山に囲まれた景色が嫌いだった。
見渡す限りの風景はどちらを向いても山に阻まれる。
それがまるで自分を捕える檻みたいで嫌だった。
村長の息子。
それがこの閉じられた田舎町『山折村』の中で与えられた山折圭介の立場である。
長男である圭介は、いずれ村長の座を引き継ぐことになるだろう。
それは生まれた時点で決定づけられた運命であり、周囲もそれを期待していた。
彼にとってこの村は逃れられない檻だった。
その折り目が変わったのは、父が村長の座についてからだった。
伝統を重んじる祖父の方針を良しとせず、父は村をより良くしていこうと様々な改革を打ち出し村の開発を進めていった。
畑と山しかない牧歌的だった景色は、開発の波に呑み込まれ新しい風景に塗り替えられて行った。
変わりゆく街並み。
田畑ばかりだった牧歌的な田舎町は、商業施設と高級住宅が珍しくなくない景色に変わって行った。
嫌いだった街並みが変わって行くのに、どういう訳か心の中にはどこか寂しさがある。
何もかもが変わってゆく。
見上げた星の瞬きすらも、時と共に変わってゆく。
自分たちが大人になる頃には、この世界はどうなっているのだろう。
その不安と恐怖に立ち尽くしてしまいそうになる。
「――――変わらない物はあるよ」
その手が柔らかな感触に包まれた。
不安を取り払うような暖かな体温が伝わってくる。
ずっと好きだった少女。
長年抱えてきた想いを通じ合わせ恋人となった少女。
このぬくもりを離さない。
彼女と共にずっとずっと生きてゆく。
何があろうとも、何がどう変わろうとも、彼女だけはずっと自分の隣にいる。
それだけは変わらないのだと。
そう信じて疑わなかった。
■
夏も始まろうと言う6月。
すっかり夜も更けた時間の事だった。。
街の明かりが消え空に浮かぶ星の瞬きが強まった頃。
いつものように、圭介は2階にある自室でくつろいでいた。
「…………ん?」
最初に気づいた異変は、小さく揺れるカーテンの動きだった。
窓が開けっぱなしだったかなと、椅子から立ち上がろうとしたところで、ガタンと世界が揺れた。
それがなんであるかと言う気づきよりも先に、恐ろしいまでの振動が大きなうねりとなって壁や家具を揺り動かした。
「っ!? ぁあ…………!?」
少年は慌てて安全な体制を取ろうとその場に屈みこんだが、それがなんの抵抗になろうか。
まるでミキサーの中でシェイクされているかのようだ。
めくれ上がったカーテンの隙間から外の景色が覗く。
田舎町の夜を彩る静寂は壊れ、波みたいに大地が揺れ動き、これがかつてない程の大地震であると知らせていた。
いつ世界が崩壊してしまうとも分からぬ恐怖。
それがどれほどの時間続いていたのか。
「………………………………収、まった……?」
永遠に続くのではないかと思われた揺れが、ようやく収まった。
恐る恐ると言った風に顔を上げて周囲を見る。
部屋の中はかき回されたように崩れ悲惨なありさまだった。
ゲーム機や漫画本が撒き餌みたいにばら撒かれ、勉強机の引き出しは飛び出し中身がぶちまけられている。
ひとまず自身の無事を確かめる。
何処かに打ち付けたのか、多少の打撲はあるが目立った怪我はなさそうだ。
まだ生きている。
それを確かめ、深呼吸して心を落ち着ける。
酷い地震だった。
たしか父は公民館にいるはずだ。
リビングいるはずの母は無事だろうか?
圭介は入り口を塞ぐように倒れていた本棚を起こし、扉も閉めずに部屋から飛び出る。
「お袋! 無事か!?」
慌てたように階段を下りながら、リビングに向かって声をかける。
そこには、ぐちゃぐちゃになったリビングに佇む母の姿があった。
ひとまず大事はなさそうである。
「……圭介!? 私は大丈夫だけど。圭介は怪我はないの?」
「ああ。大丈夫だよ」
よかったと、母は胸をなでおろす。
「そうだ…………お父さん、お父さんに連絡しないと」
顔を蒼くしながら、母がリビングに落ちていた電話の子機を拾い上げる。
その様子を見て、圭介も思い出す。
「そうだ………………光っ」
思い出したようにポケットに入っていたスマホを取り出す。
短縮をコールするが、先ほどの大地震の影響だろうか、一向に繋がらない。
「くそっ……! お袋、悪いがちょっと出てくる」
片づけを手伝おうともせず圭介は駆け出す。
母も電話が繋がらないのか、子機から耳を離し圭介に向かって叫ぶ。
「こんな時にどこに行くの圭介!?」
「近所の様子を見に行くだけだよ。周囲の安否確認も村長の仕事だろ?」
母が引き留めるのも聞かず、玄関へと向かう。
地震で落ちた玄関に備え付けの懐中電灯を拾い上げ、軽くスイッチをオンオフして動作を確かめてから外に飛び出した。
夜の街を走る。
備え付けられた街灯は幾つかが折れ曲がり、不気味に点滅していた。
圭介の住まいは高級住宅に並ぶ一軒家で、周囲はここ数年で作られたばかりであるため耐震構造はしっかりしている。
目に見えて崩れた建物は少ない。
だが、旧家ばかりの民家群の被害は如何ほどか。想像するだけでも恐ろしい。
彼女の家はそれほど遠くない。
少し走って角を曲がればすぐにつく距離だ。
だが、角を曲がる前に向こうから懐中電灯の光が近付いているのが分かった。
それが何者であるかを認識して叫ぶようにその名を呼んだ。
「光ッ!」
「圭ちゃん!」
日野光。
圭介の恋人であり、探し求めていた相手である。
駆け寄った恋人たちは互いの無事を確かめるようにヒシっと抱き合う。
「大丈夫か!? 怪我はないか?」
「うん。私は大丈夫。家族も無事だよ。圭ちゃんは?」
「ああ俺も無事だ、お袋も大丈夫だ」
「そっか。よかっ、た……」
言ったところで、光の体がふら付いた。
慌てて倒れそうになる体を支える。
「……光? どうした?」
「ゴメン……なんか頭がぼーっとして」
「……大丈夫か? やっぱりさっきの地震で頭でも打ったんじゃないのか? それともまさか熱でもあるんじゃ……」
そう言って圭介は熱を測るため光の前髪を掻きあげその額に触れる。
「ッ!?」
だが、触れた瞬間、驚いたように手を離した。
発熱はない。
いや、発熱どころか熱がない。
光の体は、まるで死人みたいに冷たかった。
冷水にでも浸かっていたのだろうか?
この初夏に?
それを問い質そうとしてところで。
どこからともなく響いてきた。
『…………聞こえ……るだろ……か…………』
ノイズ交じりのその声が。
■
放送が終わる。
それは、荒唐無稽な内容だった。
村の地下で秘密の研究がおこなわれてきた?
ゾンビになるウイルスが漏れだした?
訳が分からない。
とてもじゃないが真に受ける方がどうかしているような内容だ。
この村には訳の分からない陰謀論を声高に喧伝するイカれた連中が少なくない。
地震と言う人々の不安を煽る出来事が起きた直後だ。
これもその一つである可能性は高い。
こんな内容を思わず信じてしまいそうになったのは圭介も地震の直後で心が不安になっていたからだろう。
落ち着け。この状況だからこそクールになれ。
訳の分からない放送に惑わされている場合ではない。
余震や二次災害に巻き込まれぬよう自分たちの安全確保が最優先だ。
まずは体調の悪そうな光を休ませなければ。
「光。親父が避難準備を進めているはずだ、それまでひとまず俺の家で休もう。そっちの方が近い。
オジさんやタマとは避難所に向かう時に合流すればいいさ」
光は頭を抱えて苦しそうな様子のままだ。
それでも圭介に応えるように気丈に笑顔を作る。
その手を引いて歩き出す。
伝わるその手の冷たさに、言いようのない不安を抱えながら。
「少しだけここで待っていてくれ」
家の前までたどり着き、繋いでいた手を離す。
光は俯いたまま返事はない。
その様子を不安に思いながらも、玄関先に光を残して脱出口確保のため開きっぱなしにしていた玄関を潜った。
「お袋!」
そのまま駆け込む様にリビングに飛び込む。
だが、そこに在ったのは既に終わった光景だった。
「なんだよ……これ…………?」
地震によって荒れ果てたリビング。
そこにいたのは変わり果てた母の姿。
いつも穏やかだった母がうーうー、うーうー、とゾンビみたいに呻いてた。
ゾンビは侵入してきた圭介の姿を認めると、ギュルリと首を回して視線を向ける。
白目を剥いた理性のない瞳、その口がボタボタと涎を垂らしながら大きく開かれた。
「うわぁああああ!!!」
マヌケな悲鳴を上げて後ずさる。
地震で崩れた家具に足元を取られ、スッ転んだ。
転んだ圭介に向かって、ゾンビが迫って来た。
倒れた状態では逃げようがない。
牙をむいたゾンビが迫る。
「……やめろ、嫌だ! 『来るな!!』」
そう叫んだ瞬間、ゾンビの動きがピタリと静止した。
何が起きたのか。
戸惑いながらも、相手の動きを警戒しながら恐る恐る壁に手を突き立ち上がる。
「…………なんだ……今の感覚?」
自らの手を見る。
奇妙な感覚だった。
何がどうあった訳でもないのに。
”自分がそう出来る”と分かった。
静止しているゾンビに手を向ける。
「…………『座れ』」
ゾンビが跪く。
まるで王に傅く様に。
これまで存在しなかった三本目の腕が生えたような感覚。
体の一部を動かすように、その異能を操れた。
放送を思い返す。
呆けている場合ではない。
ゾンビが生まれるというあの話が与太話ではないとしたなら、外に残してきた光が危ない。
傅いたままの母を残して、踵を返して玄関へと走り出す。
「光………光っ!! ひ……そん、な…………」
「ぅ……………ぅ……ぁあ………ッ」
だが、圭介を出迎えたのは母と同じように正気を失った恋人の姿だった。
何よりも愛らしかったその瞳は血走り、口元はだらしなく開き涎を垂れ流している。
性質の差か、母のゾンビと違っていきなり襲い掛かってくることはなかったが、曖昧に呻きながらその場をグルグルと廻っていた。
その姿を見て、嫌と言う程実感した。
あの放送は真実だった。
世界は終わり、この村は地獄と化した。
ならば、その解決方法は。
固く拳を握りしめる。
圭介はまたしても踵を返すと、靴のまま階段を駆け上がって開きっぱなしなっていた自室に飛び込む。
そして、ごちゃごちゃになった部屋を漁り埋もれていた木刀を探り当てた。
これでも地元道場に通い剣道の心得はある。
覚悟を決める。
光を取り戻すためなら、なんだってやってやる。
その決意を示す様に木刀の柄を強く握りしめた。
あの放送は言っていた。
このゾンビ騒ぎには元凶たる女王がいると。
その女王を殺せばゾンビになった人間は元に戻る。
それは絶望の中で差し伸べる一筋の光だ。
その光に手を伸ばす。
「光。俺はお前を絶対に助ける。だからついてきてくれ」
外に出て、待っていてくれた光に向かって手を差し伸べながらそう言った。
その言葉に光が小さく頷きを返すと、伸ばした手を取ってくれた。
その冷たい手を握りしめる。
寄る辺のない夜の街を、二人手を繋いで進んでゆく。
心を包み込むような温もりはなく。
あるのは胸を突くような痛みだけである。
頷いたのか、頷かせたのか。
圭介にはもう分からなかった。
【C-3/山折家/1日目・深夜】
【
山折 圭介】
[状態]:健康
[道具]:木刀、懐中電灯
[方針]
基本.VHを解決して光を取り戻す
1.女王を探す(方法は分からない)
2.正気を保った人間を殺す
※異能によって操った光ゾンビを引き連れています
最終更新:2022年12月29日 10:34