山に閉じられた山折村。
その唯一の入り口であるのが、村の南端に位置する「新山南トンネル」である。
そしてその新山南トンネルから最も遠い対面の山腹にその神社はあった。

山腹に位置するその神社に到達するには長い長い階段を登る必要がある。
加えて、その神社は古めかしいだけで大した建造物もなく見どころもない。
そのため村が目覚ましい発展して行っても、ここだけは参拝客が増えることもなく、いつも閑古鳥が鳴いていた。

だからこそなのだろう。
この神社は心地よい静謐な空気が保たれ、常に気の引き締まるような神聖な雰囲気が漂っていた。

年代掛かった小さな鳥居に、苔の生えた手水舎と石畳の道、そして境内で揺れる木々達。
本殿の裏手では山から下りてきた動物たちの姿がよく見られた。
時間に取り残されてしまったような古めかしい雰囲気が漂う、そんな神社が私――犬山うさぎは好きだった。

宮司の娘として生まれ、神社と共に育った。
庫裏で暮らしながら、神社に集まる動物たちと戯れながら暮らす。
そんな生活が好きだった。

私は今、境内に続く階段を登っていた。
村人ですら嫌厭するこの長い階段にも慣れたものである。
苦も無く登り切り、境内へとたどり着く。

「うわぁ。すっかり崩れちゃってるなぁ……」

だが、辿りついた境内は見るも無残な有様だった。
ぱっと見た限り、無事なのは鳥居と最近立て直した社務所。あとは祭具殿くらいだろうか?
老朽化の進んでいた本殿は崩れ去り、住まいである年代物の庫裏に至ってはぺしゃんこに潰れている。

両親は村民会議で公民館にいるはずだから巻き込まれてはいないはずだ。
派閥の延長戦に巻き込まれていなければそろそろ戻る頃合いだが、地震の対応で公民館にとんぼ返りしているのかもしれない。

「来てないかぁ、お姉ちゃん大丈夫かなぁ…………」

地震の混乱ではぐれてしまった姉の姿を探す。
神社(うち)に帰っているかもと考えたけれど、残念ながらそれらしき姿はなかった。

と言うより、人の気配はなく、誰もいなさそうである。
しかし念のため、境内を廻って倒壊した建物に巻き込まれた人がいないか探しておくとしよう。
参拝客がいて巻き込まれていたら事だ。

すっかり変わり果てた境内を歩く。
神社に人気がなく静寂に包まれているのは相変わらずだが。
その静寂は神聖で静謐なモノではなく、荒廃した虚無なそれに変わっていた。
思い出にある風景まで崩れてしまったようで、心に空しい北風が吹くようである。

ふと村を一望できるこの山の上から村を見つめる。
村の明かりはいつも以上にまばらだ。
特に古民家の集合した南東あたりは光が見えない。
世界に一人になってしまったような寂しさに少しだけ不安になる。

「それにしても、何だったんだろうさっきの放送」

階段を登っている最中に聞こえてきた謎の放送。
こんな緊急時にいたずら目的であんなことをする人がいるとは、思えてしまうのがこの村なのだけど。
普段あの手の陰謀論を喧伝する鴨出のオバさんとも違う、ノイズ交じりではっきりとしたことは言えないが聞いたこともない男の人の声だった。

そんな事を考えながら歩いていると、その思考を打ち切るように音のない境内にギィと古めかしい扉が開く音が響いた。
少しだけ驚いて振り返ると、ゆっくりと祭具殿の扉が開かれ、その奥より紅白の巫女服を着た少女が現れた。

明かりのない境内を月が照らす。
少女が姿を見せた瞬間、周囲の空気が変わった。

腰元まで伸びた夜を照り返す艶のある深い黒髪が揺れる。
この世の物とは思えないほど白く透き通る肌が月光に映える。
その顔には化粧気はなく唇に薄くひかれた紅のみが少女の女らしさを示していた。

「あっ、春ちゃん。そんなところにいたんだ。大丈夫だった? 怪我は無い?」
「大事ない。うさぎも息災で何より」

時代掛かった喋り方をする彼女こそが神楽春姫。
留守を任されていた我が神社唯一のアルバイトであり雇われの巫女だ。
アルバイト中だけではなく、普段から紅白の巫女服と言う変わり種で、村一番の器量良しでもある。

美人は三日で慣れると言うが、相変わらず見ているだけで息を呑むような美しさだ。
ただ美しいというだけで全てを呑み込むような威圧感がある。
彼女の周辺だけはかつての静謐さを取り戻した様である。

「ところで、祭具殿で何をしてたの?」

別に泥棒を疑っている訳ではないけれど(そもそも普段から鍵は渡しているし)、ただ彼女が祭具殿で何をしていたのか気にはなる。
春ちゃんはその端正な顔つきを変えることなく、淡々とした調子で答えた。

「これより待ち受ける苦難に向けての準備をな」
「なるほど、避難準備って事ね」

それならば私もしないといけないのだが、生憎と私物や生活用品のある庫裏は潰れてしまったし、どうした物か。
ん? けどなんで祭具殿?

「ではな。妾(わらわ)は行かねばならぬ。うさぎよ、達者でな」

疑問に首を傾げている間に、そう言って春ちゃんは私を通り過ぎて健在だった鳥居をくぐって外に向かってゆく。

「え、いきなりどうしたの? 避難所(がっこ)行くなら一緒に行こうよ」

事情も分からず春ちゃんを引き留める。
そんな私の言動に、春ちゃんは何故分からぬと言った表情で形のいい眉を顰める。

「ここにいては妾の命が危ぶまれよう」
「う、うん。だから避難しようって話なんだけど……」

わざわざ一人で行くこともないだろう。
だが、村一番の美女は優雅に黒髪を靡かせながら静かに首を振る。

「そうではない。これより不逞の輩が妾の命を狙いに来る。妾はそれに備えねばならぬ」

春ちゃんが突飛なことを言いだすのはいつもの事だが、今回はまた一段と顕著である。

「どいうこと?」
「先に放された言を聞いておらぬのか?」

方眉を吊り上げ愚者を見下すような視線を向ける。
春ちゃんは好きだけど、すぐ人を見下すそういう所はよくないと思うよ。

「つまり、あの放送が真に受けた人が襲ってくるかもしれない、という事?」

確かにその可能性はないことはないだろう。
だが、ここにいると身が危ぶまれるとはどういうことだろうか。

「然りよ。村民ならば妾の所在は知れておろう? 故に妾はここを離れねばならぬ」

確かに春ちゃんがここでアルバイトをしていることは村民であれば周知の事実である。
だが、わからない。

「ん? んん? わざわざ春ちゃんを探す事はないんじゃない?」

あの放送が真実だと仮定しても、村民を無差別に襲うことはあっても、わざわざ春ちゃんをピンポイントに狙ってはこないと思うのだけど。

「何を言うか。彼奴等は女王を狙うのであろう。女王なる存在、それに相応しきは妾を置いて他におるまい?」

「………………………………なるほどね(?)」

一片の曇りもない堂々とした態度に思わず頷いてしまった。
そう言えば春ちゃんはこういう子だった。
村の始祖を謳う、神楽家の長女。
自信を特別として疑わない圧倒的な自尊心の塊。

「け、けど。さっきの町内放送も本当かわかんないし」

そうは見えないが、地震の直後でさすがの春ちゃんも弱っているのだろうか。
他人に流されない彼女があんな放送内容を信じるのは珍しい。
春ちゃんはこちらの意見を無視するように明後日の方向を見つめると、白く美しい指先で漆黒の夜闇を指した。

「見よ、夜鳥よ」

言われて、その指差す方向へと視線を向ける。
その先にあるのは町の灯が消えているからか、いつもより明るい星々と。

「……ん? ぅん~?」

眉間にしわを寄せながら目を細める。
標高の高い山腹であったからだろう、辛うじて私の目にもそこある何かが見て取れた。

「なに……あれ? 鳥さんじゃなさそうだけど?」
「さてな。あれが何たるかは妾も知らぬ。しかし常と外れた異なる事象が起きている証左であろうよ」

紅白の巫女は事もなげに異常事態を受け入れながら、するすると背中から刀を取り出した。
それは祭具殿に飾られていた儀式用の宝剣である。
どうやらこれを探していたらしい。

「妾は悪意には悪意を返す。女王たる妾を狙うような度し難きに掛ける情けなど在ろうものか。一切の容赦も呵責の念もなく殲滅して進ぜよう」

言って、シャンと宝剣を一振り。
美しく飾られた宝剣をそれ以上に美しい巫女が振るう姿はまるで演舞のようでもあった。

「じゃあ春ちゃんがしていた準備って……」
「決まっておろう、戦争の準備よ」

また物騒なことを言い出した。
止めるように言いたいが、止まれと言って止まる娘ではないのはこれまでの付き合いで嫌と言う程知っている。
少なくとも、春ちゃんが襲ってくる相手を撃退するだけの専守防衛に努めるのであれば襲ってくる人間がいなければ刃傷沙汰にはならないはずだが。

「ちょっと待ってて」

そう言って、パタパタと駆けてゆく。
私は形を保っていた社務所へと入ると、置かれていた物を手に取ってすぐさま引き返す。
流石の春ちゃんでも呼びかけを無視して出立するなんてことはしておらず、素直に待っていてくれたようだ。

「春ちゃんもこれ被って、あとこれも」

そう言ってヘルメットとをかぶせる。
そして、止めて止まらぬならせめてもの安全を願って御守を手渡す。
襲う人も襲われる人もいませんようにと願いを込めて。
春ちゃんは特に表情を変えないが、否定するでもなく素直に受け取りされるがままになっていた。

「では息災でな。女王が死なぬ以上、面倒になろうが自分で何とかせよ」

そう言って春ちゃんは境内を出て階段を下りて行った。
その背中を見送る。

私はどうするべきか。
やはり追いかけるべきだったかと悩み、うーんと考え込む。
ややあって決断を下した。

「避難所いこ」

【A-4/神社/1日目・深夜】
神楽 春姫
[状態]:健康
[道具]:巫女服、ヘルメット、御守、宝剣
[方針]
基本.妾は女王
1.襲ってくる者があらば返り討つ
※自身が女王感染者であると確信しています

犬山 うさぎ
[状態]:健康
[道具]:ヘルメット、御守
[方針]
基本.家族と合流したい
1.避難所(学校)に向かう
※まだVHが本当であると認識していません


017.Normal×Anomaly 投下順で読む 019.性(SAGA)
時系列順で読む
SURVIVE START 神楽 春姫 郷愁は呪縛に転ず
SURVIVE START 犬山 うさぎ 太陽を背中に僕らは進む

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最終更新:2023年01月12日 07:42