00:45:08

 <ブラックペンタゴン 北西ブロック(中央) 図書室>


「はじめまして、よね? 人間さん」

 再生させた腕を宙に翳し、銀の少女は優雅に一礼する。
 荒れ果てた図書室、倒れた本棚の上。
 先程の衝撃波が齎した風の名残に、黒のドレスが慎ましく揺れていた。

「私は銀鈴。あなたのお名前が知りたいわ」

 透明感のあるウィスパーボイスが、残留する紫煙に乗って流れていく。

「ネイ・ローマン」

 怪物に対峙する男は端的に、そして心底面倒くさそうに、名乗り返していた。

「良い名前ね、ネイ」
「あァ、気安く呼んでんじゃねえよボケが。誰がそこまで許可したよ」
「そう? でも私、ローマンよりネイの方が好きな音よ。だからね、そう呼ぶことにするの」

 ローマンはウルフカットの白髪をガシガシと掻きながら、肩を竦めてみせる。

「ちっ……気に食わねえ目だ。意味のある会話とは思えねえな」
「あら、どうして?」
「憶える気のねえ奴に名乗るなんざ。時間の無駄だ」
「まぁ、まぁ、そんなことはないわ。私ね、これでも人間さんの名前を憶えるのは、とってもとっても得意なのよ?」

 微笑みながら少女は本棚の上から降りる。
 よいしょ、と。可愛らしい動作で両足を床につけた。

「死んじゃったヒトも、まだ生きているヒトも。
 名前を教えてくれたヒトは、みぃんな、憶えているの」
「はぁ……そういう意味じゃねえんだが」
「あら、じゃあ他にどういう意味があるのかしら?」
「それが分からねえから、テメェとは会話にならねえって言ってんだよ」

 両者の物理的な距離が少し縮まる。
 ローマンの背後で、メリリン・"メカーニカ"・ミリアンとジェーン・マッドハッターがビクリと緊張する気配があった。
 実に少女然とした一挙手一投足で近寄ってくる様子に、この空間に居合わせた誰もが、薄ら寒い感触を憶えている。

「どうでもいいやつは忘れる。気に入ったやつは憶えてやる。
 人間てのはそうできてる。テメェのそれはどちらでもねえ。
 "どうでもいいやつ"を片っ端から"記録"して、いったい何になんだよ」
「まぁ、そういう考え方があるのね。
 また少し、人間さんのことが分かったわ。教えてくれて、ありがとう、ネイ」
「……ほらみろ、意味のねえ会話だったじゃねえか」

 ネイ・ローマンの全身から赤黒い衝撃が迸った。
 地面を伝い、図書室全体を振動させる、それは本震の前の初期微動。

「ふふ……あなたも、私と踊ってくれるのね。うれしい」

 銀鈴もまたドレスを翻して一回転。
 解禁された超力(ネオス)を全身に漲らせ、目の前のダンスパートナーに手を差し伸べる。

「―――メリリン、端的に状況を教えろ。終わったら下がれ。死にたくなきゃ絶対に前に出んなよ」

 戦闘開始の直前、ネイ・ローマンは振り返ることなく、背後に守る女性に声をかけた。
 立ち姿は自然体で、余裕を漂わせていたが、その鋭い眼光は油断なく対敵を捉え続けている。

 後方でメリリンとジェーンが立ち上がる気配があったが、ローマンは視線を動かさない。
 ややあって、激しい動揺と僅かな安堵を含んだ声が、背中に届いた。

「あ……あいつは……た、たぶん、サリヤの亡霊で……」
「その辺は察してる。落ち着いて残弾だけ教えてくれりゃいい」
「あいつは――」

 先程、銀鈴はこう語っていた。

『……ホンジョウ、サリヤ、ソフィア、ルクレツィア……そっか。
 私ったら、ついたくさん食べてしまったみたい』

「つまりソフィアとルクレツィアを喰った……それに、いま喋ってるあいつ自身を加えて」
「……あっから3発補充して5~6発ってとこだな。四葉の名前がねえってことはアイツは消えたのか?
 連中に魂を撃たれたか、黒ドレスの女に殺されたか。まあ、だいたいオレの計算と合ってるな」

 他者の能力を取り込む存在が、無効化と再生の力を喰らった。
 これがどれほど絶望的な事態であるか。しかし、最も重要な点はそこですらない。
 ローマンもメリリンも分かっていた。
 軍勢型(レギオン)、あるいは共生型(パラサイト)と思われた敵の形は、今や明らかに異なっている。


 最も恐ろしい気配を放っているのは、目前に立つ銀の少女。
 統率している異質な個体。その詳細は未だ不明であったが。

「そうだメリリン。お前はネイって呼んでもいいぜ? 特別に許してやるよ」

 男はあくまでも、軽口混じりに嘯いてみせた。

「は、はあ? や、やだよ、気持ち悪い!」

 銀の少女がゆっくりと近づいてくる。
 恐怖が、こちらに向かってやってくる。

「じゃ、こうしようぜ。オレが奴を殺ったら、お前はオレを名前で呼ぶ。どうだ?」
「なにそれ……くだらない」
「どうすんだよ、受けるか?」
「…………そんなくだらないことで、やる気がでるなら。好きにすればいいけど」
「決まりだな」

 それでも彼はニヒルに笑って、拳を握り、重心を前方に移し。

「ねえ……ローマン……」
「あァ?」
「あいつに……勝てるの?」
「……はッ、お前さぁ」

 一歩、踏み込んだ。

「―――誰に言ってんだよォッ!」

 爆裂する黒き閃光。
 渾身の咆哮と共に放たれた衝撃波が、ローマンの正面にあった空間、その全てを吹き飛ばす。
 今まさに接敵しようとしていた銀の少女はもちろんのこと、図書室の本棚、備品、奥の壁までも粉微塵に圧壊させる。

 方向性をもって放つ『破壊の衝動(Sons of Liberty)』。
 その考えうる限り最大出力。
 エントランスで戦ったときとは段違いの破壊力に、ローマンの後方にいたメリリンとジェーンですら、戻ってきた風圧によってひっくり返っていた。

 当然と言えば当然の話。
 ネイ・ローマンは既にそこそこ、いや、既に相当、ムカついていたのだ。

 一向に見つからない標的(ルーサー)の足跡。
 代わりに相対したのは節操なく魂を取り込むパラサイト。
 歪められたローズ、四葉、ヘラヘラしたもやし野郎。
 エリザベート・バートリに落とし前を付けようとしたらタッチの差で掻っ攫われ。
 知らない間にアタマが銀の少女にすげ変わったかと思えば、そいつも先程の会話で充分クソ野郎だと思い知った。

 どいつもこいつも気に入らない。
 気に入らない事態の連続で、しかもそいつが、あまつさえ―――

「オレのモンに手ェ出したんだ。なぁ、オイ、分かってんだろォな」

 前提として、破壊衝動は、対面する敵意に反応して威力を増す。
 よって敵意を発さない本条清彦や銀鈴は、相性の悪い手合である筈だった。
 しかし、その更に大前提として、この超力は、ローマン自身の感情にこそ依存する。

 最も強く、直線的な感情。即ち怒り。
 ここに溜め込んだストレスを吐き出し、八つ当たりを含めた衝動の開放が行われているのだ。

 ドミノのように引き倒された本棚群の先、図書室の壁が崩れている。
 その更に向こう、倉庫エリアとの境界上で、たち昇る黒煙の中から何かが立ち上がった。

「凄いわ、ネイ! あなた、とってもとっても力持ちなのね!」

 驚くべきことに、それは極大の衝撃波の直撃を受けて尚、人間の形を維持している。
 片腕の手首から先が千切れ飛んでいたが、彼女にとっては大した負傷に入らない。

「今日は沢山の超力(ネオス)が見られて楽しいわ」

 傷口から吹き出す紫煙。
 メキメキと、樹木が生えるように細胞が再生する。
 取り戻した元通りの真っ白い手、しなやかな指先を軽く振り、少女は朗らかに笑んでいた。

 腕を突き出し、人差し指をピンと伸ばし、親指を立て、他の三指を折りたたみ。
 片目を瞑って狙いをつけて、可愛く一言。

「ばぁん」

 声とは裏腹に強烈な空気砲が放たれ、空気中の塵や煙を巻き込みながら直進する。
 立て続けに、口を開いて、もう一発。

「ばん」

 もう一方の腕で実銃を構え、更にもう一発。

「ばん、ばん、ばん、ばん」

 更に、更に――更にもう一発。
 連続する実銃と超力銃の弾丸が連なり、弾幕となる。


 視界を埋め尽くす無数の飛び道具を前に、対する男は更に前に出ていた。
 踏み込んだ足から赤黒い閃光と衝撃が床に伝わる。

「しゃら―――」

 局所的な直下型地震によって、倒れていた周囲の本棚が跳ね上がった。

「―――くせェ!」

 次いで前方に放つ衝撃波。
 吹き飛ぶ本棚の盾、兼砲弾が弾幕とぶつかって砕け散る。

 更に、もう一歩踏み込み―――踏み切る。
 そして今度は、自らを砲弾のように打ち出してみせた。
 足元に衝撃を放てば、もちろんこのような機動力を発揮することも可能となる。

「おいで」

 急接近するローマンを、銀鈴は薄い微笑みを絶やさず待ち受ける。
 実銃を構えた姿勢のままに、指鉄砲の形を解いた手を前方に翳し―――

「―――オラァッ!」

 ローマンの放った蹴撃によって、その腕の肘までが消し飛んだ。

「ちィ――!」
「ふふ、上手」

 ダメージを与えた筈のローマンが顔を顰め。
 銀鈴は余裕の表情を崩さない。

 ローマンが接近戦を選んだ理由は2つある。
 一つは背後に守るメリリンとの距離を稼ぐため。
 彼女を巻き込む危険性を下げること以上に、ローマンが全力で戦う為に必要なことだった。
 ローマンにとっての真の全力とは、周囲に味方が一人もいない状況でこそ発揮されるからだ。
 味方を巻き込むまいと、衝撃に方向性を持たせている限り、それは全力足りえない。
 そしてもう一つは、敵の備えた超力にある。

 通常、捕食された能力は完全に再現されない。
 我喰いに殺され、食われた力は劣化する。
 これまでの戦いで把握していたこの特性は変わっていない。

 つまり、最も厄介と思しき無効化能力もまた、完全ではないはずだ。
 それを証明するように、現に銀鈴はローマンの衝撃波によってダメージを受けている。
 無効化できる超力規模に限界があるのだ。

 だが、完全でなくても、やはり厄介であることに変わりはない。
 本来全身が吹き飛ぶ程のダメージを、腕が千切れる程度に抑え込んでいる。
 それだけでも相当に硬い。

「クソが……無意識にメタってくんじゃねえよ」

 加え、ただでさえ銀鈴は敵意に乏しく。
 それを本条清彦の気配希薄化で補強し、その上で無効化能力の常時展開。
 謂わば三重の超力によって守られているのだ。

 逆に言えば、守りを突破してダメージを貫通させる程の超力を放つローマンこそ圧巻であり。
 そんな彼をして、リスクを取って接近戦を選ばざるをえない理由こそ、今から起こる現象にある。

「そういえばさっき、面白いことしてたわね。ルクレツィア」

 銀鈴の千切れた腕の断面が蠢く。
 紫煙が吹き出し、その奥から再生された肉と骨が伸びた。

 再生能力。
 これで4重の守り。与えたダメージが無に帰すなら、遠距離から少しずつ削る択は消されている。
 インファイトで直接衝撃を流し込み、一撃で消し飛ばすしかない。
 だが、それは全く容易な事ではなかった。

「私も真似してみようかしら」

 銀鈴の腕から飛び出した肉と骨が、蛇腹の如くに延長されていく。
 まるで樹木の枝が広がるように。
 ルクレツィア・ファルネーゼが死に際に体現した曲技の再演。
 それは再生とはかけ離れた、細胞分裂の悪用だった。

「ほら、ネイ。もっと、もっと、踊ってみせて」

 旋回する骨肉の鞭が紅を撒き散らしながら荒れ狂う。
 全方位を切り刻む斬撃の渦が、図書室と倉庫に置かれていたインテリアを細切れにする。
 斬撃に晒された男は全方位に小規模の波動を放ち、視界外からの攻撃を跳ね返す。


 メリリンから引き離していたことは明確に功を奏していた。
 ローマンと言えど、庇いながら戦闘を継続することは、到底出来なかっただろう。

 一対一であるからこそ成り立つ戦闘。
 そして、一対一であったとしても―――

「えぇ、そう、上手。上手よ」
「くそ……が!」

 蛇腹の刃がローマンの肩を切り裂く。
 彼とて全ての斬撃を躱し切ることは出来なかった。
 幾つかの切り傷を受けながらも斬線の網を抜け、銀鈴の動きを捉えようとする。
 しかし漸く接近したと思えば、敵は不可解なステップで後方に下がり、するりとローマンの拳から逃れ出てしまうのだ。

 見た目に反してあまりに速く鋭い動きだった。
 人間の動作を知り尽くした存在の、精密かつ機械じみた挙動。
 凄まじい動体視力と体幹コントロールをもって、銀の獣は疾駆する。

「やっぱり、頭をすげかえてやがるな。しかも単なる政権交代ってわけじゃねえ」

 飛来する鞭がローマンの腕を切り裂く。
 流血に構わず振り切った拳が銀鈴の片膝に直撃し、そのまま内部に衝撃を流し込んで消し飛ばした。

「あら?」
「いい加減に崩れろや」
「でも駄目ね。それじゃ」

 銀鈴は片足にされた直後とは思えぬバランス感覚にて、転倒を防いでいる。
 バレリーナのようにくるくると舞いながら千切れた足を前方に突き出した。
 射出される、足部からの蛇腹槍、咄嗟に身を躱したローマンの脇腹を掠めながら突き抜ける。

 斬撃を受けながらも、怒りに白熱する思考の中でも、ローマンは分析を止めていない。
 激情の中で思索を行える器用さこそ、彼に求められ続けた感覚だった。

「にしても妙だぜ。あまりにも出来すぎてる」

 違和感はあった。それが確信に変わっていく。
 相対するはエントランスで戦った敵と同じ怪物でありながら、いまや全く別の存在と考えたほうがいい。

 なにせ大前提が覆っているのだ。 
 数時間前に交戦した敵は、確かに共生型(パラサイト)と呼ぶに相応しい特性を備えていた。
 複数の人格と複数の肉体、複数の超力を並行して走らせ、補い合うのが彼らの強みだった筈だ。
 それが今では、たった一人の存在が肉体、人格、超力の全てを支配(コントロール)し、制圧している。

「テメェは何なんだ?」

 何よりそれが、後から加わった人格によって為されたという異常事態。
 だが、現に銀鈴は超力銃、無効化の扱いをそつなくこなし、再生能力の応用まで扱ってみせた。
 他人格のバックアップを一切受けず、喰らったばかりの超力を使いこなす存在などありえるのか。

「驚くようなことじゃないわ。だって、私、全部やったことがあるもの」

 ならば、これは軍勢型(レギオン)ですらない。
 一にして全。
 超力を扱うためにこそ生み出された―――支配の器。

「ふざ――けんじゃねェッ!」

 削られる一方の接近戦に耐えかね、ローマンは溜め込んでいた衝動を開放する。
 広範囲に面で広がる衝撃波であれば、流石に銀鈴も躱すことが出来ない。
 まともに吹き飛び、倉庫後方の壁を突き破って視界から消えた。
 しかし、それでは決定打にならないことを、この場の両者は充分に理解している。

「はあ――はぁ―――ボケが」

 ネイ・ローマンでさえも、明らかに体力を消耗していた。
 荒い息を吐き、表情は怒りと苦悶に歪んでいる。

「使わされたかよ……!」

 敵の再生能力を上回るべく、一撃必殺で仕留める為に選んだ接近戦、にも拘らず目論見は果たせなかった。
 ローマンとて無尽蔵のエネルギーを発揮できるわけではない。
 むしろネイティヴ世代に見られる燃費の悪さが懸念であったが、この場における彼の消耗はそれだけに留まらない。



 怒りを代表とする破壊衝動こそが彼の力の源泉だ。
 目の前で自分の女(ローマンはそう認識している)に手を出された事に対する怒りは相当な衝動を齎した。
 戦闘初期であれば、一撃でも敵の肉体に直接衝撃波を通せれば、跡形もなく消し飛ばせる自信があった。

 しかし、削られ、いなされ、時間が経つほどに、なにより衝動を開放するほどに。
 その感情の貯蓄は減ってしまう。威力が、減じていく。
 故にこそ、彼は短期決戦を成し遂げる必要があったのだが。

「―――ほんとうに上手よ、ネイ。ここまで上手に踊れる人間さんは、はじめてかもしれないわ」

 黒煙の向こう、倉庫エリアの内壁を突き破った先。
 全く色の変わらないウィスパーボイスが届いた。
 当たり前のように、敵の健在と、その損耗が軽微であることを伝えてくる。

「ッたく、割に合わねえな、こりゃ」

 この先は泥沼の戦闘にもつれ込むだろう。
 時間が敵に味方している。

 心底湧き上がる苛立ちと疲労に、さらなる悪態をつこうとしたとき。
 そこでふと、彼は気付いた。 

「―――よぉ、柄にもなく頑張ってるじゃねえか」

 どこかで聞いたことのある、陽気な声がした。
 煙が晴れるに従って、陽の光が入り込んでくる。
 勢い余って吹き飛ばした倉庫の壁、その向こうは中庭になっているようだった。

 未だ残る煙によって、中庭の様子まではまだよく分からない。
 しかし、もっと手前に、つまり倉庫の中に、2人の侵入者が現れたのだ。

「元気してたかよ、ギャングスター」

 "便利屋"、ジョニー・ハイドアウト。
 そして、もう一人。

「ネイ・ローマンか。
 可能ならば交渉がしたいが……どうやら取り込み中のようだな」

 "金庫番"、ディビット・マルティーニ。
 二人の男が姿を現し―――

「あァ、こっちは見ての通り、怪物退治の真っ最中だよ」

 結果として、ここに三人のアウトローが集結する。

「交渉なら後でいくらでも聞いてやらァ。とりあえず、テメェら全員手ェかせよ」




 /Chambers-Memory 3

 ――どうして、こんな事になってしまったのだろう。

 終わりを迎えた人間は得てして原因を知りたがる。
 剛田宗十郎もまた、そうであった。
 迫りくる最期の時を前に、男はこれまでの足跡を振り返る。

 只管に強さを求めた人生であった。
 強く、逞しくあることこそ、男の本懐であると信じていた。
 何を失っても、強さだけは彼を裏切らなかったから。

 柔術を極め、自らの道を後進に伝えるため、道場を開いた時も。
 開闢の日を迎え、これからの時代に技など意味をなさぬと笑われた時も。
 家庭を顧みず修練に明け暮れ、妻と子に愛想を尽かされた時も。
 周囲から、誰もいなくなってしまった時も。

 信じていた。
 信じていたのだ。

 己は間違っていないと。
 死病に冒されていると宣告された日を迎えるまで。

 病院の窓から見つめ続けた田舎の景色はとても退屈で、そんな日々が長く続いた。
 ゆっくりと衰えていく。
 肉も、骨も、少しずつ朽ちていく。
 ひと思いに死ねぬことは彼にとっての罰だった。

 強さが、ゆっくりと失われていく。
 絶対と信じた概念が、呆気なく裏切りを働いた事実を認めるまで、地獄のような苦しみを受け続けた。

 今更、死にたくないと嘆いた。
 誰もいない場所で、消えたくなかった。

 遠い昔、失った家庭を思い出した。
 いまや誰一人として、連絡がつかない。
 孤独なまま、老人は最期の時を迎える。

 顧みなかった他所との繋がりこそ、最期の時に欲していた。
 それがなくても生きていられるように、強くあろうとしたのに。
 誰しも死ぬ時は弱いものだということを、彼は気づくことが出来なかった。

 窓の向こうでは、カクレヤマに日が暮れる。
 心臓の鼓動が弱まっていく。
 きっと、もう朝日を拝むことは出来ないだろう。
 そのとき、病室の扉がゆっくりと開かれた。

「……剛田のおっちゃん、いる?」

 幻覚だと思った。
 最期の時に、一度だって見舞いに来なかった姪が現れるなど。

「……杏……? 杏……なのか?」
「よかったあ。おっちゃん、まだ生きてるね」

 もう何年も会っていなかった少女が。
 親戚の寄り合いのときだって、老体への嫌悪を隠そうともしなかった、あの生意気な娘が。

「私たちね、強い人が欲しいんだ」

 今になって、後悔と共に死に行く己を必要だと言ってくれる。
 そんな、都合のいいこと、起こるわけが。

 だけどもし、本当なら。

 今度こそ、ヒトとの繋がりを手放さない。
 この身に残された強さは、きっとその為に。

「一緒に行こうよ。私ね、おっちゃんと――」

 山中杏の指先が、老人の額へと、真っ直ぐに向けられている。

「今度はちゃんと、家族になりたいな」

 此処が新たな始点だった。
 運命に故など不要。
 彼にとって、その銃声は確かに福音だったから。




 00:36:45

 <ブラックペンタゴン 北西ブロック(中央) 図書室>


「痛―――!」
「我慢して……もうちょっとだから」

 ジェーンの腹部に突き刺さったナイフは抜かないままにして、即席のスキンテープラーで撃ち止血する。
 工場エリアから運んできた機材が役に立ってよかった。
 麻酔も痛み止めもなしで処置するのは可哀想だけど、流石に医療機器まで持ってないから許して欲しい。

「さっきから思ってたんだけどさ……ドローンとか、ラジコンとか、そんな機材、どこから持ってきたのよ」
「ブラックペンタゴンの中だよ。ほら、そっちの傷も見せて」
「拾ったってこと? ……なにそれ、なんで落ちてんのよ。恩赦ポイントに換算すれば何ポイント? 意味が分からない」

 それは私も疑問だったけど、いま考えることじゃない。
 苦しげな声を無視して、処置を進める。

「ほら、痛むよ。我慢して」

 ジェーンの負傷は浅くない。
 頑丈なネイティヴ世代と言っても、これ以上の無茶は命に関わるだろう。

 応急処置が済んだら、どこかで安静にしていて貰わないと。
 そんな事を考えている私の腕を、不意にジェーンが掴んだ。 

「ごめん……メリリン……私さっき……冷静じゃなかったと思う」

 ソフィアと戦った時の事を言っているのだと思う。
 確かに、あの時のジェーンはちょっとらしくなかったというか、感情的だったけど。
 その結果ミスしたとか、そういうことに責任を感じる必要はないと思う。

「なに言ってんの。
 私が気絶してる間も、頑張ってくれてたんでしょ?
 こっちこそ、ごめんね。ソフィアを押さえるのは私の役割だったのに」

 責任を感じるならお互い様だ。
 そんなふうに慮れる程度の情が、私達の間にはもうあるのだろう。

 上着を脱いでビリビリに破き、包帯の代わりに引き伸ばしてジェーンのお腹をグルグル巻きにする。
 上半身が随分と涼しくなってしまった。
 岩肌で気絶していたドミニカを拘束した時を思い出す。
 まだ一日も経っていないのに、なんだか遠い昔のことのようだ。

「ほら、もう動ける?」
「うん……これ、ちょっと汗臭いけど」
「文句言うなら返せ、こいつめ」
「冗談よ。ありがと……ローマンは?」
「まだ、戦ってるみたい」

 腕を引っ張り、ジェーンを立たせる。
 振り返ると、図書室の惨状が目に飛び込んできた。

 図書室の壁を打ち砕き、倉庫エリアまで及んだ戦闘は、どうやら未だに継続中。
 騒音と、ビリビリとした振動が壁や床を通じて伝わってくる。

「――こりゃいったい、どういう状況だ?」

 そのとき、まったく警戒してなかった方向から男の声が響いた。
 私もジェーンもビクリと反応してそれぞれ武器を構える。

「あーまてまてまて、怪しいもんじゃねえよ」

 正直、その見た目で何を言っているんだと突っ込みたい気持ちだったが、ぐっとこらえる。
 それは一言で表現するなら鉄人だった。
 全身鉄屑の集合体のような、重く異様な見た目に反し、妙に軽薄で陽気な声音の男。


 鉄くずの騎士。機械人間。首に乗っかった銃頭(ガンヘッド)。
 どうなっているんだ、あの身体。多分超力なんだろうけど、どんな原理、仕組み、構成で動いているんだろう。
 駄目だ、そわそわする。なんだろう……その、こんな状況じゃなければ、なんだけど。
 あの機械。物凄く、物凄く。

「弄りたい」
「メリリン……?」
「……はっ、ごめん、ごめん」

 何いってんだコイツ? みたいな目でジェーンがこっちを見ていた。
 いかんいかん、メカニックの血が騒いでしまったらしい。

「あんたさ、浮気したらDV彼氏が怒るわよ」
「はぁ!? だ、だれが……かっかっ……はあ!?」
「そうか、お前が"メカ―ニカ"だな」 

 銃頭(ガンヘッド)が一歩前に出る。
 警戒を強める私達に、両手を広げて敵意がないことをアピールしながら。

「ジョニー・ハイドアウト、便利屋さ。
 怪盗ヘルメスの紹介だ。なんて言えば、あんたは信頼してくれるかい?」
「……ルメス? あの子もここに来てるの?」
「いや……」

 そこで彼の声のトーンが明確に変わった。
 煤けた機械頭から、沈んだ空気が伝わってくる。

「あいつは死んだよ、少し前にな。メアリーを止めるために戦って……逝っちまった」
「……っ!」

 胸が、詰まる。
 私の作る機材を嬉しそうに触っていたルメスの姿を思い出す。
 何度も何度も、危険な場所に飛び込んでは、するりと抜け出して帰ってきた少女。

 どんな危機も切り抜けて、ひょっこりと私のラボにやってきて、無茶なガジェットを作って欲しいと頼み込んできて。
 そんな彼女がもう、この世界の何処にもいないという。
 沙姫に続いて、次々と私の数少ない友人と呼べる存在が居なくなっていく。

「ドミニカは……?」

 声を失った私と対照的に、ジェーンは震えた口調でそれを聞いた。

「ドミニカ・マリノフスキが居たでしょう?」
「魔女の鉄槌か……ああ、確かにあいつも戦場に"いた"が……」

 その声音だけで、ジェーンは全てを察したのだろう。
 握っていた指先にぎゅっと力が込められる。

「メアリーを止められたのは、あの二人の功績だ」

 ルメスとドミニカの犠牲によって、メアリー・エバンスの脅威は去ったという。
 それが、どれ程の慰めになるのだろう。

 私はジェーンと同じほど、ドミニカの死を悲しめているだろうか。
 分からない。だけど、彼女もまた、私を守ろうとしてくれた。
 恩人だと言って、庇ってくれたことを憶えてる。
 ジェーンの手を握り返す。それしか、できない。

「オレはルメスの依頼を果たす。そのために、協力してくれねえか? "メカーニカ"よ」
「依頼……?」 
「ああ、"世界の絶望を盗み出す"、怪盗の依頼さ」

 ジョニーは声はその瞬間、軽薄さとは無縁の、鉄の重みを伴う決意に変わっていた。

「加えて脱獄王の言伝もあるんだが……ま、今はゆっくり説明してる時間もねえわな」
「そうね……あんたの話は聞いてもいい。でも今は……」
「ああ、改めて、状況を教えてくれるかい?」

 そうして、私とジェーンから経緯を聞いたジョニーは、両手を上げて空を仰いだ。

「……えらく込み入った事態みてえだな。にわかにゃ信じられねえが、疑ってる暇もなさそうだ」
「ええ、軍勢型(レギオン)を飲み込む化け物なんて眉唾だろうけど」
「そこじゃねえよ」
「え?」
「まあいいや、奴さんらはあっちかい?」

 砕けた壁の向こう、倉庫エリアを指して、ジョニーは歩き出す。

「……協力してくれるの?」
「この騒ぎが終わらなきゃ、おちおち話も出来ねえんだろ?
 だったら、ま、さっさと終わらせるしかねえわな」

 そこで、銃頭(ガンヘッド)を本棚の影に向け、鋭く告げる。

「あんたも来るだろ、伊達男?」

 呼びかけから数秒。
 現れたのは金髪をオールバックにしたイタリア人だった。

「立ち聞きなんて趣味が悪いぜ?」
「気づいていたのか、便利屋」
「思ったより早い再会になったな、マルティーニの旦那。まだ敵同士じゃなくて何よりだ」

 さり気なく耳元で、ジェーンが小声で教えてくれた。
 ディビット・マルティーニ。イタリアのカモッラ、バレッジファミリーの金庫番。
 私も直接あったことはないけど、裏社会では有名人だ。



 ディビットは一瞬だけ、じっと眉間にシワを寄せながら、私とジェーンを見やり。
 ややあって、視線をジョニーに戻し、嫌気を隠しもない態度で肩を並べた。

「本来、巻き込まれるのは御免だが。生憎と俺も、"アイアンハートのリーダー"には用がある」  

 そうして、足音が遠のいていく。
 倉庫エリアの方向へと、戦場へと、二人の男は歩き出していた。

「じゃあ後でな、メカーニカ。終わるまで、じっとしとけよ」

 荒事に慣れた彼らは、気軽な態度で進んでいく。
 鉄火場へと、怪物の住処へと、死ぬかも知れない状況へと。

 後に残されたのは私とジェーンの二人だけ。
 握っていた手を、隣に立つ少女が軽く引っ張った。

「これから、どうするの?」

 ローマンは言った。
 死にたくないなら決して前に出るな、と。

 便利屋も、身を潜めることを薦めていた。
 私自身すら、それが正解だと思う。

 手負いのジェーンと私がこの先に行ったところで、きっと何も出来ない。
 何も出来ないだけならまだいい。
 エントランスの戦闘みたいに、ローマンの足を引っ張ってしまうことだってあり得る。

 行くべきじゃない。
 じっとしているべきだ。
 分かっている。分かっているのに、何がこんなにも、心に引っかかっているんだろう。

 そう、なにか引っかかっている。
 なにか、なにかが、おかしい気がするのだ。
 その実態は分からない。形容しがたい違和感のようなもの。

「行きたいんでしょ?」
「ジェーン……」
「そういう顔してるよ」

 エントランスの戦いの時もジェーンは気にしてくれてた。

「親友と、もう一度、話したかったんじゃないの?」

 彼女が指摘した感情を、否定することはできない。
 だけどそれはきっと、私のわがままだ。

「じゃあ仇が死ぬところを、ちゃんと見届けたい?」

 可能な限りはそうしたい。
 だけど、そのために戦場に出ていって、ローマンの足を引っ張ったら本末転倒じゃないか。

「ネイ・ローマンが心配?」

 それは絶対にないけど。

「じゃあどうして、そんな顔してるのよ?」

 分からない。
 何が、こんなにも引っかかっているんだろう。


 見えているはずの陥穽が気になってしょうがないような。
 なにか、大きな見落としがあるような。
 言語化出来ない苛立ちに、頭を掻きながら俯く。

 視界が下がり、ジェーンの膝が目に入った。
 応急処置こそ終わったけど、私の上着で作った包帯に血が滲んで痛々しい。

 当たり前だ。
 空気銃とは言え、近距離でマグナムの威力で撃たれ―――

「―――あ」

 そうか。
 やっと分かった。違和感の正体。

「あいつ、力が増してるんだ」

 エントランスで見せた軍勢型(レギオン)の指鉄砲。
 あの時、サリヤの超力は、小口径の弱装弾程度にまで減じていた筈だ。
 それが先程、銀鈴を名乗る少女が使った際は、オリジナルに迫る威力を発揮したのだ。

「どういうこと?」

 いったい、この意味をどう捉えるべきだろう。
 言うまでもなく、浮かび上がるのは最悪の事態だった。

 もしも奴がなんらかの方法で喰らった超力を強めているとしたら。
 近い未来で、奴が無効化能力を、再生能力を、オリジナルと同じ制度で使えるようになるとしたら――?
 もはや手のつけられない怪物が誕生してしまう。

「まずい」

 そして、この事実を、ローマンは認識していない。

「せめて伝えなきゃ」

 焦りに任せて駆け出そうとした私の手を、ジェーンは離そうとしなかった。

「ジェーンはここに……」
「私も行く」
「でも……」
「便利屋じゃないけどさ。私もさ、ここで依頼を受けたんだよ」
「…………それって」
「契約……したでしょ、メリリン。私もちゃんと付き合うよ、あんたの依頼に」

 繋いだ手は強く、強く握られていて。
 彼女の決意と矜持を伝えていた。

 私は、どうしても振りほどくことが出来なくて。
 だからそう、どうか、この時の選択が、間違っていないことを祈った。




 /Chambers-Memory 2


 ――どうして、こんな事になってしまったのだろう。

 理不尽に直面した人間は得てして原因を知りたがる。
 山中杏もまた、そうであった。
 喉奥から溢れる血に溺れながら、少女はこれまでの足跡を振り返る。

 生まれたときから人に愛されることが得意だった。
 小学生の頃は順風満帆で、クラスの誰よりも可愛く、美しいという自負があった。
 クラス中の男子も、先生も、同性ですら、誰もが杏を一番かわいいと言ってくれた。
 杏の世界では、常に杏が一番目だった。

 中学生の頃だって、途中までは上手く行っていたのだ。
 2年のクラスに上がるまでは。
 小学校以来、久々に同じクラスになった鑑日月が、恐ろしいまでの美貌を備えて現れるまでは。

 あれが転落の始まりだった。
 二番目にかわいい。二番目に美しい。二番目、二番目。
 その評価に我慢がならない。
 小学生の頃は「杏ちゃん、杏ちゃん」と慕ってくれた日月の瞳を、まともに見ることが出来なかった。

 人に言えば笑われると分かっていても。
 くだらない理由だと分かっていても。
 杏の自己愛はそれを許容できない。

 だから杏は逃げたのだ。
 中学を不登校になり、やがて転校を選んだ。

 そういった経緯から、新天地ではタガが外れたのだろう。
 口づけた相手の精神を操作する力を存分に使い、クラスメイトの重要人物を片っ端から支配下に置いた。
 誰も自分を知る者のいない場所で、杏は女王蜂になることが出来た。

 春を謳歌する彼女は、想定していなかったのだ。
 まさか、前の中学のクラスメイトが、彼女の過去を知る者が、偶然にも彼女を追うように転校してくるなんて。

「本条……なん……で?」

 夕暮れの放課後。
 腹の傷と、口から吐き出した血反吐の赤が、教室の床にぶち撒けられる。

「杏ちゃん……」

 薄れていく意識の中で杏は思った。気持ちが悪い。
 恨まれて殺されるなら分かる。少女はそれだけのことを目の前の少年にしてきた。

 不登校の挙げ句、転校したという杏の過去。
 それを知るというだけの理由で、支配したクラスメイトをけしかけて苛め抜いてきた。
 だが、目の前の怪物は、心からの親愛を込めて言う。

「杏ちゃん、一緒に行こう」

 本条清彦は笑っている。

「なんでよ……なんで、あんた、そんな顔してるのよ」
「だって、杏ちゃんは他の人とは違ったから。僕に、構ってくれたから」
「なによそれ……意味わかんない……おかしいんじゃないの?」

 杏に指先を突きつけて、怪物は笑っている。

「さあ、ぼ、僕と、か、家族になろう」

 何もわからないまま終わりを迎える。
 運命は唐突であり、理不尽なモノで。
 少女は最期まで、彼が笑っている理由が理解できなかった。




 00:25:11

 <ブラックペンタゴン 中央・中庭エリア>


 倉庫の壁を突き破り、中庭へと飛び出した黒い残影。
 空中で駒のように回転する銀の獣は、周囲に赤い血飛沫を撒き散らしながら芝生の植えに落下する。
 着地する頃には既に、ローマンによって吹き飛ばされた腕も足も、再生を完了している。

 しかし、それを待ち受けるように、この狩り場では既に2つの超力が発動していた。
 紫の毒花が中庭の芝生に根を張り、鉄の髪がブラックペンタゴンの内壁を覆っていく。
 エルビスとエネリットが瞬時に作り出した地と壁の包囲網を、銀鈴は華麗な身のこなしであっさりと脱し、勢力圏外へと逃れ出る。

「―――『抜き風』」

 だが更に2つ、走り込む気配があった。
 一直線に駆けつけた剣豪が刀を抜刀し、すれ違い際に銀鈴の両足を切断する。
 奇襲に対しても、怪物は恐るべき対応力で転倒することなく、両足から蛇腹の骨肉を吹き出し、旋回させて反撃。
 そこに合わせるように、別方向から飛来した血液の爆弾が炸裂し、肉の鞭を迎撃する。

 爆風によって、反対方向に吹き飛ぶ銀の少女を待ち受けるのは、倉庫の壁から姿を現した男たち。
 怪物の追撃を試みていた、3人のアウトローだった。

 銀鈴の瞳が彼らを捉え、肉の枝を振り回す。
 ディビットの『4倍賭け(クワトロ・ラドッピォ・ポンターレ)』を帯びた蹴撃が一閃し、飛来した骨肉の斬撃を打ち払う。
 隣りにいたジョニーの頭部砲身からは炎が吐き出され、空中の銀鈴を撃ち落とす。
 そして今、極めつけに―――

「ここに来て運がねえなクソ野郎。年貢の収めどきだぜ」

 前進したネイ・ローマンの拳が、遂に少女の腹部を捉えていた。

「―――あらネイ」
「じゃあな、消し飛べや」

 爆裂する衝撃波。
 肉体内部へと流し込まれた破壊衝動が、少女の臓腑を撹拌する。

「―――まぁ!」

 宙を跳ね舞う肉体が、中庭の中心部に転がっていく。

「―――まぁ、まぁ、まぁ!」

 遂に獣の躍動を止めた怪物はそれでも尚、生命活動を継続していた。
 あまつさせ、感嘆の息を漏らし、嬉しそうに話している。

「こんなに沢山の歓迎……凄いわ。今日はパーティーね」

 ローマンは芝生を踏みしめ、中庭の領域に侵入する。

「口の減らねえ奴だな」

 予想外の事態ではあったが、今やるべきことだけは明確だった。
 彼らが雪崩込んだ中庭エリア。そこには多数の刑務者がいたのである。

 ブラックペンタゴン1階、南東連絡通路で戦闘を行っていた者たち。
 エルビス・エルブランデス、エネリット・サンス・ハルトナ、ギャル・ギュネス・ギョローレン、征十郎・H・クラーク。
 彼ら4人も、ギャルの爆撃によって通路に開いた穴から、ローマンたちとほぼ同時刻にこの中庭に到達していた。

 何れも一定上の場数を踏んだ強者達であることが、ローマンに利したのだ。
 エルビスとエネリットはディビットの送ったサインによって。
 ギャルと征十郎は持ち前の戦闘勘によって。
 この場で最も危険な存在が何であるか、誰を真っ先に狙うべきであるかを、瞬時に理解していたのだ。
 加えて、追撃に駆けつけたローマン、ディビット、ジョニーの三人。
 結果として、総勢7名ものハンターが居合わせた狩り場に、銀の獣は入り込んでしまったのだ。

 腹部に巨大な風穴を開けた銀鈴は未だにビクビクと動き続けていたが、その生命が空前の灯火であることは明らかだった。
 不完全な再生能力の限界を、充分に上回る一撃が入っていた。
 即死こそ免れ、なけなしの回復力によって延命こそ為しているが、所詮は悪あがき。
 これほどの人数に囲まれ、逃げ出すことすら出来ないだろう。
 誰がどう見ても詰み。怪物狩りは終わりだ。

 ローマンは既に怪物が死んだ後の事を考えている。
 今は誰しも現れた銀鈴への対処を優先したが、状況が変わればどうなるか。

 この後に控えた、エネリット、ディビット、エルビスとの交渉。
 未だ明かされていないジョニーの目的。
 いや、その前にギャルと剣豪への対処が必要か。

 そんな事を考えながらも、視線は倒れ伏した銀鈴を捉え続けている。
 ゆっくりと慎重に中庭の芝生の上を歩き、瀕死の獣との距離を縮めていく。
 確実に殺し切るために。



 あれほどの怪物だ。
 完全に死んだと分かるまで油断はしない。
 そう、彼は決して、油断などしてはいなかったのだ。

「ローマン!」

 だから、つまり、それは事故に等しかった。

「……おい、メリリン。出てくんなって言ったろうが」

 背後から聞こえた女性の声に振り返る。
 案の定、メリリンとジェーンが、背後の倉庫フロアから現れたところで。

「あ……あれ……っ!」
「ああ?」

 青ざめた様子の二人に違和感を憶え、視線を前方に戻すと、遂に銀鈴が動きを止めたタイミングだった。
 中庭エリアの中央部。
 巨大な黒き円形モニュメントの手前で。

 そして同時刻、その更に向こう。
 ローマンから見て中庭の反対側、連絡通路の亀裂から、新たに男女二人組が姿を現した。

「おい……嘘だろう……なんでこんなものがある」

 そして、その男女の片割れ。
 探偵服を来た白髪の少女――エンダ・Y・カクレヤマが目を見開き、驚愕に震える声を発して。

「馬鹿な……いったい何を考えているんだ……ヴァイスマン」

 中央に座するモニュメントを指差し、

「駄目だ……おい、何やってる、やめろ……!」

 凄まじい形相で絶叫した。

「そいつに――触れさせるなッ!!!!」 

 しかし既に、全ては遅きに失していた。
 誰も気づくことが出来なかった。
 この土壇場で、気配希薄化の超力が、最低最悪のタイミングで作用していた。

 ぽたり、と。
 血の滴る音がこの場の全員の耳に、やけに鮮烈に響く。

 ローマンは見た。
 静かに伸ばされた銀鈴の指先が、モニュメントの表面に触れている情景を。
 そうして――


「テメエ、何を―――!」



 突如、流れ出した無機質な機械音声が、この場の全員に対し、絶望的な事実を伝えた。




『―――権限<コード>認証。



 ―――異世界構築機構<システムB> 子機端末への接続<アクセス>を確認いたしました。



 ―――これより対象の入力<オーダー>に従い。"周囲環境の上書き<アップロード>"を実行します』





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最終更新:2025年08月24日 01:21