氷の世界に雨が降っていた。
局地的な熱を持った雨は空を舞う人工物、ドローンより降り注ぐものである。
その雨を一身に浴びるのは地面に張り付いた氷の中心に佇む、1体の美しき氷像だった。
それは村に放たれた刺客、特殊部隊黒木真珠を閉じ込める氷の檻だ。

雪国では降り積もった雪や道に貼った氷を湯で解かすのはご法度である。
そのような極寒の環境では、湯をかけたところで完全に気化せず、半端に溶けた氷が再凍結してより強固に固まってしまうからだ。
だが、超常現象によって生み出されたこの氷にそのルールは適応されない。

6月の山折村はほんのりと暖かい初夏の気候だ。
降り注ぐ熱湯に氷は再凍結することなく溶けて行き、解凍と言うその役割を果たして行く。
閉じ込められた真珠の右手が手首周りまで露出した。

自由になった手首の返しだけで僅かに脆くなった氷を打ち砕く。
そうして、傷口を広げてゆくように徐々に可動域を伸ばして行く。
肩まで表に出たところで振り上げたこぶしを自らの胸元に振り下ろす。
氷粒が弾けるように飛び散り、氷の壁が砕けて行く。

ここまで来れば脱出できたも同然である。
片手さえ自由になってしまえば、真珠にとって氷を割る程度のことは容易い。
自分を殴りつけるようにして氷の檻を砕いて行き、ほどなくして全身が解放された。

氷の檻から一歩踏み出す。
解き放たれた真珠はまず自身の性能を確かめる。

1時間以上同じ体制でいたおかげで少し体が硬くなっているが、氷に閉じ込められたことによる凍傷などの影響はない。
防護服は性能の流石である。
宇宙服並みの機能でありながら生身と変わらぬ機動性を保っている。

固まった体をほぐす柔軟ついでに次の行動について思考する。
氷内に閉じ込められて約1時間。すでに標的(ハヤブサⅢ)たちは遠くに向かっているだろう。
今から足取りを追うのはさすがに難しい。相手が相手だ、追えるような痕跡も残っていまい。
何より追ったところで相手が徒党を組んでいる以上、単独では繰り返しの返り討ちに合うだけだ。

単独の任務遂行には限界がある。
こちらも村人を利用して徒党を組むべきだろう。
だが、村人を利用すると言っても、今から村人たちを従えるのは正直言って厳しい。

基本的に村人にとって特殊部隊は敵である。
その印象を覆せるとしたら任務開始直後。
まだ印象の出来上がる前に懐柔するしかない。
つまり信頼関係による協力関係を築くには初手を誤った時点で手遅れだ。

今からでも恐怖による統制ならば有効だろうが、そのやり方だと士気と練度は期待できない。
裏切りのリスクも高いだろうし、囮くらいにしか使い道がなさそうだ。
それも使いようだが、それなりに連携の取れているハヤブサⅢに氷使いを殺すには足りない。
下手をすれば、向こうに戦力を取り込まれる危険性すらある。

後は、現実的な方法としては利害の一致による取引があるが。
これは、この状況で自らを殺しに来た連中に媚び諂えるプライドのなさと、状況を見極める狡猾さを兼ね備えた都合のいい『狗』でもいなければ難しいだろう。
何より利害の一致による関係はより良い条件があれば容易く裏切る。
好みを言っていられる場面ではないが、仮にそんな輩がいたとしても真珠個人としてはあまり組みたい相手ではない。

結論としては、やはり今から村人を手駒にするのは難しい。
考えるまでもなく分かりきっていた事だが、やはり初動のミスは痛い。
とは言え村がこのような魔境になっていると読めなければできない対応ではあったのだが。

だが、逆に任務開始直後ではできなかった方法もある。
先ほど真珠が戦ったハヤブサⅢが率いる一団のように、生存している正常感染者たちも固まり始める頃合いだ
この状況で単独行動をしている村人はよほどの馬鹿か、悪さをしている輩くらいのモノだろう。

それなりに広い作戦区域をたった6名でカバーしなければならない状況では戦力をまとめるのは愚策だが、戦況は次の段階に移っているはずだ。
ローラー作戦が終わって、次は集まった所を一網打尽にするフェイズである。
本来であればこれも単独で事足りるはずだったのだが、異能と言う不確定要素によって思いのほか感染者側の戦力が厚い。
ならば、SSOG側も戦力をまとめてもいい段階だ。

少なくともハヤブサⅢが徒党を組んでいる以上、他の隊員と真珠の利害は一致している。
何より、それぞれが一騎当千の猛者であるが、SSOGは秘密特殊「部隊」である。
当然、単独よりも連携を取った方が圧倒的に強い。
目的、戦力、信頼関係。利害と言うのならこれが最も一致している。

だが、この提案が受け入れられるかは相手次第だろう。
例えば、美羽はまず受けない。
単独で集団を引きつぶせるブルドーザー。
連携を取るより敵地の中心に突っ込ませた方が効果的な狂犬だ。

状況と条件次第だが、そういう意味では成田もそうだ。
狙撃手は連携面での強みもあるが、単独行動の方が効果を発揮する場合もある。
奴に限っては遊撃兵として柔軟に対応してもらった方がいいかもれない。

大田原は効果的任務を遂行できる提案であれば受け入れるだろうが。
そうなるには大田原が戦力的に足りないと感じている状況でなければならない。
あの最強が現状で苦戦しているとは考えづらい。望み薄か。

そうなると、候補は広川と乃木平辺りになるのだが。
広川はともかく、乃木平は微妙なところだ。
戦力的のどうこうの話ではなく、考え方の話だ。

乃木平の『イイ子ちゃん』なスタンスは真珠とは合わない。
対等な立場の隊員同士だからこそ致命的なズレになりかねない。
何より、あの戦場初心者(ニュービー)に各個撃破と言う司令部から与えられた任務を無視して、戦況に合わせた自己判断ができるとは思えない。

柔軟性という意味では、村にいるらしい小田巻を取っ捕まえられれば一番なのだが。
善悪の頓着がない小田巻のスタンスは真珠とも合うし、何よりその能力を真珠は高く評価している。
むしろ、小田巻であれば自ら売り込んできてもおかしくないくらいだ。

とは言え小田巻に関しては作戦区分が決まっている隊員たちと違って、どこにいるかの指針がないためハヤブサⅢ以上に探しようがない。
ひとまず真珠は広川に辺りをつけて、担当区域である北部に意識を向けた。


診療所を通り過ぎた山の手前に、一台の軽トラックが駐車されていた。
明らかな違法駐車だが、それを注意する者はこの村にはいない。
何よりそのトラックに乗り合っているのは自衛隊に所属する公務員である。

そのトラックの荷台には、後ろ手に親指を縛られた状態で寝ころがされているスヴィアとその見張りを任された碓氷が残されていた。
所属も思惑も目的と違う、継ぎ接ぎだらけの臨時部隊は地下研究所の入り口を求めて診療所に向かっていた。

そこまでに至る道中の車内で、既にスヴィアへの尋問は終えている。
スヴィアの持つ研究所の研究内容、黒幕をスヴィアが知り得た根拠など、話せることは全て話した。
情報を聞き出された今もスヴィアが用済みとされず生かされているのは、証言の裏取りがまだできていないと言う事情と、元研究員としての知識を期待されての事だ。

だが、いざ院内に突入しようと言う段階で、部隊を仕切っている天が「別用ができた」とその場を離れ何処かへと消え去った。
その際に、碓氷は天からスヴィアの見張りと世話係と言う役割を与えられたのだった。

「食べてください。アナタには回復して頂かないと」

碓氷が災害時非常持ち出し袋から氷砂糖を取り出し、スヴィアの口元に差し出す。
だが、スヴィアは僅かに顔を背けてそれを拒否する。
碓氷は困った生徒に対応するようにやれやれと肩を竦める。

「…………ボクの事より……自分のことを心配したらどうだい……? あまり、信用されていないようだが」
「なぁに。信用を重ねていくにはまずは小さな仕事をコツコツですよ」

碓氷が見張るのは重症の女一人。任せられる仕事はこの程度だと思われているという事だ。
トラックの外ではライフル銃を手にした真理が周囲の警戒を行っている。
周囲だけではなく、碓氷とスヴィア、2人の見張りも兼ねているのだろう。
碓氷は同じ特殊部隊の真理と違って天に信用されていない。

「誤解しないでいただきたいのですが、私はあなた方の敵になった訳ではない。
 この状況で生き残るために当たり前の身の振り方をしただけだ」

碓氷の目に映るスヴィアの色は赤。
敵対心を露にするスヴィアを宥めるように碓氷がそう言った。

「…………当たり前……? 私たちを……殺しに来た、特殊部隊に手を貸す事がかい……?」
「ええ」

強者に阿る自らを何も恥じることないと、碓氷は肯定する。
村の敵になった訳でも村人を殺したいわけでもない。
より正確に言うのならば、村がどうなろうが、他の村人が生きようが死のうが、碓氷にとってはどうでもいい。

望むのは自らの生存。
生き残るという1点において碓氷の判断は正しいものだ。

「…………わかって、いるだろう……? 信用で、どうこうなる相手じゃない……。
 どれだけ……信用を得ても……最後には切り捨てられる……だけだ」
「そうでもないですよ。彼らは無差別な殺人者ではない。秩序ある殺戮者だ、殺す理由がない限りは殺しませんよ」

特殊部隊の面々は理由のない殺しはしない。
問題はその理由が、村人の皆殺しにあるという所なのだが。
処分を保留されている間に、その理由さえなくなってしまえば殺されることはない。

特殊部隊たちが女王を暗殺してこの事態を解決する。あるいは隔離案によって女王の隔離が行われる。
それまでに切られない程度に、そこそこの信用を稼いでおくのが碓氷の生存戦略だ。
現状、彼が生き残る目はそれしかない。その後の展開は、今生き残ってこそである。

「むしろ、僕からすれば分からないのはあなたの方だ。スヴィア先生」
「………………ボクが?」

唐突に話の矛先が向け返されスヴィアが僅かに困惑する。

「あなたは自ら人質を買って出た。高潔な事だ。
 正直、死んでもいいという覚悟は僕には理解できない所ではあるのですが、その覚悟自体は尊重します。
 ですが、その覚悟を下らない意地に使うのは理解できない」
「…………どういう意味だ……?」

研究者として生きると決めた時点で覚悟はできている。
それが下らないとはどういうことなのか。

「助けたい人がいるでも、責任を果たしたいでも、理由は何でもいいでしょう
 本当に事態を収束したいのならば、無意味な反発心は捨てて、全力で協力すべきだ」

この言葉にスヴィアはとっさに反論できなかった。
事態の収束という観点だけを見れば特殊部隊の人間と元研究員の人間が手を組むのは実に理にかなっている。
それを快く受け入れられないのはスヴィアの特殊部隊への反発心によるものだ。

スヴィアにはこの事態を解決できるのなら死んでもいいという覚悟がある。
だが、それは無意味に命を散らしてもよいという事ではない。
何より、死んだら責任を果たせない。

「……命の使いどころを間違えるなという事か……」

呟くスヴィアに再び氷砂糖が差し出される。
スヴィアは泥を啜っても生きる覚悟で氷砂糖を口にした。

「戻りました」
「お疲れ様です。乃木平さん」

ちょうどそこでトラックの外から声が聞こえた。
どうやら天が戻ってきたようだ。

「それじゃあ、僕たちも行きましょうか」

そう言って碓氷がスヴィアの拘束を解いた。
そしてスヴィアを立ち上がらせて自らの肩を差し出す。
無言のままその肩を見つめ、スヴィアはその肩を借りるのだった。


「珠ちゃん。こっちの方でいいのよね?」
「え。あっ。はい……!」

先頭を行く田中花子が背後を振り返り、案内役である少女、日野珠へと話しかける。
他者の肉を被った野生児の襲撃を辛くも退けた花子たちは、蘇った珠の記憶を元に怪しい連中が取引していたと言う現場に向かっていた。
その背後に、一つの少女の終わりと氷の世界を残して。

とは言え、取引現場を今更調べたところで取引の痕跡は何も残っていないだろう。
彼女たちの目的は取引自体ではなく、その現場に在ったと言うマンホールのような穴である。
研究所には要人用の緊急脱出口がある、という与田の話と合わせて考えれば、真っ先に確認すべき重要事項だ。

その予測が当たっていれば、この村を襲ったバイオハザードの真実に近づくかもしれない重要な一歩となるだろう。
だが、その案内役であるはずの珠は気もそぞろな様子で後方の様子を伺っていた。

「あの……海衣さん。大丈夫なのかな?」

気を使ったような小声で花子の耳元へと話しかける。
彼女が気に掛ける視線の先では、肩を落とした海衣が無言のまま最後尾をとぼとぼと歩いていた。
見ているだけで心配になるくらいに生気のない様子で落ち込んでいる。
海衣は異能の暴走に巻き込んでしまった珠と与田に謝罪の言葉を述べた後から一言も口をきいておらず、ずっとこの調子だ。

目の前で親友である茜を喪い、海衣は深い絶望と悲哀に包まれていた。
ましてや、殺したのは親友の姿を被った野生児だ。
茜の死が脳裏に氷のように張り付いて離れない。

大事な人を喪った痛みは珠もよくわかる。
いや、この村でその痛みを味わっていない人間などいないだろう。
みかげのように生きているかもしれないというか細い希望すらない。
だからこそ珠も慰めの言葉が見当たらない。

珠も口の上手いほうではない。
むしろ考えなしに喋るタイプなので、人の慰めと言うのは苦手以前に経験がない。
自分では何と言っていいのかわからないから、頼りになる方の大人に助けを求めた。

「放っておきましょう。彼女自身の問題よ」

だが、その望みに反して花子は特に気にした風でもなくそうあしらう。
明らかに落ち込んでいる海衣を振り返りもせずヒラヒラと手を振る。
その左手は僅かに赤く、軽い凍傷が残っていた。

海衣の暴走に巻き込まれた際に氷に包まれた花子の左手。
与田に応急手当をしてもらったおかげで痛みはあるが普通に動かす分には支障はない範囲だ。
だが、利き腕ではないのがせめてもの救いだが、いざと言う時の精密動作には不安が残る。

それについて怒っているという訳ではないのだろうが、花子は海衣よりも目的地に向かう事を優先している様子だ。
与田は他人の悲哀に興味ないのか、そもそも海衣の様子を気にしていない。
あれほど落ち込んでいる海衣の様子を気にかけているのは珠だけである。

この場に常識的な、普通の価値観を持っている人間が珠しかいないのか。
若干の居心地の悪さを感じていると、先頭を行く鷹の眼を持つ女が静止の声を上げる。

「待った。この先に何かあるわね」

警戒心を強めた僅かにひそめた声。
進行方向の先に、何か異変を見つけたようだ。

「どうしましたか? 研究所の入り口でも見つけたんですか?」
「それとも、まさか敵がいた?」

後方から与田と珠が尋ねる。
だが、花子は表情を変えぬまま首を横に振った。

「いいえ。戦闘した跡のようなものがあるわね」
「……戦闘跡ですか?」

尋ね返す与田の声に不安の色が混じる。
誰かが戦っていると言うのなら巻き込まれる可能性を懸念しているようだ。

「少なくとも、ここから見る限りだと今は誰もいないみたいね。
 けど、念のため迂回した方がいいかしら? 珠ちゃんどう思う?」

案内役の珠へと尋ねる。
珠は少し考えるようにうーんと呻ってから答えた。

「難しいと思う。取引してた場所と同じ方向だし、それに光も見えるから」

珠の道案内が正確だったのは、珠の記憶力以上に異能によるイベントの可視化によるものが大きい。
そして偶然か、はたまた必然か。その光の示す先は戦闘跡と近しい方向にあるようだ。

「分かったわ。ならこのまま進みましょう。
 大丈夫だとは思うけど。何があるか分からないわ。警戒は怠らないようにね」

警戒を促す花子の呼びかけに与田と珠が頷きを返す。
それぞれが油断を付かれた茜の時のような失態は繰り返さない。
ただ独り海衣は答えず。僅かに離れた後方で俯いたまま、自らの火傷の残る手の平を見つめていた。

現場に近づくにつれ、珠たちにも花子が言っていた戦闘跡の姿が徐々に見えてきた。
それで、もはや戦闘行為など珍しくもないこの村内に置いて、なお花子が警戒を促していた理由が分かって来た。
それは戦闘と言うより戦争の跡のような、異様な光景だった。

診療所の裏手にある、山に程近い草原は、まるで爆弾でも投げ込まれた様に焼け焦げていた。
爆破の跡は一つや二つではなく、継続的に爆弾が爆発でもしたかのように見える。

だが、その爆破跡以上に目につくのは、地面に刻まれた小さなクレーターだろう。
クレーターは爆発によって出来たものではなく、とてつもない力が叩き付けられたかのような破壊跡であった。
そして、そのクレーターからは、ぶちまけた様な血の跡が放射状に広がっている。

まるで圧倒的な力によって血袋を破裂させたような正視に堪えない光景だ。
その中心に残されているのは前衛芸術の様な、人の死体とは思えぬ肉片である。

「珠ちゃんが見た取引現場も、この辺でいいのよね?」
「う、うん」

珠は凄惨な光景から目を逸らしながら、僅かに震える声で答える。
流石にこの惨状の中から珠に探索をさせるのは酷だろう。
ここまでは珠の記憶と異能が頼りだったが、ここまで来れば花子一人でも十分だ。

「ありがとう珠ちゃん。そこで少し休んでいて」

花子はそう珠を労うと、そもそも動く気のなさそうな与田と俯いたままの海衣をその場に残して移動を始めた。
物おじすることなく現場に近づいて行くと凄惨な現場から目をそらさずつぶさに観察する。

爆破によって吹き飛んでいるが、残された草木の踏み抜かれた折れ具合から、ここ最近で大量の人の出入りがあった事が分かる。
ゾンビすら近づかないような手入れされていない深い草原でこれはおかしい。

花子はその場に屈みこむと、焦げた草を拾い上げ手に持ってよく観察する。
煤は多層に積み重なるように濃淡があることから、爆発は1度ではなく繰り返されていたようだ。

続いて、地面に深く刻まれたクレーターへ移る。
大量に飛び散った血液は既に乾いている事から、犯行から半日以上が経過しているだろう。
状況から見て爆破の異能者と筋力強化系の異能者の戦闘があり、爆破の異能者が叩き潰された、と言う所か。
爆破物を持ち込んだ人間がいる、と言う可能性も勿論あるが、それにしては爆破の跡が多すぎる。
この無差別で無尽蔵な爆破からして異能によるものと言うのが妥当な結論だろう。

そして周囲に飛び散った血の跡を観察する。
およそ人間の殺され方とは思えない有様だ。肉片が多方に飛び散っているのは爆破による影響もあるだろう。
その行き先を辿ってみれば、飛び散った血の跡が不自然に途切れている箇所があった。
近づいてみれば明らかに地面のモノではない感触が足裏に返った。

「―――――ここね」

確認すれば、そこにあったのは通常のマンホールよりやや大きい。直系80センチほどの円形だった。
その上には草木が植え付けられており、血の跡がなければ分からないくらいに巧妙に隠されている。
流石に花子や特殊部隊の面々であれば見つけられるだろうが、素人であれば発見する事すら不可能だっただろう。

扉は見つけた。
問題はこれをどう開けるかである。
都合よく鍵が開いているという事もなさそうだ。

足先で軽くノックしてみると分厚く固い響きが返った。
どうやら簡単に破壊できる材質ではなさそうだ。
そうでなければこの戦闘の影響で壊れているはずだ。
これを破壊するには戦車砲並みの火力が必要となるだろう。

破壊は実質不可能。
工作道具の詰まった化粧箱でどうこうなるとも思えないが、その前にしておくべきことがある。
花子はひとまず珠たちの元まで戻ることにした。

「どうだったんです?」
「それらしいのは見つけたわ、それで珠ちゃんに聞きたいんだけど」

そう言いながら花子は自らの所持品を一通り取り出し、珠の目の前に並べる。

「この中で光ってるものは何かある?」

そう尋ねた。
珠は差し出されたそれらを見つめ、迷うことなく一つの物を指さした。

「えっと……コレ。このカードが強く光ってるよ」
「そう、ありがとう」

珠が選んだのは護衛の報酬として海衣から与えられた謎のカードキーだった。
花子は選ばれなかった荷物をしまうと、これまで用途の分からなかったカードを片手に踵を返す。
そして再び、地面に設置された扉の下に戻ると、その周囲を見つめる。

「見ぃつけた」

カードを読み込めそうなリーダーを見つける。
そこに先ほど選ばれたカードキーを通した。

ピと小さな音が鳴り、しばらくして何かが動く重々しい音が足元の円形から響く。
数秒の後、パチンと言う音と共に取っ手のような何かが浮き上がり、閉ざされていた蓋が僅かに開いた。

それを確認して花子は蓋を持ち上げる。
分厚く硬い扉だったが、その印象に反して扉は女の腕でも簡単に持ち上がった。
恐らく、開閉を機械がサポートしているのだろう。

そうして、珠の証言通り、円形の穴が草原に出現した。
穴の中には下水に繋がるマンホールのようにタラップが敷かれている。
だが、この先に繋がっているのは下水ではなく地獄だろう。

扉を開いた花子はひとまず、待機させていた3人をこの場に集合させることにした。
凄惨な現場を適当に迂回するように誘導して、全員が穴の前に到達する。

「この穴、すごく光ってる…………」

蘇った記憶と同じように開かれた穴を見て、珠がおびえたように呟いた。
穴から漏れ出すのは一つの光ではなく、多様な光が積み重なった異様な光だ。
この先に待ち受ける運命を現す光に、珠は慄いているようだ。

「珠ちゃん、怖いでしょうけどこの先にも同行してもらえる? あなたの力が必要なの」

駆け引きや取引ではなく、ただ正面から真摯に頼み込む。
探索や調査において珠の異能は反則的なまでに強力だ。
花子一人でも調査は出来るが圧倒的に効率が違う。
時間のないこの状況では研究所の調査に珠の協力は必須である。

珠は考える。
得体のしれない場所に進むのはもちろん怖い。
なまじ光と言う形で可視化されているだけに、その恐ろしさも実感出来てしまう。
それに姉や圭介にみかげを探したい気持ちもある。
望まぬ形で別れてしまった創やスヴィアも心配だ。

「…………うん。それがみんなを助けることになるのなら」

だが、珠は渦中に飛び込む決意をする。
知り合いは心配だが、彼らと珠が合流したところで何の解決にもならない。
それよりも、この村を救うために自分が力になれるのなら進むべきだ。
それがきっと、一番みんなのためになる。

「ありがとう珠ちゃん。与田センセも、もちろん付いて来てくださるのよね?」
「い、いやぁ。僕は研究所にはあんまり近づきたく……」

与田は焦ったように否定して、花子と研究所への入り口から離れるように後ずさる。
だが、それを逃がさぬと花子が笑顔でにじり寄る。

「あら、どうしてかしら? 研究所に行くと都合の悪い事でもあるのかしら?」
「いやそう言う訳では……何かと危険でしょうし」
「まぁどっちにしてもセンセには強制的に付いてきてもらうんだけど」
「えぇ!? 日野さんと扱い違いすぎません?」

花子から逃げ切れるはずもない。初めから拒否権など無かったのである。
研究所内に詳しく研究内容に明るい案内役は必要だ。
つまりは花子の研究所内の探索において、この2人の同行は必須である。

「それで? あなたはどうするの? 海衣ちゃん」

この中で唯一、同行が必須でないただ一人に問いかける。
離れたところで生気のない顔で佇んでいた海衣は、声をかけられても俯いたまま答えず、無言を返すばかりであった。
その態度に構わず、花子は続ける。

「ここから先は何があるかわからない。ここに残ってくれてもいいのよ?
 私も護衛対象が2人もいて手一杯だし、足手まといはいらない」

ハッキリと突きつける。
だが、海衣はこの問いに答えられず、下唇を噛んで拳を震わせる。

「ああ。そういえばあなたを守護る契約だったわね。
 返すわ。これで私たちの契約はおしまいね。私があなたを守護る理由もなくなった」

そう言って先ほど扉を開いたカードキーを海衣の足元に投げつける。

「いや、そんな無茶苦茶な……」

与田の突っ込みはもっともだが。
元より花子と海衣はカードキーの譲渡を交換条件に護衛を請け負うという契約関係だ。
もう用済みになったカードキーを返品してしまえばその契約は反故にできる。
かなりズルい理屈を突きつけながら、花子は続ける。

「どうなの? 海衣ちゃん。この先にあなたの求めていた『真実』があるわ」
「…………『真実』」

海衣が追い求めていたモノ。
どうしてそんなものを追い求めていたのか。
何のために、誰のために追い求めたのか。

「選択の時よ。悲しみに足を止めるのか。真実を追い求めるのか。――――選びなさい氷月海衣」

喉元に刃のような選択肢を突きつけられる。
付いてこいでも、連れて行くでもなく、自分で決めろと、そう言っていた。

「私は…………」

何がしたかったのか。
始まりは田宮院長に託されたことだ。
真実を明らかにしてほしいという彼の遺志を継いだからか?
違う。

「私は…………ッ!!」

腑抜けていた拳に徐々に力が入ってゆく。
彼女の残した火傷の跡に冷たい体に熱を込める。

自分たちが何故巻き込まれなければならなかったのか。
何のために親友たちは死んだのか。
その理由を知りたいと言う気持ちは確かにあるが、それは後から生まれた後付けの理由だ。
それも違う。

逃げたかった村。
好きじゃなかった村。
それでも、この村を襲った悲劇の理由を知りたかったのは、この村が自分の生まれ育った村だからだ。

生まれて、育った。
ただそれだけの下らない理由。
始まりはきっとそれだけだ。

これまで多くの物から逃げてきたのに、何故。
それを見捨ててはいけないと思ったのか。
それはきっと。

「私は、もう逃げたくない」

多くの物から逃げ出して、多く物を取りこぼしてきた自分だから。
だからこそ。

「だから――――行きますッ!」

他の誰でもない、決めたのは自分自身だ。

「そう。わかったわ」

その決断を褒めるでもなく、ただ受け入れる。
花子は海衣から視線を移すと、開いた穴へと振り返った。

「じゃあセンセ。先頭はお譲りするわ」
「えぇ!? 嫌ですよ、何で僕が!?」
「私はスーツだけど、うら若き乙女のパンツ見れるんだから、役得でしょう」
「興味ないですって!!」

いつも通りのやり取り。
努めていつも通りを行う大人の対応なのだとようやく海衣にも理解できてきた。
まあ片方はどこまで本気かわからないけれど。


診療所の自動扉が開き、来訪者を迎え入れた。
来訪したのは迷彩色の防護服に身を包んだ特殊部隊の男、乃木平天が率いる4人の臨時部隊だ。
その目的は男に肩を借りて歩く背丈の低い女の治療のためなどではない。
研究所と繋がると思しき診療所の調査を行うためである。

隊の殿として最後尾を行く天からすればこの診療所は2度目の来訪だ。
標的1名を殺害し、標的1名を取り逃した因縁の場である。

診療所の床には巨大な何かが這いずったような痕跡が残さていた。
前回天が訪れた時には存在しなかったこの痕跡を、天は自らが交戦したワニが残したものであると判断している。
一度引き返し、司令部に報告に向かったのも、危険区域に足を踏み入れるという覚悟によるものだ。

痕跡を視線でたどれば、入口から奥へと向かっているのが分かった。
それを確認した特殊部隊の二人は無言のまま手信号のみで状況を確認し合うと、小田巻が前に出て天が後方から支援するように隊列を組みなおす。
事態について行けず素人二人はその後ろから見守る事しかできなかった。

銃を構えた二人は連携のとれた機敏な動作で周囲のクリアリングを行いながら床に刻まれた跡を辿って行く。
安全の確保された道筋をスヴィアとそれを支える碓氷がおっかなびっくり追って行った。

狭い廊下に差し掛かると床のみならず、壁にも何かが引きずったような跡が残されていた
それはつまり、ここを通ったのはこの廊下に収まらぬ巨大なナニカだと言う事だ。
その痕跡を追っていると言う事は、下手をすればこの先で怪物と戦う事になる。

「……匂いますね。血の匂いだ」

相当に臭いうらしい。
廊下の突き当りに差し掛かろうと言う所で、傍らの小田巻はそう言って顔をしかめた。
防護服を着ている天には感じられないが、確かに防護服の臭気センサーも反応を示している。

警戒度を高め、廊下の角に背を当てながら慎重に先の様子を窺いながら曲がる。
天の合図とともに連携を取って飛び出すと、そこには血の池が広がっていた。
それは暴食の限りを尽くしたような殺戮の跡だ。明らかに人間の仕業ではない。

凄惨な光景に怯むことなく軍人二人は痕跡の検分を始めた。
血の池には肉片が混じっており、大量のゾンビを食い散らかしたようである。
そして入り口から続く痕跡はここで途切れていた。

「どうやら、ここから外に向かっていったようですね」

これが外部から入ってきた跡だとするのならここに本人なりその死体が残っていなければおかしい。
そうではない以上、中に入ったのではなく外に向かった跡と言う事になる。
つまり、この怪物はここで生まれたか、若しくは成長したのだ。

あのワニがこの場で人肉を喰らい成長したのなら、最悪の想像が脳裏をよぎる。
だが、何にせよ、ここで生まれた怪物は外へと向かっている。
ひとまず自衛隊の特殊部隊が正体不明の巨大怪物と戦うようなB級映画な展開は避けられそうだ。

「……犯行からそれなりに時間は経っているようだ。ですが警戒を怠らずに」
「了解です」

ひとまずの検分と安全確認を終え、後方に待機させていた民間人2名を呼び込み血の池を超える。
その場に残された凄惨な光景に、スヴィアはケガにより悪くした顔色をさらに悪くして目を逸らした。
碓氷は耐性があると言うより他者の痛みに対する共感性の薄さ故か、臭いに顔を顰めた程度の反応しかしなかった。

そうこうあって、4人は病院のロビーにたどり着いた。
待合いのロビーには座り心地のよさそうなソファーが並んでおり、平時は村の老人たちの憩いの場になっていたのだろう。
天はそれらに目もくれずロビーの奥まで移動すると、壁に貼られた院内の案内図を確認する。

「それで、我々はどう動けばよろしいので?」

案内図を見ながら思案する天に、最後尾でスヴィアに肩を貸していた碓氷が尋ねる。

「そうですねぇ……念のためこちらの放送室も確認しておきたいですね。
 碓氷さんはスヴィア博士を連れて私に同行してください。小田巻さんは研究所の入り口がないか探索をお願いします」

指揮官の判断に意義は挟まれず、その判断に従い全員が行動を開始する。

「では、30分後にこのロビーで落ち合いましょう」
「了解しました」

天の言葉と同時に単独調査を命じられた小田巻が、すっと彼らの目の前から消える。
異能と相まって碓氷の目には幽霊のように消えた様にしか見えなかった。
敵に回さず良かったと、心の底からそう思う。

「それでは、私たちも行きましょう」

その動きを気にした風でもなく天が碓氷たちに声をかける。
そして案内図に従い、リハビリ病棟にある放送室へと移動を始めた。
移動を開始して程なくして、天たち3名は何事もなく放送室に辿り着いた。

「これは……また」

碓氷が困惑とも呆れともつかない声をもらす。
スヴィアも言葉に出さないものの同じく困惑しているようだ。
辿り着いた放送室は、内部に入らずとも分かるくらいに壊れていた。

地震で壊れた風だった放送局と違って、明らかに外部から力任せに破壊されている。
恐らく天と診療所でかち合う前に美羽が破壊したのだろう。

獲物を追い詰める際に破壊したのか、それともしてやられたストレス発散に破壊したのか。
いずれにせよ彼女らしいと言えば彼女らしい発散の仕方だが、自重してほしかった所である。

「お二人はここで待機を。周囲の警戒をお願いします」

そう言って、天は破壊された放送室の中に入って行った。
残骸と化したスイッチを試しに入れてみるが、ハウリングしたようなノイズが流れるだけでまともな放送はでそうにない。
地面に転がるスイッチの破片も検分してみるが、そもそもこの放送室に村全体に音声を届ける様な機能はないようだ。

当然言えば騒然だが院内に向けての放送が主であり、あとはせいぜい駐車場に向けての放送する程度の物である。
最大音量で流しても1㎞に届くか届かないかだろう、村内全体に声を届けるのはどう考えても不可能である。
それ自体に落胆はない。元より放送計画の本命は研究所にあると想定される放送室だ。

「どうですか?」

部屋の外から碓氷が問いかける。

「ダメですね。見た目通り壊れてます。ここから声を届けるのは無理でしょうね」

言いながら確認するようにスイッチのオンオフを繰り返す。
だが、改善されるどころかノイズは酷くなるばかりである。
にも拘らず天は何かを確かめるように、しつこく確認を繰り返していた。
繰り返される無意味な行為に、いい加減碓氷が突っ込もうとした所で、天がすくっと立ち上がる。

「戻りましょうか」

先ほどのまでのしつこさはどこへやら。
あっさりと切り上げ、何の未練もないように放送室を後にする。
声をかけるタイミングを失った碓氷が僅かに遅れて、スヴィアと共にその後を追った。

3人はロビーにまで戻って来たが、小田巻はまだ戻っていない様だった。
まだ怪我から復調していないスヴィアをソファーに座らせ無言のまま待機する。
そうして合流時間に設定した30分になろうとかと言う所で、小田巻が音もなく現れた。

「首尾はどうでしたか?」
「それらしい扉を発見しました。しかしパスとコードが必要なようですね」
「なるほど。問題ありません、向かいましょう。案内してください」

無駄のない報告と方針決定が行われ、迅速に次の行動が開始される。
だが、その行動が開始される直前。
小田巻と天の間で小さな声で雑談のようなやり取りがあった。

「さっきの誰向けですか?」
「念のため、ですよ」
「?」

傍で聞いていた碓氷にはよくわからないやり取りを交わして一行は移動を始めた。


保育園で待機していた真珠の上空にドローンが到達した。
要請していた物資が届いたようだ。4台ものドローンが真珠に向かってゆっくりと降下してくる。

4台のドローンはそれぞれが一手、一足のパーツを運んでおり。
運ばれてきたそれは、一対の鉄甲と鉄靴だった。

それぞれが片手、片足の装備を一つずつ運んでおり、
一つずつ受け取ってゆく。

防護服の上からそれを纏い、拳を打ち付けると火花が散った。
鉄板も砕き弾丸をも弾く攻防一体の装備。
格闘戦を重視する真珠にとって重火器よりも強力な兵器である。

一定の格闘技術を持たなければ使いこなせない。
敵に奪われても脅威にならない、今作戦の持ち込み規格からは外れていない装備である。
これを任務に持ち込めなかったのは防護服の上から装備するための調整には、時間が足りなかったからである。

「いい仕事だ。五十嵐」

防護服の上からでもピタリとハマる。
これで『個』としての真珠に隙がなくなった。
あとは『軍』としての強さだが。

「…………なんだ」

装備のを新たにした真珠が保育園を出た直後、耳元を抑えて周囲を見た。
特殊部隊が身に着けている防護服は完全密封されているため、周囲の音を拾うために集音機能が備わっている。
その収音機がチリチリとノイズを拾っていた。
それでも気にしなければスルーしてしまいそうな小さなノイズだ。

音源は8時方向から。位置関係から言えば診療所からだろう。
不自然に途切れるノイズがモールスであることにはすぐに気づいた。
ひとまず耳を澄ましてノイズを最後まで聞き終える。

モールス信号は受け取った。
だが、これを解読した所で無意味な文字の羅列にしかならない。
これは暗号鍵を使わないと解けない符牒だろう。

だが、暗号鍵になりえる情報を特定する所から始めるとなると、解読は時間がかかりそうだ。
そう真珠が懸念したが、その予想は外れた。
拍子抜けするほどその暗号はすぐに解けたからだ。
真珠が暗号兵としても優秀であるというのもあるが、かかっていた鍵が暗号と呼べるほどたいそうなものではなかったのである。

それは、最もシンプルな解読法で解けるシーザー暗号だ。
文字を特定数シフトするだけ。
最悪、鍵を知らずとも総当たりで解ける。
これで機密情報を伝えようというのなら相当の馬鹿か無能だろう。

実際の所、この暗号も五十音を6つシフトさせただけで簡単に解けた。
送られていた暗号を解読するとこうなる。

『ホンジツハセイテンナリ』

無意味な文章である。
実際、この文章事態に意味はないのだろう。
この暗号が伝えているのは別の事実だ。

今回の作戦行動に当たり、現地で活動する隊員には便利上与えられた通し番号がある。
No1.大田原、No2.成田、No3.真珠、No4.美羽、No5.広川、No6.乃木平。
この数字自体意味はない。単純に作戦参加に選ばれた順番か何かだろう。
重要なのはこの暗号を解くカギが『6』であった事だ。

暗号鍵は『6』。発信元は診療所。
つまり、この暗号が伝えているのは乃木平が診療所いるという事実である。
その事実を特殊部隊の人間以外には伝わらない方法で伝えてきた。
この行為自体に意味がある。

これは緊急性のない救援要請だ。
つまりは、真珠と同じく特殊部隊の戦力を集める方針に舵を取っている。
他ならぬ乃木平が。

司令部の方針に逆らい、現場の独自判断で動いていると言うのはらしくない行為だ。
少なくとも真珠の知る乃木平では考えづらい行動である。

戦場初心者(ニュービー)が成長でもしたか?
それとも真珠と同じく、手痛い失敗でもして瀬戸際に至ったか。
どちらにせよ面白い。

こうなってくると乃木平との合流を目指すのは『あり』だ。
こう言う手札を切れるのであれば、乃木平の指揮下に入るのも吝かではない。
北へ向かおうとしていた足を南西の診療所へと向きなおさせる。

「それじゃあ、ま。ひとっ走りしますかね」

【E-3/草原/一日目・日中】

黒木 真珠
[状態]:健康
[道具]:鉄甲鉄足、拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ
[方針]
基本.ハヤブサⅢ(田中 花子)の捜索・抹殺を最優先として動く。
1.診療所に向かい乃木平と合流する。
2.ハヤブサⅢを殺す。
3.氷使いも殺す。
4.余裕があれば研究所についての調査
[備考]
※ハヤブサⅢの現在の偽名:田中 花子を知りました
※上月みかげを小さいころに世話した少女だと思っています


天たちが小田巻に案内されたのは、ロビーの端から繋がる狭い通路だった。
薄暗い通路を一列になって歩いてゆくと、関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉の前へと辿りついた。

「ここが、そうですか」
「ええ。このフロアは一通り調べましたが、一番それらしいのはここですね」

小田巻が調査した結果、診療所内に研究所の入り口があるのならこの扉が一番可能性が高い。
扉に鍵穴はなく、その代わりに扉の横にはカードリーダー式の電子錠がついていた。
前にここを通った人間がよほどズボラなのか、それとも今回の事態に巻き込まれて慌てていたのか。
カードリーダーの横にある入力キーは蓋が開きっぱなしになっていた。

そこには電卓のように0~9の数値ボタンが並んでいる。
上部のディスプレイを見る限り、4桁の数字を入力する必要あるようだ。
現時点ではディスプレイは消灯しており、まずはパスを認識させないと入力ができないようだ。
小田巻の報告通り、どうやらパス認証と数値認証の2重の認証が必要なようである。

天はスヴィアから徴収したL3のパスをリーダーへと通す。
するとランプが緑色に光り、数値のパネルに光がともった。

「スヴィア博士。パスワード入力をお願いします」

天は後方で碓氷に引き連れられたスヴィアへと向き直り、パスワードの入力を求める。
その役割を果たすための要員だ。

「…………そう言われてもね」
「あなたなら分かるはずだ。いや、あなたにしか分からない」

このパスはスヴィアの物だ。
そこに設定された暗証番号はスヴィアにしか分からないだろう。

「ボクにしか……」

言われて考える。
これまで、考えることを避けていたことを。
錬がどうしてこのキーをスヴィアに託したのか、その理由と共に。

必要な暗証番号が共通鍵ならお手上げだ。
そうだったらスヴィアにはどうしようもない。

通すパスごとに異なる暗証番号であるはずである。
パスを通した後に入力を求められる仕様から、そうである可能性は高い。

このパスに設定されている暗証番号は何か?
このIDパスは未名崎錬から与えられたものだ。当然、暗証番号を設定したのも錬だろう。
人伝という事もあって暗証番号は伝えられなかったのだろうが、伝えなかったという事はスヴィアなら分かる数値であるという事になる。

ならばスヴィアと錬。2人に関連する数字であるはずだ。
出会いの日? 別れの日? あるいは再開の日?

少し考えて、一つ、思いついた。
スヴィアは重々しい動作で指を動かして脳裏に浮かんだ4つの数字をパネルに入力していく。
入力完了の『Enter』を押すと、ピッという機械音と共に閉じていた鍵が廻る音が響いた。

「お疲れさまでした。開いたようですね」

その成果を確認して天が労う。
スヴィアはパスワードが通った事実に複雑な表情を浮かべながら、ふらつくように後方に下がる。
バランスを崩しかけたその体を受け止めた小田巻が興味本位で訪ねた。

「暗証番号は何だったんです?」
「………………誕生日だよ。よくある話さ」

嘘ではない。
誕生日であるというのは事実である。
だが、それはスヴィアの誕生日でも、ましてや錬の誕生日でもない。
1010。四宮晶の誕生日だ。
その事実にスヴィアは複雑な思いを抱えながら、その胸中を誰にも悟られぬよう覆い隠す。

「行きましょう」

部隊の指揮官である天が出発の号令を出す。
先行を務める小田巻が扉を開き、それにスヴィアに肩を貸した碓氷が続く。
殿を務める天は、閉じる前に扉の隙間にロビーから拝借したスリッパを噛ませる。

それは救援信号に気づいた隊員が駆け付けた場合の処置である。
オートロックであろうとも閉めなければ鍵もかからない。
アナログな手法だがそれだけに有効である。

招かれざる客を招くリスクがあるが放送作戦の戦力は多い方がいい。
研究所の探索に危険がないとも限らないのだから戦力はあるに越したことはない。
ノイズの届く範囲に隊員が居るか、暗号を受け取った隊員に意図が伝わるか、隊員が招集に応じるかも分からない。
何もかもがこれまでの天では取らないであろう選択の連続だ。

狭い廊下を1列になって進み、突き当たりを曲がると程なくしてエレベータに突き当たった。
呼び出しボタンを押すと、下階からエレベータが到着する。
開いてゆく自動扉に銃口を向けながら小田巻がエレベータ内に入り、天もそれに続く。

内部に爆弾を仕掛けられた様子も、天井裏にも誰かが潜んでいる気配はない事を確認してようやく銃口を降ろす。
安全確保を終えエレベータ内を見れば、エレベータパネルにはF1、B1、B2、B3のボタンが並んでいた。
ボタンは消灯しており、下部にはパスを通すリーダーがあるようだ。

「なるほど。ここにもパスが必要なのですね」

それを確認した天はエレベータ内からいったん外に出る。
そして他の3人に待機を命じると廊下の方にまで戻って行った。

天はL3とL2の2枚のセキュリティパスを所持している。
その内1枚、上位のL3パスを手元に残して余ったL2のパスを通路の一角に忍ばせた
ぱっと見で分かるような隠し方ではないが、特殊部隊の隊員であればすぐに気づくだろう。

「お待たせしました」

準備を終え天がエレベータ前で待機している3人の元まで戻る。
何をしていたかなど聞く者はいない。
それは信頼関係ではなく意図を探らぬと言う上下関係に依るものだ。

天が戻った事により改めて全員がエレベータの内部に入る。
4人も乗ると若干手狭だが贅沢は言ってられない。
天が持っていたパスをかざすと全てのボタンが薄く点灯した。

「何階から調べて行きましょうか?」
「そうですね……上から順に調べて行きましょうか」

天の言葉に従い、小田巻がB1のボタンを押す。
自動扉が動き、四角く閉ざされた世界の扉が閉ざされた。

【E-1/地下研究所・B1/1日目・日中】

乃木平 天
[状態]:疲労(中)、ダメージ(中)、精神疲労(小)
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、ポケットピストル(種類不明)、着火機具、研究所IDパス(L3)、謎のカードキー、村民名簿入り白ロム、ほかにもあるかも?
[方針]
基本.仕事自体は真面目に。ただ必要ないゾンビの始末はできる範囲で避ける。
1.研究所を封鎖。外部専用回線を遮断する。ウイルスについて調査し、VHの第二波が起こる可能性を取り除く。
2.一定時間が経ち、設備があったら放送をおこない、隠れている正常感染者をあぶり出す。
3.小田巻と碓氷を指揮する。不要と判断した時点で処する。
4.黒木に出会えば情報を伝える。
5.犠牲者たちの名は忘れない。
[備考]
※ゾンビが強い音に反応することを認識しています。
※診療所や各商店、浅野雑貨店から何か持ち出したかもしれません。
※成田三樹康と情報の交換を行いました。手話による言葉にしていない会話があるかもしれません。
※ポケットピストルの種類は後続の書き手にお任せします
※ハヤブサⅢの異能を視覚強化とほぼ断定してます。
※村民名簿には午前までの生死と、カメラ経由で判断可能な異能が記載されています。
※診療所の周囲1kmにノイズが放送されました。
※研究所IDパス(L2)を廊下に隠しました。

小田巻 真理
[状態]:疲労(中度)、右腕に火傷、精神疲労(中)
[道具]:ライフル銃(残弾0/5)、血のライフル弾(10発)、警棒、ポシェット、剣ナタ、物部天国の生首
[方針]
基本.生存を優先。乃木平の指揮下に入り指示に従う
1.乃木平の指示に従う
2.隔離案による女王感染者判別を試す
3.八柳藤次郎を排除する手を考える
[備考]
※自分の異能をなんとなーく把握しました。
※創の異能を右手で触れた相手を昏倒させるものだと思っています。

碓氷 誠吾
[状態]:健康、異能理解済、猟師服に着替え
[道具]:災害時非常持ち出し袋(食料[乾パン・氷砂糖・水]二日分、軍手、簡易トイレ、オールラウンドマルチツール、懐中電灯、ほか)、ザック(古地図)
    スーツ、暗視スコープ、ライフル銃(残弾4/5)
[方針]
基本行動方針:他人を蹴落として生き残る
1.乃木平の信頼を得て手駒となって生き延びる。
2.捨て駒にならないよう警戒。
3.隔離案による女王感染者判別を試す
[備考]
※夜帳が連続殺人犯であることを知っています。
※真理が円華を犠牲に逃げたと推測しています。

スヴィア・リーデンベルグ
[状態]:背中に切り傷(処置済み)、右肩に銃痕による貫通傷(処置済み)、眩暈
[道具]:なし
[方針]
基本.もしこれがあの研究所絡みだったら、元々所属してた責任もあって何とか止めたい。
1.ウイルスを解析し、VHを収束させる
2.天たちの研究所探索を手伝う
3.犠牲者を減らすように説得する
4.上月くん達のことが心配だが、こうなれば一刻も早く騒動を収束させるしかない……
[備考]
※黒幕についての発言は真実であるとは限りません


事態の収束を望む者。真実を求める者。
全ての始まりにして、全ての者が目指す終着点。
真実に最も近い村の地下深くの研究所にて。
誰よりも先んじて最奥に到達したる神の血を引く巫女は、異変を感じふむと片目を閉じる。

「――――風が動いたか」

空虚に向かい意味深な呟きを漏らす。
最重要施設にて美の化身たる少女の呟きは画になる光景ではあるのだが、殆どは無意味なものである。
その呟きもいつも通りの無意味なものに終わるかと思われたが、無人の室内に変化があった。

「行き止まりですけど、本当に合ってるんですかコレぇ!?」
「合ってるもなにも一本道でしょう」
「あ、そこ。与田先生の横が光ってるよ」
「出口みたいだね。与田さん、そこから動かせませんか?」

本棚の奥からワチャワチャとした声が響き、ガタガタと本棚が動いた。

「地震でズレちゃってるみたいで、動かないんですよ」
「ちょっとセンセ。しっかりして下さらないと」
「いやいや、こう言う力仕事は僕の担当じゃないですって……!」
「なら、私も手伝うよ!」
「ダメだよ珠ちゃん。狭いんだから無理に前に出たら……!」

静寂を乱す喧騒にため息を一つ零して、ツカツカと足音を立てて声のする方向へと近づいてゆく。
そして喧しい声のする本棚を、ていやーと蹴とばした。

「うわぁ!?」
「きゃっ!?」

箍が外れた様に本棚が倒れ、埃を上げる。
そして、倒れた本弾の奥から、白衣の男と小さな少女がなだれ込む様に部屋に滑り込んできた。

「何をしておる。日野の小娘」
「え、あれ? 春ちゃん? なんでこんな所に……?」

こうして、絶望の奥底で出会いがあった。
この出会いは希望となるのか。
それとも。

【E-1/地下研究所・B3 分析室・資料室/1日目・日中】

【田中 花子】
[状態]:左手凍傷、疲労(中)
[道具]:ベレッタM1919(1/9)、弾倉×2、通信機(不通)、化粧箱(工作セット)、スマートフォン
[方針]
基本.48時間以内に解決策を探す(最悪の場合強硬策も辞さない)
1.研究所の調査

氷月 海衣
[状態]:罪悪感、疲労(大)、精神疲労(大)、決意、右掌に火傷
[道具]:スマートフォン×4、防犯ブザー、スクールバッグ、診療所のマスターキー、院内の地図、一色洋子へのお土産(九条和雄の手紙付き)、保育園裏口の鍵、緊急脱出口のカードキー
[方針]
基本.VHから生還し、真実に辿り着く
1.研究所の調査を行い真実を明らかにする。
2.女王感染者への対応は保留。
3.茜を殺した仇(クマカイ)を許さない
4.洋子ちゃんにお兄さんのお土産を届けたい。

日野 珠
[状態]:疲労(小)
[道具]:なし
[方針]
基本.自分にできることをしたい。
1.研究所の探索を助ける。
2.みか姉に再会できたら怒る。
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※研究所の秘密の入り口の場所を思い出しました。

与田 四郎
[状態]:健康
[道具]:研究所IDパス(L1)、注射器、薬物
[方針]
基本.生き延びたい
1.花子に付き合う
2.花子から逃げたい

神楽 春姫
[状態]:健康
[道具]:血塗れの巫女服、ヘルメット、御守、宝聖剣ランファルト、研究所IDパス(L1)、[HE-028]の保管された試験管、[HE-028]のレポート、山折村の歴史書、長谷川真琴の論文×2。
[方針]
基本.妾は女王
1.研究所を調査し事態を収束させる
2.襲ってくる者があらば返り討つ
[備考]
※自身が女王感染者であると確信しています
※研究所の目的を把握しました。
※[HE-028]の役割を把握しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。

102.「会議を始めましょう」 投下順で読む 104.血塗られた道の最果て
時系列順で読む
司令部へ 黒木 真珠 Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について
乃木平 天
対感染者殲滅構想「OPERATION:TD」 スヴィア・リーデンベルグ
小田巻 真理
碓氷 誠吾
THE LONELY GIRLS 田中 花子
与田 四郎
氷月 海衣
日野 珠
山折村の歴史 神楽 春姫

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最終更新:2023年10月30日 21:54