空には白く分厚い雲が張り出し、その広い平野から光というものを大きく奪っていた。

『ローテ・フュンフ、ゼクスは後列、他は前列だ。ブラウ・アインは最前列へ』
「了解」
 その声に青年は頷くと、機体を前方に加速させる。
 重々しい音を立て、機体が制動を受けて停止した。
 続けて青年は後方のカメラを作動させる。メインモニタの隅にボックスが表示されて、そこからリアカメラの映像が出力された。六機のMTがフォーメーションを組んで並んでいた。防衛用のMTが四機に、狙撃仕様のMTが後列を埋めている。レーダーに敵影を確認してから、もう三十分以上になっていた。
 ざり、というノイズが、ヘッドセットのスピーカーから響いてくる。
『ブラウ・アインは敵戦列に対して牽制を常に続けろ。しかし突っ込もうとはするなよ、すぐに蜂の巣だ。
 ACがヤバくなったら俺たちが前に出る、で、お前は引くなり、次の攻撃の機会を伺うなりしろ。俺たちがヤバいようだったら、お前がさっき言ったことの逆のことをしてくれ』
「了解です」
 青年は頷く。
『よし。
 ローテ・フュンフとゼクスは回避行動を任意で行いながら敵を狙撃しろ。
 いつものとおりだ』
 了解、という声が重なって響いた。士気は悪くない。
 でも、戦況は絶望的なのだ、と青年は思う。散々言われていることだが、戦力、そして地形の条件……そういったことを省みれば、とてもではないが楽観的な心境になるわけにはいかなかった。それに、もしこの戦闘をくぐり抜けたとしても、マジックタッチ社は恐らくまた別の窮地に立たされるだろう。
 それはもはや避け切れないことだった。
 しかし、ともかくも問題は今だった。今、この戦闘をくぐり抜けること抜きには、何かを語る権利をすら、自分達は得ることができなくなる。
 そんな中、青年は唇の辺りに手をやっていた。頭の中に大量の血液が流れこんでくる。頭の中が白くなって、それであって余計なことは何も考えられなくなる。
 青年は静かに呼吸を続けている。
『敵機、正面五キロの位置に展開』
 レーダー車両からの索敵情報が彼らの耳に届いた。
 パイロット全員に緊張が走る。一言たりとも情報を聞き漏らさないように、神経を研ぎ澄ませた。
『敵機、当初の予想通りACが三機、MTの姿は見られず。
 及び戦闘ヘリを五機確認、戦闘ラインを割られないように注意』
 了解、という声が再び重奏的に響いた。
 僅かな沈黙がある。
『敵距離四キロ強、望遠カメラでの目測が可能』
 その声に合わせて、ACの望遠機能を作動させる。
 青年の目にも、それは確かに確認できた。ACの内、二機が突出している。もう一機は、一目には確認できない。
『敵情報解析……軽量二脚を二機確認。バンガード標準機「ストライカー」と推測。
 四脚を一機確認。バンガード標準機、「ロングボウ」』
『こちらローテ・アイン。敵機情報を確認した。
 これから敵機の採る予想戦術について述べる。
 恐らく敵が採るべき戦術は、狙撃機体を後方に置きながら軽量二脚で牽制を行い、ダメージを最低限にまで抑えて勝利しようとするものだろう。
 組織化された軍隊では、下手に損害のリスクを負うような戦術を取る人間はいない』
 そこまで分析を口にすると、ヴォルフムントは言葉を一旦区切った。
『そして、問題なのはこちらも同じような戦術を採っているということだ。
 なぜなら、同じ戦術を採るという前提の上では、機体の性能が高い方が絶対に勝利するからだ。射程、火力、機動力……そういったものに、悲しいほどに戦況は左右されてしまう。そして、この場合装備に劣っているのは無論俺たちのことだ。
 はっきり言って、現時点でこの状況を打開する有効で明確な策はない。何とかして、反撃の糸口を見つけるしかない。
 もちろん、後方の建設途中のビルに攻撃を通すことも許されない。分かったか?』
 やや時間があって、了解、との声が響く。
『各機健闘を祈る』
 そう言って、ヴォルフムントからの声は途絶えた。
『敵方との距離、三キロ』
 通信車両からの声が響く。この段階になると、もはや望遠機能を使わなくても肉眼で敵機のシルエットを確認できるようになってくる。地平線の彼方に、ゆらゆらと揺れるその影が見える。土煙の中を突き進んでくる、その存在がほんの小さなドットとしてではあるが、目視できる。
『敵方との距離そろそろニキロ、各機エンゲージ』
 エンゲージ、と声が重なる。「エンゲージ」青年もまたそれに重ねる。
 次の瞬間、背後の狙撃機から砲弾が放たれる。轟音と共に地平線の彼方に点として見える敵機へと向かって、砲弾が吸い込まれていった。その間一秒と僅か。
 爆炎。
『敵戦闘ヘリ群、戦線から離脱中。また、敵狙撃に注意』
 更なる爆炎。
 次の瞬間には、こちらの眼前で爆発が起こっている。敵機からの攻撃だった。恐らくは高速弾。
 土が大きく掘り起こされ、地面そのものが揺れているような振動でコックピットの中が鈍く震える。
 ついに始まったのだ。
『敵初弾はハズレ、でも次は当たるぞ。ACは回避行動を選択』
「了解」
『敵軽量二脚接近、距離一キロを割ります』
 報告を受けて注意を凝らすと、ほとんど同時に対AC用のライフル弾が唸りを上げて、地面へと突き刺さった。
 もはやかなり接近してきた軽量二脚ACから、断続的に砲弾が飛んでくる。その度に、土が捲れ上がり、轟音に耳元がかたかたと奇妙な音を覚え、振動に体全体が上下へと動く。
『はっ、下手クソがぁ。
 FCSの調整間違ってんじゃ』
 発信元ローテ・ツヴァイ、とインジケーターには表示されている。
 直後、爆発音に混じって、甲高い金属音が聞こえる。
『ローテ・ツヴァイ、被弾! 損害3%、畜生!』
『こちらローテ・アイン。まだいける、まだいける……。
 ブラウ・アイン、牽制に移れ』
「了解」
 機体を前方へと動かす。途端、視界が強烈な光に包まれる。
 直後に振動。コックピットが轟音で揺らされる。しかし、インジケーターは被弾を報告していない。
 どうやら外れたようだ。
『断続的にくるぞ、ACは回避行動を継続』
「了解、回避行動を継続」
『引き続きこちらはローテ・アイン、敵四脚、こちらのMTを中心に攻撃してきてる、被弾に警戒』
『こちらレーダー車両、軽量二脚の突出を確認、各機迎撃準備』
『ほい来た!』
 赤い二脚ACは、もはや点として確認できるとかそういうレベルではなく、はっきりとその全容を見せつけながらに距離を詰めていた。
 二つの影が散開して、こちらの部隊を押し包むように攻撃を加えようとしてくる。
『こちらローテ・アイン、ローテ・フュンフ、ゼクスは攻撃対象を切り替え、二脚を狙え』
『こちらローテ・フュンフ、敵機射程圏内。当たります!』
 直後、向かって左に展開しようとしていた赤いACに、閃光が走る。
 その軌道が僅かに歪んだ。
『こちらローテ・フュンフ、ヒット』
『オーケー、こちらローテ・アイン。右方向からの攻撃に注意。正面からの狙撃にも注意』
『ローテ・ツヴァイ、ダメージ30%! ヤバい下がる』
『まだいける、まだいける』
 やや間延びしたような通信内容だったが、青年の表情は動かない。
 不意に、青年が機体を前方へと進行させる。それに対応して、左側に展開していた敵ACが、今度は逆の方向へと移動する。孤立を避ける狙いらしい。
『こちらローテ・アイン。敵がまとまり始めてる、後退を重視。ブラウ・アインは前進して牽制』
「了解」
 ここにきて、ようやく青年は射撃を開始する。
 発砲の度に、近辺への被弾にも相当するような振動がコックピットを揺さぶる。しかし、だからと言ってトリガーを緩めるわけにはいかなかった。
 多数の砲弾が、移動していく赤い機体の表面を明るく染める。ヒットのインジケーターが点灯する。
『ローテ・ツヴァイ! ダメージ60%!』
 震える声が響いた。
『こちらローテ・アイン、全機ローテ・ツヴァイを援護、ローテ・ツヴァイは後退を重視』
『ローテ・フュンフ、被弾、ダメージ30%、移動効率減衰』
『こちらローテ・アインだ。ローテ・フュンフ、ローテ・ゼクス、射撃位置を交代』
 戦闘はそのようにして推移している。ふと、正面を移動中であった赤色の敵機が方向を変えた。ライフルの銃身をこちらに向けながら、こちらへと向かってくる、敵機がこちらへ
『ブラウ・アイン! 後退しろ、狙われて』
 衝撃。
 青年の身体が激しく揺さぶられる、最高級のスタビライザーもショックアブソーバーも、砲弾の被弾という現象の前には十分な代物とも言えなかった。
 しかし、それでも青年はモニターの位置を見据えている。ガタガタと断続的に揺れるコックピットの中で、その首は揺さぶられることなく基本的に同じ位置を保ち続けており、直後には、こちらも反撃の砲弾を撃ち放ち、たまらず敵ACが後退し始める。
『防衛目標に被弾』
 その時、その通信が聞こえた。
 ぞく、と何かが粟立つ感覚があった。
『こちらレーダー車両、敵四脚が標的に防衛目標を加えた模様』
『こちらローテ・アイン、ローテ・フュンフとローテ・ゼクスは四脚を』
 防衛目標に被弾。
 防衛目標に被弾。
 その一節だけが、延々と耳の中に鳴り響く。それは、どういうことだ?
 ビルが攻撃を受けた。
 それだけのことだった。否、本当にそれだけのことか?
 違った。ビルにはたくさんの人間が避難している。その中には一人の少女の姿もあるはずだ。青年は戦闘中だというのに、リアカメラを再度起動させる。
 モニタの隅にボックスが映し出され、そこに建造途中のビルの側面部から白煙が上がっている映像が浮かび上がった。
 少女には一つ約束したのを覚えている。今日を乗り切ったら、もっとすごいことをしよう。
 約束。
 不意に、青年の耳に何も聞こえなくなった。
「なあ、四脚を狙わなきゃ」
 代わりにそんな声が聞こえてきた。
 聞いたことのない声だった。少なくとも、アダム・グレイスフルの人間の声ではない。
 そしてそれ以前に何でだ? と青年は思う。今自機が突出すると、戦線はまず間違いなく持ちこたえられなくなるのだ。今、彼が四脚を攻撃しにいくとして、それは味方全体の自殺行為にひとしい。
 そう思った次の瞬間、耳元で全ての音声が回復する。
 インジケーターの被弾の文字が浮かんでいる。
 意識が飛んでいたのか?
『こちらローテ・ツヴァイ! ダメージ80%! 助けてくれ! 助けてくれ!』
『退け! ローテ・ツヴァイ!
 ブラウ・アイン、ローテ・ツヴァイの援護に』
 そこで再び音声が脳裏から飛ぶ。自分の意識が、どこか別の暗いところを彷徨っているような感覚がある。
 確かに、被弾の振動を感じる。こちらが攻撃を継続しているというのも理解できる、けれど、そのようなあらゆる現実の総体が、どこか自分とは関係ない位置で流れていくような、そんな感覚があった。自分が世界から隔絶されて、そして一人で暗い部屋でうずくまっているような感覚。
 そこで再び、先ほどの声が響く。
「四脚をどうにかしないとジリ貧なんだ。四脚を仕留めれば、バンガードは間違いなく撤退する。なぜなら、単なる制圧任務に駆り出されただけだというのに、重要な戦力であるACを一機たりとも失ってしまえば、それは明確な勝利とはかけ離れた戦況だと言えるから。
 そしてもう一つ、自分がやるべきなのは、チームのメンバーの生存を優先することではない。メンバーの存在はあくまで便宜的な手段なんだ。
 じゃあ何をするべきか? 分かるだろ」
 その言葉に、青年は思わず頷いていた。
「それでいい」
 次の瞬間、遮断されていた音声が自分に戻ってくる。『ブラウ・アイン! おい! ブラウ・アイン! 応答しろ!』
 しかしそれでも、自分がその現実から遮断された位置に存在しているという感覚が拭い去れない。自分は、現実に存在しているのだろうか? と思う。目の前を通り過ぎていく一切の音も、光も、あまりにも現実感を喪失した現象に思えた。
 ACのカメラには、何か近くで爆発が起こっているが見えていた。それが、何の爆発なのかは分からない。ただ何かが継続的に爆発を起こし続けている。それは、砲弾か何かの爆発ではなかった。
 MTがくず折れているのだった。そこから炎が吹き出し、あるいは火花が撒き散らされて、爆風が生じているのだった。
『そのような作戦の変更は許されない、無駄口を叩くな! 正気を取り戻――』
『ヴォルフ! コリンの野郎が死んだ!』
『クソ!』
『こちら通信車両、防衛目標に再度攻撃――』
「四脚を狙うんだ」
『黙れ! 早く軽量二脚を――』
「ちょっとうるさいな」
 その声と共に、右腕が動いていた。
 いつのまにか、青年は外部からの音声出力を切っていた。それは、決して自分の意思ではない。そういえば、先程も外部の音声が一瞬にして遮断されていた。
 僕が切っていたのか、と青年はぼんやり思う。そして自分の腕の感覚が失われていることにも気付く。
 機体が急激に加速する。全ての血流が勢いを増し、あらゆる血管が狭まったかのような状態を覚える。視界の端が黒色に染まった。
 グライドブースト。
 スーパーチャージャーに圧搾した膨大なエネルギーを、一気に開放することで加速を得るという、ACのみが使用することを許された規格外の装備。
「さあ、早く片付けないと」
 低く唸るような耳鳴りの中で、何故なのか明瞭に響く声には、聞き覚えがない。
 そのはずだった。
 でも、青年に一つの違和感のようなものが生じる。今この空間で外部の音声をシャットアウトして、その上で誰が自分に語りかけることができるというのだろうか? そのような疑惑が脳裏の内で大きな存在感を持つようになる。
 勿論、その想像に対しては有効な答えが一つっきりしかない。でも、その答えはあまりにも、なんというか、つまり――
 その時、ぐらり、と機体が揺らいだ。自分の身体がその揺らいだ方向に引きつけられる。
「ぼーっとしちゃダメだ、ほら、見えるだろ」
 その言葉に、青年は視野狭窄を起こした視界を正面のモニターへと向けた。赤色の敵機。四脚タイプのACだ。
 知らず知らずの内に、操縦桿の握りこむ位置に取り付けられていたボタンを絞り込んでいる。何かが破裂するような衝撃と共に機体の肩部から二つの白線が生じ、そしてその白線は地面を滑るようにして移動する四脚ACへと吸い込まれていった。
 四脚ACの肩部に内蔵された迎撃機銃が作動するが、二発の白線の内、一つを撃ち漏らした。爆発。衝撃によって四脚ACが大きく姿勢を崩す。
「そこだよ、ほら、撃つんだ」
 優しそうな声に促されるように、青年はACを敵機の側方に回りこませながら両腕に装備された武器を使用する。衝撃と轟音と共に吐き出された無数の弾丸が、回避する手段を持たない四脚ACのコア部位へと突き刺さった。ひとたまりもなく、ACはこちらから距離を離そうと、あるいはこちらを正面に捉えようと、地面を滑走して必死に有効な位置を掴もうとする。
 しかし、それは側面から加えられる徹甲弾のあまりにも大きな被弾反動によって、為されることはない。ひょっとしたら、その衝撃でACの電子制御系に被害が及んでいるのかもしれなかった。
 そしてふと気付いたのだが、敵ACはそもそも、こちらの存在を視界の内に捉えることができていなかった。
 ああ、こんなに簡単なのか、と青年は思う。
 というのも、今までは敵を正面に捉えあって、どこか絶望感すら感じてしまうようなジリ貧の持久戦に興じていたのが、こんなにも簡単にやってのけられるなんて、と思うのだ。
 次の瞬間に、攻撃を加えられていた敵ACのコア側方から装甲が脱落する、さらに右腕部が脱落して、ウェイトバランス調整のために敵機の動作が一旦停止する。
 こんなにも簡単なのか、と青年は再び思った。
「動きが停まった、さあ」
 その声が促すのに、青年は頷いた。
 右の操縦桿のスイッチを押す。肩部から放たれた二条の白線が、電子系の異常で動作のままならないACへとまっすぐに吸い込まれていった。






 雨が降っていた。

 灰色の雲が立ち込める平野を、降りしきる雨が染めていた。
 雨色の中に、一機のACが立ちすくんでいた。その他に、立っている機影はない。
 ACは、何をするつもりなのか、大きなモニュメントと化している建造物の周囲を、ひたすらに歩行し続けていた。
 雨が降っていた。
 その、建造の途上で中断された大型のビルには、複数の砲弾が突き刺さった痕がある。
 各所で、建材のコンクリートは崩壊し、周辺には瓦礫が飛び散って、山となっていた。
 そして、誰かが叫んでいた。
 雨の中、その響きは、余りにも分厚すぎる雲の下に押し潰されて、とてもではないが遠くまでは響いていこうとしない。
 しかし、それでもその声は何かを呼び続けていた。電子機器によって増幅された人間の叫び声は、何故なのか、その雨音の響く世界においては、ひどくか細いものに思われるのであった。

 青年の乗る、そのACの中には、外部用の集音マイクによって雨の音が入り込んでいた。
 しかし、その他の音が、たとえば人間の話し声のような微細な音が、そのマイクによって捉えられることはない。
 それと同じように、青年が先ほどから叫び続けている声も、その世界の中においてはさしたる意味を帯びていないようだった。
 青年は叫び続けている。でも、レーダーに映り込むのはどれもこれも微弱な金属反応でしかない。
 その生体反応に関しては、少なくともそのレーダーが機能している範囲において、青年の目に飛び込んでくるものはない。






 その日、重体の状態で救助された少女は、十四日後に息を引き取った。

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最終更新:2012年05月01日 03:57