戦場における食というものはそれなりに重要なファクターを占める。だが、平時における軍の食事の場合となると些か異なる様だ。ポポフは何度思ったか分からない。一度で良いから、政府高官が食べている様な天然の高級食材をふんだんに使用した料理を口にしてみたいものだと。
ナイフを突き立てる事すら苦労する、硬い安い不味いの三拍子揃った培養肉と格闘する彼を尻目に、デュバルはパンを千切って口に運んでいた。その動作は流れるように優雅であり、上流階級顔負けと言わんばかりに洗練されている。時折こういった上品な所作を見せる彼女が、何故ああもだらしないのか。禁じ手の秘技・大祖国戦争(切らずに噛み千切る)を使うか否かを悩んでいるポポフには疑問に思えて仕方が無かった。
如何な術を使ったものか、至極あっさりと肉を切った彼女は背筋も伸び、服に皺こそあるものの、それ以外に隙は見当たらない。できる、でもやらない。そんな捨ててしまった方が世のためになりそうなモットーを掲げている事など知る由も無い彼は、強敵との戦を一旦保留して付けあわせを襲撃し始めた。
「――なんでもデカブツが眠ってるとかどうとかで……おーい。聞いてますかいポポっさん?」
あらぬ方向からの襲撃に成す術も無く壊滅状態に陥ったヒヨコマメとジャガイモを主力とする混成部隊は、最後まで抵抗を続けたミックスベジタブル隊の全滅を以って戦闘終了となった。
勝利の余韻に浸る暇も無いまま、不思議そうに顔を覗き込まれ目の前で手を振られたポポフは現実へと帰ってきた。先程からデュバルが何か話していたが、殆ど聞いていなかった。デカブツ、という単語を手掛かりに記憶を漁っていく。そして答えに辿り着いた。
「うむ? あぁ、ビーハイヴを調査する部隊が近日中に来る、という話であるな」
《ノース・ポイント》駐屯地の近隣――と言っても目と鼻の先にある訳ではない――に存在するビーハイヴに、本部が調査部隊を派遣すると言う話を数日前に耳にした。最も、耳にした所で自分達に何らかの役割が与えられる訳ではなく、精々が装備の最終点検の為に敷地を一時的に使わせる程度だろう。不謹慎な事に、兵達の間では彼等の内の何割が帰還できるかを賭けの対象にしてすらいる。嘗ての都市跡は、決して只の廃墟等ではない。
「あんな所穿り返して何が出るってんだか。使えそうなもんは殆ど掻っ攫われてて、残ってるもんなんざ無いと思うんですがね」
口をへの字に曲げたデュバルの言い分は、半分は的を射ている。確かに使えるものは大半が回収されているだろう。だが、使えはするが回収できないものも中には存在するのだ。誰が何時頃何の目的を持って建造したかも定かではない巨大兵器。その脅威の片鱗を、ポポフは何度か身を以って体験した事があった。
「かもしれぬな。だが、暇を持て余した支配者は全てを制圧する強大な力を求めるものなのだよ――行き着く先に破滅が待ち受けている事も知らずにな」
「そんなもんに金かけるくれぇだったら、ちったぁ装備を充実させて欲しいですぜ。碌でもねー」
脅かす様に低い声音で言った彼の言葉を鼻で笑って、顔を憶えてすらいない《政府》の偉い方をデュバルは切り捨てた。彼女にとっては、当然の事ながらどうでもいいようだ。ポポフとしても同意見だった。だから心底嫌そうに吐き捨てられた碌でもないという言葉を、地下探索に金を使い装備の更新に充てない上層部に対するぼやきだと勘違いしていた。
「……こっちの仕事盗られて堪るかってんだ。冗談じゃねぇぞ……」
一息に珈琲を飲み干して追加の分を取りに席を立ったデュバルは、ポポフには聞こえない声で忌々しげに呟いた。その声音には、嫌悪や憎悪の入り混じった隠し切れない粘ついた負の感情が滲んでいる。それに気付かなかった彼は、空になったマグカップを持ち上げて暢気な声を彼女の背中に投げかけた。
「敬愛して止まぬ先輩である我輩にも、珈琲のお代わりを持ってき賜え」
「敬愛してねーんで却下」
「コーフィープリィィィイイイイイズ?」
「あーあー聞こえねー」
「コォーフィィィーーープリィィィィィイイイイイイイズ!?」
「煩っせぇ!」
食後の一服は、同時に午後の時間潰しでもある。食堂の外に設置された錆びの浮いた赤い安全灰皿の隣で、燃焼する葉巻から立ち昇る煙を目で追いながら、鋼のように硬く鬱陶しいほどに盛り上がった上半身を惜しみなく曝け出しているポポフは、雲の切れ目から覗く陽光に目を細めた。不意に風が吹き、紫煙から微かに漂うナッツの香りに鼻腔を擽られた彼は大袈裟な身振りと共に大きなくしゃみをした。
「ハ……ハラショッ! ショッ! ショバババ……!」
奇妙なポーズで数秒固まり、前傾姿勢になった身体を戻した途端、後頭部に走った痛みにポポフは思わず葉巻を取り落とした。慌てて拾って吸い口を指の腹で拭き、三秒ルールであるぞと呟いて安著の吐息を漏らした。そして、自身が名誉の傷を負う原因となった事件を思い浮かべた。僅かに10分前の事だ。
デュバルに胡椒瓶を投げ付けられ、お代わりの珈琲を結局自ら取りにいく羽目になった彼は、思春期の娘にお父さん臭いと言われて靴下を割り箸で抓まれた一家の大黒柱の如く落ち込み、数秒ほどいじけた後憤慨した。今こそ威厳を見せる時と、押さえきれぬ憤怒をクラウチングスタートからのフライングクロスチョップとして噴出させたが、接触まで後一歩の所を踵落としで撃墜されてしまったのだ。しかも挙句の果てにはそのまま踏まれるというオマケつきだ。非常にけしからん事に、あの中年臭い死んだ魚の目をした不良新米は先輩兵士を床扱いしたのだ。
「我輩には祖国がある! 負けられぬよ……!」
そんなものは何処にも無いが、気分的な問題でそう叫んだ彼はダブルバイセップス・フロントのポーズを取った。はち切れんばかりに盛り上がった上腕二頭筋。脈動する大胸筋。飛び散る汗。暑苦しい笑顔。誰も見ていないのは幸いだった。見てしまえば、きっと夢に出てくるだろう。悪夢として。
「我輩には、この極限まで鍛え抜かれた筋肉がある! 正面から抱きつき締め上げてくれる!」
普通にセクハラだったが、ポポフはデュバルを女としてみていない。基地内の大半の人間がそうだろう。彼女が止めてくれと懇願し、泣き叫ぶ様を想像して――しようとして出来なかった。何故だか、彼自身が股間を押さえて蹲っている。しかも根性焼きを受けている真っ最中だった。
「……股間をシュートでキーンときてジュッがオチであるな」
「なんのオチですかい?」
「ポポー!?」
背後からかけられた声に、ポポフは素っ頓狂な声を上げて大きく跳び上がった。大きな身体を縮こまらせながら振り返った彼を、デュバルは呆気に取られたように見ている。何をやっているんだこの肉達磨ッチョはと彼女が思ったかどうかは定かでないが、銜えた火のついていない煙草を上下に揺らした。
「な、なにか我輩に御用かね? ポポフの心は24時間何時でもオープンスカイであるぞ」
「いや、意味が解んねーっす。渡したいもんがありましてね。ほい、これどうぞ」
差し出されたのは、洒落たデザインの容器に入ったウィスキーだ。受け取り、貼られたラベルをしげしげと眺める。基地内のPXではまず見かける事の無い高級品だ。更生不可能と思われた彼女からの贈り物に、感極まったポポフは思わず落涙しそうになり唇を真一文字に引き結んだ。ここで泣いては古参兵としての沽券に係わる。元から無いという事実など、ビーハイヴの最奥区域に置き忘れていた。
煙草に火をつけたデュバルに対して、ポポフは余裕のある笑み――を彼本人は浮かべた積もりだが、傍から見れば顔面神経の発作にしか見えない――と共に居丈高な調子で感謝を示した。
「ほう。気が利くではないか。受け取っておこう」
「たまにゃあね。日頃の感謝ってやつっす。それとさっきの詫びの分も」
「ハラショー! うむ、漸く我輩の――」
「つってもそれ、私の部屋に置いてあったやつなんですがね。前居た人間が忘れたんでしょうな」
ポポフの顔に差した影が、とても人には見せられないものになった。記憶が正しければ、デュバルの部屋が使用されていたのは10年以上も前だった筈だ。期間自体は別に問題ないだろう。元々長期保存に耐えるものだし、未開栓の状態であれば期限など無いに等しい。温度も、それほど神経質になる事はない。問題は日光だが、さて、これは箱に入っていたのだろうか。
瓶の口に嵌ったコルクを、最小限の力で捻る。あっさりとすっぽ抜けた。つまり開栓済みである。先程の感動を返せ。ポポフは叫びたくなった。
「……我輩への感謝は何処にありや!」
だからカッと目を見開いて叫んだ。口から盛大に唾が飛び、ロックオンマーカーが変化していないのに至近距離からぶっぱされたデュバルは物凄く迷惑そうな顔をした。
「きったね!」
「汚くはない! 我輩の唾液はフローラルフレグランスである! だから感謝し賜え!」
「察し悪ぃな……ようはその程度しか感謝してねーって事っすよ。つまり、んなもんはねー」
「なぬぅ!? 失敬な! 誠に失敬である! 我輩が貴官の教育に兵士生命を懸けていると言っても――」
「クソ。腐っちまったらどーすんだ……」
「話を聞かぬ二十代!」
ギリギリと歯を鳴らしたポポフだが、デュバルが服の袖で顔に付いた唾液を必死に拭う様を見てふと申し訳なくなり、冷静になった。正確には、彼女のその手が火の付いた煙草を持っている為何も出来なかったが正しい。分厚い装甲(筋肉)を易々と貫通する根性焼きは、やはり恐ろしいのだ。
「この後の予定は?」
「ねーっす。ポポっさんは?」
「我輩も無いのである」
縦社会の秩序に遠慮なく踵落としをする彼女なら、根性焼きだってするだろう。だから話を逸らした。
午後の哨戒任務――実際は哨戒任務という名の散歩に近い――は、今日はポポフ達の担当ではない。数ヶ月前までなら、基地内に居る時であっても事務仕事でそれなりに時間を取られていたものだが、デュバルがここに配属されてからというもの、彼の分は彼女に全て分捕られている。今日も午前の哨戒任務から帰還した後、恐るべき速さで処理してしまった。デュバル曰く、ポポフ達の仕事の速度はトロ過ぎて見ていられないそうだ。
「そんじゃあ……整備の連中誘って、脱衣麻雀でもやりませんかい?」
「……誰が得をするのかね」
結果はと言えば誰も得をしなかった。デュバルは制服の上とシャツを剥ぎ取られたものの、喜ぶ物好きがいる筈も無い。そして、なんとも不幸な事に最終的にはポポフが全裸になってしまったのだ。見た者を絶望へと叩き込むおぞましき光景に、参加者は嘔吐した。男女の区別無しに。
最終更新:2012年08月02日 22:47