無機質なコンピュータ合成音声の響きを確認しつつ、機体を急速で後退させながらにバトルライフルを発射していく。それを確認した敵機が回避運動に入ったのを機に、背後のビル群へとブーストを小刻みに蒸かしながら滑り込んだ。そのまま後退を続けながら、操作系統を片手で制御していく。通信系統を他方の手でオープンする。
「敵ACを確認した、“
ヤクトヴォルフ”だ」
舌のあたりがひりひりするのを感じる、その時点で、自身の意志がコントロール能力を失いつつあることがはっきりと分かった。混濁していく思考の端で、通信機から漏れるどよめきを感じ取る。
『……我々は大丈夫なのか!?』
「まともにやりあうべき相手じゃないのは確かだ。何の因果か普段チームプレイを信条としているはずのやっこさんが、単独で動いてるのが唯一の救い――」
言いかけたところで都市間連絡道路網を取り囲むビルの上方部分から、暗褐色の機影がちらりと見える。すぐさまバトルライフルとライフルを打ち込み牽制しながら後退を継続する。
グライドブーストを展開する傍らで、肩部のミサイルハッチを開放しておく。“ヴァラヴォルフ”は同じくミサイルハッチを展開しながらに、ビルの上部を蹴って、そのまま加速する様子を見せた。グライドブーストだった。
しかしこちらの展開のタイミングの方が僅かに早い。牽制射撃を開始した時点で既に起動させているのだ。急激な加速によって身体が捻くれるような感覚を覚える。遅れて追撃に移った機動力に劣るヴァラヴォルフは、ダメージを嫌ってか距離を一定に保ちながらに、携行ガトリングを牽制に撃ち放ってきていた。
守らないと、と思う。というか、それだけしか思い浮かばない。
意識が混濁していく。僕は一体何を守っていたんだっけ、と思う。思い出せない。でも、守らなきゃいけない。守らなければ、おそろしいことが起こる。
「それだけ分かってりゃ十分だよ」
そして、誰かの声が呟くのが聞こえる。とてもすぐ傍で聞こえる。がたがたと揺れている機体の荒っぽさも、凄まじい速度で映り変わっていくモニタ上の景色も、どこかしら自分とは遊離した他人事の風景のように思われる。
何も考えないようにしなければならなかったけれど、でも、どうしても何かが消えない。守らないと、守らないと、守らないと、守らないと。
ゆっくりと、他人事であった身体の各部の動きが、自分の意識に同期していく。モニタ上に映った、ビルの上を高速で移動していく暗褐色の影が一体何者なのかを、僕はゆっくりと認識していく。何かが、僕の意識の内側にいる何かが、僕の手を取りながらに、操縦系統と射撃系統を目まぐるしくも操作し続けている。
ゆっくりと、同期していく。しかしその同期が完全に満たされることはない。あくまでも、その同期はある程度の部分までに留まっている。
建造物の間の道路を疾走していくこちらの機体を見下ろすように、ビルの上部から上部へと暗褐色の敵機は移動し、要所要所で牽制を行いつつ、巧妙にミサイルポッドを使用する機会を伺いながらにこちらへの追従を続けていた。極めて移動経路が複雑であるにも関わらず、敵機の追従の速度は一定に保たれている。
こちらは、相手が多少なりとも速度を落としたり、あるいは進路上に存在するビルの影を避けようとしたりするタイミングを見計らって、ライフル兵装群による攻撃をしかけていく。戦闘距離がそれほど離れていないこともあって、それなりにこちらの弾丸が相手の装甲に傷を付けている。相手の曲面型装甲は、どちらかと言えばこちらが対応するに得手とするところのタイプであった。そして、そういった隙に乗じて機体をビルの間の通路へと潜り込ませることで、敵機がミサイルを使用する機会を徹底的に潰していた。
“ヴァラヴォルフ”が一度スピードを急激に減速させる。自身が足場として使っていたビル群に対して、突如として対応を変え、今度はビル群を射撃から自機を守る為の盾として利用し始める。
高機動戦闘に特化した中量二脚を相手に、追撃戦に打って出るのは旨くないと考えたのだろうか。
「輸送車両群から敵機を引き離すことに成功した。
いい流れだ」
僕は頷こうとするが、しかしどうにも首が強張っている。それであって、随分と口元からはリズムの乱れた呼気が漏れている。追撃を退けるのに必死であったということだ。
しかしすぐに呼気は調整される。リコンを適当に打ち放ちながら、敵機の位置が先程身を隠していたビルの影からさして移動していないのを確認する。
「接近を許したら一気に持っていかれるからな。しかし、それでも戦術的な条件ではこっちの優位だ」
僕は今度は頷こうとはしなかった。心中で同意を送るにとどめておく。
時間が経てば経つほどに、敵機が置かれている状況は悪くなっていく。敵機がこちらのACに気を取られている分だけ、移動していく輸送車両はイル・シャロムの輸送保護エリアへと接近することができるし、先程も確認した通り、機体の操縦技術に関する部分とは全く別の要素として、お互いが操作する機体の相性というものが致命的な戦術エラーを生んでいた。
その時、こちらの機体が、僕の意志を無視する形で動いた。
僕の表情を司る筋肉がひどく冷たく、その色を潜めているのを感じる。
敵機が身を隠しているところビルの側方へと回り込むような形でグライドブーストを使用し、加速する。さらに雑多なビルの側面部分を利用して、足場代わりに機体高度を跳ね上げた。
モニタ上に表示された映像において、ビル向こうでモニタリングされている“ヴァラヴォルフ”が極めて瞬間的な反応を見せる。高速で位置を変えていくこちらの機体をマニュピレータ上の砲口で追いながらに、ブースターを細かく使って機体の方向を調整していく。
その瞬間に、ビルの側方を大きく蹴って、急激な加速をする形でこちらは“ヴァラヴォルフ”の頭上へと躍り出た。
瞬間、膨大な量の弾丸がこちらの機体を打ち据える。被弾による警報音と大きな衝撃に見舞われる。それでも、機体制御コンピュータが自機の機動をどうにかコントロールしていた。
「くたばれ」
温度を失った声が、自分の喉から漏れるのを感じる。ミドルミサイルが肩部ハッチから飛び出した。
同時に、“ヴァラヴォルフ”の肩部からもミサイルが発射される。それに際してこちらは後退を選択しない。むしろハイ・ブーストによりミサイルと交差する形で前進し、更には高度を下げる。ミサイルの旋回角度の穴を突いた回避行動。
同時にヴァラヴォルフも前進している。意図を同じくした回避行動であり、上空から発射されたこちらのミサイルは、重量級のそれにしては幾分俊敏な機動により地面に突き刺さった。
しかしそれも織り込み済みだった。
にやり、と自身の表情に熱がこもるのが分かる。こちらもミサイルを回避しながら、前もって変更していた腕部武装の、三点射ハンドガンがこうべをもたげる。機体の頭上において急激な旋回に耐えかねたミサイルがビルの側方を吹き飛ばす。
自機が地表へと着地した後、旋回速度の差異をもってして、先早く相手の装甲を捉え、こちらの一方的な展開へと持ち込めるならば――。
しかし、次の瞬間には、こちらのハンドガンは放たれなかった。
些か拍子抜けの展開において、自機であるところの“ストレインジ”は、その動作を半ば停止させていた。
敵機がいなくなっていた。
予め打ち込んでおいたリコンが敵機の反応を告げている。それは、どうしたことか旋回した自機の正面などではなく、遥か遠方、しかも護衛対象である輸送車両の進行ルートともまた異なる――というかほぼ正反対の――方向へと移動していたのだ。
先程ミサイルを回避する為に前進した重量級は、そのまま“ストレインジ”から離れるようにと、ビル群の間を擦り抜けていったらしい。
明らかな、戦闘離脱を意図した行動であった。
ふっと、自分の筋肉にどこかしら親しげな感覚が戻ってくる。肉体が半分同期し、半分は制御下から抜けだしていたような奇妙な感覚は去り、そのギャップがどうにも自身を落ち着かないような気分にさせていた。
自分自身をコントロールする自由が戻ってきたことに思い当たる。
先程から自分に呼びかけていた声も、もう響いてこようとはしなかった。それから、はっ、と気付いて、慌てて通信系統を操作する。輸送車両へとクローズ回線を繋いだ。
「こちら“ストレインジ”」
そう告げると、通信機からは異様な緊張の篭った声色で、戦況を報告することを促す幾つもの発言が上がった。
僕はレーダーを今一度確認する。ミッションにおける作戦規定範囲内から、敵機を指し示すところの光点が脱していくのを、現時点において確認した。
「……敵機の領域外への離脱を確認しました。これからそちらへの合流を行います」
暫くの沈黙の後に、安堵を意味する声が幾つもスピーカーから出力される。幾つかの他愛のないやりとりをした後で、通信を切ろうとする。
『そう言えば――』
何かを思い出したかのように、老齢に達した調子の声が通信機越しに飛んだ。
先程接敵を報告してきた際に通信機に喋っていたのは、貴殿であったか、という意味の質問を彼は口にして、ええ、と僕が口数少なく返答することで、その場はそれで終わることになる。
僕は、通信をオフにした後で、一つ小さな溜息を吐く。
荒野を疾走していく重量級ACのコックピット内に、微かな通信ノイズの響きがあった後で、回線の繋がった気配が感じられた。
通信が繋がってなお、一瞬の沈黙があった。男はその通信機から漏れる気配に神経を集中させる。
『どうだったー?』
些か間延びした声に、狭いコックピット内で身を縮めるようにする頑健そうな男が、眉根を寄せた。
微かな沈黙の末に、再び口を開いた。
「ミッションは失敗だ。
前情報と条件が違い過ぎた。危険可能性を考慮した結果、エリアから離脱した」
『ふむ、ミッション提供のブローカーにも良し悪しがあるもんね、今度から気をつけないと』
こんど依頼元に抗議しとかなきゃ、と女性は短く言葉を継ぐ。
その緊張感を欠いた声に、ほとんど機体制御をオートマチックに移行させていた男はポリポリと顎の辺りを掻いてみせた。それから気を取り直したかのように、
「このミッションに参加する予定だった敵側の傭兵だが」
男がそう声を発すると、ん? と依然変わりない調子で女性は応答する。
「Dランクの平凡なミグラントと訊いていたが、こちらの動きに的確に対応してきた」
『ミッション前には、「一機で問題ない」って自信満々だったのにね。
分かってはいることだけど、不確定要素っていうもんはかくも恐ろしい存在だわ』
女性が何気ないように語る言葉に、男はあまり表情を変えなかったが、それでも黙り込んでいた。
くすくす、と笑い声が小さく通信機越しに聞こえる。
『最近は情報産業の低クオリティ化が進んでるのかもね。
まあ、新鋭のミグラントに気をつけるに越したことがないってのも確かだけど』
男は依然黙っていた。
『まあ、良いじゃない。たまにはこういうことがあっても』
男はその変わらぬ調子の声に対して、すぐさま口を開く。
「そうはいかん、今回任務成功率を下げることになったのは、俺の判断によるものだ」
『まあ、今度からはお互い気をつけましょ。
――それから、今日接敵したっていう例のミグラント。……
ブラウ、だったっけ?
近日中に査定の見直しがあるかもね、傭兵ランクの上昇が見込まれるかも」
女性はそうやって自分の分析した情報について述べていく。
その声に対して、男は表情を変えないまま、続く言葉を待っているようだった。