「きゃ、きゃひぃ~~~~~~っ!!」
グルグルの丸眼鏡の男が素っ頓狂な悲鳴を上げながら、ゾンビだらけの畦道を白衣を振り乱して逃げ回っていた。
彼、与田四郎は運動すらまともにしたことのない貧弱な研究員である。
カフェインで眠気を覚ましながら足りない栄養をサプリメントで補給する生活を送っていては体力など付くはずもない。
そもそも白衣とローファーが運動に適していない。
すぐに息も絶え絶えになって駆け抜ける足が緩む。
「はひ…………はひぃ…………」
完全に体力は尽き、もはや小学生でも追いつけるような速度である。
こうなっては格好の獲物だ。
背後から大量のゾンビがすぐそこまで迫っていた。
残念。敢え無く与田四郎の人生はここで終わってしまった。
と思われたが、次の瞬間だった。
バンと勢いよく四郎の背後にあった掘っ立て小屋の扉が開かれたのだ。
そこから伸びた白い手が白衣の襟首を捕むと小柄な四郎の体を小屋に引きずり込んだ。
そのまま乱暴に放り込まれ四郎は尻もちを付く。
同時に扉が閉まり、外のゾンビたちをシャットアウトする。
外からはガリガリと扉を引っかく音がするが突破はできないようである。
「ハロハロ~。こんばんは与田センセ」
「は、花子さん!? どうして」
軽い調子で掘っ立て小屋に立っていたのはスーツ姿の麗人――――田中花子だった。
最近村にやってきた観光客で、大した病気もないのに診療所に足蹴く通っていた女性である。
四郎も医師として往診したことがある。
その時、妙に四郎の個人情報を探ってきたので自分目当てで通っていたのではないかと己惚れていたが。
こうして助けてくれた辺り、己惚れでもないのかもしれない。
そんな妄想を支持するように、尻もちを付いたままの四郎に向けて花子から優しく手が差し伸べられる。
「えっ?」
だが、その手を取った瞬間、ぐいと手を引かれたかと思えばひっくり返され、あっという間に地面にうつ伏せに組み伏せられる。
そのまま後手に固められ、後頭部に触れたのは柔らかな胸の感触などではなく、冷たく固い鉄の感触だった。
それが突きつけられた銃によるものだと気づいた瞬間、四郎の体は震えあがった。
「うっ……ぐ!? な、なにを!?」
「ちょっとお話聞かせてもらっていいかしら? 『未来人類発展研究所』の研究員、与田四郎さん」
「な、な、な、な、何の事ですぅ?」
「おとぼけはなしにしましょ。とっくに調べは付いてるのよねぇん。それに――――」
軽い調子から一転、その声が冷たく低いモノに変わる。
「こっちも相棒がウイルスにやられて気が立ってるの。お分かり?」
殺意すら籠った声に四郎は付きつけれらた銃よりも恐怖を感じた。
田中花子は某国に送り込まれたエージェントである。
その目的はこの村にある研究所の調査。
潜入と下調べが終わり、ようやく本格的な調査を行おうという段階になってこのバイオハザードに巻き込まれたのだった。
通常であれば花子もターゲットにこのような強硬手段は取らない。
相手に調査があったことすら疑わせないのが一流のエージェントのやり方だ。
だが、ここまでの緊急事態である。既になりふり構っている場合ではなくなっていた。
「それじゃあ、楽しくお話ししましょうか、与田センセ」
■
尋問、もとい楽しいおしゃべりを終える。
四郎は快く話し合いに応じてくれたため、粗方の事情はつつがなく聞き終えることができた。
話し渋るようなら手足の一つでも打ち抜くつもりだったので少々拍子抜けではあったが。
「……ウイルス研究ね。つまりさっきの放送の内容は正しかったと言う事でいいのね?」
「え、ええ。そうですね。内容としてはだいたい合ってます。まぁ僕も知らないような内容も何点かありましたけど……」
そう僅かに研究者は口ごもった。
「知らなかったって例えば?」
「えっと、ゾンビだの女王だの例えと言うか呼び方は初耳でしたし、後は48時間後に処理される、なんて話とか……」
48時間以内に事態の解決が診られない場合、全てが焼き払われる。
そう言う話だったか。
「その処理の当たるのは誰なのかしら? 研究所お抱えの特殊部隊でもいるの? それとも何か国と取り決めが?」
「知りませんよ。知る訳ないでしょ僕が。そりゃあ警備員くらいはいますけど、軍隊みたいな強力な人達でもないですし」
「ま。そうよねぇ」
この下っ端が上の条約を知っているとはさすがに思ってはいないが、少なくとも与田の知る範囲では研究所にお抱えの兵隊いなさそうだ。
そうなると外部組織という事になるが、この手の汚れ仕事を担う組織にはエージェントである花子にはいくつか心当たりがある。
有力なのは自衛隊の秘密特殊作戦部隊『Secret Special Operations Group(SSOG)』の連中だろう。
人格ではなく能力のみで選出された人外部隊。花子も過去の現場で顔を突き合わせた事もある。
奴らが動いているとなると相当に厄介だ。
「何台もドローンが飛んでたし、恐らくすでに包囲されてるというのは本当でしょうね」
「……ドローン? そんなの飛んでましたっけ?」
はてと組み伏せられたままの四郎が首を傾げる。
逃げるのに必死で気づかなかったのか、そんな惚けたことを言った。
「流石に気づいたでしょ? あれだけ飛び回ってたんだから」
「いやいや、そうだとしてもこんな夜中じゃ見えませんよ普通」
すっとぼけているわけではなさそうだ。そもそも誤魔化す理由もない。
この厚底眼鏡が伊達という事もないだろう。
「そう言えば、VHが発生してから私、目が良くなった気がするんだけど。もしかしてウイルスにはそう言う効果があるのかしら?」
その言葉に四郎は納得したようにあぁと相槌を打つ。
「それは花子さんの『異能』が視力に纏わる見えない物を見る異能だったからですね」
「『異能』?」
「ええ、ウイルスに適応すると脳に新しい機能を扱う器官が生成されるんですよ」
事もなげにそう言う研究者の姿に、エージェントは眉を顰める。
「……つまり、あなた達の研究ってウイルス使った超能力開発だったってこと?」
「いえ、副所長曰く異能はあくまで『本来の目的』の過程に生まれる副産物って話です」
「へぇ。それで? その『本来の目的』って言うのは何なのかしら?」
「知りません」
「あら? センセ、頭に素敵な穴を開けたいのかしら?」
「いやいや! 本当に知らないんですって!
僕はウイルス室の温度管理と実験動物の世話と餌やりが主な仕事で、大した事情は聞かされてないんですよぉ……!」
嗚咽する勢いで四郎が嘆く。
この様子では嘘はついていなさそうだが。
「ねぇセンセ。例えば、研究の目的が生体兵器の開発だったとしたら、あなたどう思う?」
「えっと……どうも思いませんね。僕は研究ができればいいので使用目的はあまり気にしたことはないです」
素晴らしい回答である。
そこは下っ端とはいえ秘密の研究室に招かれる研究者だけのことはある。
頭のネジが外れている。
まぁそれは別にいいとして。
問題はネジの外れた研究者にも秘密にしなければならない研究目的とは何なのか、と言う点だ。
まぁ銃を突きつけられた程度でこうもべらべら喋るような軟弱な男だ。
機密漏洩のリスクを懸念していた可能性もあるだろうが。
「気になると言えば、もう一点。あの放送をしたのは誰?」
VHの発生を知らせたあの放送。
そもそもあれは何だったのか。
「わ、わかりません。ノイズ交じりでしたし」
「だとしても心当たりくらいはあるでしょ? 同じ研究員の誰かなんだから」
あえて聞かせるように突きつける銃口を鳴らす。
その音に震えあがりながら、四郎は命乞いのように声を張り上げる。
「だから、わからないんですって!! 担当セクションによっては顔も合わせませんし、僕は本当に下っ端なんですってばぁ!
研究員を全員を把握してるのなんて所長と副所長、あとは長谷川さんくらいしかいませんよ!」
「…………長谷川? 長谷川ってあの長谷川真琴女史?」
ぶんぶんと首の取れんばかりに頷く。
確か医学界の権威を両親を持つ、脳科学学会の新星だったか。
革新的すぎてお偉方からの受けは悪いそうだが。
「……彼女も関わってたのね。それで? 所長や副所長はともかく、なぜ彼女が知っていると?」
「そりゃあ、彼女、いつも副所長のお付きと言うか秘書みたいな感じで付き添ってますから。重要資料なんかも把握してるはずですよ。
いやまぁ僕もよくは知らないんですけど。研究員じゃなく副所長の愛人なんじゃないかなんて噂もあってですね」
「与田センセ? そういうゲスい噂話が好きなのかしら?」
「あぁすいません! すいません!」
ゴリゴリと銃口で後頭部を弄る。
花子もゴシップは嫌いではないが、今はそう言った下世話な話に興じている場合ではない。
今わかったのは長谷川女史がこの研究に関わりそれなりに地位にいるという事である。
「……ねぇ与田センセ、仮にあなたがVHの発生を見つけたとして、わざわざそれを放送で伝えようと思う?」
「ぜんぜん思わないですね」
「そうよねぇ……」
診療所の地下にある研究所でVHの発生を確認したとして、そこから放送を行える放送室まではそれなりの距離がある。
車を飛ばせば十分に間に合うだろうが、あれ程の大地震が起きた直後に車など乗るだろうか?
まぁ緊急時であれば乗ることも辞さないだろうが。
ウイルスに侵され、どうしても伝えなくてはと言う使命感に駆られて?
そんな真っ当な人間があの研究所にいるのだろうか?
「ま、いいわ」
聞くことは聞いたのか、四郎を押さえつけていた花子が立ち上がる。
組み伏せられていた四郎がようやく解放された。
四郎は息をついて極められていた手首を擦っている。
「どうするにしたってやっぱり、研究所を調べるしかないわね」
VHの解決を目指すにしても情報が足りない。
手当たり次第に生存者を殺していくと言う強硬策は最終手段だろう。
常であれば厳重な警備で忍び込むのは難しいが今であれば警備もザルだ。
忍び込むのは容易いはずだ。
代わりにゾンビが徘徊しているがその辺はご愛敬ではあるのだが。
「と、言う訳で、エスコートよろしくね与田センセ」
「いやいやいやいやいや! VHの発生源ですよ!? 深夜でも研究者は大量に詰めるんですからゾンビだらけですよ!?
だいたい、僕のパスじゃ大したフロアまでいけませんって!」
人的警備がなくなったとしても機械認証は生きている。
爆薬でもあれば強引に突破するのも一手だが、生憎手持ちは軽い工作セット程度でそこまでの用意はない。
まずは四郎のIDパスで調べられる範囲を調べてもいいが、それよりも深く調べられるのならそうしたい所だ。
「さっきの放送、与田センセの知らなかった情報も知ってたってことは、告発者はあなたより上の権限を持ってる人って事よね?」
「かもですね」
と言うより、与田より下がいないのだからだいたいは上だろう。
あの放送によれば告発者はゾンビになっているはずだ。
普通に考えるなら放送室に行けばその周辺に屯している可能性は高いだろう。
見つけ出せば上位のIDパスが手に入るかもしれない。
となると選択肢は二つ。
研究所か、放送局か。
「どっちにせよしばらく付き合ってもらうわよ、与田センセ」
「ひぃ~~っ。そんなぁ!」
【F-3/掘っ立て小屋/1日目・深夜】
【
田中 花子】
[状態]:健康
[道具]:ベレッタM1919(9/9)、弾倉×3、通信機(不通)、化粧箱(工作セット)
[方針]
基本.48時間以内に解決策を探す(最悪の場合強硬策も辞さない)
1.研究所を調査するor放送室周辺を調べて告発者のゾンビを探す
【
与田 四郎】
[状態]:健康
[道具]:研究所IDパス(L1)
[方針]
基本.生き延びたい
1.花子に付き合う
2.花子から逃げたい
最終更新:2023年01月10日 21:24