一つ、君に質問しよう。

こちらに話しかけるなって?
そうつれない事を言うなよ。
ここでこうして言葉を交わせる機会を得たのも何かの縁だ。
少しくらいは付き合ってくれてもいいだろう?

君は世界が終わると思うかい?
哲学的な問いなどではなく、現実的な問題としてだ。

そう難しく考える必要はないさ。
思考実験とでも思って気楽に答えてくれればいい。

ビッククランチやビッグリップ?
それは宇宙の終りの話だろう。
僕がしているのは世界の終りの話だよ。

宇宙が終われば世界も終わるだろって?
死なば諸共と言うのは破滅的思考だねぇ。
まぁそれも一つの終わりか。

だが、そうだとしてもそれは数百億年後の話だ。
そりゃあ可能性だけの話をすれば明日来ないとは言い切れないがね。
今すぐに世界終わらせるにはどうしたらいいと思う?

今すぐ自殺すればいいだって?
自己の死か、確かにそれも一つの終わりではある。
主観的な死もまた当人にとっては世界の死と同義だといえる。
しかしそれは少しありきたりな退屈な結論だねぇ。

なに? そこまで言うのなら僕の意見を聞かせろって?
そうだねぇ。
僕の結論を述べるのなら、

世界に終わりなどない。

前提を引っくり返すのはズルいって?
まあそう言わず落ち着いて、最後までご清聴願うよ

世界に終わりなどない。
なら終わらせるにはどうすればいいのか。
単純な話だ。
ないのなら、こちらで定義すればいいのさ。

では、どう定義するのか。
君はどうしたらいいと思う?
分からない? 早く答えを言えって?
性急だねぇ。少しは考えてほしい所なのだけど、まあいいさ。

僕の結論はこうだ。
世界を一つの物語と定めた。
この物語の終わりこそ世界の終わりだ。
どうだい、単純だろう?

あれ、呆れてるかい? 呆れてるね?
まあ、いいさ。予想の範囲内の反応だ。
とりあえずはさっきも言った通り思考実験の一つだとでも思ってくれればいいさ。

世界を物語と定めると簡単に言ってもどうすればいいのか、そう思っているのだろう?
ならば考えてみよう。
物語を成立させるために必要なモノはなんなのか。

深いテーマ?
壮大な伏線?
強大なラスボス?
魅力的なキャラクター?
ヒロインとのラブロマンス?
共感できる主人公?

どれも違う。
そうじゃない、もっと根本的な話さ。

始まりと終わり。
そして、それを観測する読者さ。

さて、これを世界に適用するとどうなるのか。
始まりと終わりはそうなる様こちらで区切りを創るとして、問題はそれを認識する観測者だね。

世界を観測する者。
必要なのは神の視点だ。

そう神だ、神様だよ。
つまり超越的な視点を持つ観測者の主観による終わりだ。
ほら小説とかでも神様視点とか言うだろう? そういうのだよ。

これこそが僕の提示する世界の終わりだ。
君の言った主観的な死にも近しい結論かもしれないね。

この結論には終わりが最初にあった。
始まらなければ終わりもない。

だから始めた。
終わらせるために始めたんだ。

なに? 終わらせるのならそもそも始めなければいいだろって?
それは違うさ。
人生に意味はなくとも、生まれなければよかったなどという事はないだろう?
それと同じさ。

始まった事には意味がある。
終らせる事にも意味がある。
僕にとってなくとも。
君にとってなくとも。
誰にとってなくとも。
きっと意味はあるのだろう。

始まりは決めてある。2014年だ。
物語は、これにはいい題材があった。
とある日本の少女からお勧めもあったしね。
お礼に彼女も巻き込んであげるとしよう。

あらゆる要素をごった煮にして成り立つ物語。
即ちバトルロワイアルだ。
ここにこれまでのあらゆる成果をぶちまける。

2014年に始まる僕の創り上げた僕オリジナルのバトルロワイアル。

――――オリロワ2014だ。

世界はここに始まり、ここに留まり、ここに終わる。
世界は革命され、終わりの続きに辿りつくだろう。

おや、どうしたんだい? 何を慄いているのかな?
言ったろ、ただの思考実験だって。
ただの戯言。妄想。意味なんてないさ。
そう、例えるなら物語の様なものだ。

さて、そろそろ僕は行くとしよう。
話に付き合ってくれたお礼にここの支払いはしておくよ。
なに、物語はいつか終わるものだ。
気にせず、構えず、君は気楽にここでお酒でも飲んでいるがいいさ。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


月の舞台で開幕のベルが鳴った。

エレベーターの到着を知らせる音が響き、続いて二重扉が音を立てて開く。
その内側より統一性のない三人分の足音が慌ただしく響いた。
三名のまばらな足音が進み出た先に広がるのは、ただひたすら真っ暗の通路だった。

暗闇を前に足を止める。
天井に灯りはなく、通路を照らすのは背後のエレベータから漏れる僅かな光だけである。
足音すら止んでしまえば耳鳴りがするほど音がない。
取り残されたような心細さと不気味さだけが暗闇に溶け広がっていくようだった。

背後で大きな音が鳴った。
九十九が肩をびくつかせながら振り返ってみれば、彼女らを運んできたエレベーターの扉が閉まり始めていた。
隙間から漏れる光が徐々に細まってき、ガタンと言う音と同時に寄る辺となる灯りが完全に消え去る。
静寂と共に、一寸先すら見えない完全な暗闇が広がった。

亜理子は慌てることなく荷物を取り出し、ライトを取り出そうとするが、それよりも僅かに早く通路の側面のライトが点灯を始めた。
目に優しい淡い緑の光が周囲を照らす。
どうやら完全な暗闇に思わず歩を進めてしまった九十九の動きを検知して自動点灯したようである。

「ま、まあうちの玄関も自動点灯だし?」

妙な強がりを見せなる九十九。
その迂闊さに呆れながら亜理子も取り出したライトの灯りを付けて九十九に続いて通路を進んだ。

そんな女子二人とは対照的に、二の足を踏んだのは意外にも拳正だった。
閉じたエレベーター扉の前から動かず、睨むようにして暗闇の先を注視している。

「どうしたの?」
「どうにも、先が見えない状態で一方的に晒されてるってのはな、遠くから狙われたら終わりだぜ」

戦士としての意見である。
一方的に姿を晒されている状況は格好の的だ。
暗闇に狙撃種の一人でも潜ませておけばそれだけで呆気なく全滅するだろう。

その危険性は亜理子とて理解している。
ここが敵の本拠地である以上、どれだけ警戒しても警戒しすぎるという事はないだろう。

「そうね。けど、ここまで来てそんな興ざめな事はしないと思うわ」

だが、ワールドオーダーの目的からして、そんな無粋な手段を取るとは考えづらい。
そんなことをせずとも、ただ殺すだけなら幾らでも方法はあったはずだ。
それこそさっき乗っていたエレベーターに爆弾でも仕込んでおけば早いだろう。

「なにより―――――もう、退路はないわ」

ライトが背後の壁照らす。
そこにはエレベータの呼び出しボタンなど存在しなかった。
退路は断たれた。もう引き返す事は出来ない。

「進むしかないって事ですね」

九十九の言葉が状況を端的に表していた。
暗闇に向かって進んでいくしかない。何があろうとも。
それが彼らの置かれた現状である。

覚悟を決めて三人は前へと進んでいた。
灯りを手にした亜理子を先頭に、拳正、九十九と続く。

歩を進めるたび、逃げ場のない足音が反響を繰り返していた。
彼らの進む一歩先のライトが点灯して行き、進行方向を淡いライトグリーンが照らす。
光の道筋に誘われるかのようにして少年少女は通路を進んでいった。

その先に何が待ち受けるのか。
先が見えないと言うのはそれだけで不安を煽る。
亜理子が手元のライトで先を照らすが深い闇に溶けてゆく。

緊張感からか、九十九も口を開かず無言のまま先を行く拳正の服の端を掴んだ。
拳正も振り返らず無言のまま固い地面を踏みしめる。

通路には窓もなく外の様子を知るすべもない。
ここまで待ち伏せはおろか、人の気配すら感じられなかった。
不気味なまでに何もない。

「ここが終着点のようね」

先頭の亜理子が足を止める。
そうして、何度か角を曲がったところで巨大な両開きの扉の前まで辿りついた。
誘導に従いここまで来たが、分かれ道らしきものなどなく他に扉もなかった。
ここにたどり着くのは初めから決まっていたかのようでもある。

「開けるぞ」

拳正が前に出て分厚い両開きの扉に手をかけた。
躊躇することなく力を籠め、ぐっと押し込む。
押し込むんだ扉の隙間から白い光が差し込み、急な眩しさに目を細める。

「――――――やぁ。ようこそ」

徐々に光に目が慣れて行き、そこがだだっ広い大広間であると理解できた。
洋館めいた豪奢な内装に、絵画や石像と言った絢爛な調度品が並んでいる。
床も壁も全てが白い大理石によって構築されており、目に痛いほどの白がシャンデリアの光を照り返していた。
どこを見ても非の打ち所のない煌びやかな一室であるにもかかわらず、その輝きはどこか空虚さを感じさせる。

大広間は体育館ほどの広さがあるだろうか。
小さな民家ならばすっぽりと入ってしまいそうなほどの空間である。
そう、それこそ、80名くらいの人間なら入ってしまえそうなくらいに。

「すまないね。諸事情があって応接室は使えなくなってしまったので、ここで対応させてもらうよ。
 まあ、始まりの場所で終わりを始められるというのも趣があって悪くないだろう?」

始まりと終わりが重なる。
全ての参加者が集められた、この殺し合いのオープニングとも言える演説が行われた白い洋館。
物語の始まりの場所に、彼らは帰ってきたのだ。

あの時と変わらぬこの世の漆黒を塗り固めたような笑みが、白の中に浮かび上がった。
それは何よりも存在感を持ち、何よりも存在感を持たない、どこまでも透明な空気だ。
それは静謐なようであり、その実、虚無である。

壇上の上に立つこの世界の主が、大仰に両手を広げ来訪者を歓迎した。


「ともかく歓迎するよ。音ノ宮亜理子、新田拳正一二三九十九。最終ステージへようこそ」


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

希望を乗せた箱舟が月へと昇る。
その様を見送るのは対抗する赤い女と白い少女だった。
地上に取り残されたこの世界最後の二人である。

「何もせず素直に行かせるだなんて意外ね」

箱舟の到着を見届け、ユキが声を上げた。
その視線を月からダムの上に佇む女へと落とす。
登り始めた朝日を背に受けるのは片腕の巫女。

「ああ。見逃してやった。逃げる鼠には興味ねぇよ。
 あの中じゃあ、お前が一番マシっぽかったからな」

ボンバーガールは楽しげに片眉を吊り上げる。
彼女は去ってゆく三人に対して何の手も出さなかった。
それどころかご丁寧にも、足止めの役割を担ったユキに攻撃を仕掛ける事すらなかった。
それは優しさなどではなく、三人にユキの注意が注がれ、戦いの純度が落ちるるのを嫌っての事である。

逃げ出す弱者にはそもそも興味がない。興味があるのは戦う気概のある強者だけ。
戦う事しか興味が持てない戦いに狂ったウォーモンガー。
ユキの目には変わり果てたように見える彼女だったが、その気質だけは変わっていないようである。

「それによぉ、あたしが攻撃をしないってのは、何もしてないって事じゃあねぇからな」

ニィと口元を吊り上げる。
朝日を背負ったボンバーガールが僅かに立ち位置を変えた。
瞬間、逆光で隠れていた大量の花火が一斉に露わになる。

ボンバーガールの能力は、大まかに二つの工程に分けられる。
花火を作り出す【仕込み】と、作り出した花火に着火して実際に攻撃を行う【点火】。
表面的な攻撃がなくとも仕込み作業は水面下で遂行されていた。

点火の瞬間を氷によって防がれるのならば、求められるのは大玉の様な一撃ではなく、千を超える小玉の手数。
一つや二つ止めたところで無意味なほどの数の暴力である。
これでは、ユキの氷結も間に合うまい。

「一撃で、終わっちまうかもなぁ―――――――!!」

振り回した指から赤い火花が散った。
種火が導火線に引火して、連鎖的に千の花火が炸裂する。
止めどない音と光の津波が一人の少女を呑み込んでいった。

幾重もの色とりどりの三原色が折り重なり、白となって山頂に咲いた。
熱風が吹き荒れ、木々が揺れる。
千切れとんだ木の葉が炎となって燃え尽きてゆく。
避けようもない熱波が辺り一帯を灼熱に染め上げる。

初撃必殺。
恐ろしいほどの熱炎による避けようのない範囲攻撃。
人間一人を蒸し焼きにするには過剰すぎる火力である。

全て撃ち尽くしたのか、継続的な轟音が止まった。
辺りを染め上げていた光は白煙と共に晴れて行き、充満していた火薬の臭いも風に流れ薄れてゆく。
そこでブルリと、ボンバーガールの身が震えた。

それは恐怖による戦慄。
などではなく、純粋な寒さによるものである。
熱気で満ちているはずの空間から北風の様な冷気が吹きつけ、首筋をくすぐった。

「――――仕込みが出来るのは、あたなただけじゃないってことよ」

晴れた光の中から踏み出された足がパリと音を立てる。
白い。目に見える程の冷気が少女の周囲を漂っていた。

事前に仕込みが出来るのはボンバーガールだけではない。
冷気によって周囲の環境を変化することができるのがユキの強みである。

この時点で、彼女の周囲は氷点下を下回っていた。
直接的な炎は氷の盾によって防がれた。
熱波は冷気によって中和され彼女の元まで届かない。
千を超える花火の津波は氷の防壁によって完全に防ぎ切られたのだ。

「ハハッ! やるじゃねぇか。どうしちまったんだぁオイ!? へったクソな演技で瞬殺されてたザコとは思えねぇぜ!
 普段はよっぽど手ぇ抜いてやがったのか? それとも、テメェもここで強くなった口かぁ?」

八重歯を覗かせ、凶暴な獣が笑う。
目の前の相手は、ボンバーガールの知る悪党商会のただの戦闘員とは明らかに違う。
情愛を送るのように熱の籠った視線を向けて、目の前の強敵に問う。

「両方よ。今は私が『悪党』だから」

悪党を継ぎし少女は透き通るような熱のない瞳でその問いに答えた。
冷静で冷徹で冷酷な氷の少女。
決して砕けぬ氷の覚悟は全てを凍てつかせる。
ボンバーガールがこの地で強くなったように、水芭ユキもこの地で力を得た。

共にこの地獄があったからこそ、ここまで来れた。
共にこんな地獄に落ちたから、こんなところまで来てしまった。

「そうかい。そのいい方からして、大方モリシゲの最期に立ち会って後を託されでもしたか?
 それで調子に乗ってんだとしたら笑えるぜ! テメェじゃあのジジイに遠く及ばねぇよッ!!」
「ええ、その通りね。今の私ではあの大悪党には遠く及ばない。けれど、あなたくらいには勝てるわ」
「けっ。小娘が、言うじゃねぇか!」

挑発に乗ってボンバーガールが猛る。
その周囲に文字通りの火花が散った。
今にも本格的な戦いの火蓋を切って落とさんと闘気を滾らす女。
それを前にしながら、少女は鷹揚とした態度を崩さず悠然と尋ねた。

「戦う前に一応、聞いておいてあげるわ――――ボンバーガール、どうしてそこまで墜ちたの?」

正義のヒーローとして名を馳せた女がどうしてここまで墜ちたのか。
ユキは幹部までの繋ぎとして倒されるだけの戦闘員だったが、ヒーローと悪役として幾度か小競り合いをした仲である。
それくらいは聞いてやる程度の義理はあった。
その問いを。

「ハッ…………!」

心の底から嘲る様に表情を歪めて、下らないと嗤った。
果たして、その嘲りは誰に向けてのモノだったのか。

「テメェにゃ、このあたしが悪を挫き弱きを助けるヒーロー様にでも見えてたのか?
 ……下らねぇ。下らねぇ下らねぇ下らねぇ…………! 聞き飽きたんだよンなこたぁ!
 あたしが変わったように見えるのなら、それこそ見当違いだ……ッ!!
 変わらねぇ。変わらねぇよあたしは。気のすむむままに暴れて気に喰わねぇ奴をぶっ飛ばしてるだけなんだよ……!」

何かに言い聞かせる様に女はその激情を吐き捨てる。
カラリとした彼女らしからぬ湿ったような激情だった。
少女はそれを興味なさ気に冷たく受け流す。

「そう。思ったよりつまらない人間だったのね、あなた」

バッサリと切り捨てる。
元より義理程度の質問だ、怒りもなければ落胆もない。
相手にどのような事情があったとしても顧みるつもりもなかった。
彼女も正義の味方などではなく相手の事情など顧みない悪党なのだから。

「よく言ったぜ小娘。喧嘩を売ったからには、消し炭にされても文句はねぇな?」

火花が弾ける。
女は炎だった。
無限に湧き続ける衝動を薪のようにくべ、燃え続ける永久機関。
全てを灰にして自らも焼き尽くすまで止まらない炎。

「ええ、好きにするといいわ。後を追われても面倒だもの。あなたはここで退場して」

冷徹な悪党としての顔。
友人を先に行かせたのは足止めのみならず、この顔を見せないためでもあった。

拳正たちが脱出した時点で足止めと言う仕事は完了している。
後はユキも脱出してしまえば相手をする必要もないのだが。
この状況から振り切るのも難しいだろうし、追ってこられても面倒だ。
ならばいっそ、仕留めてしまった方が手っ取り早い。

冷気と熱気が交じり合い突風が吹いた。
地面は震える様に細かな振動を繰り返している。

ボンバーガールはダム上から地面のユキに向けて狙いをつける様にして片方となった腕を突きだした。
地上で構えるユキは受けて立つとばかりにその場で腰を落とす。

先ほどの様に事前に大量に仕込まれたのであれば対処も難しいが、一瞬で生成される数ならば全て対応して見せる。
その自信と技量が今のユキにはあった。
集中。瞬きなどせず、目を見開いて花火の生まれる瞬間をその眼に捉えた。

闘争の始まりを前に戦闘狂が笑みを浮かべる。
望むのはこの一瞬、刹那に弾ける花火の如く。

「それじゃあ――――汚ねぇ花火になっちまいな」

ボンバーガールの指先から流星の如く一筋の花火が放たれる。

「ッ!?」

止められなかった。
咄嗟に横に跳ぶユキ、直後に先ほどまでユキがいた場所に連続して花火の矢が着弾する。

それは早打ちだった。
花火を産み出すと同時に着火を行い妨害の隙を与えない。
多少の爆風に自らが巻き込まれるが、その程度は気にも留めない。

光の線が明け始めた空に幾重にも刻まれる。
次々とガトリングのように継続的な発射音が途切れることなく鳴り響く。

手数が多すぎる。
止まることなく飛び退いて躱し続けるが、上を取られている時点で地の利で負けている。
このまま躱し続けているだけではじり貧だ。

「…………っ!?」

何発目かの花火を躱したところで、ユキがバランスを崩して地面に手を付いた。
動きを止めたそこに、雨の如く火の矢が降り注ぐ。

「こっ、のぉ………………!」

少女の気合を込めた雄叫びと共に、水分を含んだ地面から盾のように氷壁がせり上がって炎の雨を受け止める。
即席の氷壁だが、速射に特化しているためか一発一発の威力はそうたいしたものではない。
この程度ならば砕かれることもないだろう。

そうユキが安堵した瞬間だった、その油断を突く様に一つの火球が上空から打ち出された。
それがなんであるかを認識しユキは驚きに目を見開いた。

ダムの頂上から降り注ぐ巨大な火の玉。
その上に、ボンバーガールが乗っていた。

飛来するボンバーガール。
ユキが慌てて全能力を注いで氷壁を補強する。

一瞬で氷壁までたどり着く火の玉ガール。
打ち出された勢いのまま、花火ではなく振り被った拳を打ち付ける。
ピキリという音。
流星の如き勢いを乗せた一撃はしかし、表面に僅かなヒビを奔らせただけで砕くに至らなかった。

氷の壁は強固にして堅牢。
氷の硬度は冷却温度に比例する。補強された氷壁は今や鉄よりも固いだろう。
これほどの厚さを持つ氷壁を一撃で砕くなど、それこそモリシゲや龍次郎でもなれば不可能な芸当だろう。

「――――――BAN、だ」

だが、その氷壁は内側から砕け散った。
僅かなヒビの間に花火を詰めて内側から爆破する。
岩盤を砕くダイナマイトの要領だ。
これをやられては硬度など何の意味も持たない。

「…………きゃッ!」

氷の破片が辺りへ飛び散る。
爆破の勢いに圧されユキがたたらを踏んで後退する。
当然、ボンバーガールがその隙を逃すはずもない。
ここぞとばかりに大量のロケット花火を産み出しすぐさま導火線に着火した。

先ほどまでの速射砲とは違う、殺傷力を秘めた弾丸。
怒涛の如き音と炎の奔流が、流星群となってユキへと襲い掛かる。

「…………ぁん?」

だが、その流星群がユキを捉えることはなかった。
見当違いの方向にむかって飛んで行きそのまま音と共に消えて行った。

攻撃が空振った事に怪訝な顔をしたのはボンバーガールである。
当たると言う確信があった、だが外れた。
躱されたのではなく外れたのだ。
その原因を探る様に思案している隙に、横合いからお返しとばかりに氷の矢が飛翔した。

しかし、その程度の攻撃はボンバーガールにとって問題にもならない。
周辺視野のみで矢の軌道を見極め最小限の動きで身を躱す。

「ッ!?」

だが、矢が通り過ぎるその直前。
背筋に奔る直感に従い、彼女は紙一重でなく大きく上半身を仰け反らせた。
その喉元を一本の氷の矢が掠める。
そのままバク転で一回転してその場を離れる。
着地したところで、喉元を擦った。

「…………ズレてやがるな」

すぐさま自らの置かれた状況を把握する。
まるで異世界に迷い込んだように視界と実態の情報がズレている。

『幻惑の氷迷宮(クリスタル・キュービック)』。
周囲の気温は氷点下にまで下がっており、条件は既に揃っていた。
一対一の近接戦におけるユキの切り札。
先ほど砕けた氷盾の粒を利用してユキは自らの世界を展開していた。

「小賢しい」

歴戦の戦士は少女の世界をその一言で切り捨てる。
巫女服を翻し戦巫女がその場で踊る様に廻転した。
バッと小石ほどの玉の粒がユキの視界に舞う。

広範囲に無数の火薬玉をばら撒かれた。
咄嗟に氷の幕を張り半数は凍らせた。だが、半数は間に合わない。

パパパパパと小気味良い音と共に炸裂する。
小さな火薬玉に殺傷能力などないが、微細な氷を溶かすには十分な熱量と爆風だった。

「おら、丸見えだぜ――――――――!」

氷迷宮はあっさりと崩れ落ちた。
幻影ではなく露わとなった本体に向けて、花火を放り込む。
地を這う鼠花火と天から降り注ぐナイヤガラ花火がそれぞれ上下に投げ分けられた。

見上げるか見下ろすか。
どちらに対応するのかの上下二択を迫られる。

「だったら――――――両方ッ!」

ユキは滑る様に一歩引いて、視界を広げた。
上下双方の花火を視界にとらえてその全てを凍結する。
対処は完璧、火を放つ前の花火を凍り落とすことに成功した。

「ッ、しまっ…………!」

だが、そこで自らの失敗に気付く。
肝心の本体を見失った。
ボンバーガールが迫っていたのは上下二択ではなく三択だった。
ユキが点火前の花火に対応する事すら利用して、あえて即時点火の早打ちを行わず注意を逸らした。

左側に熱を感じる。
咄嗟に振り向いた、その先。
側面より迫る敵は既に間合いに入っていた。
その手には激しく炎を噴出する薄花火。

ユキの首を落とさんとする最後の踏み込み、だが、その足がつるりと滑った。
ユキの周囲の地面は固くすべらかな氷面となっていた。
不用意に踏み込めば当然、滑る。

だが、獣の如き攻撃性は態勢を立て直す事よりも攻撃続行を選択する。
体勢を崩しながらも無理矢理に花火の剣を振るう。
炎の蛇が白い少女の喉元に喰らいつかんと襲い掛かる。

それを避けるべく、凍った地面をスケーティングするようにしてユキが後方へと身を滑らせた。
氷面が削れ砕氷が散る。

崩れた敵の体勢、滑走のスピード。
それらを加味すれば紙一重ながら避けられる。
瞬間的にユキはそう確信した。

だが、その確信を裏切る様に、炎剣の刀身が大きく伸びた。

間合いが変わる。
既に完成している花火に更に火薬を足しこむ荒業を前に、避けきることは不可能である。

「チッ」

だが、舌を打ったのは薄花火を振り抜いた戦巫女の方だった。
手にしていた花火を投げ捨て、崩れた体勢を立て直す。
地面に転がった薄花火の先端は噴射口に氷が張りつていた。

「ッ――――ハァ」

後ろ向きでの滑走を続けながら、難を逃れたユキは安堵するように息を吐く。
ユキの強みは弾丸すらも受け止める能力の即効性と精密性。
脳髄が痺れる感覚。集中力はこれまでないほど高まっていた。
今ならば針の穴すら通せる自信がある。

一先ず距離を取るべく滑走を続けるユキに向かって、ボンバーガールが迫る。
ユキは突出した指の隙間から、大きくなる敵の姿を凝視した。

「―――――――――凍れ」

烈火の如き勢いで迫るボンバーガールの動きが、ピタリと停止した。
それは停止と言うより、空中でピンを指されたような『固定』だった。

空間凍結。
女を取り囲む空間が凍結された。
これまでのユキではできなかった一段階上の能力行使だ。
強い覚悟とこの世界での経験が氷使いの少女を押し上げていた。

空間に貼り付けとなった無防備な相手に、氷使いは容赦なく追撃の矢を放つ。
鋭く尖った氷の矢が正確に急所を射抜かんと奔る。

「発想は悪くねぇ、だが――――」

ボンバーガールが不敵に笑った。
彼女を拘束する氷が音を立ててひび割れてゆく。

「――――――――相手が悪い」

空間を固定する氷が砕けた。
強引に拘束を振りほどいた勢いのまま腕を振るい、迫りくる氷の矢を弾き落とす。
空間を凍結させる程の反則じみた能力行使も、百戦錬磨のボンバーガールからすればちょっとした工夫程度の物でしかない。

氷では、炎の進行は止められない。
爆血を血潮とする彼女は体内にマグマが流れてる。
その体は戦闘が過熱するにつれ、高熱を帯びる異常体質。
彼女を拘束していた氷はその高熱に触れたことにより容易く砕けるまでに溶け落ち、拘束具としての役割を果たす事ができなかった。

「続きだ、行くぞ――――――――」

凍りついた地面を蹴っ飛ばす。
土の混じった氷粒が散った。
爆発的な勢いで一瞬で距離が詰る。
と言うより、その身は実際に爆発により加速していた。

あっという間に懐に潜り込まれる。
放たれる回し蹴り。それと同時に回転の勢いを利用して周囲の小さな花火をばらまく。
衝撃と爆発。
蹴りは氷で防いだが、花火の爆発に巻き込まれる。

「くっ…………!」
「オラオラオラオラオラオラ、どうしたぁ!?
 デカい口を叩いた割にちまちまとした小技ばっかじゃねぇか!!」

圧されている。
常に高熱を帯びるボンバーガールは極寒の中においても体の感覚が鈍る様子もない。
ユキの脳裏に恵理子との戦闘訓練が思い出される。
天敵ともいえる致命的なまでの相性の悪さだ。

いや、相性の問題だけではない。
ボンバーガールは単純に強い。

身体能力、反応速度、戦闘判断、直観力。そして何より真剣勝負の場数。
どれをとってもユキの数段上を行く、格上の戦士である。
こと戦闘能力に関しては数多いるヒーローの中でもトップクラスだろう。

ユキだってそんなことは最初から理解していた。
それでも異能力だけならば今の自分は負けていないという自信があった。
能力は絶好調中の絶好調。

それが通用しないのは体術の差だ。
能力と体術を高レベルで両立しているボンバーガールに対して、ユキはまだ体術が超人の域に達していない。
亦紅やアサシンと言った人類の極限を体験したボンバーガールからすればユキの動きなど児戯に等しい。

こればかりは、精神論ではどうにもならない領域である。
何か反則技でも使わなければ埋められないほどの差があった。
だが、

「それでも――――――ッ!」

だが、それでも。
歯を食いしばって、倒れそうになる足を踏ん張った。

ユキはあの大悪党を乗り越えたのだ。
ヒーローが何するものぞ。こんな小物、大悪党に比べれば、恐るるに足らない。
その事実が彼女の両足を支えている。
ならば、恐れる必要など何一つない。

「勝負はここからよ」
「そいつぁ楽しみだね。それで? 何かとっておきでもあンのか?」

どこか遠くで何かが崩れる音がした。
二人の対峙する地面が揺れる。
もはや幾度目かわからない大きな地震だった。

「いいわ。とっておきを見せてあげる」

そう言って、白の少女がポケットから何かを取り出した。
それは漆黒の小さな刃だった。
首輪の解除作業を完了した親友より預けられた父の名残。

悪党の名を冠する黒刃。

漆黒を受け継ぎし新たな悪党が、その名を解放する。

「――――――――――――――――悪刀開眼」

眼前に掲げた漆黒の刃が糸のように解けてゆく。
刃は徐々に消えて行き、目視不可能なナノサイズの粒子なって空中に舞った。

悪党商会三種の神器、無形刀『悪刀』。
無形無音無臭の刃の群れは認識する事すら能わず、一たび狙われれば死するしない最強の刃。

だが、それは無意味である。
刃の総量は少なく小指一本分にも満たない、この強敵に対する武器としてはこれでは心許無い。
それでもこの無形刀ならばいくらでもやり様はあるのだろうが、それらの手段を用いるにはユキではあまりにも練度が足りない。
何よりこの相手では粒子の刃は相性が悪い、単純にぶつけるだけでは爆風で吹き飛ばされてしまうのがオチだろう。
どれをとってもこの刃が逆転の要素にはなりえないのだが。

「スぅ――――――っ」

ユキが鼻から大きく息を吸い込んだ。
その次の瞬間、ドクンと、外に音が聞こえそうな程大きく心臓が跳ねる。

ナノマシンを体内に取り込み、自らの身体を内側から操作したのだ。
心拍を強制的に向上させ身体能力を引き上げる。
体中を奔るナノ粒子が電気信号すら加速させ反応速度を向上させた。
その結果どうなるのか、その答えがこれだ。

「――――――――ぐぅぅぅぅうう…………ッッ!!」

少女の様子は一変していた。
開眼したその目は赤く血走り、青白い肌に血管が浮き出る。
可憐な少女らしかった小ぶりな口からは獣が如き嘶きが漏れ、食いしばった口端から涎が零れた。
落ちた滴はすぐさま凍りつき、地面に落ちて砕けて散った。

余りの少女の変わり様にボンバーガールが僅かに戸惑う。
ボンバーガールからすればユキがいきなり苦しみ始めた様にしか見えない。

「おい、ンだそりゃ…………ッ!?」

刹那。その視界より少女の姿が掻き消えていた。

これまでにない超人的加速による高速移動だった。
僅かな油断と、僅かな想定外。
それが重なり合って、標的を見失う。

だが、それでもボンバーガールは反応した。
それは根拠のない野生の獣が如き直感。
標的を見失ったと理解した瞬間に、戸惑うよりも早く直感に従い体を動かす。
それを疑わない事こそ彼女の強みである。

そして、捉えた。
捉えてしまえばボンバーガールに対応できない速度ではない。
むしろ彼女の片腕を一瞬で斬り飛ばしたシルバースレイヤーに比べれば、遅いとすら感じる。

超反応。
五指にスパーク花火を挟み、突っ込んでくるユキを待ち構える様に振るう。
人知を超えた速度で突撃するユキの目の前に、円形に炎の輪が広がり雪の結晶の様な火花が散った。

超人的加速が仇となった。
この勢いで直進するユキは、このまま炎の渦に突っ込んでいくしかない、と思われた。
だが次の瞬間、常識を超えた伝達速度で白い少女の筋肉が反応した。

前方への高速移動が取りやめられ、地面を切り返す。
ブレーキを踏みながら別方向にアクセルを踏む様な超絶技巧。
範囲の広いその攻撃を横合いに大きく跳躍して回避する。

「―――――――アホぅが!」

跳躍した少女を見て女が吼えた。
まだ自らの身体能力を制御しきれていないのか、その跳躍は大きすぎる。

着地まで1秒。
刹那の間に勝敗が決まる超人同士の戦闘においてその隙は致命的だ。
この次元の戦いであれば、着地までの間に数度は殺せる。

戦巫女は横倒しにした連射性筒花火の放射口から砲撃を一斉に叩き込んだ。
外れることなど在りえない好機、必殺の連撃はしかし。

「なぁっ!?」

驚愕は花火を放った女の口から。
確実に敵を焼き尽くすはずの火弾は、白い空気を打ち抜き明後日の空へと消え、虚空を彩る花となった。

氷使いが、宙を跳ねたのだ。
凍結させた空間を蹴り飛ばして、空中で軌道を変える。
そのまま幾度かの空中跳躍を行いボンバーガルの眼前に着地した少女の手には氷の刃が張り付いていた。
こうなると隙を晒したのはボンバーガールの方である。

「ちぃ…………ッ」

その胴を両断せんと冷たい刃が躊躇なく振るわれる。
ボンバーガールは倒れこむ様に上体を仰け反らせ身を躱した。
だが瞬間、背筋に凍るような悪寒が奔った。

見えずとも背後の危機を直感で悟る。
その直感は正しく、仰け反ったその後頭部を貫く様に地面から氷槍がせり上がっていた。
待ち受けるは斬撃と串刺しの挟み撃ち(サンドイッチ)。
伸らば斬撃に両断され、反らば槍突に貫かれる。

奔る悪寒に一瞬の迷いなく従う。
花火未満の火薬玉を即座に爆破し爆風を引き起こし自らを吹き飛ばす。
氷剣と氷槍をすり抜ける様に吹き飛んだ体は危機回避に成功する。

そしてそのまま小さな爆破を何度か繰り返して空中で体勢を立て直すと、ザッと音を立てて地面に両足を付いた。
胸元のさらしがはらりと落ちる。どうやら刃が僅かに掠めていたらしい。

「ハッ――――――面白れぇ」

ボンバーガールはユキがどのような方法で自らを引き上げたのかを理解してない。
悪刀の特性はおろか、規格外生物粛清時にしか使われない秘中の秘であるその存在すらも知らなかった。

だが、そんなことはどうでもいいことだ。

重要なのは今この時。
強敵がそこにいる。
その事実があるのならばなんでもいい。

何と言う僥倖。
残飯の中で一番マシなパンを選んだつもりだったが、最後の晩餐に相応しい御馳走になった。

炎が凶悪に笑った。
加熱する意識が劫火となって燃え上がる。

「ッああああああああああああああああ――――――ッ!!」

対する、氷の少女が叫ぶ。
悲鳴のような絶叫だった。

立っているだけで全身が弾け飛びそうなほどの痛みが少女を苛んでいた。
それは間違いなく少女が今まで生きてきた中で一番の激痛である。

本来、ナノマシン制御は適合者にのみ使用可能な特殊技術である。
適合がなければ拒否反応によって激痛が走り、最悪死亡する事例もあった。
むろん拒絶反応を緩和する研究は悪党商会内でも行われていたが、未だ完成には至っていない。

悪刀を操った九十九がそうならなかったのは、ナノマシン制御を外部装置に依存する事により副作用を回避していたからである。
ユキが悪刀を制御しているのも同じ方法だが、ナノマシンを体内に取り込んでしまえば話は別だ。

拒絶反応により耐え難い痛みが使用者を襲う。
皮膚の下を虫が這いずるような耐え難いほどの苦痛。
全身の神経を直接針で刺されているような痛みに支配される。
そんな常人ならば発狂死してもおかしくない激痛に対し、叫びで正気を保つ。

なにせ悪党商会幹部ですらすぐさま根を上げた厄物だ。
叫びだすだけで正気を保っているのは異常ともいえる。

それは彼女にナノマシン適合があったという訳でも、苦痛を凌駕するほどの精神力を有している訳でもない。
ユキがやっているはある意味でこの悪刀の本来の使い手と同じ事だった。

全身を冷凍麻酔で感覚を麻痺させ、その苦痛を緩和しているのである。
深々と降り積もる雪のように意識を深くより深く沈む様に熱を無くし全てを静止させていた。
全身を動かす必要がある以上、完全に麻痺させる訳にもいかないが、ほとんどの痛覚をカットしている状態である。
それでもなおこの苦痛。尋常ではない。

狙うべきは短期決戦。
副作用を無理矢理押さえつけているに過ぎない状態だ、長くは持たない。

氷使いの少女は叫びを切って地面を蹴ると、スピードスケートのように凍った道を滑りだした。
既に自滅のスイッチは押された。もはや止まる余地はない。
短期決戦を挑むのならば遠距離戦ではなく近接戦である。
今のユキならば近接戦でも負けはしない。

「上等――――!」

近接戦はボンバーガールも望むところである。
炎の戦士はその挑戦を真正面から受けて立つ。
その場で構え、強く地面を叩いて足跡を刻む。

それを合図に地中に仕込んだ打ち上げ花火を点火する。

滑走する相手の接近に合わせて、死角から地面を食い破って炎の龍が奔った。
顎下を打つように、火の尾を揺らしながら昇り銀竜が天へと奔る。

だが、如何なる不意打ちも今のユキには通用しない。
ナノマシンによって体は自動的に反応する。
認識から反応までの速度は電気信号の限界を超えもはや光速に迫っていた。
足元の動きを止めぬまま、上体を僅かに逸らすだけの動きで、昇り銀竜をやり過ごす。

そのまま手の中で氷の槍を生成。
両手で強く握り絞め、刺突の構えを取った。

だが、その背後を炎の雨が強かに打つ。

バカなという驚愕。
ボンバーガールが攻撃を産み出したような予兆はなかった。
まして地中の様な事前に仕込める場所ならともかく、背後から撃たれるなど、ありえない話だ。

それは龍勢と言う仕掛け花火。
仕掛け自体を打ち上げ、上空で傘を開いて発動させる。
上空で弾けた仕掛けから甲高い口笛のような音と共に全方位に炎の雨が降り注いでいた。

氷による妨害を許さぬ徹底した死角からの攻撃。
反応速度が超人的ならば、反応速度の外から打ち抜けばいい。

次々と降り注ぐ炎の雨。
だが傘も差さずに進む少女の動きは緩まなかった。
炎の雨に晒されながらも体勢を崩すことなく滑走を続ける。

炎を受け続けるその背には、分厚く張った氷の膜があった。
氷は身に纏う事で鎧ともなる、攻防一体の能力である。
何があるかわからない以上、常に対策はしていた。

そのまま急所目がけて両手に握った氷槍を付き出した。
一つ、二つと刺突を放つ。
続いて距離を保つのではなく更に踏み込み、槍を手放し肘の先から延びる氷刃を薙いだ。
そして最後に、氷を纏った拳で殴りかかる。
ここまでの連続動作を一息の下に行った。

だが、怪物に対するもまた怪物である。
それら全ての攻撃を見切って、紙一重で躱してゆく。
腕を振るった拍子に散った氷の破片が頬を裂くが、それを気にせず目を見開いたままクロスカウンター気味に拳を振り抜く。
直撃した一撃は氷の鎧に阻まれるが、僅かに砕いた位置に花火を仕込み、内部爆破を再び狙っていく。

だが、ユキとて同じ手を喰うほど愚かではない。
その氷の鎧は分厚いのではなく、薄い氷がミルフィーユ状に何千もの層になった代物だった。
破壊された氷層はすぐさま砕けては落ち、花火を仕込む余地を与えない。

氷の鎧によって受け止められた拳を氷の魔手が掴んだ。
直接接触による冷却。掴まれた個所から氷が張ってゆく。

放っておけば唯一残った腕が凍傷になりかねない状況にも関わらずボンバーガールはその腕を振り払わなかった。
むしろ、好都合とばかりに足元に発射台を産み出して蹴りを打ち上げた。

パリンとガラスでも砕いたような破壊音が響いた。
内部破壊ではなく、爆発により加速させた蹴りによる単純な破壊力で鎧を砕く。
衝撃に腕をユキの掴む手が離れ、凍った皮膚の表面がズルりと剥がれた。

「くぅ―――――っ!」
「――――――チィ」

互いに数歩たたらを踏む。
ボンバーガールの腕から血がプツプツと湧き出るが、すぐさま炎が傷を焼き払う。
対するユキは鎧の欠損箇所に再び氷を張りなおして鎧を補填する。

戦えている。
ユキは今の攻防に確かな手ごたえを感じていた。
いやむしろ、押しているのはユキの方である。
特殊能力と身体能力において差がなくなったとなれば、片腕のボンバーガールが不利となるのは必然だろう。

なにより、氷の鎧は破壊された所で再度氷を張ればいい。
攻防一体のユキの能力に対して、ボンバーガールの能力は爆発や噴射による加速と攻撃に寄り過ぎている。

悪刀に蝕まれているユキ残された時間は少ない。
だが、これならば――――。


「――――――――勝てる、とでも思ったか?」


ぞっとするような声が刃のように思考に割り込む。
目の前では、炎のような女がまるで不利など感じさせぬ不敵な笑みを浮かべていた。

瞬間。
ボンバーガールが跳んだ、いや、打ち上がった。

瞬間的な速度は爆発力のあるボンバーガールに分があった。
背と足裏から噴射する火花が彼女の体を空中へと押し上げてゆく。
周囲に極彩色の炎をまき散らしながら天空へと舞い上がる。

高い。
氷の少女が空を見上げる。
ボンバーガールの体は一瞬でユキを振り切って、それこそ打ち上げ花火のような勢いで空へと舞い上がった。

成層圏に届かんと言う遥か高みに、燃える女の体が浮かんでいだ。
生半可な攻撃では届くことすらないだろう。

不利を悟って近接戦から逃がれたのか。
だが、飛行は出来ずとも氷の階段で足場を作れば追うことは可能だ。
しかし、そうはさせじと動き出しを制する様に上空から豪雨のように花火が打ち下ろされる。

「さぁ、楽しんでけよォ! 火祭りの始まりだッ!」

上空にとどまったままの火の巫女が炎を連射する。
降り注ぐのは炎の流星だけではない。
花火と共に放り投げられた複数の丸太に花火が引火し、質量を持った炎の塊となって地面に落ちる。
点火前の噴出花火がばら撒かれ、地面に着いた瞬間、次々と火柱を上げた。

それは一個師団すら殲滅する火力の絨毯爆撃である。
次々と放たれる炎はもはや狙いすら定めていないのか、手当たり次第と言った風であった。
まるでこれでは周囲を焼き払うのが目的であるかのようである。

陽炎に揺れる空。
火災旋風が発生する。
発生した上昇気流に乗って、炎の怪人はより高みへと上り詰める。

「ハッ! ハハハハハハハハハッ!!」

天空からの哄笑。
炎が飛び散り、弾ける様に火の粉が舞った。
ソドムとゴモラを焼き尽くす炎が如く、終わりの空を彩る七色の流星が天から墜ちてゆく。

ユキの能力によって極寒となっていた環境が炎によって激変する
地上を舞うダイヤモンドダストは赤く煌めき、熱に溶けて消えて行いった。
冷気の白い壁に閉ざされていた視界が晴れてゆく。

見えたのは炎。
周囲は完全に炎の檻に取り囲まれていた。
山が燃える。
空からばら撒かれた炎が山頂全体まで燃え広がり、世界が赤く揺らめいた。

それは空からの爆撃によるものだけではない。
ユキが躱した躱した流れ弾の行方。
それがどうなったかなど、気にも留めていなかったが、それらは確実に周囲の森林を燃やしていた。

ボンバーガールの産み出す花火は爆風で鉄片を飛ばし敵を殺傷する爆弾とは違う。
純粋な炎熱で敵を焼き尽くす焼夷兵器だ。
このまま周囲を炎で取り囲み、蒸し殺すつもりなのか。

だが、如何に炎で取り囲まれようとも、冷気を操るユキが焼死することはない。
直撃する花火だけは氷で防ぐ必要があるが、迫る炎熱は冷気によって減衰できる。
個人を狙うのであれば火力を集中させた方が効果的だろう。
逃げ場を塞ぐ足止めにはなっているが、足止めにしかなっていない。

よもやこのままユキの時間切れを狙っているのか。
そんな懸念がユキの脳裏をよぎるが、そうではないと、その答えが実感を持って帰ってきた。

「――――く、――――かっ…………!」

苦し気に喉を押さえながら、ユキが膝をついた。
炎熱によるものではない。
冷却を是とするユキにが炎熱でどうにかなることはない。
呼吸が、奪われている。

火事における最大の死因は焼死ではない。
火事における最大の死因は、一酸化炭素中毒及び酸欠である。
酸素の供給が十分な屋外での山火事である、不完全燃焼による一酸化炭素の発生はそれほどではないだろう。
だが、周囲に撒き散らかした花火がナパーム団のように酸素を焼き払っていた。
その中心にいたユキは呼吸困難に陥り、ついに意識を失いその場に倒れこんだ。

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月の大広間は伽藍とした静寂に満ちていた。

絢爛な装飾が並び、豪奢な雰囲気が漂うこの空間も、どこか空虚と感じてしまう。
それは目の前の光景が彼らの知るものとあまりにも食い違っていたからだろう。
時間にして約1日。この空間に犇き合う様に集まっていた参加者は、今はたった3人だけとなっていた。

「――――ここに辿りついた参加者はキミ達3名だけか」

出迎える迎える館の主は賓客を眺め、どこか感傷深げにそう漏らす。
呟きの様な声だったが、閑静な室内にその声は妙に響いた。

最奥の壇上にその男は立っていた。
入口と最奥。互いの立ち位置がそのまま互いの立場を指し示していた。

勇者と魔王。
挑戦者と王者。
参加者と主催者

これから彼らは最後の敵に挑むのだ。

「それはあなたの想定より多いのかしら、それとも少ないのかしら?」

その声に応じたのは入室した三人のうちの一人、黒衣の少女だった。
魔法少女めいたゴシック調のフリルの衣装は、優雅な舞踏会でも開けそうな洋館の雰囲気にそぐわしいモノだろう。
だが何かに挑む様な強気な眼光だけが、場に合わない剣呑な雰囲気を放っていた。
いや、それこそがこの場に相応しいのかもしれない。

「そうだねぇ、一人であるのが望ましかったが、別に複数人でも構わないさ。
 最悪誰も来ない可能性もあったしね、そう考えれば3名というのは上々な結果といえるだろうね」

そう言って、壇上の男は軽い調子で、何処か楽しそうに入口の3人に向けて手を振った。
余裕を湛えた所作からは、ここに至ってもまだ剣呑さなど欠片も感じられない。

「それに重要なのは人数じゃないさ。役割を果たせるかどうかだよ。
 君たちはどうだい? その役割を果たせるかな?」
「もちろん。そのために来たのよ」

目の前の男に負けぬ不敵さで、黒衣の少女はそう断言する。
その答に主催者は満足そうに口元を歪めた。

「出口はそこだ。開いた人間の世界に繋がる扉だが、君たちは丁度いい事に帰還先は同じようだし同時に潜るといいだろう」

そう言って、男は部屋の奥端にある白い扉を指した。
亜理子たちの立っている入口から指示された出口までの距離は30メートルほど。
あれほど追い求めた地獄からの出口が目と鼻の先にあった。

だが、その30メートルがあまりにも遠い。
扉は壇上の横、男の目の前を過ぎる必要がある。
そこを超えるには乗り越えなければならない。

この世界における始まりの敵。
この世界における最後の敵。
全ての元凶たる世界の敵。

立ち塞がる、ワールドオーダーという壁を。

「さて、それでは誰が挑む? ――――この僕に」

己に挑む勇者は誰なのかと、君臨する壁が問いかける。
問われた少女は、男に負けぬ泰然とした態度で両手を広げた。

「そうね。連盟って言うのはどうかしら。ここまでたどり着いたのだから全員にその資格があると思うのだけど?」

広げた両手が指し示すのは左右の少年と少女である。
代表者は1人ではなく、彼らを含んだ3人。
ここにいる全員が挑戦者であり、全員で戦う。
その返答に主催者は肩をすくめて息を吐いた。

「まあ、悪くない落としどころだ。それもいいだろう」

全てが理想通りの形とはいかないが、落としどころとしては妥当な所だろう。
常と変らぬ余裕を湛えた雰囲気のまま、壇上から自らに挑む敵を見据える。
追い求め、待ち望んた。結末に辿りつくための自らの対を。

その視界に、ひらりと黒衣が翻る。
音を立て、少女が一歩前に踏み出た。

「まず君が出た、という事は」
「ええ。探偵は謎を明かすモノ、でしょう?」

音ノ宮・亜理子
数多くの事件を引き起こしてきた殺人探偵にして、数多くの事件を解決してきた女子高生探偵。
そんな彼女の役割はやはり、謎を解き明かすことに尽きる。

「じゃあ、答え合わせをしましょうか」
「ああ。好きなだけ解き明かすがいいさ、それが君の役割だ。
 ここに至るまでの道のり君の貢献は計りしれない。人間の知識と理性。それを担うのが君だ。音ノ宮亜理子」

名を呼んで、この殺し合いにおける彼女の功績を評する。
探偵が謎を解きその道を示した。
彼らがこの場に辿りつけたのは彼女の知性があったからこそである。
そこに疑いの余地はない。

「それで? 何を解き明かすというんだい?」

探偵には解き明かすべき謎が必要だ。
犯人は初めから明白。
犯行手口は異能の極み。
そんな事件において探偵が解き明かすべき謎とは何なのか?
まずは解くべき謎を定義しなければお話にならない。

「――――――全てよ。お話を終わらせるには全ての謎を解かないとでしょう?」

力強く断言されたその答えに、男はへぇと感嘆したような声を漏らした。
更に吊り上った口端からは期待が高まった様な気配が感じられる。
男が望む答えを果たして、少女は持ち合わせているのか?

「この世界に存在する全ての謎を解いたと?」
「いいえ。この世界の謎全てを解くことなんて不可能だわ。だって、関わりようがないもの」

世界中に謎は数多に溢れ、名探偵に解けない謎など存在しない。
だが、いかなる名探偵であろうとも知らない謎は解けない。当然の摂理である。
関わらずとも謎を解く安楽椅子探偵というものは存在するが、それも謎を知ってこそである。
人生は短く、関われる事象には限りがある。
全ての謎を解くことなどできない。

「ならどういう事かな?」
「私が解いたのは、もっと根幹。たった一つ解くだけで全てが明らかになる大本よ」

一つ解いただけで全てが解き明かされる。
そんな都合のいい物モノが果たして存在するのだろうか?

「つまり、なんだい?」
「つまりは――――この世界の真実よ」

一瞬、支配者は目を細めたが、すぐさま取り直すように口元に手をやり喉を鳴らした。
張り付いたような笑顔を張りつかせたまま、くつくつと笑う。

「世界の真実か。また抽象的な話だねぇ」

まるで他人事のように肩をすくめた。
探偵はその態度に取り合わず推理を続ける。

「結論だけを言ってしまえば一言で済む話なんだけど。
 この世界は――――――あなたに創られた物だった。違って?」

広間に満ちた空気が凍りついたように静寂が降りた。
須臾の間。睨み合うように互いの視線が交錯する。
その静寂に亀裂を走らせるように、男の口元が歪に吊り上っていった。

「――――――何故、そう思ったんだい?」

壇上の虚無が口を開く。
それはどこか無機物が喋っているような不気味さがあった。
どこまでも底の見えない混沌の渦から瞳をそらさず、探偵は冷徹な視線を崩さず口を開く。

「あなたが用意した企画書、中抜けではあったけれど、確認させてもらったわ」

特定の参加者の首輪に仕込まれたデータチップは様々な役割を持っていた。
それがあると言う事自体が一つのヒントであり。
それ自体がここに至るための鍵であり。
そしてとあるデータの格納場所でもあった。

亜理子がノートパソコンで確認したデータの中身。
その一つ一つに記されていたのは、これまでワールドオーダーが行ってきた様々な研究、実験、計画を記した『計画書』だった。
ワールドオーダーの目的についてのこれ以上ないヒントである。

「そう。ご感想は?」
「どこれもこれもパッとしない内容だったわ」
「手厳しいね。まぁ、さもありなんだか」

部下の上げてきた稟議書を却下する上司のようににべもなく扱き下ろす。
彼が今ここにいるという事実は、その計画全てが失敗してきたという証左である。
それについてはワールドオーダーにとっても忸怩たる思いがあるのだろう、ワールドオーダーは僅かに肩をすくめるのみであった。

彼の行ってきた計画。
世界を終わらせるための物語。
結末に至れなかった唾棄すべき計画たち。
だが、それれもそこから見えてくるものもある。

いくつもの計画。
それら全ては一つの目的にために立案された物であり、ワールドオーダーと言う男の生きた軌跡である。

「あなたは世界をまるで我が物のように扱ってきた。
 目的のために幾つもの世界を操り、人々を利用し貶め、使い捨てにしてきた。
 それだけでは飽き足らず、新たに世界を創っては計画に組み込んだ」

この男の手によって、世界は何度も革命の日を迎えさせられてきた。
それは幾つもの世界を巻き込み、世界構造そのものを改変を起してきた。
その為に異世界は増産され、世界に異能者が生まれ、いくつもの悲劇が量産された。
今の世界がおかしいのは、この男の責任だと言っていい。

「けどそれは、順序が逆なのよ、あなたは世界を利用して計画を立てたんじゃない。
 そもそも、この世界はその為に創られた。
 あなたは計画に利用するために世界を産み出したのよ」

この世界に生まれたワールドオーダーがそこに在った世界を利用でいたのではなく。
利用するためにワールドオーダーがこの世界を創り上げた。

言うなれば、このバトルロワイアルのためにこの世界は、この世界に生きる人々は、生み出されたと言っていいのかもしれない。
一ノ瀬は参加者たちが作られた複製(コピー)などではないと言ったが、大元(オリジナル)からしてそもそも始まりを間違えていた。

「私の提示した計画を組み込んで具体的にバトルロワイアル計画を立案してそれに転用したのは最近の事でしょうけど。
 元より世界はあなたが後付で計画に組み込むために用意した実験場と言った所かしら?」

様々な計画、実験、それら全てに利用するために彼は世界を産み出した。
元よりそのために生み出した存在ならば、使い潰したところで罪悪感など感じるはずもないだろう。
この男にとって人や世界は、その程度の存在でしかない。

「どう。この推理間違えているかしら?」

推論を重ね答えを持つ犯人に問う。
ここまでは証拠も何もないプロファイルだ。
閉じられた世界で証拠など見つけようがない、いやこんな荒唐無稽な話に証拠などあるはずもない。
いくらでも反論の余地はあるだろう。
だが、容疑者は言を返す代わりに笑みを浮かべた。

「――――――いいや。その通りだ」

反論することなく事実と認めた。
その瞬間、これまで以上に異様な空気が男から溢れだしたようである。
探偵は無意識にその空気に気圧されるように僅かにたじろいた。

「……随分と素直に認めるのね」

推理を披露して真実を解き明かすのが探偵の務め。
だが、ここまで犯人が素直に答えるという状況は少々居心地が悪い。

犯人は逃げも隠れもせず、むしろその存在を示すように両手を前に広げた。
これは証拠を使って追い詰めていくような犯人の告発ではない。
世界を終わらせるために世界の始まりを明らかにする作業である。

「ここまできて下らない言い逃れはしないさ。
 物語を終わらせるための世界の開示なのだから」

ワールドオーダーの目的は世界を完結させること。
亜理子の目的はその計画の根幹が間違っていることを突き付けるため計画を成功させること。

それは探偵と黒幕の共通認識だ。
参加者の口から正しく真実が語れたのなら認めるだけである。
今更、そこを論ずる意味はない。

「そこまでたどり着けたのなら十分だ。次の段階の話へといこう」

仕切り直すように一つ手を鳴らす。
反響する音が周囲の空気を塗り替える。

「この世界を創ったのは確かにこの僕だ。
 つまり、キミたちは僕ぶ利用されるためだけに生み出された存在という訳だ。
 さぁ――――その真実を知って、君はどう向き合う?」

残酷な創造主は意地悪く、その生の意義を自らが生み出した人に問う。
この世界で生きる者たち全てが、たった一人の男に利用されるためだけに生まれてきた。
それはこの世界そのものを根幹から揺るがす真実である。

何の為に生まれて死ぬのか。
全ての意義はこの男に与えられたものでしかない。
その事実はこの男を嫌悪すればするほど重く圧し掛かるだろう。
だがその問いに、利用されるために産み出された人間は冷淡な表情のまま、眉一つ動かさず答えた。

「――――――別に、何も。
 仮にあなたが世界を産み出した全ての父だったとしても、子が親の操り人形になるわけじゃない。子は子で勝手に自立して勝手にやるわ」

吐き捨てるように言う。
兵器であれ技術であれ、製造目的が運用の過程で別の存在意義を獲得するなんて珍しくもない話だ。
利用されるために生まれたのだとしても、ハイそうですかと利用されるほど人間は潔くない。

「第一、現代人は忙しいのよ。いちいちそんな事気にして生きていられないの。
 私は今こうしてここにいるのだもの、自分のしたい様に生きるだけよ。
 何時までも神様気取りでいられるのも鬱陶しいわ、ワールドオーダー

我思うが故に我あり。
存在意義など自分で決める。
そんな事で今更絶望する人間などいるものか。

その答えをどう捉えたのか。
創造主は無言のまま人間を見ていた。
隠れた表情からその感情は読み取れない。

「神様気取り、か。そう見えるかい?」

静かな声で問いかける。
同じような問いを投げられ激情を見せた、始まりの時とはまったく違う反応だった。
その違いは何なのか、そればかりは探偵をしても推し量れない。

「そうね。神を嫌悪している割に、貴方の所業はそれこそ神の御業そのものじゃなくて?」

語られた世界創造が真実であるのならば、その所業は正しく神の御業である。
それを成したという事実を認めながら、彼は自らが神であると言う事実は否定した。
それどころか神を嫌悪しているという矛盾がある。

「違うね。確かに僕は世界の創造主だ。
 僕はそういう能力を持って生まれ、そういう事が出来た。まあ君たちから見れば神のような存在であるも認めよう。
 だが、それは創造主と言う役割を与えられたキャラクターでしかないんだよ。神様とは違う」

彼が持つ異能。それは世界を創り上げる創造主としての異能だった。
今彼の使えるそれらは、全てそこから劣化し派生したモノに過ぎない。

「なら、あなたにその役割を与えた存在が、あなたの言う神という事かしら?」
「そうだねぇ…………それは正しくもあるが、正しくもない、かな」

曖昧に口を濁す。
誤魔化しているというより、彼にとってもうまく説明ができないのだろう。
神という言葉について明らかに認識に齟齬があった。

「物語の登場人物が作者の存在を認識できないのと同じように君たちにはその存在を理解できないし、理解する必要もない。
 物語(せかい)の外の話だからね。これに関しては僕たちの目的には関係がないことだ、気にしなくていい」

優しく諭すようで、その実、突き放すような隔絶があった。
その齟齬は見えているようでどうにも埋められそうにない溝がある。

「関係がない、ね。そうね。それなら私にとっても興味のない話だわ」

探偵は深くは追及せず、あっさりと引き下がる。
ある意味互いの利害が一致しているからこそ、このこの二人のやり取りは成立している。
切り込んだところで無意味な点には、互いに意識的に触れてない。
本当に『意味がない』からだ。

「あなたの目的は世界を終わらせること、私の目的はあなたの計画を成功させたうえで失敗させること。
 詰まる所、計画の成功は大前提、その結果がどうなるか。あなたと私の戦いってそういう勝負でしょう?」

明確に口したことは無かったが、共通認識であるはずの勝利条件を確認する。
だが、ルールを握るゲームマスターはその言葉に肯定を返さず、曖昧に肩を竦めた。

「さて、どうだろう。何にせよ君の思う通りの結果にはならないと思うけどねぇ」
「それは自分の目論見が成功するという自信かしら?」
「いやいや、そうじゃないさ」

少しだけ残念そうに声のトーンを落として首を振る。
彼にとっては幾度と繰り返された無理解。
今更落胆するような事でもないが。

「詰まる所、僕と君たちとでは定義が違うのさ。終わりについても、神様についても」

世界最高の探偵をもってしても理解しがたい断絶。
これは頭脳の違いではなく立っているステージの違いである。
結局、最後までワールドオーダーという個人が理解されることはないし、その必要もない。

「まぁ、いいさ。認識がどうあれ僕らは倒すか倒されるかの関係でしかない。
 ここに至って仲良く和解だなんて、そんな興ざめな結末にはならないだろう?」
「当然ね」

壇上の男が凶悪に笑い、両手を高々と広げた
その様は世界を支配する神か魔王か、それ以上か。

「僕を倒せば全てが完結する。君たちの目の前にいるののはそういうご都合主義のラスボスさ」

そういう風に創り上げた。
そうなる様に築き上げた。
そうある為に積み上げた。

それが結実した今が、この世界だ。

「この世界(おはなし)を、終わらせるに相応しい相手だと思うだろう?」
「そうね。始まりはあなた、だから終わりもあなたに帰結する」

そう肯定して、亜理子は敵に背を向けた。
そうして背後の少年と少女に振り返る。

「探偵(わたし)の役割はここまでよ」

世界の形を解き明かし、世界の始まりと終わりを明確にする。
その役目は終わったとばかりに亜理子が一歩後方に下がった。
そして壁際に佇む後輩二人に視線を向ける。

「後は、あなたたちで終わらせなさい」

そう言って、次に終りを託した。
投げかけられた言葉に、九十九は息を呑む。
拳正は眠ったように静寂を保っており反応はない。

戸惑いの表情を見せながらも胸元でぐっと手を握り締めて、一二三九十九が前に踏み出た。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

一帯を炎が包んでいた。
ゆらゆらと揺れる炎が二人の女を赤く照らす。

勝敗は決した。
天より全てを見下ろす女、地にひれ伏す少女。
どれ程能力を覚醒させようとも、身体能力を強化しようとも、埋める事の出来ない勝ちを描く戦闘経験の差である。

勝敗は戦いとは違う場所で決まっていた。
究極的に言えば、ボンバーガールの攻撃は当たっても外れてもよかったのだ。
周囲に炎をまき散らし、炎上させることができればそれでよかった。
その意図に気付けなかった時点でユキの負けだ。

花火の噴射により宙を飛んでいたボンバーガールが、崩れかけたダムの上へとゆっくりと着地した。
山頂の上に建つダム、この世界を見渡せる頂上である。
炎の渦の中で倒れ伏した敵の姿を一瞥し、頂点から世界を見渡す。

「……見ろよ、世界の終わりだぜ」

誰に向けてでもなく呟く。
揺らめく炎の先。
世界の頂から見る景色は全てが歪んで見えた。

それは陽炎による幻影などではない。実際に世界は歪み始めていた。
とっくに日は上ったはずなのに、空はどこか昏いまま、太陽よりも月が輝き、不気味な存在感を示していた。。
遠目に見える海は津波が荒れ狂い、大きく大地が揺れるたび島端から崩れて落ちて行く。
遂には遠くの空がひび割れて海に落ちるのが見えた。

もう整合性すら取れていない。
理由は分からないが、もうじきこの世界は崩れて終わって消えるのだろう。

終わる世界。
今この瞬間、この世界に立っているのはただ一人。
悪党も魔王も邪神も、あの龍次郎さえ死に果てた世界で、生きているのは珠美だけ。
生き残ったのだから、それは彼女が誰よりも強かったという証明である。

「亦紅も、りんご飴も、シルバースレイヤーも、あいつらは全員あたしよりも正しかった」

彼らは全員が正しき心を持った正義の味方たちだっただろう。
だが珠美は違う。正しさなんてない。
最初からそんなものは、どこにもなかった。
間違ったまま、間違い続けたままで、それでも勝ってきた。
勝って、勝って勝ち続けてきた。

「結局のところ、正しさなんざなくたって強ぇ奴は強ぇ」

それが結論。
正義も悪も一切の価値がいない。
最強はボンバーガールだ。

空を見上げる。
揺れる大地、崩れ始めた空。
その先には何もない。
その先がないのだから、ここが世界の終わりである。

戦って戦って戦った果てに辿りついた場所がここだ。
ここが頂点。
彼女の、到達点だ。

辿りつきたかったはずの彼女の終わり。
ここに辿りついて何を得たのか。
ここに辿りつくために何を失ったのか。
答えなど出ず、収支の釣り合いが取れているのかすら定かではない。
ただ、その心に到来したのは充足感などではなく、祭りの終わりのような何処か物悲しい侘しさだった。

「………………いや」

まだ見上げたその先には崩れた空にあっても変わらず浮かぶ月がある。
それは手の届かぬ星ではない。
どうやったのかは知らないが、月に昇っていった奴らがいたはずだ。

あるかもわからないその先を追い求めて、あの時見逃した奴らを追うか。
もしかしたら、そこには本物のワールドオーダーもいるかもしれない。
そこでひと暴れするのも悪くないだろう。

世界の終わりを前に、近づいてきた自らの終わりに思いを馳せる。
綺麗な終わりになど興味はないが、不完全燃焼はもっとゴメンだ。
だが、このままここで突っ立っていれば、崩壊に巻まれて世界と共に終われるだろう。
それは、どうしようもない自分にしては上等な終わり方だ。

ああ、それも悪くない。
そんな考えが脳裏をよぎったところで、

「ッハァ―――――――ッ!!」

大きく息を吸う音が聞こえた。
昏倒していた少女が勢いよく顔を上げた。
そのまま立ち上がって酸素を求める様に肩を揺らして深呼吸を繰り返す。
だが、酸素のないこの状況でそんな事をすれば再び意識を失う筈である。
しかしそうは為らず、ユキは呼吸を整えていった。

「テメェ…………どうやって」

超人であろうと人間である以上、酸素なしでは活動できない。
上空に昇り無酸素領域から逃れたからこそ無事でいるだけで、それこそボンバーガールですら当てはまる絶対の法則である。
少なくとも、火中にいたユキには逃れようのない状況のはずである。

動けるとしたら、酸素がなくとも稼働できるサイボーグ、もしくは長時間の無呼吸運動を可能とする超人か。
だが違う。明確に深呼吸をしている以上、その可能性は否定される。

そうなると結論は一つ。
単純明快な答えだが、彼女の周囲には酸素がある。
そう結論付けるしかない。

だが、どうやって?

そこで気づく。
深い呼吸を漏らす白い少女の足元から立ち上がる薄い蒸気の様なものに。
その煙を発しているのは地面というより、地中。土の隙間に煌めく緑色の塊だった。

(ドライアイス…………? いや、違う。ならあれは…………)

ドライアイスは二酸化炭素が固体化したものである。
気体は固体化する。
それくらい小学生だって知っている。

ならば、酸素だってそうだろう。
事前に固形酸素を作りだして仕込んでおけば、酸欠を回避できるのではないか。

それはいい。
種が割れれば何のことは無い話だ。
明かされて見れば直球の対策であるともいえる。
ボンバーガールが慄いているのは別の理由だ。

ごくごく単純な一つの疑問。
酸素は一体――――何度で固形化する?

「…………ハァ――――ハァ」

僅かに残る炎の中心で、氷の少女は肩を上下にさせながら呼吸を続ける。
周囲の炎は時と共に徐々に鎮火していった。
この場で覚醒を果たしたゴールデン・ジョイの影響によって元より周囲の木々は少なくなっていたのも幸いした。
燃え尽きてしまえばもう同じ手は使えない。

敵はボンバーガール。花火を操る炎の魔人。
そんな相手と闘うと決めた時点で、この展開もあり得るだろうと予測はしていた。
故に、対策くらいは当然講じている。

酸素の凝固点は-218.79℃。
絶対零度に程違い、気体すら凍るマイナスの世界。
あらゆる生物の生存を許さない氷の地獄。

闘いの最中、それを出来る限り地中にストックしておいた。
それが出来るという確信があった。
そして実際にやってのけた。

よもや、その状況を意図して引き起こすような真似をするのは予想外だったが、その保険は見事に機能した。
一瞬意識を昏倒させたが、倒れた地面から酸素が溶け出すにつれて意識を回復させることに成功した。

「…………ハハッ!! 面白れぇ、面白れぇよお前ッ!!!」

立ち上がった敵の姿を認め珠美の喉の奥から、自然と笑いが込み上げる。
消えかけの線香花火のようだった情熱が牡丹の様に弾けた。
再演(アンコール)のように、再燃する。
終りの続きがやってきた。

知らず、火花が弾ける。
鼓動が高鳴り、精神が高揚する。
正真正銘、最後の戦いを前に、かつてないほど最高にハイだ。


「それじゃあ、最後の祭りとしゃれ込もうぜ――――!」


世界の頂点から自ら大地に飛び降りる。
祭りの会場に無邪気に駆けだす子供のように。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

「僕が創り、僕が育て、僕が導いた。
 にも拘らず、君らは時折、僕の想定を上回る事をやらかす。
 それこそが君ら人間の可能性だ。ああ、そういう意味では君は実に面白いよ」

人間より一つ上の高みより、創造主が何の変哲もない少女を見据えた。
どこかその視線からは、愉しむ様な気配が感じられる。

「全員が生き残る可能性を想定していたとはいえ、君がここまでたどり着けたのは意外と言えば意外だった。
 人から外れるでもなく、逸脱するでもなく、人のままここに辿りつく、そんな可能性を示した君には惜しみない称賛を贈ろう」

そう言ってパチパチと手を叩いた。
広い部屋に乾いた音が響く。

普通の人間が普通のまま、ここに辿りつくのは限りなく難しい。
あの地獄はそういう選別試練である。
それを成し遂げた事こそが偉業であると、特別でない少女が特別でない事に惜しみない称賛を贈った。

九十九は不可解そうに眉根を寄せつつも、壇上の男の顔を真正面から見つめ返す。
最初は混乱の最中だったから、まともに男の顔を見れていなかった。
だから、ここに来て始めてまともに男の顔を見た気がする。

どこにでもいるような、街中ですれ違っても気にも留めないような男である。
こんな事を仕出かしたなんてとても信じられないような平凡な。
だからこそ、彼女は一番聞きたかったことを聞いた。

「あなたは…………どうして、こんなことをしたの?」

その問い受け、ワールドオーダーは興味深げにふむと頷いた。
それは世界の構造を暴いた探偵の後にするには、余りにもつまらない、平凡な問いだった。

「どうして、か。面白い質問だ。今更それを問うのか、この僕に。
 いいね、実に君らしいよ一二三九十九。三人の中で最も人間的で、感情を司るのが君だろう」

必要のない事をしようとしている。
それは探偵が明かさなかった、明かす必要がないと切り捨てた部分。
謎や真実ではない、動機に纏わる感情の話だ。

そうやって切り捨てられた物を彼女は見捨てない。
理解する必要のない男を理解しようとしていた。
情の深い女だ。誰にも顧みられない取りこぼしてきたものに未練がましくしがみついている。

「そうだねぇ……どうしてこんなことを、か」

亜理子とのやり取りでは一度も逡巡する事がなかった視線が、泳ぐように僅かに虚空を巡った。
何もかもが薄れ消える、気の遠くなる程の遥か彼方を思い返すように。

「……それは識ってしまったからだろうねぇ」

何処かに置き忘れたなにかを手探りで探し当てる様に男は静かに語り始めた。

「僕は創造主という立場から君たちとは違う視点を得ている。
 だからそれに、気付くことができたんだろう。
 僕がどういう存在であり、世界とは何なのか。そして世界の外にいる存在を識ってしまったんだ」

それは慚愧の念だろうか。
何も識らないままでいれば、子供のように無垢でいられた。

「識ってしまった以上、僕にはそれがどうしても我慢ならなかったんだ。
 僕はそういう人間だからね。世界外だろうと内だろうと支配者がいると言うのならやることは一つ――――革命だ。
 支配構造を引っくり返したい。世界を新たな形にしたい。終わりの先を見てみたい。
 ああ……理由があるとしたらそれだけだ。本当にただ、それだけなんだ」

それは子供じみた我侭の様なものだ。
何をされたわけでもない。強固な決意を得るような劇的な出来事も、同情を誘うような悲劇もない。

ただ彼はそう在ったから、そうなった。
特別な事件などなく、当然のように、義務感でも使命感でもなく。
そうしたいから、そうしたのだ。

「それだけのためにここまでやった。
 世界を創り、育て、操り、繋げ、壊し、捨て去り。
 他者に寄生し、利用し、分裂し、己すら無くしながら悠久の時を生きてきた。
 たったそれだけの理由のためにね――――下らないと思うかい?」

静かな問いかけに、少女は痛ましい表情で目を閉じて首を振る。
その言葉の意味を、自分なりにちゃんと理解した上で、自らの言葉を絞り出そうと必死に努めていた。

「…………その理由が下らないとは言わない」

どんな理由であったとしても、夢にかける情熱なんてモノは誰も否定できない。
少なくとも彼女はそれを否定しない。
何かを目指す始まりがどんなものであっても、そこに間違いなんてないのだから。

「けど、あなたは他人を巻き込み過ぎた。私はそれが許せない」

彼は自分の目的のために他者を犠牲にし過ぎた。
どんな理由があったとしても、誰かを犠牲にする事など許されるはずがない。

犠牲になったのはこの殺し合いに巻き込まれた人たちだけではない。
これまでに、この殺し合いとは比べ物にならない数の人間を使い潰してきたのだろう。
悠久の時、数多の世界において。

「他に方法はなかったの?」

犠牲を出さない方法を模索する事は出来なかったのか。
誰も傷つけず、血を流さない、平和的な。そんな方法で、目的を達する事は出来なかったのか?

既に多くの血が流れた。
多くの死者、多くの悲劇が生まれてしまった。
今更問うたところで、何か答えを得たところで失われたモノが戻る訳ではない。
だが、それでも問う、彼女は一二三九十九なのだから。

「なかなかに難しい話だね。僕がしようとしているのは詰まる所、世界の革命だ。
 革命には犠牲が付き物と言うだろう? どんな形であれ犠牲は避けられないだろうねぇ」

男の成し遂げようとしていることはそう簡単に実現できるものではない。
最初は平和的の方法を目指したとしても、いずれ誰かの犠牲は避けられなくなるだろう。
手を尽くすとはそういう事だ。
そして、世界は既にそういう段階に至っていた。

「それは本当に誰かを傷つけてまでやらなければならない事だったの?」

誰かを傷つけると分かった時点で、止まる事は出来なかったのか。
そんな余りにも善良な人間的な問い。
それは非人間に問うには余りにも場違いな問いであり、それ故に、この場で彼女が問うべき問いだった。

男は笑みではない表情を浮かべて、どこか遠くを見るように静かに目を細める。
前髪に隠れたその瞳が捉えているのは少女の姿か、はたまたその先にあるモノか。
やはり誰にも、男の心情は読み取れない。

「さて、もうとうの昔に止まるなどと言う発想すら忘れてしまったよ。
 長い……本当に長い計画だったんだ。そのうち本当にそこまでして成さねばならない事だったのか、なんて事すら忘れてしまったよ」

それだけ長い計画だった。
その内に多くの物を忘れた。
その内で多くの物を取りこぼした。

とうに創造主としての力など枯れ果てた。
残っているのは万能の力の残り滓である。

とうにまともな喜怒哀楽など枯れ果てた。
故に、常に何があろうともその顔に張り付くのは笑顔だけ。

とうにまともな人間性など枯れ果てた。
元よりそんなモノがあったのかのかすら定かではない。

「だったら………………!」
「いいや、違う違う違う違う――――――――だからこそだよ」

少女の言葉を遮るように、壇上の男が指を振る。
何もかもを失っていたはずの男の表情が歪む。
稀薄だった存在はその一点のみに集約されていた。

「全てを無くしたところで、僕にはまだ目的がある。
 僕に残ったのはそれだけだ。だから止まることもないし、後悔もない」

慚愧の念などあるはずがない。
全てが砂の様に希薄になった掌の中に目的だけが残った。
故に彼は目的を成し遂げる。
今の彼はそのための装置である。

そこに感情はなく、感傷はなく、後悔もなく、無念もない。
きっと成し遂げたところで何もないだろう。

それでもやる。
理由などなくとも目的があるのだから。

「あなたは…………」

少女が男を見た。
絶対的な力を持つ創造主を、何の力も持たないただの少女が見つめる。

絶対に赦すべきではない相手。
多くの物を踏みにじり、何一つ顧みる事のない、存在自体が赦され難い邪悪その物。
共感はできず、同情の余地はない。全く持って救いようがない。

そんなことは、最初から分かりきった事だった。
絶対に許せないと思っていた。
彼女はずっと怒り続けていた。
この殺し合いが始まってからずっと。

この怒りは、殺し合いを始めたワールドオーダーに向けられたものだ。
そう、思ってきた、はずなのに。

だが、それでも。
少女の瞳に浮かぶ感情は憐憫と呼ばれるモノだった。
目の前の相手が憐れに映る。

何者にも侵されぬ不変の在り方は、それしかないという諦観に似ていた。
その縛られた生き方は酷く息苦しそうなのに、男は息苦しいとすら感じられないでいる。
それがこの小さな人間の真実だった。

「そう…………終わらせたいのね、あなたは」
「そう。終わらせたいのさ、僕は」

そこで互いの言葉が途切れる。
最初から最後まで致命的に噛み合うことはない。
これ以上尽くす言葉はなかった。

静寂を埋める様に大広間全外が僅かに揺れた。

「おや、崩壊の余波がここまで来たか、名残惜しいがそろそろエンディングも近いかな」

ワールドオーダーは天井から落ちる砂のような破片を手のひらで受け止め、その汚れを払った。

「終わりは目前にある。そこに至るための我が革命。
 ようやくここまでたどり着いた。いい加減この世界を2014年から未来(さき)へ進めよう」

世界はここに始まり、ここに留まり、ここに終わる。
世界は革命され、終わりの続きに辿りつくだろう。

これは終わりを目指すための物語だ。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

どこか遠くで何か崩れるような大きな音が響いた。

空には光と闇が入り混じった混沌がある。
崩れゆく地上、こちらの崩壊は月の比ではなかった。
大地は絶え間なく震え続け、もはや安息の地などこの世界に在りはしない。

ユキはその揺れに耐えられず、バランスを崩してその場に膝をついた。
その身が小刻みに震えているのは、地震によるものだけではない。

「くぅ………………っ!」

意識の断絶と共に、悪刀による身体強化(ドーピング)が切れたのだ。
分不相応の力を行使した代償を払う時が来た。
限界を超えた反動で、残ったのは激痛と鉛の様な疲労である。

割れそうな勢いで歯を食いしばり、頭を押さえる。
まるで脳をザクザクと無数の針で刺されたような痛み。
もはや立っている事すら苦痛でしかない状態で。

「――――――戦える」

それでもまだ、戦えると、そう口する。
膝を折り、片腕を地面に突きながらも、思わず激痛に閉じそうになった瞳を片方だけ見開いた。
それは誤魔化しや錯覚の様なものかもしれないけれど、言葉は決意となり、決意は体を動かす。

何より、まだ戦いの最中だ。
敵から視線を外す訳にはいかない。
眼光だけはこれまで以上に鋭く光らせ、目の前の相手を睨み付ける。

「ッぁぁぁあああああああああああ…………ッッ!!」

頭の血管が切れそうなほど叫ぶ。
充血する瞳を見開き、額の先に意識を凝縮する。
目の前に冷風が吹き、渦を巻いた冷気が徐々に矢尻の形を成してゆく。

体は指先一つ動かすだけで辛い状態だが、冷気を操る能力だけは辛うじて行使出来る。
どんな絶望的状況になったとしても、心だけは決して折らない。
悪党を継ぐと決意した時から、そう決めたから。

「ッけええぇぇぇ――――――!!」

弓のように振り絞った意識を放つ。
紅蓮の意識から氷の矢が放たれる。

「――――――そうだ、戦え。最期まで」

燃えるような女がその意気に応える。
自らを射抜かんとする氷結の矢を、女は躱すでもなくあっさりと掴み取った。
その手の内で、氷矢は握りつぶされへし折れる。

彼女を燃え上がらせるのは、その目だ。
ユキはこの状況を理解できないほど愚かな女ではない。

このどうしようもない状況を理解したうえで、それでもなお不屈の闘志を燃やしている。
どれ程打ちのめそうとも、どれほど追いつめられようとも、何度でも立ち上がり絶対に諦めない。
あるいは彼女がどこかで憧れていたヒーローの様に。

ボンバーガールは自らの精神を焼べて炎を燃やす。
テンションと共に彼女の体に流れる爆血は高熱を帯び、その体温も上昇してゆく。

「テメェにぁ最後まで付き合って貰うぜぇ!!」

ずらりとその前面に大量のロケット花火が一瞬で並ぶ。
号令一下。
ボンバーガールが腕を振るった途端、一斉に火がついた。

「つぅ…………ッ!?」

導火線を凍結させようとするが痛みで集中が途切れた。
間に合わない。
10分の1も止めることは叶わず、耳を劈く音と共に幾多もの流星が地上を流れた。

避ける、というよりコケるようにして地面を転がる。
初弾の直撃は避けられた、だが直後に地面に突き刺さった花火が弾けた。
すでに爆風に抗う力もない。
ユキの体は大きく吹き飛ばされ地面を転がる。
だがそれが幸いしたのか、次々と地面をえぐる流星群から幸運にも逃れることができた。

「どうした! どうしたァ!? スっ転んでるだけじゃ、勝てねぇぞコラァ……ッッ!!」

炎が舞った。
女の視界が赤く燃え上がる。
如何に相手が満身創痍であろうが関係ない。
追撃の手は緩めずに、全力で叩き潰す。

「っ…………?」

だが、そこで小石大の氷粒がボンバーガールの頬を打った。
それは一瞬で水滴に還り蒸発して消えた、その程度の何の効果もない代物である。
恐らく天に氷を打ち上げ流星群を潜り抜けてボンバーガールを狙ったのだろう。
その奇襲は何の効果ももたらすことなく失敗に終わった。

「ハッ…………」

だが、問題はそこではない。
重要なのは、あの状態で反撃する気概があったということだ。
この状況で本当にまだ、勝つ気でいる。

「ハッ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

大地が崩れ空が堕ちる。
遠くで雷轟のような音が響いた。
炎に包まれた終わる世界で一人の女の哄笑が木霊する。

「最ッッ高じゃあねぇの…………ッッッ!!」

ここに至るまでの鬱屈した感情。
不完全燃焼に終わった溜まりに溜まった鬱憤。
全てがここで爆発する。

吐く息すら燃え上がるように熱い。
全身から流れる血液が蒸発を始め、赤い霧となって舞い上がった。
ポコポポと皮膚が沸き立つ。血管中の血液が文字通り沸騰している。
その影響か、皮膚は赤熱化したように赤く染まり、全身の血管を浮かび上がらせた様はさながら赤鬼のようであった。

ボンバーガール。
爆ぜて刹那と消えるが定めの夜の華。
刹那を燃やし尽くし今のみを生きる女は炎その物と化した。
膨張する宇宙のように爆発的な彼女の成長は、ここに最高潮を迎えていた。

「だったらぁあよぉおおお!!! くぉれはどーーーだぁぁアアハッハハハアッッッッ!!!」

熱の影響か、呂律のまわらない口で狂ったような勢いで叫ぶ。
焼いて焼いて焼き尽くす。
五月雨の如く次々と打ち放たれる花火の連射。
もはや種類すら問うておらず、ありとあらゆる花火を産み出しては導火線に点火して行く。

それは、この世の物とは思えない幻想的な光景だった。
砕け散った空、その欠損を埋める様に鮮やかに輝く光の華。
まるで世界の最期を彩る花火の博覧会だ。

「くっ…………あっ…………ッ!!」

だが、やられている側としてはその光景を美しいなどと呑気に言ってはいられない。
戦力差はアリとゾウなんてものじゃない。
ただ一方的に攻撃を防ぐこともできず、ただ爆風に身を晒していた。

何度も爆風に晒され、何度もゴミみたいに吹き飛ばされる。
正直、まだ生きているのが奇跡だ。
吹き飛ばされている本人ですら、何故まだ自分がまだ五体無事であるのか不思議なくらいである。
けどまあ生きてるんだから、抗わなくちゃ嘘だろう。

「こッ……………のォォォォォおおおおおお!!!」

転がり地を舐めるように滑りながら、意識だけを飛ばして反撃に転ずる。
形成するのも煩わしい。固めただけの氷を礫として飛ばす。

散弾銃の如く放たれた氷礫。
だが、それらは敵の下に届くことすらなく、空中で溶け落ちた。

「な……………っ」

その光景に言葉を失う。
ボンバーガールは何をしたわけでもない。
ただ彼女の周囲に漂う異常な熱気が氷を溶かしたのだ。
もはや、氷では触れることすら叶わないだろう。

銀景色は完全に立ち消え、周囲は一面の炎に染め上げられていた。
環境を変えられる強みも失われた。
炎の魔人に氷は通じず、反則技(ドーピング)も切れた。

それはつまり、ユキにはこの怪物を倒す手段が残っていないという事。
完全に打つ手がなくなった。
諦めないだけじゃどうしようもないことがある。

だからと言って諦めるのか。
否。否である。

ならば考えろ。
考えろ、考えろ。
できる事を考えろ。

悪党ならどうする。
父ならどうするのか。
彼なら、どうするのだろうか。

だが、敵は答えが出るのを待ってなどくれるはずもない。
花火の大嵐は絶えず降り続け。
放物線を描いた花火が背後でひときわ大きな爆発を起こした。

前方に吹き飛ばされる。
転がるユキの体が何かに当たって停止した。

「よぅ」

サッカーボールのように腹部を思い切り蹴り飛ばされる。
細身の体が宙を舞い、胃液を口から巻き散らしながら地面を数度バウンドして転がった。

「オラオラァ!! どうしたぁ!? 立ぁてよッ! ここまで来て萎えさせんなよなぁ!?」
 戦うんだろ? だったら立って戦え。戦い続けようぜ、世界の終りまで……ッ!!」

戦いづ続けたまま世界と共に終わる。
祭りの終りの侘しさなどない永遠の祭り。
それは彼女の望む、最高の終焉だ。

その願いは一人では達成できない。
だからこそ、目の前の相手にその役割を強請していた。

半端な終りなんてまっぴらごめんだ。
彼女のように、彼のように、途中下車するなんて許さない。
ユキにはここまで引き上げた責任を取ってもらわなくてはならない。

「く……ぅ…………ゲホッ! ゲホッ!」

ユキは立ち上がることもできず、端から胃液が垂れる青白い唇を震わせ、苦しそうに咳き込んだ。
震える手で身を持ち上げ、四つん這いのまま顔だけを向けて侮蔑を籠めた瞳で睨み付ける。

「――――――付き合ってらんないわ。あなたの感傷に私を巻き込まないで」

血の混じった唾と共に、乱暴に吐き捨て口元を拭った。

一瞬の空白を置いて、珠美の目が見開かれる。
その言葉が、彼女の触れてはならない所に触れてしまったのか、冷や水を浴びせかけられたように動きが止まった。

だが、それも一瞬。
その冷めた瞳に再び別の火が灯った。
それは憎悪だ。
憎悪の炎は爆発的な勢いで広がる。

「よく言った――――――なら、今死ね」

ボンバーガールが片腕を掲げる。
辺り一帯を容易く焼き尽くす程の、ひときわ大きな火薬玉が生み出されてゆく。
恐らくそれが爆発した時点でユキに助かる術など無いだろう。

今のユキにそれを止める術など無い。
立ち上がる事すらできない彼女にできる事と言えば力なく指を掻いて地面を握り絞める事だけだった。

「…………私は死なない。こんなところで死ぬもんか……!
 私は悪党を継いで、舞歌たちを弔って、九十九や新田くんと生きるんだ!」

一握の砂を握りしめ、少女が吠える。
両親を殺され復讐に生きた。
だが、家族を得て、友と出会い、恋を知った。
過去に囚われていた少女は未来を叫んだ。

「――――違うね。テメェは、ここで…………死ぬんだよッ!」

師匠も、戦友も、弟子も全てが女を過ぎ去った。
全てを背負いながらも女は過去など見ず、未来など見ず、刹那的に生きてきた。
己を貫き通す事こそ、全てに報いる事だと信じながら。
現在を燃やし続ける怪物は終わりを叫ぶ。

そして、最期の瞬間が訪れる。
この刹那に彼女たちの人生(すべて)が交錯する。

崩れ続ける世界すら気にならない。
互いの視界に移るのは互いだけ。

怪物は高らかに笑いながら、掲げた腕を振り下ろし。
見上げる少女は腕を上げる事すらできず、歯を食いしばって敵を睨み付けた。

互いの存在意義が凍り燃え尽きる。

瞬間。


「な………………………………ぁ?」


ボンバーガールの全身から炎が噴き出した。


放たれるはずの火薬玉が空ぶるように地面に転がる。
珠美は呆然と自らの全身に燃え広がる炎を見下ろしていた。

パチパチと弾けるような音が体の中から響く。
炎は表面ではなく、彼女の内側から漏れ出していた。

視線を移し足元に跪く少女を見つめる。
その目が、これは意外な事など何もない結末だと物語っていた。

ユキの能力は冷気を操る事である。
冷気を操るという事は、冷気を与えるだけでなく冷気を奪う事も出来るという事だ。

ユキにボンバーガルを倒す手段はなかった。
そう正しく理解したユキは、ボンバーガールの自爆を誘発したのだ。

過熱を続ける敵を冷却するのではなく、冷気を奪って自滅を誘う。
珠美を焼いているのは、自らを焦がす業火だった。

「はっ…………正義の味方の戦い方じゃあねぇな」

皮肉を込めてそう呟き、力なく倒れた。

「当然よ――――――――悪党だもの私」

それもそのはず。
彼女は正義の味方などではなく、悪党である。

この戦いは初めから彼女のどこかで望んでいた正義と悪の戦いなどではなかった。
圧倒的だったボンバーガールに敗因があったとするならばそこに尽きる。

狂ったような風が吹き付けた。
世界が崩れてゆく。
地面の揺れはもはや止まる気配すらない。
恐らくこのまま終わるまで続くのだろう。

既に視界に入る範囲の大地が崩壊を始めていた。
もはや孤島は半分以上が消滅し、中央部を残すのみだ。
崩壊は加速度的に続いており、ここに至るのも時間の問題である。

珠美は黒く炭化した自らの手足のように崩れ落ち始めた空を眺めながら。
最後の敵に問いを投げる。

「…………なぁ、この戦いに意味はあったと思うか?」
「………………………」

それは、この戦いのみを指示したものではないだろう。

この地で何かを得て何かを喪った者。
この地で何かを喪って何かを得た者。
二人は似た者同士で対極だった。

だからこそ、この相手に問いたかった。

全ては一人の男の都合によって行われたバカげた祭りだ。
巻き込まれた者たちは、その都合に踊らされていたに過ぎない。
失うものはあれど、勝ち残ったところで与えられるものなどなく。
この戦いの果てにある意味は。

「なかった、とは思いたくはないわね…………」

意味があったのかは分からない。
それでも、戦ったのは彼女たちだ。
意味があったかどうかを決めるのは、これからの彼女たち次第なのかもしれない。

「………………………………だよな」

線香花火が夏の終わりを告げるように、静かに炎が燃え尽きる。

ユキはそれを見届けることなく、ダムの中央に向かって駆けだした。
だが、ふらつく足元ではこの揺れの中をまともに進むどころか立っている事すら難しい。
倒れそうになりながらも、なんとかダム壁まで辿りつき、崩れた壁を根性で乗り越えた。

ここまでくれば後は一直線だが、中央の穴まではそれなりに距離がある。
先ほどの赤子が這うような速度では確実に崩壊までに間に合わないだろう。

「だったら…………ッ」

四足のまま、薄い氷を地面に張った。
今の状態で張れる氷はこれが限界だがそれで十分だ。

今できる全力を籠めて乗り越えたばかりの壁を強かに蹴った。
発射される。
氷上を滑りながら、常に前方の地面に最低限の氷を展開させ、ボブスレーのように細かズレは体重移動で制御する。
これならば走るよりも早い。
崩壊に追いつかれることなく、穴の開いた中央へと辿りつけた。

だが、緊急だったという事もあり、どう止まるかなど考えていなかった。
急造の弾丸ソリに上手く減速する方法などない。

強引に氷の道を作る手を止める。
道が途切れ強制的に急ブレーキがかかり滑走が止まった。
だが、勢いまでは殺しきれず、つんのめるように転がった。

「ぉ、ぉ、ぉ、ぉぉお!!?

地面を転がり、ポカンと開いた底の見えない穴の寸前で停止する。
あと少しで底の見えない暗闇に真っ逆さまだった。
あれほどの激戦を潜り抜けて、そんな間抜けな死に方をしたら笑うに笑えない。

「…………セーフ」

着地で泥まみれになったが、そんなものは今更だ。
すぐさま顔を上げて、穴の周囲を確認すると一部の土がこれ見よがしに剥げている箇所を発見した。
そこには五つの空きスロットと、すでに埋まった三つのスリットが在る。

恐らく亜理子がやったのだろう。
何をすべきか、分かり易く誘導されているようである。
普段は苦手な相手だが、こういう所は本当にありがたい。

九十九から渡されたデータチップを荷物から取り出す。
森茂の首輪の中にあったと言うそれは地獄から抜け出すチケットだった。

すぐ近くで地面が崩壊したような轟音が響いた。
ダム壁に囲まれているここからでは外の様子は確認できないが、時間がないのは確実だ。

スリットにカードを差し込もうとする。
だが、それだけの単純作業が、地面が揺れる中で感覚のなくなった指先で行うにはなかなかに難しかった。
なにより急がなければならないという焦りが苦戦を誘発する。

(焦るな…………焦るな……………ッ)

必死に頭を冷まして心を落ち着ける。
焦らず、慎重に。
指先の震えを抑えてスリットへカードチップを合わせる。
努めて周囲の崩壊を気にせず、ゆっくりと、指を押し込む。

カチと、音を立てカードが刺さった。

これでいい、はずだ。
後は亜理子たちがそうしたように、箱舟が現れるのを待つしかない。
後方では土砂崩れのような音がした。
数秒が待ちきれないほどに長く感じられる。

程なくして、穴の底から四角い箱が現れた。
同時に周囲を取り囲むダム壁が壊れたような音。
世界崩壊がすぐそこまで迫っていた。

ゆっくりと開いた扉に向かって飛び込むようにして乗り込む。
勢い余って壁にぶつかった。
早くボタンを押さなくてはと、ぶつけた鼻も気にせず振り返った所で、ユキの入室を検知したのか、自動で扉が閉まり始めた。
閉まる扉の隙間から見えた、崩れ落ちる世界最後の光景が。

ガタン。
断ち切るような音と共に世界との繋がりが閉じられる。
同時に浮かび名がるような感覚があった。

地獄にたらされた蜘蛛の糸を登る箱舟が上昇を始めた。

ここに生きた全ての死を引き連れ崩壊する世界を置き去りにするように。

火輪珠美 死亡】

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

地上で最後の決着があった頃、月の戦いも最終局面に入ろうとしていた。
ここに辿りついた者たちは、あるいは意図的に、あるいは意図することなく、それぞれの役割を果たした。
世界は暴かれ、ワールドオーダーという男も暴かれた。
後は最後の一人。

「――――――話は終わったか」

こんな状況とは思えぬほどに落ち着いた、静謐さすら感じさせる声だった。
眠っていたように沈黙を続けていた少年が、片方になった瞳をゆっくりと開く。

「とりあえず、アンタらの用件が済むまで案山子になってた。先輩からそう言われてたからな」

ユキと九十九の帰りを待ち二人きりになった折に、亜理子からそう言い聞かされていた。
彼はそれに従い大人しく、一人で集中を高めていた。
その態度に気分を害するでもなく、ワールドオーダーは陽炎のように薄く微笑む。

「さて、新田拳正。君は何を担うのか――――」

「――――知らねぇよ。テメェと問答をするつもりはねぇ。俺は、お前の正体にも事情にも一切興味がねぇ」

事実、拳正は少女たちとワールドオーダーとのやりとりなど、そもそも聞いてすらいなかった。
ワールドオーダーの問いなど無視して、布ずれの音を立て包帯変わりに巻き付けていた布きれを解いてゆく。
裂傷、骨折、失明。これまでの険しい道程を想起させる傷跡が露わになる。
拳正は少しだけ身軽になった体を確かめる様に手首一つ振って、大きく息を吐いた。

「俺はただ――――お前をぶん殴りたいだけなんだよ」

少年の行動原理はただそれだけ。
半弓半馬に足を開き、放たれる弓の如く拳を引く。
駆け引きも言葉の裏もない。宣言通りの正面突破の姿勢である。

これ以上ないほど前掛かりに落とされた重心は、今からお前を殴りに行くというこれ以上ない意思表示だ。
その余りにも実直な在り方に少しだけ驚いたように目を見開き、眩しい物を見たように目を細める。

「この世界、最後の結論がそれか」

問答を否定する少年に、世界を支配し続けた男は感情のない声で呟く。
有史以前。宇宙開闢以前より続く、気の遠くなるほど長い長い妄念の果て。
辿りついた最果ての答え。
待ち望んだその答えを前に男は。

「うん。シンプルでいいね」

これまでの張り付いたような笑みとは違う憑き物が落ちた穏やかな笑みで応じる。
手練手管を操り暗躍を繰り返した複雑怪奇な男には決して辿りつけない結論。
対極の答え。
だからこそ――――。

「では、僕もその流儀に倣って応えよう」

手を振りあげた男の動きに合わせて、周辺の調度品が意思を持ったように浮かび上がった。
拳正は視線だけで全体を一瞥する。
一瞬で取り囲まれた。いや、最初から取り囲まれていた。
伏兵は無機物故に気配すらなく、その出現を察するのは不可能に近い。

ワールドオーダーの持つもう一つの能力『自己肯定・進化する世界(チェンジ・ザ・ワールド)』 によって事前に仕込まれた無機物への設定付与。
事前に仕込んでおいたそれらを、一斉に起動させる。

あの一ノ瀬空夜ですら殺しきった戦術である。
手心など加えない、勝利を譲るつもりなど微塵もなく、全力を以て叩き潰すつもりだ。

「なぁ先輩。あんた防御は得意か?」

唐突に、振り返ることなく少年が背後の少女に声をかけた。

「得意って程じゃないけど……シールドくらいは張れるわ。どうするの?」

手に持ったファンシーな魔法のステッキを振って応じる。
少年はその様子を振り向くことなく、そうかと答えて。

「なら九十九を頼む。流れ弾が来るかもしれねぇから、隅で守りを固めといてくれ」
「……構わないけど、多分長くはもたないわよ?」
「問題ねぇよ。長引きゃしねぇ、一撃で終わる」

一撃必殺。
堂々と宣言されたその言葉に、仇敵が嗤った。
楽しみを前にした子供ような笑みだった。

「一撃でいいのかい?」
「ああ、一撃で――――――ぶっ殺す」

幼馴染の冷徹な声に、唾を呑んだのは九十九だった。
普段の気質の荒さから意外かもしれないが、拳正は『殺す』と言う言葉を脅し文句として口にしたことがない。
両親の死を体験した拳正は無意識化における忌諱からか死を軽い物として扱わない。
拳正にとって死は『結果』に過ぎず、それ自体を『目的』とすることは決してなかった。
それを知っていたから九十九も努めて冗談ですら口にしまいと誓っていた。

そんな拳正が今、必殺を口にした。
本人すら無自覚であろうその重みを、少女だけが理解していた。

乾いた空気に見守る誰もが息を呑んだ。
緊張感が高まり、それに応じる様に地面が微振動を繰り返す。
部屋の外が崩れたような音がした。
そんな中で、対峙する二人だけが平静を保っていた。

少年は射抜くような目で敵を見据え、肺が空っぽになるほど深く息を吐く。
意識は深く沈み、肉体は闘争に向けて最適化される。
拳を固め一撃に全てを懸ける。

対する男は全くの自然体。
構えるでもなく、常と変らぬ笑みのまま敵を迎え入れるよう両手を広げる。
その周囲を絵画や石膏像が様子を窺うように揺れながら浮かんでいた。

「――――――――では、決戦といこう。この世界最後の戦いだ」

全ての生、全ての死、全ての命。
この地、この世界、この物語は、全てここに至るためにあった。

一際、大きな揺れがあった。
それを合図にしたように、最終決戦の火蓋が切られる。

烈風が吹きぬけた。
一足目は軽く、地面の揺れなど意に介さず、朝の一歩を踏み出すような自然さで音もなく。
二足目は早く、高らかな踏み込みの音は、地鳴りを引き裂き、部屋全体に響き渡った。
その身は一陣の風となる。
達人を身に宿したことで最適化された肉体は一切の無駄なく体を運ぶ。

シールドを張りながら遠ざかっていく背を見て、まるで水中を泳ぐ魚のようだと亜理子はそう思った。
止まれば死ぬかのような勢いで少年は駆ける。

飛び出した拳正に向かってワールドオーダーが指揮者のように腕を振り下ろす。
それに従って周囲の調度品たちが一斉に襲い掛かった。
四方から襲いくる刺客たちを前にしても拳正の動きは変わらず、ただ前へ。

背後からは火の付いた燭台が槍の如く飛来する。
だが弾丸のように突き進む拳正は早く、燭台は追いつくこともできずその背後に置き去りにされる。

横合いからは拳正の動きを追って、丸ノコのように回転する複数の絵画が弧を描く。
首を狩らんと襲い掛かるそれを、止まることなく最低限の動きで避ける。
目の前を過ぎる風切音を瞬き一つせず見送った。

正面に飛び込んで来たのは、頭から飛び込んでくる石膏像だった。
最短距離を直走る拳正の真正面の軌道。
このまま進めば正面衝突するだろう。

だが、拳正は軌道を変えない。
勢いを緩めず、ミサイルのように向かいくる石膏像を左腕で打ち払う。
石膏像が砕け、破片となって巻き散った。
その代償に左拳も砕けた。
赤い血液が舞い、開放骨折したのか白い骨が露出する。

それでもその足は止まらない。
引き絞った右拳だけは握り締めたまま。
些事には構わず視線は一点、倒すべき敵だけを見据えていた。

何者も少年を止める事が出来ず、彼我の距離は残り一歩半にまで迫った。
だが、壇上を目前としたところで、その歩みが初めて僅かに鈍った。

その頭上に影がかかる。
天井から落下するシャンデリアだ。

そのまま進めば潰されるだろう。
流石にこれには堪らず、足を緩め衝突のタイミングを回避する。

「ぐっ……………!!」

だが、足が鈍った瞬間、後から追いついた燭台が強かに背を打った。
同時に、円を描いて戻ってきた絵画が左右から襲い掛かる。
それらを蹴りで打ち払い直撃は防いだものの、足は止まった。

そこに巨大な影がかかった。
見れば、左右の巨大な大理石の柱が音を立てへし折れ、拳正に向かって倒れこんでいた。

炸裂するような衝突音。
石柱がぶつかり合い、その中心にいた少年が砕け散った巨大な破片に飲み込まれる。
大理石の欠片が散らばり、シャンデリアのガラス片が舞う。

全てが圧殺される絶望的光景。
その凄惨な光景に探偵は顔をしかめた。
そして、息を呑んで見守っていた少女は身を乗り出して叫んだ。


「ッ――――――――――拳正ぇ!!!」


それは目の前で起きた絶望を嘆く叫びではない。
いつだってそうだ。
少女が少年の名を呼ぶときは、その尻を叩いて叱咤するときである。

折り重なった瓦礫とガラスの山。
破片が積み重なったそこに偶然生まれた僅かな隙間があった。

その隙間から、地面を舐めるようなすれすれの体勢で少年が姿を表す。
潜り抜ける。
それは八極拳の動きではなく、どこか曲芸じみた、どこぞの殺し屋を彷彿とさせる動きだった。

現れた少年の額からは、縫い合わさせた裂傷が開いたのか夥しい量の血が流れていた。
飛び散ったシャンデリアのガラス片がチクチクと全身に刺さっている。
倒れこんだ柱がぶつかった左肩も完全に骨が砕けており、潰された足の甲の骨折も悪化していた。

だが、それがどうした。
右腕だけは死守した。
敵は眼前。
止まる理由などどこにもない。

勢いよく頭を振って上体を無理矢理振り起こした。
そうして最後の一踏みを踏み出す。

だが、その踏み込みの刹那。


「――――――『攻撃』すれば『死ぬ』」


――――世界が変わる。


世界を思い通りに塗り替える創造主の力。
訪れるのは他者を攻撃するモノが死する、争いを許さない安寧と平穏と死の世界。
たった一言で、少年のここまでの歩みを水泡に帰す無慈悲な革命だった。


「――――――――――――そうかよ」


少年は一言。

興味なさ気に吐き捨てて、なんの迷いもなくそのまま最後の一歩を踏み込んだ。

世界の都合など知った事か、そんなモノで彼の都合は変えられない。
世界が変わろうが新田拳正を貫き通す。
それが新田拳正の在り方だ。

地面に足跡を刻み付ける程の震脚がワールドオーダーの待つ壇上へと刻まれた。
踏み込んだ地面の反発のみならず、己が内で燃え続けた炎を爆発させこの拳に込める。

その拳には全てが乗っていた。
彼が駆け抜けた30メートルの重みも。
彼が駆け抜けたバトルロワイヤルの重みも。
彼が駆け抜けた17年の重みも。

己が全てをこの一瞬のための燃料としてくべる。

放たれたのは何の衒いもない崩拳だった。
その拳は吸込まれるように真正面から胸部を打ち抜いた。

瞬間。衝撃が体内で爆発する。
東、西、南、北、乾、坤、艮、巽。世界を示す八方、その極限にまで至る大爆発。
――――即ち八極。
それは正しく世界を破壊せしめん一撃。

創造主の胸骨は砕かれ、心の臓は一撃の下に破裂した。
倒れこむ支配者は競り上がる血に喉を詰まらせながら、声にならない呻くような声で。


「…………これで………………THE ENDだ」


吐き出す塊のような血液と共に満足そうに物語の終わりを告げて、世界の敵は絶命した。
全てを終わらせたのは、歪な創造主が自らを殺すべく授けた異能などではではなく、武と言う人間が地道に積み上げた研鑽。
誰の手にだってある、握り固めただけの拳だった。

そして世界を終わらせた少年もまた、拳を突きだしたままの体勢でぐらりと前へ倒れこむ。
己が我がままを貫き通した代償を支払うように、少年もまた世界の法則に従って絶命した。

これが、この物語の終わり。

ワールドオーダーと言う世界が崩壊する。
同時に、これまで以上に大きな揺れが大広間を襲った。

「ッと…………まずいわね、ご丁寧にもここも崩れ始めたわ」

倒れないようバランスを取りながら亜理子が崩れ始めた天井を見上げた。
悪の首領と共に敵の本処置が崩れ去るというのは定番ではある。
そんな仕掛けがあった訳ではないのだろうが、出来過ぎなタイミングだ。
柱が崩れたのも相まって、長くは持ちそうにない。

だが、出口までの障害はもう存在しない。
後は駆け抜けるのみである。

「急ぐわよ」

亜理子が急かすように九十九を促す。
だが、物言わぬ拳正に駆け寄った九十九は涙を湛えたまま首を振った。

「ダメです! ユッキーがまだ…………ッ!
 それに拳正だってこのままには…………!」
「わかってるわ。だから急ぐのよ」
「え…………?」

九十九の言葉を遮って亜理子がこれからについて取り急ぎ指示を出してゆく。
戸惑いながらも九十九はその指示に頷き、涙をぬぐってすぐさま行動に移した。

戦いはこれで終わったのだ。
それなら、後はやるべきことなど決まっている。

最高の結末を目指すのみだ。

新田拳正 死亡】
ワールドオーダー 死亡】

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

ユキを乗せたエレベーターが月へと到着する。
その到着音は地鳴りの音に紛れまともに聞こえることはなかった。

ユキが揺れる暗闇の大地に向かって、躊躇うことなく飛び出して行く。
こちらも崩壊が始まっているのか、地上程ではないにせよ揺れは無視できない領域に達しようとしている。
ここまでエレベーターが正常に動作したのが奇跡だと言っていいほどだ。
既に躊躇っていられる状況ではない。

エレベーター内で人様にはお見せできないくらいに全力で身を投げ出して息を整えた。
それでも歩くのが精一杯という程度だが、そのくらいには回復できた。
急ぎ九十九たちと合流を計りここから脱出せねばならないのだが。

「と言っても…………」

どこに向かえばいいのか。
目の前の通路はT字に別れており一本道ではない。
この状況で道を間違えれば、引き返す間もなく崩壊に巻き込まれてお陀仏だ。

ユキは知る由もないが、その通路の様子は亜理子たちが通過した時とは様変わりしていた。
世界崩壊の余波か、それとも管理者の消滅の影響か、誘導が機能していない。

ゴゴゴという重低音が腹の底を震わす。
乖離した天井がハラハラと雨の様に落ちてきていた。
今のユキでは立っているのが困難なほどの揺れが続く。

だが、迷っている暇もない。
止まっていれば無駄死にするだけだ。
ならば一か八かでも動かねば、と勘に身を任せようとしたところで、ひときわ大きな揺れがあった。

「きゃ…………ッ!?」

バランスを崩してその場に倒れる。
倒れた拍子に腕に撒いていたリボンが解けた。

「あっ…………!」

それは親友に託された約束のリボン。
とっさに掴もうとした伸ばした手をすり抜け、風など吹いていない室内でひらりと宙を舞った。

リボンは片方の通路に音もなく落ちた。
それはただの偶然でしかないのだろう。
だが、それはまるで、いつまでもお節介な友人が導いてくれているかのようにユキは感じられた。

「ありがとう……舞歌」

それは都合のいい妄想だろう。
だけど、リボンを拾い上げたユキはその導きを信じて通路を進んだ。
元より根拠などないのだ、それなら自分の信じたいものを信じたかった。

いつ崩れるとも知れない道のりを、焦らず確実に壁に手をつきながら一歩ずつ進む。
天井が剥げ、落ちて来た拳大の岩が目の前に落ちた。
地面がひび割れ、段差に躓きそうになる。

それでも何とか運よく致命的な傷を負うことなく、幾つかの角を曲がったところで荘厳な扉に突き当たった。
ここから先はない。ここがゴールだ。
外れだったら潔く死ぬしかない。
開き直りのような心境で扉に手をかける。

「重っ……い」

分厚い木の扉は多少押した程度ではビクともしなかった。
満身創痍の状態では力がうまく入らない。
なぜこんな無駄に巨大な扉を拵えたのか。
バリアフリーを考えろというのだ。

「っ……こなくそっ…………!!」

最後は気合と根性で全体重をかけて扉を押す。
ズズズと引きずるような音を立て扉が開け放たれた。
そこで、ユキは余りにも予想外なモノを見た。

「………………えっ」

扉を開いた先に広がっていた光景を目の当たりにして言葉を失った。
その視線の先に座り込んでいた少女二人が、扉を開いた体勢のまま呆然としているユキに気づく。

「あッ! ユッキーっ! よかった…………!」
「……ギリギリね。けどタイミングとしては悪くないわ」

汗をぬぐい冷静につぶやく亜理子とは対照的に九十九が慌てて立ち上がるとユキへと駆け寄る。
揺れる地面に転びそうになりながらユキの元までたどり着くと、全身火傷に泥まみれの姿を認め驚きの声を上げた。

「ちょ、ボロボロだよ!? 大丈夫!?」
「大、丈夫…………じゃない、かも」
「おっ……わわっ」

友達の顔を見て力が抜けたのか、ユキは九十九に寄りかかるように体重を預ける。
大丈夫とカッコつけたい所だったが、限界なんてとっくに超えていた。
正直、気力だけで意識を保っている状態である。

「ダメでも早くこっちへ! ここもいつ崩れるかわからないんだから、さっさと脱出するわよ!」

そう言いながら荷物を背負った亜理子が奥にある扉へと向かってゆっくりと歩き出した。
断続的な揺れも酷くなってきた。
言葉の通り、もう時間の余裕はないだろう。

「歩ける? 行ける?」
「うん。なんとか、けど肩を貸してもらえる」
「もちろんだよ」

九十九の肩を借りながら、ユキも出口へと向かう。
程なくして三人の少女が扉の前へと辿りついた。
それぞれがドアノブへと伸ばし、三人の少女の手が折り重なる。
既に広間の天井は完全に崩れ、宇宙の様な底の見えない暗闇が空に覗いていた。

「それじゃあ、行くわよ」

頷き合って、少女たちが明日に向かう扉を開く。
開いた扉の先から眩しいばかりの光が射しこんできた。

どうやら完全に夜は明けたようだ。

光に向けて少女たちは歩き出す。
望む世界に辿りくために。

音ノ宮・亜理子 生還】
一二三九十九 生還】
水芭ユキ 生還】

【バトルロワイアル会場 世界崩壊】

【オリロワ2014 了】

157.THE END -Relation Hope- 投下順で読む 159.エピローグ -それからとこれから-
時系列順で読む
THE END -Relation Hope- 新田拳正 GAME OVER
水芭ユキ エピローグ -それからとこれから-
一二三九十九
音ノ宮・亜理子
火輪珠美 GAME OVER

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最終更新:2019年10月16日 10:50