オーダーミッションNo.051
【戦闘評価試験】
――ONE-WAY MIRROR
(投稿者:怨是)
レベッカは立ち尽くし、先程までの己の行ないに戦慄していた。暫くして口内に未だ居座り続ける味の残滓が何であったかを思い返し、トイレへと急ぐ。あんなもの、何故口にせねばならないのか。そも、AIへの切り替えは戦闘中のみという約束ではなかったのか。蛇口から勢い良く飛び出す水で、口をすすぎながら、レベッカは己の境遇に涙を堪えきれなくなっていた。
――全く、何が“お父様”だ。反吐が出る。
素の自分であればあんな真似をすれば他の隊員、特に同じ“ドウター”のコードを振られたドウター・ワンならびにツーの双子から、これからどんな眼差しを受け続けねばならないのか判断できた筈だ。改めて、こんな狂気の産物を頭に詰め込んでくれたグレイスら研究メンバーに対し、殺意を抱いた。
「げほっごほっ、おえ……」
ひとしきり口腔を濯ぎ終えると、すぐさま自室に駆け込み、荒げた息を鎮めようと奮闘する。レベッカの脳には、人格を切り替えてしまうAIデバイスが埋め込まれている。これが作動すると、レベッカの精神は歪められ、自我をデバイスのAIに奪われる。半年前にこれを埋め込まれて以来、レベッカは自らのアイデンティティを見失いかけていた。
「私はレベッカ……レベッカ・リンストン。ディアス・プレシア在住の学生、今年で17歳……両親共に健在、弟が一人……」
首筋を掻き毟り、脂汗に塗れた身体を冷却する。レベッカはそれから、端末を部屋の隅からひったくり、スリープモードを解除する。端末の液晶画面には、クソ喰らえのAIが見付けたらしい依頼文書が表示されていた。レベッカは忌々しげに顔を歪めながら依頼文の画面を閉じ、日記を書き始めた。書くべき内容は、全て別人格が記憶している。後はそれをレベッカの価値観で第三者的に分析し、書き連ねるだけだ。
「もうあんな物をしゃぶるのは嫌だ……」
多くのドウター達に“お父様”と呼ばれる、大佐という男は仮にも組織の最高司令官だ。その彼の脱ぎたての靴下を貪るようにして口に含むのは……衛生的にも、精神衛生上の観点からも、それ以前に人として危険だ。何故あんな事をしようとしたのか。感情は思い出せても、その時何を考えていたのか、記憶が曖昧だ。このデバイスの構造上の欠陥として、感情は鮮明に記憶できても当時の思考はたまに思い出せなくなるのだ。意図的にブロックされているのか、或いは一種のトランス状態になっていたのか。
一通り書き終え、精神がやっと平静を取り戻した所で、嫌な感覚がレベッカをせっついた。耳鳴りと共に、頭の奥底がざわつく。
「そん、な――また」
“彼女”が日に二回も来るのは初めてだった。身体中の細胞が熱を帯び、視界が歪む。眩暈と、背筋を何かが這い上るような悪寒が襲った。レベッカは急いで部屋を出ようとしたが、堪えきれず床にへたり込んだ。何処かで乾いた音がした。
「やめて、やめてよ……あんなの、私じゃない!」
変異はそれだけで収まらない。個室に備え付けてあった姿見に、変わり行く自分の姿が映り込んでいた。色素の薄いプラチナブロンドの髪はナノマシンの影響を受けやすいのか、すぐに薄紅色へと変色した。よく見れば、両目の虹彩にも紅い色が侵蝕してきている。
かつては亜麻色だった髪だって、薬物の影響ですっかり生気を失ってしまったエメラルドグリーンの両目だって、母親ゆずりのものだった。せめて身体だけは、自分の面影を残して欲しかったのに。
「あぐ……ッ!」
パイロットスーツの締め付けが強くなる。スーツ自体が縮んだのではなく、体格の変化によるものだ。有り体に云ってしまえば、男受けする体格へと変形させられる。小ぶりだった乳房は片手では掴めなくなる程に大きく膨れ、脈打ち、揺れながら耐衝撃ベストを圧迫する。肉付きの少なかった太腿や臀部も、それを包んでいたパイロットスーツの中でみちみちと音を立て、二回りも大きくなっていた。尻回りを覆っていたスーツのアウターが押し上げられ、股に食い込む。骨格も、あのグレイスの事だ。ナノマシンで無理矢理弄っているのだろう。骨の付け根が鈍い悲鳴を上げている。
「ひっ、嫌、あっ!」
こうも視覚的に自分が自分でなくなる事を示されると、焦燥感よりも怒りと絶望ばかりが胸中を占めた。なのに、何故だ。下腹が熱くなって、へその奥から圧迫感がやってくるにつれて、何かに期待しているような、飢えた感情が湧き上がってきてしまうのは。
「かっ……返して、私の――!」
両目の虹彩が紅く染まりきるのを最後に、レベッカとしての自意識は途絶えた。暫く俯いて、ひくひくと痙攣し続ける身体を緩慢に揺らしながら、寝ぼけたような気分で居た。次第にレベッカではない別の意識、アイリーンが覚醒する。
――“あたし”は、アイリーン。おはよう、みんな。
「んっ……オーケー、また上手く行ったみたいだよ。お母様」
アイリーンは身体中の痙攣が止むのを待たずに、頬を伝う涙を拭い、立ち上がる。この身体が先程まで表していた感情を、アイリーンは追憶した。記憶まで共有せねばならないのは何かと面倒だが、デバイスの仕様上、どうにもならない問題だった。
擬似人格AIというのはあくまで指定されたベクトルへと思考と行動を導くために、思考を調節しているだけに過ぎない。レベッカの意識が眠っているというよりも、レベッカの大脳新皮質による思考に、微弱な電流で脳内物質を促進あるいは阻害し、アイリーンとしての思考へと偏らせているという事だ。その為、記憶の分割は出来ず、感情に伴う記憶も、例えばレベッカが不快に感じた出来事があれば、それをアイリーンとしての頭脳で追憶する形になる。
悪影響が出るのはまず間違いないが、今の所、深刻なエラーは出ていない。これでデバイスの誤作動でも起きて理性が飛んだりしたら、素敵な世界へトリップ出来るかも知れない。想像して、アイリーンの口元は自然とにやけた。
「ぞくぞくする。濡れそう……おっと、妄想する暇は無かったんだ。さて、端末は何処だったかな……」
身体の主導権を奪ったのには理由がある。興味深い依頼が端末に載っていた為だ。何でも新顔シスターのテストをフルールドリスに任せたいのだとか。しかも、勝てばご褒美付きだ。本来であればシスター全員と話し合って決めるべきだが、度し難い程に香ばしい予感が、アイリーンを独断行動へと駆り立てた。
目当ての端末は、ベッドの下に転がっていた。やっと見付けた端末を手慣れた所作で動かし、依頼文を読み進める。
「戦闘評価試験……」
あった。間違いなくこれだ。サイハイブーツを脱ぎ捨てて、ベッドの上に寝そべりながら、アイリーンは続きを読む。
難易度: B 依頼主: 大佐 作戦領域: 廃棄区画 敵対勢力: フルールドリス新メンバー 敵戦力: 専用強化AC×1 作戦目標: 目標の破壊 概要:
新たな娘が誕生した。 先日調整が済んだばかりの娘だ。
データを見る限り腕は確かだが、念のため、直接その実力を知っておきたい。
彼女と戦闘してくれればいい。 手抜きを避けるため、報酬は勝った場合にのみ、 君たちの望むモノを与えよう。
使えない娘なら、処理するだけだ。 遠慮は全く必要ない。
では、よろしく頼む。 |
「へぇ……まだ、誰も受けてないんだ。しちゃおうかな、独り占め」
新しいシスターと戯れる、真夏の夜の夢……美味しそうな仕事だ。対戦相手である新たな仲間は無論、殺さない。処理など以ての外だ。たっぷり遊んだら、心ゆくまで可愛がってあげないと。
アイリーンは口元から垂れそうになる涎を舌なめずりで抑えながら、依頼受諾の手続きを済ませた。幾らかの打算はある。こうして抜け駆けすれば、他のシスターが必ず食い付く。彼女らの気を引いて、それを足掛かりに親睦を深める事も出来る。5番目のシスター、ルネ辺りはさぞかし面白い反応を示してくれるだろう。彼女は高飛車だと云われているが、あの態度は承認欲求の裏返しだ。
――あたし達はお父様、お母様と愛し合う為に生まれ変わった。そして、あたし達同士でも愛し合うべき。そうでしょ。レベッカ。
大脳新皮質の奥で蠢くレベッカの残滓を隅へと押し遣りながら、アイリーンは毛布の端を口に含んだ。パイロットスーツ越しに太腿を擦り合わせ、小さく、そして断続的に吐息を漏らす。この毛布は数日前、アイリーンが成り代わった折、薔薇の香水を何度もかけた。濃密な香りが鼻腔を満たし、劣情が下腹部をむくむくと突き上げた。
そのACは、切り立った崖の上の、かつては格納庫だった場所に佇んでいた。
黒と薄緑の色彩に支配されたコックピット内には些か異質な、チョコレート色の肌の少女が座っていた。彼女はおよそ年相応とは云い難い意地の悪い笑みを浮かべ、薄緑の明滅するコンソールに語り掛ける。
「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだぁれ?」
通常モードのAC、特に粗末なコンピューターを搭載した安物にはありがちなドットの荒い画面に、突如としてマタドールの様な姿をした骸骨男が現れる。これもまた大昔のコンピューターゲームを彷彿とさせるチープなドット絵で表現されていた。
《少なくともお前じゃないのは確かだ》
骸骨が口を開くと、しわがれた濁声がスピーカーから流れる。声音は心なしか呆れ気味だ。折角盛り上がってきたというのに水を差してくれるなよ、変態インポ骸骨野郎め。
「そこ空気読めよ……どう考えてもこの
ミュネカ様だろ……」
《うほぉい! ダッチワイフみたいにクチ丸くしやがる! いいから準備しろ。そろそろ馬鹿な鼠が引っ掛かる頃合いだぜ》
「安物のピクルス喰った後のクソみたいに月並みな台詞だ。臭くて死ねる。準備なんて、とっくのとうに出来てっから」
戦闘モードを起動させたら後は呼ばれて飛び出て上からブッ潰す。それだけの話だ。潰れかけた格納庫の、鼻の曲がる様な臭気にうんざりしていたのだ。さっさと済ませてシャワーを浴びたい。
《あ、そう。悪かったな。鼠はそっから1000m先だ。しっかりやってこいよ》
「はいはぁい」
アイリーンは、進路上に何機かのMTが立ち塞がっていた為、それらを愛機“アクトレス”で蹴り飛ばした。爆発で、夜の砂漠が少しだけ明るくなった。今回のアクトレスは短期決戦を想定して右腕にはパルスマシンガン、左腕には成形炸薬弾を使用するバトルライフルが搭載されている。また、いざという時の為にガトリングガンもハンガーユニットに載せた。肩部には自動捕捉ミサイルを内蔵している。情報通りの戦力であれば――とどのつまりタンク型ACでも出て来ない限りは押し切る事も充分に可能な筈だった。
アイリーンは、頭を覆うヘルメットを煩わしげに微調整した。ヘルメットは多機能型で、脳を衝撃から守る為に剛性も追求し、そのせいでやたらに重たい。
「情報じゃあ一騎打ちだったんだけどなぁ」
しかしながら、出て来る敵はMTばかりで本命たるACの気配が無い。探知機を飛ばし、付近を注意深く見回す。アクトレスのコンソールに映るのは、薄暗い月明かりに照らされた荒野だけだ。結局、シスター達は誰も一緒には来なかった。別の任務で出払ってしまっていた為だ。これでは抜け駆けした意味が無い。せめて
ニンバスでも来てくれたら、きっと優しく教えてくれたかもしれないのに。
そろそろ諦めて帰ろうかと思った、その時だった。探知機の一つが反応を示す。お待ちかねのACだ。
「……お父様?」
アイリーンはスキャンしたACの機影を見て、ふと呟いた。そのシルエットはあまりにも“お父様”こと大佐のAC、ビッグ・ダディに酷似していた。
しかし司令官たる彼が、わざわざ実戦テストを監視しに来る筈が無い。よくよく見れば、ACが偽物である事が解る。デバイスが、その宿主たるレベッカの頭脳から記憶を検索する。ビッグ・ダディの姿を真似て、尚且つそこそこに名が売れているのは、グランパドレと呼ばれるACだ。パイロットはテロ組織“
市民の友”の首領
テルシオ・ヌーメロ。バンガードからはエル・マタドールというコードネームで呼称され、唾棄すべき害悪として忌み嫌われている。
ここまでがレベッカの記憶の限界だ。ならばとアイリーンは、後頭部の接続端子から、機体内部の統合制御体にアクセスした。此処のデータベースであれば、周辺の情報にも手が回せる。初めからそれをしなかった理由は、まずは記憶を頼りに手掛かりを掴まねば、統合制御体に蓄積された膨大な情報量を絞り込めない為だ。
さて、そうして引っ張ってきたのが、ヌーメロの側近である少女ミュネカと、そのACであるセロ・イハだ。今からこれに“成り済ます”。理由は単純だ。データベースから得られたのは、ヌーメロは必ず彼女が付いているという事実であり、そして何らかの理由でアイリーンと出会わなかった。ならばこれを好機と捉え、利用させて貰おうというものだ。
「あたしはミュネカで、このACはセロ・イハ……ねぇ。あたしを、あなた色に染めて」
電気信号がケーブル内で脈動し、頭脳へと直接流れ込んでくる。奇妙な酩酊感と共に自我の境界が歪み、感情がフラットな線へと均一化される。アイリーンのデバイスは、この状況をレベッカが拒絶している事を認識していた。それでも、戦う為に身体を奪い、勝つ為に精神を人ならざるものへと変質させるのだ。遠慮する必要は一切ない。
徐々にアイリーンのパーソナリティが、ミュネカのそれへと書き換えられて行く。あくまで模倣に過ぎない為に記憶までは再現できないが、強化人間研究室の弛まぬ努力と、財団から提供された数々の技術は、ミュネカがどういった口調なのかを精密にガイドしてくれる。脳波パターンが近似値に達した事を、骨伝導ナノマシンによるアラームが報せた。
「……マスかきやめ。パンツあげ。R・リー・アーメイがクソバケツを叩くぜ」
敵味方識別装置までをも誤認させるホログラム併用型光学迷彩が作動し、コンソールの隅にアイコンが表示される。その隣にはボイスチェンジャーのスイッチが出現し、ミュネカの乗り移ったアイリーンは迷わずそれをONへと切り替えた。これでヘルメット越しに発せられる声は、ミュネカの声紋に極めて近いものへと変換される。
モニタには「100% Camouflage was completed」という文字が小気味良い音と共に表示され、偽装したACの武装についての説明書きが画面端のダイアログを流れる。パルスマシンガンはガトリングガンへ。バトルライフルはレーザーライフルへ。ハンガーの武装がグラインド・ブレードの皮を被っている。
「後はHEAT弾にファックされた風味を演出してと。イェー、完璧じゃん。これなら、スタン・ウィンストンも裸足で逃げ出すね」
通信の周波数を解析し、特殊な探知機を介して割り込む。何匹かのシスター共が使っていた電子戦装備が、この機体にもフィードバックされているのだ。この探知機は相手ACを探知できる程度の距離ならば、その通信周波数をハッキングし、選択した機体の通信を丸ごと間借りする。距離を詰められると電波の干渉により無効化されてしまうが、そうでなければ友軍機を装って近寄る際には極めて有効な手段と云えた。
「ただいま」
《やけに早いな。もう片付けたのか》
「まぁね。あの白んぼのデクと来たら、マッハで蜂の巣になりやがった」
《コックピットまでは焼き切ってねぇだろうな。肝心なのは中身だぜ》
ミュネカ=アイリーンは些かばかり狼狽した。彼らの目的はフルールドリスの撃破ではなく、捕獲だったのだ。捕まえて解析するつもりだろう。ACではなく、その中身なのは、比較的応用が利くからに違いない。
――オリジナル様はとんでもない事の片棒を担ぎやがる。心臓がセメントで固められてるに違ぇねぇ。
「当たり前だろ。あいつ、騙されてやってきた頭空っぽのクセに威張り腐ってさ。手前の血で化粧でもしてろって云ってやったわ」
この言動はレベッカの人格に影響されたのだろう。ミュネカ=アイリーンは特に何を意識するのでもなかった筈なのに、ドウター・ファイヴことルネの顔を自然と思い浮かべていた。困惑するミュネカ=アイリーンを余所に、ヌーメロは湿り気を帯びた哄笑を響かせていた。
《好都合だ。多少はオツムの足りない奴のほうが何かと扱いやすい。お前みてぇにな! ふはは!》
「黙れよ変態。とりあえず帰ろうよ。腹減った」
此処までは順調だ。ミュネカ=アイリーンはいつバレて背中を撃たれても対応できるように、後ろを警戒しながら帰路に着く。すると、早速スピーカを金切り声が支配した。
《――おい、あたしの機体、あたしの声、どうして何から何まで同じなのさ? エルミア・デ・ホーリーの真似事でもしてんのか! 偽物野郎!》
《ミュネカが二人? おほぉい、俺がマリファナを吸ったのは三日も前の話だぜ!》
これに関しては想定内だ。彼女が別行動を取っていたならば、必ず合流する。こういった事態には遅かれ早かれ突入していたのだ。ミュネカ=アイリーンは冷静な思考で機体を旋回させ、本物のミュネカ、本物のセロ・イハへと武器を向けた。
「だったら暢気に騙されてねぇでブッ殺しちまえよ。ちょっと出て来るのが遅かったな。クソ鼠が」
《穏やかじゃねぇな。偽物か本物かなんてのはこの際、どうでもいいだろ。纏めて潰しちまえばどっちかが本物だっただけの話だぜ》
これは想定外だ。まともでない奴だという事は知っていたが、此処まで頭のネジが吹き飛んでいるとは。
「はぁ?! 冗談じゃない!」
ミュネカ=アイリーンはすぐさま抗議した。
《面白そうじゃん。でも、手ェ出すな。どうせやるなら、タイマンだ》
《好きにしろよ。どうせ両方連れて帰る事になる》
ヌーメロはそう云って了承していたが、手出しをしないとも限らない。彼の発言からは、漁夫の利を狙って機体を破壊し、この身体を分解して調べるという事も考えられた。それは拙い。秘密が外に漏れれば、よしんば生還しても只では済まされない。このまま、どさくさに紛れて逃げてしまうべきだろう。馬鹿正直に相手をしてやる必要は皆無だ。
「アバズレは一人で充分なんだよ」
ミュネカ=アイリーンは容赦なくトリガーを引いた。偽装セロ・イハ――アクトレスの右手に持ったガトリングガンから、パルス弾が放たれる。これも欺瞞装置により、相手のモニタに実弾兵器と誤認させる。機体はホログラムでどうにでもできるが、弾薬に限っては肉眼で目視した場合、誤魔化しが利かない。なので相手のモニタをハックし、視覚効果を弄るのだ。処理能力の限界から全く別方向には弾を飛ばせないものの、弾道の似ている武器さえ装備していればそれなりに化かせるだろう。
実弾は不可視の爆発を伴って、対する本物のセロ・イハの装甲を焼く。ミュネカ=アイリーンの目論見通りだ。奴はガトリングの弾だと思って最低限の回避しかしない。
本物のセロ・イハが左腕のレーザーライフルを横薙ぎに振り払う。アクトレスは大きく仰け反った。その隙にチャージされていないレーザーライフルが本物のセロ・イハより放たれ、アクトレスの左腕を吹き飛ばした。
「クソが……!」
損傷箇所を境に、光学迷彩が途切れる。ミュネカ=アイリーンは舌打ちした。
《なるほど、そいつがタネと仕掛けって事か。作戦変更だ。こいつも持って帰ろうぜ》
《あいよ》
バレてしまっては仕方が無い。かと云って、別の人格へと切り替える事は出来ない。あれを行なうと隙が生まれる。安全が確保されるまでは、ミュネカの機体、ミュネカの精神パターンのまま戦わねばならない。こうなったらひたすら逃げ続けるしかない。まずは偽装パターンから外れた構成を無理矢理作り出し、ジェネレータの限界出力を利用して飛び続けねば。
突如、切り立った崖の上から何本もの光条が砂を焼いた。グランパドレ、セロ・イハ、アクトレスの三機はそれぞれ飛び退き、それからレーザーの飛んできた方角を見やる。
バンガードのAC部隊が六機も、レーザーキャノンを構えていた。それを見るなりグランパドレとセロ・イハは凄まじい速度で飛び去った。特殊探知機の範囲から外れてしまった為、彼らが何を語らいながら逃げたのかは解らず終いだ。
暫くして、AC部隊の隊長と思しき青い機体から通信が飛んでくる。
《私は内通者の消去を命じられていた筈だが、これはどういう事だ?》
――そりゃこっちが訊きたいよ。
アイリーンはまだ頭の中がミュネカになっている為に、危うく口を開きかけた。今なら安全だと判断し、AIサポートを解除する。頭蓋の内側に貼り付いていたミュネカの成分が、少しずつ統合制御体へと押し戻されて行く。ボイスチェンジャーも今は不要だ。スイッチを切る。ただし、機体は念の為このままにしておこう。“外の連中”に種明かしをすべきではないのだ。
《そこの“白いAC”。何か知っているだろう》
侮蔑するような響きを含んだ声で、隊長機は問うてくる。人格切り替え中に話をするのは脳の負担が大きいので止めておきたいが、此処で黙ればそれこそチーズの如く溶かされるに違いない。アイリーンは感情の宿らない思考のまま、口を開いた。
《何も知らない。あたしは存在しなかった。以上を返答とする》
アイリーンは決まり文句で返し、作戦終了を示すサインを本部へと送った。フルールドリスがどういった存在かは、誰も知らない。知られてはならない。
《……所詮は家畜か》
青い機体の主が溜め息混じりに、憎まれ口を叩いてきた。
《貴様等は卵でも産んでいれば良いのだ。養鶏場の雌鶏共が!》
彼らは一斉に機体を転回させ、戦場から姿を消した。
アイリーンの迎えは、彼らがこの場を失せてから数分後にやってきた。
帰還するや否や機体は作戦ファイルの解析作業の為に解体され、アイリーン自身も後頭部の接続端子に繋がれ、そのまま作戦報告をさせられた。アイリーンは包み隠さずそれらを母たるグレイスに報告し、それからフルールドリスの使用する情報端末が外部の者にアクセスされている可能性を指摘した。通り掛かった他のシスターに戦闘評価試験について問い質してみても、誰も知らなかった為だ。
自室に戻ると、アイリーンはそのまま泥のようにベッドへと倒れ込み、一秒と経たずに眠ってしまった。一日に二度も、そして長時間にわたって身体の主導権を奪ったのが祟ったらしい。
その翌日、時刻にして午前7時。
アイリーンから解放されたレベッカは、研究室前の集会場にて他の実験体と共に朝礼に参加していた。此処のモルモット達の殆どが、かつては普通の少女だった。家族も居た。未来があった。しかし或る者は戦乱で住処を失い、或る者は此処へ売り飛ばされ、平穏な生活に一方的な別れを告げられた。
フルールドリスに休日は存在しない。毎日実験の為に調整と称して身体を改造され、性能テストが行なわれ、時には他のメンバーと戦わされる。そしてこの忌々しい朝礼は、毎朝行なわれる。一切の例外なく、フルールドリスに所属する誰もが参加させられる。
「全員、整列!」
ドウター・スリーのニンバスが声を張り上げ、有象無象のモルモット達はそれに従う。レベッカも気怠げな所作で、それに倣った。
「代表者、前へ!」
この朝礼では、ナンバーを付けられた者のみによる当番制で代表者が替わる。本日の代表者はルネだ。彼女は「はい!」と元気良く返答し、集団の前へと立った。
「我等が母グレイス・ケイル主任研究員に、敬礼!」
調整の済んでいない――つまり頭を弄られていない少女達を除く全員が、揃って敬礼した。タイミングもレベッカが見る限りでは完全に一致している。非現実的な色取り取りの髪に彩られた頭部は、微動だにしない。レベッカはその様子がひどく不気味に映った。
ルネが集団を見回し、それから息を吸い込む。
「部隊理念、唱和!」
「部隊理念!」
ルネの声に、少女達が続く。
「我等の父は、ただ一人! 我等の母も、ただ一人!」
これも同じく代表者のルネが発した言葉を、皆でオウム返しする。
「我等の父は、ただ一人! 我等の母も、ただ一人!」
中には口だけを動かして、実際には声を出していない者も居るのだろう。だが、可哀想に。もしもそれが発覚すれば、弱電流チェアによる拷問に処される。そして隣の者も連帯責任として、同じ刑に科せられる。研究室主任のグレイス・ケイル曰く“お仕置き”だそうだ。痛みを以て不信心を罰し、忠誠心を育む。なるほど。子育ての基本とやらか。馬鹿らしい。
「赤き花の紋章は、我等の血潮!」
「赤き花の紋章は、我等の血潮!」
「白き鎧は、我等の肉体!」
「白き鎧は、我等の肉体!」
唱和は尚も続く。グレイスの自尊心を満たす為なのか、部隊の結束を生む為なのか、そもこんな虫酸の走るスローガンを考えた奴は誰なのか、レベッカは知らない。いずれにせよ、レベッカにとってこれは正気の沙汰とは到底思えなかった。
「我等一人一人が偉大なる指導者、我等が父の剣であり、盾であり!」
「我等一人一人が偉大なる指導者、我等が父の剣であり、盾であり!」
「偉大なる理想を実現する、見えざる開拓者である!」
「偉大なる理想を実現する、見えざる開拓者である!」
「我等、ただの一人もその理を逸脱する事なく、機密を明かす事なく、未来永劫この魂を捧げる!」
「我等、ただの一人もその理を逸脱する事なく、機密を明かす事なく、未来永劫この魂を捧げる! 以上!」
朝礼の最初を飾る部隊理念唱和を終えて、ルネは少女達の集団へと再び戻った。その表情は何処か誇らしげだ。出来れば毎日、彼女にやらせて欲しいものだ。そうすれば、レベッカが当番になる日は永遠に来ない。
「ハァ……堅苦しい挨拶よネ、実際。私はただ、愛娘達と戯れたいだけなのニ」
諸悪の根源の一人たるグレイス・ケイルが呟く。
――だったら何故、やめさせない。不毛だよ、こんなの。
レベッカの胸中にて渦巻く暗雲もいざ知らず、グレイスが朝のスピーチを始めた。彼女は先日アイリーンが報告したセキュリティについての説明を行ない、周囲に注意を促した。「可愛い娘達が何処の馬の骨とも解らぬ汚物にアル事ナイ事されるのは、母として絶対に許せないワ!」などと抜かしていたが、白々しい話だ。この唾棄すべき狂気の科学者は、日常と数ある未来を奪い、外界と隔絶させ、肉体や精神を人間のそれとは乖離させ、奇怪な棺桶に詰め込んで死地に向かわせ、あまつさえそれらが喜ばしい誉れ高き事だと思想を叩き込んで洗脳する、正真正銘の悪魔ではないか。レベッカは拳を握り締め、グレイスを睨んだ。こうして憎んでいる間は、自分が自分で居られる。そんな気がするのだ。
「知らないおじさんに付いてっちゃ駄目ヨ? あとネ、此処に所属する人達はセキュリティで認証できるから、もしも“このゲートを開けて欲しい”とか云われても、絶対に開けちゃ駄目ヨ。後はそうネ。成り済ましにも要注意! 以上、解散!」
……朝礼が終わり、年端も行かぬ少女達は思い思いの方角へと散らばった。談笑する彼女らの表情からは、悲壮感や厭世観といったものは感じられない。ジュニア・ハイスクールさながらの、平和な光景が繰り広げられていた。あの中でどれほどの者が、その笑顔の裏側で血の涙を流し続けているのだろうか。レベッカは頬杖を突いて眺めながら、ぼんやりと考えていた。
フルールドリスに休日は存在しない。本日も、訓練が行なわれる手筈となっている。後輩となる番号無しの少女達を、相手せねばならない。こうして彼女らも元来とは別の精神を埋め込まれ、全く異なる性質を義務付けられる。彼女らの誰もが、娘を演じる怪物なのだ。或いは、これからそうなる。
最終更新:2013年10月19日 12:27