記憶の奥底された蓋、未だ思い出せない靄の中。
ノイズに包まれた禁断の扉、それがすべての始まりであることを、彼女はまだ知らず。


此度の大地震において崩壊したのは、凡そ老朽化した建物が中心である。
それは当然のことではあるのだが、少なくともこの山折村に置ける学び舎は頑丈であったということであろう。少なくとも崩壊の危機に繋がる損傷は無く、避難所としては便利なものとして扱われた。
だが、バイオハザードが発生した今回の案件においてはそれが仇になった。
一人増えれば二人、二人増えれば三人と、ねずみ算式に増えていく。ましてや家を失った住民の避難所施設として活用されていたのだ、その密集が今やゾンビのうめき声を生み出す巣窟と化しているのだ。
だが、全てが動く屍となった訳では無い。少なくともウイルスに適合し正気を保った者たちは既に事態の打開へと動き出していたのだから。

「……厄溜まり、とは思っていたがこんなパンドラの箱が残っていたとは思わなかったな。」
「それに関してはボクも同感だね。」

その内の二人。既に学び舎より離脱し森の中に身を隠し、茂みのから覗き込むかのように街を徘徊するゾンビたちを俯瞰している。
二人は状況に反し冷静だった。まるでこのような事態が起こることを予測していたように。いや、事実懸念はしていたのだろう。各々の理由は違えど、共通することはこの山折村に隠された真実に辿り着くこと。

「これが、あなたがこの村に来た理由ですか、先生。……いいえ、スヴィア・リーデンベルグ。」

白学ランが目立つ、片目が前髪で隠れた青年が。
スヴィア・リーデンベルグと呼ばれた『先生』に問い掛ける。
その圧は間違いなく一般的な中学生のそれではない。死線をくぐり抜けた歴戦の勇士、並み居る修羅場に適応できる佇まい。
青年、天原創はただの転校生ではない。学園内では年相応にクールぶっているだけで、その実態はこの山折村に調査をしに来たエージェントである。
その天原創が問い掛ける相手は、山折村に新任教師として赴任してきたスヴィア・リーデンベルグ
16で博士号を取得した、知る人ぞ知る天才。そのような人物が、どうしてこんな村にいるのか。少なくとも天原はそれを疑問に思っていた、彼女が赴任した時点で。

「……違う。と言ってもキミは信じてくれるのかな?」
「少なくとも、あなたがちゃんとした理由を話してくれるのなら。」

目の前の年に似合わない態度をする天原を相手に、スヴィアは平静を保ちながら、その理由を告げようとする。

「未来人類発展研究所、という場所はご存知かな?」
「ええ。人並み……いいえ、人以上は。」

未来人類発展研究所、人類の発展を目的として設立された医療研究開発機構。
人体と言う禁忌を解き明かし、発展と進化の為に日々研鑽続ける、ある意味医療の最先端とも言うべき場所だ。

「……ボクはそこの元研究員でね。といっても一年足らずでクビになったわけだが。」
「貴方ほどの人が、ですか。……そういえば今起こっているウイルス騒ぎ、研究施設から漏れ出したとか言っていましたが。」
「それは関係ないよ。でも、少なくとも辿り着きたい真実の一つだった事は確かかな?」

ウイルスに関わっていたことをスヴィアは否定する。それは恐らく彼女も今回のことで初めて知った事実だろうから。

「……少なくとも、もしそんな事を知っていたら、事前に阻止したかったよ。」

ほんの少しだけ、怒りが混じった口調だと、天原は察した。
今回のバイオハザードは間違いなく地震という自然災害からなる偶発的な現象だ。
だが、彼女の憤りと、あの放送で流れた情報から、恐らくそれが関わっている、という点では容易に想像できる。




「……成る程。大体の事情は察した。」

胸を撫で下ろすかのように、天原が呟いた。少なくとも、あちら側ではないのは凡そ真実だろう。
こんな天才が1年足らずで研究所をクビになるだなんて、まず研究所の連中の程が知れる。だがそこまで馬鹿だとは思わない。少なくとも、彼女を追放しなければならない理由はあると、そう彼は思考した。
それこそ、隠さなければならない都合の悪い真実、そういう類のものが。

「行方が知れなくなった私の親友がここにいるという噂を聞きつけた。だからボクはここに教師として不妊をしてきたわけだが。……結果はこの有様だ。」

話は続く。行方不明になった親友の行方を求めて村にやってきた、という点ではそこまで突出した理由ではない。地震を発端としたウイルス騒ぎに巻き込まれなければ、ではあるが。

「今回のウイルス騒ぎ。それぞれウイルスに適応出来た人間がいるだろうけれど。仮にウイルスが研究所のものだとしたら、これは恐らく脳機能に影響を及ぼすものだとボクは予想してる。」

未来人類発展研究所の目標とは文字通り医療による人類の発展だ。少なくとも、脳機能に関わる部分に手を加えるための部署も存在するであろう。ただし人体の脳の解明という点は、現在の人類の科学力をもってしてもその全貌は解明されていない。精神病治療の為のロボトミー手術も、結局のところ知能を奪うことになったわけで。
故に、さらなる扉を開かんが為にウイルスというブレイクスルーに手を出したのならば。

「……あくまでこれは予想だ。けれど、それでも、もしこれが研究所絡みだったら、所属していた責任は取りたいと思ってる。」

だが、予想は所詮予想。神の視点ならまだしもスヴィア・リーデンベルグという少女の視点からはその全ては伺いきれない。脳機能への干渉を齎すウイルス、それが地震の被害で放出され、村民の殆どはゾンビへと変貌した。その果てに示されるものは、一体何であるのか、それは誰にも想像できない。
それでも、一度関わった以上は収拾を付けないと、掴めなかった陰謀を今度こそ手遅れになる前になんとかしなければ、と。それだけは確かな思いだった。

「これでボクの潔白はある程度証明されたかな? ……最も、止められなかった事を思えば潔白ではないかもしれないか。」
「……いや、大丈夫だ。疑って悪かった。」

少なくとも、この対話の功績は、天原創にとってスヴィア・リーデンベルグは最低限信用に値する人物である、という証明であった。

「それに、もしまだ疑いがあるのなら出来る限り隅々まで調べてもらっても構わないよ。」
「……………い、いや。構わない。十分だ。」
「ん? どうしたんだい? まさか、年頃の女の子相手にそっちの妄想が浮かんでしまったとかじゃないだろうね?」

ほんの少しだけ、天原が視線を逸したように見えた。ナイスバディというには貧相ではあるが、女性としてスタイル自体はそれなりのもの。
もしかしてそっちの考えを一瞬でも考えてしまったのかと邪推し、敢えて追求するように小悪魔的な笑みを浮かべながらスヴィアが言葉を返した。

「……断じて、違う。」
「ふふっ。意外に可愛らしいじゃないか。……?」

言葉ではクールぶっているようだが、間違いなく動揺しているようにも見える。
そんな天原の姿を見て、少しばかりは気が緩んだスヴィア。だが、天原には気が付かなかった何かに気づいたのか、スヴィアの顔が険しいものになる。



「どうした?」
「シィー………静かにして。……誰か此方に近づいてくる。」
「何?」

スヴィアの「誰かが近づいてくる」という言葉。少なくとも天原には何も聞こえてはいない。
だが、嘘をついているような顔ではない。これもウイルスの影響か? などと天原は考えながらもスヴィアの指示に従い物陰に音をなるべく出さずに隠れる。

「……まさか、ゾンビか?」
「ゾンビにそこまでの知能があったら逆に怖いと思うな。大丈夫だ、少なくとも足音の感覚からしてゾンビではなさそうだ。」
「何故分かった?」
「あの放送から、妙に耳が良くなってしまったようでね。……おそらくは。」

あのウイルスに適合したから、と静かにスヴィアは告げる。
脳内に隠された新たな扉をウイルスが開いた、となれば理由としては妥当なものではあるのだ。

「ゾンビではないが、友好的な人物ではないかもしれないぞ。」
「そうかもしれないね。姿が見えるまでは隠れたほうが良さそうかな?」
「その方がいい。だが、もし危険なやつなら……多少手荒な真似をさせてもらう。」
「……わかった。」

天原創はエージェント。人の生死に関わる事柄にも複数関わった事がある。
スヴィアがそれに対してどう思うかは天原からすればまだわからない。
だが、その返答の間の少しの沈黙は、やはりと言うか割り切れるものではない、という証左であった。

(……それに。)

天原としてのもう一つの懸念、女王感染者。
それを殺せばこのウイルス騒ぎそのものが解決するご都合主義(デウスエクスマキナ)。
一人を犠牲に全てが救われる。自分はそれに関しては問題はない。だが、それはまるで―――。

(気に入らない。)

やはり、気になる。放送の言葉の意味はわかる。だが、それで解決したとしても、全ての元凶が捕まる訳がない。女王感染者を殺した所で、根本的な問題は何も解決しない。

(どうするべきか。)

エージェント・天原創。親友を探しにやって来た元研究員に同行し、その先に見る真実は如何様になるか。
禁忌の箱の奥底に眠るものは、未だ何も見えはしない。





訳が、分からなかった。
あの地震でみんな逃げてきて、避難所でやっと一息つけるとおもったらみんな苦しみだして。
周りのみんながおかしくなった。最初は一人がおかしくなって。
誰かが噛まれておかしくなって、おかしくなって。
お隣さんが、みんなを食べていて。

分からなかった。ただ怖かった。
怖くて、怖くて、誰かが呼んでいる声やうめき声を無視して、飛び出して、逃げて。
逃げて、逃げて、逃げて。強い光のある方へ逃げた。
その光が何か、わからなかったけど。逃げるしかなかった。
なんで光の方へ逃げようとしたのかわからなかったけど、何かがありそう、なんて曖昧な理由で。
もしかしたら、誰かいるかもしれないって、そんな事思って。
私は、おかしくなったみんなから逃げた。





禁忌の箱は開かれて、箱の外は地獄と化した。
混沌が入り乱れる小さな箱庭にて、少女が見た輝きが示すは絶望か、希望か。
未だ、箱の奥底を垣間見るものはいない。



【D-8/深夜】

【天原創】
[状態]:健康
[道具]:???
[方針]
基本.この状況、どうするべきか
1.今のところ、スヴィア・リーデンベルグは信用できる
2.近づいてくる奴は誰だか、もし危険人物ならば、多少は手荒な真似を取る必要はあるな。
3.女王感染者を殺せばバイオハザードは終わる、だが……?


スヴィア・リーデンベルグ
[状態]:健康
[道具]:???
[方針]
基本.もしこれがあの研究所絡みだったら、元々所属してた責任もあって何とか止めたい。
1.今は天原くんと共に行動。お年頃だけど年に似合わず冷静だね、彼。
2.誰かが近づいてくるけど、もし危険人物だったら私は……?


【日野珠】
[状態]:健康、焦燥
[道具]:なし
[方針]
基本.今は逃げる。
1.光の見える所へ、もしかしたら誰かいるかも


002.輝かしき夢の結末 投下順で読む 004.レディハザード
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SURVIVE START 天原 創 光に惑う
SURVIVE START スヴィア・リーデンベルグ
SURVIVE START 日野 珠

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最終更新:2023年01月06日 20:16