これから、悪党の話をする。
 世に悪の栄えた試しはないと言うが、悪党と呼ばれる人間の多くは、自分たちが破滅に向かっていることなど、大抵はとうに気付いているものだ。耳聡くもその破滅の足音を聞き分け、それに抗うという逃げ道を得てしまったばかりに、あてなき道を走り走り、人はいずれ悪党になる。少なくとも、これからする話は、そういう手合いの悪党の話だ。
 まあ、どう悪し様に言ってくれようと構わない。
 そのとき悪党と呼ばれていたその連中が、どんな心持ちでいて、何を信じていたかなんて、例えば呼吸をすることの重要性に比べてしまえば、その程度でしかない。いかなる汚泥のただ中であってさえ、物事は所詮、体のいい綺麗事を基準にして動く。この世に善悪いずれにも懐かないものがあるとしたら、それは心臓を動かすことぐらいだろうから。
 しかし、この話をする前に一つだけ改めておく。
 お前の胸にある鼓動は、お前が悪党と呼ぶ人間のそれと同じように、絶えず破滅への歩数を計っていることを忘れるな。破滅の足音は、心臓の音は、どんな人間の胸にも必ずある。善悪の境界線上で、心の在処で、その事実はただ響き続ける。
 彼らは、その事実に気付いただけだ。
 善悪に意味などないと。手段を選り好みすることは、鼓動が静止するその日を、ただ先延ばしにしているに過ぎないと。ならばいっそのこと、安い慰めを捨て、生温く脈打つ心臓に灼熱の悪徳を突き刺して、加速する死の足音に耳を澄ましていればいい。その鼓動が、凍えるような死の温度に懐かなくなるまで。
 燃焼する心臓の音だけを聞きながら。
 心臓の音、だけを、



 地下空間に充満する埃っぽい空気は、どことなく焦げた臭いがする気がした。
 それが先の戦闘で、装甲を酷く焼け爛れさせた機体の残り香なのか、それとも背後に立つ男の剣呑とした雰囲気が生じさせる錯覚なのか。いずれとも判断はつかなかったが──、ともかく不幸にもその場の当事者であるところの、アラン・スミシーという男は、鼻先に漂う果実ブランデーの香りを鼻孔に集め、重苦しい空気を紛らわそうと必死だった。
「説明しろ。どういうつもりだ」
 赤銅色のボレロを着た背姿が遠ざかっていくのを、名残惜しげに見やりながら、その何度目かの詰問を、アランは聞き流すことにした。
 細い肩と、引き締まった腰を、元は娼婦の持ち物であったのだろう使い古しの衣類が、慎ましやかに飾っている。女という生き物が、こうも間近にいるのは何年ぶりになるだろう。ある利害の一致から、ひととき行動をともにすることになった彼女だから、特別色めいた感情などありはしなかったが、多少の眼福に与るぐらいなら大した罰も当たるまい。どうせ今の自分たちには、彼女の知識に頼るほか、選択肢はないのだ。いささか説教じみた物言いが煙たくはあるが、幸いにしてその説教屋がそれなりの美人であったことに、少しぐらいは喜んでみてもいいだろうに。
「おい。手前。聞いてるのか。──おい!」
 どうやら自身の相棒であるこの男は、そうした人間的な欲求のことごとくを、いつかの戦場に忘れてきてしまったらしい。
「……もう何度も、手前様の望むような説明はしてやったじゃないか。ヘイト。これ以上何を説明すりゃいいのか、俺が説明を受けたいぐらいだね」
 かぶりを振り、アランが踵を回すと、若白髪で鈍色にくすんだ黒髪を頂いた、ひどく人相の悪い男──、彼の相棒、ヘイトレッドがそこにいる。年齢的にはアランとさほど開きのない男であったが、日毎凄みを増す凶相のせいか、額に根深く刻まれたしわのせいか、この日の彼はことのほか老け込んで見えた。これが獣ならば、今に噛みついてくるだろう剣呑な雰囲気で、怒り心頭の仏頂面はまくし立てる。
「説明だと? 簡単だ。あの酒臭えクソアマが、俺の機体を我が物顔で触ろうとしてやがる理由についてだよ!」
 歯を剥き出しにして吠え散らすその様など、獣のそれと大差がないように思えた。既に姿の見えなくなったボレロの細い背姿に、後ほどこの怒鳴り声をどう釈明すべきか一考しながら、アランは嘆息する。
「機体のどこに問題があって、どうすれば解決できるのかがわからないからだ。俺の持ちうる技術で、それが解決可能かどうかも含めてね」
「直接触らせるとは聞いてなかった。話を聞くだけだと──」
「なあ、ヘイト。俺も最近知ったんだが、ああいった機械は、見た目ほどじゃないにしても割に頑丈でさ。生身の人間が工具もなしに少し触ったぐらいでは壊れたりしないんだ」
 空とぼけた口調でアランが答えると、それがどうやら火に油を注いだらしかった。
「やりようなんていくらでもあるだろうが!」
 は、と溜息を一度。アランは表情を冷ややかにする。どうせまた、言いがかりの類であろうことはわかっていたが、少しばかり言い分を聞いてやることで、それが彼を落ち着かせる材料になるのであれば、と考え、あえて問うた。
「例えば?」
「……爆薬を仕掛けるとか、部品に酒を流し込むとか」
「そんなことして彼女に何の得がある。爆薬だってタダじゃないんだぞ。それに彼女からすれば、がらくた同然の君の機体より酒の方が大事だと思うけどな」
「リスクってものを考えろと言ってるんだ!」
「彼女が触るより俺が触る方が、よっぽどリスキーだってことをいい加減理解してくれ。彼女なら、壊すにしたって俺より丁寧に壊すだろうさ」
「くそが。話にならねえ」
 向けられた背中に、お互い様だ、と言いかけた口を、アランは引き結んだ。
 彼女に何かをさせようとするたび、ヘイトレッドの態度は一度の例外もなくこうだった。無理もない。彼女を身内に引き入れたことは、それを提案したアランにとっても、決して安くない賭けであったから。
 とはいえ、いささか以上に看過に余るこの態度、どうしたものか。あくまで利害の一致に基づいた関係に過ぎないにしろ、仮にも協力者であるというのに。彼女の一挙手一投足、そのすべてがこの男は気に食わないと見える。
「なあ、おい。ヘイト──、すこし冷静になれ。思い出せよ。前の戦闘じゃ機体は爆散寸前になって、俺もお前もケツを薫製にされかけたじゃないか。いざ仇が見つかって、そいつの前でモンティ・パイソンの猿真似をかますのがお前の本望か?」
「癪に障る言い方をするな」
「いいから。考えてもみろ。超過兵装をまともに扱えるやつなんて、地上のどこを探したって他にいやしない。考えようによっちゃ、これはまたとない幸運だ」
 それはヘイトレッドを納得させる方便ではあったが、同時に事実でもあった。
 超過兵装。
 その暴虐を前にしては、世に広く流通する類の暴力など、塵芥も同然だ。地上に蔓延る蛮勇の、およそ大多数が欲してやまないだろう、垂涎の規格外。二人の手元にはそれがいま、限りなく不完全で、ともすれば我が身を危うくするような状態で存在している。そして、それは同じ幸運、あるいは不運に与った蛮勇達にとっても、まったく共通した憂慮であると言えた。地上にある技術の粋をいかほど集めてさえ、誰もがその力を持て余している。秒単位の駆動時間。機体を自壊に追い込むほどの、凄絶な熱量負荷。有り体に言って、超過兵装というものは、出来の悪い爆弾の親戚でしかなかった。
 ……少なくとも、地上の人間にとっては、だ。
「その話が一番信用ならねえってんだよ。未踏査深度だかなんだか知らねえが、……何かしらキメてるとしか思えねえ」
 アランは破顔した。
 さすがのヘイトレッドも、この話を口にするといささか毒気が抜けてしまうようだ。それほどまでに荒唐無稽で、それは信じがたい話であったから。彼女が、極限的な汚染環境にある地下構造体の更なる深奥、曰く、未踏査深度と呼ばれる場所の出身であるなどとは。
「薬はともかく、酒は入ってるみたいだけどな」
「抜かせ。まったくふざけた女だ」
 アランが知る限りの知識で比べてみても、地下構造体の深部など、空想上にある地獄の方がいくらかましに思えるくらいだ。そこからの出身者を名乗ることは、地獄の底から蘇った、と冗談めかして嘯くことと、さほど大差のない妄言だった。
 ──ともあれ、アランが彼女を信じたのは、それが理由の一つでもある。
「まァ、でも、それが嘘なら……、もっとましな嘘があったはずだ。何の根拠もなしに超過兵装を扱えると聞いていたら、信じなかったよ。そうだろ」
「さあ。どっちにしろ、お前が言うほどの価値があの女にあるとは、俺には思えねえな」
「そう言うなよ。それに、価値ならあるさ。それはもう充分にね。……だって、なあ?」
「……なんだ。その目配せは」
「彼女はさ、なんていうか、ほら」
 その言葉が果たして、ヘイトレッドを怒り狂わせるか、興醒めさせるかをひととき逡巡したあと、アランは結局、後者を期待することにした。
「いい女だろ?」
「……はァ?」
「いや、娼婦って風でもないのにさ、傭兵にしちゃ妙に色気があるというか。かといって下品ってこともないし、変に粗野でもない。ブランデーの臭いのせいかな。口調は堅苦しくてあれだけどさ、ちょっと気の強い感じがするのも悪くないよな。むしろ良い」
「……お前は何を言ってんだ……」
 ヘイトレッドが呆れ顔になったのを見て、どうやら成功したようだ、とアランは笑みを深くした。この男は結局、心を許すことなくして、一方的に利用するという形でなら、信用のならない人間であっても傍に置くのだ。彼の信ずるものが、唯一の相棒である自分と、その相棒が口にする聞こえのいい言葉であることを、アランは知悉していた。
「それぐらいに考えておけってことだ。ヘイト。どうせなら刺激的にやろうじゃないか。全部が全部、嘘だったなら、そのときは──」
 その言葉を発するのには、すこしの躊躇いがあった。
 アランは、いまのヘイトレッドほどには、彼女を人間的に軽視してはいなかったから。しかしアランは、話の結びに、この男の溜飲を下げるにはおそらく最も効果的であろう、それを選んだ。
「いっそ慰み者にでもすればいい。最初は、お前に使わせてやるさ」
 そういった悪徳の真似事が、この男を何より納得させることも、アランは知っていた。



 彼女に工場設備の一部を貸し与えてから、数時間が経とうとしていた。
 結局のところ、機体の外装から判断できることはそう多くなく、現状で改善が可能かどうか、具体的に何を改善すべきかという部分に話が及べば、機体の一部を解体せねばならないのは当然の帰結だった。彼女にまず外装から判断材料を集めてもらうよう促したのは、単なる時間稼ぎのためだ。
 外のテントで不貞寝を決め込んでいるヘイトレッドには無断で、貸与を了承した。二つ返事だ。元々そのつもりであったのだから。クレーンなどの重機が稼働する音で、彼が飛び起きてしまわないか内心冷や冷やしたが、それも杞憂に終わったようだ。
 診断は、つつがなく完了した。
「悪かったね。こんな時間まで」
 組立作業という証拠隠滅を終えた彼女を、アランは両手のコーヒーで出迎えた。機体の爪先に当たる部分に腰を下ろし、カップの片方を差し出したが、彼女にその厚意を受け取るつもりはないようだった。
「これがありますから」
 そう言って彼女は、ハーネスに吊した無数のスキットルのうち、一缶を手にとって翳してみせる。どうやら袖にされたらしい。が、スキットルの蓋を開けながら、彼女はアランから若干の距離を置いた位置に、言葉もなく腰を下ろした。
 休憩には付き合おうということなのか。アランは苦笑し、持て余したコーヒーは長話の燃料にでもすることにして、まずは事務的な話を口にした。
「診断結果はどうかな。ドクター」
 スキットルから唇を剥がし、一呼吸を置いた後に、彼女は答えた。
「──私の機体を奪って使うのが、この場所でできうる最善の解決法です」
 第一声からしてこれだ。
 アランは思わず、指先で目元を拭った。なんとまあ、皮肉めいていて、説教じみたこの物言い。身も蓋もないのなら、取り付く島もない。そのくせ言うことは痛烈に的を射ていて、痛む腹を容赦なくつついてくる。それが彼女に対する、初対面から一切変わることのない、アランの第一印象だった。
「ま、まあ、解決策はともかくとして……、こいつは結局、がらくた同然なのか?」
 絞り出すようにアランが問うと、肩口に赤髪の毛先を揺らし、おもむろに彼女は振り向いた。心なしか得意気な、薄い笑みを唇に浮かべながら、
「今まで爆散せずに済んでいたのは、あなたの整備が、あくまで可能な範囲でとはいえ、ほとんど完璧であったからですが、──いくら既存の廃熱部位に手を尽くしても無駄ですよ。もうわかっているとは思いますが」
 一瞬誉められたような気もしたが、どうやらそうでもなかったようだ。
 ともあれ、今まで機体に施してきた試行錯誤の繰り返しが、少なくとも的外れではなかったことに、アランはひとまず安堵した。苦労の甲斐あって、自分はどうにか、彼女のする話を正しく理解できている。
 認識が共通しているのならば、ことはそう難儀ではないはずだった。
「悪さをしているのは、やはり廃熱系統か、熱量制御だと?」
「悪さをしているわけでは。ただ、限界出力時に対応すべき廃熱機能の一切を、実際にはまったく動作させていないだけで」
 聞いて今度は、アランが得意気になる番だった。その話には心当たりがある。彼は熟考するような仕草を見せたあと、勿体ぶった訳知り顔を、わざとらしく念入りに作り、
「──脚部だな?」
「頭部にもあります」
 一言で袖にされた。
「……あの可動部はてっきり整備用だと……」
「その点については、すでに解決しました。起動シーケンスを書き換えておきましたから」
「え──」
「配線も繋ぎましたし」
 その、彼女にとっておそらくは善意であろうものが、アランの整備士としてのプライドに、強かな追い討ちをかけた。機体を解体させておいて今更ではあるが、実際に機体を稼働させるためのシステムには、何重にもセキュリティをかけておいたはずだった。工場設備を使わせてからこちら、いつまで経っても彼女から起動の催促がないことに、訝しさを覚えてはいたが、
「ロックが……、かかっていたと、思うんだけど」
「ええ。オペレーティングシステムの方には。ブートセクターには何も」
 アランは嘆息した。
 つい先ほどまでは、自分も決して腕の悪い整備士ではないという自負がどこかにあったものだが、どうやら整備士としてすら、彼女は自分よりいくらか優秀で、輪をかけて博識であるようだった。
 気休めにコーヒーを口に含んでみたが、思いのほか苦い。
「……しかし、書き換えが済んだなら、多少の改善は見られるんじゃないのか?」
「いくらソフトを更新しても、ハードがそのままでは意味がありません。そのための部品や、超過駆動時の出力に耐えうる資材を、ひとつひとつ揃える必要があります」
「君の機体には、それがすべて揃っている、と。……それで、さっきの結論かい?」
 彼女は何も答えなかった。
 物言わぬ赤髪の横顔から視線を剥がし、アランは背後に立つ機体から見て正対方向にある闇に、目を凝らした。埃っぽい暗がりの向こう、赤黒く、先鋭的な輪郭がそこにある。部分的な造型こそ違うものの、そのシルエットは、アランの背を預かる機体、《ブレイクスルー》のそれに、非常によく似ていた。
 完成された超過兵装。その運用に特化した、彼女の愛機だ。
 アランとヘイトレッドが欲する暴力の、まさに理想形というべきものが、冷厳な監視役であるかのようにこちらを睥睨していた。安物の盗人根性など元より持ち合わせてはいないが、そういった後ろ暗い算段を抜きにしても、あれが自分たちにとって過ぎた力であることぐらいは想像できる。
 あれは、あの赤黒い色をした暴力は、例えようもないほどに不吉だ。
 自分たちには、ただ目的を果たすために必要な力さえあればいい。しかし──、皮肉なことにアランはこれから、背後に立つ青黒い鉄塊を、可能な限り眼前の過ぎた不吉に似せなければならない。
 そのためには、
「やはり、部品が必要になるか。薄々そんな気はしていたが、市場に出回っているような代物では、おそらくないんだろうな」
 重くなった呼吸をアランが苦しげに吐き出すと、すでに飲み干したらしいスキットルを交換しながら、彼女は再び薄く笑みを浮かべてみせた。
「ある場所なら知っていますが」
「──なんだって?」
 アランがにわかに腰を浮かせると、カツン、と軽快な音を立て、空のスキットルが床に置かれた。彼女はそのキャップを、指先で撫でさすりながら、
「私の機体も、いつ十全でなくなるかというと、決して他人事ではありませんから」
 言って、今度は替えのスキットルをその横に置く。内容物を伴ったそれは先ほどよりも重い音がして、彼女の指先もそちらへ向いた。
「およそ代替品のある場所には、絶えず目星をつけています」
 彼女の指差すチタンスキットルの光沢が、アランにはまるで、情婦の裸体に浮いた汗のように、ひどく蠱惑的なものに見えた。
「その情報は、分け前に与れるのかな」
「別段、教えるだけなら。いくらでも」
「頼む」
 すると、それまでの饒舌さが嘘のように、彼女の表情から人間らしい温度が失われた。その仕草で、これから彼女の言わんとしていることが、決して安易な逃げ道などではないことを、アランは察した。
 そこはおそらく、逃げ道とは真逆の方向にある──、最悪の戦場に他ならない。
STCC直営部隊分遣基地」
 ……なるほど、慧眼だ。
 武力の総括的管理、並びに超過兵装の禁絶を謳い、領域全土からその痕跡を蒐集し、また一掃せんとする組織の懐ならば、およそ地上において獲得しうる専用資材のすべてが、そこに集積されていると言っても過言ではないだろう。超過兵装を忌み嫌う彼らは、それゆえに、超過兵装の運用に精通した専門家でもある。
 無論、その対処法も含めて。
「天敵の巣窟ってわけか」
 言いながら喉に流し込んだコーヒーの味は、もはや泥水のようだった。舌を這う焦げ付いた味に、アランが表情を歪ませるのにも構わず、飄然と彼女は続ける。
「超過兵装を完全に使いこなそうというのなら、超過兵装の対処に最も長けた彼らと、事を構えるほかはありません。ましてこちらから事を構えたとなれば、彼らの追走は想像を絶して苛烈なものになるでしょう。生半可な高望みは、状況を過酷にするだけです」
 説教じみた正論がますます苦々しくはあったが、アランは躊躇することなく、足下に置いた二つ目のカップに手を付けた。彼女の諫言は至極もっともな話ではあったが、アランに応じる気はなかった。
「そうは言うが、超過兵装無くしては、事を構えることすらままならないさ」
 応じるように、アランも飄然とした表情を作ってみせると、彼女はわずかばかりか不機嫌になったようだった。自身の忠告を無碍にされたからというわけでは、おそらくないだろう。単純に、彼女はアランの考え方が、逆説を並べてリスクから目を逸らそうとする姿勢が、気に食わないという風だった。
「そうまでして……、あんなものに拘る理由は何ですか」
 挙げ句、あんなもの、と来たものだ。
 アランたちが欲してやまない暴力の極限を、彼女はわけもなくそう吐き捨てた。実に耳の痛い問いかけだった。事実、超過兵装など、単に傭兵稼業を続けていく上では、重荷にしかならないものだ。ことに、それがありったけの火薬を詰め込んだ荷物とあっては、我ながら正気の沙汰とは思えない。
 敵に回すものが、あまりにも多すぎる。
 しかし、アランには、ヘイトレッドには、全人類、引いては全世界を敵に回してさえ、果たさねばならない妄執がある。
「復讐だよ」
 独り言のような声量で、アランはそう答えた。少なくともアランにとってのそれは、ただ一言口にすることでさえ、恥じらいが伴う類のものだった。
 神妙に語るほどの理由ではない。この世界は、往年のムービースターが演じるリベンジ・トラジェディほどに、劇的ではないのだ。人の死は、まるで石つぶてのように路傍のそこかしこに転がっていて、それにまつろう憎悪の数など、それこそ砂粒の数より多くある。そのうちの一粒となることの無意味さを、アランは骨身にしみて理解していた。そんなものは彼にとって、女を組み敷いて辱めることと大差のない、安物の悪徳に過ぎなかった。
 だからこそ、その安い悪徳をもっともらしく語るには、多少の感傷が必要だったのだ。
「家族と言ってはどうにも生温いだろうが、まあ、俺達のような悪党にも、その昔は帰る場所ってやつがあった。よくある話、ありふれた感傷の末路さ。だけど、他に無いんだ。何も無かったんだよ、俺達には。……君には理解できないかもしれないけど」
 己に残された人間性のひとかけらを、アランは、彼女に理解してほしがった。
 彼女は──、果たしてどんな顔をするだろうか。
 破格の暴虐ですら、あんなもの、と唾棄する彼女のことだ。品のいい形をした唇が、今に軽薄な自分たちの身の程を、手酷く悪罵してくれるに違いないと、アランは期待したが、
「いいえ」
 その意に反し、彼女は神妙な面持ちのまま、首を一振り左右に揺らした。
「理解は、しています」
 今し方出たその言葉を、自らの腑の底に落とし込もうとするように、彼女はスキットルを垂直に呷った。ほのかに漂う甘い香りに、しかし、その表情は物憂げに歪む。
 意外だった。
 悪徳に対する手前勝手な感傷を、彼女はどうやら、自身の過去のどこかしらに抱え持っているらしい。彼女の飼い慣らす怪物のような感傷が、不意に、雁首をもたげてこちらを睨んだ気がした。
 ……藪に蛇か。
 言いようのない不安に苛まれ、アランはこの話題に封をすることにした。今この場において改めておくべきことは、もはや一つしかない。
「基地を、襲撃しようと思う。君の話を聞く限り、それしか方法はないらしい」
「そうですか」
「俺とヘイトだけでは、おそらく生きては戻れまい」
「でしょうね」
「そこで、だ」
 アランは逡巡した。整備士としての診断を終えた彼女を、今度は戦力として味方の側に留め置かねばならない。気のない返事を繰り返すその口から、協力を引き出す口説き文句をアランは懸命に探し──、そしてそれはほどなくして、彼の口からまろび出た。
「話してくれ。もっと詳しく。……未踏査深度の話を」
 それがビジネスとして賢い提案であるとは、到底思えなかった。
「関係のある話とは、思えませんが」
 案の定、彼女は訝しげな顔をした。だが、彼女が場当たり的なビジネスなどでは靡かないであろうことを、彼女がまことに欲するものが何かを、アランは確信している。
「君を信用すると言った。だが、俺は正直なところ、君を信じようにも君を信じる材料に困ってる。だから俺が君を信じ、君が俺達を信じられるように、そうしてほしい」
「それが──、襲撃に同行することの交換条件ですか?」
 冷笑を浮かべた彼女の指摘は、ひどく鋭かった。彼女の率直な物言いを受けては、いよいよ腹を据えるほかはない。アランの口元には自然、笑みが出た。
「はは、理解が早くて助かる。まあ、甚だ割に合わない対価だとは思うよ。いくら考えてみても、君には何一つメリットがないからな。俺達だけに虫のいい話だ」
「酔狂の与太話に付き合うだけで、それが戦力の足しになる──、と?」
「辛いね。そう言われると、こっちも言い訳のしようがないが。君の存在なくして、俺達に先がないのは今ほど話した通りさ。実際、君から機体を奪うという、君の言った最善の方法を、俺達はあえて選んでいない。それが信用の足しにならないかな」
 顎に手を当て、細めた眼差しで宙を眺めながら、彼女は熟考し始めた。
 やはり彼女が欲しがっているのは、ひとときとはいえ、協調に足るパートナーであり、双方向の信頼なのだ。それが例え浅くてもいい。むしろ、浅い関係である方が望ましい。今ほどの自分たちが用立てられるなけなしを、アランは差し出したつもりだった。
 果たして、細めた瞼をゆるく閉じながら、溜息混じりに彼女は答えた。
「考えておきます」
「──じゃあ、決まりだ」
 及第点は得られたようだ。
 アランはたまらず、手拍子を一叩きして、彼女の傍らに身を寄せた。
「馴れ合いのためでなく、お互いの信用のために必要な話をしよう。君の故郷と、そして叶うのならば、……君が俺達の復讐に少なからず理解を示す、その理由をね」
 そう言って差し伸べた握手に、彼女は応じなかった。物言いたげな眼差しが、ひとときアランを睨んだあと、そっぽを向く。付け加えた最後の軽口が、少しばかり気に障ったのだろうか。
 ──違う。
 やってしまった、とアランは思った。右腕を支えにして身を乗り出し、無意識に差し出した利き腕は、左の手だ。もともと左の握手には敵対的な暗喩があるが、おそらく彼女が問題にしているのは、そんな形式的なことではないのだろう。
 彼女の左腕は、義肢なのだ。
 ボレロの袖から覗く、黒いベルトで幾重にも補強された機械的な筋電義肢。皮膚も肉付きもない外装を見れば、それが温度感覚や精緻な触覚を持たないものであることは容易に想像できた。所詮は流れ者同士、その身の程を思えば、実に些細な非礼ではあるが、気難しい彼女の機嫌を損ねるには充分だったようだ。
 にわかに気まずくなった空気を察して、アランは冷や汗を流した。
 何か、握手に代わるスキンシップをこの場で交わしておかねば、どうにも決まりが悪い。そこでふと、アランは彼女との間に、お互いが歩み寄る上での当然の共通認識が欠けていることを思い出した。
「ああ、そういえばさ、君の名前、聞いてなかったよな。今更だけど」
「ふ。本当に今更ですね」
 苦し紛れの話題に、彼女は呆れた笑みを浮かべる。しかし、アランの遅めの気遣いに応じることは別段やぶさかでないのか、これがそれほど辛辣な態度ではない。
 僥倖だ。アランは続けた。
「俺は、知ってるとは思うが、アランだ。アラン・スミシー。誰でもいい誰かって意味。名前がないのが、俺の名前だ」
「……そう、ですか。アラン」
「それで、君は?」
 アランが問うと、彼女の顔が再び物憂げになった。今度は何が気に障ったのだろうか。アランがそう逡巡するよりも早く、その表情はどこか戸惑ったような形になった。
「困りましたね」
「うん?」
「名前を呼ばれるのは、あまり好きではありません。私の名前は、口頭で呼ぶことには向いていない。地上の言語では正確に発音できませんから」
 いっそ泣きたい心境だった。どうにも彼女は、その容貌相応にというべきか、触れてはならない部分が多すぎる。まるで茨のような女だ。幸い不機嫌になってはいないようだったが、握手はおろか、名乗ることすらふいにされては流石にたまらなかった。
「何か、ないのか。通り名というか、便宜上の呼び名というか」
 重なる問いかけを聞いて、しばし顎に手を添えたシンキング・ポーズでいた彼女だが、
「ジェーン・ドー」
 不意に、ぽつりと、他人の名前を口にするような調子で彼女は言った。それは名前と言うより、ただの記号に近いものだった。名乗らない誰か、誰でもない誰か、謳われない誰か。すなわち、
「……俺と似たようなものか」
「かつて、私をそう呼ぶ人間が何人かいたというだけですが。ジェーン・ドー、あるいはそのイニシャルで」
 意外な共通点に、アランは親近感を覚えた。どの界隈にも得てして芸のない名付け方をする人間はいるものだが、その凡庸なセンスがもたらした接点に、アランは感謝した。
「名無し仲間か。悪くない。俺達にはそれがおあつらえ向きだ」
「では、改めて。私のことは──」
 そうして名乗った彼女の表情が、彼女の声が、どことなく得意気であったのを、アランは覚えている。
「JDと」
 その無機質な名前を、アランという男は、心臓が静止するまで忘れなかった。

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最終更新:2012年06月28日 04:15