ハンヴィーで大雑把に移動している時は、何も考えずにすむから良いと、ムーシェは思った。
辺り一帯は見渡す限り人の姿も、電光も見当たらない。目を潰すほどの光りを放つ捜索照明も、小さな太陽のように光り輝く照明弾もない。
ハンヴィーのエンジンを止めれば、世界から生物が死滅したかのような静寂がやってくる。風の音も、砂の流れる音さえも、ここにはない。
砂と夜だけが世界のすべてで、ハンヴィーとムーシェは、まるで異世界に迷い込んでしまったガリバーのように場違いな存在に感ぜられた。
事前に空気を抜いたゴムタイヤの御蔭で接地圧が高くなっているから、シフトレバーをローに入れさえすれば、
ハンヴィーは砂丘をなんとか乗り越えられた。
タイヤで砂を掘らないようにブレーキをかけながら――ブレーキランプにはカバーを掛けてある――ゆっくりと下りるコツさえ掴んでしまえば、
あとはスタックしないようにドライヴするだけだった。
砂塵から目を保護するためのゴーグルを身に着け、首に巻いたシュマグで口と鼻を覆っているムーシェは、
左手でハンドルを握り、右手でシフトレバーを握っていた。
装備品は
エルフィファーレと別れた時と変わっていない。
観測用のスポッティングスコープは、ハンヴィーの荷台で他の装備品と一緒に一纏めにされ、ゴムバンドで車体と固定されていた。
車体から伝わる振動で調整がずれてしまわないよう、スポッティングスコープと7.62㎜口径のボルトアクション式狙撃銃は、
パラシュート降下にも耐えられる丈夫な大型ハードケースに収納されていた。
それらと長距離行軍用のずんぐりとした大きなバックパック、適当な長さのパラシュート・コード、今は砂の入っていない砂袋、
砂漠に紛れるためのカモフラージュ・ネットと、ギリースーツが、荷台に置かれている装備品のすべてだ。
他にも燃料や工具なども積まれていたが、陸軍の兵器試験場にいる奴らが絶賛していた、対物ライフルの類は持ってきていない。
ムーシェはあの種の銃がことごとく嫌いだった。メリットがあれば使うが、あれにはメリットの割にデメリットが多すぎた。
対物ライフルは大きく、重く、かさばった。弾薬の口径が巨大化するに合わせて、一人あたりの弾薬保持数が減少した。
確かにあの銃は長射程を誇り、十分以上に破壊力もあるが、対物という名の通り人を撃つための銃ではなかった。
おまけにムーシェたち斥候狙撃小隊が50口径対物ライフルを使った時に宛がわれた弾薬は、
あろうことか武器倉庫の奥底に眠っていたと思われる機関銃用の弾薬だった。
もちろんそんなもので満足のいく精度を叩き出せるわけがない。
それ以来、ムーシェは対物ライフルというものが嫌いだった。
求められる性能があるなら使うが、あんなものが役に立つような状況は限られていたし、なにより通常の斥候任務には不要だった。
だから今回持ってきたのは、信頼できる7.62㎜口径ボルトアクションだった。
狩猟用ライフルから発展したこのライフルは、短足の小男を連想させる全体的に見ると小振りな長さの銃身を備えている。
この銃身は肉厚で重く、発砲時の反動を打ち消す利点があった。
堅牢で信頼性に富んだボルトアクションという古風な装填方式もまた、このライフルの評価を高めている。
手動で弾丸を装填するから、故障のリスクを背負わず、安心して撃つことができた。
安心して撃つことができるライフルというのは良いものだった。
任務遂行の上で危惧される給弾不良だとか、所謂ジャムに関することのほとんどを頭の隅から叩き出すことができる。
今回は単独偵察ではあったが、もしもという場合があるから、いざと言う時も問題なく作動してくれるライフルという後ろ盾は、
これ以上ない心強い味方となってくれる。
ライフルは、心の余裕をも生み出すことができるのだ。
ライフルが作り出した心の余裕はムーシェからしてみれば、とてもありがたいものだった。
狙撃手は傍観者であり、計画殺人者であり、観察者であり、芸術家でなければならない。
どれも張り詰めた緊張状態にあっては、ポテンシャルを十分に発揮することは難しい。
無感情に傍観し、計画的に狙撃計画を組み上げ、敵の要点を観察し、それらを総合的に整え、
狙撃と言う行為自体を芸術化しなければならない。
それを行うには、心の余裕が必要だ。
その余裕をライフルは作り出してくれる。
絶対的な物理法則と弾道力学、気象学をも貫いて進み続ける弾丸が、ライフルが、強靭な骨子となって震える心を支えてくれる。
それがムーシェにとって唯一の支えだった。
なんであっても、敵を殺すことのできる兵器であるならば、それらは皆等しくムーシェの相棒となり、手足となり、死の代弁者となる。
絶対的な死がムーシェの手の中にある限り、ムーシェは決して諦めようとしない。
ムーシェは抜け目のない男である前に、どうしようもないほど男であった。
惚れた女の前で強がり、格好つけたいのは、ムーシェとて例外ではなかった。