「――――こんばんはだ、諸君。よくぞ集まってくれた」
それは空気の張り詰めた薄暗い密室だった。
僅かに高い壇上より発せられた重く厳かな響きが、鉛色の石壁に染み込むように広がってゆく。
石造りの室内には、まるで底知れぬ闇に包まれたかのような重々しい空気が漂っていた。
声を発したのは黒。
全ての光を吸い込むかのような漆黒の制服に身を包んだ壮年の男だ。
皮肉気に吊り上げられた口端は捻くれた男の内面を如実に示しているようである。
ウェイブのかかった黒い髪の奥に、青味掛かった瞳が見みえていた。
その瞳が捉えるのは、石堂に犇めき合う人垣である。
笑みを浮かべた頬を痙攣させる者、視線を落としている者、無表情で遠くを見つめる者。
どれも一見しただけで一筋縄では行かない曲者たちだと分かるような面構えをしている。
無骨な造りをした広く冷たい石の部屋には、性別も年齢も人種すらも異なる、何一つ共通点のない多くの人間が犇めき合っていた。
だが、そんな個性派ぞろいの目面はその個性を塗り潰すように、判を押されたように色あせた青色の服を着用させられていた。
そして、手足には身動きを封じるように白い枷が固く嵌められており、その枷は彼らの内に潜む暴力性を押さえ込むための象徴のようでもあった。
「もっとも、君らに召集を拒む権利などはないのだがね」
壇上の詰襟が黒帽子を軽く傾けながら皮肉気にクツクツと笑う。
その笑みには聴衆への嘲りが露骨に含まれており、対話を行おうなどと言う気配は微塵も感じられない。
その挑発染みた仕草に、枷を嵌められた面々は無言で答えた。
あたかも、それがこの場での規律(
ルール)であるかのように、誰も一言たりとも言葉を発しない。
言葉の代わりに壇上に聴衆の視線が向けられる。
敵意、敬意、そして殺意――様々な感情が交錯する視線が一斉に壇上の男に注がれていた。
だが、その内心は定かではないが、少なくとも表立ってこの状況に反意を示すものは一人もいなかった。
狂暴でありながら規律に従うその様は、よく躾けられた猟犬のよう。
男の言葉の通り、この招集には有無を言わせぬ強制力があるものだった。
壇上と壇下の間には、支配する者とされる者という明確な支配関係が存在する。
壇上の男は自らに注がれる視線とそこに含まれる感情すらも意に介さず、言葉を続けた。
「前置きもないだろう。本題と行こう。諸君らにはこれより刑務作業を行ってもらう」
刑務作業。
その言葉の響きが、この場所が刑務所であることを否応なく示していた。
壇上に立つのは、地獄の獄卒たる看守長。壇下に蠢くのは、この牢獄に捕らわれた囚人たちである。
ここが刑務所であり、集められた彼らが受刑者である以上、刑務作業を行うのは当然のことである。
異様なのは彼らが集められたのが日付も変わろうという深夜であるという事だ。
こんな時間にわざわざ何をしようと言うのか。
その答えを知る看守長――――
オリガ・ヴァイスマンは全員を見渡すように視線を巡らせ、冷たくも淡々と続けた。
「外道、鬼畜、悪鬼羅刹、どれほど言葉を並べようとも君らを表すにはまるで足るまいよ。
この地の底(アビス)にまで墜ちた最低最悪の極悪人、それが君たちだ。
だが、赦されざるを赦すが世の道義。我らはそのための道筋を作る者である。
すなわち、これより君たちに課せられる刑務作業とは我らの与える慈悲であり、諸君らの行うべき贖罪であり、天より与えられた恩赦であると知れ」
押し付けがましく嫌味たらしい前置きに、聴衆からも辟易した空気が漂い始めた。
それでも反意を示せない檻に閉じ込められた猛獣たちを前に、看守長は満足そうに笑う。
仰々しいまでの前置きを置いて、獄卒が強く言葉を発した。
「――――では、これより、具体的な刑務内容について説明を行う。聞き逃すこと無きよう謹聴するように」
ピンと立てた指を口元にやり、元より身じろぎすら許されぬ静寂の檻に改めて謹聴を命じる。
それは皮肉染みた意味合いのみならず、ここから先は本当に聞き逃してはならない重要な話である事を意味していた。
「諸君らにはこれより――――殺し合いをしてもらう」
■
――――嘗て、世界は滅びの危機にあった。
人類存亡と言う未曽有の危機に対して、人類は未来を掴むため諍いの手を止めその手を合わせた。
集結した人類の英知は滅びにも負けぬことを証明するように、世界は変わり、滅びの日を乗り越えた。
後の歴史書に『開闢の日(ワールド・レジリエンス)』と記される目覚めの日。
新世界を開闢した輝かしい人類の歴史である。
『開闢の日』を境に世界は変わった。
滅びを乗り越え心機一転などと言う曖昧な話ではなく、目に見える形で世界はアップデートされたのだ。
滅びを乗り越えるその過程で、人類という生物は新たな次元に生まれ変わったのである。
肉体は強靭なものへと生まれ変わった。
身体能力はアスリート並みそれとなり、軽い交通事故程度ではビクともしない耐久性を得た。
加えて、外傷に対する高い回復力や病に対する抵抗力までも獲得しており、病気や事故と言った外的要因による人類の死亡率は大幅に軽減された。
人類の平均寿命は程なくして3桁を超えるだろう。
これだけでも人類の繁栄は約束されたようなものである。
だが、人類が得た可能性(ちから)はそれだけではなかった。
これまで人類が持ちえなかった新たな力。科学の枠組みでは説明のつかない異能としか形容しようがない未知なる力。
進化の先に獲得した、まさに新人類の象徴ともいえるこの力を、人々は『超力(ネオス)』と呼称した。
超力は世界に受け入れられ、超常は新たな世界の日常となった。
これが物語ならば明日の希望を信じてめでたしめでたしで終わるところだが、現実はそうはいかない。
日常は続く。それは同時に新たな試練の訪れも意味していた。
『開闢の日』の直後には新たに生まれた力への戸惑いや異質な力への嫌悪や対立が世界に広がって行った。
変わってしまった自身を受け入れられず、精神を病む者も少なからず発生し新たな社会問題も生まれた。
制御しきれぬ力の暴発や誤用による災厄などと言った事件も多発するなどの問題も山積みだった。
何より、力を手にすれば振るわずにはいられないのが人間だ。強い力を得ればそれに比例して愚かな人間も増える。
世界的な犯罪率の増加。
超力を用いた犯罪は増加し、世界中の治安は悪化の一途を辿った。
滅びと言う一つの脅威に手を取り合っていた人々は、またその手で争いをはじめたのだ。
強力な力を持つ犯罪者の制圧も問題であったが、全ての人間が腐る訳ではない。
それ自体は同じくネオスを持つ秩序側の存在によって辛うじて対処はできていた。
しかし、検挙以上に問題となったのは、捕らえた犯罪者たちをどこに収容するかと言う刑務所の問題である。
犯罪率の増加により急増した囚人の数もそうだが、それ以上に問題となったのは犯罪者の質である。
旧世界の人類を想定した従来の刑務所では、ネオスを持つ新人類を収監するには心もとない。
だが、それに足る強度の刑務所を新設しようにも多くの国は未だ『開闢の日』の傷跡が残り、被害から復旧の最中である。
先進国ならいざ知らず、強力なネオスを持つ凶悪犯を閉じ込められる強固な設備は、そう簡単に用意できるものではない。
多くの国ではそのような設備を用意することは不可能であった。
そして設備の他に凶悪な犯罪者を管理できる刑務官の存在も必須である。
凶悪犯以上の力と正義の心を持った異能者は設備以上に稀有であった。
これは全世界的な問題であった。
下手をすれば第二の世界存亡の危機ともなりかねない。
未曽有の危機を乗り越えた人類は、人類同士の争いによって危機を迎えようとしていた。
それらの問題に対して『開闢の日』を主導した組織GPAは事態を解決する一つの方策を打ち出した。
それは人材やリソースを一か所に集約することにより強固な一つの刑務所を作り上げ、制御が困難な凶悪犯を一つ所で管理してしまおうと言う試みである。
世界の情勢を踏まえ、その計画は公にはされず秘密裏に行われた。
政府や警察の記録にすら存在せず、地図上のどこにも示されることはない。
世界のごく一部の者だけしかその存在を知らない闇の底は生み出された。
制御不能の犯罪者たちが最後に行き着く場所、闇の奥底にひっそりと佇む秘密の刑務所。
深淵の底に存在するが故に、その場所を知る者は彼の地をこう呼んだ――――『アビス』と。
『開闢の日』より20年の時が過ぎようとしていた。
激動の時代。世界は変化しようという過渡期にあった。
新たに生れ落ちる痛みのように世界は混沌を極めた。
だが、これは新たな時代を迎えるために必要な痛みである。
――――――ヤマオリ記念特別国際刑務所。
それはこの新世界における始まりの地の名を冠した、誰にも知られること無きこの世の果て。
■
「諸君らには――――殺し合いをしてもらう」
看守長の声だけが冷たい石堂に反響していた。
聴衆より返るのは張り詰めたような静寂のみ。
衝撃的ともいえる看守長の言葉に対しても囚人たちからは何の言葉もない。
元よりそのような自由を許されていないというのもあるだろうが、それ以前に彼らに動揺らしい動揺は殆ど見られなかった。
殺し合いを命じられたにもかかわらず異様なまでの肝の据わりよう、この反応こそがこの場にいる人間の異常性を示していた。
そんな反応のなさを看守長は気にするでもなく慣れた様子で言葉を続ける。
「この刑務作業は翌0時より開始される。作業時間は24時間。
どのような状態であっても時間に達した時点で刑務は終了する。
また、作業者が1名になった場合も殺し合いの成立しないため作業は終了となる」
最後の一人になるまでの殺し合い。
世の最果てたるこの末世の地においてもいくら何でも異常な話であった。
囚人同士で殺し合わせて処理させようという試みは、毒盛って毒を制すにしても行き過ぎている。
少なくとも、この地の底は混沌を収める秩序のための場所であったはずだ。
「作業に当たり、全員にデジタルウォッチと首輪を支給する。刑務作業中は常時これを装着してもらう。
首輪を取り外すことは禁止とする。元より簡単に取り外しできる代物ではないが、一応禁止事項として伝えておこう。
家畜を放畜するにしたって首輪は必要だろう? 首輪にはご想像の通り、首輪には爆弾が仕込まれている。
この首輪は設定された活動領域から逸脱した場合、あるいは刑務官の指示に逆らった場合に爆破される。
とは言え、定められたルールに従っている限りはその首輪を爆破することはないので安心したまえ。
なぁに我々に命を握られる程度の事は諸君らにとってはいつもの事だろう?」
黒衣の支配者が不遜な態度で聴衆へと問いかける。
元より挙動不審な者は少なからずいるが、命を握られた程度で動じる者などこの場に一人もいなかった。
最悪の墜ちる最果て、それがアビス。
「先ほど述べた禁則事項に違反しない限りは刑務作業中は何をしてもらっても構わない。
暴行も殺しも刑務活動中のあらゆる行為は超法規的措置として容認しよう。
作業時間が終わった後に新たな罪状を追加する、などという事もないので安心したまえ」
作業の説明ではなく演説でもするかのような仰々しい仕草で看守長は手を広げ、約束しようと、そんなとんでもないことを言った。
仮にも秩序の守り手である男の発言とは思えない。
それだけで、これが異常に過ぎる事態であると誰にでも理解できた。
「続いて、デジタルウォッチに関してだが、今どきは珍しいモノでもないが、地下暮らしが長い囚人もいるだろう。簡単に使い方をレクチャーしておこうか」
言って、オリガは取り出したデジタルウォッチを自らの左腕に装着すると画面を人差し指でタップする。
するとデジタルウォッチに光が灯り、起動を始めた。
「このように、このデジタルウォッチは生体電池で起動している。つまりはキミらが死なない限り電源が切れる事はないが、逆に言えば生きた人間が装着しなければ起動はしないという事だ。
初回起動した人間の生体情報が登録され、以後は登録された本人しか起動できない。無論、管理者である私は別だがね」
続いて、中空で指先をスワイプするように操作するとオリガの眼前に地図が投影された。
「これが刑務作業の舞台となる無人島だ。作業エリアとなるのはこの地図に表示されている範囲だ、この範囲から脱すると首輪がBON!という訳だ。
また、6時間に一度、島全体に伝わる放送を行う。放送ではその時点での刑務作業の進捗状況と共に、新たに指定する指定する『禁止エリア』を発表する。
『禁止エリア』とはその名の如く侵入を禁止するエリアの事だ。『禁止エリア』に侵入した場合、一定の警告の後に首輪が爆破される。
有効な禁止エリアは地図情報を更新して表示するので、刑務作業中はよく確認して注意するようにしたまえ」
そうして看守長は、方角を確認するための方位磁石機能や、簡易的なライト機能と言った簡易的なデジタルウォッチの機能説明を行った。
まるで新商品の説明会の様な演説を終え、看守長はさてと言葉を切った。
「と、これらは市販のデジタルウォッチにもある基本的な機能の説明だ。
さて、話はここからが本番。今回の刑務作業における独自機能である、ポイントの管理について説明しよう」
退屈な説明はここまで、とでも言うかのように楽し気に口端を吊り上げる。
その笑みが自分たちによくないモノであるという事を囚人たちは誰もが知っている。
「そう警戒することはない。いい話だ。君たちにとっても、ね。
今回の刑務作業は特別な物だ、特別に働きに応じた褒賞も用意してある。
さぁ、喜びたまへ。ここからは――――飴のお話だ」
殺し合いと言う法外な行為に対する特別な褒賞。
血に飢えた猟奇殺人鬼でもなければ、飴もなしに人殺しなどするはずもない。
もっとも、この場に集められた連中の中には血に飢えた猟奇殺人鬼も少なからずいるのだが。
「刑務作業中に受刑者を殺害すればポイントが得られる。便利上このポイントを『恩赦P(ポイント)』と呼称しよう。
装備者の生命活動が停止した首輪にデジタルウォッチを数秒首輪に接触させれば、受刑者(持ち主)の刑期と同等の恩赦Pが1度だけ獲得できる。
信賞必罰。多くの罪を抱えた大罪人を裁いた者にはそれに見合う多くの恩赦をと言う事だ。
どの受刑者がどれだけの刑期(ポイント)を抱えているかは、外部から分かるよう首輪の前部に刻んである。対峙した場合は確認しておくのもいいだろう。
刑期のない無期囚や死刑囚は刑期100年と同等として扱う事とする。つまりは無期囚や死刑囚を殺害すれば100p獲得できるという事だ」
刑期の重い凶悪犯を排除すれば、より多くの報酬を得られる。
労働に見合う正当な報酬のようであり、何か矛盾しているようでもあった。
「この恩赦Pを使用すれば刑務作業中にも様々な物品を購入できる。
刑務作業を有利に運ぶ武器や医療品は元より、食料やタバコや酒などの嗜好品も購入可能だ。
購入可能リストはデジタルウォッチで確認できるので後で確認しておきたまえ」
娯楽のない過酷な刑務所生活で嗜好品を楽しめるのは確かに魅力的だろう。
だが、これから行われ過酷さに見合う報酬かと問われれば疑問が残る。
その不満を理解しているのか、看守長は口元を歪めて笑った。
「だが、それはオマケだ。本当の恩赦は刑務作業終了後に行われる。
作業終了時に保持している恩赦Pは、刑務終了後に1Pにつき3ヶ月の刑期短縮として清算される。
無期懲や死刑囚の場合は作業中と同じく100年換算で支払える。これに関しては一括払いのみで分割払いは許可しない。
もし仮に刑期の精算が成ったなら余剰のポイントは1Pを$1,000のレートで換金しよう。外での新たな生活の足しにするといい」
刑期の短縮。埒外の報酬。
この地の底(アビス)に墜ちた咎人の中には、二度と娑婆の空気を吸う事のできない凶悪犯も多い。
そんな連中に開放の機会を与えるというのは恩赦にしても行き過ぎた話である。
「では、これより各自に首輪とデジタルウォッチを支給する。ケンザキ係官」
オリガが声を向けると、壇上端の陰からオリガと同じ漆黒の刑務服を着た一人の少女が現れた。
平の係官なのだろう、オリガの制服に比べればいくらか装飾は少ないが、頭の両側で左右に分けて結んでいるパンキッシュなピンク髪が否が応でも目を引いた。
このアビスの職員である以上、成人はしているのだろうが、その髪型も相まって年の頃は東洋人であるためかいくらか幼く見えた。
現れた少女が囚人たちに向かって指先を伸ばし軽く手を振ると、この場にいる受刑者たちの首元に次々と首輪が嵌められた。
そしてその手元には、デジタルウォッチが現れる。
直接デジタルウォッチを装着しなかったのは、手枷が邪魔となるからだろう。
「心配せずとも、存分に殺し合いを行ってもらうために刑務作用中は諸君らの枷は外してやろう。
束の間のガス抜きだ、久しく封じされていたその力を思う存分振るうがいい」
枷からの解放により得られるのは身体の自由だけではない。
囚人たちの手足に嵌められている白い枷はただの枷ではなく、暴徒鎮圧を目的として、とある能力者の超力原理を研究する事によって生み出された『超力無効化機構(システムA)』である。
本来『システムA』は家屋程の設備を必要とする大規模な装置であるのだが、これをコンパクトに運用できるよう改良した拘束具が強力な能力者の集うこのアビスに試験的に導入されていたのだ。
超力を当然とする新世界において、超力を封じられるのは羽をもぎ取られた羽虫も同じである。
凶悪な囚人たちがこの刑務所で大人しく従っているのにはそういう事情もあった。
「枷が外れたからと言って無駄な反抗心など抱かぬ事だ。
私の超力(ネオス)からは逃れられない事は、諸君らは重々理解しているだろうがね」
支配者は陰湿な笑みを浮かべた。
看守長たるオリガ・ヴァイスマンの持つネオスはこのアビスの住民であれば誰もが知るところだ。
指定した対象の状況、状態、思考すら監視するネオス『管理願望(グローセ・ヘルシャー)』。このネオスから逃れる術はない。
反意の一つでも翻そうものなら、即座に嵌められた首輪を爆破されるのがオチである。
「枷は刑務開始となる0時丁度に外れるようにセットしてある。デジタルウォッチはその後に各自で装着するように。
これを違反した場合どうなるのかは言うまでもないね?」
その言葉と首輪の冷たい感触が、否応なしに死(こたえ)を連想させた。
「『Last meal(最後の食事)』くらいは用意して上げたいところなのだが、0時までもうあまり時間もない。
準備が完了した物から順次、係官のネオスで孤島(かいじょう)へと転移(おおくり)する」
まるで死刑執行直前のようである。いや、そのものなのだろう。
これより行われるのは法より外れたアビスの最果てで行われる正真正銘の殺し合い。
拒否権などなく、アビスに捕らわれていた咎人たちは冥府の孤島へと遅れられてゆく。
「なぁに、そう身構えずともよい。これから行われる作業は諸君らにとってはそう難しい作業ではないはずだ。
むしろ諸君らの得意分野だろう。喜ぶがいい。人道から外れた人非人である諸君らが、世のため人のため貢献できるのだ。
その内に眠る獣性を持って存分に罪悪を滅するのだ。その果てに更生の道は示されるだろう」
地の底より、一つ高みに立つ獄卒は罪人の更生を促す聖人のように謡う。
漆黒の闇の中、光の灯らぬ石堂から次々と人が消えてゆく。
「これは恩赦である。これは慈悲である。これは救済である」
聴衆の消え去った無人の石堂に向かって看守長は宣言する。
「―――――――刑務開始だ」
■
超力によって世界は変わった。
だが、超力と言う新たな可能性の取り扱いを人類は決めかねていた。
その力は世界を発展させる希望であると同時に、世界を滅ぼしかねない危険性を孕んでいる。
各個の混乱により小規模な小競り合いや犯罪は増加した。
だがそれは大局から見れば些末な問題である。
権力者たちが真に憂うべくは、この力が大規模な戦争に用いられたらどうなるのかと言う点だ。
現時点では、『開闢の日』の後遺症と超力による混乱があるため、国家間の大規模な戦争は行なわれておらず、冷戦とも違う不気味な小康状態が保たれていた。
だが、前触れような不穏さは確実に世界中に積み重なっており、情勢が落ち着けばこの力を利用した新たな戦争が始まるのは目に見えていた。
膨らんだこの風船が破裂してしまえば、どうなるのかは検討すらつかない。
人の歴史は戦いの歴史だ。
これまでの人類の系譜にない新たな力を得た事により、争いの様相は根本から変わってしまった。
個の単位であればある程度はどうにかなっても、軍の単位ともなれば運用の再編を余儀なくされる。
この力をどう運用すればいいのか、この力にどう対抗すればいいのか。
その結論を得るにはまだ歴史がない、積み重ねがない、ノウハウがない。
万人が手軽に規格の統一された力を得られる銃器と違い、超力は千差万別でありながら、下手をすれば戦略兵器並みの威力を持つものまでいる始末だ。
単純な破壊だけではなく、もっと別方向で厄介な力も山のようにある。
これを抑えるには、これまでの人類の歴史とは全く異なる別の対処法が必要なる。
本格的な戦火の火蓋が落とされるまでに、対抗する術を持たねばならない。
強力なネオスを持った者同士が戦う、実戦データの入手は急務だった。
だからと言って、軍隊同士の模擬戦などは出来ない。
ネオスは強力すぎるが故に、扱いの分からぬうちに運用すれば死者が出る。
世界の混乱の落ち着かぬ中で秩序を守護する者同士を消耗させるなど論外だ
かと言って、中世のような殺し合いなど許されるはずもない。
現代の倫理観では世論がそれを許すまい。
強力な力も持ちながら、誰にも知られぬ存在で、失っても構わない。
そんな都合のいい存在が必要だった。
そんなどうでもいい存在が必要だった。
誰にも知られぬ世界の最底辺。
血と汚物で穢れたドブ底から一枚の金貨を浚うように。
アビスのような地獄の底に、人類の未来は託されていた。
【オリロワA 開始】
最終更新:2025年05月05日 00:40