外は、静かな夜だった。
相も変わらず、星の綺麗な空だった。
先刻の大地震など、夢の出来事だったかのように。
先程の放送など、幻聴だったかのように。
そして―――夜勤の最中、この交番に“正気を失った村の老人”が姿を現し。
襲い掛かってきたその老人を、咄嗟に射殺してしまったことも。
何もかも嘘だったかのように、外界は沈黙している。
「――――♪」
交番の奥の部屋に、二つの影があった。
年甲斐もなく茶髪に染めた巡査長、薩摩圭介は。
外の静寂など興味もないと言わんばかりに。
訳の分からない歌を、口ずさんでいた。
パイプ椅子に腰掛けて、拳銃を弄りながら。
「――――♪ ――――♪」
それが“英詞の歌”であることに、暫しの間を開けてから気付く。
80年代か90年代の、有名な洋楽だった。
「――――――♪ ―――――――♪」
本当にフレーズを覚えているのかもあやふやな歌詞で、薩摩は上機嫌に歌を口ずさみ続ける。
――――暴力振るった後に、洋楽口ずさんで悦に入る。
――――お前それ、映画の悪役の真似事か。
――――40越えた男がやることじゃないだろ。
彼の上司である“巡査部長”は、そんな間の抜けた感情を抱き。
そして両脚を焼くような“痛み”に、思わず歯を食いしばった。
巡査部長は、両足を拳銃で撃ち抜かれていた。
銃創からどくどくと血を流し、床を紅く汚しながら、彼は身動きも取れずに横たわる。
その両手は、手錠によって後ろ手に拘束されている。
つい先程、薩摩圭介は。
正気を失った老人を射殺した。
やむを得ぬ判断として、銃を抜いた。
あの放送の内容と併せて、これからの行動を巡査部長が判断しかねていた最中。
薩摩は突如として銃を抜き、不意を突く形で部長の両足を撃ち抜いた。
そのまま手錠で部長の動きを拘束し、こうして悠々と椅子に腰掛けている。
「……最高の気分ですよ、部長」
得意げに銃の手入れを続けていた矢先。
薩摩巡査長が、ふいに口を開く。
「さっきの放送を聞いて、爺さんを射殺して。
そしてこの“異能”を見て、全てが俺の頭の中で繋がりました」
不敵に笑い――――左手で“指鉄砲”を作りながら。
彼は、飄々と呟く。
「これから、俺が望む世界がやってくるんだ」
彼は、“異能”に目覚めていた。
指先の空気を固めて、弾丸として放つ。
その力を手に入れて、薩摩は確信していた。
先程の放送の話と照らし合わせ、理解していた。
山折村に、未知のウイルスが蔓延した。
適合できなかった者は、ゾンビと化して。
適合を果たした者は、超能力を獲得する。
恐らくは自身と同じような発現者が村中にいるのだろうと、薩摩は考える。
そして放送によれば、適合者の中にウイルスの母体となる“女王”が存在し―――それを始末することで事態は解決する。
つまるところ、住民同士の魔女狩りが今後間違いなく発生する。
そんな状況を前にして、薩摩は笑みを浮かべる。
まるでこれから始まる地獄を楽しむかのように。
彼は愉悦の表情を浮かべて、巡査部長を見下ろす。
「まさか……君、は……」
巡査部長は、異能に目覚めていなかった。
今は理性こそ保っているが――――腹が減っていた。飢えていた。
自分の中の異常を薄々悟りながら、薩摩に問いかける。
まさか、この男は。
魔女狩りに加わるつもりなのか。
「村人同士の自主解決に、加担を……?」
「女王は殺しませんよ、部長」
あっさりと、否定。
思わず巡査部長は呆気に取られる。
そして、間髪入れず。
薩摩は、ニヤッと笑って。
口を開いた。
「謂わば守るんです。“俺たち”全員で」
――――おい、ちょっと待て。
――――そこは“この魔女狩りを楽しむ”とか。
――――そういうことを言う流れじゃなかったのか。
予想だにしない言葉が飛び出て、巡査部長は思わずそんなことを考える。
「何が解決策だ。何が特殊部隊だ。
クソッタレですよ、そんなもん。
どうして“止めなきゃ”ならないんですか」
悪態を付くように吐き捨てる薩摩。
自主解決も特殊部隊もクソッタレと言い放つその姿。
粗野に見えて、倫理的な思考に至ったかのように見えなくもない。
――――まさかこう見えて、理性的な判断を始めたのか?
――――いや、上司の脚を撃って拘束する男のどこが理性的なのか?
巡査部長の中で疑念が渦巻く。
腑に落ちないような感情が転がり続ける。
「君は、何がしたいんだッ―――」
「これから放送施設へと向かい、そこで村の生存者達に呼び掛けます。
『我々は今、手を取り合って共に戦うべきだ』と。
悲惨な魔女狩りを未然に防いで『女王』を保護し、彼らを一致団結させる」
薩摩は、横たわる巡査部長にそう告げる。
その言葉は。その方針だけは。
まるで生存者のために動く、高潔な目的のように聞こえなくもなかったが。
「そして――山折村の大和魂を見せてやるんですよ。
ここは俺達の村だ。俺達の結束で国家の横暴に打ち勝つ」
――――な……何だって?
――――大和魂?打ち勝つ?
矢継ぎ早に飛び出した言葉に。
巡査部長は、思わず呆気に取られる。
「特殊部隊が何だって言うんです。
こっちには人知を超えた異能があるでしょう。
奴らにとっても俺達は未知ですよ」
おい。何を言ってる。
何か、何かがおかしい。
開いた口が塞がらないまま、巡査部長は思う。
こいつは一体、何を語り出しているんだ。
「それにあの放送を聞く限り、恐らくはもう村中でゾンビの群れが蠢いている。
そいつらを誘導して特殊部隊どもにぶつければ少なからず撹乱はできるでしょう。
その隙を突いて強襲を仕掛ければ、十分に我々の勝ち目があるという訳です」
何を当然のように語ってるんだ。
撹乱だの、強襲だの。
戦争の話でもしてるのか、お前は。
嫌な予感がした。
巡査部長は、冷や汗をかいた。
異様にギラついた眼差しで語る薩摩を見上げて。
恐る恐ると、問い掛けた。
「君は……一体、何をする気なんだ……」
「山折村VS特殊部隊です」
薩摩が、かっと大仰に目を見開く。
そして不敵に笑いながら、宣言した。
「村を包囲する特殊部隊に対し、全生存者を団結させて“異能を使った徹底抗戦”を行います」
即ち、山折村を舞台にした全面戦争。
異能に目覚めた全村民による、国家権力への叛逆である。
――――正気なのか、こいつ。
――――いや。
――――間違いなく、どうかしている。
何もかも荒唐無稽な計画だった。
明らかに正気の沙汰ではなかった。
得意げに思惑を語った薩摩。
対して唖然とする巡査部長。
村の警官に過ぎない彼にも理解できる。
薩摩の計画は、あまりにも無茶だった。
この男は、この災害の中で、紛争を起こすつもりでいるのだ。
異能が戦いに使えたとして。
そもそも計画の肝となる“異能持ちの生存者”が一体何人いるのか。
この村を包囲しているという特殊部隊が一体どれほどの規模なのか。
撹乱目的でゾンビ達を誘導すると言っているが、まずそんなことが現実に可能なのか。
薩摩は何一つとして把握できていない。
第一この計画、つまるところ“付け焼刃の武装をした疎らな数の村人達でプロの戦闘集団と戦う”ことを意味する。
あまりにも不確かな状況と構図で、何をどう戦うというのか。
というか強襲って、まさか村を囲んでいる山を越える気でいるのか。それも撹乱役のゾンビの群れごと。
それだけで如何に体力を消耗するのかを分かっているのか。
仮に生存者が多数残留していたとして、彼らが徹底抗戦のために本当に団結するのか。
確かに生存者同士で固まること自体には意義があるかもしれないが―――この状況だぞ。
前例のない大地震、未知のパンデミック。
そこから更に放送による魔女狩りへの扇動まで発生している。
既に生存者が大混乱や疑心暗鬼に陥っててもおかしくない中で、その荒唐無稽な話を放送して村中に叩きつける?
“未曾有の事態が発生してしますが、今こそ我々の団結で国家権力に立ち向かいましょう”とでも言う気なのか?
まさか彼は村民達を映画の登場人物か何かだと思っているのか。
つまるところ、混乱真っ只中の民間人達に“付け焼き刃の武装でプロの戦闘集団に立ち向かえ”と突きつけてるんだぞ。
実態の曖昧な巨悪を前に共闘するどころか、更なるパニックが巻き起こる可能性のが遥かに高いだろう。
それに―――その団結の呼びかけを、肝心の特殊部隊とやらが察知する可能性を考えていないのか。
生存者の不穏な動きを捉えた特殊部隊が、村への処分を急ぐ可能性を視野に入れていないのか。
それらの可能性に思い至った生存者達が、焦燥に駆られて魔女狩りを加速させるとは思わないのか。
幾らでも穴がある。
筋立ての綻びが多すぎる。
掘れば掘るほど、疑問が浮き彫りになる。
巡査部長は唖然とした表情を隠せない。
不確実で曖昧。そんな計画だというのに。
――――薩摩の目は、余りにも“本気”だった。
――――まるで理想に燃える革命家のように。
――――とんでもなく、ギラついていた。
「……そもそも……村の包囲を、突破すれば……」
そんな薩摩に慄きながら、巡査部長は口を開く。
彼の語る計画に存在する、より致命的な事柄を指摘すべく。
仮に本当に全てが上手く行って、包囲を越えられたとすれば。
「下手をすれば、村外へと感染が―――」
「それです。それ」
薩摩は指を鳴らして、得意げに相槌を打つ。
「俺の最終目的はそれなんです」
「は?」
最終目的―――?
何だ、それは。
巡査部長は口をぽかんと開く。
「村の外へと感染を拡大させ、日本の社会を崩壊させる」
そして、待ってましたと言わんばかりに。
薩摩は自らの最終目標を、宣言する。
先程の穴だらけの計画の、更に先を行く。
引き上げられた無謀のハードルを、更に飛び越えていく。
そんな無茶苦茶な思惑だった。
「何故そんな、バカな真似を……!?」
「自己防衛を目的にした“銃の使用”が出来るから」
―――何だって?
思わず巡査部長は聞き返す。
聞き間違えだったのかと、一瞬耳を疑う。
「パンデミックによって社会が崩壊したらどうなると思います?
異能を手にした俺は、理性を保ったまま自由に発砲が出来るんです。
面倒な手続きがなければ使用許可が降りなかった銃が、ゾンビから身を守るための“任意の自己防衛手段”になるんですよ」
薩摩は、高らかに語る。
熱を込めて、語り出す。
革命家が自らの目的を告げるかのように。
この田舎村の警察官は、大層な思惑を大いに語り続ける。
普段なら“漫画の読み過ぎ”だと一蹴されるような計画を、至極真剣に告げる。
巡査部長の脳裏に、走馬灯のように記憶が過る。
―――ああ。
―――そういえば、こういう奴だったよ。
もはや言葉が出ない。
呆気に取られて。唖然として。
巡査部長は、何も言えない。
先程まで語っていた大和魂だの、村の結束だの、魔女狩りを防ぐだの。
そんなものは全て、この“馬鹿げた野望のための方便”でしかなかったのだ。
真っ先に自分を無力化したのも、銃を抜こうとする度に注意する“口やかましい上司”に仕返しがしたかったから―――巡査部長は察してしまう。
思い返せば、そうだった。
薩摩圭介巡査長。
趣味は銃の手入れ。
彼は事あるごとに銃を抜きたがる。
揉め事や獣害など、何か理由をつけて銃を使いたがる。
そのくせ自己防衛の見極めは上手く、未だに厳重注意だけで済んでいる。
「あんたからの注意を気にする必要はなくなる」
巡査部長は、常日頃から思っていた。
いつかこいつは、とんでもないやらかしをするのではないかと。
「始末書だって書く必要はなくなる」
どうやら、今がその時だったらしい。
この狂気的な事態を前にして。
「それこそ、ハリウッドの主人公みたいに」
この男は。
この村の警察官は。
「――――銃を撃ちまくれるんですよ」
本気で、イカレてしまったらしい。
まともな判断すら出来ないくらいに。
何かが、ぶっ壊れてしまったらしい。
この男はどうしようもなく馬鹿で、最悪だったのだ。
「そういう訳です、巡査部長」
こいつは、元々狂うだけの素質を持ってたのかもしれない。
それがこの事件で、解放されたのだろう。
きっと、そういうことだ―――巡査部長は悟った。
次第に、意識が朦朧としていく。
視界が霞んで、五感が乱れていく。
積み重ねてきた思考が、揺らいでいく。
体質故か、あるいは奇跡的にか。
何はともあれ、随分と耐え抜いていた。
だが、巡査部長は理解してしまった。
これから自分も“理性なき屍”になることを。
「今までお努め、ご苦労さまです」
少しずつ瞳の焦点を失い。
口から、涎を垂れ流していく。
そんな巡査部長に対して。
眼の前の警官は、敬礼をする。
そして薩摩は、右手で指鉄砲を作り。
巡査部長の脳天に突きつけて。
たった一発――――射撃。
それで全てが、片付いた。
後に遺されたのは。
眉間を撃ち抜かれた死体だけだった。
【C-5/交番/1日目・深夜】
【
薩摩 圭介】
[状態]:高揚、箍が外れている
[道具]:拳銃(予備弾多数)
[方針]
基本.銃を撃つ。明日に向かって撃ち続ける。
1.放送施設へと向かう。邪魔者は射殺、気が向いた時にも射殺。協力者は保護。
2.放送によって全生存者に団結と合流を促し、村を包囲する特殊部隊に対する“異能を用いた徹底抗戦”を呼びかける。
3.包囲網の突破によって村外へとバイオハザードを拡大させ、最終的には「自己防衛のために銃を自由に撃てる世界」を生み出す。
[備考]
※交番に村の巡査部長の射殺死体が転がっています。
※薩摩の計画は穴だらけですが、当人は至って本気のようです。
放送施設が今も正常に機能するかも不明です。
最終更新:2023年01月14日 19:04