「……どうしますか、1等軍曹」
未だに燃え続ける乗用車の残骸を背に、通信手兼選抜射手で黒人のマーカス・リー伍長が微かに震えた声で言った。
現状、政府中枢都市イル・シャロムにおける軍事クーデターは成功し、政府軍残党はクーデター派に寝返った勢力と傭兵たちに嬲り殺しにされている。
どうするもクソもあるわけがないと、小隊指揮官である
シメオン・ムーシェ1等軍曹は苛立たしげに、割れたアスファルトに唾を吐き捨てた。
政府軍残党による政府奪回を信じてイル・シャロムを駆けずりまわったからか、背負った狙撃銃と、手に持ったカービン銃がやけに重たく感じる。
ふと空を見上げても、黒煙と分厚い暗雲のせいで空など見えはしない。
目線を下げたところで、見えるのは瓦礫と炎と、ここぞとばかりに暴徒化した民衆と、逃げ惑う政府軍残党だ。
大隊司令部との通信が『全面撤退』を意味する暗号を発して沈黙してから、各区画に散っていた政府軍残党は南部地域の補給基地へ向って撤退し始めている。
恐らく大隊どころか政府軍残党すべてが『全面撤退』つまりは、この場での『敗北』を受け入れたと言うことだろうと、ムーシェの率いる小隊隊員7名全員が察していた。
問題となるのは、それまで政府軍残党の目となり、極力戦闘を避けて戦況を収集・送信し続けた斥候狙撃小隊の現在位置が、南部補給基地とはまったくの正反対の位置にある、北部区域であることだった。
「マック! こっちに来い!」
リー伍長の問いに無言で『思案中』と答え、ムーシェは小隊副官で自分よりも十歳近く年上の冷酷非道な狙撃兵に、こっちに来いとジェスチャーを送りながら言った。
いまだに局地的戦闘が続いているため、警戒のために瓦礫を遮蔽物にして円形に陣をとっている隊員らを呼ぶのにも、声を張り上げなければならない。
聞こえなかったときの為に、ジェスチャーもしておかないと駄目だった。
お手ごろなカフェやレストランが並ぶセバスチャン街道に向けて、ブルパップ(引き金の後方にマガジンが付いているタイプの銃の総称)式のボルトアクション狙撃銃の銃口を向けていた
ギルバート・マクダウィル2等軍曹は、中腰の姿勢のままスコープを覗き、ゆっくりと亀のような歩みでこちらに寄ってくる。
じれったかったので、ムーシェは自分から3歩ほど近づいて、彼の背中を2度ほど叩いて、囁く。
「南部区域に移動するのは危険すぎる。ここは素直に、クーデター派へと投降しようと思ってる。心変わりしたと言えば、きっと小隊は生き残れる。ここからなら、郊外の砲兵基地が一番近い」
妥当な判断だと、近くで話を聞いていたリーは思ったのか、小さく首を縦に振る。
ここから南部区域まで移動するためには、どうしてもメインストリートを横断しなければならない。
車と言う遮蔽物があるにはあるが、装甲車両が悠々と走行できる片側4車線道路を通り抜けるのは、あまりにも危険すぎる。
もし50口径重機関銃を積んだ装甲車両が一両いただけでも、小隊はそこで見晴らしのいい道路上での隠密移動というリスクを負わなければならない。
赤外線照準器などで見つかれば、弾頭重量約40~50グラムのフルメタルジャケット弾が、1万3千フートポンドもの強烈なエネルギーを脆弱な肉体に行使して、胴体と下半身を真っ二つにするだろう。頭に当たれば、頭が文字通り吹き飛ぶ。
リスク計算こそが狙撃兵の仕事である。
待つことも隠れることもたしかに仕事ではあるが、その前に必ずリスクの計算を行う。
どれくらいのリスクを犯してこれを達成すれば、どれだけの見返りがあるのか、きちんと考えに考えてから、それを実行するように、彼らは訓練されている。
「それが一番妥当な案だな、1等軍曹」
山岳民族と、かつて第9領域に侵略を掛けてきた民族の血を受け継ぐマクダウィルは、何時も通り淡々とした声で答える。
5日ごとに髭を剃るというルールに従って、今日の今頃、小隊全員でシャワーを浴びながら、無精ひげを剃る筈だった彼の顎には、まだ黒い無精髭が生えたままだ。
身長185㎝、体重77.5㎏。年齢は34歳のマクダウィルは、順当に昇進していれば南部出身の田舎者であるムーシェのように、小隊を率いる立場にあるはずだったが、鎮圧活動後に何度か少女を強姦し、射殺したことが露見して、曹長から3等軍曹まで降格処分を受けていた。
外見が今時の若者で中身が西部黄金時代で止まっているムーシェは、それを聞いて難色を示したが、かつて独立を果たそうとした南部区域をコテンパンにした北部区域でそれをやったのだと聞かされて、少しだけ『なら良いか』という気になっていた。
彼は今でも南部の失われた大義とやらをちょこっとだけ信仰していたし、信心深かったし、なによりムーシェは南部出身のカウボーイだった。
「だがそれでは、銃殺刑になる可能性も、とうぜん残されている」
なおも狙撃銃のスコープから目を離さずに、マクダウィルがムーシェにぎりぎり聞こえるよう、静かに言った。
他の隊員に聞こえれば、小隊の士気に関わると思ったからだろう。無感情な人間など存在しないと言うことをムーシェは知っている。
あの冷酷で時折外道なマクダウィルもこうして小隊の面々を気遣っている。良い傾向だが、状況はなお最悪だ。
「この状況でリスクを負わない選択は残されていない。武装解除して、心変わりしたって言ってれば、なんとかなると思うしかないんだ」
「……そうならなかった場合はどうする気だ、1等軍曹」
どうするもこうするも、他に選択肢があるっていうのかと思いながら、ムーシェはマクダウィルの肩を叩いて笑って見せる。
「小隊全員で乗り切る。それだけだ」
「そうか。いつも通りだな」
ムーシェはマクダウィルにそう言うと、今度は全方位警戒陣形をとっている隊員たちに言った。
表情はマクダウィルに見せた笑みよりも引きつったようなものだったが、それでも笑っていると言うことに変わりはない。
リー伍長は小隊長が笑っていると言うことに気付いて、きっと名案があるのだろうと思い、ほっと胸を撫で下ろす。
他の隊員は横目でムーシェを見ながら、もう一方の目でライフルのスコープを覗き込んでいた。
「小隊全員、聞け!」
腹筋に力を込めて吐き出された声は、爆発の轟音と乾いた発砲音の響く街中でもよく通った。
「これより我々は北部区域郊外にある、フェニックス砲兵基地まで行進し、クーデター派へ投降する!」
その瞬間、リー伍長は口を開いたままムーシェを見つめた。そして考えた。突拍子もない命令ではあるが、それで小隊の皆が生き残れるならそれで良いかと。
他の隊員らも似たような反応を示した。ある者は驚愕し、ある者は当然だろうと頷き、ある者はそれで大丈夫なのかとムーシェの顔を見る。
だが最後には皆がムーシェの判断が正しいのだと信じた。小隊長は笑っているのだ。あれはきっと、名案が浮かんだからなのだと、そう思った。
「小隊全員、狙撃銃を背負え! カービンを構えろ! 交戦は可能な限り避けて、走り続けろ!」
警戒もへったくれもあるものかと言いたげに、ムーシェは遮蔽物に隠れずに小隊の面々の顔を一人一人見ながら、一歩一歩ゆっくりと歩いていき、小隊の最前へと歩み出た。
ムーシェはその間、手に持ったカービン銃のボルトを引いて5.56㎜小口径高速弾が装填されているかを確認し、再び小隊の面々を見た。
全員が狙撃銃を背負い、銃身の短いカービン銃を手にしている。
近いとは言っても、フェニックス砲兵基地までの道のりは直線距離にして約3キロメートルほどだ。
市街戦ということを踏まえても、軽く4キロ弱は走ることになるだろう。
だがそれ以上の距離がある南部区域に戻るよりは、遥かに安全だ。それに、この状況下でリスクを負うことを拒めば、死人が出る。
悩み続ける暇があるのなら、今は前へと進まなければならない。
「準備完了であります、小隊長殿!」
半自動狙撃銃を背負い、カービン銃を持ったハンサムな隊員のリード・コワルスキーが声を張り上げる。
ゲイな割に清純な奴だとムーシェは常に思っていたが、コワルスキーにはガッツもある。
やはりこいつらはタフな連中だと、ムーシェは誰一人として絶望していない小隊を見渡しながら思った。
とんでもなくタフな連中だ。身体だけではなく、精神的にもタフで、抜け目ない連中だ。
そいつらを率いている俺は何だと、ムーシェはふと思った。俺は俺だと、ムーシェは自分に返す。いつも通りの俺だ。
ライフルの元に集った、ライフルと神を信仰する南部野郎だ。南部野郎もタフで抜け目ない。
オーライ、やってやろうじゃないか。降伏するために戦地をマラソンだ。これ以上バカバカしいことなんかあるもんか。
そう思いながら、ムーシェはまた笑みを浮かべ、小隊各員に命令を下す。
「小隊全員、前進開始!」
サー・イエス・サーと、人数分の声がムーシェの背中に突き刺さる。
生き抜くための行進が、誰も知らないところで始まった。
最終更新:2012年05月22日 02:46