昼間であればさぞ絶景だったであろう山折村の湖。
夜であっても月が反射し、幻想的な景色となりうるはずの場所。
村の改革により小綺麗な植え込みやベンチなどが置かれたことで、
ちょっとした観光スポットとしての役割をある程度担ってもいる。
しかし、このような場所に災害の際に訪れる人は普通いない。
避難するべき場所の方角からは離れすぎているのも理由の一つ。
しかし、絶景となりうる場所には一人の男の姿が存在していた。
防護服に覆われた格好はこの風景にはとても似つかわしくない。
防護服の中の顔は女性受けのいい整った顔をしており、
事によっては引く手はあってもおかしくはないだろう。
(成田さん、いつ見ても素早いですね……)
山折村へと送り込まれたSSOGの隊員が一人、乃木平天。
素早い身のこなしで南方へと向かった成田に軽く感嘆する。
天は隊員の中でも成績としては後輩にも時に後れを取るし、
実力は先輩方に秀でているとも言い難い。非才な部類の人間だ。
腐っても特殊部隊の一人なので常人と比べれば十分すぎるほどに強いが。
とは言えレベルの違いをこうして間近で見ると少しばかり不安になるものだ。
もっとも、SSOG隊員にいる時点でその能力はある程度買われてるも同じ。
さして非才な自分にコンプレックスを抱くようなものではなかった。
(成田さんが村の出入り口に往生してる可能性のある感染者を優先、
私がゾンビに受けた傷の治療を求め向かった診療所の感染者を優先ですか。)
任務を振り返り軽くため息を吐く。
基本的に彼は博愛主義な性格をしている。
平然と仕事をしたりそこを深く考えたりしない、
そういった先輩方程の受け入れ方はしてなかった。
仕事については分別はしっかりしているので問題はないが、
今回の移動ルートはつまるところ、助けを求めた感染者を狙うこと。
助かりたい一心な住人を死に追いやるとは、やるせない気分になる。
(此処まで悲観的になるのは私ぐらいでしょうね。)
初任務で仕事を見事こなして今休暇を満喫してるらしい、
新人の小田巻真理さえも中々の神経のずぶとさを持っている。
初任務の後に『じゃあ休暇楽しんできまーす!』が言えるのは中々だ。
他にもそれを愚痴にしたが『偽善者の発想だな』とは先輩の伊庭に言われた。
ごもっともな話だ。汚れ仕事において持ち込む考えではないのだから。
偽善者と言われたって仕方ない。皮肉屋の伊庭らしいとも言えるが。
(とは言え、こんな場所だからこそ忘れたくないんですよね、自分は。)
エキスパートと言うよりは、何処かネジが外れた狂人が多く集う組織。
SSOGの隊員の何人かは気が短い隊員も多く、揉め事もよくあることだ。
そういう時の目安に、天秤としての役割を担える常識人として自分はありたい。
博愛主義を捨てきれないと言うよりは、あえて背負っていくべきものだと。
狂人の中常人を貫くと言うのもまた、ある種の狂人なのだと言う自覚はあるが。
(小田巻さんも、あの様子なら今頃休暇を楽しんでそうですね。)
こんな仕事場だからこそ休暇では、
休めるときはしっかり休んでほしいものだ。
今度彼女が行きたがっていたラーメン屋を教えてもらおう、
などと思いながら、遠くに見える目的の診療所を見やる。
此処は山折村における南西の湖であり、更に西の方だ。
避難先も学校が指定されてるのでは余計に人は離れていくだろう。
つまるところ、湖周辺に特に留まる理由はないので素直に診療所へ向かおうとする。
「!」
湖から何かが飛び出す音さえなければの話だが。
此処に巨大な水飛沫をするほどの魚はいないはず。
いればまず観光の名所として宣伝文句としている筈だ。
勿論そんな情報はない。ではなんだと言うのか。
振り返って見やればそこにあるのは、
「───ハイ!?」
ワニだ。
田舎には此方とどっこいどっこいの不釣り合いな、
と言うより明らかに育ちすぎた巨大なワニが飛び出してきた。
柵を飛び越え、頭部を丸のみにする一撃を横へ転がりながら回避。
受け身をすぐ取りながら起き上がり、サバイバルナイフを構える。
「ワニ!? いやいや、此処日本ですよ!?」
研究所に飼ってたゴリラとかの実験動物ならまだわかる。
海を渡ってくるワニも日本に出る、と言う事例がないわけではない。
しかしこれはワニだし此処は岐阜の湖。海と言うわけではなかった。
ワニが研究所を出て湖にいるとも思うが、湖付近に研究所があるならまだしも、
この近辺に研究所があるという情報は(少なくとも自分には)ない。
(何処かの金持ちが捨てたとか、そういうとこでしょうか?
山折村には富裕層もいるようですし、ありえなくはないですが。)
アメリカの某都市でバイオハザードの事件の生還者である男がニュースで、
『もうワニとかカラスとか犬は当分ごめんだ』と言う愚痴を零していた。
与太話ではなさそうだとは思ったが、よもや自分が体現者になろうとは。
こんな田舎で遭遇することについては全く考えもつかなかったが。
しかもこの状況で狂ったような動きをしてこないところを見るに、
(これ、まさか正常感染者? ワニが? いやいや、ワニなんですけど!?)
こいつも正常感染者だということに呆れてしまいそうになる。
世界観が何もかもぶち壊しだろこれは、と思わずにはいられなかった。
田舎で防護服を着た特殊部隊VSウイルスに感染した巨大ワニ、
B級どころか下手をしたらZ級のクソ映画と呼ぶべき内容だ。
観客はポップコーンを投げて帰るに決まっているだろうこの展開。
しかも厄介なことにこれが正常感染者と言うことは、だ。
(此処で仕留める必要があるとは……最初がワニって。)
あいつがただのゾンビだったら水辺からは動かない可能性もあり、
状況から人もさして来ないだろうから放置しておきたくもあった。
こんなのを相手にするのは、弾やナイフが無駄になってしまうから。
しかし、正常感染者であっては消費を覚悟してでも仕留める必要がある。
開始早々とんでもないものに出くわしたものだと驚かされるものの、
冷静にナイフを構えたまま対峙して肉薄する。
(確かワニの弱点は!)
ワニは陸上でも人間よりも素早く走れる。
個体によっては50、60キロの速度を誇る。
逃げるや距離を開こうとしてもすぐに追いつかれてしまう。
よくワニは背後が弱点だの言われるが、旋回もできる素早さではほぼ無意味。
真に狙うべきは真正面からの戦闘であり、相手も迎え撃つように接近し顎を開く。
(させません!)
強靭な顎を開くその寸前、
その口を上から踏みつけて強引に閉じさせる。
ワニは噛み砕く力は確かにとてつもないものはあるが、
開く方の力は非常に弱く、口を開けさせなければ楽に戦える。
巨大で凶悪ではあるが、顎の弱さは常識における知識と同じだったようだ。
何処で聞いたか忘れたが、そんな知識がこんな田舎で役に立つとは。
いろいろ度し難いと思いながらもサバイバルナイフを脳天へと突き刺す。
最初こそ驚かされたが、冷静に対処すればなんて事のない、
これからするべきことと比べれば些事のような戦いだ。
それで終わるはずだった。突き刺す前に水飛沫が出てくるまでは。
(いや、冗談でしょう? これ。)
ワニAのピンチにワニBが現れた!
二匹目のエントリーに『そんなバカな』と言いたい。
子供とかなら本当にギリギリ理解しよう。そういうことも恐らくある。
しかし、体格も骨格も何もかも完全に瓜二つのワニでは呆れかけた。
エントリーの仕方は最初と同じ、顔面狙いの攻撃に即座に飛び退いて離れる。
(これが感染した結果の産物……いや脳が理解を拒否したがってるんですけど!!)
完全な瓜二つは流石に常識では考えらえない。
これがウイルスに適応した存在の顛末と言ったところだ。
田舎を舞台にした特殊部隊VS超能力に目覚めた巨大ワニが二体。
さっきよりも更に地雷臭のする作品になった気がしてならない。
なんてことを考えてる余裕などない。距離を取った瞬間相手が詰めてくる。
恐ろしい程に機敏。飛び込みながら口を開き此方の肉体を噛み千切ろうとする。
近くの木へと二匹目の追撃を想定した壁へと逃げ込むように転がって回避。
(や、やりづらい!)
此処は観光スポットとして多少の公共物はあるものの、
彼の未熟な素質を補う、工夫をする手段がかなり限られている。
ワニとの戦いは殆ど素の実力で戦う以外の選択肢がなかった。
一匹目の攻撃を回避しても二匹目が迫ってくる。
木が邪魔をしてるため、回り込みながら足へと噛み付く。
「ッ!」
咄嗟にジャンプでギリギリ回避。
防護服どころか足ごとちぎられることはなく、
そのまま脳天を踏みつけると、ワニBが突如消滅する。
(え?)
先ほどまであった質量がいきなり消え、僅かに姿勢を崩すもすぐに整える。
いきなり消えたことに戸惑うが、これが力の仕様なのだと断片的に理解。
どうやらそこまでの耐久性はないようで存外楽に勝てるのではないか。
などと思った矢先、三度湖から水飛沫。
「えー……」
げんなりとした顔にならずにはいられない。
ワニAが倒されたことで背後にワニCが現れた!
もう消費だなんだを余り気にしている余裕はない。
すぐに迫るワニCと戦う前に、ワニAへとナイフを速やかに投擲。
頭部へと突き刺し、Aが消滅している間に迫るワニCの攻撃を横転して回避。
ワニが旋回している間に、空は距離を取るように全力疾走で後方へと走り出す。
無論追跡するワニの方が早い。早々に追いつきその足を噛み千切りにかかる。
(よっと!)
攻撃が来る前にジャンプし、
追うようにワニもジャンプをするはずだったがそれは叶わない。
彼が回避した結果、眼前には設置されていたベンチへと顔面を激突してしまう。
速度が出ていてブレーキを掛けなかったのであれば、怯むのは当然の帰結。
「ホッ!」
怯んだ隙にベンチに着地した後さらに跳躍。
ワニAのときのように、頭部へと全体重で踏みつける。
三度霧散したところを見届けた後、早急に地面に転がるナイフを回収。
湖にはまだ何体いるのか定かではないワニに警戒を解かないが、
「え?」
ワニDと思しき存在が湖から顔を出し、突然苦しみだす。
今まで何もなかったのに、まるで今の攻撃を痛がってるみたいだ。
最終的に溺れてるかのように沈んでいき、姿を消してしまう。
(フィードバックでもあるんでしょうか? いや、それもおかしいような。)
もし分身が消滅してダメージを受けたなら、
ワニA、ワニBの時だって何かしら反応があったはず。
なのにワニCが倒された時にだけ湖面に顔を出してきている。
そも疑問として、四体いるなら一斉に襲えばよかったはずだ。
痛みを共有しているのであれば四匹で一斉に襲う方が楽のはず。
態々一匹ずつ戦わせて、倒されてしまえばそれで終わりなんて、
ちぐはぐな行動に倒したとは感じない違和感が拭えなかった。
(……警戒は怠らないで行きましょう。)
湖に潜った以上死体の確認をするのは困難だ。
仕留めたならそれでいい。しかしまだ生きてるならば。
足元をすくわれぬように、湖の方を見ながらゆっくりと後ずさりをしていく。
警戒は怠らないが、何かが起きることはないまま湖を離れていき、
問題ないと判断した後は背を向け、診療所の方へと走り出す。
何も起きないことの方が君の悪さを感じさせるところに後ろ髪をひかれながら。
【F―1/1日目・深夜】
【乃木平天】
[状態]:疲労(小)、精神疲労(小)
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ
[方針]
基本.仕事自体は真面目に。ただ必要ないゾンビの始末はできる範囲で避ける。
1.ワニ以外に珍獣とかいませんよね? この村。
2.診療所へ向かって仕事をこなす。
3.後ろ髪を引かれる。あのワニ生きてる?
ワニが沈んでいった湖の底では。
ワニが数匹のワニと邂逅していた。
否、厳密には彼等は全て一個体のワニ、
此処では飼い主から付けられた名前、ワニ吉と呼称する。
複数のワニは、ワニ吉がウイルスに感染したことで得た分身たちだ。
『ウイーッス僕! どうよ僕の死んだふり!
飼い主様から仕込まれた芸、すげーだろ!?』
『良いわね私! あれは名演技だったわ!
飼い主が見てたエイガって奴にも劣らなかったわよ!』
『でもよぉ俺。最近の人間ってパねえよな。
あんなにスマートに殺しに来るんだぜ?
しかもこっちが死んだふりしても警戒してたし。
あのまま隙を突こうとしてたら逆にやばかったな。
不用意に陸地に出たら、俺達イチコロなんじゃねえの?』
『だがな我。折角イマジナリーなフレンドができたのだ。
レイドバトルとやらをエンジョイしに行くのも醍醐味だろう?
我らが揃って飯を食いに行く、こんなこと滅多にないだろうからな。』
人が解することはできないが、
ワニ吉の会話を要約するとこれである。
ワニ吉はこの力を手に入れて、自分自身と会話を続けていた。
確かに分身はできると言うのが、彼が得た特殊な力ではある。
しかしあくまで分身するだけ。人格を持つ能力を有するわけではない。
どれだけ喋り方を、呼び方を、口調を変えようともワニ吉の人格は一つだけ。
つまり、これはただの一人芝居でしかなかった。
『でもよぉ僕。最初から全員で行けばよかったんじゃねえの?』
『何を言ってんだ俺。俺達がこうなってるってことは、
相手だってこれかこれ以上のことをやってのけるんだぞ。
さっきの人間見ろよ。そんな力使わずにやりやがったんだからな。
きっと本気を出したら、俺達を皆殺しにしてた可能性だってあるんだぜ?』
先の戦い一対一をけしかけたのは、人間を用心したからだ。
知能が上がったことで自分のような感染者がいるのならば、
そういう何かしらの能力に目覚めている可能性を考えた。
特殊部隊が異能を持っているわけがないのだが、
当然そんなのをワニ吉の視点からは判断できなかった。
つまるところ、天は警戒されてなければ物量で餌行きだったのだ。
知能が上がったことによって、偶然が嚙み合った結末とも言える。
神の視点でもない限り、そのようなことは判断できないのだから。
今後は追い込んでの補色など、様々な連携も想定したほうがいいだろう。
『とりあえずもう少し仲間が増えるの待つか僕。』
『そうだな俺。ワニワニパニック大作戦の為にはもう少しな。』
『もっといいネーミングセンスなかったの? 私。』
なぜこんな一人芝居をしているのか、と言うとだ。
ワニ吉は飼い主に育てられてからずっと一匹で家族がいなかった故に。
親も、子も、妻も。自分の周りには同じワニは誰一匹としていなかった。
飼い主には親がいた。自分は違う。飼い主には妻がいた。自分は違う。
テレビの向こうのワニの映像にはワニの家族がいた。自分は違う。
心が通う仲間が、家族が、友達が、あの家では得られることは一度もなかった。
飼い主? 脱走を図ってる時点で彼にとって家族と思えるような存在ではない。
芸を仕込んでくれたりしたことは、先程役立った(?)ので多少感謝はしてるが。
彼はずっと孤独のまま、下水道を中心に家族となりうる存在を探し続けて生きながらえた。
これはある意味その願いだろうか。
誰も仲間がいなかった自分に仲間が増える力を得た。
同時にこれは反動。今まで誰もいなかった結果このようなことに至っている。
たとえそれが自分の異能の分身で虚構な存在であったとしても、
同胞が目の前にいることは、彼にとっては何よりの喜びなのだから。
『問題は我等はこの湖から動くかだ。』
『決まってるじゃない私。』
『満場一致の答えになるに決まってんだよなぁ。』
端から見れば、いや端から見ても人間には理解できないことだ。
悲しき自問自答でしかないが、知能は上がっていることには変わらない。
いずれその時が来たとき彼は、同時に彼『等』はやがて陸へと乗り込むだろう。
……その時とはいつか? まあ、つまるところ。
≪腹減ってからにしようか。≫
大体腹が減った時である。
【F―1/湖底/1日目・深夜】
【ワニ吉】
[状態]:分身が少なくとも四体いる
[道具]:なんもない
[方針]
基本.生きたいように生きる
1.俺たち家族は無敵だぜぇー!!
2.腹減ったら本格的に陸へ行こう。
3.能力には要警戒だ。
※主人格(?)は一応俺と言ってる奴ですが、
なりきってるだけで人格(ワニ格?)は一つです。
※飼い主に仕込まれた芸で死んだふりを覚えてます。
他にもあるかもしれません
最終更新:2023年02月05日 00:00