瞼の裏の紅き残映にまどろみ、ついで絶えざる振動がククーSkを揺すぶり起こす。
トレーラーのキャビンの後ろに設けられた窮屈な簡易ベッドの上で、ククーSkは気だるい黄昏を迎えた。
身じろぎ一つするのも億劫げな様子で、目覚めてからもしばらく彼女は、内張りも半ば破れた天井をぼんやりと見つめていた。
それからまた緩慢な動作で半身を左右によじって、腰をコキリコキリと鳴らし、それからウーンと伸びをする。
そうしてやおら身を起こすと、運転席と後部スペースを区切るカーテンを開こうとククーSkは手を伸ばす。
しかしカーテンレールの立て付けが悪いのか、あるいは錆びているのか、カーテンは数センチほど動いただけで引っかかってし
まった。
「おう、おきたか」
カーテン越しに男の声がした。
ククーSkは「ん」とだけ生返事をし、なおカーテンと格闘していたが、どうやら持ち主にしかわからないコツがあるらしく、見
かねた男の影が手を伸ばし、そのコツとやらを施すと引っ掛かりなどなかったかのようにカーテンは滑っていった。
あふれ出した光にククーSkは目を細める。
トレーラーのフロントガラスの向こうには、荒漠たる原野が広がり、地平まで途切れることなく車列がつらなっている。
舗装もとうに劣化してボコボコになった道を、キャラバンは平均して毎時二〇から一〇キロ程の緩慢な速度で進んでいた。
「よく寝れたかい?」
男はハンドルを握ったまま背中越しにたずねるが、しかし諧謔めいた声音には、そんなはずはあるまいという言外の含みがあ
る。ククーSkはまた「ん」とにべもない生返事を返す。
たしかにお世辞にも心地よい睡眠ではなかった。乾き粘ついた口の中からは唾液の生臭いにおいがして不快だったし、煎餅マ
ットが引かれた狭い寝台の下で、絶えず唸り続けるエンジンの振動と果てなく続く悪路に揺すられ続けたために、腰や首が痛か
った。
地平にへばり付いたまま沈みきらない日差しは、カーテン越しにも関わらずククーSkの肌をジリジリとねぶりあげ、そんな西日
の唾液に湿されたかのように、彼女はひどい寝汗をかいていた。
ククーSkは寝癖頭を無造作に手櫛でならしながら、おもむろに上半身を伸ばして助手席をまさぐり、自分の水筒とパイロットス
ーツをつかむや寝台の上に引っ張り込んだ。
そして水を一口含んで粘つく唾液をゆすぎ、エチケット袋に吐き捨てると、スーツのポケットから合成タバコをとりだし、ま
たどこを見るともなくまんじりとして、喫煙を始める。
だが吸い始めてしばらくもしないうちに、トレーラーの車載無線機が耳障りなビープ音を叫び、ガリガリと成り始めて、さび
の効いた男の声がノイズの中から浮かあがる。
『……アー、アー、カク、カク、カク。えー、通達、通達。チトはええけど、今日ンとこはこれぐらいでオワリ、オワリ。先
導はあと十マイルほどいったころに丁度いい丘がある言っとるんで、今日はそこでトマリ、トマリ。繰り返す、繰り返す――』
慢性的にノイズが混じる劣悪な通信環境でも聞き取れるように、要点を繰り返す独特の間延びした語調。
それはカントクと呼ばれるこのキャラバンの宰領する男からの通達である。
すると、コンボイの車列から一斉にクラクションが鳴らされた。それは半ば形式化した、異議無しという意思表示である。
人間がかろうじて生活できる生存領域の間には、相当な距離があり、その距離ゆえに、通信インフラも道路網も管理されず荒
れるに任せている現状ではいずれも孤立している。
唯一、その間を行き来するミグラントだけが道を知っている。そして、夜となれば適当な場所を見つけてそこで夜営をする。
キャラバンもこれだけの規模になれば夜通し走るのは危険である。小規模であれば、そういう選択肢もあるだろう。
しかし数が多くなればそれに比例して統制も難しくなり、見通しの悪い暗夜でもし襲撃されれば、たちまちのうちに収拾困難
な混乱に陥る危険性をはらむことにもなる。
生き残ることを第一義とするなら、多少時間を費やしても勤めて、慎重に用心深く、安全策を講じるのが常である。そうやっ
てミグラントはさまざまな利害の元で、一つの目的のためにその場限りの群れを成す。彼らは領域と領域の間を数週間、ときに
は数ヶ月の時間をかけて渡るのだ。
やがて車列は、いくつかの小高い丘が隆起する場所にたどりつき、到着した順から、各々夜営の支度に入り始める。その夜営
陣地というのも、毎度即席ながら、彼らの経験則からよく練られたセオリーがある。
まず見通しのよい丘の頂を中心に、その周辺を数両から、数十両程度のトレーラーが全周防御に適した円陣を組む。そうして
できた陣地がいくつも密集して、一夜限りのコロニーを形づくる。
陣地と陣地の間には適度に間隔がおいており、その隙間が陣地ごとに配された各種兵器のの火線が集中するキルゾーンである。
ミグラントは例外なく武装してるとはいえ、その規模も武器の種類も雑多な集団である。キャラバンの指導者の裁量で得物に応
じた陣立てを割り振りるにしても、統制された火力戦闘を行うのは難しい。
この方式が武器の射程や威力にばらつきがあろうと、敵がどの方向から進入を試みようとも一定の火力を集中できるベターな
方式なのである。古の兵法に詳しいものがいたなら、これを島嶼状陣地と形容したであろう。
もし敵が略奪を働こうと一つの陣地を破壊したとしても、周辺陣地が生きてれば十字砲火を受けて回収どころではない。それ
らをすべて制圧してからとなると、相当の大兵力で、しらみつぶしに破壊していかなければならないが、犠牲もそれなりに覚悟
せねばならない。
荒野を生きる者は身を守るにしても、糧を得るにしても力が不可欠である。その損耗は、自らを食われる者へと追いやること
になる。
大型の肉食獣とて、手負いになることを恐れればこそ、獲物の群れ中でもっともか弱き幼獣を襲うように、ミグラントもまた
自らの歯牙を砕きかねぬ者に果敢に立ち向かう愚は冒さない。十全な防衛体制はそれだけで、戦いを遠ざける抑止力にもなるの
だ。
「間違いないのか?」
「ああ、間違いねぇ」
「カントク。準備ができました」
「どらどら」
三つの顔。六つの瞳がディスプレイに注がれる。
ACの光学センサーが捕らえたいくつかの不可視光線のスペクトラムを合成し、中間波長の緑に調整した映像が映し出される。
それは、どこか別の惑星の地表を思わせた。
画面にはいけどもいけども、果てぬ荒野が映し出されている。今しがたキャラバンが通ってきた道だ。凹凸のある地表を捉え
た映像は、補正がかかっていても振動を拾って小刻みにブレ続けている。
『ダイナマイトがよぉーほホホー ダイナマイトが150屯――』
映像からは、ヘッドギア越しのくぐもった女のホオキイトーンな歌声が、途切れ途切れに聞きとれる。
「……若ぇのに古い曲しってんなぁ」と、カントク。
「あ、俺、これ歌えます」
「ゴズ。おめぇも耳年増だな」
「…んなことはどうだっていいだろ」
赤毛の女――映像に入り込んでる声の主であるレゲンDが気恥ずかしげに言った。
彼女はこのキャラバンに傭兵として同伴しており、この映像も、彼女の機体のレコーダーに記録されていたものである。
先ほどまで、彼女はACを駆り、数機のMTを引き連れてキャラバンの先導していたのだ。車列が夜営地に続々と集結を始める夕
間暮れ、そのさなか彼女は異常を報じ、その仔細を今、この場でカントクに報告しているのである。
「うーん、もうちょいさきかな……」
「じゃ飛ばします」
ゴズと呼ばれた青年がディスプレイのコンソールを操作し、八倍速で映像を進めていく。
急に速度を速めて流れていく映像は作り物めいて軽薄だ。
ややあって「あ、ストップ。ストップ。ちょっと巻き戻して……」
巻き戻された映像が再び再生される。
『――ナマイトが150屯~……』
「まだ歌ってんのか」
「実はあたし、ここしか知らないんだ……」とレゲンDが気恥ずかしげに言いかけ、「あ、ほら、ここ」とそれも、自ら途切り
画面の一点を指差す。
ゴズとカントクはレゲンDが指し示す一点に見入る。
「どこ?」
「ここ!」
「どこ!?」
三人は互いの頬が触れ合うほどに、ディスプレイに顔を近づけて映像に食い入る。
「ほら、ここ。砂煙があがってるでしょ。拡大して」
「……これが一杯です」
拡大された画像には黒っぽい影で、光の加減とも、MTかACの機影とも判じがたい靄のようなものが映っていた。
「ふむ」カントクは無精ひげの織り込まれた二重あごをさすりつ「こればかりじゃなんとも言えねぇなぁ」
「確かに。風に砂が巻き上げただけかも知れませんし」とゴズ。
「だけどレコードの記録ではそんときの風速は毎秒三、四メートルくらいだ。それくらいじゃあんな砂埃は立たないって」彼
の見解を否定するレゲンD。
「あれだけ距離が離れてれば、そこだけ突風が吹くことだってありえますよ」その否定の否定をするゴズ。
「おう!?じゃあそこだけ突風が吹いたことを示す観測データがあるんなら出せよ!」その否定の否定の否定をするレゲンD。
「ないですけど、ここいらを縄張りにしている賊がいるなんて聞いたことないです」
「ああ!?なんだそりゃ?どこ情報よそれ?それどこ情報よ?」
論拠とするには薄弱な映像と、かたやそれすら否定するには不十分な噂に等しい伝聞。それぞれ貧弱なソースによって議論す
れば埒も無い。互いに持論の主張と否定の応酬を繰り返すだけである。
「わかった!」二人の問答を静観していたカントクは膝を叩いて言った。
「姉ちゃんが言うところに斥候をだそう。」
「ですが……」
「なにも無いならそれはそれで結構なこった」
この男が腰を上げれば、後は早い。「ゴズ。志願者を募れ」
「また経費が……」
「安全には変えられんさ」
最終更新:2012年05月05日 03:20