さらさらと砂が落ちていた。
誰にも止めようのない、時間という砂が。
この砂が落ち切った時、少女の命は儚くも散りゆくのだ。
白く儚く、まるで溶けて消えゆく雪のように。

ギリィと言う音がした。
水芭ユキは奥歯を噛みしめながら、考えていた。
確実な死を前にして人は何をできるのか。

そんなことを考えながら生きる人間はそれこそ十分に生きたと後悔なく死を選べる老人くらいのものだ。
そんな人生の命題の様なものをこの年で突き付けられるとは、想像だにしていなかった。

だが少女はまだ前途ある若者である。
未来があり、理想があり、夢があった。
死ぬには余りにも早すぎる。

否。それは彼女だけに限った話ではない。
これまでこの地で奪われた全ての死について言える事だ。

彼女の家族。彼女の友人。彼女の仲間。彼女の知らない誰か。
それら全てに等しく未来があった。
それら全てが奪われた。
一人の男の悪意によって。

彼女の両親もそうだった。
一人の男の下らない支配欲による犠牲者だ。

その事実が頭に叩き付けられるたび、目の前が真っ赤に燃え上がりそうになる。
人はこのような理不尽で殺されるなど在ってはならない。
そう、狂いそうになるほど怒りに身を焦がしていたと言うのに。
彼女自身もまたそんな死を迎えようとしていた。

手先が感覚を失ったように痺れ、全身を震えが襲った。
それは怒りか、はたまた恐怖によるものか。
彼女自身にすら判別が出来なかった。

彼女に分かるのは、己にできることなどただこうして震えて死を待つ事しかできないという事だけだった。
恐怖と怒りと無念と後悔と、あらゆる感情をドロドロに煮詰めて掻き混ぜる時間を存分に与えられ、正気など保っていられるだろうか。
こんなことなら、問答無用で即死した方がまだましだ。

「大丈夫!! …………大丈夫だよユッキー」

だが、その震える手が柔かな暖かさに包まれた。
必死で震えを押さえたようなどこか強張った声。

その温もりに驚いたように顔を上げる。
呆然と揺れる青い瞳を、決意を込めた黒い瞳が見つめ返していた。

ジワリと凍てついた手に熱い血が通う。
九十九がユキの手を両手で握り絞めていた。

一二三九十九は諦めの悪い女である。
そんな彼女がそう簡単に友人の命を諦めるはずもなかった。

「まだ、時間はあるんだから、それまでに首輪を外そう、そうすれば…………ッ」

九十九の前髪がはらりと落ちる。
ペナルティが首輪を介して行われる以上、爆発される前に解除してしまえばユキの命は助かる。
その解決策は間違っていないだろう。
首輪の解除が死を回避する唯一の方法なのは疑いようがなかった。

「……ンなもん、どうやってだよ?」

苛立ちを含んだ声で拳正が疑問を投げかける。
どれだけ解決策として正しくとも、彼らにはそれを成す知識も技術もない。
その提案は具体性の伴わない、ただの絵空事でしかなかった。
簡単に成し遂げられるのであれば最初から誰も苦労はしないだろう。

「どうにかしてだよ! 一か八かやってみればうまく行くかもしれないじゃない!」
「バカか、試しで出来るようなもんじゃねえだろうが! 失敗したらどうすんだ!? あぁ!?」

叫ぶような九十九の声に、喰ってかかる勢いで拳正が凄んだ。
チンピラ程度なら睨み一つで吹き飛ぶような圧を前にしながら、九十九も引かない。
むしろそれ以上の強さを込めた視線で睨み返した。

「けどッ! 何もしない訳にいかないでしょ!?」

何もしなければ同じ事だ。
友の窮地において何もしないなどという選択肢は九十九の中には在りえない。
黙って見ているのが正解だなんて認められるはずもなかった。

「けどもヘチマもねぇんだよ……! 考えなしに動こうとすんじゃねぇ! ちったあ周りの迷惑考えやがれ!!」
「はぁ!? 何よ!? じゃあ、このままユッキーが死ぬのを何もせず見てろっていうの!?」
「そうは言ってねぇだろうがッ!!」

張り上げられた声が激情のままぶつかり合う。
頭に血を登らせた二人は掴みかかる勢いで言い争っていた。
声は異常な熱を帯びて、辺りの空気を歪ませてゆく。
転がり落ちる様にその熱がまた新たな熱を生み、勢いを増長させて行く。

「じゃあどうしろってのよ!? 何もせずこのまま黙ってらんないよ!」
「いい加減にしろバカ野郎ッ! 失敗して吹っ飛ぶのはお前の腕だけじゃねぇんだぞッ!」
「…………ッ!?」

九十九が言葉を詰まらせる。
失敗すれば制限時間を待たずユキが死ぬ。
それはつまり、助けたかった友の命を己の手で終わらせるという事である。
九十九もユキも、誰も救われない。

「失敗する前提で話さないでよッ!!」
「成功する見込みがねぇんだよッ!!」
「ぅぐ……ッ。だったら――――!!」

「――――――――――やめてッ!!」

悲痛な凍りついたような声が過熱する言い争いを断ち切った。
睨み合う二人の視界に白い髪が映る。
双方に静止の手を向けながら少女が二人の間に割って入った。

「お願い、二人とも言い争うのは…………やめて」
「ぁ……………………っ」

ユキの目に滲む涙を見て、冷や水をぶちまけられたように言い争っていた二人の沸騰していた頭は完全に冷めた。
醒めてしまえば意味のない言い争いだった。
この不毛な言い争いで一番辛い思いをしているのは誰なのかを理解してしまったのだから、これ以上言い争う気にはなれなかった。

「私の事は気にしないで、いいから。二人に迷惑はかけるつもりはないから、だから…………お願い」

死を避けることはできないのならば、出来ることなど死を選ぶ事だけである。
残される二人が自分が原因で言い争うのは、彼女にとってなによりも辛い。

ユキは最期はせめて穏やかでありたかった。
自身の動揺が残された者の争いを誘うのならば、恐怖など奥底に凍りつかせてしまえばいい。
それが死を前にした少女の冷たい氷の様な悲壮なまでの決意だった。

「悪りぃ…………」
「………………うん」

当事者である彼女に仲裁役なんてさせてしまった事を拳正は恥じる。
拳正の苛立ちは相当に積もっていた。
他でもない、何もできない自分自身に対して。
自分の頭の悪さをここまで呪ったことはない。

何ができて何ができないのか、拳正は己を知っている。
ちっぽけな自分の手の届く範囲を知っている。
だから、自分が何もできないという事を痛いくらいに理解していた。
この状況で彼の腕っぷしなど何の意味もない。

「クソッタレ…………ッ」

どうしようもない感情を吐き捨てる。
悔しげに力一杯拳を握り締めると、腕に刻まれた銃痕が無性に痛んだ。

結局、ユキは死ぬし、彼には何もできない。
これは覆しようのない事実である。

腕っぷしだけじゃ解決できない事もある。
そんな事はとっくに理解していたはずなのに。

「九十九もごめんね。せっかく仲良くなれたと思ったのに」
「やめてよユッキー……そんなお別れの言葉みたいなの」

九十九はいやいやをするように首を左右に振った。
ユキは前髪をくしゃりと握り、困った様に視線を沈ませる。

「けど…………どうしようもないじゃない」

そう言って諦めた様に儚げに笑った。
その表情を見て九十九は心の底から己の愚かさを悔やむ。
ユキにこんな顔をさせたかったわけじゃないのに、足掻けば足掻くだけユキを困らせている。

九十九は諦めない。諦めたくない。
だが、現実として彼女には何もできないだろう。
一か八かの首輪解除に挑んだところで出来るのは事態を悪化させることだけである。

学校のテストなどとは違う、この問いにそもそも正解などない。
問われるのは、手段があるかないかであり、そして彼らには打開策など何もない。
八方塞がりの状況である。
彼女たちは、どうしようもなく無力だった。

諦めないだけではどうにもならない事もある。
そんな事はとっくに理解していたはずなのに。

「…………ごめん。ユッキー…………ごめんね」

気付けば、九十九はユキを抱きしめていた。
瞳からは大粒の涙が零れ、口からは何もできない自分をどうか許してほしいと謝罪の言葉が漏れる。

「……ダメだよ、九十九まで巻き込まれちゃう…………離れないと」

離れてと言われて、九十九は抱きしめる力を強める。
引きはがそうとするが、何故だかユキの手には力が入らず振りほどくことができなかった。
ユキを抱きしめたまま九十九は心の底から悔しげに声を上げる。

「こんな……ッ。こんなのってないよ…………どうして」

今、腕の中に確かに生きている、この命が喪われる。
この地で何でも繰り返されてきたどうしようもない現実。
無力な少女にはこの現実を嘆くことしかできなかった。
九十九の頬を伝った暖かい滴がユキの肩を濡らす。

「ぅう………………っ」

ユキの喉の奥から嗚咽のような声が漏れる。
止めどなく零れ落ちるその滴は火傷しそうな程熱い。
余りの熱さに、氷の決意が熔けていきそうだった。
我慢していたものが溢れそうになる。
侘しさのような冷たい何かが胸に広がり、何だか無性に泣き出したくなった。

「どうして、こんな……こんなの……………………私だって」

ポツポツと胸の底から溶け出した心が溢れ出していった。
九十九は涙を流しながらうんうんと頷き、いつか自分がそうされたようにユキの背を優ししく擦った。
その暖かさに心中が涙と共に言葉となって吐露されてゆく。

「…………私だって、こんな終わり方…………嫌だよ…………!」

彼女の人生に死は常に付きまとってきた。
目の前で父の死を見た。
目の前で母の死を見た。
もう一人の父の死を見た。
ルピナス、夏実、舞歌。友はどう死んだのだろう。

彼らの死を想えば、怒りで我を忘れそうになる。
悔しさに噛みしめた奥歯が砕けそうになる。
戦うと決めた瞬間から死など常に覚悟してきたはずなのに。

「……………………怖いよ」

それでも。今は、どうしようもなく怖い。
決意や覚悟で奥底に沈めていた感情が口から零れ落ちた。

言葉にして認めてしまえばその恐ろしさは目の前にあった。
熱した頭のままヒロイックな感情で死んでゆくことすら許されない。
ただ湖の底に沈んでゆくような冷たい死だけが傍らに横たわっていた。

二人の少女は互いを寄る辺として離れぬよう縋り付く様に強く強く抱きしめあったまま啼泣する。
寒さに震える体を温める様に、互いの存在を確かめ合う。
それだけが今できる唯一の慰めであると、理解しているように

だが、無情にも二人を引きはがす無骨な手があった。

「……そろそろ、離れろ。もう、時間がねぇ」

拳正だった。
時計の針はもう30分に迫っていた。
タイムリミットを迎えるまであと僅か。

このまま抱き合ったままタイムリミットを迎えれば、九十九が爆発に巻き込まれてしまう。
それでは、ユキが死ぬだけでは済まなくなる。
拳正はこれで冷徹な損得勘定の出来る男だ。
無駄に被害者を増やすだけの行為を看過できるはずもない。

「…………ぅッ」

引きはがされた九十九は何か言いたげな眼で拳正を睨むが、何も言う事が出来なかった。
その行動の正しさも理解している。
彼の人間性も、誰よりも理解してる。
だから何も言えない。

「…………新田くん」

心中を吐露し、一頻り泣いて少しだけ落ち着きを取り戻したのか。
涙を拭ったユキは、思いのほか穏やかな声で、胸を裂く痛みを堪えているような表情をしている少年に声をかける。

拳正は確かに冷徹な判断が出来る男だけれど、それは彼が傷付かないという事ではない。
彼は慰めなんて甘えは許さない。相手にも自分にもどこまでも厳しい。
そんな人間だと、僅かな交流だったけど、知っていたから。
ああ、そんな彼だから彼女はきっと。

「……気にしないで、っていうのは難しいかもしれないけど、誰のせいでもないことだから」

厳しい以上に優しい人だから、目の前で何もできず友人の死でどうしても傷ついてしまうだろうけど。
せめてその傷が、彼の足を止めるようなものでなればいいのだけど。

彼女と同じく過去に両親を失い、そしてこの地で友を失った少年。
彼はずっとその痛みを、そんな顔をしながら耐えてきたのだろうか。

始めて見た彼の弱さを目の当たりにして胸元がざわつく。
自分勝手な我が侭を言いたくなる。
だが、その衝動をぐっと抑え込む。

それは言うべきではない言葉だ。
思いのたけをぶちまけたところで、未来のない彼女の言葉は未来のある彼の重荷にしかならないだろう。
これだけは心の底にしまっておく。

その代りに、少女は少年の手にそっと触れた。
少年も無言のまま受け入れる様にして、それを振り払うようなマネはしない。
それが二人に許された距離。
死にゆく者に許された精一杯の我がままだった。

「…………じゃあ、九十九も新田くんも、二人とも仲良くね。あなたたちは、どうか生き延びて…………」

出来る限り精いっぱいの笑みを浮かべて、未練を断つように手を放す。
引きつっていたかもしれないけれど、最期に彼女たちに見せるのは笑顔がいいと決めていたから。

爆発に彼らを巻き込まないよう、未練を振り切る様に駆けだした。
手に残った名残の様な温もりが冷たい夜風に浚われて溶けてゆく。
冷たさを感じないはずの触覚は、温もりが失われた事を冷たいと感じた。

離れてゆく背を九十九は思わず追いかけたくなるが、歯を食いしばってその衝動をぐっと堪える。
一緒に死ぬなんてことはユキが望むはずがない。
代わりに腹の底から叫ぶ。

「ユッキィーーーッッ!!!」

少女の絶叫。
粒となった涙が夜に散った。

青白い月光に照らしだされ、可憐な少女の雪のように白い首元に冷たい鉄の輝きが宿る。
春が来れば雪は儚く消え去るが定めである。
その定めに従うが如く、終わりの時は来る。

時計の針は無慈悲に進み、刻限を指した。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

遥か高みよりその光景を眺めるモノがいた。
世界をその手に収める男は、その地で起きた全ての現象を観測している。
語るまでもなく、何人たりとも届かぬ孤高に坐するは、この世界の支配者たるワールドオーダーと呼ばれる厄災だ。
黙したまま遥か天上にて坐する支配者は、掌に収まる世界をゆるりと眺めていた。

「――――――――――――――――――――――――プ」

そこに、静寂を破る息吹があった。
世界の出来事は余すことなく総てが見える。
仮にそれが当事者ですら理解の及ばぬ事態であったとしても、俯瞰より眺める支配者だからこそ理解できることもある。
理解しているからこそ、男は堪らず、ついには限界だと言った風に吹き出した。

「アッ――――――――ハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」

高らかな哄笑が轟く。
余程愉快だったのか、誰もいない広く冷たいだけの部屋の中心でただひたすら笑い続ける。
狂ってしまったのではないかと危惧するような勢いで、男が何物にも憚ることなく笑い転げていた。

それほどまでに、彼にとって予想外の出来事が起きた。
全ての支配者たるワールドオーダーにとっても完全なる想定外の出来事が。
彼にとって予想外の事態が起きるなど、何年振りか。
十年、百年、千年、いやそれ以上か。

それは偶然などではなく、明確な意思を持って行われた、このワールドオーダーすら出し抜いた偉業である。
恐らく世界中の誰も、それこそ『神』すら気づいていまい。
ああその事実が、たまらなく愉快だった。

「クク……ハハッ、ヒッ――――ヒッヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ」

まだ笑いが収まり切らないのか息も絶え絶えに喉を鳴らす。
地面に転がっていた男はゆっくりと立ち上がり、目の端の涙を拭って肩をひくつかせながらソファへと座り直した。
そして腹の底から楽しそうに、忌々しげに、称えるように、謳うように、叫ぶようにしてその名を呼んだ。



「あぁ…………ッ。やってくれたなぁ――――――――――――森茂!」



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



刻限を過ぎても、首輪は爆発などしなかった。


ただ静寂の中で時が過ぎていった。
首輪は爆発する事もなく、ユキの首は繋がったままである。

だが、刻限を過ぎたと言えども、すぐさま安心などできるはずもない。
ただ単に処刑の実行が遅れているだけという可能性は大いにあった。
それを考えれば死を待ち恐怖する地獄の時間の延長でしかないだろう。

その間もユキは自らの握った拳を震わせ、唇をかみしめ、ギュっと目を瞑りながら沙汰を待っていた。
緊張に血の気の引いた青白い顔で、僅かにカサついた唇を震わせる。

「プッ…………………………ハッ…………ハッ………………ハァッ!」

深海から浮き上がる様に息を吐く。
浅く早い過呼吸気味の呼吸を繰り返す。
こんな極限の緊張状態はいつまでも続けられるものではなかった。
どれ程の覚悟があろうとも、いくらなんでも精神が持たない。

いくら待てど爆発する気配はない。
これは流石にこれはおかしい。
数分が経過したところで、周囲で見守る九十九たちもそう感じ始めた。
主催者側に何らかの不備があって爆破がされないのではないか?
そんな可能性すら頭をよぎり始めた。

「……大丈夫…………なのかな?」

九十九が恐る恐ると言った風にユキへと近づいて行く。
僅かに遅れて、険しい表情をした拳正もそれに続いた。

「まさか、油断させてドカンなんてことはねぇだろうな」
「それは…………どう、かしら」

悪趣味の極みの様な男だ、その可能性がないとも言い切れない。
だが、あの男の悪趣味さはそういう類の物とは少し違う気もする。
あの男の悪趣味さは人を人とも思わず自分のために使い潰す醜悪さであり、わざわざ恐怖を煽ってその様を楽しむほど人間に興味があるようには思えなかった。
それも、あくまで印象に過ぎず、確信など何もないのだが。

「…………ど、どういう事なんだろう?」

誰もが思っていた疑問が九十九の口からぽつりと漏れた。
何故助かったのか。その原因が分からない以上、助かった事を手放しに喜ぶこともできない。
このままでは何時までも不気味さが喉元に付きまとって、それこそ生きた心地がしない。
いつ死ぬともわからぬ状況では次の行動にすら移せなかった。

「――――爆発しないのだから、その首輪は機能していないという事なんじゃないかしら」

答えなどが返ってくる事を期待して口にした物ではなかったのだが、それに答える鈴の音の様な涼やかな響きがあった。
しゃなりと影を踏みしめ現れたのは華奢な女のシルエット。
月明かりに照らされ影のベールが払われて行き、その姿が露わとなる。
それが何者であるかを認め、ユキが目を細めた。

「覗き見とは趣味が悪いですね――――――音ノ宮先輩」
「あら、ちょうど今来たところよ、そう言ったら信じてくれるかしら?」

余りにも平然と吐かれた言葉にユキが不機嫌そうに眉根を寄せる。
とてもじゃないが信じられる言葉ではない。
いや、信じられる相手ではないと言った方が正確だろうか。

余りにもタイミングが良すぎる。
元より妙な苦手意識がある相手がこのタイミングで現れて信用できるはずもない。
恐らく遠巻きに先ほどまでのやり取りを眺めて修羅場だったからタイミングを見計らっていたのだろう。
仮にユキが死んでいたところで、改めてタイミングを見計らって平然とした顔で拳正と九十九の前に現れていたに違いない。

「こんばんは。そちらのお二人は初めましてになるかしら?
 私は音ノ宮亜理子。神無学園の3年だから一応あなたたちの先輩という事になるわね」

余りにも平然とした態度で亜理子は九十九と拳正に語りかけた。
拳正は突然現れた亜理子を警戒しているのか無言のまま僅かに身を引いている。
九十九はユキの首輪の問題から突然な亜理子の登場という混沌極める事態の転換についていけておらず、ひとまず挨拶されたのだから返さねばと名乗り返そうとしたが。

「あ、ええっと。私は、」
「知ってるわよ、一二三九十九さんにそちらは新田拳正くんでしょう? 我が校の有名人ですものね」
「え。は、はあ」

それを制して、亜理子はまるで子供をあやす大人のようにくすりと笑う。
その様は九十九たちと一つしか違わないと思えないほどに大人の余裕を湛えていた。

「…………それよりも首輪が機能していないというのはどういう意味です?」

完全に相手のペースに飲まれそうになったところにユキが割り込んだ。
まだ顔に血の気は戻っていないが、ある程度の心の落ち着きは取り戻していた。
いつまでも怯えて動かないでいる訳にもいかない。
信用できるかはともかく、何か知っていそうな亜理子と話をする方がよっぽど有意義だろう。

「そのままの意味だけど。そうね根拠はこれよ」

そう言って亜理子は手に持っていた機械をユキたちに向かって差し出してきた。
レーダーの様な機械の画面内ではいくつかの光点が点滅していた。

「これは?」
「首輪探知機よ。これにユキさんの反応は写っていないいない。それだけだと根拠としては弱いかもしれないけれど。
 規定時間になっても首輪の爆破が行われなかったことと併せて考えれば機能していないと考えるには十分だと思わない?」

つまりは首輪の故障、という事なのだろう。
提示されて見ればなんてことはない、当たり前の過ぎる答えだった。
事実として予告された首輪爆破が行われていない以上、そう納得するしかない。

「けど、どうしてそんなことが…………?」
「さて、ただの偶然という可能性もあるでしょうけど。
 そうでないのなら必然性があるはずよ。なにか心当たりはあるかしら?」

そう問われてユキは思い返してみる。
これまでの戦いの中で首輪が解除されるような心当たりがあったか。
ユキの中にそんなものがあるかと言われれば、当然――――あった。

――――――森茂。
彼女の二人目の父。
世界を牛耳る大悪党。

思い返すは最期の瞬間。
あの大悪党は事切れる直前に、別れを惜しむ様に最愛の家族の涙をぬぐい頬を撫でた。
あの時はユキは父との別れを前に強く在ろうと冷静でなかったが、今になって考えるあの行為には違う見方もできるのではないか?
人間の感傷としてあれは当然ともいえる行為だったが、果たしてそれは、あの大悪党にも当てはまる事なのだろうか?

効率と実績の怪物。
あの行為に嘘はなくとも、別の意味がなかったとも言い切れない。

涙をぬぐい頬を撫でた手は、力なく垂れ下がり首元に固定されていた。
そう。”首輪のついた首元”に”悪刀で構成された右腕”を。

ユキも知らぬことだが、あの時点で森には近藤・J・恵理子の首輪解除という実績と経験があった。
あの瞬間、森茂が秘密裏に首輪を解除できるだけの条件は整っていた。
だとしても、自らの死を目の前にした今わの際にそれ程の精密作業を成し遂げられる精神力は驚異的である。

この世界を監視する観測者にすら今際の際の感傷としか見えなかっただろう。
情愛を捨てきれない人間らしさと、恐ろしいまでの効率的な実利を求める非人間性。
それらを兼ね備えた大悪党だからこそ、成し遂げられた偉業だった。

「――――――――――――――――」

胸元を抱く様にしてユキが目を閉じる。
瞳より零れそうになる涙の意味は、先ほどとは変わっていた。
この命は父によって繋がれたのだと、そう胸の中に暖かい確信が広がる。

最期の瞬間、父はユキの身を案じたのだ。
同じく死に晒された後から、なおの事その凄さがよくわかる。

父の愛を再確認する。
この愛を胸に抱いていれば、どんなに辛くともこの先も歩いてゆける。
そう確信できるほど、その事実は彼女を強くした。

「心当たりが、あるみたいね。だったら、」

ユキの反応を観察して心当たりの存在を確信した亜理子は先を促そうとするが、その言葉は突然上がった九十九の声に遮られた。

「わっ!? 何!? 何だろうこれ」

突然の戸惑うような大声に、次は何事が起きたのかと、3人の視線が一斉に集まる。

「な、なんかファミコン、ファミコンみたいなのが!?」

あわあわと戸惑う九十九の目の前には半透明な四角いウィンドウが浮かび上がっていた。
突然の怪奇現象ではあるのだがそれ以上に、普段ゲームやパソコンなどとは縁のない九十九にとって未知の代物すぎてどうしていいのか分からないようである。

「え、どうしたらいいの? どうしたらいいの?」
「落ち着いて」

あたふたと戸惑う九十九の背後に回った亜理子が落ち着かせるように肩に手を置いた。
横から顔を出しウィンドウを覗き込むと、中央に手紙の様なアイコンがチカチカと点滅していた。
細い指を伸ばして亜理子がアイコンにタッチしようとするが、指は空中に浮かんだウィンドウ画面をすり抜けて触れることができなかった。

「私では操作できないみたいね。九十九さん。操作できるか試してもらえるかしら」
「……え、あ、ハイ」

テンパっていた九十九は反射的にその指示に従い画面に向かって指を伸ばす。
恐る恐ると言った風に伸ばされた指が空中の画面に触れた。
ピロンと小気味良い音が鳴り、画面の手紙アイコンが開かれるアニメーションが流れた。
そしてウィンドウにテキストが表示される。

「え、これって…………」

そこに表示されていた文字を見て、九十九がますます困惑する。


田外勇二 さんからプレゼントが届いています! (1) 】


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

田外勇二が最期に成したことはなんだったのか。

あの時、あの瞬間、己が命を残り数秒となったところで、勇二はワールドオーダーの支給品の中からそれを見つけた。
操作方法を読み込む時間はなかったが、幸いにも九十九と違って勇二は親の甘やかしもありこの年でスマホに触れた現代っ子だったから、それがどういう物であるかはすぐに理解できた。
そのインタフェイスはよくやっていたゲームのアイテムボックスそのものだったから。

手早く操作する画面に表示された送り先は5名。
生き残った参加者のデフォルメされたアイコンと名前が並ぶ中から勇二が最期の希望の送り先に指定したのは、一二三九十九だった。

勇二と九十九の縁は一度邂逅したあの時だけ。
治療を施したものの同行者を斬り、敵対したまま別れてしまったようなそれだけの最悪な縁。
それだけだったけれど、それがあったからこそ、勇二は彼女に決めた。

仲間や家族と言える相手が全員死んでしまった勇二にとって殆ど選択肢がなかったというのもある。
自業自得の面があるにしても生き残った面々は、勇二にとっては知らない相手か敵対者ばかりだった。
それに父の同僚であるボンバーガールという選択肢もあった。
正義のヒーローなのだ、希望を託すにこれほど相応しい相手もいないだろう。

だが、時間のない極限の状況の中、勇二の指は自然と一二三九十九のアイコンを選んでいた。

それはきっと、あの邂逅に何か心に残るモノがあったからだろう。
聖剣なんか捨ててしまえと、真正面から勇二を叱りつけたあの時の九十九の言葉が妙に頭にこびりついて忘れられなかった。
聖剣に囚われていた勇二にはついぞ理解できなかったが、聖剣を破棄した今の勇二にならその意味が理解できる。

だから名前だけしか知らない遠くの正義よりも目の前で見て感じた正義を信じてみようと思った。
勇者を巡る騒動を経て、勇二が得た僅かな成長。
それが天秤を動かし、運命を分けた。

祈る様に少年は希望を送る。
縁は流転するように巡ってゆく。
この結末を導き出したのならば、あの間違いにもきっと――意味はあったのだ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


【 田外勇二 さんからプレゼントが届いています! (1) 】

戸惑いを含んだ目で九十九はその名を眺める。
田外勇二。
九十九はその名を知っている。

黄金の聖剣を持った少年。
輝幸を殺し、九十九を襲い、敵対したまま別れてしまった少年。

そんな彼から、どういう訳か九十九に対してプレゼントが送られてきたらしい。
それにどういう意味があるのか。
九十九は計りきれないでいた。

「……………………」

その意図を汲み取ろうと必死に思考を巡らす九十九の後ろで、それ以上に真剣な視線を画面に送るのは女子高生探偵である亜理子だった。
彼女が注目しているのは九十九と別のところ、送り主ではなく送られてきた代物がなんであるかである。

「九十九さん、画面、操作してもらっていいかしら」
「え? あ、すいません」

亜理子に促され九十九が画面をタッチする。
メッセージが送られ、画面からポンとアイテムが実体化して飛び出した。

「おっ!? とと」

それを地面に落ちる前に慌てて手に取った。
手に収まるドーナツ状の冷たい鉄の感触。
それがなんであるのか九十九も知っている。
それは全ての参加者を繋ぐ鎖として付けられる『首輪』だった。

「見せてもらっていいかしら?」
「え、ええ。構いませんけど」

灯りを片手に、手渡された首輪を全方向から舐めまわすように観察する。
各々の首輪に特徴などの差異はないだろう。
だが、傷や汚れと言った後からついた印は残る。

先ほどの受け取り画面に表示されていたアイテム名は【 ワールドオーダーの首輪 】だった。
亜理子は一度直接ワールドオーダーに接触してその首輪を見ている。
ワールドオーダーは亜理子と接触したあの時点で、遠山春奈らとの戦闘を経ていた。
それなりに特徴的な汚れがあった、そしてそれはこの首輪にも見て取れる。
先ほどの表示名に違わず、これはワールドオーダーの首輪とみて間違いないだろう。

「これ、解体しましょう。いいかしら?」

確認作業を終えた亜理子が、すぐさまそう提案する。
それは問いかけていると言うより有無を言わせぬ決定事項を告げている声であった。

「何故ですか?」

強引に話を進めようとする亜理子に流される事なく九十九が真正面から問い返した。

「この首輪には重要な何かが含まれているからよ」

他でもない主催者の現身が付けていた首輪である。
間違いなく特別性であり、それどころか最重要な機能が含まれている可能性が高い。
亜理子からすれば解体は必須だ。

「何かってなんです?」
「それを確かめるためにやるのよ」
「そんな曖昧な理由では、納得できないです」

真意こそわからぬものの、わざわざ自分を名指しして勇二から託された代物だ。
首輪なんて物は九十九からすれば無用の長物だが、無下に扱っていいものでもない。
託された希望の使い道は慎重にならなければならない。
そう言いたげな九十九の視線に、亜理子は呆れた様に一つ溜息をもらすと、睨む様な鋭い視線を向けた。

「いい? あなたにこれを託した誰かはこれを後生大事にして欲しくてこれを託したとでも思うのかしら?
 違うでしょう? これをあなたに託すことが希望を繋ぐことになると思ったからそうしたんじゃなくて?
 託された物を有効活用しなくちゃそれこそ無意味になる。そして私なら、これを最大限有効活用できるわ」
「それは…………」

そう言われてしまえば九十九に反論の余地はない。
首輪の有効活用方法など九十九には逆立ちしても思いつきそうもないのだから。
反論の言葉を失った九十九に変わってユキが問う。

「首輪を解体すると言っても、どうやってです?」
「今ある道具で何とかして、よ。もちろん失敗すればボンだけどね」

そう言い爆破を示すように指を開く。
冗談めかしているが設備もない、専門家もいないという状況での解体行為のリスクは高い。
亜理子もそれは重々承知している。
だが、リスクがあろうともやるしかないのだ。

「大丈夫よ。首輪の構造は把握しているし、バラしたサンプルもある。
 装着状態じゃない首輪単体をバラすだけなら意外と難しくはない構造になってるわ」
「なら私がやります」

はいはいと九十九が手を上げて立候補していた。
切り替えの早い女である。
それに対して探偵は目の前の少女を値踏みするように眺めた。

「……あなたが?」
「はい、そういう作業とか得意なんで」
「失敗すればどうなるか理解しているのよね?」
「はい」

余りにも平然とした返答に探偵も覚悟のほどを推し量りかねた。
同じ学園に通う相手だ、何かと目立つSクラスの生徒ともなれば学年は違えどある程度の情報は耳に入っている。
彼女は鍛冶職人。
手先の器用さという点では亜理子よりも上だろう。
だが、この手の専門家という訳ではない。

亜理子としては別に九十九の腕が吹き飛ぼうが構わないが、ワールドオーダーの首輪が吹き飛ぶのは困る。
果たして目の前の少女が、重大任務を任せるに値する相手かどうか。

「それに、この首輪は私に託された物なので、やっぱり私がやるべきだと思うんですよ」

確かに九十九の所有物の扱いを九十九が決めるのは筋が通っている。
それに元より亜理子がやっても確実という訳ではないのだ、一番器用な人間が役割を担うと言うのは順当な話ではあった。

「……ええ。それならお願いしようかしら」

言って、亜理子は諦めた様に息を吐くと首輪を九十九に差し出した。
言葉の軽さとは裏腹に九十九の瞳には意固地なまでの意思が宿っていた。

どの道、亜理子の技術では確実ではないのだ。
適任がいるのならそれに任せるのは正しい判断である。
九十九に覚悟があるのならば、これ以上言うべき事はない。

「私と首輪を解析したミル博士がまとめた資料と、解体したサンプルも渡しておくわ」
「ありがとうございまーす!」

亜理子は荷物の中から解体した首輪と、胸元のポケットからノートを取り出す。、
九十九は受け取ったノートの首輪について描かれたページを開くと、ライト片手に穴が開くような集中で読み込んでゆく。

「複数ある爆弾は連動しているから同時に機能を切る必要があるわ。起爆する可能性があるのでこの配線には触れない様に」
「ふむふむ。内側が薄いんですね。その配線の位置は……それが分かれば何とか……」

亜理子の説明を受けながら、ページを往ったり来たりして内容を頭に叩き込んでゆく。
首輪の断面図、外装の材質や厚さについて事細かに描かれていた内容を把握しながら、解体した首輪の実物を手に取って手触りや感触すら堪能する。
そして数分後、無駄に勢いよくノートを閉じると、使える道具を見繕って亜理子の持っていた工作道具の中から充電式のヒートカッターを取り出した。

「よし、やるか!」

即断即決。把握を完了した途端、作業へと取り掛かる。
思い悩んだところでうまく行くというモノでもない。
この割り切りのよさこそ九十九ので短所あり長所である。

「九十九。何か手伝える事ある?」
「ありがとユッキー。じゃあライト持って、手元を照らしててもらえるかな」
「わかった」

指示を受けたユキが九十九から受け取ったライトで手元を照らす。
ヒートカッターのスイッチを入れ準備が完了したことを確認して、九十九が首輪の内部にそっと刃を立てる。

「ふぅ――――――――」

一つ息を吐くと、カッと目を見開く。
その目の色が変わった。
爆発物を扱っているとは思えないほど迷いなくすっと手が引かれた。
定規で線でも引く様な正確さで内側の薄い装甲部分を切り裂く。

一たび手が動けばそこからは迅速だった。
手元が狂い力加減を誤ればただでは済まない作業を瞬き一つせず次々とこなしてゆく。
まるで料理人が魚を卸すような手際で解体作業が進められ、腸のように配線が丁寧に引きずり出された。

「ぅうん? 中身は取り出せたけど、なんか妙なのが…………」

そう言って取り出しバラバラになった『中身』を並べてゆく。
爆弾と配線。『08』と刻印されたデータチップ。そして、

「――――――それね」

亜理子が確信を得たような言葉を漏らし、そこから小型の機械をつまみ上げた。
首輪の内部に紛れた不純物。それこそが特別性の首輪たる所以。
死神の不死殺し、ディウスの魔力制御装置。それに連なる、ワールドオーダーの何か。

「何なんですそれ?」
「ジャマ―のようね、かなり小型だけど…………」

指先でつまんだ装置を弄りながら亜理子が考えこむ様に黙り込んだ。
首輪の中にあった妨害装置(ジャマー)。果たしてこれは何を妨害する物なのか。
ある程度の予測はつくが確証とまでは行かない。
生死に直結する事だ、確証もないままという訳にもいかないだろう。

「実験をしましょう」

そう言って亜理子はジャマ―を持ってスタスタと歩き始めた。
そして振り返ることなくどこかに消えて行った。
状況を動かすだけ動かして嵐のように過ぎ去った背を見ながら、取り残された3名は顔を合わせる。

「行っちゃったけど」
「どうすんだ?」
「まぁ…………ついていかない訳にもいかないでしょ」

戸惑いながら亜理子の向かった先へと3人が進む。
ゆるゆると追いかけてみれば、少し進んだくらいのところで、亜理子が何かをしていた。
何もない空間に向けて糸の繋がった何かを放り投げて、数秒待ってから糸を手繰って回収する。
それを何度か繰り返した後、今度は回収した何かを弄って再度糸を繋ぎなおして放り投げる。

「何してんだ………………?」
「さぁ? ユッキーは分かる?」
「……まあ、なんとなくは分かるけど」

などと言いながら、その様子を見物している三人だったが。
数秒後。爆発音が響き渡った。

「うぉ!?」
「きゃッ!?」

爆発に呆気に取られている見物人をよそに、亜理子は一人納得したように頷く。

「なるほどね。まあ予想通りではあったわね」
「……先輩。一応、説明を」

一人納得している亜理子に向けてユキが説明を促す。
探偵は、そうねと呟き、見物人へと向き直る。

「結論から言えば、九十九さんが解体してくれた首輪の中にあった『これ』は、首輪の爆破信号を遮断するジャミング装置のようね」
「首輪の?」
「爆破信号ぉ?」

声をそろえて首をかしげる幼馴染二人。

「そう。それを確かめるためにこれを首輪の中にあった爆弾と一緒に禁止エリアに放り投げてどうなるかを見ていた、という訳」
「ほへぇー。そーなのかー」

理解したんだかしてないんだか分からない相槌を打つ少女を尻目に、ユキは一人考え込む様に口元に手をやる。

「何故そんなものが首輪の中に?」
「そういうのが入ってる特別性の首輪があるのよ。主に強い力を持った参加者の首輪がそうなってるようね」
「つまり、首輪にも当たり付きがあるって事ですね!」
「…………まあ、概ねそういう認識でいいわ。
 それで主催者であるワールドオーダーの首輪には首輪を無効化する装置が仕込まれていたということよ」
「そっか…………」

九十九はそこでようやく、勇二が首輪を送ってきた意味を知る。
あの少年は九十九を助けるべく、希望として送ったのだ。
心の中で少年に感謝を述べる。

「…………じゃあ。それじゃあ! それさえあれば首輪の問題は解決ってことですね!?」

全ての参加者たちを悩ませていた首輪問題に解決の光明が差した。
その喜びをあらわにする九十九だったが、隣のユキは表情は暗いままである。
亜理子もそうではないと静かに首を振った。

「いいえ、これは一人にしか適用できない。ユキさんの首輪が解除されてるとしても、残るは私と九十九さんと拳正くんの3人、最低2人の首輪は解除しなくてはならない」
「にしたって、これがあれば解決じゃねぇのか? これ使えば爆発しないってんなら強引にでもバラしちまえばいいんじゃねぇか」

爆発の解体作業は慎重を要する作業だが。
首輪を爆破させない機械があるのなら、強引に破壊する事もできるだろう。

「そう上手くはいかないのよ。さっき最後に爆発したのを見たでしょう?
 これの効果はあくまで適応している間の一時的なモノだし、外部からの起爆信号を遮断できると言うだけで爆弾自体は生きている。
 ヘタに弄繰り回せば爆発する危険性がある事に変わりないわ」

そうなると、話は振出しに戻る。
結局は正攻法で首輪を解除しなければならない。
その難問は相変わらず彼らの前に立ちふさがっている。

「首輪を解除するために必要なのは知識と技術と道具よ。
 首輪に関する知識は私が提供した。技術は先ほどの手際を見るに九十九さんに任せていいでしょう。後は道具よ。
 先ほどは話が途中で途切れてしまったけれど。その辺の心当たりについて聞いてもいいかしら。水芭ユキさん?」

そう言って亜理子が唯一、首輪の解除されている少女へと向き直る。
問われたユキは僅かに視線を逸らし地面を見つめた。

解除方法は悪党商会の秘中の秘。関係者であるユキですら噂程度にしか知らない三種の神器に纏わる話だ。
問うたのが亜理子だけなら誤魔化していた所なのだが。
友人である拳正と九十九の命に係わる事である以上、黙っている訳にもいかなかった。

「…………そうですね。では心当たりについて説明します」

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「その悪刀。そして首輪が欲しいわ。森茂の首輪が」

話を聞き終えた亜理子は当然のようにそう切り出した。

「森茂の死体はどこにあるの?」
「北の市街地の公園近くだったと思いますけど……」
「北の市街地か……ほとんどが禁止エリアに指定されてるわね。猶予は殆どないし今からじゃ間に合いそうにないわね」

時刻は2時になろうとしていた。
禁止エリアの発動まであと僅か。
今から移動して北の市街地にあるモノを回収するのは難しいだろう。

「だから回収をお願いするわ、水芭ユキさん。首輪の解除されているあなたに」

話の流れとしてそうなるだろうとユキも予測していた。
だがそれ以前に、大きな問題が一つあった。
ユキは苦々しい顔で独り言のようにその問題を指摘する。

「…………無理よ。回収したところで悪刀はお父さん……森茂にしか扱えない」

悪党商会三種の神器はナノマシン認証による専用装備だ。
その仕組みをユキは完全に理解していないが、体内ナノマシンが存在しない人間に扱うことはできない。
少なくともここにいる人間には扱うことは不可能だ。

「そのために首輪が必要なの。ワールドオーダーの首輪のように何かがあるかもしれない」
「何かが、あるかもしれない」
「ええ。確実に、とは言わないわ。けれど可能性はある」

首輪を回収するという事は、すなわち首を落とすという事だ。
つまり確実性のない予測だけで、父の首を落とせと強要している。

「それは、ユッキーじゃないとダメなんですか?」

そこに九十九が割り込む。
必要であるとしても娘が父親の死体を辱めるよりは。他の人間が請け負うべきである。

「ダメね。死体の場所を把握していて、解除した道具に心当たりがある。
 何より、禁止エリアを移動できる、そんな人間は彼女しかいないでしょう?」

すべての条件を満たしているユキにしかできない仕事である。
首輪の機能していないユキが行くべきであると言う合理性判断だ。
探偵は感情の機微を理解していないのではなく、理解したうえで無視している。

「…………必要なことなのね」

その探偵の意思も、必要性も理解した。
ユキは悪党を継いだ。
悪党としてこの悪を呑み込む。

「いいわやりましょう。悪刀と森茂の首輪を回収してくるわ」
「…………ユッキー」

二度目の父殺しを決意した少女の心情はいかばかりか。
その心情を慮り九十九が心配げな声でユキの背にそっと手を添える。

「そうね。ユキさんにしかできないと言ったけど、これを使えば一人だけなら同行できるわね」

亜理子が手にしているのはワールドオーダーの首輪から取り出した首輪の爆破信号を無効化する装置だった。

「はいはい! なら私も行きます! 私!私!」

元気よく積極的な生徒のように手があげられる。
立候補者の勢いに苦笑しながら亜理子がユキへと問いかける。

「という事らしいけど、同行者は彼女で構わないかしら?」
「もちろん、心強いわ。ありがとう九十九」

これでユキと九十九は悪刀と首輪の回収に向かい。
拳正と亜理子は近場の身を隠せそうな場所に留まりその帰りを待つ。
当面の行動方針が決定した。

「私たちは一旦身を隠せる場所に移動して出来る限り動かずあなたたちの帰りを待つけれど。
 何があるともわからないからこれを預けておくわ」

亜理子がポケットからバッチを取り出し、ユキへと手渡す。

「使い方の説明はいらないでしょう?」
「当然」

それはユキにとってなじみの深い代物だった。
悪党商会のバッチ。通信機にもなる優れものである。
これがあれば合流するのに問題はないだろう。

「よーぅし。それじゃあ出発――」
「そうそう、最後にもう一つ」
「――ん?」

出発しようとした二人が足を止めて振り返る。

「どなたか、パソコンは持ってないかしら?」
「ノートなら支給品にありましたけど…………」

ユキが答える。
何のデータも入っていないノートパソコンだったため、殺し合いの場では使い道がないと放置していたが彼女の荷物の中に確かにあった。

「それ、貸してもらっても構わないかしら」
「……まぁ、構いませんが」

実際これまで出番もなかった訳だし、必要だと言うのなら貸し与えるのも吝かではないのだが。

「何に使うんですか?」
「確認したいデータがあるのよ」

簡潔にそれだけを言って亜理子はユキからノートパソコンを受け取った。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

二人が立ち去り、亜理子と拳正の二人がその場に取り残される。
二人の背が見えなくなってから暫くして、拳正が亜理子へと向き直った。

「それで、俺に何の用があんだよ?」

唐突な少年の問いに女は戸惑うでもなく、薄い唇を僅かに釣り上げる。
そして、その口元を隠すように片手をやった。

「あら、何故私があなたに用があると思ったのかしら?」

その試すような笑みに不快感を覚えるでもなく、拳正は開かなくなった右目の眉を静かに上げる。

「あんだけ露骨に人払いすりゃわかるっての。どう考えても同行者として九十九はいらねぇだろ。単独行動の方がましってもんだ」

首輪解除の道具が必要であり、それはユキでなければ回収できないと言うのは真実だろう。
だが、それに九十九は不要である、
そもそも同行者という提案自体が不要だ。
というのが拳正の考えだ。
少なくとも、あれだけ情を切り捨て合理の提案をした人間がする提案ではない。

「それに安全を期するってんなら禁止エリアの直前まで4人で行きゃいいだけの話だ、そもそもここで別れる必要性がねぇだろ?」

拳正の指摘を受け、探偵は犯行を暴かれた犯人のようにふっと笑う。

「その割に落ち着いているのね。人払いをしたと気付いたのなら、私があなたを襲おうとしているとは思わないのかしら?」
「思わないね。あんたがこっちを殺すつもりだったなら水芭の件でゴタゴタしてた時にやってんだろ?」

ユキの動向に気を取られていたあの瞬間、拳正ですら周囲の警戒を怠っていた。
いかなる状況であろうとも心乱したのは拳士として恥ずべき失態である。
あの場面で悪意ある相手に襲い掛かられていたならば確実に全滅していた。
そうしなかったのなら、こちらを殺すつもりがないとみていいだろう。

「けど、こちらを殺すつもりはなくとも利用しする気がないって訳じゃねぇんだろ? あんたが何か企んでるってのも分かるさ」
「……へぇ。意外とよく見ているのね」

亜理子の瞳が細まった。
からかう様な軽さが消え、冷たい冷徹な光を帯び始める。
目の前の相手は簡単に食い物出来る相手ではなさそうだと、警戒レベルが僅かに引き上がった。
その変化を気にするでもなく、泰然とした拳正の態度は変わらない。

「根が臆病なもんでね。ろくに知りもしねぇ相手を信用でないってだけさ」

同じ学校と言われても拳正からすればよく知りもしない相手だ。信用するには至らない。
一度拳でも交わせば分かりあえたかもしれないが、そういう手合でもないだろう。

「別に責めてる訳じゃねえさ。それ自体は構わねぇよ。この状況ならその辺はお互い様だろうしな。
 俺が確認してぇのは、あんたのやろうとしてる事が俺らを害するかってことだけだ」

拳正の気にすべきところは自らに益があるか害があるかの一点。
害があるのならその害の程度を確認しなくてはならないし。
益があるのなら利用されるのも構わないと割り切っている。
彼女の目的が接触してきた題目通りだとするのなら、わざわざ二人きりになった目的が解せない。

「そうね。私には私の目的がある。それは認めるわ。そのためにあなたたちが必要なのも認めましょう。
 あなたたちには私に足りないモノを持っている、それこそ都合がいいくらいに」

どこか自嘲気味に笑って、素直に亜理子はその事実を認めた。
利害を明確にした方がよい相手だと目の前の相手を見定めたのだろう。
むしろ、ここまでシンプルな相手だと無駄な駆け引きは逆効果になるだろう。

「けど、だったらなおさら俺に何の用があるってんだ?
 自慢じゃねぇが俺なんかつっついても何も出ねぇぞ?」

本当に自慢ではないが拳正には知識もなければ知恵もない。
彼らのグループで彼女にとって利用価値があるとするならばユキくらいのモノだろうと拳正は考えているのだが。

「その辺は大丈夫よ。私が知りたいのは、あなた自身の事だから。新田拳正くん」

艶めかしく女の唇が開かれる。
それを見て、少年は怪訝な表情で眉根を寄せた。

「口説いてンなら他を当たれよ、先輩」
「あら年上は好みじゃないかしら。まああんな可愛い娘を二人も侍らしてるんだもんね」
「侍らしてねぇよ、恐っろしい」

心底ヤだヤだという顔で舌を出す。
その様子を亜理子はクスリと笑った。

「私が知りたいのはあなたの人となりよ。これまでとこれから。全てを終わらせるに足るかどうか」
「んだぞりゃ。わけわかんねーよ」
「別に分からなくてもいいわ、ただ話してくれればそれでいい」

それが何の意味を持つのか。
拳正にはいまいち理解できないが、拳正が自分の来歴を語ったところで己やましてやユキたちを追い詰めるとも考えづらい。
恥の多い人生であったが、隠すほど大層なモノも無い。

「んー。ま、構わねぇけどさ。別に減るもんでもなし」

そうして少年は語り始める。
己が半生を。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「ユッキーってさぁ…………」

北の市街地に向かう道中。
九十九が先を行くユキに向かって話しかけた。
振り返れば彼女らしからぬ妙に神妙な面持ちをしており、何を問われるのかユキに緊張が走る。

「拳正のこと好きなの?」
「ブハッ!!」

不意打ちをくらって思わず噴き出した。
そして顔を赤らめ、わなわなと震え言葉を詰まらせる。

「なっ、なっ、なっ…………!?」

戸惑いながらも、なんとか絞り出すように言葉を吐く。

「……………………何で?」
「いやぁ。なんとなく、そうかなって」

首輪爆破のゴタゴタの拳正に対する態度が露骨だったのか。
九十九はこの手の話にはニブイと勝手に思っていたので非常に意外だった。

「あれ? スゴイ失礼なこと思ってる?」

ん? ん? と顔を寄せてくる。圧が強い。
視線をあさっての方向にしつつ逃れようとするが、そのままにじり寄られて、追い詰められる。

「それよりどうなの?」
「うっ…………」

九十九も女子の御多分に漏れず、この手の話が好きらしく逃してくれそうになかった。
ユキだって好きだ、他人事なら。
そう言う相手はいないのと舞歌にからかわれる事はあったが、本当に何もなかったその時はあしらえたが、今は。
うぅと唸って、とうとう観念したのか、ユキが自分の正直な心中を吐露した。

「…………分からないよ」

それが今の正直な心境だった。
これは果たして恋心なのか。
ユキ自身にもよく分からなかった。

「そりゃあ、ここに来て何度も助けてもらったし、頼りになるなぁとは思ったよ?
 けど…………けど、吊り橋効果? ってやつじゃないかなぁとも思うし。なにより今は、そんなことを考えてる場合じゃないでしょう?」

言い訳がましく聞こえるが本当の気持ちだ。
ユキの大切な人たちも多くの人が喪われた。
常に落ち込んでいろなんて思わないが、自分の生き残りすら見えていないこの状況で、そんな浮ついたものにうつつを抜かしていていいはずがない。
だから、この気持ちの正体と向き合うのは全てが終わってからでいい。

「うーむ。まぁ…………確かに」

その答えに完全に納得いっていないものの、そう言われるとそれ以上の追及はできなかった。
これまで殆ど関わりのなかったユキと拳正の関係性はこの1日で生まれたものだ。
その関係性を安易に決めてつけてしまうのは、あまりにデリカシーに欠ける。デリケートな話題だけに。

「そう言う九十九はどうなのさ」
「どうって?」
「新田くんの事、正直どう思ってるの?」

今度はユキが反撃に転ずる。
夏目若菜くらいしか突っ込めなかったクラスの噂(タブー)。二人の関係性にユキが一石を投じる。
確信を突くような事を問われた九十九は腕組みしながらうーむと唸り、真顔になって言う。

「正直、言葉を話すサルだと思ってる」
「わぁお、辛辣ぅ」

毒舌はユキの専売特許だったはずなのだが。

「けど、嫌っている訳じゃあないでしょ? いつも一緒にいる印象だし、仲は良いよね?」
「仲がいいと言うか、腐れ縁と言うか。
 子供のころから一緒だし、好きとか嫌いとかじゃなくているのが当たり前みたいな感じかなぁ」

そう言って、少しだけ柔和な表情を見せる。

「まぁ。殆ど家族みたいなもんだよ。私にとっては世話のかかる弟みたいなものだから。そういう対象ではないかな」
「家族か……」

好きじゃないし嫌いでもない、ウザいしメンドイし鬱陶しいけど、世話を焼くのも焼かれるもの当たり前の関係。
ユキにとって孤児院のみんなや悪党商会のみんながそうだったように。
それは家族と呼ばれるものだった。

「まあそうじゃなくても、そもそもアレは私の好みではない」
「では、ちなみにどんな男性がお好みで? やっぱり年上系?」

普段からお爺ちゃん子であることはユキも知っていた。
というかクラスメイトなら誰でも知ってる。
なんなら枯れ専である可能性まである。
だが、九十九の答えはユキの予想とは違った。

「王子様。白馬に乗ってればなおよし」

ユキが微妙な表情をして固まった。
しばしの沈黙。

「……九十九って意外と乙女なの?」
「失敬な。あっしバリバリの乙女ですぜ?」

へっへと乙女らしからぬ何故か媚び諂うような三下笑いを浮かべた。
もしかして照れているのだろうか。

「まぁ、彼とは確かに対極ね」
「うん。あんなの好きとかユッキー趣味悪いよ」
「いやいや、まだ認めてませんから。未遂ですから」

何でもない帰り道みたいに下らない会話をしながら歩いているうちに市街地が見えた。
父の墓標に近づいているはずの少女の足取りが重くなることもなかったのは、きっと友人がそんな話をしていてくれたお蔭だろう。
ユキの心理的なケアと言う意味では九十九がここまで同行した事は決して無意味な事ではなかった。

「そろそろね。念のためすぐ戻れるよう準備しておいて」

禁止エリアが近づいていた。
彼女の父が待つ、目的地まであと僅か。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「お母様の事故に不審な点はなかったかしら。犯人が目元の見えないおかしな男だったとか」

少年の身の上話を聞き終えた女探偵は感想一つ述べるでもなく開口一番そう問うた。
問題解決へ最短距離を直走るのも良し悪しと言える。

もっともそれで別段気を悪くする拳正でもない。
何でもないような顔のまま質問に答える。

「いんや別に。事故の後、直接頭下げられたけど普通のトラックの運チャンだったぜ」
「…………そう。あなたが言うのならそうなのでしょうね。
 仮にそうだったとしても本人が自覚していない以上、証言から推理するのも難しい、か」

当てが外れたのか、親指を噛んでどこか悔しげに呟く。
当然の話だが、世界中の事件すべてに『奴』が関わっている訳ではない。
拳正の母を奪った事故は、特別なことなど何もない、どこにでもありふれた悲劇だった。

「けど、分からないわね」
「何が?」
「あなたが選ばれた理由よ」
「何に?」
「この殺し合いの参加者によ」

参加者には必ず選ばれた理由がある。
ではこの殺し合いに何故、拳正が選ばれたのか。

「いや、そんなもん俺が聞きてぇよ」

当然、そんな事を拳正が知る訳がない。
そんなぼやきのような拳正の言葉に応じず、亜理子は続ける。
元より彼に問うた訳ではない。

「あなたの師匠さんには直接干渉した跡が見て取れる。
 けど、あなたはそれに間接的に関わったに過ぎない、直接的な繋がりが見えないのよ」
「いやだから、何との?」

疑問だらけの拳正に対して探偵はおざなりに答える。

「ワールドオーダーとよ」
「そらそうだろ、あんな野郎にゃ会ったこともねぇよ」
「そうでもないのよ、まあそうでもない人間もいるようだけど」

最初から資質を持った人間なのか、資質を与えられた人間なのか。
拳正はどちらなのか。

「恐らく、あなたの師匠をこの時代に連れてきたのがヤツよ」
「マジでか」
「その時点では本命はそっちだったはず、けれど実際に参加したのはあなただった、何故かしら」
「知らんよ」
「本命である李書文を通して、関わりを持ったあなたを見つけて、対象を切り替えたってところかしら」

拳正に話をしているように見えて返事なんて端から聞いていないのだろう。
探偵は一人で考え一人で結論を出した。

「つまりあなたは本命ではなかった。副次的な派生物にすぎなかった。
 アイツの成果を差し置いて、そうでないあなたを主人公に仕立て上げる、か。それは…………愉快ね」

フフフと女はどこか酷薄さを感じさせる笑みを口元に浮かべる。
何千年とかけて種をまいてきた仕込みではなく、副産物的に生み出された物が花を咲かせる展開はとても愉快だ。
悪ぃ顔してんなー、とそれを見ながら拳正は若干引いた。

「そうね。あなたを推す事にしたわ」
「いやー意味わからんッス」

話に全然ついていけずお手上げと両手を上げる。
亜理子は気にせず、結論を述べる。

「まあ結論はそう難しい話じゃないわ。あなたにワールドオーダーと戦ってもらえるようお願いしたいと言う話よ」
「お願いも何も。そうなるならそうするってだけだろ」

ワールドオーダーは参加者にとって共通の敵だ。
生還が優先であるとはいえ、ぶちのめす機会があるのなら亜理子に言われずともそうするだろう。

「そう。だからその機会を私が設けるわ、あなたをワールドオーダーの前に連れていく。
 そこまで私が展開を持っていくから、あなたは戦うだけでいい」
「俺がそれを断ったところで、意味はねぇんだろうな。俺らはあんたに乗っかるしかねぇんだから」

拳正たちは亜理子に付いて行くしかない。
受けようが断ろうが、その気になれば無理矢理対峙させることも可能だろう。
亜理子もそれは否定しない。

「そうね。けれど自覚と動機は必要だと思うのよね。そう言う物だと思うから。
 かと言って何もかもを知ればいいという物でもない。なるほど、難しいわねこれは」

敵方の気苦労も知れるというもの。
意味深な亜理子の呟きについて、もう拳正は意味を問わなかった。
どうせ理解できない。無意味であると学んだからである。

「ま、それはいいとして。さっきから何してんだあんた?」

気にせず早々に話を切り替える。
先ほどから亜理子の視線は拳正ではなく手にしたノートパソコンの画面に向かっていた。
拳正の身の上話を聞きいていた時からパソコンを弄り続けていたのである。
拳正でもなければ気を悪くしかねない大変失礼な話であった。

「言ったでしょ。確認したいデータがあるって」

話ながら、つつとタッチパッドを操作している。
視線だけを上下に揺らし、画面を舐める様に精査していた。

「そのデータってのはなんなんだ?」
「首輪の中にあったデータよ、全部そろってないと開けない分割データとかじゃなくてよかったわ」

ほうほうと拳正がディスプレイを覗き込む。
見た瞬間、思わず「げ」と声が出た。

「英語かぁ…………読めんわ」

一面の英文の羅列。
せめて中国語ならなぁとぼやく拳正だったが、実際のところ多少の会話はできても読み書きはできない。強がりである。

「言語フォルダがやたらに分かれていたから一番レポートとして読みやすい言語で読んでるだけよ。日本語もあるわよ、読む?」

誰にでも読み解けるよう配慮なのだろう。
日本語や中国語、スワヒリ語やタガログ語、エスペランド語なんてのまで用意されていた。

「……いやぁ、遠慮しとくわ。文章を見ると眠くなる不治の病に侵されているんで」
「そう。難儀な体質なのね」

軽く流して画面へと視線を戻す。
論文めいた文章の羅列は日本語であろうともきっと理解できないだろう。
その自信が拳正にはあった。
無駄な努力をするよりは、さっさと分かる人間に聞いてしまった方が早い。

「んで先輩、どんな内容が書いてんの」
「下らないわね。出来の悪い三文小説を読んだ気分よ」

表情を歪ませ、本当に下らないと吐き捨てる。
苦々しく歪んだ笑顔で冗談でも口にするように言った。

「この世界を全部、アイツが作ったって言ったらあなた信じる?」

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「……………………」

あまりにも早い再会だった。
埋葬ではなく、身なりを整えるだけの簡易的な葬儀で済ませたのは幸いだっただろう。
墓を掘り起こす手間はなく、辿りつくなり対面する事ができた。
まさか、別れを告げたはずの父の前に再びこうして立つことになろうとは思わなかったが。

「…………ユッキー」

背後から心配そうな声がかかった。
ユキの心情を気遣っているのだろう。

「大丈夫。心配しなくても大丈夫だから」

既にさよならは告げた、父の死体を前にしても心に乱れはない。
むしろ、悪党を継ぐと誓った父の前だからこそ恥ずかしい所は見せられなかった。

父の傍らに転がる漆黒の刃を拾い上げる。
腕を象っていた黒い粒子は初期状態(デフォルト)の小さなナイフとなっていた。
本来、悪刀は常人には持ち上げられぬ重量を誇る超高密度の刃である。
だが戦いの果てにその殆どは失われ幸いにもユキの細腕でも持ち運びできる重量となっていた。

今ユキに相応しい小さくなった悪党の名を冠した刃をポケットにしまう。
ポケットの中で指先にかかるその重みを確かめる。
薄まったと言えその重さは鉄よりもはるかに重く、まるで覚悟を問われているようでもあった。

ともかく目的の一つである悪刀の回収は滞りなく完了した。
後は首輪を回収するだけである。

「私がやろうか…………?」

躊躇いがちに背後の九十九がそう提案してきた。
九十九からすれば、その汚れ役を買う為についてきたと言っていい。

死体とはいえ、娘が父の死体の首を落とすなんて悲惨な光景を見たくはない。
そんなものを見るくらいなら他人の自分がやった方がよっぽどマシだ。

二度の目の父殺し。
首を落とし死すらも辱める最低最悪の行為。
だが、それは。

「ううん。違うわ。これ私がやるべき、私の役割なのよ。誰にも譲ってあげない。私がやらなきゃいけないの。
 だから九十九。そこで、待っていて」

ユキは悪党である。
悪党ならば躊躇わず世界に必要な行為を成すだろう。

これは避けるべきことでも、目を背けるべきことでもない。
むしろこうなったのは幸運だった。
悪党としての初めての成果を、他でもない大悪党に捧げられるのだから。

その返答に九十九は驚いたような表情を見せたが、それも一瞬。
黒髪の少女は無言のまま頷きを返すと、祈るように両手を重ねる。
白の少女の為す事を目を背けず見守る事にした。

「だから、見ていてね」

背後で待つ少女にではなく、物言わぬ偉大な先代に対して告げる。
これは別れではなく最初の一歩。
悪党として生きる覚悟の誓い。
透き通るほどに美しい氷の刃が、音もなく振り下ろされた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「おっ、おっ、おっ…………!?」

おー、と周囲で見ていたギャラリーが湧く。
一二三九十九の指先で、くねくねと薄ぼんやりとした黒い靄が踊っていた。

森茂の首輪と悪刀の回収任務を達成した二人は、通信機で密に連絡を取り合いながらという事もありアクシデントもなく待機組との合流を果たした。
そこからは九十九が要領よく回収した首輪を解体せしめ、中にあった不要物、白色の磁石の様な機械を入手する事に成功する。

それこそが森茂の首輪に仕込まれた特別性。
森茂の体内ナノマシンを抑え込むために使用されていた装置である。
それはつまり、ナノマシンに干渉する機能ということだ。

ナノマシン制御装置。
首輪に仕込める程度の大きさでは操作を阻害することはできても、それ自体を制御に使用するのは難しい。
できるとしてもごく僅か、おそらく小指一本分にも満たないだろう。戦闘用にはまるで足りない。
だが、小指一本分もあれば首輪を解体するには十分である。

そうして、九十九が制御装置を使って悪刀の操作を試みた結果がこれである。
まだ感覚を掴めず操作に手こずっているようだが、一先ず、どのような隙間にも滑り込む変幻自在のナノナイフを手に入れる事が出来た。

これで知識、技術、道具。
最低限の首輪解除の条件は揃った事になる。

不安があるとするならば、技術だろう。
専門家でない九十九がどこまで出来るのかは不明瞭だ。
しかも初めて扱う悪刀でどうなるのか。

そんな不安を抱えた状態であっても進むしかない。
まず誰かが実験台になる必要があった。
九十九が自らの首輪で試す訳にもいかないし、ユキの首輪は既に解除されているとなると拳正か亜理子どちらかという事になるのだが。

「ま、いいさ。まずは俺のをやれよ」

ごくごく当たり前の事の様にあっさりと、拳正がそう自ら申し出た。

「あら。自ら危険を買って出るなんて随分と紳士なのね。それとも彼女に対する信頼かしら?」
「別にどっちでもねぇよ。こんなもんとっとと取っちまいたいだけさ」

亜理子の皮肉を流して、ドサっと地面に座り込んで胡坐を組んだ。
そして左だけになった目で九十九を真っ直ぐに見上げる。

「よし、やってくれ」
「うん。よーし…………ッ」

九十九は緊張をほぐすべく胸に手を当て大きく息を吐く。
額から滲む汗を拭って、乾いた喉を潤すように唾を呑んだ。
そして、ゆっくりと丁寧な手つきで拳正の首元へと指をやった。

指先の漆黒の靄が蠢く。
この靄の一片一片が鋭意な刃である。
寸分のミスも許されない。
これまで以上の集中を持って、悪刀での解体作業を始めようとした、ところで、スパンと頭をチョップされた。

「ぁ痛ッ! っていうか危なッ、あにすんのよぉ!」

何という事をするのか。
殴られた拍子に手元がぶれて悪刀が首に掠りでもしたら、血みどろの大惨事である。
拳正は九十九の抗議を無視して、つまらなそうにふんと鼻を鳴らした。

「何らしくもなく緊張してやがんだよ、テメェは」
「な、何よ。緊張くらいするでしょ、そりゃあ……」

自分だけが被害を被るのなら、九十九は気にしないだろう。
だが他人の命に関わる事ともなれば流石の九十九とて慎重にもなる。当然だろう。
だが、そんな少女の不安を、少女を誰よりも理解した少年は笑い飛ばした。

「けっ。何を今さら。お前のせいで俺が何度死にかけたと思ってやがる。
 爺さまの蔵の時といい、裏山の沢の時といい、海に遠出した時もあったな。
 さんざんっぱら人の命を危うくしてきたお前が、他の奴が相手ならともかく俺の命を握った程度でビビってんなよ」
「な、なにをぅ……!?」
「気楽にやれよ九十九。どうこうなろうがこっちとしても今更怨みもしねぇよ。
 変にビビってやられたら、そっちの方が危ねぇだろ」

悪刀を装備した逆の手で叩かれた頭を擦りながら、九十九が強張っていた表情が和らぐ。
どこか吹っ切れたような、いつもの表情へと変わっていた。

死にたくないからこそ自らの死を恐れない。
死なせたくないからこそ相手の死も恐れない。
矛盾したその価値観の先にこそ生がある。

拳正はそう伝えていた。
九十九もそう在ったはずだ。

「…………ん。そうだね。ありがと拳正」

素直に礼を述べた。
その表情が鋭く尖れた刃の様な真剣な色を帯びる。
それは、鉄火場でのいつもの彼女の表情だった。

「それじゃあ――――始めるよ」

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「………………おっ――――わったぁ!」

解放の叫びと共に、悪刀をぱぁっと解放し両手を放り出して九十九がその場にパタリと倒れこむ。

「うわっ!?」

ライト係りとして九十九の後ろにいたユキがそれに巻き込まれた。

作業開始から一時間以上が経過し、全ての作業が完了した。
無論、事故などなく、全ての首輪の機能停止に成功する。

最初の拳正の首輪解除には少々手こずったようだったが。
一度生きた首輪の解除することで手応えを得たのか、亜理子の首輪は半分以下の所要時間で作業を完了させた。

「うぅ~、ふとももすべすべ~」
「オヤジか。セクハラやめて」

ユキのふとももを枕に冷やしたタオルを目元に当てる。
極限の集中で体力を消耗した九十九はユキの手厚い介抱を受けていた。
この女、拳正には姉貴分を気取っているが身内にはとことん甘える性質である。

じゃれ合う後輩女子二人を尻目に先輩女子は手元の首輪探知機に目を落とした。
拳正と亜理子の反応は確かに消えている。
信号は一つを残すだけとなっていた。

「最期に残った九十九さんの首輪は無効化装置で何とかしましょう。
 九十九さんが自分で処理したり、私たちがやるよりはそちらの方が安全よ」

無効化装置を九十九の首輪に付ければ、これで全員の首輪が無効化されたことになる。
あくまで内側から機能を停止させただけなので、まだ首元に首輪は残っているが、完全な取り外しは元の世界に帰ってからという事になる。

「とりあえずこれで条件はクリアでたわね。九十九さんが動けるようになり次第、山頂に向かうとしましょう」

亜理子の宣言に何の説明も受けていない3人は首をかしげる。

「…………何で山頂?」
「山頂に脱出装置と思しき場所があるからよ、そこに侵入するために首輪を解除する必要があった、って言ってなかったかしら?」
「聞いてないですよ……」
「そうだったかしら。まあその辺についてこれから説明するからいいでしょう。九十九さんもそのままでいいから聞いてくれる?」
「あんた案外適当だよな」

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

空は僅かに白み始めていた。
木々の切れ間から薄墨色の空に薄く染まった月が覗く。

休息の後、彼らは山頂を目指して山道を登っていた。
縦一列に連れだって、先頭に拳正、九十九、ユキと続き、殿を亜理子が務める。

「それよりさっき話本当なんですか? ボンバーガールが襲い掛かってきたって」

おバカ二人が理解できたかはさておき、亜理子が話せる範疇の説明は出発前に終えていた。
全ての話を鵜呑みにしたわけではないが、その中でユキが一番気になった点はそれだった。

悪党商会の戦闘員としてボンバーガールとは何度か交戦したことがある。
倒される役割だったユキはマトモに交戦せずいつもすぐに倒されていたが。
弱者に興味を持たない性質からか敗北者に追撃するような真似はせず、好戦的ではあるが自ら進んで無差別な殺し合いに身を投じるほど外道でもなかった。

「ええ。問答無用だったわ。正義のヒーロー様がそんなことをするだなんて信じられないとでも?」
「いえ……分かってますよ。ここは、そういう事が起こり得る場所だて事くらい」

ここでは何でも起きる。
そのくらい1日でもこの世界で過ごせば誰だって理解できる。

これまで在りえなかったことであろうと、常識がひっくり返るようなことであろうと。
それまで積み上げてきた価値観や理念、信念と言ったモノを全て台無しにする悪意によって。

悪が正義にひっくり返る事もあれば、正義が悪にひっくり返る事もあるのだろう。
それが真実であるのなら、目下最大の脅威という事になる。

「まあ、そう警戒しなくとも、ここまでくれば大丈夫よ。ここから先は安全だから」

そう言って亜理子が僅かに後方を指さした。
それは一見すれば何もない空間だった。

「禁止エリアを超えたってことよ」

亜理子が指差していたのは目に見えない禁止エリアの境界線。
最も危険だった禁止エリアは、今や他の参加者には侵入不能な安全地帯となっていた。

「入る前に言えよ」
「驚かせようと思って」
「そのサプライズはいらなかったぁ」

首輪は解除されているはずだと言っても、侵入する瞬間は心構えくらいはしておきたかったのだが、ぬるっと超えてしまった。
新進気鋭の女子高生探偵はジョークのセンスがズレていた。
とはいえ、事後報告的ながら首輪解除の成功はこれ以上ない形で証明され、後顧の憂いはなくなったと言える。

「ボンバーガールの能力ならエリア外からの狙撃もあり得ます。警戒は怠らないようにしてください」

油断せずユキが釘をさす。
亜理子はええとだけ応じ再び登頂を再開した。

そこから中腹を超え登山も佳境に差し掛かろうという所で、先頭の拳正が足を止めた。
後方の3人を止まるよう手で制して、すんすんと鼻を鳴らし、睨む様に周囲を見つめる。
さーと波のように周囲の木々がざわめく。
何かを警戒するような拳正を見てユキも何かの前兆に気付くと、九十九の手を引いて身を屈めた。

「ッ!? 伏せて――――また地震が来るわ…………!」

瞬間、足元が振動し周囲の風景がぶれ始めた。
微小だった揺れは繰り返すたび大きくなり、地鳴りと共に世界全体が波打った。

「デカいぞ…………!?」

傾斜がある整備されていない山道では踏ん張る事すら難しいうえに、数時間前の地震よりも揺れが遥かに大きい。
下手をすれば土砂崩れでも起きて巻き込まれかねない。

「ぐぇ」
「っと!?」

潰れたカエルみたいな声を上げて九十九が完全にひっくり返った。
拳正が咄嗟に襟首を掴んでいなければ、おにぎりのように山道を転がっていたかもしれない。

揺れは収まらず、大きい上に継続的だった。
横合いの斜面が崩れ始める。
彼らが踏ん張っているすぐ横を、数本の樹木が根元から滑り落ちる様に転がっていく。
あと少しずれていれば巻き込まれていただろう。

「く……まだ、収まんねぇのかよ……!」

九十九の頭を地面に押さえつけながら拳正が叫ぶ。
その叫びをあざ笑うように、彼らの足元が罅割れ、破滅の音を立て始めた。

「…………ッのぉ…………ッ!!」

伏せたままの体勢でユキが地中の水分を凍結させ地面を補強する。
なんとか地面の崩壊を防ぎ、土砂崩れを回避する。
そうしているうちに揺れは徐々に収まり、何とかやり過ごすことができたようだった。

拳正がゆっくりと顔を上げ、辺りを見渡す。
ユキが補強した地面を除き、周囲はすっかり崩れてしまっていた。

「収まった…………のか?」
「…………ブッ! …………ブッ!」
「ん?」

ぷはっと地面に顔面を押さえつけられた九十九が腕を跳ね除け立ち上がった。

「はよ離さんかい! 息ができへんわ!」
「おうっ。わりわりぃ」

地面に押さえつけられていた前髪には泥が張り付き、凍った地面に触れていた額はすっかり赤くなっていた。

「けどありがと!」

転がり落ちるところだったのを助けてもらったお礼だけはちゃんと言ってユキへと泣きつく。

「うぅ折れた鼻がまた潰れたぁ」
「はいはい、よしよし。綺麗にしてあげるから動かないで」

ユキは泥だらけになった九十九の顔をハンカチで拭きながら先ほどの地震を振り返る。

「あれだけ揺れると津波でも起きそうね。山頂近くだから関係はないと思うけれど」
「うん。すごかったよね。3分くらい揺れてた」
「正確には1分40秒前後よ。体感的に震度は6弱って所かしら。
 ありえないとまでは言わないけれど、これほど強い揺れが長く続くのは少し異常ね。
 いよいよ、残り時間も少なくなってきたのかもしれないわ。急ぎましょう」

危機的状況を体感した直後とは思えないほどいつも通りの冷静な声で探偵がそう告げる。
早々に話を切り上げ、先を急くように崩れてしまった山道を歩き始めた。
にべもないその態度に肩をすくめるも、拳正たちもその後に続いた。

完全に道の崩れてしまった先行きは慎重を要した。
時折、ユキの能力の助けを得つつ、これまで以上に時間をかけて、ようやく山頂が見えて来た。

「見えた! あれがダムだよね!」

目的地に到達した喜びから九十九が意気揚々と駆けだした。

「――――待て」
「うぉぅ!?」

踏み出した九十九の手が引かれ、勢いよく振り上げられた足は半月を描いた。
同時に、踏み出した足が降ろされるはずだった地面が爆ぜる。

「敵襲!?」

それは、どこからかの砲撃だった。
だがここは既に禁止エリアの中心である。
首輪と言う鎖から解き放たれた者だけが侵入を許された聖域だ。
如何なる狙撃であろうとも、木々に囲まれたこの山頂を打ち抜くことなどできようはずもない。

故に、敵が存在するなどありえない。
知識、技術、道具。その全てが揃っていないとこの場に立つのは不可能なはずである。
ありえるとするならば、あの死神の様な全てを超越したモノか、最初からルールの外にいる主催者のどちらかしかない。
だと言うのに、そこにいるのはそのどれでもなかった。

「…………どうして、あなたがここにいるの――――――ボンバーガール!?」

崩れたダム壁の上に待ち構える様にしてその姿はあった。
昇り始めた朝日を背に背負うのはボロボロになった巫女服に身を包んだ墜ちたヒーロー。
爆炎の天使。
ボンバーガール。

「大した話じゃねぇよ。結局のところ、禁止エリアにいたところで首輪が爆破されるってだけの話だろ?
 ――――――だったら話は簡単だ。爆破だってんなら、このあたしに操れねぇはずがねぇ」

平然とそう言い切る。
首に密着した爆発物を、爆破の刹那を見極め爆発を操作する。
容易く言葉にしたその行為はそれほどの困難な精密作業なのか。
肥大化を続ける彼女の能力はもはやそれを成し遂げられる領域に達していた。

「あぁ? よく見りゃ悪党商会のザコ戦闘員じゃねぇか。むしろお前の方が何で生きてんだぁ?」

放送によって彼女の死は告げられていた。
生きているのがおかしいのは彼女もまたそうである。

「あなたと同じよ。私はもっと正攻法だけど」
「なるほどな。ま、ここにいる以上そうなるか」

禁止エリアとなった山頂に踏み込めるのは首輪という縛りを解いた者だけ。
ここに至れた参加者は必然的に選ばれし者だけという事である。

「…………ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉっと。チッ。ガキばっかだがまあこんなもんか」

指さし獲物を確認する。
放送後の生き残りは8人。
珠美自身とワールドオーダーを除けば6人。
その中の4人がここにいると言うのなら、この状況ではこれ以上を望むべくはない。

「ま。いいさ。とりあえず、頭数はそろってんだ。ちったあ楽しませろよ――――――!」

ボンバーガールの背後に朝焼けの空よりも眩い火が灯った。
宙に浮かぶのは何十ものロケット花火だった。
炸裂音が弾けると共に、敵を殲滅するロケットが雨となって降り注ぐ。

「…………あん?」

だが、花火は放たれることはなかった。
大量のロケット花火はボンバーガールの背後で地面に落ちる。
その全てが冷たい氷に包まれていた。

「みんな。先に行ってて、こいつは私が相手をするから」

三人を庇うようにして前に出たユキが言い放つ。

「そんな! ユッキー1人に危ない事をまかせられないよ!」
「ごめんなさい、言い方が悪かったわね。大丈夫よ九十九。こいつは、私一人で十分だから」
「あぁん?」

余裕を湛えた表情でそう断言する。
その態度にボンバーガールのこめかみに青筋が立った。

こいつはボンバーガールを嘗めている。
珠美は嘗められることが何よりも嫌いな女だ。

「頭に乗ってんじぇねぇぞ、ザコが…………!」

怒りの声と共に天に掲げた片腕に、巨大な火薬玉が生み出された。
3尺はあろうと言う大玉。
爆発すればこの場にいる者を一掃するどころか、山頂を焼き尽くすだろう。

だが、それも爆発すればの話である。

掲げた火薬玉には霜が張り付いていた。
大玉は内部から凍てつき、これでは火をつける事もままならない。
ヒュゥと白い吐息がユキの口から洩れた。

「無駄よ。見えてる範囲なら全て落とす」
「テメェ…………ッ!」

空気すら白く凍てつくような冷気がボンバーガールの身を震わせた。
この地で強くなったのは珠美だけではない。

能力者の強さは精神によるところが大きい。
覚悟は世界を変える。
矜持が少女を悪党へと変えた。

世界を牛耳る悪党の矜持。
今や、目に見える範囲が彼女の世界だ。

「――――行って、必ず追いつくから」

ユキの言葉に弾かれるように三人は駆けだした。
崩れたダムの入り口に佇むボンバーガールの脇をすり抜け、ダムの内部へと侵入する。

ボンバーガールは脇を過ぎる三人を見向きすらしなかった。
目の前の白い少女、氷を扱う敵をただひたすらに凝視していた。

炎と氷。
対照的な能力を操る二人の女が、この世界での最期の戦いを始めんと今か今かと睨み合っていた。

ユキを信じて三人は背後を気にせず中央目指して一直線に進んでゆく。
空が白み始めたこともあり、程なくして目的地である中央の扉までたどり着くことができた。

「ついた!」
「けど穴しかねぇぞ!?」

開かれた扉の先には、相も変わらず何もない空間が広がるばかりである。
だが、亜理子は、すぐさまそれを否定する。

「いいえ。何かあるわ」

探偵の洞察力は、注意深く観察しなければ見落とすような小さな変化を見逃さなかった。
扉のすぐ横に、最初に調べた時には存在しなかった窪みがある。
亜理子が屈みこみ、その周辺の泥を払う。
蓋を開けば、現れたのは8つ並んだ小さなスリットだった。
それを前にして亜理子が僅かに考え込む。

「……九十九さん、一つ聞いていいかしら?」
「な、なんです!?」
「解体した森茂の首輪は今どうしてる?」
「え、えっと一応お父さんの遺品(?)だし、ユッキーに渡しましたけど……」
「そう。なら問題ないわ」

その返答を聞くや否や、亜理子はスリットに向かってポットから取り出した何かを差し込んでいった。
一つ、二つ、三つと、リズムよく三つのスリットを埋める。

すると、奈落に続くような暗闇に変化があった。
水中から浮き上がる様に所々色褪せたクリーム色の四角い箱が姿を見せる。
妙に浮いていたチンという音が到着を知らせ、四角い箱の両開きの扉が開かれた、

「何か出たぁ!?」

驚きの声を上げる九十九を尻目に、亜理子が開かれた扉を躊躇うことなく潜り抜ける。
ロープも重りもない、むき出しの籠だけであったが、確かにそれは古びたエレベーターだった。

内部に侵入した亜理子は警戒を怠らず、罠の類がないか、くまなく観察を始める。
天上からは淡いライトの光が照っていた。
窓なんて気の利いたものは一つもなく、行先を示す表示はどこにない。
階数を指定するボタンすらなく、ただシンプルな開閉ボタンが存在するだけであった。
異様な雰囲気はあるが、少なくとも今すぐ爆発するような罠はなさそうである。

「大丈夫よ、二人とも早く乗って!」

言われて九十九と拳正が飛び込む様に乗り込んだ。
同時に亜理子は閉ボタンをプッシュした。低い音を立てながら扉が閉まる。
窓一つない空間は完全な密室となり、妙な息苦しさが中の三人に圧し掛かった。
これで外部の様子を知るすべは失われた。

足止めに残ったユキは無事だろうか。
一瞬、そんな心配が頭をよぎるが、そんな思考は足元に生じた浮遊感に打ち消される。
自分たちを乗せたエレベータが動き始めた。
これでもう、後戻りはできない。

「って何ですこれ!? どこに向かってるんです!?」
「さぁね。それを確かめに行くのよ!」
「ホントに大丈夫かこれ!?」

四角く区切られた小さな世界と共に運命が動き始めた。
窓一つない箱の内側にいる彼らが気付くべくもないが、外側から見ているユキは確かに見た。
空に向かって伸びる光の柱を。

明るみ始めた薄墨の空。
柱の中をエレベーターがロケットのように昇ってゆく。
このエレベータは地に沈むための物ではなく、天に至るための翼だったのだ。

彼らが向かうは最後の敵(ワールドオーダー)が待つ、最終決戦の舞台。


すなわち――――――――月へと。



156.THE END -Relation Hope- 投下順で読む 158.THE END -Revolution-
時系列順で読む
THE END -Relation Hope- 新田拳正 THE END -Revolution-
水芭ユキ
一二三九十九
音ノ宮・亜理子
火輪珠美

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最終更新:2019年08月01日 10:09