一人、また一人と生者の命が刈り取られ、死者の帝国が作り出されそうになっている状況下で、元中尉というちっぽけな男にできることはなんだろうか。
火傷しそうになるほど熱い砂の地面に長いこと伏せていたからか、身体はもう汗を流して体温を調整することを止め、さっさと蛋白質の塊になって死んでしまえと、太陽の光りが蛆虫と化した男どもを照らしている。
俺に出来ることは何だ。ギャング共は俺を見下していやがる。命令なんて出したところで従ってくれるわけがない。
だが、こんなことを何時までも続けていたら―――。
「ぅっ――」
ぺしんっ、という鋭い音と共に、小さなスコープをマウントした突撃銃を持っている男の首が抉られ、ばさりと倒れた。
ピックアップトラックの影に隠れていたのに狙撃された男を見て、他のギャングは男の倒れ方や飛び散った血肉の散り方などから推測される死角を探し、いそいそと身を隠し始める。
それはまるで、罰を受けるのが嫌で鞭から逃げ惑う、猿の様でもあった。
「ざまぁねえな……」
熱さで体力と正常な思考力がじりじりと奪われていくのを感じながら、元中尉はぱさぱさに乾いた唇を開いた。
俺をいつも見下していた奴らが馬鹿みてぇに怯えまくって、誰一人戦おうなんて考えてる野郎がいねぇ。口先ばっかで御託並べ連ねた上で、行動に移れもしないどうしようもねえ糞どもだ。
「ま……そういう俺も、ただ伏せてるってだけなんだがな」
自嘲気味のセリフを吐き出しつつ、元中尉は狙撃兵に対抗するための手段を考えた。
まず、ピックアップトラックに積まれている対空砲や対物砲だが、荷台が装甲化されていないため、狙撃兵を探し出す前に頭を打ち抜かれてアウトだろう。
射程と威力は充分合格点だ。機動力って点でも運転手がいれば問題ない。だが、走行中に狙撃兵を狙うとなると、確実性に劣る。殺す前に逃げられるのがオチだ。
残された手段は、自走式対空砲だ。23㎜対空砲を4門備え、完全に装甲化された鉄の塊。履帯で砂を掻き上げながら、時速40キロ程度で走行することのできる、挽肉製造機。
水冷式の23㎜対空砲は冷却システムに欠陥があり、持続的に弾幕を張り続けることはできないが、曳光徹甲弾と曳光焼夷榴弾のバースト射撃は、人間を挽肉に変えることなど造作もない威力を持つ。
加えて、ヴラジーミル一味の自走式対空砲には、戦車用に開発された赤外線暗視装置が後付で搭載されている。あれを使えば、狙撃兵を発見することも出来る筈だ。
だが、どうして自走式対空砲に誰一人として乗り込もうとしないのか。
答えは至極単純だ。動けば撃たれる。自走式対空砲に駆けより、ハッチを開け、足から中に入り込む。この三つの動作だけで、三回は死ぬ。
敵である狙撃兵は、完全にこちらを手中に収めたと言うことだ。今俺たちは、たった一人の兵士の掌の上で、蛆虫の様に這いつくばって、次に誰が掌から振り落とされるのかと戦々恐々としている。
しかし、奴は考えてもいない筈だ。掌の上で這いつくばっている蛆虫が、ふいに掌に噛みついて、その肌を食い破って鮮血を散らせるなんてことを、傍観者の殺人鬼は欠片ほども考えちゃいないだろう。
なら――やってやる。三度死ぬ可能性を背負って、一度も死なずに自走式対空砲に乗り込み、一方的に殺人を楽しんでいた糞野郎を見つけだし、23㎜対空砲のバースト射撃で肉片に変えてやる。
このくそったれ連中の中でもまだマトモな奴がいると奴が気付いた時には、すでに23㎜曳光焼夷榴弾と徹甲弾が奴の五体を引き裂き、その意識をこのくそったれな青空にぶちあげているはずだ。
じゃりじゃりとした口の中身を吐き捨て、元中尉は物陰に隠れて震えていた男が、右足の付根を吹き飛ばされるのを見て自走式対空砲に向けてダッシュした。
俯せの体勢から両手を踏ん張って身体を起こし、四肢を駆使して不安定な砂の大地を思い切り蹴り飛ばし、手で掻き毟る。四方八方に砂を撒き散らしながら、元中尉は遮二無二手足を動かし続ける。
前傾姿勢のまま自走式対空砲の影を目掛けて転がり込むと、頭のすぐ横を熱い物体が通り過ぎた。良かった、当たらなかったと、胸をなでおろしながら砂をはらうと、頭から汗とは違う赤い液体がどろりと流れ落ちた。
「あ………」
俺は死んじまったのか? でもまだ、脳みそが零れ落ちてきていないぞ。血だけだ。骨も脳みそもまだ頭の中に納まっている。掠っただけだ。頭の数ミリ横くらいを、銃弾がすっ飛んでたってだけの話さ。
そう、たった数ミリで俺は死んでいたのだと、元中尉は自走式対空砲の後ろに縮こまって恐怖した。短い黒髪を掻きむしって、声にならない掠れ声を上げ、無精髭を鼻水と涙で濡らし、しばらく恐怖に支配されていた。
元中尉が今まで殺されてきた連中と違ったのは、たった一つの点だけだ。見栄を張らず、ただひたすらに自分を下位に置くことで攻撃を避けていた。その均衡が今、崩壊してしまった。次から狙撃手は、俺を真っ先に狙ってくるだろうと、元中尉は慄いた。
そこで元中尉は、ギャングたちに死の恐怖が蔓延していることに気が付いた。その病は徐々に元中尉を侵食していき、本能的な逃避へと意識を傾けさせている。だがそうしたところで、死ぬだけだということは分かり切っていた。
「うっ、く……ひ、ぐっ……畜生……畜生っ!!」
どうすべきかは俺自身が知っているだろうがと、元中尉は震える足で自走式対空砲の車体後部によじ登り、素早く頭を出して砲塔上のハッチがどのように配置されているかを見た。
すぐさま頭を引っ込めると、砲塔の装甲に弾丸が命中する音と、あの鞭が打ち付けられた時の音に似た衝撃波が耳を貫く。頭をぺたぺたと触りまわして自分の無事を確認した元中尉は、ほっと息を吐き出した。
正直に言えば、無事とは到底言えないような様ではあった。頭の弾丸が掠った箇所からは未だに血が流れ出していて、それが頬を伝い、顎に溜まり、ぽたぽたと自走式対空砲の車体に落ちている。
冷や汗と血でぐっしょりと濡れた服は赤黒く染まっていたし、髪も滅茶苦茶に跳ねまわっている。手足は砂まみれであると同時にがくがくと震えており、それを見ると元中尉はすべての事柄を諦めたくなる衝動に駆られるのだった。
「……だめだ。だめだだめだ。まだやれるだろう………」
ぶつぶつと妄想に取りつかれたように呟く彼の眼は、ぎょろりと瞬きもせずに目には見えない何かを見ようとしている。
彼が取りつかれた妄想の産物が自分の死体であるか、狙撃兵の死体であるかは、彼しか知らない。
俺はきっとやれるはずだ。今までだってやってきた。こうやって命を掛けたことなんてそりゃそうそうないもんだが、今までだって充分すぎるほどやってこれたじゃないか。だから俺はできるんだ。きっとできる。できなきゃ、死ぬだけだ。
「発砲炎が見えたんだ……あの砂丘の上、ちょうどあそこさ……」
「ならあのおっさんが敵を引き付けてる間に荷台に乗り込んでやっちまおうぜ……受けた分、倍返しにしてやるんだ」
何やら車の後ろで縮こまっている奴らがひそひそと言い合っていたが、元中尉はそいつらに構ってやれる心境ではなかった。
頭の傷から流れ出す血が生々しく死を連想させる。一つの終わり、生命としての永遠の終わりがすぐ傍まで迫っていると言う恐怖が、元中尉には明瞭に感じ取れるようになっていた。
だが彼はマイナスに引き込まれると同時に、前へと脚を踏み出すことが出来なければ死ぬと言うのも理解していた。死への恐怖がそうして、マイナスからプラスに転じ、彼の背を銃口で急かすように突き回す。
どうにもならないのなら、どうせ死しか待っていないと言うのなら、俺が生きた証として、最期まで足をじたばたと動かして足掻きまくってやると、元中尉は息を吐き、吸い込んで、覚悟を決めた。
百発百中の狙撃兵などいない。俺の目論見をその銃弾で吹き飛ばせるっていうなら、俺の脳髄ごと吹き飛ばしてみろと、元中尉は気が狂いそうになりながら吐き捨てるように言う。
そして、彼はようやく気付いた。
狙撃兵は弾丸を命中させる機械ではない。奴とて人間だ。人間ならば、完璧であるはずがない―――と。
最終更新:2012年09月27日 22:25