山桜咲く曇天の早朝。新山南トンネルへと続くバスの停留所前。
整った顔立ちの少年ーー八柳哉太が一人、陰鬱な面持ちでベンチに腰かけていた。
少年の傍らには荷物の詰まったボストンバッグ。傍から見れば、春休み期間という時期も相まって旅行のために待っていると見えるだろう。
だが事実はそうではない。

「…………二度と来るかよ、こんなクソド田舎」
歯噛みし、忌々し気に呟く。傷害事件の容疑者として汚名を被らされ、山折村から放逐される形で村から出る。
信じていた正義に裏切られ、幼馴染の親友に絶縁を言い渡され、郷土愛が一転し生まれ育った村には悪感情以外持っていない。
警察の杜撰な捜査によって冤罪を掛けられた後の思い出は碌なものではなかった。

夜間、家に居辛くなり稽古でもしようと別荘に移動していると甲冑から襲撃され、軽く伸して正体を露にすると剣道部の内藤聖子であることが判明。
「くっ、殺せ」など訳の分からない事をほざいていたため放置。次の襲撃があると面倒なことになるため、次の日以降、別荘に停泊することにしたこと。
別荘の物資が少なくなって実家に向かった矢先、町原や田辺ら取り巻きを率いた閻魔に襲撃され、護身用に竹刀を持っていたため、内藤と同じく難なく返り討ちにしたこと。
別荘で一人でぼんやりとしていた昼時、頼んでもいないのに三一郎の一人、郷田剛一郎が三人前の出前寿司を持って訪れた。
「哉坊のこと、俺は信じてるからな!」などと言われ、年長者を追い返す訳にもいかず一緒に昼食を取ったのだが、その善意を信じ切れず逆に鬱陶しかったこと。。
悪意も、善意も、山折村の全てが嫌になっていた。
ただ、一つだけ心残りがあるとするのならばーーーー。

『あたしは哉くんを信じてる。たとえ村中が敵に回ったとしても、あたしだけは哉くんの味方だから』
「…………やめだ。感傷に浸っても、今更何も変わるわけじゃねえ」

頭を振って村への未練を振り払う。未来は不確定であるのだが、もう二度と村に戻るつもりはない。
上京するまでの期間、共に別荘で寝泊まりをした姉弟子には別れは告げていない。
顔を見るのが辛い。「さよなら」と言葉に出せばもう二度と会えなくなってしまう気がする。

そうして時間が経ち、バスが来る十数分前。
ぼんやりと虚空を見つめる哉太に駆け寄ってくる足音。
思わず顔を上げると、そこにはーーー。


親分と子分第一号。生物災害の発生から多くの因果の果てに哉太と圭介は巡り合う。
互いに睨みつけるような視線を交わす。言いたいこと、問い詰めたいことは山ほどある。
だが、二人共感情の赴くまま口に出すことはしない。
為すべき事は罵り合いではなく、打倒すべき敵は殴り合いの末、喧嘩別れした男ではない。

「やるぞ、哉太」
「足を引っ張るなよ、圭ちゃん」

二人の剣士を食らわんと襲い来る暴食鬼(グラトニー)を前に少年達はしがらみを断ち、同時に駆け出した。
闇を纏い、凄まじい速度で接近する赤鬼。圭介は魔聖剣の魔力を全身に漲らせ、哉太は培った戦闘経験と自身の身体能力で左右に分かれて回避を試みる。
しかし、際限なく噴出する闇が左右を駆け抜けようとする少年二人に狙いを定め、形を変える。
八岐大蛇のような形状の触手とその周囲に集うガラス玉サイズの球体。瞬間、闇が爆ぜ、触手は少年の四方、球体は八方から剣士二人を肉塊に変えるべく襲い掛かる。
迫る絶死の気配。しかし、袂を分かつた幼馴染のような業(わざ)はなくとも圭介の手には受け継がれた光纏う聖剣がある。
剣より迸る魔力の光。自分を救ってくれた神様ーー魔王の娘のアドバイスを回想し、溢れ出す魔力の形を変える。
そのイメージに応え、圭介の周囲に張り巡らされる光のパリア。襲い来る暗黒は魔力の障壁に阻まれ手雲散する。

その反対側。哉太にも同じタイミングで迫る穢れた刃と黒き弾丸。襲い来る死を天賦の才を持つ剣士は己が業(わざ)にて対処する。
一に来るのは鋭き触手。形を変えた怪異の気配を肌で感じ取り、僅かなタイムラグを脳内で計算。優先順位を測定し、聖刀にて切り払う。
二に来るのは暗黒の弾丸。ほぼ同タイミングで哉太の周囲を取り囲む球体。全身の神経を集中させ、出来る限り最小限のダメージに抑えるべく行動を開始
八柳流『蠅払い』。目視と殺気の感知で確実に両目と急所へと当たる弾丸を両断。残りの弾丸は回避しきれず、全身に数多の銃創を作る。
だが、銃創は痛みと共に徐々に塞がり始める。異能『肉体再生(アンデッド)』。死に至らなければいかなる傷も毒も再生する。
それにより、傷は疎か付与された呪毒すらもじわじわと再生する。
傷が癒える様子を、飢餓の赤鬼はじっと見ていた。

「チッ……!」
「ぼさっとしている場合か!次行くぞ!」

不覚に舌打ちする哉太へ檄を飛ばす圭介。大田原と呼ばれていた鬼が動きを止め、哉太を見る明確な隙。
魔聖剣に魔力を滾らせ、切っ先を立ち尽くす戦鬼の背中へと向ける。
殺意の籠った攻撃ーー光線や斬撃では目の前の赤鬼はあらゆる手段で対処するのはこの短い戦闘で把握できている。
手段は絞られ、故に回避困難かつ対処不可能な魔術にて纏う闇のオーラを引き剝がすことを選択する。

「はああああああああッ!!」
剣先より吹き荒ぶ光の烈風。風に乗った魔力が絞首一体の手段となっていた厄のプロテクトを除去する。
しかし、鬼の狙いは変わらず再生したばかりの若き剣士。弱者を淘汰するのは当然の摂理である。
魔風を追い風に暴食鬼は身を屈め、ロケットのような速度で哉太へと急接近する。

されど侮ることなかれ。弱者と判定した剣士は生物災害発生後、数多の強敵の打倒を成し遂げた男である。
圭介の援護により迫る鬼にはその身を守る闇は剝がされた。即ちそれは反撃の機会の到来を意味する。
魔を断つ聖刀を構え、猛る精神を研ぎ澄ます。軌道を読み取らせまいと幻惑するように歩幅を変えつつ迫る悪鬼。到達まで残り僅か。

「■■■■■■■■ーーーーー!!!」
「ーーーーーーシャアッ!!」

頭を叩き潰す紙一重。身を屈め、怪物の力を利用し、軸足へと狙いを定める。
剛を柔でいなす八柳流が一芸「這い狼」。異形への効果覿面である聖刀の斬撃は、巨人の骨を断ち、転倒寸前にまで追い詰める。
だが、それも束の間。傷は「肉体再生(アンデッド)」以上の速度で再生し、躓いた足を何とか踏みとどまらせて体勢を整えた。
脇を抜けようとする少年を食欲と殺意に満ちた瞳で睨みつけ、矮小な身体を蹴り飛ばそうとする。
それもまた織り込み済み。

「打ち砕けェッ!」
闇夜を駆け、迫りくるのは身体に光のバリアを纏った山折圭介。魔力で強化した脚力で宙を舞い、剣を振り上げ大田原目掛けて落下する。
光の魔力を帯び、あらゆる物体を両断する力を持った剣が巨人の脳天に振り下ろされる。
しかし、理性がほぼ喪失しているとしても大田原は一流を超えた怪物。脊髄反射で死の気配を察知し、回避行動に移る。
だが完全回避には至らず。魔聖剣の刃は巨人の鋼のような強靭な筋肉を裂き、肩からバッサリと袈裟懸けに斬られるが、心臓には到達せず、瞬く間に回復される。

地面へと落下し、体勢を崩す山折の次期村長。同時に迫る鉄砕きの拳。
回避行動はできず、振り下ろされた鉄槌は圭介の周囲に展開された光のバリアを砕く。
強化された圭介の身体の破壊には至らないまで威力は削がれたものの、振り抜かれた拳自体が止まったわけではない。

「ぐおッ……!!」
身体の中心に拳が命中して十数メートル程宙を舞い、着地と同時に水切りの要領で地面を転がった。
体勢を整える前、追撃として今度は圭介へと迫る赤鬼。
軽く舌打ちし、救援へと向かうべく哉太が駆け寄る瞬間。

「ブルルルルォオオオオオオオオオ!!」
咆哮が響き渡る。
巨神が圭介へと迫る直前、突如として現れた一頭のの牝牛ーー瞬く間に牛頭の女巨人ミノタウロスへと変化し、大田原の前に立ち塞がる。
赤鬼と牛鬼。互いを己が膂力で押しつぶすべく。相撲のようにがっぷりと組み合う。
パワーは奇しくも拮抗。だが生まれ持った膂力で圧倒してきたミノタウロスとは違い、大田原は天賦の才と積み重ねてきた経験で種族差すら覆した豪傑。
理性と大部分の技術が失われてはいるもののこの地で葬り去ったオークと同等の力を得た今ならば、目の前の怪物に負けるはずもない。
均衡は瞬く間に崩れる。組み合った手から伝わる力を柔らの技で牛魔人の腕から伝わる運動エネルギーを受け流す。
前のめりに体勢を崩すミノタウロス。瞬間、異能によって膨張した腕に力を籠め、抑え込むように一気に力を込める。
べきりと鈍い音が木霊する。牛魔人の両腕が砕かれ、その腕ごと肉が押し込まれていく。
ぶちぶちと筋線維が引き千切られる音と石が砕かれるような骨砕きの音がコーラスを奏でる。
手遅れだと理解しつつも、少年達がそれぞれ剣を構えて牛魔人の救援へと急ぐ。
だがプレスされ続けている牛魔人はそれを許さず、背中から殺気を発し救援を拒絶。
一瞬、哉太と圭介の足が止まる。そしてーーー。

ーーーーぐちゃり。
圧倒的な膂力でミノタウロスは肉塊へと変化し、暗黒の大地に。だが絶命の瞬間、ミノタウロスの肉塊から魔法陣が現れる。
魔法陣から放たれるのは魔術によって編まれた一本の矢。死をトリガーに撃ち出される矢は生ける伝説と称される大田原といえど反応が遅れる。。
鮮血が飛び散り、決して浅くない傷を負うも再生を始める。だが、突き刺さった矢を起点に、大田原に異世界の呪術が発動。
発動した呪術の効果は再生速度のの遅延。異世界であれば精霊の加護がなければ死に至る病と化す呪い。
だが、地球という土地との相性や大田原の纏う闇により効果は激減し、『餓鬼(ハンガー・オウガー)』の再生速度を落とすだけに留まった。

死の間際、ミノタウロスーー一時の丑モーちゃんの脳裏に浮かぶのは死にゆく我が子を看取ってくれた召喚士イヌヤマの辛そうな顔。
家族が呪いへと転じたことへの衝撃。それ以上に骸も残さず消えた私の子に対する悲痛な表情。
彼女を守り抜くことはできなかったけど、彼女を大切にしていた存在だけは守りたい。
どうか、彼女の魂に安らぎあれ。彼女を想ってくれた子供達に幸あれ。

闇夜の中、再び相対する剣士二人と赤鬼。
肉塊となった牛魔人など気にも止めず、赤鬼は再び闇を纏い、獲物二人に目を向ける。
救援の死を直視した二人は表情は暗いものの、大田原に起きた異変に気付く。
ミノタウロスの死骸から放たれた矢を受けた後から、傷の治りが遅くなっている。
命を散らした獣に心中で謝罪と感謝を述べ、二人は血肉に飢えた巨人を見据える。

「牛の巨人の力で回復速度が遅くなったみたいだ。さっき以上に慎重に切り込むぞ」
「OK、BOSS」


村王と彼の盟友たる若武者が暴食の戦鬼と激突し、白と黒のコントラストを描く場所から少し離れた平野。
静謐とは程遠い暗闇の中、地に堕ちた月の如く朧気な光をを身に纏い、佇むのは一羽の白兎。
弱光の発生源は白兎が首からぶら下げたチェーン付きの古めかしい懐中時計。
亡き「犬山うさぎ」が異世界より地球へ持ち出した召喚術にしてVH発生後に異能として発現した「干支時計」の具現化アイテム。その文字盤に刻まれた数字八つ。
灯る光はそれぞれ白兎を含む眷獣の命を示す印。命を落とした寅・巳・酉・戌の時刻は光を失っている。
そして今しがた、ミノタウロスのモーちゃんの命が対敵への呪詛と引き換えに失われ、丑の刻の灯火か儚く消えた。

『……お疲れ様。君の魂が望と喪ったこの元へと逝けますように』
捨て駒にした戦友に吐かれた一言は何一つ慰めにもならない空虚な言葉。
亡き主の最期の願いは自分達眷獣の平穏と幸福。その祈りを踏み躙り続ける自分達は最早彼女の元へは逝けないだろう。
それでも突き進むという覚悟は皆持っている。理由はただ一つ、聞き入れられることなく振り切られたちっぽけな口約束。

"君の友も助けると約束する"
ーーどさり、と白兎の傍らで何かが倒れる音がする。月兎の仄かな灯りに照らされたのは一頭の羊の死骸。それはすぐに光の粒子へと形を変え、闇の中に溶け込んでいく。
そのすぐ近くの夜闇に紛れ込み佇んでいたのは殉教者のように群れを成す何頭もの羊達。

形見へと変わってしまった懐中時計ーー干支時計は元保有者隠山望(いぬやまのぞみ)の召喚術を異能へと落とし込んだもの。
しかし、様々な要因が重なり召喚には魔力を要する異能へ、魔力が存在しなければ生命力で補うハイリスクなものへと変貌してしまった。
それだけに留まらず、白兎が魔術で無理やりうさぎから取り出して物質化させたことが影響し、召喚に必要なリソースは生命力のみへと上書きされてしまった。
故に、召喚のリソース元として任命されたの七時の羊、メリー。彼(または彼女)の召喚リソースを担ったのは他ならぬ頭目の白兎。

異世界におけるメリーの種族は魔物・増殖羊(クローン・ドリー)。特筆すべき点は戦闘力ではなく、その特性。
大元(マスター)の魔力さえあれば、単為生殖により無限に命を増やし続けられる獣である。

どさり、どさり、どさり。
次々と生贄の生命がエネルギーとして動力源の召喚時計に送り込まれる。歯車が廻り、時針が消費される仲間を指し示す。
召喚先の座標(アンカー)は二つ。
天宝寺アニカの持つ御守りーー神楽春姫から貸し与えた力の一片と共に回収したもの。
八柳哉太の持つ御守りーー犬山うさぎの遺品の一つを彼の懐に転送したもの。
それらはうさぎの前世ーー召喚士イヌヤマが異世界から持ち出した彼女と白兎の祈りが込められた三つの御守りの内の二つ。
二つの御守りを通して白兎は忌まわしき魔王や日野珠の肉体を掌握したHE-028-Aウイルスの動向を記録として読み取っている。
望む未来(ハッピーエンド)の道は断たれ、残るのは何れも最良の結末には届き得ない、尊厳と踏み躙る悪辣極まりない選択肢のみ。
既に賽は投げられた。デウス・エクス・マキナの手から解き放たれ、舞台裏から残酷劇(グラン・ギニョル)の舞台に乗せられた孤独な観測者の選択はーー。


澄み渡る山折の夜空に浮かぶのは月日星。双子座の星彩が白と黒、対極の恒星を煌々と照らし出す。
白き月は草原を仄かな光で照らし、黒き太陽は乙女へ灼熱の槍と黒鉄の剣の豪雨を降らせていた。
黒き太陽ーー『日野珠』の肉体を掌握した女王が狙うのは地を這う虫二匹。
神楽春姫ーー正確には彼女の肉体を借りた山折村の禁忌的存在こと『隠山いのり』の背中には天宝寺アニカ。
いのりの怪異としての異能『肉体変化』にて身体を変化させ、肉と骨の子守帯で彼女を包み込んでいる。

「くっ……次から次へと……!アニカ、速度上げるから気を付けてね!」
「Got it!私もできる限りフォローするけど、Queenの魔術に気を付けてね、Ms.ハル!」

天より襲い来る鉄と炎の嵐。いのりは柳葉刀を下段に構え、異能『剣聖』と『身体強化』を同時発動。
未来予知じみた直感と爆発的に上昇した身体能力にて、只人ならば即座に肉塊と化す地獄を掻い潜り続ける。
時折、異能の強化すらすり抜けて脅威が飛来するも、進化したアニカの異能『テレキネシス』が紙一重で猛撃を防ぐ。
本来ならば異能の力であっても触れることすら叶わない魔術。だが、アニカの体質は魔王との戦闘を経てある変化を遂げていた

「高魔力体質……か。未だ全貌が見えない力が寄りにもよって運命線の見えない者に行き渡るとは、厄介極まりないね」

上空から猛攻を仕掛けながら超越者は独り言ちる。
魔術と運命観測。力を行使する女王が少女二人を仕留めきれずにいる要因は二つ。
隠山いのりの「剣聖」の未来予知による運命線の逆算。
天宝寺アニカの「高魔力体質」による魔王の力に依存するあらゆる攻撃への絶対的耐性。
現状、メタを張れる二人が手を組んだことで女王は進軍を阻まれている。
だが、有効打がないのはいのり達も同じ。女王は上空30メートル地点から空襲を仕掛けており、剣による近接戦を主とするいのりは勿論、「テレキネシス」の範囲外であるアニカも女王との相性は悪い。その上ーー。

「Take look!Ms.ハル、あれは……?!」
「山折村の、厄……!?娘を……うさぎを殺したアイツが……畜生!」
「Settle down。冷静さを欠いたらアイツの思う壺よ」
「……分かってる。異能のお陰で頭は冷えてるから心配しないで」

アニカの心配を他所に原初の巫女は怒りをに滾らせる。
太陽のコロナの如く女王の身体に纏わりつく黒霧。厄神として祀り上げられた「イヌヤマイノリ」一柱、影法師の少女「神楽うさぎ」から簒奪した厄を操る力。
「イヌヤマイノリ」の片割れ兼張本人のいのりは、義娘のうさぎが自身と同じ名を持つようになった経緯は疎か、都に留学した彼女の死因すら知らない。
圭介と共に女王の元へと向かう最中、宿主である春姫本人にそれとなく聞いてみたのだが、多くは語らず、返ってきたのは「知らぬ」という拗ねた答えのみ。
だが何れにせよ、上空の怨敵がいのりから大切な存在を奪ったのは事実。
憤怒・憎悪・敵意・殺意……あらゆる負の感情を心に巡らせ、「身体強化」を発動。同時に女王のように自身の身体に山折村の厄を纏わせる。

「ぐ……うぅ……。Ms.ハル、アナタ一体……!?」
「ごめん、アニカ。奴を地面に叩き落とす策があるから、少しだけ耐えて」
「Got……it……!」

いのりが纏い始めた瘴気の影響を受け、魔力を得た探偵少女は苦悶の呻きを漏らす。
春姫の肉体も同様。巫女の聖なる血と怪異としての特性は太極図のように反発しあう性質故に相性は最悪。
怪異であるいのりの力の増強と相反して春姫の骨肉は軋み、悲鳴を上げる。
宿主たる春姫本人の人格はいのりの言葉を信用し、不服ながらも沈黙を貫いている。
空を見上げる。一瞬、天から見下ろす黄金の瞳が闇の中で妖しく光った気がした。

『……隠山祈よ。汝の思惑など知る由もないが、妾の身体はーーー』
「分かってる。長くは持たないんでしょ。今の状況が続けば殺られるのはこっち。隙さえ作れればーー」

舞台のセッティングは完了。後は実行に移すのみ。
だが対敵は策を見透かしたかのように今まで以上に苛烈な攻撃を上空から降らせて妨害する。
瘴気による消耗で少女二人が潰れるのが先か。はたまた講じた策による女王の撃墜がなされるのが先か。
このままでは埒が明かず、乾坤一擲の勝負に出るか、と思案したところでいのりに背負われたアニカから「Wait(待った)」の声が掛かる。

「Ms.ハル。ほんの少しでも隙を作ればいいのよね?」
「そう、だけど、貴女を囮にするのはナシよ」
「Don’t worry。時間稼ぎをするのは私じゃないわ。あとちょっとしたら救援が来るのよ」
「救援?そんな気配は感じ取れないけど、一体誰がーーー」
「そうよね、Ms.Rabbit!」
『ああ、君の信頼に応えよう、アニカ』

不意に背後から聞こえるアニカの物ではない大人びた女の声。
声を聞いたいのりの中の春姫が忌々し気に舌打ちする。声の主とは何らかの因縁があったのは明白だが、聞く余裕は今はない。
直後、爆撃の轟音に紛れて聞こえてくるのは大地を蹴る蹄の音と猿叫めいた力強い雄叫びの二重奏。
五大元素の爆撃を凌ぎつつ音の方を見やる。そこにはこちらへと猛スピードで駆け寄る獣二匹。
頭に一本の角が生えた美馬ーー聖獣ユニコーンとそれに跨る長棍を背負う逞しい赤毛猿ーー斉天大聖。
彼らの出現と同時に暗黒太陽から放出される魔術弾幕は範囲を広げ、二匹の獣もターゲットに加わる。
ターゲットが増え、魔術攻撃が分散させられたことにより、いのりら二人の包囲網が僅かに緩む。
だが現状打破には一歩及ばず。いのりとアニカは異能と身体能力の酷使を続け、反撃の機会を虎視眈々と狙う。

転機が訪れたのは僅か数十秒後。
血を揺るがす怒涛の蹂躙の中、爆風に吹かれて宙を漂うのは赤毛猿、斉天大聖の体毛。
直後、毛を媒体に現れたのは斉天大聖をワンサイズダウンさせたような数匹の子猿。斉天大聖の妖術にて召喚された命なき分身。
子猿出現を目視した後、禁忌的怪異『隠山祈』がワニ吉より吸収した異能を発動。「ワニワニパニック」ならぬ「ミコミコパニック」により生前のいのりと瓜二つの分身が現れる。
召喚された分身達は散開し、魔術降る平原を縦横無尽に駆け回る。

いのりとアニカはただ闇雲に女王の空襲を避け続けた訳ではない。反撃の糸口を見つけるため、爆撃の法則を分析していた。
考察の結果、魔法爆撃はあらかじめ構築された魔術の自動操縦(オートマチック)システムに加え、照準や一度に放たれる魔術には上限が存在すると判断。
当初は「ミコミコパニック」を運用することでチャンスを作るというものだったが、獣二匹の出現を伴って計画を上位修正。
予期せぬ幸運によりアニカと春姫の肉体の消耗を抑えることができ、女王陥落の糸口が見えてきた。

「Ms.ハル!」
「承知!」

分身の消費が進む中で生まれた奇跡のような刹那の空白。殺意の豪雨が途切れ、二人の少女の目に移るのは浮遊する魔王星。
剣の巫女は体勢を最適化させるため静止。中華刀を下構えに修正。全身を覆う瘴気を全身から腕、刀身(はがね)に伝わせ、浸透させる。
照準は空の死兆星。装填する弾(やいば)は呪厄。魂に巣食う悪しき淀みを殺意一色に統一し、肉体を攻撃に特化。
再び女王に収束する魔力。魔術の豪炎がいのり達に放出された瞬間ーー。

「ーー哈(ハァ)ッ!」
ーー呪厄一閃。
異能『剣聖』の特性ーー剣装備時、刀身に退魔の力が宿り、形なき存在にすら届く力の取得。
怪異『隠山祈』の特性ーー厄の操作による万物への干渉力の獲得。
異能と厄災。性質の異なる二つの力を複合させた斬撃はいのりへと接近する魔炎を両断。
その勢いのまま女王へと繫がる魔力経路(パス)を辿り、暗黒惑星を纏う厄ごと袈裟懸けに切り裂いた。

天から魔術の代わりに女王の鮮血が降り注ぐ。日野珠の肉体から内臓が零れ落ち、覚醒前であれば致命に至る傷。
だが今の日野珠には魔王の娘より強奪した魔術の力がある。回復魔術の使用により瞬く間に傷が再生する。
肉体の修復が完了する直前、斬撃と共に仕掛けられた罠が作動する。
塞がれつつある傷口から入り込む斬撃と共に放たれた山折の厄が女王の体内に侵入。異能と化した魔王の力を破壊する。
だが、消滅した魔王の娘ーー■■■こと神楽うさぎのように完全な消滅には至らず、得られた成果は空中浮遊(レビテーション)の術式の剥奪に留まる。
墜落する女王。愛する者を殺した仇敵の落下点目掛け、ヒトと獣の両者はそれぞれの得物を手に駆け出した。

「くひっ」
闇夜の中でボソリと聞こえる女王の嗤笑。同時に彼女の四方八方に展開される数多の武具と蒼の火球。
女王の周りを漂うそれら全てには彼女の追う瘴気ーー山折の厄が付与されており、禍々しい気配を漂わせている。
生み出された魔術は出現と同時に手榴弾のように暗黒と共に放出された。

「ーーーッ!」
「剣聖」の未来予知が発動。いのりは遅い来る魔の軌道を読み、中華刀で捌き、回避する。どちらも間に合わないと判断された攻撃はアニカの異能に任せて凌ぐ。

「ギィィィィーーーー!!」
嵐を潜り抜ける中、聞こえる魔猿の断末魔。白馬に跨る斉天大聖に厄纏う武具や火炎が殺到する。
同時に一角獣の体にも数多の刃が突き刺さり、血を撒き散らしながら転倒。闇に溶けるようにその巨体が消えていった。

「くっ……!」
背後から聞こえるアニカの息を呑む音。いのりは知る由もなかったが、目の前で死した一角獣は数時間前、袴田邸にてアニカ達を助けた白馬、ウマミ。
また、地に堕ちた斉天大聖は全身を痙攣させており、最早虫の息であった。
救援の死にいのりとアニカに動揺が走る。だが二人の事情などお構いなしに暗黒太陽は魔力のホバーで逆さまの体勢で緩やかに落下しながら魔術を自動掃射を継続する。

落下点までの距離は凡そ100メートル。『剣聖』と『身体強化』の同時使用により脚力を極限強化し肉体を急加速。到達までは十秒もかからないだろう。
疾風に少女二人の髪が靡く中、悍ましき怪異「隠山祈」は今に至るまでの経緯を回想する。

日野珠と神楽春姫。二人には未来があった。もし自分が一歩踏みとどまれていれば、『うさぎ』が珠から女王を摘出し、再び平穏へと還ることができたかもしれない。
自分が『うさぎ』ともっと早く再会できていれば、憎悪を燃やし尽くすことなく隻眼のヒグマに小柄な研究員、氷使いの少女は死なずに済んだのかもしれない。
遡ること10年前。もしも自分が『うさぎ』と共に大人しく封印されていれば、背負う探偵と同じ体質を持つ少女も兄と共に健やかに成長していたのかもしれない。
だがそれは空上の理論でしかない。時計の針が遡ることはなく、デウス・エクス。マキナは顕れることはない。
肉体の宿主ーー春姫の手はまだ汚れていない。アニカも誰一人として手を掛けた様子はない。
日野珠も同様。女王に目覚める前は生前の自分を思わせるお転婆な少女であったことが分かる。
最早完全無欠のハッピーエンドなど臨めない。誰かが手を汚さねば山折村に朝が来ることはない。
故に自分が汚れ仕事ーー日野珠の処刑を担おう。
覚悟を決め、手の柳葉刀を握り締める。首を両断すべく刀を構え、そしてーーー。

「やれやれ。窮地に追い込んだ程度で未来の皮算用とは、私も甘く見られたものだね」

ぞくり、と少女達の肌が泡立つ。
いのりの漆黒の瞳と珠(じょおう)の黄金の「双眸」が交差する。
女王の手に顕れたのは淡い光を放つ木刀二振り。迫る中華刀と木刀が激突する。
与田四郎の異能『真実の研究者(ベリティ・サイエンティスト)』により解析が完了し、いのり目に映るのは更新(アップデート)された女王の力。
異能『女王』、『魔王』、そしてーーー。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
村人よ我に捧げよ(ゾンビ・ザ・ヴィレッジクイーン)
現在生存しているゾンビが得るはずだった異能を再現する異能。
ゾンビ化前の人間の人物像を知っていなければ異能を再現できない。
支配する異能はゾンビ化する前の人間からの好感度が高いほど再現度が高くなる。

【現在使用可能な異能】
『林流二刀剣術』、『神技一刀』、『暗視』、『剛躯』
――――――――――――――――――――――――――――――――――

「黄泉より還り、我に魂を捧げよ『ランファルト』」
ーーー『女王』第二段階到達。魔王の娘■■■の力、魂の蘇生発動。
ーーー生誕、聖木刀ランファルト。

聖なる光が二つの木刀へと集約し、人類救済の意思(エゴ)が顕現する。
黄泉返りを果たした『ランファルト』の力が分割され、意志と共に二振りの木刀へと宿る。
鳴り響くのは機と鉄の合奏。だが銀の煌めきは星の輝きに敵うはずなどなく、刀身が真っ二つに砕かれる。
木製剣の勢いは止まらず、そのまま神楽春姫の肉体に真一文字の傷を生み出す。
星風に吹き飛ばされる少女の肉体。刀身が半分になった剣を握りしめたまま、いのりは地を転がった。
対し、女王はくるりと体操選手顔負けのアクロバットで宙で体勢を整え、緩やかに着地した。
地に転がる獣と同様に地虫と化した麗しの巫女へと悠々と女王は歩み寄り、見下ろす。

「さて、ダンスの続きをしようか。よろしく頼むよ、お姉さん」
二つの黄金の瞳が星の輝きを見せる。


「きゃあああ!1あうッ……!」
宙を舞い、背中から地面に落ちるアニカ。そのまま転がり、十数メートル先で停止する。
木刀が鉄刀を砕いた瞬間、咄嗟にいのりは肉体変化を使用。肉体を操作し、背のアニカの危険を察知して後方へと弾き出した。
痛みに呻きながらアニカは身体を起こし、飛ばされた方向ーーいのりの方へと顔を向ける。
そこにはよろよろと立ち上がる折れた剣を片手に持つ神楽春姫と淡い光を放つ木刀二振りの切っ先をだらんと下へと下げた女王、日野珠。
女王と対峙する恩人へと駆け寄ろうとするも。

「ーーー行って!!!」
喉が張り裂けんばかりの言葉が駆け出す寸前のアニカの足を止める。
自分を助けた恩人を見殺しにする。その決断は地獄を潜り抜けてきた探偵少女の正義を否定するもの。
このVHの中では何一つ事を為せず、誰一人として助けられていない。そうアニカ自身は思っている。
脆弱な異能と小学生の身体では出来ることは限られ、むしろ同行者の足を引っ張り兼ねない。
逡巡の許容時間は僅か。天秤にかけられたのは砕かれたプライドと卑劣な効率。
総取りと折衷はなく二者一択。いのりの言葉に従って逃げおおせるか、自分の正義に従っていのりの救援に向かうか。探偵少女の下した決断はーーー。

(ーーーごめん、なさい……!!)
自分一人で救援に行ったところで犬死にするだけ。ならば女王の危険性を他の生存者に伝達するのが最善手。
己の無力を噛みしめ、女王と対峙するいのりに背を向けて走り出す。向かう場所は視線の先ーー三つの人影が対峙する戦場
正常感染者と特殊部隊の戦闘かもしれない。だが哉太達がいない今、頼れるのは最も近い彼らしかいない。
幾度となく外的要因と己の決断に打ちのめされた。自らの正義を失いかけている少女は女王を止めるため、死地へと向かう。

ーーーずるり。
背後から忍び寄る暗黒の存在など知らずに。


「う……ああああああッ!!」
「くひひひひ。怖い怖い」

悲痛な怒涛と共に折れた剣が振るわれ、それを女王は達人の如き技量で捌き続ける。
HE-028の目覚めた異能「村人よ我に捧げよ」。100を超える無間地獄を潜り抜けた前女王、日野光が予め持ち得ていた力である。

「まさか姉と同じ力に目覚めるとは。血は水よりも濃いとはよく言ったものだ」
『剣聖』と『肉体強化』による嵐の斬撃を軽くいなしながら、ぼそりと少女は独り言ちる。
猛撃を続ける中、研究所での戦闘より蓄積された疲労と全身の筋肉痛が神楽春姫の肉体を確実に蝕み続けている。
天性の肉体に綻びが生まれ、パフォーマンスが各段に下がった結果。

「どうしたどうした。さっきより動きが鈍くなっているぞ……っと!」
輝く二振りの聖木刀に折れた刀をかち上げられ、がら空きになった胴に珠の廻し蹴りが叩き込まれる。
「かふっ」と肺の空気と共に鮮血が吐き出され、いのりは地滑りに転がり純白の巫女服を泥で濡らす。
異能の質・身体能力・攻撃手段・戦闘経験。全てにおいて生まれたばかりの女王は古の巫女を凌駕しており、既に格付けはなされていた。
それでもいのりの瞳は光を失っておらず、地に降りた女王を見据えて、刀身が半分になった剣を構える。

「やれやれ。懲りないものだね、君」
「当たり……前でしょ……!ここで折れたら、全て終わりなのよ……!それに、未来への希望は繋げ―――」
「そら、時間だ。そろそろ表人格に戻りたまえ」

いのりが言い終わる前に、パチンと女王の指が鳴らされる。
同時にガクンと糸の切れた人形のようにいのりは膝から崩れ堕ちる。
数秒の沈黙の後、原初の巫女が顔を上げ、冷笑を浮かべた女王を睨めつける。

「数時間ぶりだね。良い夢を見れたかい、神楽春姫」
「厄災……!貴様、何をした……?!」

へらへらと取り繕うそぶりすら見せない女王に対し、いのりはーー否、得体のしれない力によって引き摺り出された主人格、神楽春姫は美貌を歪ませる。
女王の覚醒といのりによる肉体の酷使により春姫は満身創痍であり、意識を保っているのがやっとの状態。
だが、副人格と同様に未だ闘争心を燃やし続けるのは鋼の如き精神故か。
剣の形を保っただけの鉄屑を向ける偽りの女王を真なる女王はせせら笑う。

「何って、君達が私の翼を奪ったことと同じことをしたまでさ。いや、むしろ天宝寺アニカ達と『神楽うさぎ』が生み出した魔王への対抗策の方が近いか」
「何だ……それは……!?」
「分からないかなぁ。君、才能ある癖に何も研鑽してこなかったから、思考力が欠如しているんじゃないかね。
隠山祈への反撃と同時に纏った呪厄を君の身体に寄生させたのさ。『神宿し』、『反魂』、『珠縛り』の三つの呪詛をね。
これで『自我交換(マインド・シャッフル)』だっけ?が封じられて、自尊心だけを増長させた無知陋劣な君の人格が浮き彫りになったワケ」
「だが、妾の運命線が見えぬのは変わらないのだろう…!?策に溺れたな……!」

春姫の脳裏を過るのは己を愚弄した白兎の冷徹な眼差し。それと同時に突如として失われた春姫という人物を構成する大切な何か。
VHが発生する前の日常であれば、所詮うつけ者のたわ言と大して気にも止めなかったであろう。
しかし、女王を前に敗走した事実や反旗を翻した聖剣という要因が重なることで異変が起こる。
天上天下唯我独尊を地で行く春姫にとって己の失態は何よりも耐え難い屈辱であり、それが彼女の精神を大きく揺さぶった。
だが、生じた異変が及ぼした影響は全て悪い物ではない。

夜空のような漆黒の髪を靡かせ、忌まわしき女王へと疾駆する。
手には折れた剣。だが接近速度は常人の物ではなく、正しく神速。
氷の如き理性が溶け、春姫を動かすのは煮えたぎる激情。
それに呼応するかのように魂の中に巣食う「隠山祈」に接続され、力が全身に巡る。

過負荷を受け、『全ての始祖たる巫女(オリジン・メイデン)』は覚醒する。
只の虚仮威しに過ぎなかった異能の果て。それは自らの才覚を限界まで引き出し、その条件に合致した異能の取得。
全ての可能性を秘めた女王春姫の中に宿るのは多くの異能を喰らった禁忌的怪異ーー隠山祈の力。
引き出される『剣聖』、『身体強化』。そして覚醒する彼女の尊き血統に眠るチカラ。
瞬く間に女王の水月へと到達。生涯初めての激情が目の前の存在が日野珠であること忘却させる。
光を放つ欠けた剣。纏う闇を切り裂いて刃が振るわれる直前。

「君、思考力だけじゃなくて学習能力もないのかい?」

嘗ての女王の異能『村人よ我に捧げよ』が発動。
示現流『雲耀』が如し太刀が岡山林の異能『林流二刀剣術』の卓越した剣術で受け流され、春姫は大きく体勢を崩し、蹈鞴を踏む。
同時に返す刀ーー暮村雨流の異能『神技一刀』の魔力を帯びた聖木刀の斬撃が身体強化にて硬化が施された春姫の肘から下を切り落とす。
なまくらごと明後日の方向へと飛ぶ自称女王の両腕。激情も冷め、呆然とした表情で腕のあった場所を見つめる。
そして間髪入れずに再び叩き込まれる岡山林蔵の異能『剛躯』にて肉体のポテンシャルが跳ね上がった脚力での前蹴り。
ベキリと枯れ木の折れる音が木霊し、泥に濡れた春姫の身体がどす黒い血を吐き散らしながら吹き飛ぶ。
暗がりの中、風を切って平行移動する巫女の肉体を暮村沙羅良の異能『暗視』により晴れた視界が正確にその姿を捉えた。

「く……ぁ……!!」
土埃と千切られた雑草が舞う平原でかつての女王、神楽春姫はその身を横たえていた。
起き上がろうにも既に両腕は肘から下は存在せず、醜く地を這う芋虫のような蠕動運動以外はできない。
神の造形のような天性の肉体の面影は既になく、面立ちに浮かぶのはかつての凛とした美貌ではなく、憔悴した表情は正しく敗者のそれだった。

「つ……うう……うあああああああああッ!!!」
失墜した女王の慟哭が夜闇に木霊する。天に愛された山折の女王は生涯初めての絶望に屈した。
神楽春姫は何も学びはしなかった。故に立ち直る術を知ることはなかった。
神楽春姫は何も鍛えはしなかった。故に類稀なる才能を腐らせ、悉くを蹂躙された。。
神楽春姫は何も恐れはしなかった。故に危機的状況に陥る前に対処することなど到底できるはずもなかった。
詰まるところ、神楽春姫は19年の人生で培ってきた己が矜持の重量に耐え切れなかったのだ。

だが、春姫の絶望はまだ終わらない。その足音は静かに迫ってくる。
じゃりじゃりと土を踏む音がにじり寄り、音を耳にすると地に伏した巫女は息を呑んで顔を上げる。
土と血に濡れたかつての美姫の顔を、黒い太陽が覗き込むように見下ろす。

「や♪気分はどうだい?」
「貴……様ァ……!!」
惨劇を引き起こしたとは思えぬ呑気な声が頭上から降りかかり、春姫は激痛と屈辱に美貌を歪める。
傲慢は肉体の欠損と蹂躙により砕かれ、今の春姫を支えるのは既に土台がガタついている「山折村」という精神的支柱のみ。
虚勢を張る元自称女王の無様を見下すのは真なる女王。邪悪な笑顔を張り付けたまま、パチンと指を鳴らす。

ーーーずるり。
女王の纏う厄が脈動する。光が失せつつある春姫の瞳が大きく見開かれる。
次の瞬間、暗黒の塊が触手へと変化し、呆然とする春姫の口を無理やりこじ開け、口腔へと侵入する。

「な……何だ……くあッ!」
「はいはい♪立っちが上手♪立っちが上手♪」

口腔から侵入した厄の触手は速やかに全身へと転移。神経の隅々まで犯し、その激痛で春姫は声なき悲鳴を上げる。
支配された神経が主の意思とは無関係に活性化し、喘ぐ春姫に更なる苦痛を与えて無理やり立たせる。
その様子を幼き女王は手拍子を叩いて心底愉快そうに応援する。
敗者となり、座から降ろされた女王に尊厳などある筈もない。与えられた運命は勝者を楽しませるためだけの道化となるのみ。

凌辱が終わり、肉体の支配権すらも剥奪された元女王の瞳を現女王は悪意と愉悦の籠った黄金の瞳で見返す。
春姫の瞳は未だ光を失っていない。これだけの非道と絶望を与えられても尚、現状に希望を見出している彼女へ「ほう」と感嘆の息を漏らす。

」凄いね、君。まだ頑張れるんだ」 
「妾が朽ち果てようとも……!世界は……山折村は……決して滅びぬ……!」

うわ言のように吐き出される春姫の言葉。語る内容こそが今の春姫を支える最後の砦。
最早自分が助かる術はない。自害しようにも斬首する腕どころか、舌を嚙み切る力もない。
だが、まだ希望は残されている。いのりが決死の覚悟で逃した金髪の幼子。そして、解決策を模索している山折村の次期村長、山折圭介。
神楽春姫は眠りにつき、その魂は誇り高き祖神楽春陽のように山折村を守護る英霊となる。
確実に訪れるであろう苦痛に対する覚悟を決める。口を真一文字に結び、両目を閉じる。
だが、女王の口から吐かれた言葉は春姫の予想を大きく裏切るもの。

「はぁ?何を言っているんだい?山折村を滅ぼす気なんてさらさらないよ」
平然と言い放つ。言葉の意図が掴めず、元女王は閉じた瞳を開き、心底後悔した。
くひっ。視界に映るのは知的生命体が浮かべていい物ではない、悪意そのものが凝縮された悍ましい笑み。
異形そのものである形相に、精神が弱り切った春姫は身震いする。

「まあ、気を楽にして聞いてくれ。別に私は山折村を滅ぼそうとも君を死に追いやろうとも思っていないんだ」
「ぬ……抜け抜けと……!なら……ば、貴様の蛮行は……我が祖先が決死の思いで封じた厄の解放は……どう、説明をつけるつもりだ……!」

恐怖をふつふつと沸き上がる憤怒と激情で蓋をし、生殺与奪の権を握る女王を弾劾する。
途切れ途切れの虚勢を述べる道化の女王に悪逆の女王は先程の悪意とは一変、生徒を見守る教師のような穏やかな笑みを浮かべる。

「蛮行?そ平和的解決を提示した私に対して暴力で解決しようとした君達に対する正当防衛じゃないか。濡れ衣を着せるは感心しないな。それでも弁護士の娘かね?」
「ち……父上の愚弄は……許さぬ……!」
「それと私の周りを漂う彼らのことだね。これは80年前、この村で人体実験の材料にされた外様の子供達は未来あった若い兵士達の魂が厄溜りの混沌と結びついたものさ」

言葉を失う。春姫が知るのは隠山祈の記憶から読み取った原初(ゼロ)の記憶と父母や祖父母から教えられた平穏そのものであった山折村の歴史
女王の告発の後、思い出したかのように体内に巣食う厄がのたうち回り、激痛と共に脳裏に過ぎるのは数多の景色。

薄暗い牢獄の中。部屋の隅で抱き合って身を震わせる女生徒二人。扉が開き、泣き叫ぶ彼女らを兵士達が連行する。
地下研究室と酷似した場所。少年の割られた頭にメスが差し込まれ、痙攣する。その様子を伺うのは彼と同年代の少年。即ち次の被検体。
夜の山折神社。社務所の軒下に隠れ潜むのは幼き兄妹。しかし衣冠を纏う男によって引き摺り出され、二人の大人の手によって泣き叫ぶ幼子達は連行される。
幼子を引き摺り出したものの正体。それは神楽家の遺影で飾られてある春姫の曾々祖父と、犬山家の曾々祖母。
筆舌に尽くしがたい光景を目の当たりにし、愕然とする春姫などお構いなしに女王は言葉を続ける。

「それから毎年君達は古臭い踊りを披露する祭りがあるだろ?あれは本来、人柱達の魂を慰めるための儀式だったらしいよ。
それが今じゃ山折村の闇を厄溜りに押し付けて、私達に罪はないから許して~って神様に許しを請う儀式に変わっているんだって。
それも80年前の出来事をきっかけに全て闇に葬られてるんだ。ウケル」

けらけらと無邪気に毒を撒き散らして神楽の歴史を愚弄する。反論しようにも脳内で蠢く厄が悲痛の記憶を送り続けるため、言葉が紡げない。

「廃棄され積もった塵が厄と結びついた。神楽春陽が身を投げた深淵には大勢の「隠山祈」が今も尚蠢いているんだ。
良かったね、隠山祈。不幸になったのは君だけじゃない。同じ境遇の人達がたくさんがいるんだ」

聞きたくない。耳を塞ごうにも体の自由は聞かず、それどころか腕そのものがなくなっている。

「それから山折村の由来だね。大昔の犠牲者の魂から読み取ったんだけど、本当は「山祈(やまいのり)村」だったのさ。神楽春陽が名付けたらしいよ。
君のご先祖様、何とか想い人の名を残そうと必死だったみたい。それと神楽分家の人間が「山祈(やまいのり)」の姓でこの地を治めようって決めたらしい。
まあでも時代の移り変わりと共に「山折」に変化して忘れられちゃったみたいだけど。
まあ何が言いたいのかって言うと、神楽家と山折家は遠縁関係にあったんだ。家族が増えるって良いものだよね」

絶望の告発の中にあったほんの僅かな光明。不浄に塗れた山折村の真実に見出した確かな希望。
犬猿の仲であった山折圭介は神楽血筋の人間だった。神楽一族が、山折村を統べてきた歴史は正しかった。
だがその光も、新たな告発により上書きされる。

「何度も言うけど私は山折村を滅ぼすつもりはない。むしろ進化の糧となる山折村を増やそうと考えているんだ。
君達と小競り合いをしている最中に厄溜りの要石になっていた神楽うさぎのノウハウを生かして厄溜りに接続。
彼らの願いの大多数は孤独の払拭と復讐。その解釈をちょっとだけいじって体内の願望器で叶えてあげたんだ。
つまりはだね、厄の一部ーー59の「隠山祈」達は空気感染機能を備えたHE-027-Aを持って日本各地に散らばった。願望器で作り出した私の前のバージョンをね。
でも私や君ほどの力を持つことはないし、撒き散らされるウイルスに感染しても正常感染者になれる確率は1%くらいかな。
彼らの行き先は全ての元凶になった未来人類発展研究所所長、終里元の子供達59人。彼らが女王感染者となり59の「山折村」を生み出す。
喜べよ、原初の巫女。君達一族の所業は山折村の繁栄と研究所への神罰に繫がったぞ」


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最終更新:2024年06月08日 21:39