砂塵を纏った無数の風が都市に蠢いていた。
むせかえるような熱気が路に擦り込まれ、そこから灰褐色の産声が濛々と立ち込める。砂に埋もれた建造物は救いを求める手のように突き出して、後ろめたい影をうねりに滲ませている。通りの多くは断裂されて、終わりも始まりもない迷路のように入り組んだ。
 渇きと荒廃の覆いは晴れることを知らず、どこからが都市で、どこからが広漠たる砂海なのか、その境界は曖昧だ。太陽もときより覗き込んでは、潰れた赤血球の色で嘲笑っている。
 音の境界も同じように曖昧だ。轟々という風たちの嬌声の中に、それとは全く別種の野生じみた連なりの音が混ざり込む。聴覚を這わせれば、獰猛な獣たちが我先にと駆ける音のようだ。甲高い声で何かを囁くものもいれば、かすれた声を苦しそうに吐き出すものも、黙々と蹄を低く打ち鳴らすものもいる。そんな調和のとれていない不協和音が、次いで歪な影が、砂に埋もれたスラム街を通り、疲れ果てた高層建造物の合間を縫っていく。砂粒たちはこの得体の知れない闖入者に自分たちの秘宴が知られてしまったことに震え慄き、叱声と罵声を浴びせ掛ける。
 道の人工皮膚を剥ぎ取り、踏み潰していく闖入者――彼女の脚は、無数の車輪を帯に巻いたものが両側に、戦車の如き形状を成している。胴は短く、厚い胸には金属の鈍い光沢を携える。その体は人類の手による創造物に相応しく、丸みを廃した直線的で無機物的な寄せ集めだった。
 しかし、手と指だけは人間のそれと同じく滑らかで繊細で美しかった。幾万にも及ぶ複合金属の筋肉はそれ単体では不気味な幾何学形でしかないが、複雑に絡み合い、交わることで蠱惑的な丸みを帯びる。柔らかな指先ではあったが関節は頑丈で、人類の発明の中で最も冒涜的な道具すら握ってみせていた。彼女の手は、目的を同じくして創られた他の人工物と彼女とを明確に区別する唯一の誉れだった。
 彼女の瞳の赤色が、一点、砂風の饗宴に淡く滲む。荒廃した廃墟の像が視神経を通り、胎盤を通り、胎児に知らしめる。
「どうなってやがる」
 彼は金属の羊膜に包まれて、外からは塵すら入り込めない過保護な窮屈さに身を捩った。外界を映す窓は眼前にあるが、その目と耳と鼻と口はまだ開いていない。光沢のある黒い顔貌は、光の加減でその内側が透けて見えることもあった。両手は二本ある棒状の器官を握り、人差し指は先の赤い部位に引っ掛かっている。足元の胎盤を踏み込むと、母は悩ましい心音を子宮に響かせて歩を進める。
「おい、誰かいないのか」
 電子窓に映る砂嵐に呼びかけた。
 纏う鉄の母〈メハシェファ〉の名。自身のあざな〈フェタス〉。与する組織〈バタリアンガード〉の名。そしてその目的を。しかし、呼び掛けに応じるものはない。トリガーを握る手が震える。死の街を映した電子の窓を横一線のノイズが撫でるように上から下へと落ちていく。
 兵士は何処へいった。戦場は何処へいった。戦争は終わったのか? 俺たちは負けたのか?
 都市には動くものはなく、ただ風と砂だけが我が物顔で闊歩している。
 メハシェファが建造物の林を抜けて高速道路の大河に出たとき、機体頭上で電子の目を光らせていたリコンが反応を捉えた。望ましいものではなかったが、確かに反応があった。敵性感知。
 フェタスはモニター上に表示されたコンソールを操作し、スキャンモードから戦闘モードを立ち上げた。画面上の外部映像が簡略化、代わりにヘルメットバイザーの内側にメハシェファの見る像が鮮明に出力される。内側側面に取り付けられた複数のカメラがフェタスの眼球の動きを察知、その流れに合わせてメハシェファの頭部が次いで上半身がゆっくりと向きを変える。目を細めると注視した範囲が拡大される。だが、砂の幕は厚く、広く、先を知ることはできない。ワイヤーフレームによる識別も距離が離れていては満足に機能しなかった。
 フェタスはフットペダルを踏み潰した。メハシェファは大きく弧を描いて前進する。ひび割れた路の真中に停止し、推測した方向へ身体全体を向ける。左腕のハウザー砲を構え、手に持ったガトリング砲を持ち上げる。
 暫くの無言の後、FCSが”それ“を捉えた。対応するのには十分過ぎる距離だった。フェタスは落ち着きをはらってコンソールを操作、巨砲に榴弾を装填する。一見必殺だ。褐色のもやに目を凝らす。

ばちり。


 認識すら許さない閃光が、フェタスの集中をずたずたに引き裂いた。
 仮想の視界に火花が散って、暗黒が広がった。頭部破損、視界同調解除。一瞬の出来事にフェタスはうろたえる。ばちり、と二度目の雷鳴が轟いて、機体が大きく振動する。
「ちくしょう! これは、これは――」
 毒づきながら、ペダルを蹴り上げる。メハシェファが全速力で後退する。ばちり、ばちり、ばちり。連続して路に炸裂する閃光を不規則な軌道を描いて回避する。暗闇だけを伝えるヘルメットを放り投げ、モニターを凝視する。砂とノイズの嵐の中で青い光が爆発した。グライドブースト。なんて、速さだ。ロックオンマーカー横の彼我距離を示す数字が滝落ちる。そして、砂霧の切れ間から白が覗く。
「やっぱりだ!」
 トリガーを押し込む。巨砲が三発の榴弾を吐き出した。着弾。爆ぜる業火が大気を無残に引き裂き、濁った渦潮をそこに生じさせる。流れの中心、目にあたる場所から雲煙が間欠泉のように噴き出され、砂粒を押しのけて立ち込める。暴虐のうねりが収まった後には鉄屑だけがあるはずだった。
 だが、このときばかりは例外だった。
 幾筋の雲をなびかせて人影が飛び出した。両脚器で美しい円を描くように脚を広げて空中を旋回し、メハシェファの上を通り過ぎていく。炸裂音が鼓膜を湿らせ、左側から建物の肉片が降ってくる。
 馬鹿な。ありえない。
 フェタスは驚愕を噛み締めながら、フットペダルを、左は踏み込み、右は蹴り上げ、メハシェファを旋回させる。優れたトランスミッションと電子神経が可能にさせる超信地旋回だ。一瞬の隙も与えず、相対する。
 噂に聞く“死神”は想像していたものより、ずっと美しかった。中空を漂う乙女。白銀の肌は湿り気を帯び、表面では雫が七色に煌めいている。四肢は柔らかくなびいて、風の道筋を弄んでいるかのよう。しかし、見とれている暇はない。ここは戦場なのだ。
 フェタスはほぼ無意識に榴弾を放った。回避する素振りも見せずゆっくりと下降していた死神に一発が着弾。やはり、業火混じりの白煙が膨張するも、リコンの反応は消えない。
「どういうことだ」
 渦巻く濛々たる煙や瑪瑙の火花を払うように体の節々から焔の翼を広げ、死神は砂の霞に消えた。直後、閃光がメハシェファの左腕接合部を貫き、巨砲を熟れすぎた体からもぎ取った。汚れた子宮が恐怖に揺れ蠢き、未熟児は四方に体をぶつけた。
 痛みに堪えながら、トリガーを握り潰す。クランクが猛転し、機関砲が吠える。火線は途切れることを知らず、敵を穿たんと駆け抜ける。だが、死神は焔の翼を打ち振るわせて廃れた塔と塔の間を右に左に、優雅ともいえる足取りで舞い跳ねる。それでも食らいついた徹甲弾も、七色の衣に包まれた途端、碧玉に姿を変えて虚しくちらつくだけだ。そうした瞬きの空隙から鉄の王杓が地を這う鉄塊に向けられ、先から火花が炸裂する。瞬時、メハシェファの装甲の表面にショットシェル弾の弾痕が幾百と咲き乱れる。そして同時に推進弾が広範囲に撒き散らされ、爆発。周囲を赤に染める。
 ノイズに揺れるモニターの中で、五桁の数字が零に向かって逃走していく。メハシェファは分厚い外皮を纏っていた。同程度の威力の兵器ならば撃ち合いに負けるはずがない。最後に立っているのはいつもフェタスだった。一瞬見えた敵の姿はか細い。装甲は薄いはずだ。しかしなぜだ。重装甲のACですら悲鳴を上げる榴弾を、何度も直撃させたのに。なぜだ。鉄雨は止む気配を見せない。寧ろ、叩きつける雨音は激しさを増していく。
 焦燥に思考が飛び跳ねる。意味を持たない言葉が脳を圧迫する。嘘だ。死ぬ。殺される。俺は死ぬのか? 嫌だ。嫌だ。死にたくない。くそったれ。
 機関砲で牽制しつつ、グライドブーストを起動。メハシェファを急速後退させる。逃げなければ。逃げなければ。こいつは、化け物だ。
 メハシェファが最高速に達したとき、砂嵐の向こうから砲音が連続し、HEAT弾の一群が車両型脚の前部に次々と突き刺さった。爆発、炸裂、瓦解。メハシェファは慣性を残したまま宙を駆け背中から廃墟にのめり込む。ちくしょう。死にたくない。空中で揺らいでいた死神が叱責の雨を止め、加速、メハシェファに襲いかかる。フェタスは阻止するべく肩部ランチャーを展開しロケット弾を放つが、やはり、直撃する手前で七色の衣がその行く手を遮る。二次加速した推進弾でさえも不可視の膜を貫通することはなく、爆炎を虚しく散らす。死神は尚も速度を増して、膨張する雲を抜けると、その二つ脚を半壊した脚部に突き刺すようにメハシェファに覆い被さった。
 光輝そのものとさえ思えた先程の優雅さを捨て、砂とノイズの隙間から覗き込む死神の姿は、あまりにも醜かった。一切の粉飾を省いた箱のような頭が、家鴨のくちばしを彷彿とさせる胴体の上に生えている。その両側から、刺々しくひび割れた皮膚にびっしりと覆われた腕が伸びる。
 どこが乙女だ。フェタスは少しでも美しいと思った己を呪った。どこにも潤いはない、こいつは干からびた死神じゃないか!
 死神がその右腕を背後に隠し、また戻す。レーザーブレード。出力器の先からプラズマ粒子炎がひときわ大きく立ち上がり、褐色の世界に切れ込みを入れる。そして、身動きのとれないメハシェファの腹にゆっくりと差し込まれていく。
 永遠に錆び付くことのない光刃が、外皮を、羊膜を、胎児を、食い破る。ただその音だけが砂の霧に滲み、風に溶けていった。




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最終更新:2012年09月04日 04:15