焼け焦げた大地の上を紅蓮の熱線が走り抜ける。
 まるでレーザーライトの旋回が如く軽やかに、地面を溶かし木々を断割しながら振るわれる凶熱。
 それはフレゼアの切断された左腕、その断面から吹き出る主砲であった。
 鉄すら焼き切る超高温の斬撃に一切の重さは存在せず、滅茶苦茶に振り回す動作を続けるだけでも十二分の殺傷力が担保されている。

「―――ああああああああああああああああああッッッ!!!!!」

 その上、彼女は今、平常時を遥かに超える狂熱に支配されている。
 出力は過去最高の数値を記録し、焔という形を成して殺意の対象に襲いかかる。

「お前ええええええッ!! よくもよくもよくもよくもォッッ!!!」

 フレゼア・フランベルジェは決して看過できぬ。
 眼前の敵を許せぬ。存在するという事実そのものが耐え難い。
 それがそこに居て、息をしている現実を、ジルドレイ・モントランシーという概念そのものを否定する。

「よくもジャンヌの顔でェッ!」

 尊き御方の顔を真似てよくも悪に手を染めたな。
 これ以上に罪深い行為が果たしてあろうか。
 冒涜の極み。如何なる悪よりも許しがたい。
 他の全てよりも優先して、今すぐ殺さねば気がすまない。

 脳を溶かすような赤熱が力を跳ね上げ、昇り詰めた焔が渦を巻く。
 狂えば狂うほどに、怒れば怒る程に、破壊力は増加していく。
 一度に扱える単純火力の総量において、現状の彼女の超力は最高峰と言っていい。

「――――おォ、素晴らしき、運命」

 しかし、対峙する男もまた狂している。
 元来から頭抜けて危険な超力を、この場所で唯一得た感情によって倍増させた異端の怪人。

「ジャンヌ、ジャンヌ、ジャンヌゥゥゥゥ……! かの者こそ我が試練、そういうことなのですねェッ!」

 踏み鳴らした足元の大地から巨大な氷塊が突き出、フレゼアの熱線に拮抗する。

「彼女こそが貴女のために用意された最ッ上の贄ッ! この紛い物を砕いたときこそッ! 貴女は我が内にお戻りになられるのだァ!!」

 天変地異は終わらない。
 夜空に掲げたジルドレイの両腕を中心に、5本の氷槍が空中に展開される。
 一本一本が成人男性の脚程のそれが、彼の腕の振りに合わせて一斉に射出され、フレゼアの身体を串刺しにせんと殺到する。

「紛い物はお前だ塵がァッ!!」

 応じるフレゼアの右手には先程までは無かった剣が握られていた。
 実体のない、炎を凝縮して作成された紅蓮剣。
 そのたった一振りでもって、飛来する氷槍をまとめて砕き払う。

「死ねッ! その罪深き姿で、これ以上呼吸することは許さないッ!」

 迎撃の勢いそのままに、フレゼアの足が地を蹴った。
 同時、彼女の背中から背後へ展開される二対の翼。
 炎で編まれたそれはロケットブースターの如き推進力を生み出し、敵との距離を一瞬にして殺し切る。

 上空から見れば森林地帯に穴を開けたように一部開けたその場所で、氷槍と炎剣が激突する。
 鍔迫り合う二人はそれぞれの背後に氷結と紅蓮の軌跡を背負う。
 己が領域を押し付け合うように、相手の陣地を侵食し合うように、しばし氷と炎が削り合い。
 数秒後、両者とも再び元の立ち位置まで弾かれた。

「ねえジャンヌ! 見ていて、私、こんな偽物に負けないから!」

「ジャンヌゥゥゥ! とくと御覧じろ、我が献身、我が信仰、我が殺戮ッ!」

 離れ際にもそれぞれの一撃が交錯する。
 フレゼアの左腕から浴びせられた炎の渦がジルドレイの全身を包み込む。
 ジルドレイの足元から伸び上がる冷気がフレゼアの足を地面に縫い留める。

 両者、動きの止まった隙を逃さず、同時に武装を投擲。
 氷槍と炎剣が空中で衝突し、明後日の方向に弾かれていく。

 その片方、炎剣が突き刺さったのは、戦場から18メートルほど離れた場所で息を潜めていた、四人の傍らであった。





「危っぶねえな……!」

 冗談じゃねえぞ。
 現状、その感想がアルヴドの思考の全てを占めていた。

「まったく生きた心地がしませんねえ」

 残された僅かな木陰にて、隣で身を潜めた夜上の声音に変化はないが、流石の彼も平時の軽さは抑えている。
 夜上の1メートル手前、草むらに屈んだハヤトの目の前に、飛来した炎剣は突き刺さっている。
 剣は先程まで霜の降りていた地点の氷を溶かし尽くした数秒の後、煙になって消えた。
 アルヴドは思わずハヤトと、その隣に屈んだセレナを睨みつける。

「とんでもねえ状況に巻き込みやがって、どうしてくれんだオイ」
「ごめんなさい……わたしのせいで……」
「いや、氷の変態はともかく、あの燃えてる女はお前らが連れてきたんだろうが、一方的に言われる筋合いねえんだよ」

 セレナはしゅんと項垂れていたが、ハヤトは反論を返した。
 とはいえ確かに、この状況を作った要因の半分ほどはセレナ・ラグルスにある。
 彼女はジルドレイに追われながらも、優れた聴力によってフレゼアの気配を感知していた。
 逃げ切ることは困難と見て、あえて二人の危険人物をかち合わせることで強者同士の戦闘を誘発。
 その隙に逃げ切る作戦だったのだ。

 結果として、目論見は半分当たり、半分外れた。
 確かにフレゼアとジルドレイの戦闘は勃発した。
 この4人に対する殺害の優先度を下げた。しかし、敵は狂しながらも戦士である。
 戦闘開始と同時、ジルドレイが最初に行った事は檻を創り出すことだった。
 彼を中心に半径30~40メートル円形に展開された陣。取り囲んだ氷の壁が逃げ道を塞いでいる。

 狂しつつも彼らは目的を見失っていない。
 目の前の大敵は殺す、その上で、誰一人として逃がしはしないという意思表示だった。

「我々の間で揉めたって仕方がありませんよ。今は協力すべき時です」 

 落ち着いた夜上の声。
 アルヴドとて、彼の提案に反対するつもりはない。
 この場を切り抜けるため、4人の協力は必須に思われた。

「しかしどうすんだ? 実際逃げ場はねえんだぞ?」
「逃げ場を作るしかありませんね。戦闘が終結してしまえば、残った方が我々を皆殺しにておしまいです」

 そんな話をしている間にも、アルヴドのたった3メートル左側をフレゼアの熱線が切り裂いていった。
 背中を冷や汗が流れ落ちる。このままでは、戦闘終結前に流れ弾だけで殺されかねない。

「ネオスで作られてるだけあって、普通の氷じゃねえ。
 さっき軽く触れてみたが、危うく腕の皮を剥がされるところだった」

 ハヤトが己の見立てを話す。
 4人を取り囲むように展開された氷のバリケード。
 半端な物理攻撃ではびくともせず、ハヤトの能力はカウンターがメインであるがゆえに、攻撃してこない対象には力を発揮しない。
 セレナと夜上はそもそも戦闘用の超力ではない。
 となれば後はあとはアルヴドの超力しかないのだが、

(ネオスなあ……未だによく分かってねえんだよな……ダメ元で聞いてみるだけはしておくか?)

 アルヴドは自らの超力を正確に把握していない。
 アビスの中で幾度かテストは行われ、能力の内容が『手にした銃器の強化』であることは分かっているものの、逆に言えばそれだけだ。
 解析を行った看守はより詳しい情報を得ていたのかも知れないが、それは全くアルヴドに共有されていない。
 獄中で開闢の日を迎えた彼には、超力を扱う経験が圧倒的に不足している。応用の効かない能力だったことも相まって、自分の力に対する知識ほとんどない。
 そして、そもそもの問題として。

「誰か、銃もってたりするか? 俺の超力を活かす為に必要なんだが……」
「…………」
「…………」
「…………」
「だよな、忘れてくれ」

 この状況下で、銃を所持している者は非常に限られているだろう。
 恩赦ポイントを持たなければ買い物ができない。
 誰も殺さず、首輪の回収も行っていない4人に購入は不可能だ。

 しかしそうなると、いよいよ難しい事態になってくる。
 彼らには目の前の氷の壁を突破して逃げ出す方法がない。

「いえ、実際のところ、壁は問題になりませんよ」

 アルヴドはそう考えていたのだが、夜上の見立ては違ったらしい。

「先程から観察していたのですが、おそらく我々が何もしなくても解決します」
「なんでだよ、あのバケモン共が勝手に解錠してくれるってか?」
「その通りです。見ていてください」

 前方から飛来した炎が傍らの木々を薙ぎ払いながら通過していく。
 アルヴドは肝を冷やしながら、その行先を見た。

「そっか、あの炎……」
「正解ですよ、ウサギのお嬢さん」


 生半可な打撃をものともしない氷の巨壁を、フレゼアの炎が呆気なく削り取っていく。
 氷は溶かしたそばから再生するも、勢いは非常に緩やかなものだった。

「氷が普通でないように、炎もまた特別性ということですよ。
 あの火は氷か、あるいは超力そのものに強い特攻を発揮している」

 超力に頼った守りを呆気なく貫通する異様なる火。
 夜上の洞察は的を射ている。
 フレゼアの炎は物理と概念の両面から対象を燃やす。
 ジルドレイが正面から撃ち合えているのは彼の超力の出力が頭抜けている事に加え、彼らの相性関係が為した妙である。
 そしてフレゼアが攻勢を強めるほどに、ジルドレイも包囲網の氷に力を割く余裕が失われていくだろう。

「つまりアンタが言いたいのはこういうことか?」

 ハヤトが目元を押さえながら口を挟んだ。

「あいつらの殺し合いが激化すればするほど、炎の流れ弾が氷を削る。オレたちは抜け穴が出来るまで待っていりゃいい、と」
「正解です。そして本当の問題は……」
「それまで、わたし達が無事でいられるかどうか」

 セレナの言葉は、現状の懸念を端的に表していた。
 フレゼアの攻撃は突破口となると同時に、危険の増大を意味するだろう。
 アルヴドは嘆息を吐きながら、皮肉を込めて言った。

「出口が開くのが早いか、俺達が蒸し焼きにされるのが早いかってことかよ」 
「心配しなくとも、そこまで時間はかかりませんよ。全員出られるかは別ですがね」

 何故か確信をもって話す夜上を、他の者が怪訝に見た直後であった。

「ほら、今に彼女は痺れを切らします。走る準備をしておいた方がいい」

 戦場の中心にて、紅蓮の塊が空に昇っていく。
 炎の翼をはためかせ、火柱となって燃え盛る魔女が夜空を背景に煌々と輝いている。

 回転する火柱から撒き散らされる火球は、迎撃に放たれた氷槍を押しつぶしながら地表を赤く染めていく。
 炎の雨、東の森を炎上させた広範囲絨毯爆撃。
 狂乱する敵意が、贄たる4人を含めた全員を鏖殺せんと天から降り注ぐ。
 それは悪夢のような危機であると同時に、彼らにとって絶好の機会でもあった。

 真っ赤に染まる空。4人のもとにも爆撃が迫りくる。炎が焚べられる贄達を照らし出す。
 呼吸を忘れる程の恐怖に苛まれながら、アルヴドは目を凝らして周囲を見渡した。

 どこだ、突破口はどこに現れる。
 敵を挟んで反対側に出来たところで、おそらく到達は難解を極めるだろう。
 そもそも、夜上の読みは正しいのか。突破口なんて、本当に開くのか。
 いずれにせよ、アルヴドには祈ることしか許されない。
 頼む、頼むから、届く範囲の場所に開いてくれ、と祈りを込めて。

「――――こっちです!」

 響き渡る少女の声。
 耳をピンと立て駆け出したウサギの獣人を、他の3人も迷わず追った。
 バラバラと落下してくる火球は木の幹を容易く貫通し、地表に触れた途端に炸裂して土砂を撒き散らす。

「―――が―――ペッ……くそぉッ」

 まるで地獄に落とされたようだった。
 口内に入り込んだ苦いモノを吐き捨てる。本当に冗談ではない。
 右前2メートルの位置に落下した火球が巻き上げた土塊をまともに浴びながら、アルヴドは毒づく。

 炎の雨を一発でも受ければ命の保証はない。
 苦し紛れに両腕で頭を庇いながら、土煙の中で少女の背中を見失わぬよう走り続ける。

 早鐘を打つ心臓、止まらぬ発汗、折れそうになる心。
 平衡感覚を失いかけながらも、熱気と冷気の混じり合った地獄の戦場を横断する。
 その果てに―――

「……あった」 

 おそらく火球の数発が纏めて直撃したのであろう、奇跡のような偶然が作り出した希望が、アルヴドの目の前にあった。

「……本当にあった!」

 包囲網の東端、氷の壁が一部崩れ、身を屈めれば通れる程度の細い道が出来ている。
 一番目にたどり着いたセレナは律儀にその場で手を振り、他の者に場所を知らせてくれている。
 その手前のハヤトは「いいから早く行け」と少女に逃走を促していた。
 夜上はアルヴドの数メートル前を走っている。どうやらアルヴドが一番後ろに位置するようだった。

 それでも問題ない。
 今に、あと数秒も掛からず全員が脱出口にたどり着く。
 氷の壁は少しずつ再生しているが、塞がる前には余裕で通過できるだろう。

「たすかった」

 ここから僅か数秒の間、何事もなければ。
 よっぽど運悪く、フレゼアの炎が偶然にも誰かに命中しなければ。
 不運にもこちらを向いたジルドレイの氷が、誰かを捉えたりしなければ。



「たすかっ…………あ?」


 あるいは―――


「なんだ…………あれ……?」


 あるいは―――


「あ……あいつ、あいつ、は……!」 


 あるいは全くこの場に関係ない。


「マズい……てめえら今すぐ戻れェッ!!」



 完全に無関係な第三者が、唐突に現れたりしなければ。





「しーあわっせわぁ~♪ あーるいってこーない♪」





 アルヴドの制止は届かない。


「だぁーかーらあーるいってゆっくんだね~♪」


 今まさに脱出口から抜けだそうとしていたハヤトとセレナ。
 その前方、氷越しに映った薄い影。
 壁の向こう側に、誰か、いる。 


「いっちにっちいっぽ♪ みぃかでさんっぽ♪ さぁーんっぽすすんーでにっほさーがるぅ~♪」


 ぱちんと指の音が鳴る。
 その直後、氷の壁が、〝外側から〟吹き飛んだ。

「じぃ~んせいわっ♪ わんっつーぱーんち☆」

 爆風によって大きく弾き飛ばされ、焦げた草むらの上に転がったハヤト。
 その身体に折り重なるようにして、セレナも倒れ伏している。
 草むらに赤い血が流れ出す、どちらかの身体から滴るものか、あるいは両方か。 

「あっせかっきべっそかっき……およ?」



 じゃぎ、と。スニーカーが氷の礫を躙り潰した。
 小麦色に焼けた健康的な、ルーズソックスを履いた脚が、軽やかな一歩を踏み出す。

「あーし、なんか巻き込んじゃった系?」

 それはギャルであった。
 全身を着崩したセーラー服で武装した少女だった。
 シュシュでポニーテルに纏めた金髪。ぱっちりとした蒼い瞳は爛々と輝いている。
 髪と瞳だけではない、それらを中心に、彼女の全身が淡い光沢を纏っている。
 戦場に舞い散る炎の光を反射して、キラキラと輝いている。

「ご……はっ……げほっ……げほっ……!」
「生きてる~? ちょっと通りにくかったからさー。爆っちった。メンゴメンゴ☆」

 苦しげに咽るハヤトの顔を覗き込みながら、少女はケラケラと笑っていた。
 悪意なく、さりとて謝意もなく、友達と駄弁るような口調でフランクに話す。

「あーしったら、面倒くさがりなギャルだかんさぁ~」

 戦場において異様なる風貌。
 JK(ジョシコーセー)。
 それは華やかなる永遠の17歳。

「てめえ……まさか……」

「ありゃ、よく見たらアーくん先輩じゃん。おひさ~」

 そして今、輝きに満ちたその視線が、立ち尽くしたままのアルヴドを捉えていた。
 敬礼するようなポーズで額に掌を当てながら、こちらを眺めている。

「てかめっちゃ老けててウケんだけど。スキンケアは欠かしちゃだめだゾ?」

 瞬間、彼の脳裏に再び想起される過去の情景。
 閃光のように過ぎゆく記憶の中で、確かに、同じ瞳が笑っていた。

「……ギャル」

 かつて同業者であったアルヴドは、その名を知っていた。

「ギャル・ギュネス・ギョローレン」

 史上最悪のギャルテロリスト。そして享楽の爆弾魔。
 アルヴド達が脱出口と定めていた筈の場所から、氷の壁を蹴り壊し、一人の少女が入場する。
 霜の降りし焦げた草原という、矛盾にまみれた戦場に、更なる混沌が来襲する。

「あっは、そういうカンジ?」

 全くの同時、戦場の中心から飛来する二つの殺意。
 爆熱とともに登場した少女は当然の如く注目を集め、炎と氷の怪物は彼女を明確に敵と認識していた。
 結果、贄達の企てに気づいたジルドレイは素早く氷の壁を再構築し、フレゼアは鬱陶しげに熱線を射出する。

「いーよ―――そんじゃ、みんなで楽しもっか?」

 爆風が目前に迫りくる。もはや誰も逃げられない。
 動くことままならぬ4人の正面、場違いな金色が駆動する。
 それは永遠の至る果て、全てを巻き込む破滅の逃爆行。

 青春の黄昏。享楽の爆弾魔。
 囚人、ギャル・ギュネス・ギョローレン。
 下されし裁定は――死刑。






 戦場の中心にて吹雪と火群が混じり合う。
 赤と白のコントラストが一種の幻想的な景色を生み出し、美しき暴力が撒き散らされる。

 フレゼアの右腕が紅蓮の剣を振り回す。
 薙ぎ払われた赤き軌跡は地表から伸び上がった結晶を纏めて砕き、標的たる氷の怪人の首に迫っていく。
 ジルドレイ、これを受けず上体を大きく真横に傾けて回避。
 彼は左の主砲以上に右の紅蓮剣を警戒していた。
 フレゼアの炎は超力の効力ごと灼き尽くす、中でも紅蓮剣に込められた炎の密度は群を抜いており、まともに防御してしまえば守りごと断割される可能性が非常に高い。

 身体を傾けた勢いそのままに、ジルドレイは両手を地につけ、下半身を持ち上げる。
 逆立ちの体制から繰り出す打撃技。半円を描いて乱れ飛ぶ2連の回し蹴りがフレゼアの左半身を打ち据えた。

「―――ぐ―――ぅ!」

 ぱきき、とガラスの割れるような音が鳴る。
 蹴りの着弾箇所を中心に真っ白い氷が体表を覆い、一瞬にしてフレゼアの左半身の殆どが氷漬けになった。

「―――舐―――めるなァ!」

 再び、左腕の断面から吹き出す炎。
 拘束を行っていた氷を剥がすと同時、ジルドレイ目掛けて熱線を浴びせかける。

「ぬるいですねェ、その程度では―――!」

 空中に出現する氷の壁が火炎放射を遮断する。
 炎剣以外は力押しの守りでも防ぎきれる。その判断は間違っていない。
 ジルドレイは攻めの手を緩めず、続けて氷の盾の内側から槍撃を繰り出そうとして。

「腕を振って足を上げてわんっつーわんっつー♪」

 上空から聞こえる快活な声。
 視線を上げ、そこに跳躍する金色の乱入者を認め。
 咄嗟、氷盾の防御範囲を全方位にまで広げた。

「休まないであーるーけー♪」

 空から降り注ぐキラメキと、盾に接触してコツンと鳴った何か。
 それは何の変哲もない、小さく透明な瓶だった。
 中に少量の血液が入っているだけの。

「そーれ、わんっつーわんっつー♪」

 ぴし、と。指の鳴る音。
 同時に氷の盾が吹き飛ぶ。
 発生した爆風によってジルドレイもフレゼアも後方に弾かれた。

「わんっつーわんっつー♪」

 止まらず畳み掛ける乱入者。
 躍動する金髪のギャルは空中で更に小瓶を取り出し、ジルドレイへと追加で投げつけると共に反転。

 ギャルとフレゼアの視線が交錯する。
 焔の魔女の燃える左目が、愚かな闖入者を睨み据えた。

「――邪魔をするなら、お前から燃やしてやる」

「――イイじゃん、アガ↑るねっ!」

 フレゼアは左腕を伸ばし熱線を照射。
 蛇のように伸び上がる炎の軌道を、空中にいるギャルは回避する方法を持たぬかに見えた。
 しかし命中の直前、指鳴りと共にギャルの右頬から数センチの空間が起爆し、発生した爆風が彼女の身体を真横に押し流す。

 謎の緊急回避を成し遂げたギャルは、そのまま手元の瓶の栓を引き抜き腕を一振り。
 中身の血液が空中に散布された。

「そーれ、わんっつーわんっつー♪」

 そして指鳴り。
 本能的な危機感に従って血を避けたフレゼアの傍ら、濡れた地面が土を跳ね上げて吹き飛ぶ。
 まったくの同時に、先程ジルドレイに向けて投げつけた血入りの瓶も起爆された。

 超力、『青春逃爆行(アオハルエクスプロージョン)』。
 自らの体液を起爆する。ギャル・ギュネス・ギョローレンの能力である。
 瓶詰めの血を手榴弾のように使い、時に液体の特性を活かして放射状に爆破する。
 ギャルテロリストの基本装備にして基本戦術。
 しかしこの説明だけでは、先ほどの現象全てを成り立たせることはできない。

 フレゼアの脳裏にも疑問が過る。
 少量の血で成し遂げる剣呑な爆破現象。
 爆撃で本人が一切手傷を負っていないことに驚きはない。
 フレゼアの炎が本人を焦がさぬように、ジルドレの氷が本人を凍死させぬように。
 自らの超力が引き起こす現象に耐性を得るのは、特段珍しい事ではない。

 不可解なのは爆破現象そのものではなく。
 フレゼアの攻撃を避けた、あの手法だ。

「どうでもいい、燃やせば一緒だから」

 フレゼアの戦法が変わる。
 左腕から放射される炎が直線から鞭のようにしなり始め、ギャルを捉えるべく伸び上がる。
 更に逆方向からは、爆炎の中から立ち上がったジルドレイの氷槍が飛来していた。

 再び地を蹴り、空中へと身を躍らせるギャル。
 風にはためくセーラー服のスカート、腰に巻き付けた肌色のカーディガン。
 そして、彼女の全身を覆うキラキラとした輝きが、炎に照らされてより光量を増していく。

 軽やかなサマーソルトによって氷槍の全てを躱しきったものの、空中までしつこく追ってきた炎の鞭が単純な回避を許さない。
 加えて、ジルドレイの足元から広がる氷の領域がギャルの真下の地面を覆い尽くしていた。
 これでは奇跡的に炎から逃れたところで、体が地面に触れた瞬間に氷漬けにされてしまうだろう。

 まともな人間の運動能力で凌ぎ切れる手数ではない。
 理不尽な猛攻。しかし特定の一人を集中攻撃することは、三つ巴においての定石にあたる。
 そして特定の一人とは、次の二つのパターンがある。
 三人の中で、一番強い者か、一番弱い者か。今回のパターンは果たしてどちらであったのか。

「うんうんっ、あったまってきたねっ!」

 フィンガースナップの快音が響く。
 空中にて唐突に、ギャルの身体が爆発した。
 フレゼアとジルドレイからは、そのように見えた。
 正確には跳躍によって捲れ上がったセーラー服の裾、ちらりと覗いたお腹の、その数センチ前方の空間が爆発したのだ。

 対空したまま爆風で後方に吹き飛ぶギャルの身体。
 再び、不可解な立体運動で炎の鞭を回避する。
 しかしその落下地点は、未だにジルドレイの氷の領域下にあり―――

「ほいもういっちょ!」

 連続する指鳴り。
 不可解な連鎖爆発によって、もう一度跳ね上がるギャルの身体。
 更にもう一度、今度はスカートから伸びる生足の、脹脛の周辺が爆発。
 かと思えば次は左の太腿の近辺が爆発。

 繰り返される爆発――爆発――爆発。

 まるでピンボールのように、少女の身体が空中で乱反射して止まらない。
 ギャルは爆風による多段ジャンプを幾重にも繰り返し、無数の追撃を回避しながらジルドレイに接近していく。
 勢いに陰りはみられない。寧ろ動けば動くほど、運動すればするほどに身体のキレが増していく。
 比例して、全身を覆う輝きも増していく。

「あは―――たのしっ」

 喉元数ミリ手前を通過する幾つもの死線に高揚する。
 少女にとって、今やこれが数少ない娯楽だった。
 思想無きテロリズム。享楽の爆弾魔。破滅的逃爆行。
 永遠という虚無に囚われた心を満たすものは、死に接近するスリルと―――あと〝もう一つ〟だけ。
 だけど〝もう一つ〟は、きっとこんな場所じゃ得られないと知っていたから。 

 ―――今はこれが、一番楽しいや。

 あっという間に氷の怪人の懐に飛び込んだギャルは、対空したまま胸元の小瓶取り出し。
 しかし、中の液体を浴びせかける目前で、放射された冷気に右腕を一瞬にして覆われていた。

「ああ―――ッ!」

 短い悲鳴のすぐ後、爆音が轟く。

「待って待って……袖なくなっちったじゃん……下ろしたてなのに、サイアク」

 爆煙の晴れしその場所に、ギャルは不貞腐れた様子で立っていた。
 右腕を喰らいかけていた氷は、腕そのものを中心に起こした爆発によってセーラー服の袖ごと払われ、日焼けした健康的な素肌が外気に晒されている。
 果たして、その姿に確信を得たのか。ジルドレイは端的に言った。

「ほお……汗、ですか」
「そ、せーかい☆」

 躍動するギャルの身体を覆っていたキラメキの正体。
 それが血の瓶を介さぬ不可解な爆発と、爆風による空中移動の原理であった。
 注意深い者が目を凝らせば、彼女の全身を覆っていたキラメキが、右腕の部分のみ取り払われたことも分かった筈だ。

「あーしったら、汗っかきなギャルだかんさ~」

 ギャルの体液は爆発する。
 それはもちろん、血液に限った現象ではない。

「たくさん運動すると、なんか無敵になっちゃうんだよね☆」

 ノッてきたギャルは止められない。
 動けば動くほど溢れ出る〝青春のキラメキ〟が、彼女に無限の推進力を供給する。

「おおおおジャンヌゥゥゥゥゥゥゥ。
 このようなふざけた者を、貴女への贄とする無礼をお許しください……!」

 ジルドレイの足元から氷の槍衾が出現する。
 ギャルの全身がくるっとターンし、身に纏うキラメキを周囲に拡散する。
 刺突と爆裂、ぶつかりあった衝撃によって、ギャルは再び空中に跳ね上げられた。

 撃墜すべく、氷の釘を乱射するジルドレイ。
 背後からギャルとジルドレイを纏めて鏖殺せんと火球を投げつけるフレゼア。
 空中できりもみ回転しながら、更にキラメキを拡散し続けるギャル。

 氷の釘と火球がギャル命中する寸前、少女の頭部付近を中心に連鎖爆発が発生する。
 ポニーテールから飛び散ったキラメキは爆炎の渦と変じ、殺到する全ての衝撃を相殺しながら、代償に下ろしたてのシュシュを吹き飛ばした。
 次の瞬間、一帯を囲む黒煙を切り裂いて、フレゼアの炎鞭が飛来する。
 ジルドレイはその攻撃をこれまでと同様に氷の盾で防ごうとし―――

「ごはっ―――!」

 鞭の先に取り付けられていた炎剣によって、身体を貫かれていた。
 氷の盾を貫通した切っ先が、胸元に深々と突き刺さっている。
 怪人の身体が傾く、三つ巴の一角が崩れ、戦況が動く。
 ギャルとフレゼアの視線が、互いにスライドする刹那。

「まだ、足りない」

 脱落した筈の男の声が轟いた。

「この程度の試練では……まだァ!」

 フレゼアよりも男に近い位置に立っていたギャルは気づく事ができた。
 崩れ落ちた男の身体から、血が流れていない。
 いやそもそも、この身体は―――

「やば、これ分身じゃん」

 黒煙の中ですり替わっていた氷像が弾ける。
 戦闘開始から2度目の水蒸気爆発。
 突き刺さっていた炎剣を起爆剤にして炸裂した広範囲の熱放射が、周囲の草木ごとギャルの身体を吹き飛ばした。





 発色の良い毛並みが、赤く染まっていく。

「ハヤトさん……お怪我は……ありませんか……?」
「ちょっと擦りむいた程度だよ、オレは……」

 抱えた身体から熱が失われていく。

「なんで、だよ……なんで、お前……あんなこと……」

 乱舞する氷と炎、そして爆撃が連続する地獄の鉄火場。
 混沌極める乱戦の渦中、その隅で、ハヤトは掌を血で染めていた。
 その血のすべては、彼自身の流したものではない。

 先程、至近距離で受けた爆撃によって、青年の身体は傷だらけであった。
 小さい火傷と擦り傷、青あざだらけの身体で、それでも命に関わるような怪我はない。
 しかしそれは、単なる幸運によるものではなかった。

「なんで、オレを庇った!? そんなこと、誰も頼んでないだろうが……!」

 今、彼の抱える獣人の少女。
 爆発の瞬間、セレナが咄嗟にハヤトの身体に飛びつき、彼が受けるはずだったダメージを肩代わりした結果にすぎない。

「けほっ……ごめ……なさい……ほんとは、地面に押し倒そうと思ったんです、でも、体格差を考慮して……なくて……」

 爆発によって飛散した氷刃が数本、少女の背中と太腿に突き刺さっている。
 傷口から流れる血液が、止血を行うハヤトの手を赤く染めている。
 ハヤトは咄嗟に自らの囚人服を引き裂き、包帯代わりに使うことで応急処置は行ったものの、気休め以下に過ぎないと分かっていた。

 若きネイティブ世代のセレナは旧時代の人間に比べては充分に頑丈だ。
 だが、このまま何ら本格的な救命処置を行わずに放置していれば、やがて命を落とすだろう。
 体温は徐々にだが下がってきている。顔色も悪くなる一方だ。

「さっき……言おうとしてた……ことなんですけど……」
「無理して喋んな」
「聞いて、ください……話せなく、なる前に……言っておきたい……から」
「縁起でもねえんだよクソッ!」

 焦りに突き動かされるまま、ハヤトは周囲を見渡した。 
 戦場の中央では今も人知超えた闘争が繰り広げられている。
 可能な限りの応急処置を終えた今、もはや彼に出来ることは何もない。
 逃げようにも逃げ場はなく、マシな治療を施したくても、恩赦ポイントがなければ治療キットの購入も叶わない。

 このまま身を潜めていることしかできない。
 少し離れたところに隠れているアルヴドと夜上も、同じ状況のようだった。

「――ハヤトさん、わたしね……ほんとはずっと、不安だったんです」

「喋んなって!」

「―――あのとき、絶対帰らなきゃって……故郷の街に……家族のところに……ママのところに帰らなきゃって……必死に、逃げ出して……」

 朦朧とする意識の中で、ハヤトの声は既に届いていないのか。
 熱に浮かされるようにセレナは話し続けている。
 いつかの記憶、犯罪組織に誘拐され、軟禁されていた日々の果てに、彼女が直面した現実。

「でも……ずっと、後悔が消えなかった……」

 逃亡に成功した時も、アビスに収監された後も、今に至るも、彼女はずっと、その思いに囚われている。

「わたしは……みんなを……たすけられなかった……」

 あの場所に残してきた仲間たち。
 過酷な環境下で、残酷な現実のなかで、通じ合えた友人たち。
 彼らを残して、一人だけ助かってしまった。その罪悪感。

「みんなを見捨ててしまったんです……自分だけ、助かろうとしてしまったんです……」

「それは違うだろ……お前は……」 

 見捨てたわけじゃない。
 仲間を助けるために、自分にできる最大の努力をしたじゃないか。

 そう言おうとして、言葉にならない。
 助けられなかったことと、見捨てること。
 それらは、彼女にとって同じことだと、わかっていたからだ。

「温かいベッドで眠っていても……美味しいものを食べていても……心の何処かで……思ってしまうんです。
 わたしには、そんな資格……ないんじゃないかって……幸せになる権利は、もう無いんじゃないかって」

 誰も助けられなかった自分に。
 何も出来なかった自分に。
 救われる視覚は、無いんじゃないかって。

「だから今日、もしも……ハヤトさんを、助けられたんだとしたら……」 

 そのために、誰かを助けるために。
 自分の人生が残されていのだと、思えたなら。
 役割を全うした自分は、あの日の仲間に、許してもらえるのだろうか、と。

「お前……」
「勝手にわたしの事情に巻き込んで……迷惑な話ですよね……。
 ごめんなさい……だけど、そう思いたかったんです」

 声が小さくなっていく。

「逃げて……ください……ハヤトさん……きっと……今なら……」

 少女は遂に意識を失い、草むらの上で弱々しい呼吸を続けるばかりだった。
 セレナの身体を木陰に横たえ、ハヤトはゆっくりと立ち上がる。

 目の前には氷の壁。
 少女の言い残した通り、今なら逃げることが可能かもしれない。

 戦場が混沌を極める程に、ジルドレイの余力が無くなっていく。
 結果として、氷のバリケードは徐々にその高度と堅牢さを失っていたのだ。
 ハヤトの運動能力であれば、凍傷を対価にして、よじ登って超えることも不可能ではなくなっている。

 逃げられる。
 ハヤト一人であれば、それは充分に可能だ。
 一歩、彼は壁に近づいていく。

『わたしは、みんなを、見捨ててしまったんです……』

 先程の少女の声がリフレインする。
 二歩、彼は壁に近づいていく。

『生きたいって気持ちは、とても強くて……』

 少女はずっと後悔していた。
 ずっと苦しんでいたのだろうと思う。
 三歩、彼は壁に近づいていく。

『……幸せになる権利は、もう無いんじゃないかって』  

 ふと、思った。
 兄貴も、同じ気持ちだったのだろうかと。

 足が、止まる。

 あの日、ハヤトを見捨てた兄弟。
 決して断ち切れぬ絆を語っていた、誰よりも信頼していた兄貴分。

 彼はハヤトを、確かに見捨てた。
 どのような事情があろうとも、どのような心境であったとしても、それは揺るぎない事実であった。
 だけど、それでも、と思う。

『――なあ、ハヤト。オレ達は今日から兄弟だ。死ぬときは一緒だぜ』

 彼は後悔していたのだろうか。
 自分の行いを、ハヤトを置いて逃げてしまったことを、悔いていたのだろうか。

 その答えを得られる日は、永遠に来ないだろう。
 答えを持っている人物は、既にこの世にいないのだから。

 それでも、

『――そう思いたいじゃないですかっ!

 ――信じていたいじゃないですかっ!』

 ハヤトは、そうであって欲しいと、思った。 

「……ったく、ふざけんじゃねえってんだ。こりゃお前が言ったことだろうに」

 更に一歩、踏み出す。

「逃げろなんて言われたら、逃げにくいんだよ、生き残ったって目覚めが悪い」

 壁とは反対の方角に。
 戦場の中心、炎と氷の渦巻く鉄火場へと、その足は向いている。

 勝つ手段など一つも思いつかない。
 作戦も何もありはしない。
 だけど、彼らを撃退する以外に、少女を救う手立てはない。

 怖いし恐ろしいし早速この選択を後悔している。
 それでも、前に進もうとして、

「ふーん、キミ、逃げないんだ」

「―――ッ!」

 気づけば隣に立っていた爆弾魔に、ハヤトは危うく腰を抜かすところだった。

「な……お前……!」

「はろはろー」

 ギャル・ギュネス・ギョローレン。
 ある意味でこの状況の元凶といってもいい迷惑なテロリストが、何故か戦場の隅に佇んでいる。

「お前……なんでこっちに……!?」

 さっきまで、戦場の中心で壮絶な三つ巴を演じていたはずなのに。

「あー、うん。そーなんだけどね……」

 様子もどこかおかしかった。いや様子がおかしいのは最初からなのだが。
 まず服装に随分ダメージを受けている。身にまとっていたセーラー服はボロボロになり、破れた箇所からシャツや素肌が覗いている。
 シュシュを失った髪は下ろされ、無造作に広がった金色の前髪が汗で顔に張り付いて、スポーツ系の部活帰りのようになっていた。
 この有り様で怪我をした様子がないことが逆に違和感ですらある。
 加えて言えば、話し方の調子も妙である。

「キラキラ無敵モードはたのしーけど、服が焼けちゃうのが難点でさー。
 終わった後はいっつもサゲサゲになっちゃうの。
 せっかくのコーデも崩れちゃったし、あいつら会話になんないし。
 なーんかサガ↓っちゃったなーって」

 ようするにテンションが低いのであった。
 身にまとっていたキラメキは消え去り、星をまぶしたような瞳もくすみ、髪の毛の発色も萎れて、全体的にすっかり元気を失くしている。
『あーしったら、面倒くさがりなギャルだかんさぁ~』と彼女は繰り返す。

「お腹も空いてきたし、その辺の奴ら適当に爆っちゃって、ご飯でも食べて寝よっかなって」

 ハヤトの背筋に怖気が走る。
 その辺の奴らに、己が含まれていない、わけが無い。

「でさ、聞きたいんだけど。なんで逃げないの?」

 ギャルは首をかしげながら、ハヤトを見ている。
 殺す気なのだと、聞くまでもなく分かった。

「キミ、多分、逃げようと思えば逃げられたよね?
 でも戻ってきた、なんで?」

 なんとなく、それが気になったから、一瞬手を止めただけで。
 ハヤトがあのまま逃げようとしていれば、とっくに殺されていた筈だ。

「なーんか気になっちゃってさ。
 えーっと懲役は……15年かあ、そんなに恩赦がほしい系?
 てかキミって、あいつらと勝負できるくらい強いの?」

 やり合ってもいい。なんて囁く自分もいる。
 そもそも、己はこの女を含めた三つ巴に介入しようと踏み出したのだ。
 なにより目の前の爆弾魔は、セレナに重傷を負わせた張本人である。

 一方で、待て、と。
 早まるなと諌める自分もいる。
 考えろ、考え続けろと、己に言い聞かせる。

 このまま突っ込んで何ができた。
 己は目の前の怪物共と、まともに殴り合える強さを持っているのか。
 言うまでもない。無策な特攻は死体を一つ増やすだけだ。
 セレナ・ラグルスを救う方法には成り得ない。

「まさかあっちでノビてる女の子を助けたいって話でもないだろうし。
 わっかんないなーって」

 上がりかけた拳を下げる。
 冷静に考えろ。今できることは何だ。

 自分にできることを探せ。状況を利用しろ。
 理外の怪物であったとしても。

「……うるせえな。
 あいつを助けるために戻んだよ」

 この異様な死刑囚の目を、一瞬でも逸らす方法はあるだろうか。

「恩赦がほしいなら、協力してやる」

 己は何を差し出せる。
 恩赦ポイントか、何らかの契約か。

「金がほしいなら後で工面するし。
 刑務が終わったら、雑用でも何でもやってやる」

 こいつは何が目的で、殺し合いに乗っているのか。

「オレには大した取り柄もねえが。
 あいつらを追っ払う事に協力してくれたら、なんでも言うこと聞いてやるよ」

 わからない。
 だから今は、全てを捧げるしかないのだ。
 悪魔との取引だと、承知の上で、それでもやらなければ、きっとあの少女は助けられない。

「―――アンタ、さ。それ、マジでいってんの?」

 返されたリアクションは不可解だった。
 ギャルは眉をへの字に曲げて、疑わしげな目でじっとハヤトを見つめている。

「嘘じゃねえよ。本当になんでも聞いてやる。
 ……そりゃ、できれば殺しの類は勘弁してほしいのが本音だが」

「違う、その前」

「金は……確かに今はねえけど後で働いて」

「その前」

「恩赦が欲しいのか? だったら俺の役割を聞いてくれたらきっと協力が」

「ちーがーうって、その前だよ」

「…………え?」

 ギャルが何を言いたいのか、ハヤトにはまるっきり分からなかった。

「あの子、助けたいって、ハナシ」

 日焼けした指先がちょいちょいと、木陰に寝かせたままのセレナを指している。
 なぜ掘り下げてくるのかは謎だが。
 確かに、そこを信じられなくても無理はない。
 アビスにおいて、それも囚人同士の刑務において、まともな情による行動原理が成り立つなんて、疑わしくて当然だ。
 ハヤト自身ですら、正直自分で言って驚いている。

「…………ああ、そうだよ、あいつを助ける為だ」
「なんで?」
「なんでって……」

 改めて聞かれると困ってしまう。
 先程は色々と考えて決意を固めたが、それを全て説明するのはなんだか難しい気がした。

「好きなの?」
「はあ!? ちげーよ、ありゃガキだぞ」
「恋愛じゃないの? じゃあ友情?」
「ちが……いや……友情……か」

 ちゃんと友達になった覚えもまだないが、と否定を返しかけて。
 ふと、つい数時間前の、他愛もないやり取りを思い出す。

 ―――もしも二人で生き残れたら、アビスの中でも外でもいいですけど。
 ―――友達になりませんか!? わたしたち!


 ―――ああ。生き残ったらな!


 あえて、この関係性に、名前を付けて定めるならば。



「そう……だな、そうなのかもな」

 友情による繋がり。

「はあ、マジかよ」

 そういうものだったのかと、独りごちている最中に。

「なにそれ…………そんなの……そんなのって……さぁ」

 ギャルの様子がおかしくなっていることに気がついた。
 いや、おかしいのは常になのだが。
 しかし今回は、


「ちょー青春じゃん……!」


 今までとは全く違うベクトルの変様だった。 

「あーやばい、これ。
 久々にやばいかも――――は、あああああああああッ!」

 胸元を押さえつけながら、ギャルは悶え苦しむように身を震わせた後。

「―――うますぎやろがいッ!」

 唐突に、その輝きの全てを復活させた。
 少女の瞳に光沢が戻り、全身のキラメキが再発する。

「キミ、名前は?」

「ハヤト……ハヤト=ミナセだけど」

「ハータン、ゴチっす!!」

「なにいってんだお前はさっきから」

「うおおおおおおおおアガ↑って来たぁ!!」 

 ギャルテロリストを利用することは何人たりとも出来ない。
 このやりとりも交渉とは言えぬ、会話として成り立っていたかも怪しい。
 しかしこの時、全くの偶然ではあったが、ハヤト=ミナセはギャルの欲しいものを差し出した。
 彼は最適解を引いたのだ。

「じゃーね、ハータン。お礼に爆るのは後にしてあげるっ!」

 少女にとって、今やこれが数少ない娯楽だった。
 思想無きテロリズム。享楽の爆弾魔。破滅的逃爆行。
 永遠という虚無に囚われた心を満たすものは、死に接近するスリルと―――あと〝もう一つ〟だけ。
 だけど〝もう一つ〟は、きっとこんな場所じゃ得られないと知っていたから。

 青春の残り香。
 そんなモノがアビスにあるなんて、まるで期待してなかったのに。

 力(テンション)を取り戻したギャルは、再び戦場に舞い戻る。
 新鮮な青春を摂取して、走り出さずにいられない。
 それは残された彼にとってもチャンスだった、おそらくこれで、再び状況が動く。

「なんだか分からねえけど、行くしかねえ……!」 

 ハヤトもまた、戦場に踏み込む。
 果たして結果がどうなるのか、混沌渦巻く戦場に、もうすぐ答えが示される。







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最終更新:2025年03月24日 08:06