「もしもし? ああ、今ちょうど岐阜に着いたところ。お土産? 岐阜にお土産になるようなものなんて無えよ。金もないしさ。ああ、ああ、また連絡する。ああ、ははっ、わかったよ、写真もな。じゃあうまくごまかしといてくれよ。」
九条和雄はスマホをタップすると、ふっ、とマスクを外して上を向いて息を吐いた。6月の岐阜は、東京より暑い。夏休みに見るような入道雲が青空をバッグに座っているのを見ると、来ていた長袖のパーカーをリュックへと押し込めた。
離婚して出ていった母と妹に会う。言葉にするとこの旅の目的はそんなものだが、小学生の和雄には何から何まで初めての体験だった。最寄り駅の吉祥寺から中央線で立川に行き、乗り換えると中央本線で長野の塩尻まで行く。また乗り換えて今度は中津川まで行くと、ようやく岐阜県に入れた。ここからバスを乗り継いで、どのぐらいか山道を揺られれば、いよいよ妹たちがいる山折村だ。一人で電車どころかバスも乗ったことのない和雄からすると、道半ばで既に冒険した感じがある。お年玉の万札が交通費で飛んでいくのを信じ難い目で見ながらここまで来て、疲れを覚えずにはいられなかった。
それでも、和雄の足どりは軽い。何年も会ってない家族に会えることの嬉しさはひとしおだ。それに、和雄には聞かなくてはならないことがある。自分の『体質』についてだ。
和雄たち兄妹はどちらも生まれつき特異体質を持っている。妹は原因不明の病を、兄である和雄は希少な血液型を。だが今から3ヶ月前に発覚したのは、高い魔力を持つという体質だ。
七不思議のナナシ。そう名乗る怪人に、閉鎖空間と化した学校でクラスメイトと殺し合わされたことは今でもよく覚えている。その中で存在すると言われたのが、高い魔力。MP。突然のファンタジーな体質に和雄は当然驚いたが、状況が状況だけにそれどころではなく、そういうものだとして受け入れた。そして気合と機転と友情でナナシを撃退し、なんとかみんなで生き残れたのだが、それから3ヶ月。よくよく考えたら、あの時みんなは魔法っぽいのを使っていたのにおれだけそういうの無かったなと思い出し、もしかしておれも妹も血筋的に何かあるんじゃないかと気になって仕方なくなったのだ。
「次のバスは……『ナビタイム バス 乗り換え』。中津川市から山折村……嘘だろ、着くの夕方かよ。」
スマホを持つ右手の甲で汗を拭いつつうっとうしそうに言いながらも、和雄の声はほこほんでいる。左手にさげたトイザらスのビニール袋を慎重に抱え直すと、駅前のコンビニへ入った。電車から降りて数分でかいたとは思えない汗を吸ったTシャツが一気に冷える。日本全国共通の冷房に感謝しながら、なにか飲み物でも買おうと狭い通路を早歩きしたところで、鼻先が柔らかいものにぶつかった。
短く発せられた女性の悲鳴に、反射的に「ごめんなさい!」と言う。ぶつかった時に感じた良い匂い。目を上げると、和雄より頭半個分ほど背の高い少女が、花束を抱きかかえるようにして見つめていた。
「あっ。」
その姿を見て、反射的に声が出た。さっきの電車で見かけた顔だった。正しくは、見かけた包帯の巻かれた手足、だが。
少女は「ごめんなさい」と小さな声で言うと、逃げるようにコンビニを後にした。当たったのはおれなのに、とバツの悪さを感じる。適当に近くにあったジュースとチョコレートを掴むと、すぐにレジへと向かった。
九条和雄と哀野雪菜、6時間後に運命の別れる二人の出会いは、そんな何気ないものだった。
「あ。」「あ。」
それからしばらくして。
本数の少ないバスを、板チョコを齧りながら、土産物屋を覗いて時間を潰し待っていた和雄は、ふと良い匂いを感じて振り向くと、先ほどぶつかった雪菜と目があった。
ゲッ、と思ったのは和雄だけではないのだろう。雪菜も踏み出しかけた足を引っ込めている。まさかまた会うとはと思いながら、とりあえず謝っておくことにした。
「ど、どうもっす。さっきはごめんなさい。」
「え、うん。大丈夫だよ。」
謝って、赦す。交わした言葉は優しい。なのに、二人の間に気まずさが流れる。こういう雰囲気は苦手だ。とりあえず皮肉で茶化したくなる。幼なじみ相手ならそれができるのにと思いつつ、何か言わなければと思い、とっさに口に出たのは、同じ電車に乗っていたことだった。
「……そういえば、さっきの塩尻からの電車にも乗ってましたよね?」
「えっ! な、なんで……」
「いや……同じ電車に乗ってて記憶に残ってて。」
さっと雪菜の顔が陰ったのに気づき、言ってからその理由に気づいた。わずかだが、手足の包帯を隠すような動きに、なぜ記憶に残ったかを察されたようだ。そして、それで傷つけたらしいとも。
気まずさをなんとかしようとして地雷を踏んだか。和雄は自分に舌打ちしたい気持ちになりながら、かける言葉を探す。だが自分が傷つけた少女に向けての言葉など、小学生の和雄は持ち合わせていない。それでもわかるのは、こういうときに下手に謝ると余計に傷つけるということだけだ。なので考えを変える。なぜそう思ったか、シンプルに言うことにした。
「お見舞いに行くんで、包帯が記憶に残ってたっす。怪我してるのにぶつかってすみませんでした。」
「……そう。」
硬い声が返ってきた。まあ、だろうなと思う。だがこれ以上言いようがない。会釈をして脇を抜けると、駅の周りを散策することにした。どうやら向こうも時間を潰しているようだ。下手に近くにいるとまた出会って気まずい思いをすることになる。和雄は少し駅前から離れてそこら辺をぶらつくことにした。中津川の駅前は天下のJRだけあってそこそこ栄えている。それでも東京に暮らす和雄からすると田舎だなあという感想を覚えるので、人が育った環境というものは大きい。そうしてまたしばらく時間を潰して、そろそろバスの時間だと駅前へと戻ると。
「あ。」「あ。」
バス乗り場に雪菜がいた。「どうも」と会釈しながら、通り過ぎてコンビニに向かう。
(おいおい気まずすぎんだろ、よりによって同じバス待ってたのかよ、しかも並んでるのおれとあの人だけじゃん。)
気まずさを超えた気まずさだ。ここまで来ると運命的なものを感じる。実際は単に同じ日に東京方面から山折村に向かったというだけのことなのだが、一期一会とはこのことか。たぶん違うと思う。
舌打ち一つして、何も買わずにバス乗り場へと戻る。残念ながらバスの発車時刻はあと数分ほど。そして徐々に列が伸びている。無いとは思うが、人数オーバーで乗れませんなどとなったら大変だ。当然雪菜に気づかれるが会釈して後ろに並ぶ。気まずい。誰でもいいからこの空気をなんとかしてほしい。
「ん? 君たちは、さっきの。」
「え?」
「?」
なんとかしてくれる人が現れた。後ろから声をかけられる。見上げると、ぼさぼさの長髪に無精髭の、くさそうなおじさんだった。もう少し清潔感があれば俳優に似た感じの人がいたと思うが、ちょっと出てこない。
「ああ、突然すみませんね~。さっき塩尻からの電車に乗っていたなと思いましてね~。いや、ぜんぜん、ぜんぜん他意はないんですよ? 大事そうにおもちゃ屋の袋抱えた少年と包帯巻いた少女、絵になるな~と思いまして、記憶に残ってたんですよ。」
「はあ……」
なんだこのおじさん、なんで小学生のおれに、馴れ馴れしく話しかけてくるんだ。和雄はそう思うも、よくよく考えればさっきの自分も似たようなものだと思い直す。汚いおじさんと同レベルなことにショックを受ける和雄を放っておいて、おじさんはスッと、カードを取り出した。白いが名刺ではない。なんだこれは?と和雄が首を傾げると、後ろから「あっ、それ!」と雪菜の声が聞こえた。
「良かった~あなたのでしたか。いや、電車から降りるときに落ちるのを見ましてね、場所的にあなた達のどちらかが落としたんだと思ってたんですよ~。もしかしたらと思ってたんですが、いや、よかったよかった、ええ。」
「ありがとうございます。」
何か切実な様子でカードを受け取ると、雪菜はそれを花束に添えた。メッセージカードのようだ。この人がカードの添えられた花束持ってると退院のお祝いみたいだなと、思わず失礼なことを考える。だがその失礼な考えがあながち外れではないような感じがする。自分も、かつてあんな感じで妹に花束を渡したことがあるからだ。
あれは、今から4年前のことだ。妹の九条洋子──今は離婚して苗字が変わったので、一色洋子──は生まれつき体が弱かった。小学校に上がる頃になると、症状が進んだのか入院しっぱなしになるようになった。買ってもらったランドセルを一度も担いで登校することない小学校生活。落ち込む洋子に、かける言葉を持たない和雄は、今の雪菜のような顔で花束を渡した記憶がある。
「お兄ちゃん。泣かないで。」
花束なんて何十束も渡してきたはずなのに、あの一回が記憶に残っているのは、洋子からそう言われたからだ。妹を哀れんで、涙を流していた自分を、その妹は、洋子は、気遣っていた。病気で辛いはずなのに、家族を気遣う優しさに、和雄は自分という人間の情けなさを思い知った。その時から、和雄は決して涙を見せないようにした。どれだけ辛くても、減らず口の一つでも言ってやってニヤリと笑うことにしたのだ。
だから、両親が離婚するとなったときも、和雄はただ「またな。」と言うだけだった。
小児病棟の、特に長く入院している子供の家庭では珍しくもない話だ。経済的な理由なり心情的な理由なり、とにかく大人はなにかの理由をつけて別れる。それに納得できるほど大人ではない。だが、それを責めるほど子供ではいられなかった。
離婚を選べずに後戻りできなくなっていく保護者を何人も見た。どちらかが死ぬか、あるいは両方死ぬか、子供も巻き込むか。それとも親も何かの病気になるか。そんな破滅も、数は少なくてもあった。
だから、洋子が母方の実家にある子供の緩和ケア病棟に転院すると行っても、親を責められなかった。父親は最後まで反対していたが、母親から見せられたその施設のパンフレットは、和雄から見ても良いものだと思えた。ここなら、穏やかな最期を終えられるのではないかと。それが洋子のためになるんじゃないかと。治らない治療に苦しむよりは、母親と二人で安らかに過ごしてほしいと。
「お兄ちゃん、わたしは……」
「……洋子、おれは、父さんに引き取られることになった。ほら、放っとけないだろ?」
「……うん。ごめんなさい、お父さん、わたしが……」
「いや、ちがう! ちがう……父さんがああなったのは洋子のせいじゃなくて、母さんだって……ただ、ちょっと距離を置いたほうがいいってことさ。」
「……うん。」
「父さんも母さんも、洋子を愛してる。それは知ってるだろ? ただ、ちょっと、なんていうか、花粉症みたいになってるっていうか、その……」
その時のことを思い出すたびに、和雄は自分が嫌になる。いつだって大切なときに、女の子にかける言葉を間違える。あの時もっと良い言い方があれば、あの時あんなことを言わなければと、自分の口下手を恨む。そしてこの記憶の終わりはいつだって。
「お兄ちゃん……今までごめんなさい。本当はわたし……」
それが記憶の中の、そして洋子の最後の言葉だった。一度乗ってみたいと言った新幹線での別れ際、窓の外の父と自分、窓の内の母と洋子。二つに別れた家族の記憶。
謝らせてしまった。
心優しい妹は、自分が兄の重荷になっていると思い込んでいたのか? 今でもそう、新幹線を見るたびに思い出す。だから新幹線は嫌いだ。
なぜ、自分は洋子の気持ちに気づいてやれなかったのだろうか。あの言葉を言われるまで、自分は洋子が自分自身を責めているなど全く思っていなかった。だって病気は妹のせいではない。あんな小さな体のどこに責められる理由があるのか。原因もわからない病気なのだから、わからない医者か、そんな体に産んだ親を責めるなら、わかる。血液型が特殊とはいえ全く健康体な兄を、ずるいと責めるならとても良くわかる。なのに、なぜ、あの時『今までごめんなさい』と言われたのかがわからない。自分自身を責めているぐらいしか理由が思いつかないが、そう思った理由が皆目見当がつかない。
「九条くん、着きましたよ。」
顔を上げたら、いつの間にかバスの中だった。乗客が皆立ち上がり降りて行っている。横に座っている汚い男も、だ。
礼を言って立ち上がる。どうやら思い出に浸っているうちにバスに乗って目的地に着いたらしい。しかも名前を知っているということは、たぶん自己紹介でもしたんだろうなと当たりをつける。ふだん何かに夢中になることなんてないのに、あの思い出だけは、心がどこか遠いところに行ってしまう。
「ここで乗り換えれば山折村ですね~。病院の面会時間に間に合うと良いんですが。」
「えっ、おれ、そんなことまで言ってました?」
「あら~? 覚えてないんですか? 自己紹介の後にお見舞いに行くって言ってませんでしたっけ。」
「やっべ……すみません、ぜんぜん。」
「まあ、上の空でしたからね~。バス停こっちですよ。」
『満員のためドア閉めさせていただきます次の便ご利用ください次の便ご利用ください。』
「あぁん?なんで?」「次の便2時間後じゃねえかよ えーっ。」「田舎バスは観光客のことを考えないのか。」
「……乗り継げませんでしたね。」
「すみません、起こしてもらってたせいで。」
「ま、良いですよ~。」
そのせいで次に乗るバスの列に並ぶのが遅れて、定員オーバーで乗れなくなってしまった。汚いおじさんに謝りっぱなしだな、ていうか岐阜来てから誤ってばっかだなと思う。
田舎なのにやたらと多くてなんか民度の低い観光客が、バスの運転手に詰め寄るバス停。並びながらスマホで次の便を見る。どうやら山折村への到着は夜の10時前になりそうだ。
改めて和雄の心に罪悪感がのしかかる。妹に近づくにつれて、人に迷惑をかけることが増えていく。まるであの時の自分のように。
「あっ、そうだ。よければさっきの話の続きを聞かせてもらえませんか? そこの喫茶店でもおごりますよ。」
汚いおじさんからそう言われて、和雄は断る気力も無く頷いた。迷惑をかけたのに人を気遣えるような大人を前に、子供として振る舞うしかなかった。
思わぬ拾い物をしたと斉藤拓臣は思った。
胡散臭い山折村に来て二日目だが、ガードの硬い村民ではなく、あえて中津川まで戻ってきて話を聞いたのが正解だった。
町の人間から評判を聞けたことは何より、胡散臭い村の中でもなお胡散臭い村の医院についての情報をもたらしてくれる人間を見つけた。
山折村で一番大きな医院は、子供向けの緩和ケア病棟を持つ。いわゆるホスピスと言っていいものだが、それをわざわざあんなクソ田舎に作るのは不自然だ。日本にもそう多くはないものが、なんであんな人口1000人ほどの村にあるというのか。
今回山折村を取材することにしたのもそれが理由の一つだが、まさか土産物屋で聞き込みをしていたらそこに見舞いに行くらしき子供を見つけるとは思わなかった。チョコレートかじってるガキが目に止まったのだが、そのガキが少女となにやら話し出したので聞き耳を立てれば、これがビンゴ。つまり和雄が雪菜にもう一度出くわしていた時、斉藤はそのすぐ側にいたのだ。二人の話を盗み聞きして、和雄が雪菜にぶつかっこと、二人が塩尻からの電車に乗っていたこと、和雄がお見舞いに行くことを知った。そして名刺入れから、何かのためにと持っていたそれっぽいメッセージカードを取り出して、ぶつかった時に落としたものを拾ったという体で、山折村へのバスを待つ二人に近づいた。古典的なナンパの手だが上手く行ったようだ。まさか本当に落としていたとは思わなかったので白紙のメッセージカードをもっていかれたが、まあ、いい。元々彼女にカードを返すということをダシにして和雄に近づくことが目的だ。しかも和雄はその後どういうわけか上の空になり、言ってないことも言ったことにして都合よく話を進めることができた。
「妹さんが入院していて、へ~それは大変ですね~。いや~立派なお兄さんだ。」
「そんな……おれはぜんぜん……」
とりあえずこれで一人。あの医院への取っ掛かりができた。うさんくさいジャーナリストよりも、入院患者の親族の知り合いのほうが何かと便利だ。たとえ子供でも誰かから信頼されていることは大きな武器となる。和雄を起こしていたら先に降りた雪菜の方は前のバスで行ってしまったが。まあ、いい。本命はこちらだ。
「……さて、そろそろバス停行きましょうか。また乗れなくなったら困りますし。」
回り道が近道だ。そう思うことにしている。斉藤は和雄を連れ立ってバスに乗った。あいも変わらず山道だが、村から出るときよりは乗り心地がよく感じる。さて、明日はどう攻めようか──
21時48分。斉藤が思考の海に沈むその時、突如バスの上から『降ってきた』。
「なにっ。」「なんだあっ。」
「ぐあっ! 痛っつぅ……なんだよ!」
悲鳴がバス内に響く。音の後に痛みがやってきた。悪態をつきながら斉藤は席を立とうとして、頭が天井にぶつかった。したたかにぶつけて悶絶するが、頭は逆に冴えた。なぜ、天井がこんなに低いんだ?
「なんだよこれ……なんなんだよ。カメラカメラ……」
「斉藤さん! ヤバいです! 天井が『落ちて』来ます!」
「ハァッ!?」
答えは和雄が言ってくれた。バス全体が異様な音を立てて、上から押しつぶされていっている!
「さっきの看板……新山南トンネルだったよな……崩落か!」
慌てて斉藤は、横の窓から這い出た。視界の端に映ったものを思わず二度見する。後部は既に半分ほどの高さにまで潰されている。窓から突き出た腕が血塗れになって力なく垂れ下がっている。
「ふざけんな! こんなとこで死ねるか!」
「おっさん! 上!」
「おっさんおべえ!?」
そしてその『潰れの波』が後ろから迫ってきた。斜めになっていた巨大なトンネルの天井が倒れてきたとは、明るさの無いトンネル内ではわからない。だからただ単に、闇が後ろから車体を潰していくように見えた。
「和雄!」
「っぶねぇ!」
「うわっぶねえ!」
斉藤が呼びかけるのと和雄が脱出しきるのは同時だ。飛び出してきた和雄に踏み台にされかけながら、二人して車体の前へ、バスを通り越してその前へと走っていく。そこそこ運動している方だと思ったが、和雄はどんどん先を行く。若いっていいなあ!
その和雄の頭に、小さな瓦礫が掠めた。和雄は倒れた。若いってよくない!
「大丈夫か?」
「頭が……割れる……! うがあっ!」
とっさに抱き上げる。まずい、完全に膝が笑っている。とても動ける状態ではない。後ろからは崩落が迫っている。まずい、まずい、まずい──
焦る斉藤。その胸がぽんと押された。和雄が自分から離れるように左手を突っ張っていた。その意味を図りかねて和雄の目を見る。と、顔の前にトイザらスの袋を突き出された。
「これ、持ってってください。妹への……お土産……はげましてやりたくて……」
「……! わかった、持っていくよ。」
「……あざっす。」
後ろから崩落の音が迫る。その中でも不思議と、和雄の声はよく聞こえた。
斉藤は後悔した。あの時話しかけるんじゃなかった。そうすればこのバスに二人とも乗らなかった。こんなゴミを押し付けるんじゃないと思った。見ず知らずのおっさんから渡される兄貴の形見なんて、もらって妹が喜ぶか。こういうのは、本人が渡さなかったらゴミなんだ。そう言いたかった。言いたかったが、良い大人を演じた手前仕方ない。あんなキャラで話しかけるんじゃなかったとまた後悔した。
「わかった、絶対届ける。じゃあ、また。」
斉藤は袋を受け取ると、走り出した。
後ろからしていた崩落の音が前からもするようになる。肺が痛い。足が痛い。胸が痛い。
出口に差し掛かる。崩落は前でも起きた。大きな瓦礫が完全に出口を目の前で塞いだ。
「うおおりゃあっ!」
その瓦礫に飛び蹴りをかます。バランスを崩したのだろう、瓦礫の一角が崩れる。そこから這い出ると、後ろで再び瓦礫が崩れた。破片がトンネル外へも降ってくる。それから逃げるように、斉藤はひたすら前へ前へと走った。走り、走り、走って、酸欠になってバッタリと倒れる。馬鹿みたいに綺麗な夜空を見ながら、意識が遠のき。
こうして斉藤拓臣は山折村に足を踏み入れた。
【H-5/トンネル近く/1日目・深夜】
【斉藤拓臣】
[状態]:疲労(大)、気絶
[道具]:デジタルカメラ、ICレコーダー、メモ、筆記用具、スマートフォン、現金、一色洋子へのお土産(九条和雄の手紙付き)、その他雑貨
[方針]
基本.山折村を取材する。
1.……
2.医院に行き、一色洋子に会う。
※放送を聞き逃しました
※VH発生前に哀野雪菜と面識を得ました。
最終更新:2022年12月25日 17:20