医務室を出て、ACや戦車などが収まっている格納庫へと足を向けたムーシェは、
 なぜか顔がにやけていることに気付いて、自分の頬をぴしゃりと叩いた。
 今からすることはACを操縦するより何倍も苦しいことだ。長距離の単独偵察など、最後にやったのはいつだろうか。
 小隊を率いるようになってから、単独で動くと言うことはほとんどなかったし、第一狙撃兵は一人で動かない。
 ACよりも以前の相棒である、戦友たちの顔がふっと浮かぶ。
 無愛想な奴もいたが、なにも語らないACよりも彼らの方が何十倍も心の支えになる。
 単独行動というのは、すなわち自分との戦いにもなるからだ。
 孤立感に苛まれ、日に日に落ちていく体力に慄き、自分の限界点を冷静に見定め、気が狂うほどゆっくりと這い進み、
 じれったいほどの動きでスポッティングスコープを構え、見るべき奴を視界に捉え、周囲の状況をすべて記憶する。
 今の俺にできることだろうかと、ムーシェは少し考えたが、すぐにこう思った。
 いや、やれる。やるしかない。やってやる。こんなところでくたばる俺じゃないはずだ。

「お、やっと来たかよ」

 聞き覚えのある声に顔を上げれば、窓も屋根も取っ払って幾分かスマートになったハンヴィーにもたれ掛かっているスピアーズと、
 スピアーズの操縦する戦闘ヘリの射撃手を勤め、さらにはスピアーズのガールフレンドであるエレンの兄、エドガー・マクラクランが居た。
 ムーシェとスピアーズの3歳年下の21歳で、まだ年若いと言うのにディスプレイ越しにくそったれどもを見つけだし、
 戦闘ヘリの30ミリ・チェーンガンから多目的榴弾と焼夷榴弾をぶっ放して挽肉にする作業が恐ろしく好きな、
 空飛ぶフレディ・クルーガーみたいな奴だ。
 父親譲りの黒髪をそこそこ伸ばしていて、ハイスクールで学級委員長でもやってそうな生真面目な顔つきの割に、
 皮肉やブラックジョークを好んでいる。これはスピアーズの影響かもしれないが、もともと人の意表を突いて慌てさせるのが
 得意だったらしく、今では立派にダガーみたいに鋭い言葉を飛ばしてくるようになった。
 もっとも、エドガーは階級や役職の上下関係信仰者でもあるので、俺が手酷く言いくるめられたことはないのだが。
 そんなわけで、いつもなら戦闘ヘリに乗り込む二人は、どちらも灰色のツナギというシンプルな格好で、夜と言うことを良い事に、
 かなりリラックスした様子だった。
 どういうわけかスピアーズもエドガーも揃ってにやにやと気色悪い笑みを顔面に張り付けている。
 なんなんだこいつらと、ムーシェは顔を顰めながら、落ち着いた声で言った。

「なにやってるんだ、こんなとこで」
「いやぁ、純情なシメオン・ムーシェ一等軍曹が例の彼女を押し倒しておっ勃ったライフルをぶち込むのかと思って待ち伏せてたんだよぉ」

 ゲへへへへ、と笑いながら「これが悪魔的笑い」とかモンティー・パイソンを真似た台詞を合間に挟むスピアーズの隣で、
 エドガーが思いっ切り吹き出し、腹を抱えて笑いを堪えはじめる。
 バカ笑いを続ける二人をジト目で睨みつけながら、ムーシェは眉間を痙攣させ、引きつった笑みを浮かべてその笑いに参加した。
 棒読みも良いところの笑いではあったが、三人の笑い声がコーラスするのはなかなか面白い光景だった。
 そしていい加減ブチ切れたムーシェが、スピアーズの眉間に鉛玉をぶち込むために、45口径自動拳銃を取出し、
 おもむろにスライドを引いて初弾を装填する。無機質で簡素で暴力的な音が、夜天に空しく響く。

「オーライ、スピアーズ。最期に遺言だけ聞いてやる。一言だけ言え。それで終わりにしてやる」
「ちょっ、まっ―――!? ジョークだってよおいィ!? 冗談通じないのかよこの南部出身者!
 婚前交渉は地獄に落ちんだぞおい!! 知ってんのかコラおらぁ!?」

 ムーシェに制止を求めつつ、さらりと逆ギレし始めたスピアーズが捲し立てるように言う。

「知ってるが、俺はそこまで信仰深くはない。というか、エレンに手も出せないお前が言うな。○○ついてんのかお前」

 スピアーズに拳銃の銃口を突き付けながら、ムーシェが至って平静な声で言う。
 フェイスペイントに覆われた顔に二つだけ、ぎょろりと白く見える目は、全然笑ってない。

「ひぃー……ひぃー……は、ははぁっ。あー、笑った笑った。あ、そうそう五等准尉殿。
 この実の兄がやっちゃっていいって言ってるのに、なんでエレン抱かないんですか?」

 笑いのツボを突かれて笑死しかけていたエドガーがエレンと同じ鳶色の瞳を好奇心に光らせながら、隣であたふたしているスピアーズに詰め寄る。
 エクシーレのオペレーターを勤めるエドガーの妹のエレンは、エルフィファーレよりも背が小さく、
 真面目そうな言葉遣いからも小動物のような印象を受ける。童顔であるというのもポイントだろう。
 クーデター後の数カ月で二人に何があったのかムーシェは知らなかったが、気付けばガールフレンドとボーイフレンドという仲になっていたのだ。
 それから数年と数カ月たった今に至るまで、どういうわけかスピアーズはエレンに手を出していない。
 プラトニックと言えば聞こえは良いが、傍から見ればどうしてかと疑問が湧く。
 手酷い切り返しを喰らってか、スピアーズはおろおろとした顔でエドガーを見た。
 この野郎、裏切りやがったなと、表情だけで言いたいことが分かるのもスピアーズの特徴だろう。
 ムーシェは『やってやったぞ?』という笑みを浮かべながら、このままこうして馬鹿話に浸るのも良いなと思った。
 だが、そろそろ行かなければならない。夜が明ける前に、奴の近くまで辿り着かなければならないのだ。
 顔を真っ赤にしたスピアーズが「俺は純情なんだ! すべては結婚してからなんだよ!!」と騒ぎ立てるのに、
 エドガーとムーシェはきょとんとした顔をして、すぐに笑い声をあげて腹を抱えた。
 さらに真っ赤になったスピアーズがむすっという顔をするのを見ながら、目に浮かんだ涙を拭い、ムーシェは笑いの余韻の残る、
 にやにやした顔で、軽く言った。

「ははは……まったく、おもしろおかしい友人を持てて俺は嬉しいよ。でも、もう時間だ。俺は行ってくる。留守の間、このキャンプを頼んだ」
「人のこと散々に言っておいてそれかよぉっ!? …………ま、てめえに頼まれちゃ断れねえけどよ。そうだろエド?」
「ムーシェ軍曹に頼まれたんじゃあ断れない。なんたって、フラグ大量生産中だから、
 それをベッキベキに圧し折って帰ってきてくれるのを期待してるんだ。俺とスピアーズ五等准尉殿は」

 どちらもにやにや笑いを顔に張り付かせながら、腰に手をあて、冗談めいた口調で言った。
 これが彼らなりの見送り方だということを、ムーシェは良く知っていた。
 どれも何時も通りだ。腐れ縁のスピアーズとコントのような掛け合いをして、最終的に二人で笑う。
 周りの連中もつられて笑う。そこに新たな仲間、新たな戦友が一人加わっただけだ。
 これまでもこうしてきた。そしてきっと、これからもそうするだろうと、ムーシェははにかみながら思った。
 狙撃手はいつだって迷信深い。ジンクスを忘れない。それが自分を救うと信じている。
 だからムーシェは信心深い。教会には十年程行っていないし、決して好きではなかったが、神という存在は信じていた。
 けれど、進化論や廃絶主義者ではない。ムーシェは今、狙撃手というだけだ。

「だから帰ってきてくださいよ、ムーシェ一等軍曹。あなたに死なれちゃ、あなたに助けられた連中にきっと恨み殺されちまう」

 しばらく間を置いて、鋭い眼差しでムーシェと目を合わせながら行ったエドガーは、それだけが言いたくてここに来ていたらしいと、
 ムーシェには分かった。今までのは前座だ。本気で伝えたいことは、本気で伝える。冗談はふざけて伝える。それが暗黙の了解だった。
 エドガーの言葉に「ああ、そうだろうな」と相槌を打ったムーシェは、さてお前の番だぞ小僧、とでも言いたげな表情を浮かべながら、
 スピアーズと顔を合わせた。気さくでムードメーカーな戦闘ヘリパイロットは、笑みを浮かべながら、しかし目だけは笑わず、
 ムーシェの肩を叩き、見送りの言葉を送った。

「行ってこいよ、兄弟。俺は待ってる」

 ムーシェはスピアーズの肩を叩いて、微笑みながら言った。

「オーライ、兄弟。俺は戻ってくるさ」

 見送りはそれだけだった。ムーシェは必要なものを詰め込んだハンヴィーに乗り込み、エクシーレを発った。
 これから先の道行を暗示するかのように、夜はなお深みを増していたが、狙撃手たちは夜を恐れない。
 夜とは、彼らの着込む夜間戦闘服と同じ意味を持っているのだから。





投稿者:狛犬エルス
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最終更新:2012年07月13日 01:37