これはかつて日の出来事。
確か、雨だった。
《フルールドリス》。
それは、かつてはバンガードにおいては特殊作戦に投入される大佐直属の部隊であった。当時は、ミグラントからは《バンガードの白い死神》と恐れられ、それ以上の説明は不要であった。彼らが、否、彼女たちが屍の山を築き上げたことは不退転の事実である。
グレイス・ケイル、彼女は《フルールドリス》の主任研究員である。研究員、そう、屍の山を築き上げる部隊の隊員達を文字通りに作り上げてきた人物である。彼女が行ってきたのはパイロットの強化。ただ、それだけである。文字通りの化物を作り上げるために、《娘》達に様々な処置をして、人以上を作り上げていく。それが、凡人達への脅威となるように。
☆
一見すれば診察室だろうか、これ以上ないほどに無駄なものは無くシンプルだった。白い壁、白い床、白い照明、白いベッド、白い椅子、白い机。
一人の女性がポロシャツを着だして、向かいに座る女性はデバイスでなにやらデータを整理しているようだった。
「特に問題なしヨ」
とデバイスを扱う女性、グレイスが言った。それを聞いたもう片方の女性は、シャツのボタンを留めながら呟く。
「メンテナンスつっても、俺の場合はただの健康診断だよな。他の連中は投薬だの大げさなカプセルでおねんねしてるつーのに。だからって、入りたくもないけどよ」
《フルールドリス》の12番目、マーガレットだった。男口調で話すが、その姿は紛れもなく女性。そう、ただの女性に見える。栗色の髪と透き通るほどの白い皮膚、一見すれば、おとなしそうな印象を与える。
「だって、本当は調整の必要すらないかもしれないしネ。手間がかからなすぎる娘は退屈ネ。愛が芽生えにくいわネ。親にはもっと手間と面倒をかけるのが娘ってものよ」
グレイスが、仕事が減ることになるにも関わらず、少し残念そうに口元をゆるませる。口にしたのは一般的な親子の関係であろうが、彼女の言う《娘》とは常人を超える能力を持たせた《フルールドリス》隊員である強化人間であり、親とはその強化を取り仕切る彼女のこと。そして、強化には失敗例も多く、成功しても様々な弊害が出るもの故に、グレイスは多くの《娘》から恨まれいることもあり、本来の親子の関係とは遠く離れている。
「あんたに作られたわけでもないのに、娘か」
眉をひそませて、マーガレットが言った。
「義娘ってところヨ。マギーちゃん」
「マギーって呼ぶな。ただの実験体に名前なんていらないだろ。ナンバーで呼べばいい」
「そうかもしれないわね。でもモルモットに愛着するのは私にとっては自然なことなのヨ」
グレイスは躊躇無く肯定する。マーガレットはグレイスの手によって強化されてはいない。マーガレット自身は、どこかの研究施設にいたらしいということは知っているが、ある日突然と《フルールドリス》に配属された。移動中は眠らされていた上に、それまで研究所以外の場所を知らないので、どこから来たのかは知らなかった。
ただ、何のために配属されたのかという推論はできている。彼女は胎児の時点から母体ごと強化されたという手法がとられている。その結果として、彼女は強化人間でありながら、素体が強化に馴染んでおり、大きな障害や副作用が無かった。その点については、他のシスターと比較したときに、もっとも大きな特徴だろう。
それ故に、それを他の強化人間にどのように応用し、弊害を抑えるか、それだけのモルモットだろうと。自分にはそれ以外の価値など全くないのだから、それ以外の理由など些末なものだろうと推論をしていた。違っていても、大きな違いはないだろうと確認したことも無いが。
「他の《娘》(こ)とはどうなのマギーちゃんは。ここには慣れてきたようだけど」
「どうだかな。ワンとツーとは偶に見かけるぐらいで、スリーは、ああ、もっとかわいい口調に直せって五月蠅いな。面倒くさい、俺はこれ以外にしゃべり方しらねーのに」
「ちゃんと名前で呼んであげなさいヨ。でも、あの子、面倒見がいいからね」
「面倒見たって、懐かれようと、一時間後には死ぬ奴もいるのにな」
「同じ境遇同士、せめてもってことじゃないかしら? 」
「ふーん」
グレイスの言葉にマーガレットは不機嫌そうに目を細める。壊れた人間同士が寄り添って、どうする気だ、そういうのを気が触れたって言うのだろうなと思う。
「他は? 」
「さぁ? 全員面倒臭いとしか言えねーよ。話の通じない連中、同族嫌悪丸出しの連中、ここの連中ってあれだな」
「あれ?」
不思議そうに首をかしげる。
「まともじゃないってことだ。俺は、ここに来るまで特別扱いだった。良い悪いひっくるめてよ。君は50分の2の成功例だ。特別なんだって言われる具合にな」
「マギーみたいな手法にしては悪くない成功率ね」
「だけど、来てみれば、俺はただの体の頑丈な奴に過ぎないだろ。訳のわからん能力持った化け物ぞろいってわけだ。俺は思ったさ、俺はまだまともな実験体なんだってな」
「あんまり個性のある能力はないものね。でも、シンプル故に汎用性は高いわヨ。機体の強化もシンプルだから、出撃頻度は多くて助かっているわヨ」
「どうだかな。だからって、何から何まで言うこと聞く気もねーよ」
「自分から考えて行動できるだけで十分じゃない」
いったい何が十分なのかはわからないが、マーガレットは少し不満そうに鼻から息を出す。シャツのボタンは上から2つ目までは開けたまま立ち上がる。
「とりあえず、俺はあんたも化け物だと判断しているんだからな。化け物同士だからって馴れ合う気もない」
「あらら、酷いわね。私まで化け物なんて」
「化け物の生みの親も間違いなく化け物だ」
「ふふ」
グレイスは目を細めてドアの前に立ったマーガレットを見つめる。明らかに嫌っていることは態度に表れているが、こうやって言葉のキャッチボールが成り立つ《娘》は珍しい方だ。そういった意味でも、一種のレアケースなのだろうと判断していた。
「それじゃあ、そんな口の悪いマギーちゃんに宿題よ」
「あぁ?」
マーガレットはあらか様に嫌そうな顔をした。今でさえ、無駄にしゃべりすぎて、話はおしまいだと化け物呼ばわりしたというのに、話が終わらないらしい。
「マギーちゃんの言う、化け物って何かしら? 」
「はぁ? 」
聞き返した声には明らかな不機嫌さが感じ取れる。ただ、これ以上しゃべる気の無かった彼女は一言。
「アホくさ」
そう言い残し、荒くドアを開け出て行った。スライド式のドアは、勝手にゆっくりと戻って再び通路と診断室を分け隔てた。
「あらら? 今日はご機嫌ナナメなのかしら? 」
そう呟いて、用事を思い出したのか、グレイスも部屋から出て行った。
☆
雨だった。
薄暗い雨の土砂降りだった。
真昼だというのに黒雲が空には広がっていて、雲のわずかな隙間から差す強力な日差しはやけに不気味に見える。かつては栄えた都市は黒い雨に覆われている。雨は豊穣をもたらす恵みの雨ではなく、汚染物質を洗い流す浄化の雨でもなく、ただ余所から汚染物質を運び込み、廃墟にたまった汚染物質を少しばかり周りへと運ぶ不浄の雨だ。全てが汚れ、汚れ尽くされた世界ではこうして汚染が重なり、汚染地域は広がっていく。
マーガレットの出撃時は、雨が多い。偶然なのか、意図的に雨天時に出撃させているのかはわからないが、この機体が出撃し、雨に濡れなかったことはない。
廃墟の屋上に、そのACは逆間接の脚を折り曲げて、貯水タンクなどの朽ち果てた機材の陰に隠れていた。本来は間真っ白な機体は、濁った雨で薄汚れて見える。
「アホくさ」
ジェネレーターの小さな重低音が体の芯に響く座席の上で、マーガレットは呟く。計器に示されているのは、ただ周りに動くものは何もないと言うことと、外の汚染濃度のレベルだった。生身であれば数時間で死に至る程度のレベルであることが示されている。ここは、第九領域でも特に汚染の厳しいエリアの一つだった。
『何かありましたか? 』
顔も名前も知らないオペレーターが通信機越しに聞いてくるが、答える代わりに沈黙を守る。もう一度何か言ってきたが、それきり何も言わなくなってきた。
呟いたのは、世界がそうだと思ったからだ。昔から研究施設で育った彼女にとっては、外の世界へは特別な憧れを抱いたものだった。研究所の中が世界のすべてだと信じていた故に、それまで知りもしなかった世界があると、ある日突然聞かされて、そんなものがあるとは思いもしなかった彼女にとっては衝撃的だった。だが、実験体の自分にとっては関係が無いと、瞬時に諦めたのだった。ただ、それでも思い描いてはいた。
いくら汚染されているとはいえ、世界が広がっているはずだった。
豊かな大地。
綺麗な空。
澄んだ大気。
潤いの雨。
美しい世界。
だというのに、間近で見れば、世界はこんなにも醜かった。
死んだ大地。
淀んだ空。
腐った大気。
汚れた雨。
醜い世界。
外へと出たらと言う希望など無ければいいと思った。大人しく、実験体は籠に捕らわれて置けば良かった。籠は彼女を守っていた、他の娘達も同様にそうだろう。これほどまでに汚れた世界なんて知らないままの方が幸せだった。理想のままであればよかった。憧れのままであればよかった。とらわれていることの何が不自由か。籠から解き放たれたところで自由を謳歌できる世界など存在しない。
そして、そんな世界で何のために争っているのか。これだけ壊れた世界をさらに壊してどうするのか。そんなことをしていれば、最後には、全て破壊に飲み込まれて消えていくだけだというのに。
「アホくさ」
同じ言葉をもう一度呟く。オペレーターは、今度は何も言わなかった。ただの独り言だとわかり、特殊部隊の隊員とは必要最低限の連絡さえすればいいこともわかっているのだろう。
モニター越しに見える暗闇の廃墟に、遠くにかすかな光が見える。マーガレットは一瞥し、一瞬だけ間を置き、気怠そうにシートに座り直した。その直後にオペレータから標的接近の連絡が来るが、何も言わなかった。
純白をベースにカラーリングされた《ドウタートゥエルブ》が戦闘モードへと移行し、リコンをコアから打ち出す。
ACの逆間接に分類される太い足がしゃがみ込み、脚の割には小さなコアから生える細いアームも同時に緩慢に、それでいて無駄なく動き出す。細いアームには不釣り合いな巨大な榴弾砲を発射角度を50度ほどに傾ける。光の見える方向とリコンで、標的を再度確認する。標的そのものは、道路の両側に残る廃墟の陰になって見えない。だが、それはあちらからも、こちらを視認できないということだ。
事前に確認していたマップを再びディスプレイに映し出す。想定していたルートは三つ、そのうちの一つに順調に進んでいっているようだ。
標的はミグラントのトレーラーの一団だ。一台のトレーラーが、さらに大きな架台を牽引している。そういったトレーラーが10両程度、一列になって走ってきている。この廃墟にはめぼしい資源はない。生活を送るなど不可能なほどの汚染も酷い。そんな、そのうちには忘れ去られていく廃墟をリスクを背負って訪れる理由はないが、通り過ぎる理由はある。ここは陸路での近道の一つだ。それも、汚染の高さからバンガードの目から逃れ、廃墟を盾にして、襲撃に対して安全に通ることのできる。この近辺のミグラントしか知らない秘密のルートだ。
ただし、ついさっきまでは、であるが。
《ドウタートゥエルブ》の榴弾砲から3つの轟音が響き、続けざまに3発の火の玉が飛んでいく。わずかながらに機体を旋回させ、砲身の上下の角度もずらして、さらに撃ち続ける。撃ち続けられていく榴弾は、黒い雨を切り裂き、虚空へと吸い込まれていくように消えていく。
右手に装備した榴弾砲を半分ほど撃った頃だった。
突如として、一列に並んで走っていたトレーラーが前方から続けざまに爆発していく。一瞬だけ車両のライトとは別の光が見えて、雨で抑えられていく。光が次々と消えていく、この火力が直撃して、人が生きているとは思えないが、もし生きていたとしても汚染に殺されるだろう。が、追い打ちとばかりに、さらに榴弾を撃っていく。今度は、両側の廃墟をつぶしていくように角度を調整し、トリガーを引いていく。汚水を巻き上げながら、廃墟が崩れていき、トレーラーを埋めていく。廃墟は、雨で埃は立たず、ビスケットのように砕けていく。
《フルールドリス》の機体はナンバーの後に愛称がつくのが通例となっている。《ドウタートゥエルブ》の愛称は《レインクラウド》。雨雲の二つ名を持ったACが、正に榴弾のゲリラ豪雨を巻き起こし、突如としてミグラントを殺し、死んだ都市に止めを刺していった。
ミグラントを潰し、ルートも潰した。随分とあっけないが、これで与えられた任務は終わりだ。待った割りには撃ち足りないが、気分も乗らないので、帰ってすぐにふて寝でもしたいところだ。
与えられた任務はこれで終わり。そのはずだった。だが、爆心地のやや後方に動く光を、マーガレットは見てしまった。
「アホくさ」
また、同じ言葉を呟く。光はこちらへと向かってきている。
『別働隊が残存勢力を確認。ACのようです。機数は2。撃破してください』
オペレータからの言葉を、もうわかっていると言わんばかりに苛立ったフンという鼻息を出す。大方護衛用に別行動をさせていたのだろう。オペレーターもわかっているのか、何も言わずに、ただマップに発見位置を示す。《レインクラウド》はさらに3発の榴弾を光に向かって撃ち出す。おおよその位置しかわからないが、爆風なり、廃墟の破片に飲み込まれるなりすれば構わないとばかりに、かなり雑に狙いをつけて撃っていく。
途中で廃墟の間から見えていた光を見失う。
だが、それで好都合だ。こちらの姿も一度隠せる。
《レインクラウド》は両手の榴弾砲をパージし、榴弾砲は屋上のコンクリートにヒビを入れる。しゃがんだ姿勢から、さらに通常の限界以上に脚を折り曲げる。コックピットにいれば、機体が軋んでいくような音と振動に襲われる。
雨雲は高く飛んだ。
さらに限界以上に伸ばされた脚、コアと脚のブースターから炎が煌めく。榴弾の次は、機体が暗い雨を切り裂いて虚空へと飛んでいく。
しばらくの静からの、刹那の動が搭乗者に桁外れのGが襲いかかる。常人以上の肉体でなければ耐えきれないほどの圧力だが、マーガレットには生まれる前からの十二分に耐えられる肉体を持つ。
よほど軽量で跳躍性能に優れた脚部を持ったACでなければ、届くことのできないほど高く、高く、飛んでいく。
《財団》から提供された技術から可能になった限界を超えた性能。ただ、高く飛ぶだけのもの。ただ、それだけに過ぎない。それを脅威に変えるのは、搭乗者の仕事だ。
《レインクラウド》は、姿勢を整えながらブースターをふかし、眼下の廃墟を捕らえ、ハンガーに装備されたガトリングガンとパルスマシンガンを両手に装備する。
爆撃から逃れたACが見える。シルエットからして2脚型だろうか。暗い上空から方向を修正し、迫りながら、《レインクラウド》の両肩にある兵器射出部がせり上がって、ガトリングとパルスマシンガンとヒートロケットが同時に火を噴いた。濁った雨に混じった凶弾が降り注いでいく。
眼下のACは、突如として暗闇から迫る脅威を避けることもできず、撃ち抜かれて、弾け飛び、ただ、バラバラに砕け散っていった。ただ、死をもたらす雨に紛れて悪夢のような雨が降り注いできた、それだけのことが起きた。
雨雲は一度着地した。割れたアスファルトに貯まった水を切り裂くように弾きながら、滑り、一度止まる。リコンを射出し索敵モードへと移行する。もう一度、ACは限界以上に脚を折り曲げていく。機体の反応を探っていく。呼吸を二回し、廃墟越しに青いシルエットを捕らえる。こちらからシルエットまでの距離は離れていく。逃げようとしているのだろう。距離の変化が小さいのは、先ほどの爆撃で破損したからだろうか。
再び、飛んだ。
廃墟越しにACの姿を探し、あっさりと捕らえる。シルエットでは2脚型のようだが、這いずり回るようにゆっくりと進んでいく。逃げるACの背後から、黒い雨に混じってガトリングガンとパルスマシンガンが放たれ、持っていたライフルが折れ、ヘッドパーツが千切れ、左のアームがコアからだらりと下がってデッドウェイトとなっていく。死をもたらす雨に打たれ、ACは一度動きが止まり、その上から《レインクラウド》が、獲物を狩る猛禽類のようにハイブーストで急速に接近し、踏みつぶす。
「あー4脚だったか。2脚に見えた」
踏みつぶしたものを見て、マーガレットがようやく口を開く。ACの残骸は、4脚型のレッグパーツを使用していたようだが、後ろにあるはずの二つの脚が無くなっている。前脚とブースターをふかし、逃れられぬ雨から雨宿りしようとしたのだろう。
「祈りはすんでるよな」
つぶれたコアの隙間から、もがく人の影が見えた。ただ混乱しているのか、それとも脱出装置を稼働させようとしているのだろうか。あれほどの大きな衝撃を食らっても、未だに生きているのは紛れもない奇跡であろう。だが《レインクラウド》のガトリングガンが人影に向けられた。人の影は身を守ろうとする動作をする間もなく、たった1発の銃弾が撃たれる。人の影が飛び散って、激しい雨が奇跡を流していく。
「他は? 」
この日初めて、彼女はオペレータへと声をかける。
『ありません、作戦終了です。回収地点に向かってください』
淡々とした連絡を受け、マーガレットはゆっくりと機体を歩ませていった。雨に紛れ込んで、やがてシルエットすら消えていった。
☆
無機質な診察室で、グレイスがマーガレットのメンテナンスが行っている。体温や脈拍などを見るだけの、本当にただの健康診断であるが。
「マギーちゃん。宿題は? 」
「……はぁ? 」
グレイスが微笑みながら聞いてきたが、マーガレットは何のことかわからないようだ。ワンテンポ遅れての間が抜けた声だった。
「化け物よ。化け物ってなにかしら? って前に聞いたでしょ」
「あったか? そんなもん? 」
マーガレットは首をかしげながら虚空をにらむ。本当に覚えていないようだ。
「言ったでしょ。義理のお母さんに向かって化け物だなんて。天国のあなた、この子は遅い反抗期を迎えています。血が繋がらないと本当の家族になれないのかしら、オヨヨヨ」
グレイスが異様に態とらしい調子で白衣の袖を顔に当てて、小芝居を始める。
一々そんなことに、どうこう言う気もなくマーガレットは止めない。化け物についての話は何があっただろうかと思い返す。グレイスとのやりとりではなく、他に印象に残ったことだ。
例えば、かつてはいた《フルールドリス》のある一人、彼女はオーバードウェポンのヒュージミサイルを背負ったACで、敵陣のど真ん中に突っ込んで、自機の目の前のMTにヒュージミサイルを撃ち込んだ。結果は、敵どころかエリアごと吹き飛んだらしいと聞いている。その11番目との数えるほどしかない会話の断片を思い起こす。
「ちょっとは構ってくれないかしらネ? 」
無視されることに耐えかねたグレイスが、すねた調子で言う。
「別のこと考えてた。11番目の奴が言ってた気がしてよ」
「前の子のことかしら? 今は欠番しているし」
「いや、あいつじゃない。もっと前か、もっと前か、何番目かの11番目だ」
「どの子のことかしらネ? 他の子をちゃんと名前で呼んであげなさいよ。わからないでしょ」
自分が名前で呼ばれることを嫌うどころか、他の娘達を名前で呼ぶどころか、名前を覚える気もないマーガレットにグレイスは、少々あきれ気味のようだ。嫌悪していると言うよりは、自身と一緒でただの実験体にしか見えないせいだろうか。ただし、現在のメンバーのナンバーだけはしっかりと覚えていて、実務的にはさほど不都合がないから始末が悪い。
「あー、知るか。その10番目がよ、『あなたは普通を知らないから、普通を失うことの意味を知らないから、幸せなのよ。化け物になりきれてないのね』とか、ぬかしていやがってよ」
「そう、あの子そんなこと言っていたの。どのあの子か全然わからないけどね」
「死んだ後にメッセージが送られてよ。『あなたは幸せだから、それ以上強くなれないの。私たちは守ることじゃなくて、失うことで強くなっていくの』とか書いてあった」
そのメッセージは、読んですぐに削除してしまった。削除する意味もないが、残す意味も無いと思って反射的に消してしまったのだけど。
「俺って幸せか? 」
わざわざ不幸の元凶たるグレイスにこんなことを聞いてくる《娘》がいるとは思いもしてなかった。前々から思ってはいたが、普通に話ができるとはいえ、世間知らずで、どこかズレている気がする。生まれつきのズレだろうか、似たような前例がないか、脳内を検索していく。
「うーん。世間一般とかの例を持ち出したら不幸せになるんじゃないの? 生まれてずっと研究所で暮らしていて、被験者にされていただなんて。小説ならきっと王子様が命がけで助けてくれるわ。こんな男勝りなお姫様なら、きっと助けてた後にどっちが王子かわからないって、悔いるでしょうけど」
「立場が許す発言じゃねーな」
他の研究員がいれば、冷や汗ものだろうが、両者に動揺の色はない。
「気にしないで、そんなことあるわけもないから。あら? こういうのがフラグっていうのかしら? そのうち《フルールドリス》に王子様が助けに来ちゃうわけ? 禁断の叶わぬ恋なんて、お話としてなら燃えるわね。永久保存版ネ」
「知るかよ」
「さて、それで、どう化け物話に繋がるのかしら? 」
グレイスは改めてマーガレットを見つめる。前の話をしていたときは、どこか苛立っていた気がするが、今は何か、気が抜けているようだ。戦闘をして、弾薬を消費して、ストレスが無く、ほどよい疲労があるせいだろうか。案外に、独断もあるが、任務には忠実である。ただ、憂さ晴らしをしたいだけのようではあるが。
「あー、何番目かの9番が言っていた」
「……だから、何番目かしら? 」
「確か『ひとにゆるされないちからをてにいれました。だからわたしはもんすたーです。ひとのてでころされなければならないのです。でもひとがころせるのならもんすたーではないのです』って」
マーガレットがグレイスの言葉を無視して言う。
「その後に、俺が撃った榴弾に自分から当たっていって消滅した」
何でもないことのように、一つの終わりを口にする。
「そんな9番目の《娘》いたかしら? 」
「んー? 9番じゃねーかも」
「……ちょっと、マギーちゃん。惑わさないでくれるかしら」
「いや、つまり、あいつの行動は俺が化け物だって言いたいのか、それとも自分で自分を殺したってことなら、自分は化け物ではなく人だって言いたかったのか。あいつの言う化け物って未だによくわからんなーと」
「うーん? 」
「いや、これはどうでもいいか。あいつ頭悪そうだったし」
マーガレットは、一度目を閉じて、無機質な空気を鼻から深く吸い込み、スッと吐いて目を開けた。
「俺は実験体だ。前の場所でも実験体だった。そうされるはずだった」
何故、こんなことを話し出したのかわからない。ただ、《フルールドリス》に移ってから落ち着くこともあまりなかったので、一度整理しておきたかったのかも知れない。
「だけど、あの連中はどういうわけか俺に名前をつけた。ずっとナンバーで呼んでいたくせに、こんな女らしくて人らしい名前なんてつけやがった。そのうちに、あの連中はメグなんてに呼んできたさ。そして、リスクが少しでもある実験なら頭を下げて謝ってきて、山ほどの甘ったるい菓子持ってきた。俺が甘いものは駄目だなんてわかれば、また謝ってきて、今度は上等だって付け加えたステーキをもってきた。俺は思ったね、新しい実験を始めたんだって。俺がどんな反応するのか見るためだ、連中は俺を観察することしかしないはずだって信じていたからさ。だけど、実験の度に旨いもの持ってきて、ぬいぐるみだとかおもちゃだとかフリルのついた服だとか持ってきて、それで部屋が狭くなってくればもっと大きな部屋に移された。今までは真っ白な壁だったのに、淡い桃色の壁紙を貼って、タイル張りの床も木のパネルになっていて、花瓶には毎日別の花が飾られていた。マーガレットが多かったな。俺の名前と掛けていたのかどうかも知らねー」
それは、とても研究機関という言葉とは不釣り合いだっただろうと、グレイスが感じ取る。マーガレットの言葉は続けられる。
「欲しいものは何でも言ってみて、できる限りは用意するからと言い出した。研究所の中だけが世界の全てだと思っていることを知れば、本当は外に限りなく広い世界があるなんて教えてきやがった。だから、外を見たいなんて言い出せば、それだけはできないと泣いて謝ってきた。代わりにと言い出して、部屋の壁よりでかいスクリーンに旧時代の映像を上映したさ。見たいと言えばいつでも見せてくれた。本当はこんなに汚くて失望するぐらいなら見なきゃ良かったさ。そのうち、わかったよ。連中が連中の親玉に俺への対応の言い訳しているの見てよ、これは実験じゃないってわかった。連中は、俺に情がわいたんだってわかったさ」
今日はずいぶんと長くしゃべるなとグレイスが見つめる。昔話を《娘》達本人から聞くことがあることも珍しいことだった。もしかすれば、初めてかも知れない。そもそも、マーガレット自身も、こんなことを話すのは初めてだった。
「……ある日。かなりリスクのある実験をすることになった。投薬した上に強力なパルスを流し込んで肉体の活性化をするとかのそんなやつだ。俺には理論だとか全然わからないが、成功すればもっと強くなれるらしい。そのときは、俺には使い道も何もない強さだから、望みも望まないもない。選択の意味も選択自体もないわけだけどよ。下手したら死ぬかもしれないらしい。本当を言えば、俺は別に構わないだ。そのためだけに生まれる前から作られて、生まれたんだからよ。思う存分壊してもらって構わない。そのうち死ぬんだろうが、早いか遅いかだけで、何も変わりはしないんだからよ。それが俺にとっての普通だ。幸せも不幸もない。ただ、それが普通だ。俺にとっての普通だった」
そこで、マーガレットは再び目を閉じてため息をついた。グレイスは、これは自分へいうよりも、マーガレット自身へ向けられているように思えた。
「あろうことかよ。あの連中は、自分たちから言い出しておいて、実験に反対したんだ。貴重な被験者を失うわけにはいかないだとか、もっと安全性を高めてからにしなくれはならないだとか言い訳まくし上げて、ただ、情がわいた俺を失いたくないがために必死だったよ。手前で作っておいて、壊しておいて、今更失いたくなんて無いだなんてな、傍から見れば滑稽だったろうな」
「マギーは、その人たちのことが好きなのかしら? 」
マーガレットは、昔を語り出して、初めてグレイスの顔を見た。その表情は、よくわからない。自分と研究者達のどちらに自分を重ねているのか、それともそんなことになるなど研究者失格と思っているのか。何を思っているのかは、マーガレットにはわからない。だが、訂正はする。
「いや、気味悪さを感じたんだよ。好きも何も無いが、気味悪かったよ。化け物を作った化け物が、今更になって人に戻ろうとしやがった。懺悔して、心安らかに眠るために、人として救われようとして、俺の口からありがとうの一言を聞きたいがために、最後は自分が犠牲になることも厭わないぐらいの覚悟を見せやがった。つまり」
マーガレットが一度、言葉を切って、立ち上がりドアへと向かっていく。
「化け物つーのは、人以上の人だって思ってる。人を止めたあとに人に戻ろうとする醜い連中が、化け物だ。何を壊しただとか、何人殺しただとか、何が壊れているだとか、何を失っているとか、そんなもんで化け物であることに差なんてできやしない。化け物は化け物でしかない」
「面白い見解ね」
グレイスがかすかな微笑を浮かべ頷く。マーガレットは、今はわからないが、前は間違いなく幸せな環境だった。このことを知れば、他の《娘》達が殺したくなるほど幸せで特別だったのは間違いない。彼女のために犠牲になる覚悟がある人間達に囲まれて、好きなものを用意してくれていた。ただの被験者として扱われていなかった。そして、今、確実に不幸な環境にある。このことを知れば、他の《娘》達が哀れんでくるほどに。
だが、マーガレットは知らない。自分がどれだけ恵まれていて、絶望的な状況におかれてしまったのかを知らないし、その価値が理解できない。彼女の普通が、他の普通と大きくズレがある故に。
悲しく滑稽なマーガレットがドアをゆっくりとスライドさせて、振り返った。さらに残酷なのは、本人がそのズレをまともに認識すらできないと言うこと。生まれたときから化け物だった不退転の事実が、彼女の全てを無自覚に蝕んでいた。
「その点、あんたは化け物を産む化け物だ。もう、狂って壊れて汚れて救われない。救われようともしない。最後の最後まで化け物で有り続けるだろうよ。そのあたりは気に入ってる。嫌いだけどな」
と言い放ち、部屋を出て行った。ドアは静かにスライドしていき閉じられる。
「ふふ。望まなくても、《娘》を作り続ける化け物で有り続けるわヨ。安心しなさいマギーちゃん」
不適な笑みを浮かべ、部屋に取り残されたグレイスが呟く。数秒後、笑みは消えて、彼女も部屋から出ていった。
fin.
最終更新:2012年06月20日 23:55