何もない部屋だった。
いや何もないと言う表現には大いな語弊があるだろう。
部屋の中央には厳かな雰囲気を醸し出すブラックガラスのテーブルと革張りの大きなソファーが堂々と鎮座しており、壁際には年代物の時計が飾られ静かに時を刻んでいた。
他にも部屋の隅々には幾つかの調度品か並べられており、派手さがないものの一つ一つが素人目に見ても手入れが行き届いた高級品であると分かる。
だが、これほどの調度品に囲まれているにも関わらず、この部屋全体から感じられる印象はどこか無機質で生活感が感じられない。
部屋はその人間性を表すと言うが、虚飾に満ちたこの部屋には主の心を示すように何もかもがあるのに何もない。
そんな部屋だった。
「やあ、お待たせしたね」
「いえいえ、お気遣いなく」
この部屋の主である男は来客を出迎えていた。
真っ白なコックコートに身を包んだ男である。
目深に被った妙に長いコック帽でその目元は見えず表情は読み取れないが、口元には優し気な微笑が称えられていた。
男の対面にある来客用のソファーに、ちょこんと腰かけるのは小柄な女である。
女の衣服は量販店に売られているような安物のようだが、うまくアレンジして着こなされており安っぽい印象は感じられない。
胸元は深く開かれ、そこからは見せつけるようにたわわな双丘を覗いており、隠しようのない熟れた女の色香が漂っている。
だがその目を引くような色香以上に、見る者の目を惹きつけるのは背中から生えたコウモリのような黒い翼だろう。
パタパタと小刻みに動くその様は、それが作り物ではない事を如実に伝えていた。
「すまないね
サキュバスさん。魔王様は今“話を聞ける”状態じゃないから、報告は僕が代理で聞かせてもらうよ」
「いやいや、お気になさらず。魔王様もお忙しい方ですからねぇ」
サキュバスは仲介役として現れた目の前にいる男の正体に疑いを持っていなかった。
魔王が密かにサキュバスに依頼した密約の内容を詳細に知っていたという理由もあるが。
これまでだって連絡に仲介役を遣わすことはよくあった。
と言うより、むしろ魔族の頂点たる魔王が末端でしかない構成員に直接接触してきた今回の方が例外的な出来事である。
魔王を出し抜いてサキュバスに連絡を取れる者がいるとは思えないし、何よりあの魔王が死ぬなど彼女は露ほども想像していない。
そんなありえないことを考慮するよりも、彼女の興味は机の上に注がれている様である。
テーブルの上には高級そうなティーカップと、宝石のように輝く果実の乗ったケーキが置かれていた。
暖められた美しい絵柄のカップにティーポットから透明感のある黄金が注がれてゆく。
白い湯気が揺れ、重厚で華やかな香りが周囲を満たしサキュバスの鼻孔を擽る。
紅茶とケーキ。その一部の隙もない組み合わせの美しさにサキュバスが目を輝かせた。
夢魔とは言え女子である。主食が淫夢であったとしても甘いものは別腹だ。
何よりケーキなどという贅沢品、異世界で貧乏暮らしを送るサキュバスではなかなかお目にかかれない代物である。
「それじゃあ、魔王様に依頼された件に関して報告を聞かせてもらおうか」
すぐにでもケーキにパクつこうとフォークを構えてたサキュバスの手が止まる。
流石に仕事の話となれば後回しにしておく訳にもいかない。下っ端組織人の辛いところだ。
未練がましくも手にしていたフォークを断腸の思いでテーブルに置くと、少しだけバツが悪そうに宙へと視線を泳がせた。
「……えっとですね。魔王様に指示された通り何個かの組織に潜入してみはしたんですよ?
まあ夜だったから夢に侵入しやすくて情報収集自体は簡単だったんですけど……なんと言うかですね、全体的にそれどころじゃなかったっていうか…………」
「へぇ。それどころではないというのは?」
どうにも歯切れが悪いサキュバスに対して、男は焦るでもなくゆっくりと問いかける。
その穏やかな口調に怒られることはないのかな? と安心したのか、サキュバスはおずおずとその先を語り始めた。
「何でもボスだか何だかが消えたとかでバタバタしてたようでして。
お蔭で魔王様が巻き込まれたとかいう殺し合いの情報はあんまり得られなかったんですよねぇ……。
というか6時間ちょいで調査しろとか無理ありません? あの人たまに自分基準でスゲェ無茶ブリしてきますよね?」
ここぞとばかりにサキュバスは愚痴をこぼした。
無論魔王とてそう簡単に手がかりがつかめるとは思っていないだろうが、取っ掛かりすら掴めなかったと言うのは斥候役としては恥じるところがある。
その愚痴は己の痴態を誤魔化すという意味合いも含まれたのかもしれないし、なかったのかもしれない。
男はサキュバスの愚痴に対して何を問い詰めるでもなく、うんうんと優しい頷きを返した。
「けれど、消えたと言ってもそう騒ぐほどの事なのかな? 子供じゃあるまいし、そんなのは一時的なものかもしれないだろう?」
「いやまあ、完全に音信不通ってのは問題ではあるみたいなんですけど。
確かにいなくなったのは昨日今日の話みたいで、それだけなら私も騒ぎすぎだとは思うんですけどね」
同意しながらも、先を言いにくそうに口をまごつかせる。
「……それよりも問題はですね、どうやら複数の組織の要人が同時に消えている事みたいでして。
さらに言うなら、まずいのは複数の組織から要人が消えたって情報が各々の組織に知れ渡ってるって状況ですかね」
「ああ。なるほど」
それがどういう事なのか容易に想像がつくだろう。
同時多発的ともなれば偶然では済まされない。
何か起きていると理解させる凶兆としては十分である。
「中でもブレイカーズの
藤堂兇次郎ってのが鬼の居ぬ間に何かドでかい事しようと張りきっちゃってるみたいで。
それに秘密結社だけじゃなくヒーロー側も結構な大物が消えたとかで犯人探しに躍起になってるっぽいですし。
もう世界がいつ爆発してもおかしくない火薬庫みたいになってて、まったく、何が起きてるのかは知らないですけど迷惑な話ですよ」
「そうだね」
世界の現状にサキュバスが不満気な息を漏らした。
正直サキュバスにとって次に攻める予定の世界がどうなろうと知ったことではないのだが、偵察として今現在生活をしている世界が焦土と化すのは迷惑極まりない話である。
「だから魔王様の巻き込まれた殺し合いって言うのに関してはあんまり探れなかったんですよねぇ……。
すいません! ですので魔王様に報告される際にはどうかうまく取成しておいてください!」
おなしゃっすと勢いよく頭を下げる。
その勢いで背中の羽がブルンと揺れた。
「ええっと…………何でしたらサービスしますので」
頭を下げた体制のまま、夢魔らしく胸元の谷間を見せつけるようにチラつかせた。
男ならすぐさま飛びつくような夢魔の色香を前にしても男は特に欲情するでもなく、冷静にいやいやと首を振る。
「そこまで悲観したものじゃないさ。
ひょっとしたら魔王様が巻き込まれた殺し合いってのとその大量消失が関連してるかもしれないしさ」
「あっ。なるほど。それはあるかもですね」
ポンと手を打つ。
別世界の事だからと、無意識にそこを紐付けて考えていなかった。
言われてみれば、確かにその可能性は大いにある。
情報収集は無作為に探すよりも、何か中りを付けて調査した方が圧倒的にやりやすい。
その辺に中りを付けて調査すれば何か新しい事実が見えてくるかもしれない。
「何にせよ、そう萎縮しないでも大丈夫だって。魔王様に怒られることはないから。
まあ、報告も終わったんだし、気にしないでゆっくりとお茶でも飲んでいきなよ」
「…………?」
ハッキリと断言する様子に一瞬の疑問符を浮かんだが。
それよりもずいと差し出された机の上に広がる甘い誘惑には抗えなかった。
サキュバスはフォークを手にするとわーいと諸手を挙げて念願のケーキに手を付ける。
程よい弾力を返す柔らかなスポンジをフォークで小さく切り分け口へと運んだ。
その旨味にサキュバスが表情を蕩けさせた。
舌に広がるクリームのまろやかな甘みにフルーツの爽やかな酸味が引き立つ。
スポンジに水分を奪われ、少し乾いた口内を潤すように紅茶を一口。
熱々の紅茶は少し苦みのあるがあるが、すっきりとした後味で飲みやすい。
そして少しの苦みがまたケーキの甘みを引き立てる。
サキュバスはあの世界はあまり好きではないが、甘味とサブカルチャーだけは評価せざる負えない。
普段摂取できない甘味を存分に堪能するサキュバスだったが。
ここでふと我に返り、目の前の相手を無視したままがっつくのも失礼かな、と思い至った。
「そういえば、貴方ってなんでこんなことをしてるんですか?」
それはサキュバスからすれば何の気もない雑談程度の、何故人間なのに魔族に協力しているのかという問いだった。
別段魔族に協力的な人間という事自体はそれほど珍しいモノではない。
魔族を利用しようとする者。魔族を信仰する者。人間に絶望した者。
そう言う人間は何時の時代もそれなりにいる。
だけど、何となくサキュバスには目の前の男はそのどれとも違うように思えた。
その問いを受け、男はソファーに深くもたれかかると、にやけていた口元を少しだけ難しそうに結んだ。
「そうだねぇ。理由は至極個人的なモノだよ。単純に僕はそれがどうしても我慢ならない性質でね。そうせずにはいられなかったんだ」
「はぁ……そうなんっすか。あ、美味しいですねこのケーキ」
返答がよくわからなかったのか、それとももとより興味がないのかサキュバスは気のない相槌を返した。
自分から聞いておいてこの態度である。
しかしながらここで会話を切っては印象が悪いので、とりあえずケーキをつつっきながら社交辞令的に話を膨らませる事にした。
「こういう事はいつ頃からしてらっしゃるんですか?」
問われた男は考えるように小さく唸ると、何かを思い出すように遠くを見つめた。
「……さて、始めたのはずいぶんと昔の事だったからね。正確な年数はもう忘れてしまったよ」
「ずいぶんと昔って、まだお若く見えますけれど、お幾つなんですか?」
少なくともサキュバスの目からは若者と呼ばれる年齢に見える。
その問いに男は微笑を湛えていた口元を悪戯に歪ませた。
「――――1万歳」
突拍子のない答えに何つまんない事言ってんだこいつと思わず呆れ顔をしてしまったが、空気の読める子サキュバスはこれはいかんと瞬時に切り替える。
「はは、魔族相手にその手の冗談はないですよー。
魔族で一番の長寿である
暗黒騎士様でも4千歳なんですからぁ」
サキュバスはとりあえず笑っとくか、みたいな感じで愛想笑いを返す。
それに釣られる様に男もハハハと笑った。
「まあ1万歳は冗談にしても、少し長く生きすぎて正確な年齢は覚えていないと言うのは本当のところでね」
「はぁ、そういう物ですか」
確かに悠久を生きる魔族の中にはいちいち細かい年齢など覚えていない者もいる。
だが、刹那しか生きられない人間の場合でもそういう物なのだろうか?
例え若作りだったとしてもどう見ても、目の前の相手はボケの始まるような年齢には見えなかったけれど。
何にせよ人間的な感覚のわからないサキュバスでは考えるだけ無駄だろう。
ひょっとしたら年頃の女性の様に年齢を隠したいだけかもしれない。
「ごちそうさまです。大変おいしゅうございました」
丁寧に空になったケーキプレートにフォークを乗せ、感謝を示すように両手を合わせる。
そして、ナプキンを手に取って上品な動作で口元を拭った。
「気に入ったんなら、もう一つどうだい?」
余りにも魅力的過ぎる誘惑である。
滅多にない機会にここで食い溜めてやろうと言う意気込みを見せるサキュバスだったが、このまま成果なしの状況で分不相応の報酬を甘受できるほど精神が太くもない。
そんな事が魔王や直属の上司に知れたらどんな大目玉をくらうか想像するだけで恐ろしい。
「うぅっ。そうしたいのはやまやまなんですけど、そろそろ戻って調査の続きをしないといけないですので……」
「そう。だったら持ち帰り用に包もうか?」
「え!? いいんですか!?」
この提案を断る理由などあるだろうか、いやない。
サキュバスは二つ返事で了承すると、男は持ち帰り用の箱にケーキを包むため奥の部屋へと向かっていった。
一人取り残され手持無沙汰になったサキュバスは冷えた紅茶をズズっと啜りながら周囲を見渡す。
立ち並ぶ幾つもの調度品に、奥には男が向かっていった小さな扉が一つ。
パティシエのような男の恰好やケーキを包みに行ったことから、恐らくキッチンか何かがあるのだろうとサキュバスは想像する。
そしてサキュバスの座っているソファーを挟んだ対面には扉が二つ。
扉の一つはサキュバスが入ってきた入口である、そちらは別にいい。
だが、もう一つは何処に繋がっているのだろうか?
興味のそそられたサキュバスが席を立ち、もう一つの扉に近づき手を掛けた。
「ああ、そっちの扉は開けない方がいいよ。少なくとも君の世界に繋がってなかいから」
こっそり先を覗こうとしたところで、奥から男が戻ってきたようである。
好奇心による行動を注意され、えへへと誤魔化すようにサキュバスは笑い扉から離れた。
男もそれ以上咎めるつもりはないのか、扉の前に佇むサキュバスの元へと近づくと、手にしていた白い箱を手渡す。
それを受け取ったサキュバスの羽が犬の尻尾のように嬉しそうに揺れた。
これでもう完全にここでの用件は済んだ。
ならばこれ以上留まる理由はないだろう。
サキュバスはまた調査の対象となっている世界に戻るべく、入ってきた扉の方へと向き直った。
そして紙の白箱を大事そうに抱えたまま男に向かってぺこりと頭を下げる。
「何から何まで、ありがとうございました。えっと……」
別れの挨拶をしようとしたところで、そう言えば、今更ながら目の前の男の名前を聞いていない事に思い至った。
「そうだね、僕の事はとりあえず革命屋とでも呼んでくれ」
どう考えても渾名かなにかだがそんな細かい所は気にしない。
それよりもサキュバスにとっては重要な事がある。
「あっそうですか。それでは革命屋さん、ありがとうございました、なにとぞ魔王様にもよろしくお伝えください」
怒られたくないサキュバスにとっては上司のご機嫌伺いの方が重要である。
そんなビジネスマンのような挨拶を残して、何も知らないサキュバスは元の世界へと戻って行った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
やあ、二回目の定時放送の時間だ。
まずはここまで生き残ったキミらに惜しみない賞賛を送ろう。
おめでとう。君たちはここまでの生存競争に生き残った。
君たちは優秀だ。
その優秀性をこれからも証明し続けてくれ。
では、まずは前回と同じく禁止エリアの発表から行う訳だが、個別エリアの発表の前に一つ世界を狭めようと思う。
具体的に言うとAとKのライン、1と11のラインをすべて禁止エリアとする。
つまり地図上で言う所の外枠が一つ狭まったという事だね。
まあほとんどは海や島な訳だから影響は殆どないと思うけど、近づかない様に注意してくれたまえ。
君たちもここまで生き残ってうっかり禁止エリアに足を踏み込んで死ぬなんて間抜けな死に方は嫌だろう?
それじゃあ続いて通常の禁止エリアの発表を行こう。
では発表する、追加される禁止エリアは。
『D-6』
『D-8』
『E-3』
『F-5』
『H-10』
『I-6』
以上だ。
前回よりも少し指定エリア増えたが、ここまで生き残った君たちならばどうという事もないだろう?
それでは続いて前回から脱落した、死亡者の発表に移ろうか。
以上だ。
これで早くも生存者は半数を切った訳だ。
半日でこのペースはなかなかいい調子だね。
じゃあまた制限時間を狭めよう。
今度は2時間だ。2時間死者がでない時間があれば1名の首輪を爆破する。
まあもっとも今のペースを考えるとこの
ルールが適用されることはなさそうだけどね。
ただ忘れないよう頭の隅にでも留意しておいてくれ。
第二放送は以上となる。
次も今回と同じく6時間後だ。
それまで生き残れるよう頑張ってくれたまえ。
最終更新:2015年12月14日 14:29