そのきな臭い噂を最初に語ったのは誰だったのか、正確にゃ誰も覚えちゃいない。
ただ……俺が最初にその噂を聞いたのは、夜の歩哨をやってた時で、本部中隊からはじき出されてきたトラヴィス伍長からだった。
鉄骨四本を地面にぶっ刺して、その上にトタンをつけ、土嚢を積み上げて壁にしてみましたって感じの検問所の中で、クソ不味い代用コーヒーの味に顔を顰めながら煙たい空にぼんやりと映る月を、これまたぼんやり見てた時だった。
「埋葬者(アンダーテイカー)って知ってるか?」
手巻きの煙草――中身が煙草でないのは明らかだったが――に安物のライターで火を点けながら、トラヴィス伍長ははにかんで見せた。
麻薬の売買が見つかって本部中隊から郊外の検問所に飛ばされてきたってのに、この伍長は未だにジョイントでこいつ――大麻を吸いやがる。
見た目だけならちょっと馬面気味の白人で良い男だっていうのに、麻薬と言うのは恐ろしいなと思い、俺はまたコーヒーを啜りながら、
「墓場の穴掘りがどうかしたのかよ」
と、吊れない相槌を打った。
しかし支給品の代用コーヒーはやはり不味い。
無難な味と言えば無難そのものなんだが、いかんせんカフェインが含まれていないのがきつい。
栄養価が普通のコーヒーより優れているって言う衛生中隊の言い訳はもう沢山だ。カフェインを入れろクソが。
「なんだ、知らないのかよ」
コーヒーカップを土嚢の上において、俺はトラヴィスがくつくつと笑い出すのを黙って聞いていた。
風もなにも吹いていないから、奴が吸った煙はトタン屋根にぶち当たって少しの間だけ検問所の中で滞留する。
気づいたらキマっちまってるってことになるんだろうなと思いながら、俺は昔遊んだゲームで埋葬者っぽいのがいたなと思い出して、そいつをネタに使うことにした。
「だから墓場の穴掘りだろ。ダンペイさんだろ?」
「ありゃ墓地の墓守だ」
と、トラヴィスが即答した。
幼い頃の記憶がもやもやになっていたことに自分の歳を考えさせられつつ、俺は溜息を吐くように言った。
「マジかよ。スコップ持ってるから穴掘りだと思ったわ」
「幽霊になって足が速くなったことが嬉しいらしいぜ、あのおっさん」
けけけ、と笑いながらトラヴィスが言った。相当キメちまったらしい。
「死んで嬉しいとか変わり者だな。っつか早すぎてフックショット取るの苦労したわ、マジで」
「ああ、まったくだぜ。ニ○テンドーも鬼畜だぜまったくよぉ。そんで話は埋葬者に戻るんだが―――」
スーッと、トラヴィスが一見煙草を吸っているように見える動作で大麻を吸う。
俺は新鮮な空気を求めて土嚢に肘をつけて、首をぐいーっと出来るだけ伸ばし、検問所から頭だけでも離脱させようとか変なことをしていた。
イル・シャロムも郊外となると電気が通ってないどころか、建物すらないのだから不思議なものだ。
まるで荒野から突然大都市が生えてきたみたいで笑えてくる。荒涼とした風景の中に、203㎜カノン砲のトーチカがなけりゃ、もっとクールだっただろうに。
「奴らの正式名称は政府軍第7首都独立防衛大隊所属第666戦術機動戦隊だ」
いきなりトラヴィスが呪文の詠唱を始めやがったので、俺はキョトンとして聞き返した。
「あんだって?」
「政府軍、第7首都独立防衛大隊所属、第666戦術機動戦隊」
よく聞いてみると、それはどこぞの部隊名らしかった。
「なんだそりゃ」
「特殊部隊だよ。通称が埋葬者。本部中隊じゃあ有名な話だぜ」
「本部中隊じゃ10って言う時にゃ1から言う習慣でもあるのかよ。第666戦術機動戦隊だけで充分だろが」
「長ぇ方がかっこいいんだよバカ。ネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲だってカッコいい」
「かっこよくねえよ卑猥だよ。そんなことばっか言ってっと岩山の基地に飛ばされちまうぞ」
煙草の煙とは微妙に異なる紫煙を吐き出しながら、トラヴィスは「岩山じゃあ俺の大砲も使えねえからそいつぁごめんだ」と笑った。
政府中枢都市イル・シャロム郊外ですら半ば島流しなのだから、地平線の彼方にある岩山の基地の評判が悪いのは当たり前だった。
岩山の基地と大雑把に呼称されているのもそれが理由だ。山の中にある基地なんて、まともな奴が行くわけがねえと言う事らしい。
大麻の灯油みたいな臭いのする副流煙から逃げようと、俺は見回りを装うためにライフルを手に取りながら適当に、
「ヤクやってるお前の大砲が、どんくらいなもんか疑問だがな」
と、すっかりキメちまったトラヴィスに向けて吐き捨てるように言った。
トラヴィスは一瞬きょとんとした顔をしてから、狂ったように下卑た笑い声をあげて、しきりに頷いていた。
面倒な奴だと思うが、頭がイカれてるユニークな奴だとも思う。あいつと毎日歩哨なんて死んでもごめんだが。
粗末な検問所から出ると、辺りの寂れた風景が目に飛び込んでくる。建物なんかヒトッツもない。あるのはトーチカくらいだ。
道路も土を押し固めたタイプでコンクリートとかアスファルトで舗装されてるわけではないし、街灯もない。そもそも電気が通ってない。
検問所の中はキャンプ用具のガスバーナーとガスランタンでそこそこ明るい。だが検問所を出れば、青白い月光だけが光源になる。
その青白い光に照らし出されている大地は味気ないにも程がある。荒野にぽっこりと飛び出た小丘のようなトーチカでさえも場違いだと感じる。
「畜生……なんだってこんなに寒いんだ。砂ばっかり飛んできやがるしよぉ……」
何でこんなのが仕事なんだろなと思いながら、俺は荒野を吹き抜ける風に、思わず首元に巻きつけているシュマグ――中東のスカーフのようなもの――で顔を覆った。
細かい砂や塵とを運んでくる風は厄介だ。だがそいつを防いでくれる検問所は、一人のラリった兵士が占拠しちまってる。
しかたねえよなと毒づきながら、俺はヘルメットに掛けていた防塵ゴーグルを下ろして、シュマグを鼻と口が隠れるように巻いた。
今日は寒い。明日の歩哨も面倒臭い。やることなすこと面倒臭いと思いながら、俺は溜息を吐き出して天蓋を見上げた。
そこにはこんな荒涼とした地面を見て何が楽しいのやら、キラキラお星さまがいくつも光り輝いていやがった。
「………はっ。キーラーキーラー光るーってか。見下しやがって。畜生。安月給笑ってんじゃねえぞ糞野郎」
お星さまに八つ当たりしながら、俺は自分の安月給に愚痴をこぼす。
ただの歩兵、しかも下っ端の下っ端の給料などたかが知れてる。独り身だからなんとか不自由はしないものの、家庭なぞ持った日にはえらいことになる。
一応政府軍は軍人が結婚した場合、軍人家庭用に一戸建てを都合してくれたり生活費を一部負担してくれたりはするものの、それでも自由に使える給料が減っちまうだろう。
「しっかし………埋葬者なんてのがいたら、月給いくらなんだつうーの……危険手当うはうはじゃねえか糞が……」
他にやることがないので愚痴りながら身体を縮めてなんとか保温に努めてみるが、吹きつけてくる風は容赦なんぞ知らん難敵であり、人様の努力なぞ眼中にないわけである。
いくら戦闘服が進化しようがしまいが、コートやニット帽なんかがなかったら寒いもんは寒い。でも現実は最悪だ。寒すぎてぶるぶる震えても給料は増えない。一方の体温は減るばかりだ。
部隊長に防寒着の調達を申告してみても予算の都合がつかないと一蹴りされ、そんなに寒いなら私物で代用しろと言われるこの状況。
最悪だ。金を使いたくないから申告してるっていうのに、軍も金を使いたくないとは。その使わなかった金は、結局議員さん方の懐に入るんだから、使っちまえば良いってのに……。
「あーあ――」
資本主義の世の中に、糞喰らえ。
共産主義の夢想家どもに、糞喰らえ。
俺をこんなとこに配属してぬくぬくと暖を貪っている野郎どもに、糞喰らえ。
とにかく、いろんなもの、ありとあらゆるものが糞喰らえだ。
畜生、畜生、畜生、と呟く。呟く度に空しさが増していくのが、なんだかすごく辛い。
「終わっちまえば良いんだよ、こんな世界なんぞよぉ……」
自分でも気づいていない内に泣いていたらしい。声が震えてやがる。涙声ってヤツだ。
女の涙声なら大歓迎だってのに、なに自分で涙声あげてんだろ、馬鹿だろう俺と思いながら、ごしごしと野戦服で涙を拭う。
その時に、駄目だこれは、と思った。酒か煙草でもやっていないと仕事にならない、と。そういや女のデリバリーサービスなんてしているのかしらん、とか。
ともかく、このままじゃダメだ。俺はそう思って頬をぱしぱしと叩いて、よし、頑張ろうじゃないかと自分に言い聞かせた。
空に星は輝いている。荒野は糞寒くて畜生だがなんとなく綺麗に見えないこともない。砲台はすげえデカい。俺は寂しい。でもなんとかなる。
そう言い聞かせながら検問所に戻ろうとした時、どこからか控えめなエンジン音が響いてきた。お客様だなと思い、俺は相棒がいきなり撃ち始めやしないかと内心焦る。
でもまあ、俺は無関係ってことにしておけばいいか。なにしろあいつはジャンキーだ。俺は無関係で正常な男だ。ただの下士官で、ただの歩哨。よし、これで良いだろう。
肩に掛けたライフルの重みを感じながら、俺はぶるぶる震えながら検問所に戻る。
こんな退屈な時間の為に兵隊になったんじゃねえよ、とか。
ジャンキーの相棒はまだ正常な判断力を失ってないだろうな、とか。
こっちに向かってきた車がいきなりハイビームを焚いて、アッラーがどうたらとか言いながらスピードを上げ始めているのはなんでだろう、とか。
そんなくだらないことを思いながら、俺はこれから先もこういう世界が続くと思っていた。
続かない
最終更新:2012年08月28日 02:29