『――Oh, please don't you rock my boat,(なあ、ボートを揺らさないでくれないか)』
『――Cause I don't want my boat to be rocking.(このくらいの乗り心地が好きなんだ)』
ボロいレコードから流れるザラザラとした旋律が、酔っ払って効きの悪くなった鼓膜に染み渡る。
いつの事だったかも、私にはもう思い出せない。
そのくらいの、なんてことない日常の一つで。でも、確かにあった夜のことだ。
あの子といた。
確かな記憶の一つだった。
『――And you should know you should know by now.(君も分かってくれるはずさ)』
『――I like it, I like it like this I like it like this, ooh yeah.(俺にはこれが良いんだ。これが良いんだ)』
くるくると、二つの光が回っている。
私の自宅、小汚いモーテルの一室で、酒とつまみの残骸で埋め尽くされたテーブルの上、空き缶や瓶の間を縫うように、二つの多面体が回転している。
琥珀色の鉱石。いや、これはひょっとして金属の一種なのだろうか。
だとしたら、私が見たことのない希少金属(レアメタル)ということになる。
アルコール漬けで淀んだ頭の片隅に、技術者としての興味がふっと灯り、ついつい覗き込んでしまった。
メタルだとしたらこの色は汚泥の底に浸かっていたのかも知れないけれど、私はあんまり気にならない。
どうしても興味のほうが勝ってしまうし、こういうのが意外と、
「綺麗にみえるんだよね」
「そうね……」
小さな返事に顔を上げると。
テーブルの対面には、それを机に放り投げた張本人が座っていた。
サリヤは半ば机に突っ伏したまま、とろんとした上目遣いで私を見ている。
夕方から宅飲みを開始して、すでに夜更け、お互い完全に出来上がっている。
もう寝てしまったのかと思ったけど、どうやらまだ意識があったらしい。
「……メリリン、それが何か知ってる?」
「初めて見るけど、金属だよね?」
「そ、レアメタル。カクレヤマの特産品よ」
彼女は傍にあったワインボトルを引き寄せ、自分のグラスに注いでいく。
いつも通り、彼女は自分のボトルからしか酒を飲まない。
自分のボトルの中身を、他人のグラスに注ぐこともない。
彼女は出会ったときから、物を人と分け合うことを極端に忌避する癖があった。
決して潔癖というわけでもないのに、何故かその部分だけは強い拘りのようで、理由を聞いてもいつもはぐらかされてしまう。
いつかサリヤは言っていた。「人と分け合うのは音楽だけにしましょう」、と。
だから私は、サリヤが家に来る時は、彼女の好きな曲をかけるようにしている。
彼女の好むボブ・マーリーの歌が、この夜も、私の狭い部屋に流れている。
『――Satisfy my soul, satisfy my soul.(魂が満たされるんだ。魂が満たされるんだ)』
『――Every little action, there's a reaction.(どんなことにも意味があるのさ)』
珍しく、相当酔っているのだろう。
サリヤは机にもたれかかったまま、メタルの一つをつまみ上げ、普段は言わないようなことを口にした。
「カクレヤマの地質はヤマオリと縁深い。
本来、閉鎖されたヤマオリに侵入しないと手に入らないようなオーパーツが、かの土地には埋まってる」
科学者としての顔。
仕事中に最低限披露するその表情で、彼女は琥珀色の石を見つめている。
「その一つがこれよ」
「用途は?」
「ふふ、聞きたい?」
「うん」
「失笑ものよ」
レアメタルになぜ需要があるのか。
有名どころで言うと半導体の素材になることだけど。
金属は一様に電気を通す。中でも希少金属は電気を通す通さないの条件が様々で。
その条件の組み合わせこそ、精密機械を設計するうえで重要になる。
では、カクレヤマのドブ底から拾ってきたという、曰く付きの金属の用途とは。
「こいつはね、電力じゃなくて、超力を通すのよ」
きょとんとしている私に、サリヤは心底可笑しそうに笑ってみせた。
「超力研究の現場では一昔前に話題になっていたわ。
ほら、聞いたことない? 超力ヒモ理論とか、魂の所在だとか」
超力とは大きな塊からヒモのようなもので個人個人に繋がっていて。
開闢以降、人にはヒモを通じて力を受容する器官が備わった。
それは従来では魂と呼ばれている概念に酷似していたと。
科学は専門外で、いまいちついていけてないけど、要約するとこういう話だっけ。
「この金属の最も注目すべき特性はね。
少量の超力は素通しする一方で、一定の閾値に達した超力は内に留めてしまうこと」
超力を貯める。保管する。
エネルギーの動きを制御するという意味では、通常の希少金属と用途は近しいのかもしれない。
しかしその意味合いに、先程の理論を加えてしまうと、話が変わってくる。
「そうよ、一説によると超力≒魂。だとすれば、途端にオカルトチックな趣になるわ。
現にカクレヤマの土地では、これが墓石に使われている。
毎年、幽霊の目撃情報が多いことや、時を渡ると呼ばれる土地神と、果たして無関係なのかしら?」
強い超力には、強い意志が宿る、なんて話もある。
これが吸収した超力が単なるエネルギーではなく、自立した意思を発揮したとき。
本当の意味で、それこそ魂の実在証明になるのだろうか。
「なんて触れ込みだから、知り合いのつてで二つほど貰ってきたけど。
全然駄目ね。色々試してみたけど、超力吸うってもほんのちょっぴりだし。
吸っても全然内側に留まらない。このままじゃほとんどただの金属よ」
「じゃあ、私に預けてみる?」
「いいけど、加工するつもり?」
技術者としての興味に火がつくのを感じた。
魂云々の証明については、正直よくわからないけど。
素材のままでは役に立たない金属も、加工によって見違える可能性がある。
手近な酒をひっつかんで一気にあおる。
心地よい酩酊感が知能を活性化させていく。
たとえば音や衝撃、電気信号と組み合わせてみてはどうか。
試せることは山ほどある。
どれほどサリヤの言っていた理論に近づけるか分からないけど。
超力の残火を吸い込んで、熱を留める程度の機能を目標に、取り組んでみても面白そうだ。
「でもさぁ……」
少し頭を使いすぎたのか、またアルコールが回って視界がぐるぐるしてきた。
私は机に突っ伏しながら、ふと思ったことを適当に話す。
「魂の実在かあ。なんだかオカルトっていうか、浪漫な話だね。
死んだ人にまた会えるかもしれない。そういうことでしょ?」
「………」
顔を横に向け、手に持った琥珀色の金属を、ぼんやりとした電灯に翳してみる。
ゆらゆらと、オレンジ色の電灯が揺れている。
暫く待っても返事はなかった。
「サリヤ……?」
「そうかしら?」
私と入れ替わりに酔いが冷めたのだろうか。
サリヤの声は硬く、ともすればどこか凍てついているようにも聞こえた。
「魂が見えるなんて、きっとそんな良いもんじゃないわ」
それは誰に、向けられた言葉だったのだろう。
「死んでも後があるなんて、おぞましい話」
輪廻の先、天国の所在、魂の形。
そんなもの、人は知るべきでないという。
「死んでも"次"があるなんて、殺しても"また"があるなんて、失っても"失えない"なんて、冒涜よ」
生命の冒涜者。
死の価値を、生の価値を、毀損する。
間違いから産まれたもの。
今なら分かる。あれは、彼女自身を言っていた。
彼女が一番壊したかったシステムは、きっと自分自身だった。
「私は全部を忘れたかった。忘れるために走り続けた」
彼女は何を忘れたかったのだろう。
人生を狂わせた人達か。
彼女の嫌いな人達か。
あるいは、もう届かない、自分自身の幸福だったのか。
「でもね、そんなこと、生きてる限り許されない」
ならばどうすれば許される。
生まれ持った原罪を、どうすれば贖える。
苦しみから解放されるのはいつ、誰によって。
「全てを失えるのはね、死者だけの特権なのよ」
死人に口なし、耳なし、心なし。
だけどそれでいい。死は永遠の喪失だ。
他ならぬ当人にとって、それが正しいのだとサリヤは言った。
だって、それすら取り上げられたら。
終わりすらも奪われたなら。
罪も、罰も、贖いすらも、嘘になる。
殺して何も背負わない。死んで何も落とさない。
終わりなき死と生を繰り返す、煉獄のような世界(システム)。
「そんなの、人の生きる世界じゃないわ」
そんな場所からやってきたモノ。
死の先を観測し、死の価値を見失った亡者。
魂を拾い上げ、生の価値を毀損する存在。
「そんなモノはね、産まれてきたことが間違いなのよ」
彼女は死んで終わらせることすら、出来なかった。
死んでも終わらせてもらえないことを知っていたから。
だから彼女は、世界の仕組み(システム)を壊そうとしていた。
今の私なら、なんと返していただろう。
あの頃の私は、何も知らない馬鹿な私は、ただ少し悲しくなって。
「ごめん、なんか気に障ったかな……?」
「ううん、私こそ、意味わかんないこと言っちゃった。
なんか酔い過ぎちゃったわ……。もう、帰るね」
席を立ち、玄関の方へ去っていく彼女に、なにか言わなきゃって、思って。
「でもさ……私は……居なくなった人に、また会いたいって気持ちまで、否定したくはない……かな」
そんな空気読めないこと、言ったんだっけ。
「…………」
「私はさ、サリヤと会えて嬉しかったんだ。だから、居なくなったらかなしいよ……」
だってきっと、私は愚かにも望んでしまうだろうから。
目の前の彼女が、居なくなってしまったら。
それでも、いつか、また会いたいって。
『――Oh, can't you see what you've done for me, oh, yeah.(君にどれだけ救われたか分かるかい?)』
「ねえ、サリヤは私が死んだら、もう私に会いたくない?」
沈黙する彼女の息遣いと、レコードの音だけが聞こえていた。
『――When we bend a new corner(君と共に行く道を選べたら)』
『――I feel like a sweepstake winner(全てを手に入れたような気分さ)』
『――When I meet you around the corner(君とまた曲がり角で出会えたら)』
『――You make me feel like a sweepstake winner(全てを手に入れた気分になれるのさ)』
サリヤは数度、肩を震わせて。
「……ずるいなあ」
振り向いたその表情はいつも通りの笑顔だった。
だけど、酩酊に霞む視界のなかで、それは何故か、泣いているようにも見えた。
サリヤはゆっくりと、片手のひらを指鉄砲の形に曲げて。
私に、突きつける。
彼女がそうする意味を、私は知っていた筈なのに。
どうしてか、ちっとも怖いと思えなくて。
「―――ばん」
現実の弾丸は果たして放たれなかった。
彼女の声と、見えない何かが、私の心臓を撃ち抜いて。
きゅっと、サリヤは指を折りたたんで、拳を握った。
「……意気地なしね」
もう一度思う。
それは、誰に向けた言葉だったのだろう。
「メリリン、憶えておいて……」
酩酊する頭が限界を迎え、あの日の私のまぶたを落とす。
霞みゆく意識と、ぼやけた視界の中で。
去ってゆく彼女の足音と、声と。
「ナガン・リボルバーの装弾数は計7発。銀の弾丸は、最後までとっておくものよ」
レコードの音だけが、あの日の私に、残された全部だった。
『――Satisfy my soul, that's all I want you to do.(魂が満たされるんだ 君がいるだけでいいんだ)」
『――That's all I'll take from you, satisfy my soul.(君がそばにいるだけで 魂が満たされるんだ)」
『――Satisfy my soul, that's all I want you to do.(魂が満たされるんだ 君がいるだけでいいんだ)」
『――That's all I'll take from you, satisfy my soul.(君のそばにいるだけで 魂が満たされるんだ)」
◇
「メカ―ニカ、おい、まだ寝るな。メカ―ニカ」
男の声と、揺れる金属の振動によって、私の意識は覚醒した。
どうやら半分くらい意識を失っていたらしい。
ええと私はたしか、灯台から出て……それから。
ああもう、記憶が混濁している。
拳を丸めて、こめかみをグリグリと捏ね、意識をはっきりさせる。
そうだ、私は、私たちは、氷月――ジョーカーを撃退して、ようやく合流できたんだ。
私とトビは重傷だったけど、ジョニーが持ってきてくれた救急キットで、なんとか応急処置が間に合った。
そして、駆けつけてくれたジョニーはというと。
「寝られても困るが、とはいえ無理されても困る。
あんたとトビは手負いなんだ。傷口が開かないよう、運動するときは気を付けろよ」
「うん、ありがと」
なんというか非常に愉快なことになっていた。
首無しの胴体は私を背負い、歩き続けている。
一方、頭の部分は別でトビが抱えている。
一体どういう超力の進化を成し遂げたのか。
彼はもう人の形を留めなくても存在できるらしい。
もちろん、いままで通り鉄分がないと生きられないので、そこは私の超力で補給を行った。
結果、三人ともなんとか無事な状態で、あの場を出立できた。
最後に残されたトビの首輪も私の手で解除し、いよいよ全員でエリアA-1、禁止エリアに侵入する。
南側に向かったメンバーの顛末は、トビとジョニーから聞いた。
只野仁成とヤミナ・ハイド、その死。
6時間前、脱獄を目論見、走り出した悪童たちは、もうこの三人しか残っていない。
それでも、最後まで意地を通し反抗する。
私たちにそれが出来るかどうか。
この先に、全部かかっている。
遂に、灯台の入口が見えてきた。
そのタイミングで突然、私たちの目前に文字が投射される。
『ジカンのようです』
AG-1、トビが言うには刑務官側の協力者。
私たちに味方してくれた機械の意志が、ここに刻限を告げていた。
『ワタシのショキカがジッコウされます。アトはテハズドオりに』
「ありがとな。AG」
『ええ、ジョニーさんも、おゲンキで』
ブツンと、呆気なく。
投射文字が途絶え、空中の黒点が地に落ちる。
その間際。
『アビスのメが、トじます。どうかミナサマ、ごケント―――……』
会場の監視がいま、途絶えた。
アビスの眼も、ヴァイスマンのタグもない。
正真正銘、誰も私たちを見ていない。まさに刑務の死角に入ったのだ。
残り時間は30分程度。
もう一度仲間と灯台を登り、見つけた『引っ掛かり』を調べる。
ギリギリだけど、時間は残っている。
そう、思っていた。この時までは。
「……………………」
凄まじい轟音が響き渡る。
土煙が草原の奥から吐き出され、私たちを飲み込む。
何が起こったのか、分からなかったわけじゃない。
私たちは灯台の足元まで来ていた。
だから見れば分かる。
灯台が、崩れた。
横合いから直撃したRPGの一射によって。がらがらと、呆気なく。
強烈な衝撃によって中程からへし折れ、崖から飛び出した部分は海へと落下していく。
「…………は?」
誰ともなく、呆けた声を上げた。
それしか出来なかった。
私の見つけた引っ掛かり、結び目は、灯台の最上部の灯室にあったのだ。
灯台が崩れてしまったいま、これで調べることは出来なくなった。
なんとも呆気ない、詰み。
そしていま、これを成した下手人もまた、当然目の前にいる。
崩落した灯台の跡地。
上半身の刑務服を脱ぎ去って、半裸状態になった男が、瓦礫の山の麓に立っている。
「やあ、君たち」
観測者の目は閉じた。
これより始まる戦いは、刑務に記録されることはない。
「遅かったね」
ここは深淵(アビス)。
ドブ底の蠱毒。
積み重なる残骸の上、世界最後の悪として、氷月蓮が立っていた。
◇
天候が急激に変わっていく。
暗雲が立ち込め、雷鳴が近づいてくる。
『―――権限<コード>認証。
―――<システムC> 子機端末への接続<アクセス>を確認いたしました。
―――これより対象の入力<オーダー>に従い。"超力の読込<インストール>"を実行します』
「君たちは、私にプライドを捨てさせてくれたね」
気温は急激に下がっていき、吹き出した風は湿り気を帯びていた。
『―――追加権限<コード>認証。
―――全ての接続<アクセス>制限を解除。
―――これより、"深淵の管理者〈アビス・オーダー〉"試走〈トライアル〉を実行します』
「心から感謝を。
いまほど人間的な理由で人を殺すことはない。
私は――僕はいま――ただ"できる"から殺すのではない」
―――実行、『嵐を呼ぶ男(ワイルドハント)』。
―――実行、『楽園の切符(パラディーソ・ビリエット)』
「君たちを、"殺したい"から殺すんだ。どんな手を使っても。
そう思わせてくれたことに、感謝しているんだ」
エリアA-1灯台跡地。
ここに集った刑務作業者はたった4名。
ジョニー・ハイドアウト。
トビ・トンプソン。
メリリン・"メカーニカ"・ミリアン。
そして氷月蓮。
彼らを取り囲むように巨大な旋風(ストーム)が展開されていた。
それは絶対に逃さないという意志の現れ。
再び立ちふさがるジョーカーの姿に。
なぜ生きている、とは誰も聞かなかった。
理由は明らかだったからだ。
この場の全員が、すでにその機能を目にしている。
ジョーカーのデジタルウォッチにインストールされていたシステムCの子機。
ブラックペンタゴンという親機、そしてヤミナ・ハイドが使用した次世代のシステム。
超力の支配に至る、ABC計画の第三段階。
いま、満身創痍であったはずの氷月の上半身から吹き出る紫煙は、ルクレツィア・ファルネーゼが使用した再生能力によるものであろう。
吹き荒れる嵐の超力は、ドン・エルグランドの使用していた領域超力。
しかし、であれば説明の付かない点がある。
ブラックペンタゴン外部で死亡した者の超力使用が許されている。
そして更には、それらを並列して使用している。
つまり、氷月はヤミナに許されていた物とは比較にならない権限をもって、システムCを使役しているのだ。
全ての制限が取り払われたシステムC。
フルスペックをもってすれば、当然、このような運用も可能となる。
―――実行、『四人の騎士(キャトル・シュヴァリエ)』
―――実行、『共に歩むは我が眷族か(ナチュラル・ウォリアーズ)』
―――実行、『銃手(アル・ミドファイ)』
―――実行、『殲滅せよ、我々は正しい(プロパガンダ・ジュスティス)』
眷属召喚型の超力によって呼び出された四人の騎士と、五体の虫兵。
それらを作成した銃器によって武装させ。
仕上げに全員の身体能力を底上げする。
圧倒的な物量。
そして、真の恐ろしさは、それら全てに、氷月自身の超力。
『殺人の資格(マーダー・ライセンス)』が付随するということである。
彼もまた、システムCを完成させるパーツの一つであった。
その力を組み合わせれば、この世に存在する全ての超力について、軍事転用する為の最適解が得られる故に。
「おーおー、やっこさんら。どうしても俺達をぶっ殺したいみてえだな」
展開された軍勢(レギオン)を睥睨して、ジョニーが軽口を叩く。
ここまで絶望的な戦力比を示されれば、恐怖を通り越して呆れてしまったのか。
トビも、メリリンも、気づけば笑みを浮かべ応じていた。
「逆に言えば相当ケツに火ィついてるってことだぜ。
例の結び目だっけか? 大大大当たりだな。オレ様をそこに行かせたくなくて必死ってわけだ」
「おめでたいやつら。そこに繋がる道も、たったいま崩されたってのに?」
「オレ様はいつでもおめでたいぜ。
どうせ死んだら全ての苦しみから解放される。
だったら、生きてる内に不自由を味わい尽くさなきゃ損ってもんだろ」
「おら、無駄話はそこそこに、だ。来るぜ」
ジョニーは一歩前に出る。
トビから受け取った銃頭を首の上に戻し、人型を取り戻す。
大群の前に、一人の鉄人が進み出る。
トビとメリリンが無傷だったとしても、前線を張れるのは彼だけだ。
メリリンが所持していた大量のスクラップによって、出力を取り戻したものの。
とはいえこの戦力差、拮抗どころか、持久戦すら演じられまい。
「なあ、メカ―ニカ、手はあるかい?」
便利屋は隣に立つメカニックへ問いかける。
本気で勝てるなんて思っていない。
ならば、せめて華々しく。最大限綺羅びやかに。
もはや誰も見ていない、深淵の蠱毒、ドブ底の戦いだろうと。
悪党らしく散るならば。どんな方法があるだろうか、と。
「そうね……」
ネタを振られたメリリンはふと考える。
全ての状況を俯瞰して。出来ることはあるだろうか、と。
第二段階に至った超力を駆使して、改めて結び目と敵のシステムCを解析し。
それでも、やはり、足りないと思う。重要な素材が足りない。
せっかく、一つだけ、思いついたのだけど。
ただの鉄なら沢山あるのだけど。やはりそうそう出来た話はない。
返す返すも、あげてしまったことが悔やまれた。
右耳から、流れ星の意匠をもつ金属体を外し、じっと見つめる。
半分だけなら、ここにあるのに。
彼女は、ずっと捨てずに持っていてくれたのに。
いつか、忘れたかったと、彼女は言った。
メリリンも同じだった。失ったものを忘れたくて、だから捨てて。
結局、忘れられないならば、大切にすればよかったのに。
流れ星のアクセサリー。
その内側に仕込まれた、希少金属。
「これが、もう一つ、あれば……」
「これかい?」
「―――え?」
かけられた声に振り向けば、突き出されたジョニーの鉄腕が、ボロボロの金属をぶら下げていた。
「ヤミナの奴が抱えてた。最近どっかで見たことある形な気がしたんだが、やっぱりな」
それは飾りの部分が破損していて、汚れていてた。
だけど確かに、あの日作ったもう片方の耳飾り。
いつか、兎の獣人にあげてしまったはずの、希少金属だった。
すうっと。
メリリンは息を吸い込む。
「……ジョニー、トビ」
空気が変わったことを察したのだろう。
他の二人からも、諦めの気配が消えていく。
「もう少し、頑張れる?」
「――はっ」
「――おいおい」
なにか、悪巧みがあるならば。
「女がンなこと言ってくれたらなあ?」
悪童たちが、それに乗らないはずがない。
「"応(Yeah!)"、以外。なんか返事があんのかよ?」
◇
『―――実行、鼓動を打て、機械仕掛けの魂(コラソン・デ・イェロ)』
『―――実行、鉄の騎士(アイアン・デューク)』
それは二つの無機物干渉能力による合作にして、形成能力の極地である。
『―――機構<システム>構築、開始』
氷月は確信する。
狙われるのも当然だ。
GPAがアビスが、欲しがるのも当然だ。
在っていいはずがない。許されていいはずがない。生きてていいはずがないのだ。
これはシステムに対する干渉ではない。ハッキングや改変の類に収まらない。
氷月自身の語った、システムを完成させるためのアップデートですらない。
メリリン・"メカーニカ"・ミリアンの超力、その第二段階。
鼓動を打て、機械仕掛けの魂(コラソン・デ・イェロ)の真なる価値とは。
『―――ツイン・エンダニウム。接続。内臓超力の情報解析。
―――エンダニウムL及びRから、計4名の活性魂を観測しました』
流れ星のアクセサリー(L)、流れ星のアクセサリー(R)。
合わせた希少金属と、超力を通す鉄材そのものであるジョニーの身体。
それらを鎹に、大量の鉄材を収束させ、ここに"新たなシステムを構築する"。
魂を支配(コントロール)し利用するシステムC。
それに対抗する、対のシステムC―――否だ。
「へい便利屋(ランナー)、準備はいい?」
「号令しな、技術屋(メカ―ニカ)」
幾つもの手にわたった魂の旅。
これはその、終着点。
『起動せよ―――システムJ(Journey)!!』
CからD E F G H I、全て飛ばしてJにジャンプ。
新たなシステムを内蔵した機械仕掛けの超力生命体がいま、嵐の中心に顕現する。
ジョニー・ハイドアウト。モード:jailbreak。
全身を染める白銀はツギハギでありながら、絶妙な噛み合いによって流線を描いている。
背中から十字を描くように4本のブレードの柄が飛び出し、銃頭(ガンヘッド)は更なる大口径に変貌。
新生した鉄人がいま、殺到するレギオンを迎え撃つ。
『呼応(コール):ジャンヌ・ストラスブール』
襲い来る十一体もの騎士と虫兵を前に、ジョニーが背中から抜き放ったブレード。
それ自体はメリリンが即席で構成した、鉄屑の寄せ集めでしかない剣に、炎の螺旋が絡みついていく。
だが、単なる小ぶりの炎剣では終わらない。
フレゼアの超力と合わさり、更には第二段階への覚醒を果たした稀代の超力。
聖女の死後。
流れ星の中で眠りについていた力は、悪童の抵抗に熱を返してくれた。
―――『此れなるは 神の慈愛に灼かれし 穢れなき紅焔(セラフィム)』。
曇天を貫く火炎の大波濤。
振り下ろし、薙ぎ払われた浄化の光は、召喚兵の軍勢を一撃で葬り去っていく。
「……凄いな」
その光景を瓦礫の上で見下ろす氷月は素直に感心していた。
圧倒手な手数は、圧倒的な単一火力によって覆される。
物量では完全に勝る氷月(アビス・オーダー)を前に、悪童に味方する超力(たましい)はたった4つ。
死の間際、偶然にも流れ星の傍にあり、かつ活性化している者のみ。
だが、その質はジャンヌ・ストラスブール一人とってしても、一騎当千の火力を齎していた。
氷月にとって魂に貴賤はないが、それでも刑務終盤まで生き抜き、超力を進化させた者達の火力は凄まじい。
力を小出しにしても、削られるのはこちらの方。
これは消化試合などではない。
歴とした決戦に、相応しい相対であると認め。
彼は身体強化能力を並列使用しながら、迷わず足を踏み出した。
―――実行、『紅狼(ブルーム・ヴォルフ)』。
―――実行、『正義顕現・此れぞ我が理想也(イデアル・ヒーロー・マテリアライズ)』。
「よお、出勤が早いなジョーカー! 子分はもう品切れかァ?」
「決定打がないなら作るだけさ」
嵐の中心にて、二つのシステムが激突する。
ジャンヌの炎剣を相手取るなら、懐に入り込むのが最も有効。
走り込んだ氷月が両手に翻すナイフと、ジョニーのブレードが組み合う。
瞬間、ジョニーの思考に無視できない怖気が走った。
接近戦を選んだ敵の狙い。
それはただ戦いやすいからというだけではない。
氷月は明確な勝機を見据えている。
―――実行、『奥底に潜むもの(サブマリン)』。
―――実行、『透明の殺意(インビジブルナイフ)』。
とぷ、と。
氷月の身体が地面に沈み込んだ。
同時にナイフを手放し、ジョニーの斬撃をいなして脇を通り抜ける。
直後、無手となった手に透明の刃が出現し、ジョニーの背後にいる存在へと狙いを付けた。
氷月はジョニーを正面から倒す必要などない。
システムJは二つの無機物干渉超力の合作。
後に控えるメリリンを落としてしまえば、決着は付いてしまう。
「させるかよ―――!」
振り向こうとしたジョニーへと合わせるように、氷月の背中から鎖と鉄球、そして拘束具が放たれた。
―――実行、『恐怖の大王(ドレッドノート)』
「くそっ」
鉄人は絡みつく無数の鎖と錠に動きを止められる。
その隙を抜け、メリリンへと肉薄しようと踏み込む氷月。
更にそれを追って、軽快な声が飛んだ。
「おっと、オレ様を忘れてもらっちゃ困るぜ」
声に視線を向けた刹那。
発射された砲が、数秒前まで氷月が立っていた場所を穿いていた。
地面を転がってそれを避けるも、続けざまに火を吹く銃撃がメリリンへの接近を許さない。
「君は本当に……鬱陶しいな」
氷月はメリリンとジョニーの中間点を睨み据える。
強風のなか、分離したジョニーの銃頭を構え、トビ・トンプソンが立っていた。
「お褒めいただいて嬉しいね」
「―――っ!」
軽口の応酬が途切れる。氷月の背後に熱が迫る。
首無しの鉄人が、再び炎剣を振りかぶっていた。
あり得ざる速度でジョニーの拘束が破られている。
脱獄王は嵐の中を跳梁する。
目にも止まらぬ早業で銃頭を回収しながら、一瞬にして鎖と錠を解除していたのだ。
浄化の炎が氷月の全身を舐め尽くす。
その間際、対抗しうる唯一の超力を発動することには成功していた。
―――実行、『例外存在(The exception)』
超力無効化の能力。
対超力戦で強力な防護を得る。
しかし、この力は並列使用とは相性が悪い。
自身が実行する他の超力をも軒並み無効化してしまうからだ。
その上、無効化能力もまた、超力に対して万能ではない。
「協力してあげてるんだからさ。ちょっとは力貸してよね」
吹き荒れる嵐の中。
メリリンはもう一度、親友の渾名を呼んでいた。
『呼応(コール):サリヤ・"キルショット"・レストマン』
ジャンヌに続き。ここに開帳する二人目の超力(いし)。
ブラックペンタゴンで朽ちて以後、沈黙を守り続けた科学者の銃が装填(リロード)される。
魂に干渉する攻撃は、無効化能力を貫通する。
奇しくも彼女を死に追い込んだその理論で、システムC最大の防護を突破する。
トビから銃頭(システム本体)を受け取ったメリリンは親友と同じ仕草で、その指鉄砲(じゅうこう)を敵に向け。
―――『我喰・回転式魂銃(ナガン・リボルバー)』。
後方から放たれるメリリンの銃撃を肩口に受け、殺人鬼の体制が崩れた。
流血しながら氷月は自嘲していた。己はなにを遊んでいるのだろう。
こんな行為に意味はない。
もっと簡単に終わらせる方法を、己は知っているのに。
先程から、デジタルウォッチがアラートを発している。
制限とは、危険があるからこそかけられているモノだ。
度重なる超力の並列使用に、子機がオーバーヒートしかけている。
しかし、無理をしているのはジョニーも同じだった。
限られた資材で造られたシステムJ、それもセラフィムの大出力はそう何度も放てるものではない。
互いに限界が近づいて、氷月はようやく己の感情を知った。
「そうか、終わってほしくないのか」
こんな簡単に死なれてはつまらない。
単純な拘り。
初めて特別な憎悪をもって人を殺す。
特別なことが、呆気なく終わってほしくない。
だけど、もう時間がない、名残惜しいけれど。
ああ、本当に、本当に、残念だった。
―――実行、『屰罵討(マーダーズ・マスタリー)』。
―――実行、『殺人の資格(マーダー・ライセンス)』。
だって、こうしてしまえば、全部呆気なく終わってしまうから。
素敵な殺し合いも、プライドを捨ててまで挑んだ殺人も、手応え無く済んでしまうかも知れないから。
殺人の接触に重ねられる、殺人の法則。
『嵐を呼ぶ男(ワイルドハント)』が収束する。
吹き荒れる風すら敵を殺す、絶殺の嵐が顕現する。
回避不能、防御不能、発動してしまえば、そこには死しか残らない。
ああ、名残惜しい。
これが彼にとって、産まれて初めての純粋なる娯楽だった。
出来るからじゃない。殺したいから殺すなんて。初めての経験だった。
生まれたての子どものように、はしゃいでいた。
だから、気づけなかったのかもしれない。
『呼応(コール):ネイ・ローマン』
「―――は?」
ここに現れる3人目。
ジャンヌがキングに相対した際に回収したわけではない。
それよりも少し早く、メリリンの所持していた側の耳飾りに宿っていた。
己の所有物を全てメリリンに転送しろ。
そのオーダーに忠実に答えた刑務官が、彼女に送ったささやかな残影。
「加減できねえぞ―――いいのか?」
「思いっきりやって! ジョニー!」
ジョニーの機体を、赤黒い紫電が包み込む。
背中のブレードが展開され、排熱口がすべて開かれ、全出力を全方位へ解放する。
―――『破壊の衝動(Sons of Liberty)』。
そして、その第二段階、『Liberty or Death』。
迫りくる殺戮の嵐を吹き飛ばし、360度を薙ぎ払う衝動の炸裂。
躱せない、防げない、ならば押して通るのみ。
俺の道を塞ぐな。
俺の物に手を出すな。
俺の愛を見縊るなよ。
世界にそう宣言するように解き放たれる衝動は、彼が壊したいものを壊し、守りたいものを守る。
愛によって覚醒した彼の力は、愛する者と、その仲間を一切傷つけず。
ただ、襲い来る殺意のみを打ち砕いた。
「―――は―――なんだ、それは、バカげてる」
殺人鬼の全身が砕かれ、紫煙を拭き上げる肉片が、嵐とともに消え去っていく。
無効化能力すら突破する衝撃波をまともに受け、再生能力を限界まで励起させても人体を意地できない。
氷月は己の敗因を悟った。
確かに、予想外の事は多く在った。
システムJ、持ち込まれた超力、敵は想定を超える力を発揮した。
手ずから人を殺した感触が忘れず接近しすぎていた。
殺人接触の超力を出し惜しみ過ぎた。
もっと早く、万全な状態で押し付ければ呆気なく勝てていた。
こうしていれば、なんて要因はいくらでも思い浮かぶ。
だが、そのどれもが、敗因の本質ではない。
終わってほしくないと思っていた。
簡単に済んでほしくないと。
だが、それは矛盾だろう。
何を受け入れてでも殺したいと思っていたのに、なぜ加減した。
つまらない殺しでいいじゃないか。
呆気ない決着でいいじゃないか。
なぜ、見誤った。
なぜ―――油断した。
なぜ、いまさら―――敵を―――
『呼応(コール):ヤミナ・ハイド』
―――ナメていた。
最後の4人目は、おそらく最初から発動していた。
―――『私は哀れな被害者です(ワールドハッキング)』。
「……よお、ブラッド・ピット」
嵐の止んだ空の下。
ジョニー・ハイドアウトが呼びかけた魂こそ。
「来世を待つまでもなかったな」
彼ら悪童にとって、おそらく最大の勝因であった。
【氷月 蓮 死亡】
◇
そうして、夜に静寂が戻ってきた。
「あんたもさ……」
嵐が過ぎ、穏やかなそよ風だけが通り抜けていく。
それはワイルドハントの名残ではなく、あいつが遺した衝撃の残り風。
「なんにも言ってくれないんだね」
ネイの魂は私に何も残さず。
ただ、嵐と殺意だけを薙ぎ払って去っていった。
少し寂しいけれど。別に不満はない。
あいつは言っていた。
お前の重荷になりたくねえし、なんて、悔しそうな声で。
愛していると。言ってくれた。
だから、それ以上言葉は不要だと。
カッコつけて見せたのだろう。
そう思うと、なんだかあいつらしくて、可愛く思える。
崩れた灯台の麓で、私たちは海へ抜ける風を浴びていた。
遂にオーバーヒートを迎え、ジョニーの身体が停止する。
「あー悪い、俺ァもう限界だ」
誰がどう見てもこれ以上の戦闘行為は不可能。
胴体が崩れ去り、銃頭だけが地面に落下する。
「おっと」
それをトビがひょいと受け止めた。
「診てやってくれ」
「おい、ぞんざいに扱うんじゃねえ」
投げ渡されたガンヘッドを受け止め、軽くメンテする。
搭載した希少金属は罅割れ、今にも砕け散る寸前だった。
即席システムの鎹にして、酷使したのだから当然だけど、慎重に回収して胸元にしまう。
ジョニーはこの先、頭を持ち歩くしかない。
今の彼は頭を破壊されない限り大丈夫そうだけど。
もう鉄材は殆ど残っていない。身体を再構築することは、当分無理だろう。
「メカーニカ」
「分かってる」
トビが私を見、前方を顎でしゃくった。
隣に立つ仲間と一緒に、もう一度、前を見る。
私たちは今度こそ、ジョーカーを打倒した。
だけど、灯台という、道標は崩れてしまった。
結び目という、みんなの後押しによって見つけた綻びには、もうたどり着けない。
「見えるか?」
「うん、ハッキリ分かるよ」
それでも、結び目そのものがなくなったわけじゃない。
灯台の最上部、灯室があった座標。
今は闇色の空しか見えないその空中に、世界の結び目は残っている。
改めて見て、感じ取って、システム構築を経た私の力は、その正体を捉えることが出来た。
アレの奥に、システムBの親機がある。
おそらくこの世界の起点。全てを支える柱だ。
そこに干渉することが出来れば、或いは脱獄も成し得るだろうか。
いずれにせよ。
近づく方法がない。
結び目の内側まで、私の超力は届かない。
アレをこじ開け、干渉できる状態にするにはどうすればいいのか。
どれだけ穏便な方法を考えても答えは出なかった。
万策尽きたか、そう思ったとき。
『"深淵の管理者〈アビス・オーダー〉"再起動を実行します』
どこかから、細い電子音が聞こえた。
「―――!」
戦慄が走る。
崩れた灯台の瓦礫の上、残されたデジタルウォッチの残骸がひとりでに浮き上がっていく。
自動再起動。
氷月(ジョーカー)は死んだ。
ならばこれは、アビスの掛けていた保険なのか。
―――実行、『幻想介入/回帰令(システムハック/コールヘヴン)』
―――実行、『不思議で無垢な少女の世界(ドリーム・ランド)』。
―――実行、『殺人の資格(マーダー・ライセンス)』
最後に残されたリセットボタンが押される。
結び目を庇うように、夜の闇を背景に、殺戮のワンダーランドが展開されようとしている。
ジョニーも、トビも、私も、もちろん余力なんて残ってない。
空に浮かぶ泡を眺めていることしか出来なかった。
戦う力も、逃げる力も、だれにもないだろう。
だけど、
「―――熱っ」
胸元に発した熱を受け、私は反射的に視線を落とす。
流星はまだ、暖かかった。
『ねえ、メリリン―――憶えておいて』
いつか、誰かの、言葉を思い出す。
『ナガン・リボルバーの装弾数は計7発―――』
それから、彼女は、確かなんて言っていたっけ。
『銀の弾丸は―――』
「ね、ジョニー」
『―――最後までとっておくものよ』
「もう少しだけ、頑張れる?」
「おいおい、二度も言わせんなよ」
そう言われて、応えない男はいない、だっけ。
奮起する鉄人のエネルギー。
オーバーヒートを起こし、壊れかけのシステムJに最後の魂が装填される。
ジョニーの身体を再構成する余力はない。
彼に動力を確保して貰って、私の身体を使って、超力(ちから)を撃ち出す。
もう一度、両耳に流星を付け、私は空を見上げた。
空中へ舞い上がり、炸裂寸前のシステムC〈アビス・オーダー〉。
その向こうの闇の中に、結び目の気配を感じている。
二つは丁度直線上にある、庇っているのなら当然か。
ならちょうどいい。
思えば、方法なんてコレしかなかった。
どうなるのかなんて分からない。
多分、私たちにとっても悪いことが起こるだろう。
それでも、まあ、刑務に対する反抗っていうなら、これに勝る意趣返しは無いだろう。
『システムJ―――再起動』
案の定、何もかも限界だった。
再起できたのは奇跡と言っていい。
多分、コレを使ったら今度こそ余力はない。
何もかも振り絞って、出涸らしになって動けなくなる。
でも、それでいい、このまま黙って死ぬよりマシだろう。
『呼応(コール):サリヤ・"キルショット"・レストマン』
さて、と。
それじゃあ、あんたにも、最後まで働いて貰うから。
もとはあんたが原因なんだから、当然でしょうが。
傷ついた肩の痛みに耐え、ゆっくりと指先を上げていく。
両耳に付けた流星が猛烈な熱を放ち、自壊していくのが分かる。
そうして、眼を灼くような膨大の極光が、私の指先に装填された。
―――『深淵喰らう致命の一撃(キルショット・ネオス・イーター)』。
これは弾丸。
彼女が誰にも告げずに取っておいた。
刑務に持ち込んでいた切り札。ナガン・リボルバーの7発目。
超力と、それに纏わるシステムをぶち殺す、銀の弾丸。
サリヤの超力、その第二段階。
私は鉄砲にした指先を、天のシステムCにピタリと合わせる。
その奥にいる結び目、そして更に奥にいるシステムBにまで届くよう。
「ね、サリヤ、ネイ」
呼びかけても、応えはない。
「やっぱり、もうなにも言ってくれないんだね」
二つの流れ星は、火傷する程の熱だけを返している。
「いいよ、別になんにも言わなくて」
罅割れていく。
魂を留める星が、意思を留める力が。
砕け散って果ていく。
忘れることは死者の特権。
いつか、そう言っていた彼女の姿を思い出す。
「私もあんた達の重荷になんて、なりたくないし」
私も同じだ。
彼らをいつまでも縛りたくないから。
笑って送り出すことにする。
「でもさ、それならさ―――」
だけど、ほんの少しの我儘を、言わせてくれるなら。
「―――ずっと憶えていることは、生きる者の特権ね」
もう少し、あんた達の温もりを、忘れないでいてもいいだろうか。
今この瞬間だけは、感じていて良いだろうか。死ぬまで忘れないくらい。
この熱を、強く、深く、鮮烈に。身体に刻みつけても良いだろうか。
いつか、ふと、寂しくて死にそうなとき。
それでも前を向けるように。
生きて、いけるように。
「―――装填、完了。
―――さあ、私の"家族"に挨拶しな」
その時、一迅の風が吹く。
木枯らしに乗って、なにかが私の唇に触れた気がした。
それを、素直じゃないあいつらの、意趣返しだと思うのは。
そう、私だけの錯覚(とっけん)なのだ。
今、隣に立つ悪童が、私の名を呼びかけた。
この声はジョニーだろうか、トビだろうか。
耳元の鳴動が大きくて判別できない。
だけど、それも、ひょっとしたら、彼だったり、彼女だったりしたのかもしれない。
或いは、この世界で戦った。
全ての人の叫びなのかも知れなかった。
『―――メリリン』
その声に、そっと背中を押されるように。
『―――ぶちかませ』
私は、引き金を引いた。
「――――――ばん」
◇
―――『深淵喰らう致命の一撃(キルショット・ネオス・イーター)』。
あらゆる超力を捕食・無効化しながら貫通する超力弾丸。
システムCの試作品として、身体を、能力を、弄ばれた科学者が、今度は自ら能力を改良し尽くす事で手に入れた執念の致命弾。
その本質とは、超力を利用するシステムを破壊、殲滅する為だけに研ぎ澄まされた、特注の攻勢火球である。
AG(アビス・ガーディアン)の初期化と再起動を終え。
アビス大会議場にて、復旧したモニターに映ったのは、此方(カメラ)に向けられた女の指先、そして光。
今まさに致命の一撃を放たんとする、メリリン・"メカーニカ"・ミリアンの指先から溢れる暴威の奔流であった。
「止め―――」
刑務官の誰もが、何かを言う間もなく。
有無を言わさず射出された弾丸はエリアA-1の空を上昇し、中間地点に在った〈アビス・オーダー〉を一瞬で食い破り貫通する。
そのまま背後に守る"結び目"を強引にこじ開け、更にその奥に安置されていたシステムBの親機をも貫き、ズタズタに引き裂いていく。
オリガ・ヴァイスマンを含め、刑務官の誰もが、それを唖然と見送るしかなかった。
間髪入れず、エリアA-1付近のモニターが再び途切れる。
エリアごとに分割されたモニターが次々と砂嵐となり、A-1から放射状にカメラを殺していく。
その理由は明らかだった。
結び目を通じ、システムBに超力無効化の弾丸が叩き込まれたのだ。
力は狭い異世界全土に伝わり、点在するAGの電源を落としていく。
ネオスを付与され、それを動力の一つとしているAGは、超力無効化の特性に耐えられない。
無論、壊れるのはカメラだけでは済まない。
すでにモニターには映っていないが、エリアA-1を中心に、異世界の崩壊が始まっている。
目的は達成できない。
GPAにアビスの計画の優位性を証明することも。
システムCを、アビス・オーダーを完成させることも。
なにもかも―――ご破算になる。
―――計画失敗。
その結果だけを、いきなり突きつけられた彼らは、茫然自失となっていた。
なぜ、こんなことになった。一体何が起こった。どこで間違えた。
考えても無意味な疑問と混乱で頭が占められ、正しい行動が出来ない。
それでも、この男だけは、重要なことを見失っていなかった。
「ケンザキ刑務官ッ!!」
看守長―――オリガ・ヴァイスマンの怒号が会議室を震撼させる。
「は―――え―――?」
急に名を呼ばれたミリルは他人事のように状況を俯瞰する。
ああ、看守長、本気で焦ってんじゃん、面白いな、と。
場違いな感想すら浮かべていた彼女は、その瞬間、一気に現実に引き戻された。
「あ――え――?」
「何をぼさっとしている!!」
なんで怒られているんだろう。
と、困惑する彼女もまた、状況に混乱していたのだろう。
「会場内のシステムCを転移させろ!! 他に何がある!?」
襲い来る異常事態の中で、オリガ・ヴァイスマンだけは、優先順位を見失っていなかった。
計画は失敗似終わった。
だが、真に最悪の事態はまだ訪れていない。
ミリル=ケンザキの超力だけは、画面越しにシステムBに干渉できる。
島の中央のモニターが死に絶える前に、世界崩壊からシステムC(ブラックペンタゴン)を転移させる事が出来れば、また次のチャンスが得られるかもしれない。
逆に言えば、あれを失ってしまえば、本当に取り返しがつかない。
あれはヤマオリから発掘された、代えの効かないオーパーツ。
失ってしまえば、世界の進みをどれ程遅らせてしまうか。
「えっと……でも、あんな大きいもの……すぐには……」
「この無能がッ! 一部でも良い! さっさと―――」
ようやく忘我から返ったミリルが画面に手を翳したとき。
それは丁度、中央モニターの全てが、砂嵐に染まったタイミングだった。
「……………ぁ……ああ……」
看守長の手に持っていたコーヒーがこぼれ落ち、床を汚す。
青白い顔をこわばらせ、口をぱくぱくと空けたまま、息を止めたヴァイスマンに、誰も声をかけることはできなかった。
ああ、大変な事になっちゃったな。
そんなことをミリルは思いながら、すでに半分以上砂嵐に染められたモニターの分割画面を見る。
するとそこに、僅かに動くものがあった。
誰も、何も、声を上げない。
気づいていないのか、忘れているのか。
いずれにせよ、選択権はミリルにだけ、与えられていた。
少し考えて、意を決して。
超力を行使する。
今まさに砂嵐の波に飲まれかけていた、エリアF-6の画面。
そこに取り残されていた生命が、ふっと掻き消える。
次の瞬間―――
「うわっ」
ミリルの傍ら。
会議室の長机の上に、褐色の少年が落下してきた。
「痛たたた……あれ、みなさん、お揃いで」
エネリット・サンス・ハルトナは打ち付けたお尻を擦りながら。
周囲をキョロキョロと見回し、空気を読まずに問いかけた。
「なにやら凄い空気ですね。なにかあったんです?」
それが、傍観者であった少女が、最後に自分の意思で為した。
この刑務における、唯一の善行だった。
◇
世界が、崩壊する。
結び目を撃ち抜き、システムBを破壊したことによって。
空間が歪み、綻び、捻れていく。
夜の空には今、闇よりも深く果てない、巨大な孔が開いていた。
結び目を拡張し、空間を押し広げたそれは、さながらブラックホール。
光すら吸い込んでしまうような真なる黒。
「終わったな」
ジョニー・ハイドアウトはその光景を前に、端的に述べた。
希少金属は砕け散り、悪童達に力を化した4つの魂もまた散華した。
システムJはその機能を永遠に止め。ただの銃頭(ジョニー)に戻っている。
「終わったねえ」
メリリン・"メカーニカ"・ミリアンも、同じ感想を口にした。
「もー限界、もー動けない、無理だわ」
エリアA-1断崖の端、海の見渡せる草原の上で。
銃頭のマスコットのようになってしまったジョニーを膝に抱えながら。
メリリンは座り込んだまま、世界の終わりを眺めていた。
もうすぐ、世界の端から無がやってくる。
かつて"デザーストレ"が暴いた、この世界本来の姿。
なにもない"無の空間"が今に世界を覆い尽くすだろう。
それは全てをゼロに返してしまう。
戦いの痕跡も、システムCも、そこに囚われたままの魂も。
そして、ここに残された悪童たちも。
「あの孔まで行けたら、なんとかなると思う?」
「どうだかな」
開かれた結び目の奥。
天にぽっかりと開いた孔の奥は見渡せない。
どこに通じているのだろう。
先の見えない闇の奥を、メリリンはぼんやり想像してみる。
外の世界? だとしたら何処に?
まさか都合よく、自宅のベッドの上なわけはない。
出られたとして、刑務官に囲まれているだろうか。
それとも見知らぬ土地にいきなり投げ出されるとか。
どっちが困るだろう。自分で考えておいて嫌な二択だった。
あるいは、どこにも繋がっていないのかもしれない。
繋がっていても、宇宙空間とか、時限の狭間とか、無、とか。
碌でもない場所かもしれない。
とはいえ、考えるだけ無駄なことではあった。
どうせ、辿り着く方法がないのだから。
「ジョニーちょっと空飛んで見てきてくれない?」
「ばかいえ、推進剤がどこにあるよ?」
「だよねぇ、もう足すらついてないもんね」
「最後なんだ、好きに想像してようぜ。あの深淵(アビス)の先に何があるか―――」
空の深淵(アビス)。
その向こうに、最後を待つ時間。
メリリンは思いをはせようとして。
「いーや、あれは、深淵(アビス)なんかじゃねえな」
隣に立つ、一人の小男の声を聞いた。
「忘れたか? 深淵(アビス)はオレ様達が今いる此処だろうが、だったらアレはちげえだろう」
トビ・トンプソンは高らかに言い切った。
「アレこそ希望だ。俺達が辿り着くべきゴールだ」
―――なぜ。
なぜそんな事が言い切れる。
ジョニーも、メリリンも、妙に自信満々な彼に問いかけようとして。
「そりゃあ、そうだろう?」
彼らは見た。
「―――オレ様の超力が、発動したんだからな」
男の背に、真っ白い巨大な翼が生えている。
「この力こそが証明なのさ。アレは脱獄への道に繋がってる、絶対だ」
醜男には決して似合わぬ。
滑稽なほど不釣り合いな、美しき天使の羽。
だが悪童達には、今だけは何故か、トビ以上にそれが似合うものはいないように思えた。
「信じろよ。オレ様を誰だと思っていやがる? 脱獄王だぜ?」
眼の前にゴールがある。
確たる希望がある。
ただ、それに届く、翼がだけが足りなかった。
最後の道筋以外の全てが整ったとき。
脱獄に嵌まる、ラスト・ワンピース。
それこそを、彼の力は齎すのだから。
「まあ、こいつは見た目ほど大した力じゃねえ。
飛行(フライト)なんて上等なもんじゃねえ。
滑空(グライド)ですらねえ。単なる跳躍(ジャンプ)が精々だろう」
自由に空など飛べやしない。
彼は常通り、どこまでも不自由に、投石のように、天に放り投げられる弾丸と化すだけ。
けれど、それだけが、いま求められる全てだとしたら。
「便利屋がちっさくなっちまって、ラッキーだったなあ。
女一人と銃頭くらいなら、ついでに引っ張って連れていけるんだが……?」
トビ・トンプソンは知っている。言葉の意味は千変万化する。
己の力と同じように。己の意味は己が決めていい。
時にスラグ(軟体)、時にスラグ(鉱滓)、時に―――
最後にやってくる見せ場。九回裏ツーアウト満塁。
絶好球を捉える打者のように。
ならばきっと今回は、己を天へと打ち上げる、スラッガー(強打者)と言ったところだ。
彼は自ら意味を定義した。
そう、己はいつだってスラッガー(逆転者)。
脱獄王を名乗る男は、傍らの悪童達に手を差し伸べる。
「どうだい、あんたら? オレ様と一緒に、ちょいと跳んでみるかい?」
メリリンとジョニーは顔を見合わせ。
ふっと気の抜けたような笑みを浮かべた。
「良いとこ持ってくんじゃねえよ、この野郎」
差し伸べられたトビの手を、メリリンの左手がぱしっと掴む。
そして彼女の右手には、ジョニーの銃頭が抱えられている。
「では、当機にご乗客の皆様。
シートベルトはありませんので、精々オレ様の手を離さないようご注意ください」
軽口もそこそこに、トビの翼が広げられる。
身体を軽く沈め、軟体から飛躍へと、変異した超力を行使する。
その間際、彼はほんの少し、らしくないことを考えた。
「あー、なんだ」
動きを止めたトビに、メリリンとジョニーは怪訝な目線を送っている。
そこに視線を合わせず、脱獄王は天だけを見つめながら、ボソリと言った。
「……ま、ありがとな。
てめえらのお陰で……今回の脱獄は、いつもより少しばかり楽しめたさ」
似合わねえ、早く行けと囃す悪童の手を握り。
トビ・トンプソンは、己の両足に力を込める。
最後に彼は、ふと、いつか誰かが口にしたフレーズを思い出していた。
『でもさ、脱獄王としては、ほんと縁起いい名前じゃん? トビって』
『そう思うかい?』
『うん、だってさぁ―――』
アンタにかかりゃあ、どんなに高い塀だって――――――
「―――ひとっ翔び―――ってなあッ!!」
号令とともに脱獄王はドブの底を蹴りとばす。
悪童達は瞬く間に空へと舞い上がり、闇に広がる孔の縁、目指した天に手が触れる。
それは遂に果たされた、脱獄という名の、深淵からの飛翔だった。
【A-1/――/一日目・真夜中】
【トビ・トンプソン 脱獄】
【ジョニー・ハイドアウト 脱獄】
【メリリン・"メカーニカ"・ミリアン 脱獄】
【刑務作業全工程 終了】
最終更新:2026年06月14日 15:12