地獄が広がる地上より、なお深い地の底の底。
奥底の深淵に広がるのは、白く清廉なる地獄である。
潔白なる世界の足元には多くの死体が転がり、黒い死と赤の血が織りなす陰鬱な色彩に侵されていた。
その中心に威風堂々とした風格で立つのは、清廉な白にも陰惨な黒にも汚されぬ赤。聖剣を携えた神聖なる巫女である。
地下を流れる空調の冷たく重厚な空気に、ヘルメットから流れる長い黒髪が優雅に揺れる。
この世のモノは思えない不気味なまでのその美しさ。
この静謐さと醜悪さの入り混じる地獄においては、人智を超えた神か悪魔の様にすら見える。
彼女こそが神楽春姫。この山折村の始祖なる一族にして全てを統べる真なる女王である。
春姫は死体の山が築かれる足元に一瞥すらくれず、ただ前を見つめていた。
その黒曜石のような瞳が見つめているのは、蓋が開いた地獄の釜。
重々しい壁の崩れた『細菌保管室』の有様である。
全てはここから始まった。
この一室こそが、村を襲った惨劇の起点である。
その周りには粗雑な爆破の証拠が散見されていた。
壁に刻まれた大きな穴は人為的に破壊されたという一つの真実を知らせている。
春姫は壁際に歩み寄り、そのまま足をかけると、よっと力を込めて軽やかに壁を乗り越えた。
この保管室内には目に見えないウイルスが蔓延しているだろうが、適合者である春姫にとっては今更である。
保管室の中に入って内部の様子を探る。
爆破は壁の破壊だけでなく保管室の内部でも行われたようだ。
煤けたような痕跡が室内の壁に放射状に広がり、その影響でこの部屋の電灯は壊れてしまっているようである。
廊下から差し込む微かな光だけが、この暗闇を照らす頼りになっていた。
春姫は背後からの微光を頼りに、部屋内を観察する。
冷蔵庫のような高度な保管装置がいくつもあり、それがかつてはこの場所で細菌やウイルスを厳重に保管していたのだろう。
だが、爆破と地震のダブルパンチによって、その大半は無残にも破壊されていた。
フラスコやシャーレの破片が地面に散らばり、その中から漏れ出したウイルスが、おそらくこのバイオハザードの原因だろう。
だが、全てが完全に破壊されたわけではないようで、薄暗い部屋の一角に何とか爆破の影響から逃れて無傷の容器がいくつか見受けられた。
雑な仕事だ。
春姫ですらそんな感想を抱くほどだ。
廊下に転がる死体たちの徹底さに反して、ここで研究成果を完全に消去してやろうという意図は感じられない。
むしろ、このバイオハザードを引き起こす事こそが目的であるかのようにさえ思える。
春姫は足元に散らばる破片を粗雑に足裏で蹴散らしながら、部屋の奥へと進んで行く。
爆破と地震によって壊れた瓦礫と暗がりを慎重に避け、部屋の隅に転がっていた一本の試験管を手に取る。
壁の穴から差し込む微光に照らして見れば、試験管には[HE-028]というラベルが貼られていた。
この試験管の内容物が山折村を侵したウイルスだろう。
ある意味では事件の犯人を捕らえた様なものだが、それだけでは何の解決にもならないのがこの事件だ。
春姫が本当に必要としているのはウイルスではなくワクチンである。
この部屋にそういった希望の兆しは見当たらなかった。
ひとまず何かの役に立つかもしれない。
そう考え、春姫は[HE-028]を懐にしまい込む。
とりあえずの成果を得た彼女は細菌保管室を後にした。
『脳神経手術室』『新薬開発室』『感染実験室』『動物実験室』
階段からこの保管室に至るまで、高度な科学研究が行われていることを誇示するような大仰な名前の実験室が並んでいた。
なるほど、ここには最先端の研究設備が整っているのだろう。
研究者であれば垂涎物なのだろうが、春姫にとってはどうでもいい事だ。
このフロアにトイレがない事の方が気になるくらいである。ここの連中は催したらいちいちB1にまで戻っているのだろうか?
春姫に今からワクチンを研究するなどと言うつもりは毛頭ない、そんな時間はハナからないだろう。
彼女が望むのは研究と言う過程ではなく、事態を解決するための成果という結果だ。
その結果を求めて、赤い巫女は保管室からさらに先へと進む。
この研究所で行われていた争いは保管室を中心に行われていたのか。
保管室を離れるにつれ、警備兵と祭服たちの死体の数は少なくなっていた。
逆に、逃亡しようとして背中を撃たれたような、白衣を纏った研究者の死体が目につくようになる。
白衣の死体が転がる白い死の海の中で、血で染まった赤い巫女が足を止める。
細く長い睫毛を瞬かせながら、扉に書かれた名前を確認する。
『分析室』
その名の通り、各々の実験室で行われた実験成果を取りまとめ、その実験データをもとに解析と分析を行うための部屋である。
研究成果と言う機密の詰まった、ある意味でこの研究所において最も重要な一室である。
春姫はタッチ式の自動扉に手をかざす、が反応はない。どうやら施錠されているようだ。
だが、今の春姫には魔法の鍵(物理)がある。
階段廊下の合金製の扉と違って、室内扉は破壊するのもいくらか容易かろう。
鍵開けに成功した春姫は分析室の扉を開き、中に足を踏み入れる。
そこには高性能なPCが幾つも立ち並んでいた。
立ち並んでいると言っても、実際には地震の影響で床に転がっているものがほとんどだが。
そんな中から春姫は一台の無事そうなPCを選び、足元にある本体の起動ボタンを押す。
壊れてはいないようで画面は一瞬で起動した。パスワード入力を求める画面がディスプレイに映し出される。
春姫はキーボードに向かって軽やかに指先を滑らせ、ッターンっと華麗にパスワードを入力した。
だが、無作為に打ち込んだパスワードが認証されるわけもなく、返ったのは再入力を求めるエラー画面であった。
ふむ、と意味深に呟きその結果を受け止めるが、その呟きに特に意味はないだろう。
データの確認にはパスワードが必要である。
試しにIDパスに書かれていた値を入力してみるがこれも弾かれた。
流石にこればっかりは強運や偶然でどうこうなる話ではなさそうだ。
だからと言って、出来ることがないわけではない。
大抵の研究成果はPCで管理されているようだが、そればかりではないようだ。
テロや地震が起きる直前まで研究中だったのか、手書きの資料やプリントアウトされたレポートも周囲に散らばっていた。
地震で落下した紙束は方々に広がり取りまとめるのが面倒なのでひとまず置いておいて、とりあえず机に残っているレポートを手に取って目を通す。
春姫は速読のようにレポートの要点を読み取っていく。
先ほどB1の資料室で専門書を読みこんだ甲斐もあってか、ある程度は内容が理解できる。
とは言え、細かな実験内容に関してはどうでもいい。
別に研究の続きを引き継ごうという訳ではないのだ。
知りたいのは概要と結論。解決に繋がる情報である。
どうやらこの資料は当たりのようだ。
これは先ほど保管庫で入手した研究中のウイルスについての資料である。
――――HEシリーズ。
正式名称『Heal Earth』。
[HE-001]から始まるウイルス開発計画で、村に漏れ出したのは28番目の試作薬[HE-028]と言うウイルスのようだ。
概要の描かれた資料には研究者のモノだろう、手書きの注釈が書かれていた。
■
〇Heal Earth-No.028 研究報告書
作成日: 2023年6月×日
1. ウイルスの概要と特性
1.1. 目的と機能
[HE-028]は、感染者の脳機能を拡張し、その脳内イメージを外界に転写する機能を生成する新規ウイルスである。
→いくつかのケースで、母体の脳に応じた本来の想定とは異なる機能の発現が確認されている。現段階では運用上の支障はないため保留とする。
1.2. 感染経路
[HE-028]は空気感染によって広まるウイルスである。
→散布の際はより効率的な散布方法を検討する必要がある。外部組織への協力要請は必須か。
1.3. バリエーション
[HE-028]は、主体型[HE-028-A]と、その影響下でのみ活性化する子型[HE-028-C]に分類される。
→影響範囲は不明。岐阜と東京間の約270Kmまでの有効性は確認済み。距離制限なく交信が可能かもしれないという仮説あり。要検証。
1.4. コミュニティ依存性
一つのコミュニティ内で、[HE-028-A]の感染者は単独でしか存在できない。
→感染拡大の足かせとなるため、この制約を撤廃できないかを検討すべきと言う意見あり。
→しかし、依存関係の改修はリスクが高く、期限を考え現時点では保留とする。
1.5. 活性化と非活性化
コミュニティ設定は感染時に確定し、母体[HE-028-A]が死亡すると、子型[HE-028-C]の活動も停止する。
→別のコミュニティで発生させた[HE-028-A]感染者同士の交換を行い、片側の[HE-028-A]感染者を死亡させたところ、影響を受け活動を停止したのは元のコミュニティの[HE-028-C]感染者であった。
→非活性化後、睡眠中の脳脊髄液によりウイルスは除去されることが確認されている。
1.6. 定着と変質
[HE-028-C]は約48時間で人体に定着し、単独で活性化可能な[HE-028-B]へと変質する。
→定着時間の短縮が運用上必要。脳活動が高い検体では定着時間が短縮される事例あり。詳細条件を特定中。
1.7. 今後の研究方向と目標
全人類への[HE-028-B]定着を最終目標とする。
→人類以外の生物も対象としたいが、現時点では保留。
2. 課題と対策
2.1. 脳拡張の失敗と脳萎縮
脳拡張に失敗すると、[HE-028]が無制御に増殖し、脳萎縮が発生する。
→正常感染率は現在1~5%。目標は2年以内に99.998%以上。正常感染の条件特定が急がれる。
2.2. 動物実験の限界
現在の動物実験では、人間への適用には限界が存在する可能性が指摘されている。
→これ以上の進展には人体試験が必要かもしれない。
2.3. 精神的影響
動物実験において感染した動物の行動に変質が見られたケースが存在した。
→人間にも同様に適用される場合、どのような精神的影響があるのか不明である。
2.4. 免疫応答
一度感染した個体は抗体を生成し、その後の再感染が難しい。
→何らかの要因で[HE-028-A]感染者が死亡した場合、その影響下にある[HE-028-C]が取り残される危険性がある。
■
レポートの概要はこんな所だ。
その先には専門用語の並んだ具体的な研究内容も書かれているが、その辺はいいだろう。
以上の内容から事態の解決に繋がりそうな情報を要約すると。
- 非活性化したウイルスは脳内洗浄で洗い流せる。
- ウイルスを非活性化させるためにはA感染者の生態活動を停止するしかない。
結論としては、これまでと変わらず女王の殺害がベストな解決策であるという事だ。
少なくとも、あの放送が虚偽情報ではないことは確認できた。
だからこそわからない。
あの放送は、ウイルスに関する情報は本当であったにもかかわらず、地震による研究施設の破損という明らかな虚偽が含まれていた。
あれ程露骨な破壊跡だ、当時者であればそのような勘違いは起こり得ない。
それ嘘と断じられるのは、今の所研究所内の被害をその目で見た春姫だけである。
だからこそ、安直な結論は出さない。
結論を出すには情報がまだ足りていない。
[HE-028]の報告書を懐に忍ばせた春姫が分析室の奥へと視線を移す。
そこには扉があった、分析室にはまだ続きががあるようだ。
春姫は手慣れた様子で魔法の鍵を振りかぶって、分析室の奥へと侵入を果たす。
そこはデジタルではなくアナログな大量の紙資料が並べられた資料室だった。
B1Fにあった資料室と違い、先ほど机上にあった資料のようにこの研究所で行われた実験のレポートや報告書がまとめられているようである。
数年にわたる膨大な実験データの資料が図書館のように列ごとにジャンル分けされ、綺麗にまとめられていた。
耐震構造はそれなりにしっかりしているようで、固定された本棚自体は健在だ。まあ中のファイルは地面に落ちて取っ散らかっているのだが。
春姫はまずは扉に近い左端の通路を進みながら足元に落ちている資料を簡単に確認してゆく。
一番手前に先ほど確認した[HE-028]のレポート、次いで[HE-027]。どうやら手前から逆順に資料の数字も若くなっているようだ。
時系列ごとにファイルされていたのだろう。古い実験成果は奥にまとめられているようだ。
順調に進めば研究のヒストリーを[HE-001]まで遡れるのだろうが、この辺は最新の[HE-028]のデータを見ていれば十分だろう。
春姫は次の列に移る。
この列では研究所が残した独自資料や研究員が書いたであろう論文などが並ぶゾーンのようだ。
適当に転がっているタイトルだけを流し見していく。
とりわけ、春姫の興味を引いたのは長谷川真琴という研究員が書いた論文である。
『量子脳:脳が世界に与える影響について』
『CRISPR技術を用いた脳の未使用領域の活用と発展』
『外部刺激による機能の拡張と機能障害の克服について』
どれもが脳科学に関する論文だ。
試しに拾って軽く目を通しただけも門外漢である春姫にもわかる革新的な内容だった。
世界が脳に与える影響ではなく、脳が世界に与える影響というのは面白い発想である。
これは[HE-028]の資料に書かれていた特性とも被るところがある。
研究に生かされているのは間違いなのだろう
こういった資料も解決に役に立つのかもしれない。
とは言え、参考にするには資料は膨大すぎる。
持ち運ぶにしても荷物が増えるのは面倒だ。
春姫は適当に1、2冊ピックアップして懐にしまう。
次の列に並んでいたのは研究に関わらない雑多な資料だった。
春姫の目的はこの村の始祖として村を救うことである、研究に関わらない資料など見ている暇などない。
はずなのだが、その中に春姫の興味を強く引く資料があった
『山折村の成り立ちと歴史についての調査報告』
タイトルの通り、山折村の成り立ちと歴史がまとめられた資料のようだ。
恐らくこの地を拠点とするために、研究所が独自に調査した物だろう。
どれどれ。と添削をする教師の気分で報告書を手に取った。
村の始祖を謳う神楽家はこの手の資料には一家言ある。
春姫は流し読みではなく腰を据えてその資料を読み始めた。
■
〇山折村の成り立ちと歴史についての調査報告書
I. 山折村の起源
山折村の原型となる土地が初めて文献に登場したのは平安時代にさかのぼる。
当時の資料によれば、山賊がこの地域を活動の拠点として使用していた記録が存在する。
山賊どもが近隣の集落から略奪した貴重品を、この隠れ家で保管していたとされる。
ある年において、山賊の一人が州の警固によって捕縛され、取り調べの過程でこの土地の存在が明らかとなった。
地方代官は兵を動員し山賊一味を駆逐。略奪された財宝は国に徴収された。
この土地はその後、飛騨国の管理下に入ったが、険しい山々に囲まれた交通の不便さから、しばらく活用されずに放置される事となる。
II. 疫病と村の成立
重要な転機が訪れたのは室町時代に入り、飛騨国で天然痘の疫病が流行た時の事である。
一計を案じた郡司が、疫病拡大を防ぐための対策として、疫病患者の隔離場所としてこの地を利用する方策を実施したのである。
その制度に従い、外界から隔絶されたこの土地に、次々と感染者や疑わしい人々は隔離されていった。
この際の治療体制は不十分であったと伝えられており、治療とは名ばかりで感染者たちは打ち棄てられたも同然の扱いであったという。
そこから、その地は病を閉じ込める檻。『病檻(やまおり)』と周囲から揶揄される何物にも顧みられぬ陸の流刑地となっていた。
だが、隔離された地域の中で、感染を乗り越え生き残った者たちがいた。
疫病により家族を失い、行く当てのない者たちは共に身を寄せ合い、新たな集落を形成した。
これが現在の山折村の『村』としての原点とされている。
III. 災厄と文化の形成
村として成立してからも、多くの災厄に見舞われたことが記録されている。
飢饉と不作。地滑りと土砂崩れ。猛獣の襲撃。火災、地震などの極地的な天変地異。神隠し。
多くの不可解な出来事や未解明の現象が記録に残されている。
あまりにも災厄が頻発することから、疫病隔離時代の蔑称『病檻』が転訛して『厄檻村』と呼ばれるようになった。
村人は山賊の根城であった事や、疫病隔離の場として用いられたというこの土地が呪われていると考えた。
また、不幸は妖怪や怪異の仕業であるという考えも広まり、多くの怪談や妖怪、怪異の伝説が形成された。
度重なる災厄を妖怪の仕業であると結びつけるのは一般的な妖怪伝承の成り立ちである。
外界から隔絶された特殊な村の地形は、独自の文化や信仰を育むにはまさに絶好の土壌であった。
これらの災害を鎮めるための手段として用いられたのが、神事や祭りである。
村の北部に位置する森林には厄を封じると言われる神木があり、毎年特定の日に、この神木で神事を執り行っていた。
これが後の山折神社であり、多くの村人が信心深く通ったことが記録に残っている。信仰の場は村の精神的な支えとなっていたようだ。
IV. 陰陽師の介入と村の再建
祭事では災厄は収まらず、限界を迎えた村の代表者が公的機関に対策を求める陳情を行った。
陳情を受けた郡司もまた、疫病蔓延の際に村を見捨てた負い目もありこの陳情に応じた。
役人は京から陰陽師を派遣し、村を訪れた陰陽師は村を一目見るなり『ここは厄を煮詰めた災厄の壺である』と述べた。
そして、取り囲まれた地形があらゆる厄に蓋をする厄の吹き溜まりとなっていると地形的な問題を指摘。
これを解消する手段として、南の山に厄を通す穴、龍脈を開くよう指示を出した。
この土木工事に多くの村人が駆り出されたが、当時は国内にトンネルの開通技術などは伝わっておらず、多くの犠牲者を出すこととなった。
その犠牲者を人柱とする形で、現在の新南山トンネルの前身となる通路が作られた。
これにより、災害の頻度が少しずつ減少し、村の状況が改善されて行った。
V. 経済と開放
龍脈の開通工事の結果、村の災厄は徐々に収まって行った。
時代が江戸時代に入る頃には村には平穏が訪れ、ようやく外界との交流や交易が始められるようになった。
そのころには村の呪いの根源である外界から隔絶された地形は、手つかずの豊かな自然を保存する恵みとなっていた。
特産品としての松茸や舞茸、そして狩猟による肉類が交易品として非常に重宝され、近隣の市場で高値で取引さたと多くの記録に残っている。
この交易を通じて、村は経済的に発展して行き、この繁栄を受けて村は少しずつ外界に開かれていった。
この時期に商人や旅人が村を訪れた様子も資料に残っている。
明治時代に入り、交通の便を図るため龍脈を拡張して南山トンネルが建設された。
新政府の方針により、村の名称が「山折村」と正式に決定された。
以上、山折村の詳細な調査報告をまとめました。
戦時の村の様子に関しては別資料『
ヤマオリ・レポート』を参考。
■
60点である。
歴史書を読み終えた春姫は大きなため息をこぼした。
村の成り立ちに関してはそれなりにまとまっているが、いくつも間違っている点が見受けられた。
何より、この資料には『降臨伝説』にまるで触れられていない。まったくもって出来の悪い偽書である。
この伝説こそ神楽家が村の始祖たる所以であり、山折家を偽りの支配者と断ずる理由でもある。
疫病に苦しむ村民を救ったのは、村人たち力だけではなかった。
人々を救ったのは山中に突如として君臨した『神』の奇跡があってのことだ。
現れた神は疫病で苦しむ人々に自らの血を注ぎ、彼らを救ったのである。
君臨した神を一人の巫女が神楽で迎えた。
巫女は疫病患者たちを見捨てられず、自ら村を訪れた聖女であり、そして巫女は神と交わり子をなした。
これが神楽家の始まりだと伝えられている。
つまり神楽家は、天照大神を祖先神とする天皇家の如く、神の血を引く貴き血筋なのである。
もちろん、神の降臨伝説といった伝説や信仰は多くの村や地域に存在するありがちなものだ。
しかし、春姫や神楽家の人々にとって、それは絶対の真実であった。
そして、山折神社の成り立ちについての記述も、事実とは大きく異なっていた。
祭事は神への感謝を捧げるための行いであり、厄払いなどのためではない。
村を救った神を奉るため、神が君臨した山の中腹に社が建てられたのだ。
最も多く神の血を賜り死の淵から復活を果たした男が宮司を務めることとなり、始まったのが山折神社だ。
これが神楽家の伝える正しき歴史である。
やれやれとかぶりを振る。
所詮、外様の歴史認識などこんなものか。
村に関する歴史書については父の蔵書の方がまだ充実しているだろう。
機会があれば研究所の連中にも講義してやらねばなるまい、これも村の先達としての務めだろう。
そう考えながら歴史書を懐にしまう。
曲がりなりにも村について書かれた書物である。
偽書とは言え、持ち帰り父の蔵書の肥やしとするのも一興であろう。
弾丸の一つくらいなら防げそうなほどにかさばってきたが、いざとなれば邪魔な論文を捨ててしまえばよい。
啓蒙も重要だが、今はウイルス被害に苦しむ村の救済が最優先である。
気を取り直し、春姫は次の本棚列に進む。
するとすぐに壁に行き当たった。どうやらこれが最後の列のようだ。
壁際にある最奥の列を進んで行く。
そして、入口から最も遠い資料室の最奥に『ソレ』は置かれていた。
地震にすら負けず鎮座するように、『ソレ』は地面に落ちず本棚の中に収まっていた。
何の躊躇もなくそれを手に取って春姫はそのタイトルに目を通す。
『Z計画に基づく本研究所の設立理念と研究目的について』
恐らくして、この研究所において、もっとも古い資料。
研究所の設立当初から存在するもので、研究所の全ての活動の根源とも言える内容が記されている。
確実に何らかの真実を明らかにする重要な資料だ。
春姫は当然のようにページをめくり始めた。
静かな資料室の中で、彼女の呼吸やページをめくる音だけが響いていた。
■
〇Z計画に基づく本研究所の設立理念と研究目的について
Z計画を受けて、本研究所は人類の発展を未来に続けることを理念として設立された施設である。
また、本計画における…………は……………であり……………
.
.
.
..
...
.....
..........
■
「………………なるほど」
資料をすべて読み終え、春姫は全てを理解した。
そこには世界の『真実』が書かれていた。
心弱い人間であればあるいは発狂しかねないほどの衝撃的な事実である。
春姫が形の良い唇を尖らせ、珍しく内容を吟味するように思考する。
『未来人類発展研究所』は何のために作られたのか。
製造されているウイルス、[HE-028]の役割とは何なのか。
そして、その根幹となる『Z計画』とは。
ここに書かれている内容が事実なら、この研究所で行われていたのは正しく『世界を救う研究』である。
だが、春姫はこれを与太話と切り捨てるのではなく、真実であると受け入れた上で一笑に付した。
研究所は正しい。
必要性も理解できる。
だが、それはそれ。これはこれだ。
どんなに高尚な理念や目的が背景にあったとしても、この村を害したのは言い訳のしようがない事実である。
自然災害だろうが、事故であろうが、外的要因による攻撃であろうが、そんな事は知った事か。
何であろうと村への狼藉を春姫は許しはしない。
村の惨状を見て既に手遅れだの、取り返しがつかないだの考えるのは凡夫の発想である。
疫病に喘ぎ苦しむ村人の前に君臨した神の如く、全てを救ってこその神楽春姫である。
仮に、村人が全滅して生き残りが春姫ただ一人になったとしてもそれがどうしたというのか?
春姫がいれば、そこは山折村だ。
この事態を解決し、見事、山折村を再建して見せよう。
これこそが神の血を引く女王の役割である。
【E-1/地下研究所・B3 分析室・資料室/1日目・昼】
【
神楽 春姫】
[状態]:健康
[道具]:血塗れの巫女服、ヘルメット、御守、宝聖剣ランファルト、研究所IDパス(L1)、[HE-028]の保管された試験管、[HE-028]のレポート、山折村の歴史書、長谷川真琴の論文×2。
[方針]
基本.妾は女王
1.研究所を調査し事態を収束させる
2.襲ってくる者があらば返り討つ
[備考]
※自身が女王感染者であると確信しています
※研究所の目的を把握しました。
※[HE-028]の役割を把握しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
最終更新:2023年10月10日 21:31