「どういうことだぁ村長ォォ!!!」
怒号が響いた。
びりびりと空気を震わせるほどの大音量が、公民館を揺るがした。
毎週、公民館にておこなわれる村民会議の延長戦。
保守派、中立派、改革派のトップ層が集まり、村のビジョンを語る会。
旧くから彼らを知る口さがない老人たちは、悪ガキ三一郎のじゃれ合いとこれを呼ぶ。
もう十年以上は続いている、山折村の風物詩だ。
怒号も、机がひっくり返る音も、いつものこと。
しかし今宵はいつもと様子がまるで違っていた。
「いったい何をした!? 研究所ってのはなんなんだ!?
俺たちの村にいったい何を引き入れた!?」
拳を机の天板に叩きつければ、
天板は中央から無惨に割れ、それどころか金属製の脚や貫までぱっきりと折れている。
これが放送で触れられていた『力』なのだと、半ば本能的に理解できたが、そんなことはどうでもよかった。
郷田剛一郎が生まれ落ちて五十余年。
悪ガキ三一郎と呼ばれた三人は、毎日隣を歩き、抜いては抜き返し、出し抜いては出し抜かれ、走っては同時に息切れし、円を描くように寝転がる。
就学前――学生――社会人――そして各々が村民をまとめる立場になっても三人の関係は変わらなかった。
きっと死ぬまでこの関係は変わらないのだろう。
それどころか、三人とも同時にぽっくり逝くんじゃないだろうか?
そんなバカなことを考えたことも二度や三度ではない。
その日常は、その未来は、一瞬で潰えた。
■
――とんでもない地震だったな。
だが、幸か不幸か、この公民館に村の有力者たちがそろっている。
ここを臨時災害対策本部としたい。
もちろん、家に戻りたい者は戻ってかまわない。みな、家族が心配なのは分かっている。
だが、村のために協力してくれるものがいるなら、ぜひとも力を貸してほしい!
――力貸すぜ村長! そりゃあんたとは年中意見を戦わせてるがよ、村のためを想ってるのは俺もあんたも変わらねえ。
いったん休戦だ! 村が落ち着くまでは俺ら一同、あんたの指示に従う!
――私も微力ながら協力するよ。私が真っ先に逃げ帰っては、偉大な先祖に顔向けできんからね。
妻も娘も気掛かりではあるが……彼女たちは私が役目を果たすことを望むだろう。
――……郷田さん、神楽さん、ありがとう。
――今日だけは確執を忘れて、みんなでこの危機を乗り切ろう!
■
此度の地震はいわゆる甚大災害に属するものだ。
過去の大震災の記録を塗り替えるほどの災害だ。
予想通り安否を確認する人間が殺到して電話回線は早々にパンクしており、まったく外部と連絡は取れない。
SNSすら、起動するだけで10分かかるほどだ。
インターネットも、県庁のサイトを開くだけで日をまたぎかねない。
しかし、各派閥を率いる三人の行動は迅速であった。
たまたまとはいえ、公民館に村の有力者三人が構成員を率いて集まっていたのだ。
公民館を朝までの臨時の司令塔とし、災害の初動対応を各派閥の人員に次々に指示。
安全な避難所の確保、村人の安否確認、それから外界をつなぐ唯一のトンネルの状況確認に、国・県などの行政との連絡。
やることなどいくらでもあるが、いつもはいがみ合っている構成員たちをまとめ、指示を出していく。
一人、一人と己の使命を果たすために村中へ散り、公民館に残った人間は片手で数えられるほど。
すべてはうまく行っているはずだった。
あの悪夢の放送が流れてくるまでは。
犬猿の中であり、竹馬の友。
永遠のライバルであり、永遠の親友。
山折厳一郎。神楽総一郎。
「ガァァアアア……!!」
「うぁぁぁあああ……!!」
二人の一郎からは、何の言葉も返ってこない。
「何か言えってんだよ!
厳一郎、お前は全部分かってんだろォがァ!!!」
ツメを立てて襲い掛かってくる総一郎、その愚直な突進に対して軽く足を払って転ばせ、背中を踏みつけ地面に縫い付ける。
髪を振り乱して噛み付いてくる厳一郎、その噛み付きをひらりとかわして、首をわしづかみにして持ち上げる。
「お前ら、ステゴロで俺に勝てたことねえだろ!
目ぇ覚ませよ厳一郎! 何か言ってみろよ総一郎!
こんな終わり方認めねえ、俺は認めねえぞ!」
剛一郎を支配している感情が純粋な怒りのみであったなら、開花したその異能によって、厳一郎も総一郎も木端微塵に砕け散っていたであろう。
それこそ、村の醜聞を集めては外にバラまいていくライターや活動家、山折村の土地や資源を狙う犯罪まがいの悪徳企業、
あるいは産業廃棄物の不法投棄のように問題のある人間を山折村に隔離していく都会の金持ちども。
かつて一度は村の改革に消極的理解を示したこともある剛一郎が、再び考えを改めるきっかけとなった村の侵略者たち。
そんなやつらが相手であれば、湧き上がる怒りに任せて、地面に落ちた葡萄か柿のように、頭を砕いて中身をぶちまけていただろう。
けれど、厳一郎と総一郎はそうではない。
彼らは剛一郎にとっては兄弟同然。
意見はしょっちゅう対立するが、それもひっくるめて大切な家族の一員なのだ。
怒り以上に心を塗りつぶすのは、哀しみ。
心を満たす悲嘆が、剛一郎の思考を理性的なラインまで押しとどめていた。
「みっともねえ、ほんとみっともねえぜゲンちゃんよぉ!」
「ウゥ、ウァァ」と小さな呻き声をあげてもがく厳一郎に、その辣腕村長の面影はない。
若造だったころから今に至るまでギラギラと輝いていた、指導者としてのオーラはどこにもなかった。
■
――俺は反対だぜゲンちゃん!
村に余所者を呼び寄せるなんてな!
――考えなおせ、剛一郎。
村の発展は、外部から新しい風を取り込んでこそだ。
このままじゃ、村に残るのは年寄りか村から出られない身体の弱い人間だけ。
そのうち誰も寄り付かなくなって、俺たちの子の代には山折村は廃村だ。
――何言ってやがんだ、余所者を入れなくても村は維持できたから、今の山折村があるんだろ!?
それともなにか、お前はこの村を余所者に乗っ取らせたいってのかよ!?
――現実を視ろ、剛一郎。
ついに二車線のトンネルが開通したっていうのに、この村は外から孤立したままなんだぞ。
村人は出ていくだけで誰も入ってこない、このままじゃ、村は干上がっていくだけだろう!?
■
厳一郎が山折村の檻を開く、そんなことを言いだしたのは、
古いトンネルが拡張されて車の通れるトンネルになったころだったか。
衆議院議員の野部が、岐阜のすべての村々をつなごうという公約を掲げて当選し、大規模な補修工事が行われたころだ。
あのときも大喧嘩をした。
それまでも小競り合いや口喧嘩はしていたが、村の集会場ではじめて夜まで語り合い、その議論は熱を帯び、
挙句の果てには取っ組み合って、親父たちに三人そろってしこたま怒られたものだ。
けれども、村のビジョンについて真剣に語りあったのもはじめてだった。
言葉にはできないが、あのときの充足感を今でも覚えている。
……こんな未来が待っているなど、あのときは思いもしなかった。
紆余曲折はあるだろう。
うまく行かないことだって、対立だって、衝突だって当然ある。
それでも、きっと輝かしい未来が待っているものだと思っていた。
そう信じていた。
……こんなクソったれた現実、どうか夢であってほしかった。
「おい、ソウちゃん! じたばた暴れてないで、なんか言い返して来いよ……!!
いつもの屁理屈はどうしたんだ!?
なんかあんだろ!? お前なら、このクソみてぇな状況を解決する方法、考えてあるんだろ!?」
届かない。
言葉は、想いは、届かない。
「うぁぁああ、ガァァアアア!!」
かつて村一番の切れ者と呼ばれていた総一郎の面影はどこにもない。
自慢の頭脳を一切使わず、小難しい言葉の一切を発さず、ただ本能のままに叫ぶ肉人形でしかなかった。
■
――厳一郎、剛一郎、二人とも落ち着け。どちらもアツくなりすぎだ。
檻を閉ざしていては、村は干上がるばかりだ。
だが、村民の気持ちを無視した改革は必ず対立を引き起こし、血を見ることになる。
村人と村の外の人間との軋轢を避け、世相に乗り遅れない範囲で少しずつ外の発展を取り入れていく。
これが一番現実的だと思うが?
――何が『思うが?』だこのタマナシ!
俺たちの意見を薄くパクってるだけでよくもまあエラそうに言えたもんだよな!
てめぇみてぇなフニャチン野郎は一生結婚なんざできねえな!
――そんな中途半端な姿勢で村を率いていこうだなんて、滑稽だぞ総一郎。
それこそ、お前の嫌いなアタマが堅くて古い老人そのものじゃないか。
お前、実は何歳かサバ読んでるんじゃないか?
――ふん、僕はキミたちのような極端な過激思想は持っていないというだけだよ。
それこそ歴史を紐解けば、改革と称した革命など、いとも簡単に瓦解している。
厳一郎、キミこそ先人に学ぶべきだ…! 旧き知恵をないがしろにする者に発展などない。
それから剛一郎、フニャチンだのなんだの、今の議論にはまったく関係ないと思うが?
まあ、野蛮なキミたちにはあの娘は到底釣り合わないね。
家柄も人柄も、彼女の伴侶にふさわしいのは神楽家、この僕に相違ないからね。
――好きに言ってろよ古一軒家!
――テメェだってたまたま今の村長の息子ってだけだろうが!
■
村の未来を語るはずが、いつも話がこじれて、いつも脱線して、村のマドンナをめぐる口喧嘩に帰結した。
結局、彼女を娶ったのは総一郎だったし、村長として村人を率いる立場に収まったのは厳一郎だった。
総一郎には散々言い込められ、厳一郎にはさんざん煮え湯を飲まされた。
勝てたのは殴り合いだけだった。
けれど、そんな敗北の思い出すら今は懐かしい。
「こんな結末、お前だって望んじゃいなかったろ……!
応えろよ、応えろよゲンちゃん! ソウちゃん!
夢であってくれよ!
そうだろ? さっきの地震で俺は死んで、死ぬ前に悪い夢を見てるだけなんだろ……!?
なあ、そうだって言ってくれよ!」
剛一郎の悲嘆は、誰の耳にも届かない。
彼の声に答えてくれる親友たちは、もうどこにもいない。
「くっそぉぉぉォォ!」
びりびりと空気を震わせるほどの大音量が、部屋を揺るがした。
心振るわせるような慟哭が、建物を揺るがした。
うぁうぁと喚くだけの肉人形になってしまった親友たちを、会議室と隣の空き部屋にそれぞれ隔離する。
カギはかけられていないが、本能だけで動く彼らが扉を開くことなど到底不可能だ。
レバーを下げて、扉を引いて、開くという高度な動作をおこなうことはできない。
「ソウちゃん。しばらくそこで大人しくしといてくれ。
目が醒めたら、生き残ったやつらの世話は頼むわ。
ゲンちゃん。俺は先に地獄で待ってる。
目ェ醒めたら、ケジメ付けろよ」
独り言だ。もはや誰の元にも届かない言葉だ。
けれども、目の前に親友がいるかのように今生の別れを口にする。
「俺は余所者どもを皆殺しにする。
この村をめちゃくちゃにした奴らを全員殺す。
だが、それでもこの騒動が収まらなかったなら……」
そのときは、率先して自死を選ぶしかないのだろう。
村人たちは家族同然。
女王感染者とやらが、剛一郎自身ではないとどうして言い切れる。
必死で生き残った正気の村人を全員殺し、自分こそが元凶だったと判明すればどのツラ下げて親父やおふくろの元にいけばいいのか。
こんなことになるまで、村長を止められなかった責任は剛一郎にだってあるのだから。
館内には、避難所設営のために呼び寄せた仲間が何人か残っているはずだが、
誰も剛一郎を止めに現れないということは、そういうことだと思うしかない。
あるいは、騒動が終われば元に戻る可能性があるだけ、よかったのかもしれない。
せめて彼らにかち合わないように、非常口から外へ出る。
村はずいぶん発展したが、彼方に見える一際大きな山も、夜空一面に輝く星も、あのころとまるで変わらない。
けれども、耳を澄ませれば悲鳴や、呻くような声が風に乗って運ばれてくる。
この村はもう終わってしまったのか。
いや、終わらせないために行動するのだ。
公民館の敷地を出たところで、ふと、立ち止まる。
村の未来のかたち、その話が三人の間で一応決着がついたのは、三十余年ほど前のことだったか。
あの日、三人で誓いを立てた。
その言葉が、記憶の中からよみがえる。
■
『俺はやるからな!
俺の手で、この山折村を日本の中心にするんだ!
山折村の名を、俺たちの誇りを、全国に、全世界にひろげるんだ!』
『キミだけに任せておけるワケがないだろう?
ふん、まあいいさ。お上に睨まれないように、僕が手を貸してあげるよ。
山折村の発展は神楽家の尽力あってこそのものだと歴史に刻み込まなければね』
『バカ野郎! お前ら二人だけで村を動かせるなんて思ってんじゃねえぞ!
村のみんなの同意を取ってこそだろうが!』
『なんだ、剛一郎は俺の夢に乗るのは反対か?』
『んなこと誰も言ってねぇよ!
発展に付いていけないヤツ、発展にかこつけてやってくる悪党、そんなやつらが出ないように守りを固めろってコト…。
あー、いい、もういい! そこは俺がどうにかする!
お前らの未来ってヤツが仮に失敗しても、俺がフォローしてやる!
後ろは俺に任せろ! 俺が村を守ってやる! お前らは前に進め!』
■
日が高く昇り、心地よい風の吹く、夏のあぜ道の記憶。
高級住宅街が建設される以前の、昔懐かしい田園風景。
三人で誓い合い、掌を重ね合わせた記憶がよみがえる。
死を覚悟したからこそ、走馬灯のように思い出が流れていくのだろうか。
思わず手を伸ばしてしまうも、重ねられる掌はもうない。
まだまだ未熟であった三人。
世間の荒波などまだ何も知らなかった若造だった三人。
その誓い、そして輝かしき未来への期待。
彼らが再び会することも、そしてあのときの誓いが正しく結実することも、もう二度とないだろう。
【B-2/公民館前/一日目 深夜】
【
郷田 剛一郎】
[状態]:健康
[道具]:なし
[方針]
基本行動方針:ゾンビも含めて村人を守る、よそ者は排除
1.余所者を皆殺しにする
2.余所者がいなくなっても事態が解決しない場合は自決する
※山折厳一郎はゾンビとなり、公民館の一部屋に隔離されています。
※神楽総一郎はゾンビとなり、公民館の一部屋に隔離されています。
最終更新:2023年01月08日 19:12