実に恐るべき地震であった。
前世における、世界最高峰の大魔導士たちが集っての儀式魔法であっても、あるいは魔王の絶大な魔力であっても、
これほどの大災は引き起こせないだろう。
そして恐るべきは、これにも耐えるこの世界の建築技術よ。
人間の王都ですら一撃で滅ぼすほどの地震を以って、この学び舎は苦も無く耐えきっておる。
つくづく、異世界なのだなあ。


我は豚である。名前は和幸。
鈴のついた首輪をワンポイントのアクセサリとし、白い鼻先がチャームポイントだ。

四方を山々に囲まれた学び舎の裏側。
そこが、我が今生の邸宅である。
先ほどの地震で、邸宅の柵こそ壊れているものの、我はここから逃げ出そうという意志などまるでない。


「かずゆきー!」

ほら、来たぞ来たぞ。
そろそろ来ると思っておったわ。
この世に生まれて800日、もはや聞きなれた人間のおなごの声よ。

「かずゆきー、ほら、だいすきなとーもろこしだぞー!
 みんなでそだてたとーもろこし!
 かずゆきのためにもってきたんだよー!」
「こら、千紗! 待ちなさい!
 そんなに急がなくても和幸は逃げないから!」
「わん、わん!!」
「パパもデコイチも、いそいで~。
 かずゆきがまってるんだよ~!」


おお、おお、我が至福の時が来た!
両手に袋をぶら下げた屈強な男――あやつは千紗の父親であり、我と同じ名を持つ異世界の格闘家よ。
うむうむ、我と同じ名であるからには屈強なのは当然であるな。
そやつの持つ袋の中から、脳みそすらとろけそうな濃厚かつ芳醇な香りが漂ってきおる。
すい~と、かつ、えくせれんとな我のための至高の晩餐!
たまらん! ぶっひいいいい!

「わおん!!」

おっと、デコイチも元気そうだな?
これこれデコイチ、じゃれついてくるな。
あとでたっぷり遊んでやるから。
今はだな、この黄金の一粒一粒を味わいしゃぶって舐り尽くすことに我が全生命をかけるのだ。

「わおん……」

待っておれ、腹ごしらえしたら走り込みでも取っ組み合いでもなんでもしてやる。


飼料箱になみなみと注がれていく黄金。
いまかいまかと待ちわびた黄金の海に、頭をうずめる。
うむ、うむ、やはり至高である。
この世界の食物、実に美味い。

我はどれだけ狭い世界で生きておったのか、それをまざまざと見せつけられたわ。
いや、我が邸宅は確かに狭いが、そういうことではないぞ?


本能のままに暴れまわり、仲間の躯を踏み越えて、争いに明け暮れていたころに比べれば、なんと心穏やかな日々であることよ。
下等な人間どもを滅ぼさんと、集落を襲い、男を食らい、女を犯し、赤子を踏みつぶしていた我に、まさかこのような感情が芽生えようとは。
あのころは戦利品として黄金を根こそぎさらっていったが、この目の前に広がる黄金郷に比べれば、路傍の石のようなもの!
まがいものも同然よ!

千紗が我に抱き着いて、足をばたばたさせておる。
こんな姿、前世の我が見たら、なんというだろうな?
腰を抜かして立てなくなるのではないか?

「きっとあとで、じんじゃのおねえちゃんもきてくれるよ!
 おねえちゃんもかずゆきのことだいすきだもんね!」
「あのなあ、地震で犬山さんとこは忙しいんだ。適当なこと言わない!」
「くーるーのー! おねえちゃんくーるーのー!」

うむ、我は千紗を信じるぞ。
犬山うさぎは声も見た目も性格も我の好みだ。
思わずしっぽをフリフリしてしまうわ。
鈴をちりんちりんと鳴らしてしまうわ。
ぶひぃ。

千紗はもう少し大きくなろうな。

「ほら、千紗、ぶら下がらない!
 和幸も困ってるだろ」
「かずゆきはわたしのことだいすきだもんね~!
 ほらー、パパもとーもろこしー!」
「うん? おいおい、おれもこれを食べるのか?
 人間が生で食って大丈夫な品種だったかなこれ……」
「たーべーるーのー!!
 すききらいしてたら、おーきくなれないんだぞー! つよくなれないんだぞー!
 ぱぱのよーわーむーしー!!」
「よわむし!? 言ったな? パパを弱虫って言ったな!?
 それを言ったらおしまいだろうがよ!
 見てろ、パパは好き嫌いなんてしないぞ!
 千紗よりも和幸と仲良いところを見せてやるからな! なあ、和幸?」
「わん、わん、わん!」
「あーっ! こら~、で~こ~い~ち~!!
 ひっぱっちゃだめー! パパのとーもろこしもっていっちゃダメ~!」

我にぶら下がって我の身体を引っ張っていた千紗は、
今度はデコイチにひっぱられて行ってしまった。
とうもろこしの袋をくわえたデコイチを追いかける千紗。
うむ、眼福である。

「お互いに、苦労させられてんなあ」

いやいやカズユキさん、そなたほどではないよ。
いやいやカズユキどの、あなた様ほどでは。


なぜか心が通じ合った気がする。

「パパー、とーもろこし返してもらったよー!」
「わおん! わおん!」
「よし、食うか! 男にゃやらないといけないときがあるからな!」
おう、食え食え。
食わんのなら我がもらうぞ。




ぶっふううーー!
「うへえぇぇぇ……」


いったん腹休めだ。
腹に詰めすぎた。

この世の終わりを思い起こさせる大地震に揺られたときはよもやこれまでかと思ったが……。

黄金の山に眼福なおなご。
そして千紗が言うには、我が愛しの聖女・犬山うさぎの来訪が確約されておる。
ちゃんと来るよな? ちゃんと来るよな? ウソついたらふごふごするぞ?

きっと彼女もしこたま黄金を抱えているのだろうなあ。
今宵は学び舎に人が多すぎて、タヌキは来ぬだろうが……。
今度会ったら飽きるほど自慢話を聞かせてやろうかなあ!
うむうむ、幸福の絶頂とはまさにこのことよ。

「ぶぅーっふっふっふ!」
「おいおい、息切れしてんじゃねえか! お前も食いすぎだろ!
 誰に似たんだよまったくよお……!」
「ぱぱー」
「わおん!」
「あのなあっ!」


今思えば、本当にあのときが幸福の絶頂だったのだなあ。




どこからともなく流れてきた声、その内容は半分も理解できなかった。

だが、ゾンビに関しては前世の知識がある。
大地からあふれ出した瘴気にあてられることで、ヘタをすれば都市ひとつ丸ごとアンデッドの巣窟になるという特級の災害。
こうなれば、オークだろうがゴブリンだろうがオーガだろうが関係ない。
それこそドラゴンですら抗えないと聞く。
人間ではひとたまりもないだろう。
犬ももちろん、そして当然我も例外ではないだろう。


「千紗ぁ……、う、がああっっ、あぁ、はぁ、しっかり、しろ……。
 パパが、ついてるから……」
「ぱぱ……でこいち……さむい、よ……」
「くぅん……くぅん……」


そうか。人間は寒いのか。
我は、身体が燃え盛るように熱い。
勇者の剣で身体を斬り裂かれ、一度目の生を散らしたあの瞬間のようだ。

どくん、どくんと心臓の鼓動が大きくなるのが分かる。
たしか、耐えられぬものはゾンビになると言うたか。
前世の罪は前世の罪。
勇者に殺されたとき、我の前世の罪はすべて洗い流されたのだろうと思っていたが。
まさか、黄金の海に頭をうずめることが許されざる罪なはずがあるまいに。

もっとも、死というのはいつも突然訪れるものだ。
短いながらもよき友に恵まれた、心穏やかな生涯であった。
そうして目を閉じていたが……。



「お、前! 和幸か!?」
和之の声に、再び目を開ける。
身体の熱さが引いている。
和之と千紗、そしてデコイチが縮んでいる?
いや、違う。柵は踏みつぶせそうなほどに低く、学び舎もまた、いくぶんか縮んでいるように見える。
そうか、我は適応したのか。
そして、彼らは適応できなかったのか……。

「う、うがあああっ!!」
我の知識では、鍛え上げた肉体を以ってしても、高潔な精神を以ってしても、亡者となるのは避けられない。
和之は、千紗やデコイチとは耐性の差があるのか、それとも単に肉体が大きくて進行が遅いだけなのか。
だが、遅いか早いかの違いだけだ。
彼も、いずれ亡者となるのだろう。

「な、なあ、和幸。お前、無事だったのか……?
 も、し、おれの言葉が、通じるんなら……!
 ぎぃっ!! はぁっ、はぁっ!
 いま、すぐ、おれ、を、殺せ!
 娘に、手を、かける……ッ!! 前に!! 殺せええぇぇっ!!!!
 そして、どうか、ちさ……を……
 グワアアァァッ!!!!」


それが、和之の遺言であった。
我と同じ名を持つ誇り高き勇士よ。
そなたの誇り、聞き届けた。
我は一息に木の柵を引き抜き、和之の心臓目がけて突き刺す。

「ガァアアアァァ……ッ!!」

びくりと痙攣し、それっきり和之の動きは止まった。

和之が千紗を殺すことはない。
だが、デコイチが、血に飢えたオオカミのように、千紗の肉を噛みちぎっている。
仮にデコイチがいなくとも、学び舎の表に集まっているであろう亡者たちに食い殺されるだろう。
もはや、助かるまい。
ならばいっそ、苦しまぬように送ろう。
我が最愛の友たちを、この手で送ろう。




二人の小さな友の命を絶ち、その肉体を丁重に寝かせる。

なつかしき肉体だ。
だが、肉体こそ精強であるものの、気の向くままに暴れていたあのころのようには動かせない。
平和な生活に慣れ切り、勘も技術もなまりきったらしい。
もはや人間を襲って食らっていたあのころに戻る気もなければ、戻れることもないだろう。

この村には、少し馴染みすぎた。
千紗ほどではなくとも、我と親交のある者たちもいる。
犬山うさぎはどうなっただろうか。

彼女は村の中央に佇む、神社と呼ばれる聖殿に住むと聞いたことがある。
もし彼女もまた、亡者となり苦しんでいるのであれば、友たちの元に送るべきかもしれない。
いずれにしろ、三度目の生だ。
風の吹くままに、進んでみるのもいいかもしれない。


飼料箱に入った、ずいぶんと狭くなった黄金の川。
掌に取り、一粒一粒を噛み締める。
姿は変われど、至福であることに変わりはない。
けれども、何かがぽっかりと抜け落ちたように感じる。

まだ袋に入ったままの黄金を手に取り、柵を片手に学び舎の塀を越える。
北西に広がるのは、緑の海。
ざあざあと風に揺れてこすれる穂の音が、どこか寂しく感じられた。


【C-7/小学校北西/一日目 深夜】
【和之】
[状態]:健康
[道具]:とうもろこしの入った袋、木の柵
[方針]
基本行動方針:風の向くまま、村を散策する
1.犬山うさぎの様子を見に行く
2.亡者になった知己は解放してやる

デコイチ(ゾンビ)、暁 和之(ゾンビ)、暁 千紗(ゾンビ)は死亡しました。
 小学校裏の飼育小屋に遺体が葬られています。


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最終更新:2023年01月14日 06:30