「………僕の見る目が、なかったんですかねぇ」
赤色灯の発するぼんやりとした光に照らし出された薄暗いACのコクピットの中、彼女はシートに身体を預けながら、ぽつりとつぶやいた。
小さな桜色の唇が、それに合わせて微かに動いた。
全高約5メートルの汎用人型戦術機動兵器『アーマード・コア(AC)』のコクピットは、操縦桿やフットペダル、
各種ディスプレイとコンソールなどが所狭しと配置された、兵器の中枢である。
居住性など兵器に求めるものではなかったが、彼女は愛機のパイロットシートを座り心地の良いものに取り替えていた。
身体を包み込むような背もたれと、程よくふかふかしたシートは、無骨な部品類の中で異彩を放っている。
しかし一番異彩だと言えるのは、彼女自身だった。
彼女の華奢な肢体は非防弾仕様の艶消しされた黒いパイロットスーツで包み込まれており、
魅力的なまでにきゅっと締まった腰のくびれや、決して大きくはないが形の整った胸のラインなどが目に見えて分かった。
やや暗めの色づきの髪を細い指で掻き上げると、くりりと可愛らしい碧眼が覗いたが、
今その双眸には活発な光はなく、彼女はただただ困り果てたといったような表情を浮かべていた。
もちろん、ACにも非常時のための携帯トイレや食糧が入ったサバイバルキットはあるものの、空間としては狭苦しく、
数十時間も篭っているとディスプレイなどに押し潰される危機感を抱くほどで、居住性は良いとは言い難い。
その空間に、彼女は五日間も篭っていた。
正確に言うなら、篭らざるおえなかったのだ。でなければ、誰がこんな場所にずっと篭っているものか。
こんな―――鉄の棺桶の中に。
「酷いですよね、ホントに。か弱い乙女を、こんなところに閉じ込めるように細工して………もう最っ低ですよ……」
自分の気力が折れないように、
エルフィファーレはパサパサに乾いた口を唾液で湿らせてから、不貞腐れたように言った。
通信機も壊れているのか、答えてくれる声はない。
雇い主の細工だろう、緊急脱出用の爆砕ボルトを作動不能にし、ハッチの開閉システムを予備バッテリーと切り離したのだ。
内部からコクピットのハッチをこじ開ける手段は、何一つとして残っていない。
この五日間、サバイバルキットを節約してなんとかやりくりしてきたものの、それも限界が近い。
エルフィファーレは空腹も何も感じなくなって、漠然とした気怠さと眠気に襲われていた。
睡眠も取っているし、一応食事も取っているが、疲労の方が限界を突破したのだろう。
念のためにと、エルフィファーレはサバイバルキットの中に入っている袋を取りだして、吐き気に備える。
呼吸が苦しいということはないから、どうやら生命維持装置だけは正常に稼働しているらしい。
ここまでやっておいて、蜘蛛の糸のように生きる希望をちらつかせる『元雇い主』のサド趣味に、
エルフィファーレは苦笑いを浮かべ、ゆっくりと目を閉じた。
精神的な支柱がぽっきりと折れてしまったのか。
エルフィファーレの意識はあっという間に暗闇に捕らわれ、深い眠りに落ちて行った。
―――そこは荒野だった。
草花は既に枯れ果て、住みついていた動物たちは当の昔に死滅し、砂と岩と、
汚染された空気と、焼け焦げ、錆びついた、鉄屑ばかりがある。
死の大地と呼ぶに相応しいそこは、生きとし生けるものに与えられた地上が、
人間に敵対心を剥き出しにしているかのような、そんな印象すら抱かせる。
だがそれは間違いだ。
人間が耐えぬ戦乱の歴史を刻み続け、大地がそこにあると信じて疑わなかったからこそ、この光景はここにあった。
そんな荒野にぽつねんと建っている物資集積所跡地がある。
元は汚染地帯に偵察する政府軍の斥候部隊のために建造されたものだが、政府が崩壊し、
新たな政府としてクーデター軍がバンガードと言う名の政府を打ち立て、支配を強めるようになってからは、
反政府運動の活動家たちにも見向きもされずに放置され、少なくとも一年か半年は野ざらしになり、
何度かミグラントたちの略奪に遭い、蓄えられていた物資も、勤めていた人間も、今はもうない。
しかし今、その物資集積所には一台の大型装甲トレーラーと、人型汎用戦術兵器アーマード・コアが一機ずつ留まっていた。
巨大かつ大馬力の大型装甲トレーラーの荷台には、所々が赤茶色に錆びついたコンテナや、
鉄屑と化した兵器から剥ぎ取ったであろう装甲板が、いくつか積み込まれていたが、どれも目を見張るような代物ではないのはたしかだった。
『――どうする、リーダー』
通信機がノイズ混じりの声をあげる。
その声に応じたのは、ごてごてとしたパイロットスーツに身を包んだ青年だった。
茶髪の髪を程ほどに伸ばし、透き通った緑の瞳をしている。顔のつくりは端麗だが、目だけは何故か半分ほど閉じられていた。
だが、彼はもともと目が大きいため、眠そうな目つきではなく、逆に鋭い目つきになっていた。
伸縮性に富んだ素材で作られたインナースーツの上に、防弾繊維で作られたジャケットを羽織り、
さらにサバイバルギアと呼ばれる補助戦闘キットを取り付けたパイロットスーツは、さながらSF小説に出てくる軽装歩兵の様だ。
けれど、彼は今、歩兵ではなかった。
彼―――
シメオン・ムーシェは束の間、返す言葉を探した後、静かに言った。
「運が無かったとしか言えないな。素直に身を引こう、ボギー」
『了解した』
極めて実直な部下の声が帰ってくると同時に、停車していた大型装甲トレーラーが動きだす。
全備重量が戦車のそれを超えるアーマード・コアすら牽引可能なトレーラーの荷台には、大量のコンテナが積み込まれ、ワイヤーで固定されていた。
放棄された集積所の捜索で得られたのは、ほんの少しの工業製品と武器弾薬、電装系部品や通信ケーブルなどだ。
それらは大抵売却され、金銭に変換される。
得られた金銭で買うのは、食料と生活用品だ。三年前のクーデターを境に、シティから追いやられた人々を養うため、なんとしてもそれが必要だった。
そのため、シメオン・ムーシェら実動部隊の装備は、何時も不足している。
ムーシェが今操っている四本脚の支援型AC「ブラヴォー・フォー」にしても、整備が行き届いているとは言えない。
整備班には問題はないが、資源が足りないのだ。
『今回の成果でこの先一週間の食糧問題はクリアできるだろう。問題は、ACのメンテナンスパーツが足りていないことだが……』
ハンドル片手に電子タバコでも咥えたのか、ややくぐもった声でボギーが言う。
ブースターモードをオンにして、低速ホバーでブラヴォー・フォーをトレーラーと併走させながら、ムーシェは額を押さえて呻いた。
五年前のクーデターから常々悩みの種になってきた、最高戦力であるACのメンテナンスパーツ不足。
政府軍からちょろまかしてきたスナイパーキャノンとハンドガンを備えた、狙撃特化型のブラヴォー・フォーも、動かすことが手一杯という有様だ。
正規のパイロットが二年前の事故で死んでからというもの、正規訓練も受けていないムーシェがこの機体を操ってきたが、
正直なところ敵のACと直接戦闘となれば、撃破されるのがオチだろうと自覚している。
射撃関係の操作はすんなりと覚えられたが、歩兵とは次元の違う機動性には今でも舌を巻く。
これでまだ低速なのだと言うのだから、高機動機体には一体どんな化物が乗っているのだろうと思う。
ただの斥候狙撃兵上がりが乗り込んで良いものではないのだと、ムーシェは深い溜息を吐き出す。
沈んだ気分を慰めようと、モニターに目を向け、遥か遠くの山の中腹まで砲弾を着弾させるための計算をしようかと思った時だった。
「……なんだ?」
突然、頭部に搭載されたCPUと解析カメラがなんらかの物体を発見し、自動的にスキャンし始める。
モニターから見れば、戦場跡に放棄されているACのジャンクとそう変わりなかったが、スキャン結果はそうとは言っていなかった。
「AC……か」
ジャンクに見えたそれは、いまだに稼働しているが、大破したACだった。
最終更新:2012年05月31日 01:38