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 周囲を3メートルほどの高さのある鉄筋コンクリート製の壁に囲まれた難民キャンプ〈エクシーレ〉は、
 元はと言えば政府軍の弾薬製造工場だった。
 その名残というべきか、敷地の中央にある正四角形ののっぺりとした建物には無機質染みた角ばった書体で
 『第6武器・弾薬製造工場』と書かれていて、敷地の端には倉庫が1から順に5まである。
 もちろん、この時代に置いて必須とも言える防衛砲台も備えていた。
 地下にある発電施設から送られる電力によって稼働する、大型狙撃砲台が一つと、機関砲台が四つ、ロケット射出機が六つほどだ。
 しかしながら、エクシーレに住む人々は軍関係者ばかりではないため、その砲台がいつも稼働状態にあるわけではなかった。
 いつもは、地下から送られてくる電力を居住区画に送っているため、砲台に回す電力がないのだ。

『こちらはブラヴォー・フォー、及びチャーリー・ワン。エクシーレ南東21キロメートル地点を移動中。攻撃はするな。分かったな?』

 ボギーが決められた周波数に通信をするのが、ムーシェの耳に聞こえた。
 ブラヴォー・フォーはムーシェ、チャーリー・ワンはボギーのコードネームだ。
 ぽつりぽつりと降り始めた雨は、今では滝のような豪雨に変わっていて、空は鉛を溶かしたようなどんよりとした灰色一色に染まっていた。
 乾ききった大地に許容範囲を超えた水が降り注ぎ、行く場を無くした水は地面で泥水となって地に足をつけるものすべての行く手を阻もうとする。
 運が良かったのか、それでもボギーのトレーラーはスタックすることなく、沼地となった荒野を走り抜けていた。

「……もう少しの辛抱だぞ」

 自分の不安を打ち消すために呟きながら、膝の上にちょこんと座るように眠っている彼女の頭を、ムーシェはそっと撫でた。
 今思えば不思議なものだった。
 中身を確認すると自分はたしかに言ったが、助けるとまでは考えていなかった。
 それなのに、最初からそう決めていたように彼女を助け上げ、そして今、エクシーレへと向かっている。
 俺はそこまで御人好しだっただろうかと、ムーシェは考えた。彼女を助けた理由を、自分なりに見つけ出したかった。
 他のメンバーはなにも言わずに聞き入れてくれるだろうから、自分を納得させることのできるだけの理由が欲しかった。
 答えはなかなか出ない。なぜ助けたのかと自分に問いかけてみれば、あの時、あの瞬間、たしかになにかを思いついて、
 咄嗟に助け出してしまったのだと言う自分もいれば、特に理由はないのだと言う自分もいる。
 つまり、あまりよく覚えていないというのだ。
 操縦桿を握り直しながら、ムーシェは深く溜息を吐き出して、自分の記憶の曖昧さに腹を立てたが、
 コクピット内に響く自分のものではない寝息を聞くと、それもすぐに収まった。

「なにか、引っかかってる感じはするんだがな」

 言い訳を言うように、ムーシェはぽつりと零す。
 引っかかっている何かが分からなければ、どういうものなのかというのも分からない。
 もう少しで思い出せそうなのに、思い出せないと言う、もどかしい感覚が胸の中に溜まっていく。
 ただ、思い出すのに手がかりになりそうなものがないわけではなかった。
 初対面とは思えないほど、彼女が身近に感じられ、深く疑うことをせずに助けてしまったという点から、
 以前自分と関わりが合った人物の中に、彼女のような存在がいたのだろう。
 その誰かが思い出せない。
 少なくとも、朝の挨拶を交わす程度の中ではなく、もっと親しい仲の人間だった筈だ。
 戦友かもしれないし、ハイスクールの時に付き合っていた、あの女かもしれない。
 もしかすると、いとこの中の誰か一人ということもある。
 一向に考えが纏まらず、整理しきれなくなった情報が頭の中で交錯する感覚があったため、ムーシェは一度考えることを止めた。
 それと同時に、エクシーレの管制室から返答があった。管制室は、重要区画が集中している地下にある。

『こちらマザーグース、南東21.2キロメートルでそちらを確認。急いで戻ってください。雨漏りを補修するだけの男手が足りません』

 管制室にいる元政府軍士官候補生、エレン・マクラクランの抑揚のない声が通信機から聴こえてくる。
 普段は大人しい小動物のようなマクラクランだが、オペレーターになると冷淡で機械的な口調になるのだ。
 本人曰く、集中し過ぎてマーカーに人がいるということを忘れてしまう、ということだったが、
 人命を重視し過ぎて失敗する薄情者よりはよっぽどマシだと、誰もがそう思っている。
 もっとも、誰もが切り捨てられたくないと言うのも、また事実だったが。

『スピア・ワンはどうした。実働部隊の訓令過程を修了してない奴らにもやらせろ。こっちは遠出と力仕事で疲れ果てているんだ』

 うんざりしたような口調で、ボギーが言った。
 スピア・ワンというのは、ムーシェと同期の戦闘ヘリパイロットのヴィクター・スピアーズのコードネームだ。
 熱血漢の活発な少年がそのまま大きくなったような男で、別名は多々あるが最近だと『壊れたラジオ』とか、いろいろ呼ばれている。
 人が良すぎる良い奴で、マクラクランとはボーイフレンドとガールフレンド、といった関係だ。
 とはいっても、互いが互いに遠慮しているため、プラトニックな付き合いが長い事続いていて、
 そのことをエクシーレの実動部隊がネタにしてからかうことも多い。

『了解、チャーリー・ワン。予備役も投入します。以上、通信終わり』

 スピアーズがからかわれた時、マクラクランは遠くの方で顔を真っ赤にして俯き、指先をつんつんと突き合わせていたなと思いながら、
 ムーシェはぷつりと切れた無線に、機械音声染みたマクラクランの声を思い出し、同一人物とは思えないなと笑みを溢した。
 正面のディスプレイに目を向けると、地平線より少し手前に、雨のカーテンに覆われてぼんやりと霞んで見える建造物のようなものが見えた。
 三つほど背の高い電波塔が空へと延びていて、無骨で遊び心が無さ過ぎる工場関係の施設のシルエットが確認できた。
 定規だけで設計したんじゃないかと思えるくらいに直線的で、段ボールだけで模型が作れそうだ。

「……もう少しだぞ。頑張れ」

 自分とは異なる人の体温を膝に感じながら、シメオン・ムーシェはぽつりと溢した。
 もちろん、彼女が目を覚ましてそれに応えてくれると言うことはなかったが、代わりに微かな薔薇の匂いがムーシェの鼻腔を擽った。
 それが彼女から漂う香りだと言うことに気付くまで、ムーシェはしばらく時間を要した。 






投稿者:狛犬エルス
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最終更新:2012年06月27日 02:39