《ノース・ポイント》駐屯地は《政府》支配下の《第9領域》における最北端の基地だ。周囲を荒野に囲まれ、遥か北の彼方に目を向ければ無数の連山がその存在を控えめに誇示している。嘗ては他領域からの侵入を監視し、侵入者の侵攻を阻止する最前線にある基地として相応の規模の戦力を有していたものだが、《政府》が成立してから半世紀近く経ち、その支配が確固たるものとなった今となっては最早見る影も無い。
長大な滑走路は電力を賄う為のソーラーパネルがずらりと並べられ、監視の目として役目を果たしていたレーダーサイトは錆び、支柱が半ばから折れているものもある。戦力に至っては戦車が1個小隊、2機の戦闘ヘリに加えて《シュペーアL》が1機に、現場で好き勝手改造された《シチート2》、そして僅かばかりの歩兵部隊だけだ。
辺鄙な場所にある底辺の基地。そんな場所だから、ACと共に士官学校から新任少尉が配属されると言う話は瞬く間に広まった。将来の幹部たる輝かしい未来が待っている筈の期待のホープが、何故この様な忘れられた場所にやってくるのか。好き勝手な推測と憶測とが飛び交い、しまいには日々の娯楽に餓えた兵達がその理由を賭けの対象にした所で、彼女はやってきたのだ。
女の軍人は珍しい。花形たるパイロット――それも最高戦力であるACの搭乗者なら尚更だ。とは言え、基地の者達が口を揃えて言うのは、その事についてではない。
何故こいつがそもそも士官学校を卒業できたのか。それほどまでに彼女は素行が悪かった。日がな一日煙草を銜え、基地内をぶらついてはただまんじりともせず日光に焼かれては長身をふらつかせ、かといって勤務態度が不真面目かといえばそうではなく、日々の軍務自体は明らかに手を抜いていながらも完璧にこなす。厭世的な光を湛えた――正確には光を湛えてすらいない――瞳で何処を見るでもなく、ただただ中年臭い仕草を繰り返す草臥れ擦り切れた靴底の様なこの女。名を《
クロード・デュバル》。この春士官学校を卒業したばかりの、齢21歳の新米少尉となる。
この奇妙な女が僻地の駐屯地に配属されて、既に半年が経過していた。
鍛え抜かれた屈強な肉体を軍服に押し込めた、口さがない連中に筋肉髭達磨と影口を叩かれる事もある《セルゲイ・ボリソヴィッチ・ポポフ》軍曹は、この道既に20年となるベテラン軍人だ。嘗ては花形たるACパイロットとして幾多もの戦場を闊歩してきた古強者だが、聊かつまらない理由により乗機を剥奪され矯正の意味も込めてこの地に配属されている不良軍人である。
然程人員の入れ替わりが激しくない僻地に、左遷同然に配属されて7年以上経過した現在の彼の任務は新米少尉たるデュバルの教育係だ。最も、その成果は控えめに見ても良好とは言えず、彼は僅かに戦略的撤退を始めた頭髪と共に、ほんの少しだけ頭を悩ませていた。比重としては頭髪の心配が9割を占める。
木枯らしの吹き始めた駐屯地の滑走路を10往復した彼は、制服の上衣とシャツ、ネクタイを小脇に抱えた上半身裸の紳士的スタイルで、ただでさえ暑苦しい肉体から濛々と湯気を上げながら隊舎へと帰還した。食堂へと続く廊下を歩く道すがら、設置された自販機の隣にあるベンチで目当ての人物を見つけて渋面を作った。
「いい身分であるな少尉よ」
脚をベンチから盛大にはみ出させて寝息を立てていたデュバルは、ポポフの声に小さく目を開いた。それから暫く天井を睨んでいた彼女は、緩慢な動作で起き上がり、長い身体をせむしの様に丸めると不機嫌そうに鼻から息を吐き出して頭を掻いた。
「首が痛ぇ……」
髪についた寝癖を手櫛で適当に整えながら首を回す彼女はといえば、不恰好の一言につきる。
碌にアイロン掛けされていない制服は皺が目立つ上に、シャツの襟はよれている。極めつけはネクタイだ。小剣の部分が大剣よりも長くなっていた。シャツの襟ぐらを豪快に開けている事もあり、しっかりと締められていない。
とんだ新米も居たものだと、ポポフは何故かモスト・マスキュラーのポージングをとりながら苦言を呈した。
「服の乱れは風紀の乱れ。性根が曲がると背筋も曲がる」
「そーっすね」
適当に返したデュバルは窮屈そうに丸めていた長身を伸ばして大欠伸を一発かまし、目尻に浮かんだ涙を指で拭った。それから懐を漁って煙草の箱を取り出し、中の一本を銜える。箱を戻すついでに携帯灰皿とライターを取り出した彼女は再び背筋を丸めた。
「他人事ではない。貴官の事である少尉」
「大丈夫っすよ、TPOは弁えてるんで。偉いさんが来たらシャキッとしますっての」
銜えた煙草を上下に動かしながら、アドミナブル・アンド・サイに移行した状態のポポフを上目遣いに見て鬱陶しげに返答したデュバルは、火をつけ紫煙を吐き出した。彼女の輝かしい未来が失われた原因は素行不良の一言にあった。ただ戦闘が上手いだけでは意味が無い。卓越した指揮が執れても関係ない。ある程度は己を偽り、外面良く飾らねばならないのだ。戦闘も指揮も、彼女は決して他者に比べて抜きん出ているわけではない。精々が事務仕事の速度が異様なまでに速い程度である。将来の将校たる身としては、聊か能力不足には違いない。ならば出世を目指しているであろう身としては、せめて外面だけでも取り繕って媚を売るなり、女である事を活かすなり何なりと方法はありそうなものだが、その点、彼女は不器用だと言えた。
これと言って好戦的でもなく出世欲にまみれている訳でもなく、一兵卒と言っても過言ではない扱いのデュバルが何を考えているのか、彼には理解が出来なかった。見事な流れでサイドチェストへと移行し大胸筋を揺らすポポフの内心を知ってか知らずか、彼女は暢気にわき腹を掻いていた。
「お。そろそろ昼飯だ。行きましょうぜポポっさん」
腕時計を確認して携帯灰皿に吸殻を押し込んだデュバルは、大きく伸びをして肩と首を回して立ち上がった。シャツのボタンをしっかり閉じ、ネクタイを締めなおしたが、彼女は何故かその場から動かなかった。
「食堂へ行くのではないのかね?」
「そんな格好で行く気ですかい」
サイドトライセップスのポーズで訝しんだポポフの上半身を光らない瞳で見つめたデュバルは、呆れた風に息を吐きながら、拳を脈動する大胸筋に押し当てた。先に一人で行かない程度の優しさはあるらしい。
彼が汗を引かせて衣服を身に着ける間、彼女は再び一服をして辛抱強く待っていた。
最終更新:2012年07月30日 21:35