豊穣の大地リヴェルヴァーナ。
その大地は女神の愛に満ちていた。
空も大地も人も家畜も全てがみな等しく創造神たる女神により生み出された稚児である。

様々な生命が息吹き、吹き抜ける風は輝き、水は煌めくように澄み渡り、空はどこまでも深く、大地は豊穣に満ちる。
その美しい風景は女神の心と謡われ、人々は女神に祈りを捧げながら穏やかに日々を過ごしていた。

だが、そんな平和の日々は脆くも崩れ去った。
何処から湧き出たのか、ある日病魔のように地上に魔物が蔓延り始めたのだ。
生まれ落ちた魔族たちは、最初からそういう存在であったかのように次々と人間を襲い始めた。
その力は凄まじく人々は為すすべなく蹂躙されてゆき、文字通り食い物にされていった。

まさに暗黒の時代。
絶望に満ちた嘆きが大地に溢れ、空は昼でもなお人々の心のように昏く陰りを帯びた。
希望などどこにも見当たらず、誰もが夜を恐れ日が昇るたびに今日も生あることに安堵する。
そんな嘆きの祈りが繰り返される終わりの見えない絶望の日々で、繰り返される絶望の果て。
それらを切り裂く一筋の光のように、黄金に輝く剣を手にした青年が現れた。

それは何の前触れもなく、ある日そこにあった。
女神を祀る深き森の奥深くに聳える切り揃えられたような岩石。
そこに人類を護るようにその剣は突き刺さっていた。

岩の剣を引き抜き絶望に屈する人々の前に姿を見せた青年は一方的に蹂躙されるかりだった人類の反撃の狼煙を上げた。
聖なる光に満ちたその姿に人々は希望を見出し、民衆はこれを女神の奇跡だと称えた
絶望に膝を折っていた人々は立ち上がり、呼応してその後ろに続いた。
青年もこれに応え、先頭に立って戦場を駆け抜け、人類に光をもたらした。

そして『聖剣』を手にした青年は伝説となる。
絶望に立ち向かう力と、そしてなにより勇気を持った者。

聖剣を持つ者は『勇者』と呼ばれるようになった。

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頂点を過ぎた太陽が僅かに傾き始めた。
草原を薙ぐ風からは、血と泥の混じったような臭いが漂う。
それは小山のように聳える朽ち果てた龍の残骸から漂うものである。

蒼い龍の躯を背景にしながら、青年と少年が向かい合う。
青年は静かに槍の石突を地面に突き立て、立ち塞がるように。
少年は今にも駆け出さんと、ただですら小さい身を獲物を狩る肉食動物のように更に低く構えた。

「…………勇者」

青年――カウレス・ランファルトの口から呟きが漏れる。
懐かしさと羨望、そして痛みを堪えるような、様々な感情をないまぜにしたような表情で目の前の少年とその手に輝く黄金の剣を見据えた。

勇者を選び、勇者を導き、勇者を生み出す、人類の希望。
創造神たる女神の生み出した最終決戦兵器。
かつてカウレスが手にしていた、そしてカウレスの手から失われた――――『聖剣』。

少年――田外勇二は両手を固め、痛いほど強く『聖剣』を握りしめた。
カウレス越しに忌々しそうな目で少女を担ぎ遠ざかってゆく少年の背を見つめる。
そして天敵を前にした小動物のように身を震わせ、憚ることなく全身で敵意をむき出しして吠える。

「退けッ! 邪魔するんならお前もやっつけるぞ!!」

混じりっ気のない殺意が咆哮と共に放たれカウレスの皮膚がビリビリと痺れた。
だが子供の癇癪なんかにいちいち付き合ってなどいられない。
カウレスはその激情には取り合わず、努めて冷静に返す。

「――何故あの娘を狙う?」

その問いに勇二は一瞬目を見開くと、ギリィと砕ける勢いで奥歯を噛んだ。
問われれば応じるその素直さは幼さ故か、はたまた世話係の教育の賜物か。

「あいつが! あいつの……あの魔物の味方をしたからだ!
 だから悪いやつなんだ、悪いやつらはやっつけなきダメなんだ!」

見るからに激高しながら聖剣の切っ先で蒼い血に沈んだ龍の亡骸を指す。
魔物を庇ったから、それだけの理由で、勇者は少女を殺そうとしていた。

魔族殺すべし。
勇者の基本思考であり、最終目標である。
それにはカウレスも異論はない。
だが、

「彼女は人間だぞ。それでも殺すというのか?」

勇二が狙っていたのは間違いなく人間だった。ましてや女の子だ。
確かにあの少女は龍に好意的であったのかもしれない。
何やら説得めいたこともしていたように思える。
カウレスも人を殺すなとは言わない。状況によっては殺さねばならないこともあるだろう。
だが少なくとも、カウレスの目から見てあの少女から邪気は感じられなかった。
更生の機会があるならば与えられるべきだ、人間には。

「知るもんか! あの魔物に味方するんならみんな悪者だ! 愛お姉さんを殺したあの魔物の味方する奴はみんなみんな!!」

だが、その全ての可能性を突っぱねる。
その言葉にカウレスが目を細めた。

「…………愛。そうか君が勇二くんか」

この世界において最初に出会い、袂を分かった同行者。
その名が呼ばれたことにより目の前の少年が何者であるか理解した。
そして少年の行動原理がなんであるかも。

「――――復讐か」

自らの胸の奥に沈む黒いマグマを吐き出すように告げる。
少年の目の奥で燃える黒く澱だ炎は、かつてのカウレスと同じ物である。

多くの勇者には、聖剣を手に取るに足る理由がある。
聖剣に認められる、勇者足る理由が。

『正義』であれ『慈悲』であれ『義務』なんでもいい。
世界を救い、滅ぼしもする力を、一切の迷いなく魔族殲滅のためだけに振るい続けられるだけの理由。
それこそが勇者の資格である。

カウレスはそれが『復讐』だった。この少年もそうなのだろう。
だがしかし、カウレスと勇二では決定的に違う点が一つある。

「だが、君は既に復讐を果たした。自らの手で邪龍を討ち果たしたじゃないか。
 それとも、あの少女も君のお姉さんを殺すのに手を貸したとでもいうのか?」

もしそうならばその復讐は正当なものだ。
同じ復讐者としてカウレスに勇二を止める理由がなくなる。
だが違うと、少年は髪を振り乱しながら首を振る。

「そうじゃない。そうじゃないけど、あいつの味方をしたあいつは僕の敵だ!
 邪魔するんなら敵だ! 敵は倒す! 悪いやつらはやっつけるんだ!」

敵だから倒す。その一点張りだった。
同じ内容を繰り返すばかりで話に進展がない。
冷静な話し合いなど不可能に見える。

「それは勇者としての役割か? それとも君個人の復讐者としての目的なのか?
 今、聖剣は君になんと告げている?」

それでも根気よく問いを投げる。
カウレスも魔族は滅ぼすべきだと考えているが、関わった人間まで全て一族郎党根絶やしにしようと思うほど過剰思考ではない。
この暴走は勇者の使命に基づくモノなのか、それとも復讐を遂げ矛先を失った復讐者の末路か。

復讐を果たしたその後など、カウレスは考えたこともなかった。
魔王は死に、仇も討った。
そんな世界で、現勇者は何を成すのか。

何としても問わなくてはならなかった。
元勇者として。
同じ復讐者として。

「知るもんか! 悪い奴らはやっつけるんだ、全部! 全部だ! お前だって!!」

だが明確な答えは得られなかった。
思考を止めたように。そうしなければ崩壊してしまいそうなほど少年の心は追いつめられたように。
聖剣より与えられた勇者としての使命感と悪に対する復讐心、そして幼さゆえの純粋性が合わさってカウレスよりも拗らせている。

答えの代わりに、全方位に散漫にまき散らされていた敵意がカウレスに向かって集約する。
もう話は終わりだと言わんばかりに、勇二の構える聖剣から太陽のような黄金の輝きが漏れ出した。
正義を体現したような聖光。

「……そうか、そうやって君は魔族に関わった全員を殺しつくすつもりなんだね」

疑わしきは根絶する。
魔族に関わった人間に関わった人間すら殺しつくす。
悪の根絶する独善的で清廉潔白なる勇者の所業。

「死ぃねぇええええええ――――!」

問答無用とばかりに勇二が幅跳びのような跳躍でカウレスに向かって跳びかかった。
一瞬で間合いを詰めた勇二は幼子が扱うには不釣り合いな西洋剣を全身を大きく使って豪快に振り上げた。
雷光のような圧倒的スピード。単純に早くて強いというそのシンプルなスペックは小手先の技術など凌駕する。

「ああ。それも、『勇者』の在り方だろう――――」

その価値観を否定はしない。
極端な話、勇者は魔族殲滅という使命を果たせれば、過程はどうでもいい。
それが勇者だ。カウレスだってそうだった。
その過程は問うべきものではない。

「――――だが、少し行き過ぎだ」

カウレスは半歩下がると槍の端を持ち蒼天槍を横薙ぎに振るった。
宙に蒼碧の弧が描かれ、振り下ろされようとしていた聖剣を横合いから打ち払う。
槍と剣。大人と子供。そのリーチ差を生かして、間合いに入られる前に攻撃の芽をつぶして撃退する。

軌道を反らされた聖剣は地面に叩き付けられる。
打ち付けられた大地が粉々に砕かれ、砂塵が舞った。
威力を削がれてもなおこの破壊力。常識外れた髄力だ。

その幼い外見に惑わされてはならない。
勇者にとって幼さは問題ではない、強さなど、聖剣がいくらでも補ってくれる。
実際に歴代最年少の勇者は今の勇二と同年代だった。

だが、勇者の力は魔物を倒したり試練を乗り越えるなどの様々な経験を経て、段階的に解放できるものである。
少なくとも、この場ではじめて聖剣を手にした少年がここまでの力を発揮してるのは異常だ。
それだけこの少年の才覚が神域にあるという事なのか。
身に纏う聖気は既にかつてのカウレスを上回っていた。

打ち付けた勢いでバウンドするように勇二の身が浮き上がる。
そのまま空中で身を捻らせると、プロペラのように回転して間髪入れず再び切りかかった。

カウレスは上半身を仰け反らせこれを回避。
鼻先を通り過ぎる聖剣の軌道に槍を重ねて押し出す。
振り抜いた聖剣が不意に勢いづき、勇二がバランスを崩した。
そこにカウレスが前蹴りを入れる。

「ぐ……っ!」

胸の中心を蹴り飛ばされ、小さな悲鳴と共に勇二の体が後方に弾かれる。
受け身も取れず尻餅をつくと、そのまま僅かに二度三度と地面をはねた。

「……このぉ!」

すぐさま立ち上がった勇二が、地面を蹴り聖剣を振りかぶりながら突撃する。
まるでダメージを感じさせない、一歩で最高速に達する凄まじい加速。

その推進力を乗せた重い一撃をカウレスは槍を盾にして受け止める。
真正面からの押し合いでは力負けすると判断し瞬時に槍を回転させ衝撃を受け流す。
突撃の勢い余ってたたらを踏みつつも、勇二はなんとか踏みとどまった。
その勇二へとカウレスが語りかける。

「今の僕なんかよりも、いや、もしかしたら勇者だったころの僕よりも君の方が強いのかもしれない。
 だが、君では僕には勝てない、なぜだ分かるかい?」

カウレスは歴代勇者の中では秀でた存在ではなく、むしろ凡才だった。
そんなカウレスが、歴代でも群を抜く神域の天才に勝てると断言する。

「そんなこと、知るもんか!」

その問いを挑発ととらえたのか、勇二が怒りに震えるように猛った。
対するカウレスは氷のように冷静さで声を発する。

「まず、元勇者である僕には君のできることややりたいことは大体わかるし、その弱点も知っている」

カウレスは勇者の特徴は嫌という程理解している。
なにせ現勇者と元勇者が直接相対するなど前代未聞の事態だ。
このような事態に陥った勇者も存在しないだろう。

「それが、どうしたぁああ!!」

叫びをあげ、黄金の剣を振りかざし幾度目かの突撃を繰り出す。
その一撃は直撃すればカウレスでもひとたまりもない破壊力を秘めているだろう。
だが、それほどの力を前にしてもカウレスの冷静は崩れず、猛牛を相手取る闘牛士のように突撃してきた勇二を後方へと受け流した。

「まず、君は酷く冷静さを欠いている。それでは勝てない」

どれだけ強力な力を持とうとも、駆け引きも何もなくただがむしゃらに聖剣を振るうだけでは脅威にはならない。
戦闘の素人である輝幸にすら翻弄された事からもその単純さは推して知れる。
カウレスからしてみれば先ほどまで戦っていた相手が厄介な手合いであったためなおの事その単純さは目に余った。
勇者ほどの能力であればそれでも十分な脅威であるのが、歴戦の戦士が相手では分が悪い。

戦闘において重要なのは状況を見極め対処する冷静さだ。
最愛の家族を目の前で失ってから激高し続けた頭はマグマのように沸き立っている。
だが、例え憎い仇を目の前にしたとしても頭の中だけは氷のように冷静に冷徹に努めるべきだ。

「……っ。うるさいうるさい、黙れ!」

叫びながら勇二が突き出した掌に光が灯った。
ようやく剣では勝てないと理解したのか。
消耗から僅かに回復した魔力を神聖魔法に還元し詠唱する。

「させない」

だが、それも読んでいた。
今度はカウレスから間合いを詰める。
風のような動きで一瞬で勇二へと肉薄すると、槍を突き出し詠唱を妨害する。

カウレスの手にしている蒼天の槍。
冒険の始まりに聖剣という最強の剣を手に入れてしまったため使う機会こそ少なかったが、天界を攻略した際にカウレス一行が天空王より賜った宝槍である。
これには装備者の身を軽くするという天の加護が付与されていた。
その加護を受けた速さは勇者に匹敵するだろう。

カウレスはその俊敏さを最大限に生かし、細かく突きを繰り出し手数で押し込んでゆく。
勇二は次々と打ち込まれる瀑布のような槍の散弾を聖剣で打ち払う。
一撃は軽く勇者の性能をもってすれば捌くのはそれほど難しくはない。
だが、リーチの差も相まって反撃しようにも届かず、絶妙に鬱陶しい攻撃である。

「あ゙ぁ…………もう!」

勇二はこの状況を打開せんと、相手の体制を崩すべく向かってくる槍を力いっぱい大きく弾いた。
だがカウレスはその動きすらも読み切っており、タイミングを合わせて槍を持つ力を抜く。
想像以上に軽い手ごたえに、大きく聖剣が空を切った。

体勢を崩したのは勇二の方だった。
そこに石突での打突が放たれる。
脇腹に直撃を受けた勇二がせき込みながら倒れた。

「そして経験が足りない」

カウレスは勇者の弱点を知ると言ったが。
実のところ結論から言うと、勇者に弱点などない。

一流の戦士と互角に渡り合える近接能力と、熟練した魔法使い級の魔法力。
加えて勇者のみに与えられる幾つもの女神の加護がある。
こと戦闘においては万能とも呼べる勇者を総合力で上回ることなど人間には不可能だ。

弱点などない、その万能性が弱点である。
何にでも対応できるからこそ、何にでも対応してしまう。

カウレスが不得意とする魔法戦に持ち込まれれば勝ち目はなかった。
だが逆に言えば白兵戦であれば戦士であるカウレスは勇者である勇二に拮抗できる。
ゼネラリストは一定の分野においてスペシャリストには及ばない。
かつてカウレスが暗黒騎士に敗れたのはそのためだ。

そこを補うのは聖剣を操る本人の経験値だ。
大小合わせて万を超える戦闘経験を誇るカウレスに対して、勇二はこの戦場が初めての実戦である。
相手の得意分野で戦わず、自らの持ち味を生かすという当たり前の発想にすら思い至らない。
最初から強大な力を得た勇二の場合、何も考えずともその圧倒的なスペックで大抵の相手は叩き潰せてしまうため成長の機会すらない。

「要するに、君の戦い方が通用するのは頭の足りない魔物だけだ。
 まあ勇者としてはそれでいいのかもしれないけれど、僕に勝つには不十分だ」

倒れた勇二の喉元に槍の矛先を突きつける。
詠唱などさせないし、妙な動きがあればすぐに対応する、ここからの逆転はない。決着だ。

「少しは頭が冷えたかい?」

その槍を少し突き出すだけでその命を奪えるだろうが、そんなことをしても意味はないし、とどめを刺すつもりなど初めからなかった。
カウレスが勇者との相対を願ったのは敵対するためではない、確かめたいことがあったからだ。

今更、聖剣を手にして勇者に戻りたいなどとは願っていない。
ただ自分にできることをしようと、自分らしい生き方をしようと亡き妹に誓った。
だが、それが何なのか、その答えが知りたかった。

勇者を失い、魔王を失い、妹も失い、復讐(じぶん)すらも失った。
そんなカウレスが何をすればいいのか。
その答えを得るために、勇者と、聖剣ともう一度向き合う必要があった。

だが、どんな言葉で何を問うべきか。
いざとなるとうまく言葉にならず、僅かに逡巡しながらもカウレスは口を開く。

「現勇者よ。君は、」

だがカウレスの言葉が止まる。
僅かに目を落としてそこで気づいた。
少年の指が動き、次々と奇妙な形を描いている事に。

百戦錬磨のカウレスらしからぬミスだ。
それも勇者を知るが故だろう。
勇者の力ではない別の力の存在を考慮に入れていなった。

よもや詠唱なしで発動する能力がある可能性を見落としていた。
瞬間。勢いよく勇二の背から光の糸が伸び、カウレスへと迫る。
カウレスは咄嗟に後方に跳び身を躱すも、糸は槍に巻き付いてそのまま掠め取ると後方へと放り投げた。

「くっ」

肉体は怪我なく着地するも、武器を失いさらに距離も離れた。
その隙に勇二はここぞばかり呪を口にして指を切る。

「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前」

魔法詠唱ではない。カウレスにとってまったく聞き覚えがない音の連なりだった。
勇二の武器は『勇者』だけではない。
1500年の長きにわたり社会の裏で対魔に努めてきた陰陽の力。
元より彼には『田外』がある。
その積み重ねの集大成が田外勇二という神童だ。

まだ正式な修行を受けたことがあるわけではない。
年の離れた兄たちが戯れに見せた術式をただ見ただけで覚えた。
否、正確に覚えてすらいない。曖昧に呪の意味すらも理解せず、それでも再現できる。
凡才が一生かけても届き得ない領域になんとなくで踏み込む傲慢な才能。
――天才。そう称するしかない圧倒的才覚。

「――――――斑陰陽蜘蛛地獄」

ビッと二本の指を前へと突き出した勇二の背から四方八方へと光の糸が射出され、さながら蜘蛛の巣のように辺りを取り囲んだ。。
そして、数本の極太の光の糸が鞭のようにうねり、花のように咲いた。
それはまるで光り輝くイソギンチャクのようでもあった。

「行けェ――――――!」

少年の号令と共に、光の鞭が鎌首をもたげカウレスへと襲い掛かる。
カウレスの世界とは違う未知の力。
だがカウレスは正体不明の怪物など何匹も倒してきた、怪物退治は領分である。

その経験から、怪しげに光る触手は触れてはならない類のものだと判断する。
柔軟に変幻自在の軌道を描く触手は厄介だが、動き自体は遅くカウレス程の実力者ならば躱せないというほどではない。
カウレスが周囲に張り巡らされた糸に注意しつつ素早く身を引いた。

「っ!?」

だが、唐突にカウレスがバランスを崩した。
糸は躱したはずなのに何かに足を取られたのだ。
バランスを崩したカウレスに向かって容赦なく触手が迫る。

地面に手をつき体勢を立て直そうとするが、それよりも早く躱しきれなかった一本の触手の先端が腹部に直撃した。
強烈な一撃にカウレスの体が吹き飛ばされる。

「ッ…………ぐ」

胃の奥からせりあがってきた胃液を飲み込む。
叩きこまれたのは単純な物理的な衝撃だけではない、接触部から熱い何かが流し込まれきた。
それは魔に属するものなら一瞬で内部から破裂してしまう程の濃厚な聖気だった。
陰陽の力のみならず勇者の力も合わさった攻撃である。

腐っても元勇者だ、聖気に対する耐性は僅かながらに存在している。
一撃でやられることはないが、これは厄介な技だと理解した。

カウレスの足を取ったのは透明な糸だった。
目につくような光る糸とは違う、細く透明な目立たない糸。

この技により生み出された糸は大まかに分けて三種。
太い触手と光る糸に見えないほど細い糸。
どれかに気を取られれば別のどれかに捕まる。
これはそういう仕掛けの業だ。

よくできていると感心する。
考えのない目の前の少年が考えたとは思ない、おそらくそう言う技なのだろう。

ひとまずカウレスは後方に下がり距離を取ることにした。
少なくとも見える範囲では蜘蛛の巣と同じく中心部に向かう程、糸の結界は濃くなっている。

無論、後方にも少なからず糸はあるだろう。
カウレスは見える糸を避けるのではなく、敢えて見える糸に向かって行く。
見える糸が張っている場所には見えない糸はないという判断だ。

それをナイフで切り裂きつつ、安全を確保しながら進む。
リーチのある槍があれば適当に振るって糸を切り裂きつつ進めるのだろうが、手元に残った小ぶりなナイフではそうもいかない。
一つ一つ確実に切り裂いてゆくしかない。

そうしている間にも背後からは容赦なく光の触手が襲い掛かる。
ひとまずの安全確保が為された空間に飛び込み退避するが、動きを制限された状態では完全に躱しきれない。
直撃こそ避けたが、光の鞭は掠めるだけでダメージを負う。
流し込まれる聖気に痺れのような痛みが走る。

このままではジリ貧だろう。
槍が転がっている所までは距離がある。回収しようにも勇二を突破しなければならない。
初級魔法程度の遠距離攻撃しか持たないカウレスでは遠距離から仕留めることは出来ない。
何とかして、陰陽斑な蜘蛛の巣地獄を突破する方法が必要だ。

カウレスが進む軌道を変えた。
どこに向かおうと言うのか。
後方でも前方でもなく、槍の転がっている方向でもない。

「どこに行こうと一緒だよぉ!」

前後から迫る光の鞭を躱す。
だがそこで見えない糸に足が引っかかり、つんのめるが両手をついて強引に前に進む。
そこに容赦なく迫る光の鞭が迫る。

絶体絶命かと思われたが、カウレスは物陰に隠れ触手は遮蔽物へとぶち当たる。
だが、平坦な草原にそう都合よく隠れられるような物陰ががあるはずがない。
カウレスが隠れたのは龍の死骸の裏だった。

そこで変化が起きた。
龍の躯が風船のように膨れ上がり、次の瞬間。
爆発が起きた。

龍族は魔に属する生物である。
死に絶えたところでその事実は変わらない。
光の鞭により流し込まれた大量の聖気により龍が内部から破裂したのだ。

爆発により巻き上げられた蒼い血が雨の様に辺り一帯へと降り注ぐ。
飛び出したカウレスが駆ける。
その動きに迷いはなかった。

透明な糸に蒼い色がついていた。
こうなれば糸の結界の効果は半減だ。
見えてしまえばどうという事はない。

勇二も咄嗟に触手を向かい来るカウレスへと差し向ける。
だがカウレスの動きを捕えることができず、ただ地面を爆ぜさせるばかりだ。
カウレスが懐に迫る。

「くっそぉ!」

勇二が声を上げ、懐に迫ったカウレスに向け全ての触手を差し向ける。
だが、その判断は間違いだ。
聖剣という最高の武器にして防具が手元あるにもかかわらず、『斑陰陽蜘蛛地獄』の制御に気を取られた。
戦闘は近接戦に移ったのだから、制御を手放し聖剣で防ぐべきだった。

「君は、一度死んで頭を冷やしたほうがいい」

突く。
人を殺すのに山一つ消し飛ばすような派手な力など必要などない。
一切の無駄なく、遊びもなく、ただ最短を刺突する。

「…………………ぁ」

トス、と小さな刃が少年の胸を貫いた。


【田外勇二 死亡】

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「………………はッ!?」

勢いよく身を起こし、田外勇二が目を覚ました。
訳も分からないまま慌てたように自らの胸元をさする。
傷はなかった。
あれは夢だったのかと一瞬思ったが。

「う……っ」

口元を押さえる。
心臓を貫かれる感触が蘇り吐き気が込み上げた。
このリアルな感触が夢であったはずがない、確かに田外勇二は死んだはずだ。

「やあ、目を覚ましたようだね」

声に顔を上げる。
見上げた先に、先ほどまで殺し合っていた男の顔があった。
勇二は咄嗟に聖剣を探すが、取り上げられたのか手元にはない。
そこにカウレスが目線を合わせるようにかがみこむ。

「まずは殺したことはすまなかった。謝罪しよう。だがこれで冷静にはなれただろう?」

殺した。
その言葉に胸に突き刺さった冷たい感触が蘇る。
目眩と吐き気を堪えつつ、勇二は疑問を投げた。

「どうして……僕は生きてるの……?」

それは当然の疑問だった。
勇二は確かに死んだ。なのにこうして生きている。
幾らなんでもこれはおかしい。

「どうしてって……蘇生したからに決まっているだろう?」

カウレスが当然のことのように言う。
勇二がその事実に疑問を持つことはおかしいと言わんばかりに。

「蘇ったってお兄さんが反魂の術を使ってくれたってこと?」
「はんこん? いや、君が蘇ったのは君の力、というか勇者の力だけど……?」

話がかみ合っていない。
何か致命的なまでにズレている。
その原因が何であるか。
その可能性に思い至り、信じられない、とカウレスが目を見開く。

「まさか……君は、契約を果たしてないのか?」

勇者と聖剣はまず契約を結ぶ。
勇者は聖剣に人間性を捧げ、聖剣は勇者に力を与えることで成り立つ契約関係だ。
勇者の権能に関する基本知識は使命と共に契約時に聖剣より与えられる。
これを知らないなどという事はありえない。

だが、勇二の場合は違う。
そういった手続きを介さず力を得た。
勇者が聖剣に捧げるのではない。聖剣が勇者に捧げたのだ。
そんな例外(はなし)は聞いたことがない。

「なるほど、だが合点はいった。それが君の歪さの原因か」

納得がいったと一人頷くカウレス。
だが、勇二はますますわからないと言った表情である。

「いいかい。勇者は『死なない』んだ」

カウレスは説明を始める。
女神の祝福(のろい)は勇者の死を容認しない。
勇者に与えられた最後にして最大の権能『絶対蘇生の権利』。
修復不可能なレベルで肉体が損傷するか、聖剣に見放され勇者の権利が剥奪されない限り。
つまり不屈である限り勇者は不滅である。

カウレスも魔王討伐の旅の折に2度ほど死亡している。
一度は魔王軍の幹部である暗黒騎士に敗北し、一度は試練の塔で命を落とした。

だがあくまで保有しているのは権利のみであって、蘇生するには別途蘇生手段が必要となる。
蘇生魔法は存在するが、蘇生の権利を持たない勇者以外にほとんど使い道のない魔法だ。
加えて習得難易度は最高難度ともなれば好き好んで覚える物好きはそうはいない。
習得しているのは精々が勇者を支援することを目的とした教会の大司教くらいのものである。
当然カウレスも使えない。では勇二はどうやって蘇ったのか。

勇二が蘇ったのは『自動蘇生』によるものだった。
最上位の神聖魔法であり、数多の冒険を潜り抜けたカウレスですら至れなかった勇者の極地。
その領域に既に勇二は才覚のみ達していた。

それに気づいたからこそ、カウレスはこのような強硬手段に出た。
感情や常態を強制的にリセットしたのだ。

なにより死ぬというのはとかく気持ちが悪い。
二度死んだカウレスから言わせてもらえば、それこそ死んだほうがましというレベルの苦痛である。
根っからの狂人でもない限り、その衝撃で復活直後は否が応でも頭が冷える。

「そう言えば、まだ名乗っていなかったね、僕はカウレス・ランファルト。元勇者だ。よろしく勇二くん」
「……どうして、僕の名前を知っているの?」
「この場に来た直後、愛さんと少し行動を共にしていね。その時に君の事は聞いた」
「愛、お姉ちゃん」

その名に。
勇二の中の黒い炎が再燃し、自らの為すべきことを思い返す。

「落ち着け。僕は君の敵ではない。当然、魔族の味方でもない」

動き出そうとした勇二を制する。
確かにカウレスが敵ならとっくに殺さている。
それくらいは勇二でもわかる。

「……そう、なんだ。ごめんなさい、襲い掛かってしまって」

素直に謝罪し反省できるのは美点だ。
これも幼さ故の素直さだろう。
カウレスはもういいとぽんと勇二の頭を叩く。

「君は未熟だ。勇者としても人間としても」

勇二は見た目通りの幼子である、精神的未熟さは当然ともいえる。
だが、勇者がそれでは困る。
素直さは美点だが間違った方向にも容易く染まってしまうのは欠点である。

「だから君を僕が導こう。正しい勇者として在るように」

勇者を導く。
それがカウレスが見出した自らの役目。
世界を救う力を持った少年を正しく世界を救う勇者に導く。
故郷を滅ぼされ、行く当てのなくなったカウレスたちを助け、道を示してくれた魔法使い――光の賢者ジョーイ様のように。

「僕が、君を『真の勇者』に導いて見せる」

それがきっと生き残った自分にしかできない使命である。
そう、信じて。

【D-5 草原/夕方】
【カウレス・ランファルト】
[状態]:ダメージ(大)、魔力消費(大)
[装備]:サバイバルナイフ、蒼天槍
[道具]:『聖剣』
[思考・行動]
基本方針:勇者を導く
1:オデットと合流したい
※完全に勇者化の影響がなくなり人間になりました

【田外勇二】
[状態]:勇者、消耗・大(回復中)
[装備]:なし
[道具]:基本支給品一式
[思考]
基本行動方針:勇者として行動する
[備考]
※勇者として完成しました

135.Negotiation 投下順で読む 137.Lunar Eclipse
時系列順で読む
デッドライン カウレス・ランファルト 復讐者のイデオロギー
田外勇二

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最終更新:2017年05月04日 17:22