは後続にお任せします
【時田刻】
[状態]:健康、睡眠
[装備]:なし
[道具]:基本支給品一式、地下通路マップ、ランダムアイテム0~2、アイスピック
[思考・行動]
基本思考:生き残るために試行錯誤する
1:zzz……
2:セスペェリアさんに対する他参加者の誤解を解きたい。
3:第一回放送までは鉱山にいる
4:京極さんはどうしよう……
【セスペェリア】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:基本支給品一式、電気信号変換装置、ランダムアイテム0~2
[思考・行動]
基本方針:ジョーカーとして振る舞う
1:時田刻を調査して時間操作能力を解明したい。
2:他にも調査する価値のある参加者が隠れているのか?
3:剣たちはいずれ始末する
※この殺し合いの二人目のジョーカーです
最終更新:2015年07月12日 02:58