幾つもの砂丘を上り下り、スタックに怯えながら砂漠を移動していたムーシェは、目標の座標に近づくにつれ、
人為的な痕跡が多くなっていることに気づいていた。
砂漠と言うのは追跡にもっとも不向きな場所だ。砂上に刻まれた足跡や排泄跡などは砂に埋もれて消えていき、風は轍を吹き流す。
そんな最悪のシチュエーションばかりが転がっていて、追跡者はそれらに対し真っ向から戦わなければならない。
証拠が無くなる前に証拠を掴み、徐々に敵に忍び寄るのだ。
それを知っているのかいないのか、敵は痕跡を巧妙に偽装することなく放置していた。偽の痕跡を残してもいない。
敵は極普通に、コントさながらにバカ歩きをしているだけだった。
痕跡が残っているというよりも、この場合は散らかっていると言った方が良いかもしれないと思いながら、
ムーシェは砂丘の影でハンヴィーのエンジンを切り、運転席から飛び降りて、ハンヴィーの後ろに回った。
物言わぬ鉄の塊となったハンヴィーに幾何かの孤独感を感じながら、ムーシェは荷台から今回の任務に必要な仕事道具を下ろし始めた。
必要のないものは初めから積んでいないので、荷台の道具ほぼすべてを背負って行くことになった。
ムーシェは手慣れた様子で移動時に音が出ないように、装備品をバッグに詰め込んでいく。ちらりとムーシェが辺りを見回すと、
売り物にもならないジャンクがそこら中に散乱していた。
ジャンクの種類は多岐に渡った。なにに取り付けられていたかもわからない電子部品や、完全に融解した機関砲の砲身。
錆びつくまで使い古された突撃銃に、錆びて使い物にならなくなったボウイ・ナイフなどだ。
中には一際白い骨のようなものも見受けられた。野生動物の肋骨らしき骨や、背骨のような太い骨もあった。
大きな骨盤もあったし、丸くつるつるとした頭蓋骨もあった。それらが元々なんであったのかだけ、ムーシェは考えないようにした。
着々と装備を身に着け、ムーシェはこれからお目見えすることになる敵の素人振りに呆れ果て、
こんな奴らが
エルフィファーレを殺そうとしたのかと、冷めきった胸中で思った。
砂色のバラクラバを目元まで引き上げ、タクティカルブーツの紐を目一杯きつく縛り上げる。
ギリースーツに妙な偽装パターンが入っていないかを見える範囲で確認し、
各種装備を繋ぐベルトやベルクロテープ、ハーネスの具合を確かめた。
さてどうしてやろうと、ムーシェは全装備の点検を終えてから考えた。
そう考えながらも、偵察計画を脳内で組み上げ、追加出来うる限りのオプションを設定し、簡単な計画でありながら、
柔軟に対応できる作戦を組み上げた。
ムーシェはハンヴィーに砂を被せるなどの偽装を施しながら考えた続けた。
そして作戦主目的である偵察後、脅威を査定し、退路設定が妥当であると判断した上でなら、狙撃を決行しようと結論を叩き出した。
「行くぞ。相棒」
ハンヴィーを砂だらけにした後、ムーシェはバッグの横に括り付けた7.62㎜×51弾仕様のボルトアクション式狙撃銃が収納されている
長方形のバッグに触れながら、甘ったるい声で言った。
ムーシェにとってそれはAC以上に親密で、息の長い戦友だった。
政府軍の狙撃兵が好んで使っていたライフルで、ムーシェが最初に狙撃を成功させた時も、
この銃はムーシェの腕の中で、静かに硝煙を棚引かせていた。
艶消しされたサンドイエロー一色の狙撃銃は、同じくサンドイエローに塗装されたバッグの中に入っていたが、
弾薬はムーシェの戦闘服の内ポケットの中にあるケースに収納されていた。いざと言う時には、そのケースから砂粒一つ付いていない実包を
取出し、狙撃銃の薬室へ装填するだけだった。
いつもと変わらない空気を吸いながら、ムーシェは血流が良くなっていくのが分かった。
身体が心地よい熱を持ち始め、全身が準備完了と宣言していた。
極一部、眠っていて良いような部位についても、準備は完了しているらしかった。
単独で任務に就くのは久し振りだとムーシェは口元に笑みを浮かべた。すべてが懐かしく、すべてが自分を歓迎しているような気分だった。
風も湿度も、重力さえもがムーシェの味方となったかのような、そんな気さえしていた。
月はちょうど真上から傾きだした頃だった。
夜はまだ更けていくだろうと、ムーシェは脚を踏み出しながら思った。
夜が更けていくのは良い事だった。これからはじまる長く辛い行軍は体力と忍耐力だけが頼みの地獄になるし、目視での発見率がぐんと下がる。
それに寒さに対処する術はあるが、熱さだけはどうにもならない。
じっとしたままでも体温を保持する術をいくつか知っているムーシェにしてみれば、砂漠の夜はありがたかった。
ただしそれは天候的な見方をした時だけだった。
こうして一歩一歩を踏みしめて歩いていく作業を重ねることを前提に考えると、砂と言うのは厄介この上ない存在で、
同じような風景がどこまでも続いているのは精神的にもよろしくない。
青白い光でぼんやりと浮かび上がる砂丘と砂の波紋は実に幻想的ではあったが、砂ばかりで構築された景色であるが故に、
すべてが同じように見えて方向感覚を見失うこともあった。
平坦であると思えば急勾配の砂丘が突如出現することもある。
そういう時は無理をせずに迂回するか、急勾配を上るかの判断をしなくてはならない。風によって流れる砂丘は、
どこまで続いているのかすらはっきりとしないことさえある。
砂漠が恐れられているのはそのためだった。
熱さと不毛の大地はまだ可愛いものだが、砂嵐と砂だけの景色、そして砂丘が徐々に体力と正常な判断力を削り取っていき、
最終的に方向感覚と判断力をなくして死に至る。
砂漠のパトロールに歩兵が使われず、ハンヴィーや装甲兵員輸送車が使われるのもそのためだ。
歩兵単体ではリスクが高過ぎるし、歩兵戦闘車や戦車だと襲撃された際の損害が大きい。
使い潰しの効くハンヴィーや装甲兵員輸送車なら、リスクは低く、金は安くで安泰と言うわけだ。
だがムーシェのような斥候狙撃兵はその限りではない。
狙撃兵は時に指揮系統から外れて移動し、味方さえもその位置を知らされることなく、敵を射殺するため、
あるいは敵地の情報を入手するために行動する。
そのためにはどのような場所であっても方向感覚を失わずに行動でき、また見ず知らずの地形であっても可能な限り分析し、
それらを考慮したうえで入念に計画を練り上げ、敵に察知されることなく迅速に移動し、
冷静な判断力を持って状況を選択していかなければならない。
狙撃兵とはそのようなものだ。
意気込みだけで狙撃兵になれた男もいるにはいたが、多くは選抜射手止まりだった。
狙撃兵はどの戦場でも足りなかったため、政府軍時代にムーシェはあっちこっちの戦場を渡り歩くことになった。
今思えばそれが良かったのだろうと、ムーシェは軽く走りながら思った。
こんな場所で単独行動など、一介の歩兵に出来る仕事ではない。最高に抜け目のない計画殺人者である狙撃兵だからこそできる仕事だ。
おまけにやることは最初から決まっている。いつものように計画を練り、その計画を遂行するだけ。
バカみたいに走りまくり、隠蔽しまくり、這いずりまわって接近して、狙撃する。
やっぱり俺はこっちの方が性に合っているのだと思いながら、ムーシェは傾き始めた夜の中を駆けていった。
最終更新:2012年07月26日 10:52